No.1030  2010.08.16
「なぜ」ではなく「何のために」

長い盆休みが終わりました。しばらくコラムを休ませて頂きましたが、再開させて頂きます。
青山俊董尼のCD法話集を購入した関係で、その出版社『ユーキャン出版事業部』から「やすらぎ通信」と云う20ページ程の機関紙が時折届けられます(仏教やキリスト教関係の法話が紹介されているものであります)。

今日は夏・秋号の中から、『いつもにっこり笑うこと』と云う渡辺和子師(ノートルダム清心学園理事長)のご講話の中から、人生を生きていく上の教訓として心しておきたいと思った『「なぜ」ではなく「何のために」』と云う考え方をご紹介させて頂きます。

私たちは、人生で色々な苦難に遭遇します。そして「なぜ私はこんな目に会わなければならないのか」とか「なぜ私はこんなひどい人に会わなければならないのか」と迷い悩みます。渡辺師は、「なぜ」と云う言葉を「何のために」と云う言葉に置き換えて考えてはどうかと提唱しておられます。「なぜ」は、どちらかと言いますと、過去に原因を求める〝後ろ向きの考え方〟になりがちで、それに比べまして「何のために」は、これから先に目線を置いた〝前向きの考え方〟だと云うことだと思いますが、下記にご講話から抜粋転載させて頂きます。

転載始まりー

私たちは自分の思い通りにならないとき、「なぜ、私ばかりこんなひどい目に」と思います。その「なぜ」という言葉を「何のために」に置き換えてみましよう。「この挫折は何のために私に与えられているのだろう」、「この病気を何のためにいただいているのだろう」と考えてみる。「なぜ」と原因を究明するのではなく、「何のために」と前向きに考えることで、道が開けてきます。

いろいろな挫折をしたり、人間関係がうまくいかなかったり、思うままにならないこと、たくさんあります。「つまづいたおかげで」という相田みつをさんの詩があります。私も、つまづいたり、ころんだりしたおかげで、少しずつ自分自身のことがわかってきました。過(あやま)ちや失敗を繰り返したおかげで、自分には人を批判する資格がないことに気が付きました。そして、いざというときの自分の弱さとだらしなさが、よくわかりました。だから、つまづくのもおかげさま、ころぶのもおかげさまです。自分が過ちや失敗を繰り返したおかげで、前よりも優しくなることができたわけですね。

こういう気持になれたら、「いつもにっこり笑うこと」ができるかも知れません。「おかげさま」「ありがとうございます」と言うときに、不機嫌では言えませんね。にっこり笑って、「いいことを学ばせていただきました。私は前よりも幸せになりました」と言うことができるかどうかが、大事なのだと思います。

時間の使い方はそのままいのちの使い方です。同じ時間を使うのだったら、笑顔で使いましょう。不機嫌な時間をたくさん使うと、不機嫌な人生になります。不機嫌というのは立派な環境破壊です。私たちはつい笑顔を忘れて、不機嫌な顔をしてしまいますが、そういう顔をして何かいいことがあるのかどうかを少しだけ考えてみましょう。そして思い通りにならないことがあったら「何のために」と問い、自分にとってどういう意味があるのだろうと、一呼吸置いて考えるのです。すると、「これは私の悪いところを直すために神さまから与えられたのだ」と気付くことができ、いつもにっこり笑うことが可能になってきます。

―転載終わり

つい先日、NHKの政治関係の論説キャスター氏が自殺されました。私がよく視聴している『日曜討論』と云う番組の司会者でしたので、ショックを受けましたが、遺書に書かれていたと云われる体調面での不具合以外にも、死を選ばねばならない苦悩もお持ちだったのではないかと推察しています。また、女児二人を虐待死させた23歳のシングルマザーの事件も、彼女をそのような非人間的行為に走らせた尋常ではない生活苦と普通ではない人間関係、そしてそこまで人間を追い込んでしまう社会の歪みがあったのだろうと推察しておりますが、同じような死ぬほど辛い目に遭遇している人は何万人も何百万人も居られるのだ思います。

さて、このような人々に、「なぜ」を「何のために」と置き換えて考えてみてはどうかと諭しましても受け付けられないと思います。それこそ、ただただ、にっこり笑って優しい言葉を投げかけて、優しい耳を貸してあげることしかないと思いますが、私たち自身はそのような極限の苦悩に至る前に、「なぜ、私はこの世に生まれて来たのか」ではなく、「何のために、何をするためにこの世に生まれてきたのか」を考えねばならないな、と、私は渡辺和子師のご講話から教えて頂きました。

「なぜ、この世に生まれてきたのか」を考えても答えは得られないと思いますが、「私は何をする為にこの世に人間として生まれて来たのか」に対する答えは、先師や先輩から教えていただけ、確かな答えが得られると思います。そうすれば、苦難に遭遇した時、「何のために、私がこのような苦難に出遇ったのか」の答えも直ぐに見付かるのではないでしょうか。

参考にして頂ければ幸いでございます。

合掌ーおかげさま


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No.1029  2010.08.02
教行信証を披く-行巻(平等覚経の文)―15-②

まえがき
難しいお経が続きますが、引用されているお経は全て例外なく、この世に生を受けた衆生(全ての生物)を必ず救い取ると云う、阿弥陀仏の強い願いを書き表したものだと受け取りたいと思います。だだ、大切なことは、その強い願い(阿弥陀仏の本願)を感じ取らなければ、私は救われないと思います。そして、救われるとは、お金持になれるとか、病気をしないとか、長生き出来ると云うような、私たち凡夫の欲望を満たしてくれるということではないと思います。その答えは、歎異抄の第一章に示されておりますので、それぞれご確認して頂きたいと存じます。
さて、今日の午前10時頃に、博多から長女とその子供(私の孫で、幼稚園の年長さんの男の子と年少さん女の子)が帰省致します。これからの一週間は、近所に住む長男の子供たち(中二男子、中一女子、小4女子)も我が家に逗留しますので、主夫の私は料理と孫相手でとても忙しくなりそうでございます。この間コラムは休ませて頂きます。悪しからず・・・。

