No.1180  2012.03.19
日本をどけんかせんといかん

「宮崎をどけんかせんといかん」と言って宮崎県知事になり、今は国政への進出を目しているのは東国原氏であるが、「宮崎だけではない、日本の国をどげんかせんといかん!」と誰もが思っていることであろう。 昨夜のNHK・Eテレで、ETV特集『生き残った日本人へー高村薫・復興を問う』の中で、高村さんは、「復興・復興と云うが、復興の前から日本の問題点であった少子高齢化、地域格差、非正規と正規雇用の 所得格差、農業の担い手不足、赤字国債の垂れ流し等々が、東日本大震災の被災地の現状で依り鮮明になったにも関わらず、兎に角、復旧・復興だと云う表現で抽象化されてしまい、逆に以前からの問題点が隠さ れてしまっている」と、政治家には勿論であるが、そんな政治に怒ることを忘れている日本国民にも嘆きと怒りを露わにされていた。

その通りではないかと思う。昨年の東日本大震災の直前まで民主党の菅政権は、経済問題、小沢氏だけではなく、菅氏自身への献金問題を含む政治と金問題等で風前の灯状態であった。あの大震災と原発事故が起 こっていなければ、確実に民主党政権は立ち往生し、衆議院の解散総選挙、そして政界再編となっていたところだったが、「政局よりも大局に立って復旧・復興だ」と云う言葉に誰も逆らえない未曾有の被災状況 になったことは、民主党にはよかったかも知れないが、東日本の被災地は勿論のこと、日本と日本国民の不幸だったと思う。

高村さんは原発事故に付いて、産業の為に電力は必要不可欠と云う一部政治家や経済界の重鎮の発言に惑わされた結果であろうが、原発再稼働を容認する日本国民が約3割も居ることを嘆いていた。何十年と住み 慣れた土地へ戻れるアテもない何万人と云う福島の人々が居るにも関わらず、その他の地域に住む国民が原発を推進して来た政治・政権を断罪しようとせず、怒りもしない国民の意識を嘆いていたように思う。

大体、原発を推進して来たこれまでの政権与党自民党が、何の反省も謝罪も無く民主党政権の打倒、解散総選挙を求めていることに私は自民党全議員の人間性を疑っている。それに、1000兆円に上る国の借金 を積み上げて来たのは自民党政権と議員達であるにも関わらず、野田総理が不退転の覚悟で実行しようとしている社会保障と税の一体改革に協力しない姿勢は、どう見ても責任ある政党では無い。自民党に政権復 帰させては元も子もない。

私は民主党の力不足と不勉強さも小沢氏の存在にも不満を持っている。それに消費税を上げるなら、法案提出の前に国民に信を問うべきだと思っているので、前の選挙で民主党政権誕生に賛意を示してしまった私であるが、今は 全く支持していない。
私は世界の人口増加を考えるとエネルギー源である原発も世界の地域地域に依っては必要だと思っているが、地震列島の日本は即刻全て運転中止にすべきだと思う。むしろ、日本が世界の自然エネルギー開発のリーダーにな らねばならないと思う。少々の不便や産業が立ちゆか無くなっても、国民は辛抱して、何とかしなければいけないと考えている。
安全と安心な生活を守るのが政治の一丁目一番地の責任である。それを疎かにして、経済至上主義で戦後の日本を統治して来た自民党政治家達の責任は極めて重い。日本を経済大国にしたと云うことを自負しているようである が、日本国民を不幸にした上に、日本の伝統文化、日本の情緒を悉く壊して来た責任をどう考えているのかと云う高村氏の怒りは尤もだと思っている。

私たち人間は一人一人自分とは何かを考え、自分らしさ、自分の役割を自覚して人生を渡るべきだと思うが、国家も同じことだと思う。今の日本は、祖先たちが築き上げて来た素晴らしい文化と文明を失い、何で もお金と云うアメリカらしくなり過ぎてしまった。辛うじて東日本大震災の被災者同士が見せてくれた絆を大切にする日本の心は未だ生き残っている。経済至上主義を一旦棚上げして、日本の良さを取り戻そうではないか!

