まことの言葉を

青山俊董老尼

粗(そあら)なる
ことばをなすなかれ
言われたるもの
また 汝にかえさん
いかりに出づることばは
げに くるしみなり
返杖(しかえし)かならず
汝の身にいたらん                 (法句経133番)
中央線の車中でのこと、N駅で乗車した二人の中年婦人が、私の前の席に坐った。大変上品な着物を上手に着こなしておられる。相当の家柄の方がたかなと思ったとたんに一人の婦人が口を開いた。 「メシクッテキタカ。ワシ、メシクウヒマガナカッタデヨ、ベントウカッテキタゾウ」着ている衣装とは似ても似つかぬ粗野な言葉に、私は唖然とした。

お金さえあれば、服装も持ち物も住居も、すぐよそゆきができる。しかし、話し言葉はその人の育ちの総決算で、一夜づけがまったくきかない。生れ落ちたその日から、親兄弟の使う言葉を身に付けて育つ。ここでもまた、親の責任を思うことである。

言葉に姿がある
われわれは、服装や持ち物や化粧のおしゃれは考えても、言葉のおしゃれということは殆ど忘れている。しかし、美しく着飾った淑女が汚い言葉を使ったら、一度にその衣装までも色あせて見える。古谷綱武氏は『言葉への愛をもちたい』と言われ、また、『自分の使っている言葉の姿を、いつも自分で見ている人にならなければならない』ともおつしゃっている。言葉に姿があるという。

この間、私の友人が帰らぬ旅に立った。それを一人の友人は「Kさんが死んだ」と連絡してくれ、もう一人の友人は、「Kさんがお亡くなりになりました」と伝えてくれた。私はこの同じ意味を表す二つの言葉の間に、大きなへだたりのあるのを感じ、そこに言葉の姿を見、同時にその言葉を口にした二人の友の人柄の相違を感じた。「Kさんが死んだ」と言う言葉からは、事務的な、無関心な、冷たい響きしか伝わってこない。「Kさんがお亡くなりになりました」という言葉には、死者に対する深い哀悼の心がこもり、言葉の姿も美しい。

言葉は言霊(ことだま)とも言う。顔の表情のように語る人の人柄を表すから恐ろしい。といって美辞麗句は偽り多くて、醜くさえある。美しい言葉とは、正確で、あたたかい思いやりの心のあふれた言葉、美しい命からほとばしり出た、いきいきした言葉である。

かつて何度か無量寺へも御来講いただいた紀野一義先生は、「雑音にしかならないような言葉はしゃべるな」と言われた。痛い言葉である。われわれは普段、そういう言葉しか喋っていない。罪の無い雑音程度で止まっていればまだよいが、無神経に投げられた一言によって、生涯うずくような傷を相手の心に与えたり、また与えられたりというのが、われわれの日常である。しゃべっては悔い、悔いつつなおしゃべり。

数年前、ヨーロッパのキリスト教の修道院生活を経験する機会を得た。そこで学んだことの一つは徹底的に沈黙を守ることであった。用事があるときは、その人の耳元へ行き、声にならない声で伝えるか、紙片に書いて渡すのみ。一日のうち昼食後の45分間だけ、それも定められたサロンに全員集まって、はじめて自由なおしゃべりが許される。
「舌によりて罪を犯すことなかれ」「多く語りて罪なきあたわず」「死も生も舌の権限内にあり」の聖書の教えを徹底的に守っての修道生活には、ただ頭の下がる思いであった。

お釈迦様にもこんなお話が伝えられている。あるとき、仏弟子たちがにぎやかに雑談しているところへお釈迦様が入ってこられた。「お前たち、何を語り合っていたのかね」というお尋ねに対し、一人の弟子がお答えした。「私たちは今、出家する以前のことなどを思い出して、語り合っていました」と。そこでお釈迦様は静かにおさとしになった。
「比丘たちよ。汝らが集まっている時には、ただ二つのなすべきことがある。法について語り合うことと、聖なる沈黙を守ることがそれである」