●行巻の原文
無量清浄平等覚経巻上言。我作仏時、令我名聞八方上下無数仏国。諸仏各於弟子衆中、嘆我功徳国土之善。諸天人民蠕動之類、聞我名字皆悉踊躍、来生我国。不爾者、我不作仏。我作仏時、他方仏国人民、前世為悪聞我名字、及正為道欲来生我国。寿終皆令不復更三悪道、則生我国在心所願。不爾者、我不作仏。阿闍世王太子、及五百長者子、聞無量清浄仏二十四願、皆大歓喜踊躍、心中倶願言。令我等復作仏時、皆如無量清浄仏。仏則知之、告諸比丘僧。是阿闍世王太子、及五百長者子、却後無央数劫、皆当作仏如無量清浄仏。仏言、是阿闍世王太子、五百長者子、作菩薩道以来無央数劫、皆各供四百億仏已、今復来供養我。是阿闍世王太子、及五百人等、皆前世迦葉仏時、為我作弟子、今皆復会是共相値也。即諸比丘僧聞仏言、皆心踊躍、莫不歓喜者。乃至

● 和文化(読み方)
無量清浄平等覚経の巻上に言く。我、作仏(さぶつ)せむ時、我が名をして八方上下無数の仏国に聞かしめむ。諸仏各々弟子衆の中にして、我が功徳国土の善を嘆ぜむ。諸天人民蠕動(ねんどう)の類(たぐい)、我が名字を聞きて、皆、悉く踊躍(ようやく)せむもの、我が国に来生(らいしょう)せしむ。爾(しかあ)らずば我、作仏せじと。我、作仏せし時、他方仏国の人民、前世に悪の為に我が名字を聞き、及び正しく道の為に我が国に来生せむと欲はむ。寿(いのち)終へて復(ま)た三悪道(さんまくどう)に更(か)へらざしめて、則(すなわ)ち我が国に生れむこと、心の所願に在らむ。爾らずば我れ作仏せじと。阿闍世王太子、及び五百の長者子、無量清浄仏の二十四願を聞きて、皆、大いに歓喜し踊躍して、心中に倶に願じて言く。我等復た作仏せむ時、皆、無量清浄仏の如くならしめむと。仏、則ち之を知ろしめして、諸の比丘僧に告げたまはく、是の阿闍世王太子、及び五百長者子、無央数劫を却りて後、皆、当に作仏して無量清浄仏如くなるべしと。仏の言く、是の五百長者子、菩薩の道を作(な)して以来(このかた)、無央数劫に皆、各々四百億仏を供養し已(おわ)って、今、復た来って我を供養せり。是の阿闍世王太子、及五百人等、皆、前世に迦葉仏の時、我が為に弟子と作れりき。今、皆、復た是れに会して共に相ひ値(あ)えるなり。則ち諸の比丘僧、仏の言を聞きて、皆、心踊躍して、歓喜せざる者莫(な)けむと。

● 現代意訳(高木師)
無量清浄平等覚経の巻上に説かれている。わたしが仏になったときには、南無阿弥陀仏の名号を広く十方の数かぎりない仏国に聞こえわたらせたい。そして諸仏たちに、それぞれ弟子たちのなかで、わが浄土の功徳の善妙なことを讃嘆させてやりたい。これによって、天人をはじめとして、虫けらにいたるまで、名号のいわれを聞いて、歓喜踊躍するものは、わたしの浄土に生まれることだろう。もしそのとおりにできなかったなら、わたしは仏になるまい。
わたしが仏になったときは、他方の仏国の人たちが、たとい前世にあって悪意のためにわが名号を聞いたにしても、また道のためにわが国に生まれたいと思ったものでも、寿命が終わったときには、ふたたび三悪道におちるようなことがなく、願うとおりにわが国に生まれさせたいものである。もしそのように出来なかったなら、わたしは仏になるまいと。
阿闍世王の太子と五百人の長者の子息たちは、無量清浄仏すなわち阿弥陀仏の24願を聞いて、身も心も喜びに満ち、心の中でわたくしたちも無量清浄仏のような仏になりたいと願うのであった。そのとき釈尊はこれを察知されて、多くの比丘たちに仰せられた。この阿闍世王の太子と五百人の長者の子息たちは、今後長い年月をえて、みな無量寿仏のような仏になるであろうと。
釈尊は更に仰せられた。この阿闍世王の太子と五百人の長者の子息たちは、菩薩の修行を修めて、はかり知れない年月の間、みなそれぞれ400億の仏に対する供養を終わり、今またここに来て私を供養するのである。この阿闍世王の太子や500人の子息たちは、前の世に迦葉仏の出世の時に、私の弟子になっていたのである。その宿縁に依って今またここに遇うことが出来たと。その時、沢山の仏弟子たちは、この言葉を聞いて、みな心から踊躍歓喜しないものはなかったと。・・・中略・・・

● 現代意訳(本願寺出版の現代語版より)
『平等覚経』に説かれている。 「無量清浄仏は、<わたしが仏になったときには、わたしの名号をすべての世界の数限りない多くの国々に聞こえさせ、それぞれの仏がたに、弟子たちの中で、わたしの功徳や浄土の善さをほめたたえさせよう。そして、神々や人々をはじめとして、さまざまな虫のたぐいに至るまで、わたしの名号を聞いて喜びに満ちあふれるものをみなことごとく、私の浄土に往生させよう。もし、そのようにできなかったなら、わたしは仏になるまい>と願われ、また、<わたしが仏になったときには、他方の国の人々が、前の世で悪を縁としてわたしの名号を聞いたものも、まさしく道を求めてわたしの国に生まれようと思ったものも、寿命が終わればみな再び地獄や餓鬼や畜生の世界にかえることなく、願いのままにわたしの国に生まれさせよう。もし、そのようにできなかったなら、わたしは仏になるまい>と願われた。
阿闍世王の太子や五百人の長者の子たちは、この無量清浄仏の二十四願を聞いて、身にも心にも大いに喜び、ともに心の中で<わたしたちも無量清浄仏のような仏になりたい>と願った。
釈尊はこれをお知りになって、多くの比丘たちに、<この阿闍世王の太子や五百人の長者の子たちは、今後長い年月を経て、みな無量清浄仏のような仏になるであろう>と仰せになった。
更に、<この阿闍世王の太子や五百人の長者の子たちは、すでに菩薩の道を修めて以来、はかり知れない年月の間に、みなそれぞれの四百億の仏を供養しおわり、今またここに来てわたしを供養している。この阿闍世王の太子や五百人の子たちは、みな前の世に迦葉仏が世に出られた時に、わたしの弟子になっていた。その因縁で今またここに会うことが出来たのである。>と仰せになった。
集まっていたおおくの比丘たちはこのお言葉を聞いて、心から喜ばないものはなかった。・・・中略・・・

● あとがき
稲盛和夫氏の『生き方』を読了致しました。最後まで読み終えまして、ほっと致しました。読み終えたからではございません。この本は本文として244ページありますが、最後の15ページを読んで初めて稲盛氏の仏法観に対する違和感が無くなりました。
それは、以下に転載させて頂くような内容で締めくくられていたからです。
稲盛氏を酷評していた西部 邁(にしべすすむ)秀明大学学頭と評論家佐高信(さたかまこと)氏は、『生き方』を多分斜め読み飛ばし読みをされ、そして最後のページまで読まれなかったのだと思います。