それには、先ずは次回総選挙で哲学も志も勇気も無く、職業としての政治屋になろうとする候補者を決して選ばないないことだと思う。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1179  2012.03.15
続―念仏そのものには力も功徳も無い

念仏にはご利益(りやく)があると、浄土真宗のお坊さんは喧伝されます。例えば、次のように念仏の利益を説かれています。
『歎異抄の7条に「念仏者は無碍の一道なり」とあります。無碍とは障り無きということですが、さまざまな障害を乗り越えていくということです。その理由として「念仏者には、天の神や地の神も敬い従い、悪魔や外道も障 りとなることは出来ない」とあります。念仏に遇うということは、真実からのよびかけに遇うということであり、自然の道理・宇宙の法則に従うことですから、何も障害になることはなく、迷信や俗信に惑わされず、霊や祟り を少しも恐れない歩みができるのです。暦や占いや方角などに振り回されず、忌み嫌うことをしないのです。「無碍の一道」を歩むご利益が与えられるのです。』

この中の「念仏に遇うということは、真実からのよびかけに遇うということであり、自然の道理・宇宙の法則に従うことですから、何も障害になることはない」と云う部分がありますが、私は先日の東日本大震災から1年経っ た先日の3月11日の震災を振り返った報道番組を見て居まして、亡くなられた方々も、そして、〝いのち〟の危機に遭遇しながらも、助け合い励まし合いながら、〝いのち〟を繋がれた方々の様子や、その時の感想をお聞き していて、人間には生来(生まれつき)、苦難・障害を乗り越える力が与えられているのだと考えざるを得ない位に凄い出来事だったと思いました。勿論、被災された方々は浄土真宗の信者さん達ではありません。

昔、西川玄苔老師が、交通事故に遇われて受けられた外科手術の際に、辛抱できない位の痛みの最中、念仏どころでは無かったと述懐されていましたが、『念仏のご利益』とか悠長なことは、平穏な生活の時に言える言葉であ り、イザと云う時には、無心に立ち向かうことでしかないですし、また、それを乗り越えられる力を与えられているのだと思います。

考えて見ますと私自身〝いのち〟の危機に遭遇したことはございませんが、これまでの67年間、様々な困難・障害に遭遇して来ましたし、今も老いたが故の病を抱えています。一番得意だったテニスは左目が殆ど視力を失っ た為にプレー出来ません。耳も聞こえ難く会話に苦労しておりますし、その他アチコチ体には障害がある身になっております。でも、過去の困難や障害は忘れていますし、今も別に障害に悩むことはありません。それは乗り越 えなければならないから、乗り越えて来たとも言えるかも知れませんが、周りの支えや励ましもあったからこそ、「これ位の事に負けて堪るか!」と踏ん張って来れたように思います。

恐らく、無相庵読者の方々も私と同じように、否、或いは私よりもっと困難なことや、障害に遭われて来られた方も居られることと思います。でも、それらを乗り越えられて今も〝いのち〟の真実に迫りたい、より良く生きた いと願われているその事自体素晴らしいことで、既に利益に遇われていると云うことではないかと思います。
そう云う〝いのち〟を戴いていることに対する感謝の言葉として、親鸞聖人が愛用された『なむあみだぶつ』を大切にしたいと思っています。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

追伸:今日のコラムは1月のコラム1165番念仏そのものには力も功徳も無いの続きとして書いたものであります。

[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1178  2012.03.12
真実の信仰

『信仰』と聞くと、神様に祈りを捧げるとか、阿弥陀仏や観音様を拝むとか、法華経を拝むとか、或いは特定の教団に入信しその教祖を崇拝することが頭に浮かぶのではないでしょうか。
人生の拠り所を求めて、何かに祈りを捧げる、信じて拝むことは不安や不信・不満を抱える私たち人間の自然な形であり、一概に否定するものでは有りません。でも、最近私は思うのです。本当の安らぎを求めるならば、 自分以外の何かを拠り所にするのではなく、本来の自己に出遇い、本当の自分を拝めるようになることではないかと・・・。

私は毎回コラムの末尾を『帰命尽十方無碍光如来―なむあみだぶつ』で締めくくっています。これは親鸞聖人が大切にされた〝十字の名号〟と〝口称念仏(くしょうねんぶつ)〟ですが、理屈を付けますと、『帰命尽十方無 碍光如来』は〝本来の自己〟であり、『なむあみだぶつ』は、本来の自己に出遇わせて頂いた感謝と悦びの表白です。