愛語の教え
また仏伝ではこんな話も伝えている。
お釈迦様の名声が日に日に高まってゆくのを快しとしない人々の一人に、ジャィナ教祖がいた。彼はなんとか釈尊をやりこめる材料はないかと探しているうちに、格好の材料を見つけ出した。釈尊の従弟で釈尊の名声にねたみ、なんとか失脚させようとたくらみつづける提婆達多に対し、釈尊が「提婆は一劫の間、地獄に住するであろう」と言ったという事実を聞き出したのである。

教祖は、信者であるアバヤ王子をそそのかし、「慈悲を説く如来ともあろう人が、他人に好ましくない粗暴な言を吐くことがあろうか」と、釈尊に質問させた。釈尊は、我が子を膝にのせている王子に「もし、かわいい我が子が、あやまって口の中へ石を入れ、どうしても出さないとすれば、親は無理に口に指をつっこみ、たとえ血を出してもその石を取り除いてやるであろう。それが親の子に対する愛だから」と答えられ、さらに次のことを語られた。

如来が口を開くときは、つねに三つのことに心を配る。
第一にはそのことが真実であるかどうかを確かめ、真実でなく、相手の利益にもならないものならば、相手の好むと好まざるとにかかわらず如来は決してこれを語らない。
第二には、そのことがたとえ真実であるという確信がついても、それを相手に伝えて相手の利益にならないものなら、如来はこれも語らない。真実であっても相手に伝えて何の利益にもならないこともあり、逆に伝えないほうがよいこともあるから。
第三には、そのことが真実であり、相手のために利益になると確信のついたときのみ、如来はそのことを口にする。相手の好むと好まざるとにかかわらずである。しかもそのことを伝えるのに時と場所を選ぶというのである。真実で相手のプラスになることでも、それを伝えるに時と場所を選ばなかったばかりに、かえってマイナスの結果を招いてしまったということもある。釈尊の老婆親切がしのばれる。

『愛語というは、衆生をみるにまず慈愛の言語をほどこすなり、(中略)慈然衆生猶如赤子のおもいをたくわえて、言語するは愛語なり、徳あるはほむべし、徳なきはあわれむべし。(中略)怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり、むかいて愛語をきくは、おもてをよろこばしめこころをたのしくす、むかわずして愛語を聞くは、肝に銘じ魂に銘ず。(中略)愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり』(正法眼蔵)
道元禅師も、愛の言葉を語るべきことをこのように強調され、さらにまた、次のようにも示されている。
『示して曰く、古えに三たび復そうして後に云えと。云う心は、凡そものを云わんとする時も、事を行ぜんとする時も必ずみたび復さふして後に言行すべしとなり。先儒のおもわくは、三度び思いかえりみるに三度びながら善ならば云い行なえと云うなり。宋土の賢人等の心は、三度び復そうと云うは、幾度も復せと謂う心なり。言葉よりさきに思い、行いよりさきに思い、思うたびごとにかならず善ならば言行すべきとなり』(正法眼蔵随聞記)

良寛様は、この道元禅師の愛語の教えを特に大切に受け止められ、自らも実行につとめ、人からたのまれると、極めて平凡な、親しみやすい言葉で書き与えられた。「言葉についての戒め」として。今日遺墨の中に見出される『戒語』は数え切れないほどある。
☆ことばの多き
☆ことばのたがう
☆よく心得ぬことを、人に教うる
☆人のかくすことを、あからさまに言う
☆憎き心持ちて、人を叱る
☆悪しきと知りながら、言い通す
☆てがらばなし
☆くれてのち、人に語る
☆しめやかな座にて、心なくもの言う
☆客の前にて、人を叱る
☆人の器量のありなしを言う
☆いやしき人をかろしめる
☆下僕をつかうに、言葉のあらき
☆いやしきおどけ
☆学者くさい話
☆このんで唐言葉をつかう
☆悟りくさき話
☆酒に酔いてことわり(理屈)を言う
飄逸な良寛さんにしてこのきめの細やかさにはおどろくばかりである。しかも他人に向かって言って聞かせるのではなく、みずからへのきびしい戒めとされているところに、一層読む人の胸を打つものがある。