稲盛氏の『生き方』から転載:

「悟りの前、木を伐(き)り、水を運んでいた。悟りの後、木を伐り、水を運んでいる」という禅の言葉があるそうですが、私は仏門に入ったあとも、私は相変わらず俗世にあって世間のちりやほこりにまみれながら生きています。しかしながら、内面で何かが確実に変わっていることもまたよく実感できます。
たとえば、修行によって、あらためておのれの未熟さを痛感したということがあります。企業のトップとして部下や幹部に指導を行い、偉そうに訓示もし、さもわかったようなことを本に書いたり講演で話したりもしてきましたが、そんな自分の中にひそむいい加減さ、いやらしさを思い知らされて反省もしました。あるいは、真にすばらしい人間は「無名の野」にいることも、あらためて胸に刻むことが出来ました。
また、どれほど持戒に努め、精進を重ね、何百時間坐禅を組もうと、私はついに悟りに届くことはできない。私のように意志が弱く、煩悩から完全に離れることができない人間は、心を磨くためにいくら善きことを行おうとしても、私欲を完全になくし、つねに利他の思いをもちつづけることはできないでしょう。どれほど持戒に努めても破戒から逃れられない。私を含め、人間とはそれほど愚かで不完全な存在なのです。
しかし、それでいいのだということも私はよく理解しました。そうであろうと努めながら、ついにそうであることはできない。しかしそうであろうと努めること、それ自体が尊いのだということです。

合掌ーおかげさま


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No.1028  2010.07.29
念ずれば花開く

稲盛氏がその著書『生き方』の中で、次のように述べられている。
「たしかに運命というものは、私たちの生のうちに厳然として存在します。しかしそれは人間の力ではどうにも抗(あらが)いがたい〝宿命〟ではなく、心のありようによっていかようにも変えていけるものです。運命を変えていくものは、ただ一つ私たちの心であり、人生は自分でつくるものです。東洋思想では、それを〝立命〟という言葉で表現しています。思いという絵の具によって、人生のキャンバスにはその人だけの絵が描かれる。だからこそ、あなたの心の様相次第で、人生の色彩はいかほどにも変わっていくのです。」

昔から、「為(な)せば成る。為(な)さねば成らぬ何事も、成らぬは、人の為(な)さぬなりけり」とか「精神一到何事か成らざらん」と云う言葉がある。たしかに、自分が思わなければ、何も始まらない。「棚からボタ餅」は有り得ないと云う考え方が真っ当な人生の考え方であろう。しかし一方で、「人生は自分の思う通りには成らない」とも諭されるのである。一体どう考えるべきであろうか・・・私は稲盛氏のご著書に感銘を受けつつも、この本を読んだ70万人とも言われる読者が、「よし、頑張ろう!」とその瞬間から生き方が変わるとは思えないのである。そして、今日の表題『念ずれば花開く』と言う言葉を思い浮かべたのである。

           念ずれば
           花ひらく
        苦しいとき
        母がいつも口にしていた
        このことばを
        わたしはいつのころからか
        となえるようになった
        そうしてそのたび
        わたしの花がふしぎと
        ひとつひとつ
        ひらいていった

『念ずれば花開く』は、仏教に親しまれた坂村真民師が詩の中に詠い込まれたお言葉である。この言葉には強い自力的な匂いがする。「為(な)せば成る。為(な)さねば成らぬ何事も、成らぬは、人の為(な)さぬなりけり」とか「精神一到何事か成らざらん」と云う言葉に共通する教訓めいた感じがするのである。

稲盛氏も坂村真民師も仏教と深い関わりを持った人であるが、どちらも禅宗の臨済宗と縁を持たれた方々である。だから自力的な言葉に魅かれたのだと思うのであるが、仏法は縁起を説く教えである。『念ずれば花開く』の意味を仏法的に考える時、先ず『花』とは何かを考えたい。
坂村真民師がご著書の中で、母が私に咲かして欲しいと念じた『花』とは、「母は世間普通の女性とちがって、本当の花とは、立身でも出世でもなく、五人の子がそれぞれの道で、人間らしく生きてゆくことを念じていたからである。」と言われているが、現代的に言い換えれば、SMAPのヒット曲でもあるが「世界でただ一つ、オンリーワンの花を咲かそう!」であり、決して地位や名誉だけではないだろう。

そして一番私が心しておきたいと思うのは、『念ずれば』の解釈である。坂村真民師も「母に願われていたから・・・」と云う想いを強く持たれていたと思われますが、坂村真民師は母親に念じられていたからこそ詩人と云う花を咲かせて、多くの人々の人生に灯火を施されたのであろうと思う。その母親も、その母親から念じられていたからであろうと考えるとき、私は親鸞聖人の他力の本願、つまり仏様の願いに応えてオンリーワンの花を咲かせられたのだと思うのである。
これは、稲盛氏に付いても同様、稲盛氏は仏様に念じられた花に気付かされて、オンリーワンの花を咲かされたのではないかと思う。決して自分の力ではないのだと思う。

私たちも、一人ひとり異なったオンリーワンの花の種を持っているのだと思う。そのオンリーワンの花の種に気付くかどうかが人生を左右するのだと思う。それには、幼い時から、そして今からでも良い、自分が一番生き生きとして努力出来る道(学問、スポーツ、芸事、職業など)は何かを意識して、オンリーワンの花の種を見付けることが、幸せな人生実現への一つのアプローチではないかと思うのである。

合掌ーおかげさま


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No.1027  2010.07.26
人生指南の言葉

以前のコラム『感謝⇒健康』でご紹介した元薬師寺貫主・安田暎胤(やすだえいいん)師が神戸新聞の随想に寄稿されていた『縁の受け止め方』と云うコラムと、98歳の詩人柴田コウさんの『くじけないで』と云う詩集の中から一片の詩、そして京セラ創業者、現日本航空会長である稲盛和夫氏の『生き方』と云う著書の中の言葉をご紹介致します。

稲盛氏の『生き方』は、自分は如何にして成功したかを後輩に教えると云う人生教訓・人生指南の書です。〝朝日ニュースター〟と云うテレビ局の『学問のすすめ』と云う番組で、西部 邁(にしべすすむ)秀明大学学頭と評論家佐高信(さたかまこと)氏が、安っぽい人生教訓だ、こうすれば成功すると騙す詐欺師だと酷評していた書であり、私は僧籍を取得された稲盛氏の何処が詐欺師っぽいのかを確認するために読んでみましたが、成功者達が押しなべて書かれている他の成功物語と同じ内容であり、これを詐欺師と云うのは如何なものかと思いました。成功を目指す人には自分を鼓舞する意味である程度役に立つのではないかと思いました。