私は親鸞聖人を敬愛していますがいわゆる崇拝はしていません。それはお釈迦様に関しても同じことです。お二人共に、この世に人間として生まれられこの世に生まれて来た意味・目的を亡くなられる直前まで真剣に求め続けられた人 間としての先輩・先達であり、且つ後世の私たちにご自分の歩まれ至られたご心境を色々な形や方法で遺して下さった偉大な哲学者であります。

その偉業と恩に対して感謝してもし切れるものではないと思いますが、そのご苦労や恩に報いると致しましたら、この実在された方々を拝むことではなく、その歩まれた道を辿り、自分も同じく真実の自己に出遇うことでしかないと思います。
お釈迦さまも親鸞聖人も、真実の自己に出遇われた方ですが、その心境をお釈迦様は前回のコラムで申し上げました通り、『草木国土悉皆成仏』等の言葉で遺されました。一方の親鸞聖人は、『罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫』と 自己を見据えられました。

親鸞聖人は、弟子の唯円房の遺した歎異抄の中の『善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・・』と云う悪人正機説でも有名でありまして、どうしても自虐的な教えと受け取られがちであります。『自分は地獄必定の凡夫 だ』と、最低の人格を自覚して初めて救われるかのように説かれるお坊さんも居られますので、暗い教えのイメージが定着してしまっているように私は思っています。私自身も極最近までは、自分の心の中の煩悩を洗いざらい照ら し出す努力をしていたように思います。

自分の心の中を見詰める作業は尊いものでありますが、一方で、人間には人の悲しみに寄り添う崇高な心もあります。昨日は東日本大震災から丁度1年を迎え、各地で犠牲者追悼の催しがあり、テレビで報道されましたが、中で も、天皇皇后陛下がご臨席された国主催の追悼式での陛下のお言葉に、或いは震災の犠牲者のご遺族代表の方々の言葉には図らずも何回か涙が頬を流れ落ちる自分に気付きました。人間には他人に言えない位の醜い心があるこ とも確かですが、それと同様に、他人の悲しみや、親子の愛情に涙する清い心も持ち合わせていることも確かであります。
どなたかが「わが心、仏と鬼が相住める」と詠われているとお聞きしたことがございますが、それが本当の私たちの心ではないでしょうか。

私たちの〝いのち〟の真実を知ると共に、私の心の真実を、偏らずに見つめることが親鸞聖人の心にも叶うことだと思いますし、それが真実の信仰ではないかと思います。親鸞聖人も『罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫』と懺悔されつつ も同時に、そのように気付かしめられた自分の〝いのち〟を尊く思われている訳でありますから・・・。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1177  2012.03.08
草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)

前回コラムの続きです。
梅原猛氏は、東日本大震災を契機として、新しい哲学に挑戦すると申されているようでありますが、その心は、「元々デカルト等の西洋哲学に疑問を持ちつつも、これまで真正面から異議を唱えなかったが、この文明災とも言うべき 原発事故を引き起こした大震災を契機として、人類がこれからも生き残れるように、自然もあらゆる生命が一如であると考える東洋哲学的な考え方を発信して行くのが自分の使命だ」と云うことだと思います。だから、番組の中で、 『草木国土悉皆成仏』をこれからの梅原哲学の根本を表す言葉として挙げられたのではないかと思っております。

この『草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)』はお釈迦様が菩提樹の下でお悟りになられた時のお言葉だと言われていますが、成道のお言葉として他にも、「天上天下唯我独尊」もありますし、「奇なるかな奇 なるかな、一切衆生ことごとく皆如来の智慧、徳相を具有す、ただ妄想執着あるゆえに証得せず」と仰ったと伝えられていますが、私はこれら三つの言葉は同じことを言われているのだと思っています。「感情が無いと言われている 草木も自然大地も、また生命あるもの全ては一つの〝いのち〟で別ものでは無い。平等の〝いのち〟なのだ」と云うことではないかと・・・。

『成仏』とか『往生』と云うのは、自分そのものになると云うことであって死ぬことでは無いと思います。人間は生きている限りは不満・不安・不信の煩悩に迷わされ、本来の自分を見失っているけれども、山川草木も人間以外の動物は 淡々と自分を生きており既に成仏していると言えます。しかし、私たち人間だけは死ななければ煩悩から解放されません。だから、人間は死んではじめて成仏すると云うことになったのではないかと思います。

ただ、死ななければ煩悩は無くならないのではありますが、自分の〝いのち〟の実体を知らされることで、死ななくても成仏を確信出来る道があると云うことを説かれたのが親鸞聖人ではないかと私は密かに思っております。