『てがらばなし』と言うのは、自分の自慢話であり、『ことばのたがう』というのは、いわゆる二枚舌で、この人に言うこととあの人に言うことと違うことであろう。『くれてのち、人に語る』は、人に何かさしあげるのに、なかなか無条件でさしあげることができなかったり、我を張って言い通したりする凡夫の悲しみが見られる。
『このんで唐言葉つかう』というのもおもしろい。良寛さんの時代の外国語、ハイカラ言葉というと、唐言葉であったのである。漢文や漢詩にきわめて堪能な良寛さんにしてこの言葉のあることを忘れてはならない。現代ならば、さしずめ、むやみに英語やフランス語など横文字を使って知識をひけらかす類(たぐい)というべきか。いずれにしても、味わうほどに深く、しかもほのぼのとあたたかい戒めである。

声へのつつしみ
言葉について述べた序に、「声」についても少し触れておきたい。「声」というお勅題が出たことがあった(昭和41年)。その時の新聞のコラムに、「声に人柄が現れる」ということが書かれていて、ハッとさせられたことを覚えている。筆者が誰であったかも覚えていない。たまたまお茶の稽古場でこの話をすると、真っ先に応じてきたのが、電話の交換手をしている娘さんであったことも興味深い。
『先生、そうなんですよ。私たちは声だけで仕事をしているんですが、その声を聞いてなんとなくあたたかく尊敬できそうな人だなと思っている人に直接お会いしてみると、やはりよいお人柄なんですね。反対に、声を聞いただけでなんとなくあつかましくいやな感じをうけていた人は、直接会ってみてもやはりそういう感じなんですね。声を出すことがおそろしくなることがあります』

江戸時代、網干(あぼし、兵庫県)の竜門寺に出られ不生禅を唱えた盤珪禅師は、臨済の系譜の中でも異色の傑僧であり、逸話も多く今日に伝えられている。その一つに、禅師のところへ出入りしていた盲目の按摩さんの話がある。
「盤珪さまという方はおそろしいお方だ。大概の人は、他人の不幸に悔やみを言うとき、よく聞いていると『おれでなくてよかった』という思いがひそんでいる。ところが盤珪さまの声は心から悲しんでおられる。大概の人が人の幸せを祝うとき、よく聞いていると『ねたましい』という思いがあるのを隠せないものだ。ところが盤珪さまにはそれがない。相手とまったく一つになり、心から喜んでおられる。あんなお方は見たことがない」
盤珪さまも素晴らしいが、声を聞いてこれほどまでに聞き分ける按摩さんの耳も素晴らしい。

この話を聞いて以来、人に祝い言や見舞いの言葉をかける度に、思わず我が声に耳をすまし、「私は今、ほんとうに相手の人が喜んでいるほどに喜び、悲しんでいるほどに悲しんでいるのだろうか」と自問自答するようになってしまった。そしてその度に返ってくる答えは。他人の肺炎は自分の風邪ぐらいにしか感じていない薄情な私、他人の成功に対してはなんとかケチをつけたい根性の小さい私でしかない。

声に人柄が現れる。それは声の良い悪いというのとは次元が違う。声に、声を出す人の全人格がにじみ出てくるのである。にごりのない、かけひきのない、あたたかく美しい声で呼びかけ、また答えられる人間になりたい。身の振る舞い、言葉や声のつつしみ、それは結局のところ、日常の心がけもさることながら心の姿に帰結してゆくようである。

佐藤泰舜禅師は『禅慧集』の中に、「人の美」と題する次の小文をのせておられる。
『人は好んで衣装を飾る。衣装が立派でも着方が下手では引き立たぬ。着方が良くても体つきがまづくては立派でない。体が出来ても行儀作法を知らねばゆかしくない。行儀が出来ても言葉が悪くては事こわしである。言語動作が整っても、心が清浄でなければ本当に美しい人ではない』




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