安田師のコラムと柴田コウさんの詩は、苦難に遭遇している人への心構えを述べられているものだと思います。実際に大変な苦難に遭遇した人がどうして乗り越えたか、或いは今どうして乗り越えているかを綴られたものであり、苦難にくじけそうになっている人への応援メッセージではないかと思います。人生指南書とか人生教訓は、大体がこの2種類ではないかと思います。つまり、「経済的に成功したり、有名になり名誉とお金を得るためには、世の為人の為になることを考え、邪(よこしま)な考え方ではなく、正しい考え方を持ち熱意を持って真剣に努力すれば成功する。私はそうして成功した」と「世の中、苦だけではない、楽だけでもない。苦楽はあざなえる縄の如し。前を向いて歩いて行こう」と云うものではないでしょうか。

縁の受け止め方―安田暎胤師

人間は一生のうちにさまざまなことに遭遇する。それらの出会いすべて縁として受け止める。縁には悲しい縁、うれしい縁、苦しい縁、楽しい縁など多種多様である。ただ一般的には苦ばかりの連続もなければ楽の連続もない。

私は生後3ヶ月で母を失った。母は兄と私を2年続けて産み体調を崩して逝去。父は私が幼稚園の時に西部ニューギニアに出征して戦死した。幼くして両親を失う子供は不憫だ。しかし不幸を現実として受け入れながらも、子供時代には遊びがあり、勉強があり、明日を夢見る希望などがあり悲しさを乗り越えられた。

実母は私の身代わりになってくれ、実母の逝去後に母の妹が養母として命懸けで育ててくれた。2人の母の愛にはぐくまれて成長した私は幸せと受け止めている。

中学1年の時に出家して薬師寺に入山。小僧のころの修行は辛かったが、師匠は父親のように、あるときは強く、あるときは優しく指導してくださった。昭和33年、まだ海外旅行が珍しいころ、師匠の随行で渡米、続いてインドや欧州にも随行する幸運に恵まれた。もし両親が健在でいたら人生は変わっていただろう。

大事なことは悲喜苦楽に遭遇した時、それを如何に受け止めるかである。人間は心の切り替えができるところが素晴らしい。過去の反省は必要だが、昨日のことにこだわらず、明日に向かって今日まさに、為すべきことに努力することだ。

「マイナスをプラスに変える」「ピンチはチャンス」ともいわれるが、辛苦を耐え抜いてこそ幸せが得られる。「驕れる者久しからず」「月の円いのもただ一度」といわれるように、むしろ調子の良いときこそピンチと受け取るべきだ。
ともあれすべての縁をお蔭様と受け止め、今の瞬間を誠実に謙虚に懸命に生きていきたいものである。

詩集『くじけないで』よりー柴田コウさん

        一人で生きていくと
        決めた時から
        強い女性になったの
        でも
        大勢の人が
        手をさしのべてくれた
        素直に甘えることも
        勇気だと
        わかったわ

        (私は不幸せ…)

        溜息をついている
        貴方
        朝はかならず
        やってくる
        朝陽も
        射してくる筈よ

考え方を変えれば人生は 180度変わるー稲盛和夫氏

人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、どうすればよいか。そのことを私は一つの方程式で表現しています。それは次のようなものです。
人生・仕事の結果=考え方(哲学、理念、思想、価値観)×熱意×能力
つまり、人生や仕事の成果は、これら三つの要素の〝掛け算〟によって得られるものであり、決して〝足し算〟ではないのです。掛け算だから、能力と熱意に恵まれながらも、考え方の方向が間違っていると、それだけで、ネガティブ(マイナス)な成果を招いてしまうのです。

仏教には、「思念が業をつくる」という教えがあります。業とはカルマともいい、現象を生み出す原因ともなるものです。つまり思ったことが原因となり、その結果が現実となって表れてくる。だから考える内容が大切で、その想念に悪いものを混ぜてはいけない、と説いているのです。人生は心に描いたとおりになる。つよく思ったことが現象となって現れてくるー先ずはこの『宇宙の法則』をしっかりと心に刻みつけて欲しいのです。
よい思いを描く人にはよい人生が開けてくる。悪い思いをもっていれば人生はうまくいかなくなる。そのような法則がこの宇宙には働いているのです。
よい人生を送るには心を磨かねばなりません。この心を磨く指針として、私は自らの経験から次のような「六つの精進」が大切ではないかと思い、まわりの人に説いてきました。

① だれにも負けない努力をする
② 謙虚にして驕らず
③ 反省の日々を送る
④ 生きていることに感謝する
⑤ 善行、利他行を積む
⑥ 感性的な悩みをしない(後悔をしないような位全身全霊を傾けて取り組む)

さて、私の感想ですが、安田暎胤師も稲盛和夫氏も、並外れた能力、気力を生まれながらにして持たれていたのだと思う。このように恵まれた能力・気力を持っている人は少ないと思います。正直なところ、このお二人には私たち凡人の気持や凡人の現実への想像力が今一つ乏しいのではないかと思います。成功者だから結果論として言えていることではないかと・・・。

それに引換え、柴田コウさんの詩の背景には、挫折している人々に心に寄り添う同事の心が読み取れます。

世の中の還暦を迎えた人の中の99.9%は自分を成功者だとは思っていないし、今まさに人生と闘っている現役の人の殆ども、成功を強く願いつつも、一方で成功はかなり難しいと思っているのではないでしょうか。このような人々を人生指南書がターゲットとしているユーザーだと思われますが、安田暎胤師や稲盛和夫氏が言われることを実践できる人は少ないと思いますが、どうでしようか・・・。

私は、ご著書を読ませて頂いた限り稲盛氏はあまり重きを置かれていないようですが、稲盛氏の経営者としての成功はやはり時代に恵まれたのが大きいし、稲盛氏の人を使う能力が人並み以上に恵まれていたことと、周りの人に恵まれたのだと思います。私は、考え方×熱意×能力に更に〝×縁〟を加えねば、仏法的には認め難いと思います。
人生・仕事の結果=考え方(哲学、理念、思想、価値観)×熱意×能力×