私は今日、67回目の誕生日を迎えました。私が今の梅原猛師(お誕生は1925年3月20日)のお歳までは20回誕生日を迎えねばなりませんが、私もこれから文明災が再発しないよう、〝いのち〟は一つであることを発信して 参りたいと思っています。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1176  2012.03.05
東日本大震災と地動説

来週の日曜日、日本の大地と国民を想定外の大きさで揺るがしたあの東日本大震災から丸1年を迎える。被災地の人々の多くは今なお不自由な生活を強いられて、また原発事故に依って破壊された市民生活の日常が戻る見通しは立っていない。

でも、私がそうであるように、津波の恐ろしさは頭に刻まれてはいるものの、東北から遠く離れた国民の多くの日常生活は、大震災も原発事故も最早他人事になってしまっているのではないか・・・。我々国民だけではなく、与野党の国会議員 さえ、総理大臣さえ「東北の復興無くして、日本の復興は有り得ない」と言いながら、政局と次の選挙での自らの生き残りしか頭に無いのではないかと思う。

そんな中、昨日のNHKの『こころの時代』で、哲学者の梅原猛師が出演され、「私にとっての〝3.11〟、86歳、新しい哲学に挑む」を語られていた。師は、想定外の原発事故を齎した大津波を巻き起こした大震災を『文明災』と称せら れ、便利や効率を追い求めて来た現代文明が招いた災害だと自らの有り方や哲学を反省され、今、86歳にして新しい哲学の道を歩まれ、また文明の見直しを訴えられていた。

梅原猛師は昭和43年7月14日、当時は立命館大学の教授時代に母が主宰していた垂水見真会に出講され、『親鸞の世界』を語られた記録がある。私が丁度大学を卒業した年で、私は熊本県水俣市に赴任しており、残念ながらご縁はなかった のであるが、師が当時既に仏教に、特に親鸞の哲学に関心を持たれていたと云うことだろう。

『こころの時代』の中で梅原師が語られていた話の中で興味深かったのは、宇宙が地球中心(人類中心と云うこと)に廻っていると思っている天動説文明から、地球と地球上の〝いのち〟が太陽のお陰で存在し得ていると云う地動説文明に立ち 還るべきだと云う表現である。

そして、梅原師は「私は15年前から、地球上には無かった物質を人類が生み出し利用した原子力発電は、廃棄物も有害なものだから止めるべきだと発言して来たが、結局は黙認・容認していた自分に気が付き、愕然とさせられた」と率直な反省の弁を述べられて いたことに、真摯な哲学者の知性を感じた。

それに引替え、政局、党利党略・自利自略にのみ走る国会議員達の言動や知性の無さが対照的に思い浮かぶと共に、日本の絶望的状況に為す術なく傍観するしかない私自身も、20歳年上の86歳の梅原師に負けては居られないではないかと自省 しているところである。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1175  2012.03.01
〝いのち旅〟番外編:(ホモ・サピエンスの地球制覇と今後)

皆さんは、無相庵が1月のコラムでご紹介したNHKテレビの『ヒューマン』をご覧になっているでしょうか?今週の日曜日(2月26日)は、私たちの祖先が考え出した『貨幣』を取り上げていましたが、 私たちホモ・サピエンスが体格が良く力自慢だったネアンデルタール人を制して地球の覇者となりましたのは、実に飛び道具(投擲具;とうてきぐ)を発明したからだと2回目の番組の中で言われていました。

ネアンデルタール人は、3メートルもの長さの槍を使って、大きな獲物を倒して食糧にしていたのですが、大きな獲物の数には限りがあり、安定した食糧にはなっていなかったそうです。兎等の小動物は警戒 感が強い故、遠くから仕留めねばならず、その必要性から、写真のような〝ウーメラ〟と云う、達人なら100メートルも飛ばせる道具を発明したと云うことです。

この投擲具の発明が、ホモ・サピエンスに安定した食糧確保を齎し、人口の増加に伴って、新しい土地・大陸へと進出し、今から5万年前には南極大陸除く地球の陸地を制覇したと云うのです。
また、その人口増加にはホモ・サピエンスが開発した赤ちゃん用の離乳食が大きく寄与したらしいのです。霊長類のお産からお産までの期間は、オランウータンが8年、ゴリラが4年、チンパンジーが5年らしいで す。ですから、他の霊長類を尻目に人類は、その繁殖力をも戦力として、勢力を拡大して来たらしいのです。
その投擲具は、狩猟用からヒト同士の勢力争いの武器となり、弓矢から鉄砲、そして爆弾、核兵器へと殺傷力を増して来た歴史を想わずには居られません。また、投擲具の応用が飛行機となり、ロケットとなっ て、人類を宇宙へと向かわせているのではないでしょうか・・・。

投擲具の次に人類の衣食住の生活を一変させ、他の霊長類の追随を許さない文化を発展させて来たのが、『貨幣の発明』だと思われますが、貨幣の発明は、自ら汗を流して植物を栽培したり、狩猟したりするこ と無く生活する人々を生み出しました。そして格差社会を現出し、現在世界中の問題となっております。

物々交換の古代生活に後戻りすることは最早出来ないとは思いますが、私たち自身がどこかでこの経済至上主義に歯止めをかける英断をしないと、人類にはその欲望と煩悩の果てしなさによって、何万年か後には 地球から消える運命が待っているかも知れません。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ <


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1174  2012.02.27
帰国のご報告

一昨日、ベトナムから無事帰国致しました。
ベトナムとの時差は2時間ですので、いわゆる時差ボケは有りませんでしたが、その分、日本での生活リズム(目覚める時刻、眠たくなる時刻など)が変わりませんでしたので、ずっと睡眠不足の状態でした。

どう云うことかと申しますと、日本での私の生活は朝の五時前後に目が覚めて、午後十一時頃に就寝するのですが、日本の朝の五時はベトナムの午前三時で、日本の午後十一時はベトナムの午後九時です。午後 九時と云いますと、夜のお付き合いがありますから、眠たくても眠る訳には参りませんでした。従いまして付き合いが終わって眠ろうとするベトナムの午後十一時は、日本の午前一時です。と云うことで、日本 の時刻に直しますと、午前一時に寝て午前五時に起きるベトナムでの十日間は実に睡眠不足の毎日だったと云うことでございます。

まぁしかし、今回のベトナム出張は私の開発した特許技術がお金になるかどうかの勝負どころでしたので老体に鞭を打って踏ん張りました(もし不調に終われば、帰りの飛行機から南シナ海に飛び降りようかと 云う位の覚悟でしたから・・・)。
どうなることかと不安もございましたが、幸いなことに、これまでどうしても掴めなかった技術上の問題点の原因が付きとめられ、無事帰国出来たと云う訳でございます。

日本に帰り着きましてからの土日の二日間、その原因が正しいことを再確認する仕事をしておりましたので、正直なところ無相庵コラムのことは忘れておりました。平生偉そうなことを申しておりますが、私は やっぱりお金が一番大事な凡夫の中の凡夫、罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫なんだと知らされた次第でございます。
でも、こうして無相庵コラムがあるお蔭で、時としてお金に走りがちな私を仏法へ引き戻して頂ける有り難い身なのだとも思っているところでもございます。これからもどうか宜しくお願い致します。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1173  2012.02.13
下山の思想

表題は『親鸞』を書かれた五木寛之氏が昨年末に出版された著書名であります。
私は未だ読み始めたところでありますが、その題名に〝未曾有の時代にどう生きるか。究極のヒント〟と云う添え書きがありますから、1990年を頂点として後の日本経済の右肩下がりの20年間を下山の道と五木氏は称されたのでしょう。

確かに日本経済はそれまでの40年間は右肩上がりの高度経済成長期、正に経済は頂上を目指して脇目も振らず必死で登山していました。それも、頂上がずっと先にあり、いつまでも登り続けられるような気がしていたように思います。 そして、右肩下がりのこの20年間、政府も私たち国民も「登り坂よ、もう一度!」と云う想いで頂上を振り返り振り返りしながら下り坂を転げ落ちて来たように思います。

私が脱サラ起業したのが1992年(平成4年)ですから、バブルが弾けたとも知らずに甘い夢を描いて、家賃90万円の工場を借り、従業員30名を雇い入れて出発しました。案の定10年後の2002年、30名近くの従業員を全員解雇 せざるを得ない状況になり、20年後の今日現在、私は自宅を会社事務所にして、社長一人で再び幻の頂上を目指して登山している積りであります。