そして、私は人生の成功は死ぬまで分からないことですし、死ぬ時にも自分の人生が成功だったか失敗だったかを評価出来る心身の状態にはないと思いますので、人生の成功・失敗は今この瞬間、善き人間関係(3日に1回はお互いの事を心の中だけでも思い浮かべ合う瞬間がある)に恵まれているかどうかだと思います。そう云う善き友が多ければ多いほど幸せ度は大きくなりましょうが、喩えそれがただ一人とでもよいと思います。

上述の先輩方の指南も是非参考にして頂きたいとは思いますが、もしそれも自信がないと言われる方には、私は、私の人生指南の唯一の指針として、善き人間関係をはぐくむ努力をする事をお勧めしたいと思います。そけだけで、私は心温かな人生を感得出来、それだけで人生の成功者だと言えるのではないかと思います。

私は相手に確認はしていませんが、善き人間関係に恵まれており、今、幸せを感じています。

合唱ーおかげさま

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No.1026  2010.07.22
お言葉(無相庵カレンダー)の世界

ホームページに掲載している無相庵カレンダーは今から26年前、私が39歳未だサラリーマンの時に母と一緒に〝お言葉〟を選び製作したのが第一作目であります。その4年後に亡くなった母への供養として、名古屋の宋吉寺の西川玄苔師と慈海師のお助けをお借りして編集製作したのが第2作目でございまして、現在掲載中のものはその第2作目の一部を青山俊董尼揮毫のお言葉に代えた第3作目と申してよいものでございます。

どのお言葉も感銘深いものでございますが、極最近までは、お言葉に示される境地は『目標の境地』であったように思います。そして仏法を学んでいる中に、その境地に近付いていけるのではないかと考えておりましたし、そうならなければ仏法を聞いている意味は無いとも考えて居たように振り返っております。お言葉の世界は『理想の境地』であり、お言葉を教訓と受け取っていたように思います。
さて、今の受け取り方はどうかと申しますと、誤解を恐れずに表現致しますならば「生身の人間では到底達し得ない理想の人格、理想の姿勢を示したのが〝お言葉〟の数々だ」と云うことになりましょうか。つまり、無相庵カレンダーの第1作目、第2作目を製作した頃と同じく『理想の境地』ではありますが、以前は到達出来るかも知れない『理想の境地』でありましたが、今は〝実現不可能な〟飽くまでも『理想の境地』ではないかと受け取っています。

ただ、その理想の世界に自分が住むことを諦めた訳ではございません。お言葉を読みながら今の自分を見詰め直し、少しでも近付きたいと思う云わば『憧れの世界』だと申すべきかも知れません。卑近な例ではありますが、スターに憧れるファンの心境みたいなものでしようか。「自分は到底スターにはなれないことは分かっている、でも憧れる」と云うような・・・。また、大リーグで活躍するイチロー選手があれだけの記録を次々と塗り替えられているその蔭で為されている毎日の精進を続けられているのは、打者としての〝憧れの世界〟を持っているからではないか、つまり、打率10割(毎打席ヒット)を〝狙っている〟のではなく、打率10割に〝憧れている〟からなのだと推察しております。そして、〝憧れ〟は人を苦しませるのではなく、嬉々として精進させるのではないかと考え、私は『お言葉の世界』も、単なる到達出来ない架空の世界ではなく、『憧れの世界』を示されているのではないかと受け取るようになっております。

そう云う意味では、浄土真宗で言う『お浄土』は、私たちにとりまして『憧れの世界』であり、決して「架空の世界ではない」と云うことではないかと思います。そして、『憧れの世界』を念じるのが、南無阿弥陀仏なのではないかと・・・。
そして、その様に毎日のお言葉を受け取りながら、『憧れの世界』には実に程遠い我が身ではありますが、その〝憧れ〟だけは持ち続けたいと思っているところであります。

合掌ーおかげさま


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No.1025  2010.07.19
教行信証を披く-行巻(平等覚経の文)―15-①

まえがき
一昨日の土曜日、郵便受けに思いもかけないお方からの郵便物が届きました。宛名書きの文字から『青山俊董先生』だと分かりました。でも、びっくりしました。実は昨年4月に神戸・明石では毎春先に手作りする『イカナゴの釘煮』をお送りしたのですが、常々は日を置かれずに受領の印として葉書か封書が送られて来ていたにも関わらず昨年は来ませんでした。私は沢山の贈り物に紛れたか、係りの方の間で処理されたかも知れないとも考えましたが、その後、愛知専門尼僧堂と云う修行道場に殺生の極め付けを送り届けた自分の不適切を反省をしていました。お手紙に「いつぞやイカナゴのお心づくしの珍味をご恵送たまわり厚く御礼申し上げます。御礼を申し上げず御無礼のまま月日をすごしておりましたことをお詫び申し上げます」とありましたので、実際のところはどうか分かりません。禅僧だから決して魚料理も肉料理も召し上がらないと云うことはございません。私たちは他の命を頂くことに依ってはじめて生きることが出来るのでありますから・・・。でも、やはり、選りに選って禅堂にわざわざ魚料理を送るのは不適切であったと今も反省しております。

青山俊董尼は1年先までご講演スケジュールが決まっている、とてもお忙しい御身でいらっしゃいます。贈り物も多いことと思います。そんな中、1年3ヶ月の間もお忘れになることなく、サイン入りの新刊のご著書『法の華鬘抄-法句経を味わう』と冊子『観音様のお話』にお手紙を添えてお送り下さいました。毎早朝の坐禅を欠かされることなく、睡眠時間を削られながらも、世の中の義理をも果たされていかれるご姿勢に私は大きな学びをさせて頂いた次第でありました。

青山俊董尼は骨身を削られながら仏法を全国に伝え、後代に伝える努力を惜しまれることがありません。最早ご自分一人の悟りの為ではありません。24時間を法の為に捧げられているのだろうと思いますが、750年前の親鸞聖人も、おそらくは不惜身命に『無量寿経』の漢訳経典の数多くを読み込まれ、この『教行信証』に抜粋引用され、他力本願の教えがお釈迦様の教えそのものであることと、私たちは常に仏様に願われていることを書残して下さっているのだと思います。

●行巻の原文
無量清浄平等覚経巻上言。我作仏時、令我名聞八方上下無数仏国。諸仏各於弟子衆中、嘆我功徳国土之善る諸天人民蠕動之類、聞我名字皆悉踊躍、来生我国。不爾者、我不作仏。我作仏時、他方仏国人民、前世為悪聞我名字、及正為道欲来生我国。寿終皆令不復更三悪道、則生我国在心所願。不爾者、我不作仏。