五木氏の結論は未だ分かりませんが、「人生、上りばかりではないよ、上れば必ず下りがあるよ。下りは下りの楽しみ方があるよ!」と云うことではないかと推察しておりますが、五木氏のような人気作家なら、下山を楽しむことは出来まし ょうが、明日の飯代もままならぬ年収200万円以下の世帯が10%もあると云う格差社会では、加速度をつけて転げ落ちるしかないと云うのが現実だと思います。

ただ、これは経済を中心にした下山思想だと思うのです。上り坂で、他の人の事を考える余裕を失い、助け合いの心を忘れた資本主義先進国の姿が世界の彼方此方で見られる状況では、受け容れられない思想だと私は思います。
NHKの番組『ヒューマン』で、私たちホモサピエンスが人類のなかで唯一生き残って現在があるのは正に助け合いの精神を持っているからこそ、アフリカから全世界に勢力を伸ばして来れたと云う説を信じる私は、私たち人類が経済に価値観 を置く思想から大転換して、助け合いの心を共有する社会を求めて下山することが、私たちホモサピエンスが更に進化して生き続ける道だと思っております。

さて、私はこの木曜日からベトナムに10日間出張致します。これは再び頂上を目指す経済活動の一つであります。やはり、偉そうなことを申しましてもご飯は食べ続けねばならないですから・・・。
と云う訳で、これから2週間は、無相庵コラムはお休みさせて頂きます。次回は27日の月曜コラムでベトナム報告が出来ればと考えております。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1172  2012.02.09
親鸞聖人の他力本願を考察するー③

法然上人と親鸞聖人が開かれた浄土門の他力本願の教えは、蓮如上人が「信心を獲る者は、国に一人郡に一人」と仰ったり、また『易行難信(いぎょうなんしん)』【念仏を称えることはた易いことだけれど、本願他力 を心底堅く信じることは簡単なことではない】と云う言葉が古来からありますように、法然上人や親鸞聖人と同じ信心を獲ることは滅多に無いことだと言われて参りました。

悪人も善人も全て救うと云う教えにも関わらずに易行難信と云うのは矛盾しているよう思って参りましたが、一方で、確かに〝信心を獲ることは難し〟と実感させられても参りました。
親鸞聖人が為された比叡山での20年に及ぶご修行と同じ位の修行を経なければ、浄土門の信心も獲られないと云うことでは、親鸞聖人のご修行、ご布教等のご努力を無にすることになると思います。親鸞聖人の教えに回 り逢った後代の私たちが、真実の教えを更に後代の人々に正しく伝え残す努力をする義務と責任があると私は思っており、私は私の出来ることとして、この無相庵を開設して参りましたし、極最近、〝いのち旅〟に取り 組んでいるところであります。

最近は、五木寛之氏の著書『親鸞』も有ってか、また先の見通せない時代柄が親鸞聖人の生きた貴族主導から武家主導の社会へ移り変わった13世紀初頭に似ているとして、当時の庶民の心を掴んで行かれた法然上人と 親鸞聖人に関心を持つ有識者がポツポツと現れ、関連する著作も目立ち出しました。
良い傾向にあると私は歓迎しておりますが、親鸞聖人の生きた時代と現代では、知識の差、社会システム、生活様式の差は余りにも大きいと思っております。親鸞聖人は地球が丸いことも、地球が太陽の周りを廻ってい ることも、空気が酸素と窒素で出来ていることも、私たちの呼吸が、酸素を取り入れ、炭酸ガスを吐き出し、その炭酸ガスを植物が光合成を利用して酸素に変えてくれていると云うこともご存知では有りませんでした。宇 宙の歴史も全く想像すら出来ない時代を生きて居られた方であります。現代に生きる私たちは、私たちなりの知識と想像力と努力で、お釈迦様の求められた悟りの世界、親鸞聖人が至られた信心の世界を開く必要がある のではないかと思います。

親鸞聖人が至られた心境は、生かされて生きている身であること、得難い生を偶々得てお釈迦様の仏法に出遇い得ている自分の〝いのち〟の意味に目覚められたことだと思います。そして、その喜びを周りの人々と共有 したいと云う想いで90歳まで生き抜かれたものと私は思っております。

私たちは現代で知り得るあらゆる知識を勉強し統合して、私の〝いのち〟の歴史と意味に目覚めることが、親鸞聖人のご努力に報いることになると思っております。それが親鸞聖人への報恩であり、お釈迦様への報恩だ と思っております。