● 和文化(読み方)
無量清浄平等覚経の巻上に言く。我、作仏(さぶつ)せむ時、我が名をして八方上下無数の仏国に聞かしめむ。諸仏各々弟子衆の中にして、我が功徳国土の善を嘆ぜむ。諸天人民蠕動(ねんどう)の類(たぐい)、我が名字を聞きて、皆、悉く踊躍(ようやく)せむもの、我が国に来生(らいしょう)せしむ。爾(しかあ)らずば我、作仏せじと。我、作仏せし時、他方仏国の人民、前世に悪の為に我が名字を聞き、及び正しく道の為に我が国に来生せむと欲はむ。寿(いのち)終へて復(ま)た三悪道(さんまくどう)に更(か)へらざしめて、則(すなわ)ち我が国に生れむこと、心の所願に在らむ。爾らずば我れ作仏せじと。

● 現代意訳(高木師)
無量清浄平等覚経の巻上に説かれている。わたしが仏になったときには、南無阿弥陀仏の名号を広く十方の数かぎりない仏国に聞こえわたらせたい。そして諸仏たちに、それぞれ弟子たちのなかで、わが浄土の功徳の善妙なことを讃嘆させてやりたい。これによって、天人をはじめとして、虫けらにいたるまで、名号のいわれを聞いて、歓喜踊躍するものは、わたしの浄土に生まれることだろう。もしそのとおりにできなかったなら、わたしは仏になるまい。 わたしが仏になったときは、他方の仏国の人たちが、たとい前世にあって悪意のためにわが名号を聞いたにしても、また道のためにわが国に生まれたいと思ったものでも、寿命が終わったときには、ふたたび三悪道におちるようなことがなく、願うとおりにわが国に生まれさせたいものである。もしそのように出来なかったなら、わたしは仏になるまいと。

● 現代意訳(本願寺出版の現代語版より)
『平等覚経』に説かれている。 「無量清浄仏は、<わたしが仏になつたときには、わたしの名号をすべての世界の数限りない多くの国々に聞こえさせ、それぞれの仏がたに、弟子たちの中で、わたしの功徳や浄土の善さをほめたたえさせよう。そして、神々や人々をはじめとして、さまざまな虫のたぐいに至るまで、わたしの名号を聞いて喜びに満ちあふれるものをみなことごとく、私の浄土に往生させよう。もし、そのようにできなかったなら、わたしは仏になるまい>と願われ、また、<わたしが仏になったときには、他方の国の人々が、前の世で悪を縁としてわたしの名号を聞いたものも、まさしく道を求めてわたしの国に生まれようと思ったものも、寿命が終わればみな再び地獄や餓鬼や畜生の世界にかえることなく、願いのままにわたしの国に生まれさせよう。もし、そのようにできなかったなら、わたしは仏になるまい>と願われた。 」

● 語句の意味
平等覚経ー『大無量寿経』の異訳で後漢(西暦25年~220年)の僧が訳したもの。三悪道ー地獄・餓鬼・畜生の三つ悪道をいう。

● あとがき
青山俊董尼から頂いた冊子の中に、『観音様』の『観』に付いて、「観とはとらわれない心」と云うことで、次のようなたとえ話でのお諭しがありました。我が事としてうけとめねばならない。

天台智者大師は「観」の心を「取相を破す」と説明しておられる。「取相を破す」とは、こだわりの心、とらわれの心、かたよった心から解きはなたれた状態、脱け出た状態ということができよう。色眼鏡をかけず、全く透明にものを観ることが出来る、事に対処することができる働きとも云えよう。

しかし、これはわれわれには程遠い。色眼鏡をかけてしか見ることのできない私、かたよった見方、受け止め方しかできない私を浮き彫りすることによって、逆の面から玲瓏たる「観」の働きを推し量ってみることにする。
先ずは「こだわりの心」を見据えてみよう。いついかなる時も、ひそかに執念深く「わが身かわいい思い」「身びいきの思い」が働き続けていて、絶対にものごとを平等には見えていない。
たとえば集合写真一枚見るにさえ、百人が百人とも、まず自分の顔を探すであろう。そして自分の顔がよく撮れていると〝これはいい写真だ〟となり、自分が目をつぶつたり横を向いていると、写真そのものが意味のないものにさえ思えてくるように。
自分の風邪は肺炎ほどに大袈裟に、隣人の肺炎は風邪くらいにしか受け止められない私。ことほどさように、われわれはあらゆる時点で、私を中心に捉えての見方、考え方しか出来ず、しかもそのことに気づいていないから始末が悪い。

次に「かたよった見方」しか出来ない自分を、例えば話を通して眺めてみよう。 信州の山の中で炭焼きをして暮らしている人と、佐渡の海で漁をして暮らしている人が、浅草の観音様をお詣りし、同じ宿に泊まった。太陽はどこから出るかという話になり、山で暮らしている人は「山から出て山に入る」といい、海で暮らしている人は「海から出て海に入る」といってゆずらない。宿の番頭を呼んで仲裁をたのんだら、「屋根からでて屋根に入る」といったという。

笑い話のような話であるが、われわれの毎日の姿がこれなんだと謙虚に受け止めなければならない。貧しい経験の範囲でしか受け止めることも判断することも出来ない私であることへの自覚と反省である。 こういうとらわれやかたよりを脱け出し、全く平等に澄み切った鏡のようにうつし出す働きを「観」というのだという。

合掌ーおかげさま


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No.1024  2010.07.15
7月14日と云う日

昨日の7月14日と云う日は、私に取りましては忘れられない日であります。10年前の2000年7月14日の朝に、当時の弊社の親会社的存在であった唯一の取引先から、「今発注している製品が日本では生産中止となる可能性が高い」と云う連絡があった日であります。結果的には2年後の2002年3月末に弊社は生産を中止し、全従業員を解雇せざるを得なくなり、不幸の始まりの日が7月14日であります。

そうとも知らず、この無相庵コラムの一作目を前日の7月13日にアップしておりましたので、この無相庵コラムも結果的には逆風の中、満10年続けて来たことになりますが、今思えば逆風の中だからこそ、色々な思いがあり、また仏法に拠り所を求める気持から続けられて来られたのではないかと述懐しているところであります。
あれから10年、それまで経験した事の無かったお金が無い苦労を経て、今も借金王は借金王のままではありますが、色々な状況変化があったり、思わぬ方々からの暖かいご支援もあり、今は明日の生活に不安を抱くことは無くなっており、一人で切り回している会社も、10年前に開発した技術の進化に依りまして、現時点では製品開発、用途開発の見通しが立ちつつあり、希望を抱きながら毎日を過ごす状態になりました。

人生には三つの坂があると言われます。『上り坂』『下り坂』『まさか』だそうであります。たしかに、順境、逆境、そしてそれらは自分の想定しない、まさかの時にやって来ることは、この10年の間に実感させられました。これからも、色々な場面に遭遇することになることでしょうが、遭遇したその場面その場面を淡々と着々と、人間関係を大切にしながら乗り越えて行きたいと考えております。 コラムの2作目を読み直しましたが、その末尾にある下記の言葉にのぞみを捨てずに頑張ろうと云う気持が盛り込まれていることを感じます。



志しを持てば、行動が変わる、

行動が変われば、習慣が変わる、

習慣が変われば、人格が変わる、

人格が変われば、人間関係が変わる、

人間関係が変われば、運命が変わる、

運命が変われば、境遇が変わる。


合掌ーおかげさま


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No.1023  2010.07.12
参議院選挙結果に思う

参議院選挙は、やはり民主党の惨敗と云う結果になりました。 前にも申し上げましたが、今回の結果もマスコミの思惑通りの結果になったと言えると思います。発足して未だ2ヶ月も経たない菅政権の内閣支持率が約20%も急落したのは、マスコミのネガティプキャンペーンの成果としか思えません。そのマスコミ主導の選挙戦に踊らされて政権交代したのも未だ1年も経っていません。テレビ視聴率しか頭に無いマスコミの志の無さとそれに簡単に踊らされる日本国民の知的レベルの低さに苦笑するしかありません。

勿論、マスコミや一般国民にのみ否があるのではなく、政治家達の言動の軽さにも同じ位苦笑せざるを得ません。やはり、日本国が戦後65年の間に失い続けて来た、否、明治維新以降140余年に亘って失い続けて来たものの大きさに歯軋りするしかございません。

恐らく、菅政権もこれから1年以内の運命だと思われます。堕ちるところまで堕ちないと日本は立ち上がれないのかも知れません。 今朝は、『教行信証』の勉強をする気持にもなれませんでした。

合掌ー自分も含めて共に凡夫のみ・・・

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No.1022  2010.07.08
感謝⇒健康

昨夕の神戸新聞夕刊の一面を何気なく見ますと、懐かしい『山田無文老師』と云う文字が目に飛び込んで来ました。新聞に仏教の事とか、お坊さんの事が載ることは殆ど有りませんし、ましてや、今から約20年前に亡くなられた禅僧の名が載ることは本当に有り得ないことですので、大げさに言えば、我が目を疑った程でありました。

それは、『随想』と云うコラムの『山田無文老師の思い出』と云うタイトルでした。執筆者は、安田暎胤(やすだえいいん)と云う、平成15年から昨年まで奈良薬師寺の管主を務められたお坊様であります(薬師寺の管主と申しますと、平成10年まで務められた高田好胤さんが有名です)。薬師寺は唯識の法相宗ですので、宗派の異なる臨済宗の山田無文老師にどのような思い出をお持ちなのか、興味深く読ませて頂きました。

その結論が今日の表題でありますところの『感謝⇒健康』でありますが、先ずは全文を下記に転載させて頂きます。

山田無文老師の思い出―安田暎胤(昭和13年生まれ)

神戸には思い出深い寺がある五宮(ごのみや;神戸市兵庫区五宮町)の臨済宗妙心寺派の祥福寺(しょうふくじ)である。かつて山田無文(やまだむもん)老師という師家(しけ;学徳のある禅僧で、坐禅の師のこと)がおられ、参禅させていただいたこともある。老師とは昭和36年にインド佛跡を巡礼した。老師の70代のころからは毎年7月、老師を慕う信者の方々と老師の誕生祝いに訪問していた。その席でいつも同じ話を拝聴した。
「自分は若いころ、河口慧海というチベットに密入国して、仏教を学んで無事帰国された学僧の下で学び修行していた。ところが肺結核に罹り勉強や修行に耐えられず、郷里に帰って静養していた。肺病は伝染するといって訪ね来る人もいない。時には自分の葬式の準備の声も聞こえてきた。人生はこれまでかと思い、縁側にたたずみ、赤い南天の実を眺めていた」

「すると、風鈴の音が聞こえてきた。風鈴はなぜ鳴るのか。それは風が吹いたからだ。では風とは何か、風、風?風は空気が動いたのだ。と思った瞬間、ああ空気があったのか!生まれて今日まで何時も自分を抱いてくれた空気さんに一度も感謝しなかった。『空気さん、ありがとう』と心の底から感謝した。それから少しずつ健康を取り戻し今日まで生きてこられた」という体験談である。 その時の思いを「大いなる ものに抱かれ あることを けさ吹く風の 涼しさに知る」と詠まれた。深い感謝の念が健康を快復した要因の一つである。感謝は健康の元で妙薬となり、怒りは病気の元で猛毒となる。

人間は誰でも幸せを求めているが、幸せは感謝するところにある。感謝は遠くに求めなくても、身の回りにある。例えば一人で歩ける、文字が書ける、話せる、茶わんと箸(はし)を持って食べられるなど。できて当然と思う中に感謝することが多くある。山田無文老師から感謝の大切さを学ばせていただいた。

―転載終わり

山田無文老師の「大いなる ものに抱かれ あることを けさ吹く風の 涼しさに知る」は、無相庵カレンダーの28日の詩として使わせ頂いておりますが、山田無文老師には母が主宰していた垂水見真会に昭和28年~昭和49年に計19回お越し頂いておりまして、私は小学生から大学卒業まで山田無文老師のご法話をお聞きして育ちました。また、昭和30年に亡くなった私の父のお葬式の導師を務めて頂きましたし、増田製粉所の社葬も祥福寺でして頂き、お墓の字は山田無文老師の揮毫に依るものでございますので、母がどれ程傾倒していたかが分かります。山田無文老師のお話には必ず親鸞聖人のお言葉が引用されていましたこともあり、山田無文老師は仏法を宗派で捉えることなく仏法は一つと云う私の仏法の原点でもございます。

安田師が山田無文老師から感謝の大切さを学んだと仰っておられますが、仏法は感謝を説く教えでもあると思います。しかし、仏法に人生を学びながら、私たちは感謝から程遠い日常生活をしているのではないでしょうか。私自身の生活を振り返ります時、ついつい感謝を忘れて、愚痴を言い、文句を言い、足らない足らないと不平不満が心を占めているというのが実態でございます。しかし、上述に転載させて頂いたような言葉に出会いますと、「ああ、感謝を忘れていたなぁー」と反省させられます。

冷静に考えてみますと、私の生活の全ては感謝するしかないことばかりである事に思い至ります。何一つ自分だけの力・自分の努力だけでは成り立っていません。でも、世間で暮らす私たちは、生きる為には生存競争にも打ち勝っていかねばならない部分もありますので、四六時中感謝・感謝と云う訳にも参らないことも確かでありましょう。でも、出来れば一日に一回は・・・否、一週間に一回位は、おかげさまの感謝の心に立ち返りたいものであります。それが仏法を聞くと云うことではないかと思います。