そして、他力とは、この〝いのち〟を産み育ててくれているあらゆる働きのことであり、本願とは、私の〝いのち〟そのものに籠められている慈悲の心ではないかと思っておりますが、常に心を新たにして〝いのち〟の 意味と歴史を勉強して参りたいと考えているところであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>


No.1171  2012.02.06
親鸞聖人の他力本願を考察するー②

前回のコラムで私は、「法然も親鸞も決して自己の煩悩だけを厳しく見つめ続けた挙げ句に、他力(弥陀の誓願、本願他力)に頼ったのではなかったと思うのです。」と申しましたが、この考え方は浄土真宗教団の 東西本願寺の学者やお坊さん方には異議あると思います。
何故かと申しますと、一般的に他力本願の信心と云うのは、自分の心の中の煩悩を深く見詰め問い直した揚げ句に、その煩悩を自力では如何とも為し難く、救われようの無い窮地に迄追い込まれた瞬間に、つまり は〝罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫〟の自己に目覚め得た瞬間に阿弥陀仏の請願に救われるのだと考えられていると思うからです。
私も正直なところ永らくそう云う受け取り方をして参りました。「だからこそ、親鸞聖人は『不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)』【煩悩を抱えたままで悟りを得る】と仰ったのだ」と・・・。

親鸞聖人は勿論、比叡山での20年に及ぶ仏道修行を続ける中で、自らの煩悩に依って自分自身が苦しむ境涯から救われたい、脱したいと思い続けられたことは間違いないと思います。そして、法然上人の他力本 願の念仏の教えに出遇われて救われたことも間違いないと思いますが、煩悩を排除出来たからではないとご自身仰っているのであります。

親鸞聖人が『唯識』に付いて語られている事をお聞きしたことは有りませんが、法然上人と親鸞聖人が流罪となったのは唯識学派とも言われる法相宗の興福寺が朝廷に提訴したことに依りますから、煩悩を滅して 悟りを得ると云う考え方の唯識を十分ご存知だったと私は思います。ましてや、親鸞聖人が浄土門の七高僧の中に入れられている天親菩薩が唯識学派の中心的な存在でもありましたから唯識を知らなかったはずは無 いと私は思うのです。親鸞聖人は普段穏やかな人柄ではあったと思いますが、心の裡には強い正義感・反骨心・批判精神を秘められていたものと推察致しますので、唯識を意識されて『不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのう とくねはん)』と正信偈に読みこまれたのではないかと想像しております。

そして、悟りとか信心と云うのは別に他から与えられるものではなく、人間の心の中、正確に言えば人間の大脳の中で起こる〝ものの見方考え方の大変化〟だと私は考えます。そして、その大脳、特に大脳辺縁系 (大脳の古い皮質)や脳幹の細胞の遺伝子(DNA)には先祖から受け継いだ膨大な情報(本能、習慣、資質、自律神経)が書き込まれており、その情報の中には煩悩の源である〝自分が一番可愛い、自分さえ良ければい い〟と云うエゴ(自己愛)も有れば、他の人の悲しみや苦しみを我が悲しみ・苦しみと受け取り、助けてあげたいと思う崇高な心も混在していると考えます。より良く生きたい、心安らかに心清らかに生きたいと云う悟 りを求める心(菩提心)も有りましょう。つまり煩悩も真善美を求める心も同時に抱えているのだと思います。ですから、自分が生きる為には他の生き物を殺して食べますし、場合に依っては殺人も犯します。 反対に、今回の東日本大震災に心を痛めて、遠い外国からも被災者を励ましに有名人達も含めて多くの人々がやって来られましたし、多額の支援金を送り届けてもくれました。決して自己愛だけが人間の正体ではあり ません。

お釈迦様が仰った「あらゆる衆生に仏性・仏種がある」と言われたのは、そう云うことも含めてのことだと思います。そして縁に依って殺人も犯すけれども、縁に依って悟りを得て人々を導く人物にもなるのだと思います。親鸞聖 人は、そう云う本来の自己をはっきりと認識されたのだと私は思っております。そして、そう思えるようになったのは、自分の力だけではない、お釈迦様以来の祖師方のお蔭、否、それよりも前からの先祖のお蔭、 今共に生きている人々のお蔭、太陽や雨、草木のお蔭と云う意味で他力のお蔭だと思われたのではないかと考察しているところであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


[ご意見・ご感想]

[コラムのお部屋へ]

<TOPページへ戻る>