感謝の心は物事の成り立ちの原理原則即ち真理に気付くことから生まれ出る心でありますから、感謝の心は〝心の健康〟を齎(もたら)し、そしてそれが〝体の健康〟を齎すのではないかと思われます。

合掌―おかげさま


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No.1021  2010.07.05
教行信証を披く-行巻(大阿弥陀経の文)―14

まえがき
今日は、親鸞聖人が『大阿弥陀経』と言う経典から引用されている行巻部分を勉強するのでありますが、この『大阿弥陀経』は、浄土三部経の一つであります『阿弥陀経』では無く、インドで編纂された浄土三部経の一つである『無量寿経』を中国の呉の時代の僧侶が漢訳した経典だそうであります。私は幼い時から仏法に縁がありましたが、学問として勉強した事がありませんので、この『教行信証』を勉強するまでは経典に関する知識を全く持っておりませんでしたし、経典がどのようにして出来上がって来たのかも知りませんでした。 翻って仏法がどのようにして、どのようなご苦労があって今日の私に届けられたのかさえも知らなかったのだと思いました。

仏法はインドに生まれられたお釈迦様が気付かれた真理であります。その真理が一つの経路としては中国を経由して直接日本に伝えられましたが、中国から朝鮮半島を経由して日本に伝えられた仏法もあります。親鸞聖人は一体どちらの経路で伝わった経典を何時何処で勉強されたのか興味があるところでありますが、『教行信証』を書き始められたのが早くとも関東に移り住まれてからであるとされていますから、若い時から書き写し続けた経典を常に携帯されていたことになります。

考えてみますと、お釈迦様が亡くなられて数百年後に経典に編纂されたこと自体すでに想像を絶する無数の人々の努力が思われるのでありますが、それがまた数百年掛けて中国に伝わって漢訳され、それが日本に伝わって、仏法を体得した学者とも言うべき聖徳太子や親鸞聖人のお陰で、漢文を読めない現代の私たちが仏法に親しめることが出来たのであります。

インドで生まれた仏法が日本に伝わることに依ってはじめて現代にまで伝わり続けております。インド・中国・韓国等、他の国では仏法の華が咲かなかったのであります。私たち日本人はその意味をよく思慮して、仏法を世界に、また後代に伝えて行くべき責務を持っていると思うのであります。

●行巻の原文
仏説諸仏阿弥陀三那三仏薩楼仏壇過度人道経【大阿弥陀経云、二十四願経云】(巻上)言。第四願。使某作仏時、令我名字皆聞八方上下無央数仏国、皆令諸仏各於比丘僧大衆中、説我功徳国土之善。諸天人民蜎飛蠕動之類、聞我名字莫不慈心、歓喜踊躍者、皆令来生我国。得是願乃作仏、不得是願終不作仏。已上(二の六)

● 和文化(読み方)
仏説諸仏阿弥陀三那三仏薩楼仏壇過度人道経【大阿弥陀経云、二十四願経云】(巻上)に言く。第四に願ずらく。某(それがし)、作仏せしめむ時、我が名字をもて、皆、八方上下無央数の仏国に聞へしむ。諸仏各々比丘僧大衆の中にして、我が功徳国土の善を説かしむ。諸天人民蜎飛蠕動(しょてんにんみんけんぴねんどう)の類(たぐい)、我が名字を聞きて慈心せざるは莫(な)けむ。歓喜踊躍せむ者、皆我が国に来生せしめ、此の願を得て、乃(いま)し作仏せむ。是の願を得ずば、終に作仏じと。已上(二の六)

● 現代意訳(高木師)
『仏説諸仏阿弥陀三那三仏薩楼仏壇過度人道経』に説かれている。その第四願に誓ってある。わたしが仏になつたときには、南無阿弥陀仏の名号を広く十方の数かぎりない仏国に聞こえわたらせたい。そして諸仏たちに、おのおのその国の比丘僧や大衆のなかで、わが仏身や浄土の功徳を説かせたい。 そして、天人をはじめとして、虫けらにいたるまで、名号のいわれを聞いて、よろこび敬う心をおこさないものはなく、このように歓喜踊躍するものを一人のこらずわが浄土に生まれさせたい。わたしはこの願を成就して仏になろう。もしこの大願が成就しないならば、わたしは決して仏にはならないだろう。

● 現代意訳(本願寺出版の現代語版より)
『大阿弥陀経』に説かれている。 「わたしが仏になったときには、わたしの名号をすべての世界の数限りない多くの国々に聞こえわたらせ、仏がたに、それぞれの国の比丘たちや大衆の中で、わたしの功徳や浄土の善を説かせよう。それを聞いて神々や人々をはじめとしてさまざまな虫のたぐいに至るまで、私の名号を聞いて、喜び敬う心をおこさないものはないであろう。このように喜びにあふれるものをみなわが浄土に往生させたい。わたしは、この願いを成就して仏になろう。もしこの願いが成就しなかったら、決して仏にはなるまい」

● 語句の意味
仏説諸仏阿弥陀三那三仏薩楼仏壇過度人道経ー無量寿経の異訳。呉の月支国の支謙の訳したもので二巻からなり、略して『大阿弥陀経』という。蜎飛蠕動之類(けんぴねんどうのたぐい)ー飛び歩く小さい虫けらや、うごめいているうじ虫のこと。ー。ー。

● あとがき
日本は古くから大和(やまと)の国と言われております。古くから和を尊ぶ国であったということではないかと思います。仏法の言葉に言い換えますと『一如平等(いちにょびょうどう)』を重んじて来た国であります。神と僕(しもべ)、君主と庶民、経営者と労働者と言う二元対立の考え方には馴染まない国柄でありました。衆生は本来仏であり、天皇と人民は一体、人馬一体、弓術では的と一つになって矢を放つと云う考え方をする国柄でありました。

前回までのコラムで『失われた65年を取り戻さねばならない』と申しましたが、65年掛けて洗脳されて来た西洋文明の二元対立思想から、日本独自の一如平等思想へと回帰する必要があると思います。仏法は、自分だけが救われれば良しとする教えではありません。皆共に救われねば本当の幸せは得られないと云う教えであるからこそ、現代にまで伝わって来たのだと思います。自分だけが救われればいいと云う考えならば、親鸞聖人は何も苦労して『教行信証』を残される必要は無かったのではないでしょうか。

合掌ーおかげさま

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