No.1410  2014.09.23
私たちの人生の目的はお金もうけと仕事なのか?

安倍首相は口を開けば、アベノミクスと云うキャッチコピーで、自らの経済政策の有効性を、目玉施策の地方創生並びに女性活躍社会の実現と共に私たちに訴えています。兎に角、お金もうけが国民の幸せに直結すると云う考え方であり、 国の経営方針であるかのようにです。

私も、お金はどうでもいいとは申しません。お金は大事です。しかし、お金を大事にすることは、もう一方で大事な人間関係の構築が疎かになり、更には崩壊させている現実もあるのではないかと思っています。

高度経済成長が正にスタートした昭和40年頃、日本人は「エコノミック・アニマル」と呼ばれたことがあります。経済的利潤の追求を第一として活動する日本の経済進出のあり方を批判したパキスタンの政治家が生み出した言葉らしいのですが、 おそらく、その日本と日本人の印象が東アジアの国々に日本は油断ならない国だと云う先入観念を植え付けてしまった可能性を否定出来ないと思います。

この「エコノミック・アニマル」が13世紀末頃に既に現れる兆しがあったと考察したのが、ドイツのマクス・シェーラー(1874~1928年)と云う哲学者だそうです。彼は1911年頃に書いた『死と永生』という論文の中で、 そう云う類の人間に「現代西ヨーロッパ人」という名称を与えて、世に問うたらしいのです。

詳しくは、その史実を紹介された下記「現代西ヨーロッパ人」をご参照下さい。
私自身、「現代西ヨーロッパ人」になりつつあった、と大いに反省させられました。そして、正に今の現代人の私こそ、死すべき者としての自己に目ざめて苦悩された祖師方の至られた真理に学ばねばならないと痛切に感じた次第です。

現代西ヨーロッパ人(大峯顯師の『宗教の授業』より抜粋引用)

死なない生き物は一つもない。死すべきものだけが生きているということは、最も直接的で明らかな生命の事実である。とくに人間の存在は、生の意識と共に死の意識をもっている。たとい明瞭に意識しなくとも、いわば自分の存在そのものにおいて、 死を知っているのである。昔のギリシャ人たちが人間のことを、「死すべき者」と呼んだのはそのためであろう。

それにもかかわらず、昔の人々と現代人とでは死に対して人間がとる態度に、大きな違いが見られる。現代人と近代以前の人々とは世界観や人生観の上でいろいろ違っているが、最も根本的な違いは、死というものに対する態度の違いと言ってよい。 現代人が宗教というものに無関心になったことは、死に対する人間の態度のこのような根本的な変化と一つに結び付いているのである。それは、一言で言えば、現代人には、死という観念に対する極端な抑圧、 あるいは異常ともいうべき強い拒否反応が生れてきているということである。

ドイツの哲学者マクス・シェーラー(1874~1928年)はこのことにいち早く注目した人である。彼は1911年頃に書いた『死と永生』という論文の中で、「現代西ヨーロッパ人」という新しい人間類型は、それ以前の人類とちがって、 人間が死ぬという明白な事実から目をそむけて、これをどうしても承認しようとしない新しいタイプの人間だ、ということを言っている。

もちろん、生を愛し、死を嫌悪するということ自体は、とくに現代人だけのことではない。昔から人間はそのような生き方をしてきたのである。死を忘れようとすることは、人間だけでなく、すべての生き物の本性に与えられた自然な知恵だとも言える。 もしも死の観念が常に我々の意識の中心に居すわって離れないとしたら、生物としての人間はおそらく生きることができないだろう。 すべての時代の心には、死に対する自然な拒否の傾向があるわけである。ただ、「現代西ヨーロッパ人」においては、この拒否が極めて不自然で異常な姿に変質してしまった、とシェーラーは言うのである。

「現代西ヨーロッパ人」と呼ばれる「人間類型」は、地球上の西ヨーロッパという地域に住んでいる現代人という意味ではない。そうではなくて、人生の目的を仕事と金もうけにのみ見出している人間のことである。 そういう新しい人間類型の萌芽(ほうが;新しい物事が起こりはじめること。また、物事の起こるきざし。)は、シェーラーによれば13世紀の末頃にあらわれ、やがて高度資本主義社会の発達とともに明瞭な形をとるようになったが、 今日ではこれが地球全体にひろがっている。現代日本人ももちろんこの人間類型に入る。というよりも、いわゆるエコノミック・アニマルとして、それを最も忠実に代表していると言うべきかも知れない。 とにかく、この人間類型にとっては、仕事と金もうけはもはや生存のための手段ではなく、それ自身が人生の最終目的となっているのである。

仕事のための仕事、金もうけのための金もうけということが無限な衝動となってしまったこの人間類型は、死に対してこれまでの人間とはまったく異なった態度をとるようになる。すなわち、生活のあらゆる領域から死という観念を追い払って、 あたかも死が存在しないかのような人生を生きようとするのである。これは古代・中世の人々は決して示さなかったような死に対する異常な態度である。 彼らももちろん死を怖れたり嫌ったりはしたけれども、人生に死は存在すべきではないというような異常な拒否を示したことはなかったのである。現代人の心の深部に生じたこのような大きな変動を洞察した、 シェーラーの思想家としての功績は注目されるべきである。

それでは現代人における死の観念のこのような異常な抑圧(よくあつ;心理学で、不快な観念や表象・記憶などを無意識のうちに押し込めて意識しないようにすること。)は、いったい何によって生まれたのだろうか。それは言うまでも無く、 ヨーロッパの伝統的な形而上学や宗教の基盤をなしてきた魂(人格)の不滅とか死後の永生という観念が、人間の生活経験そのものを説得するだけの有効な力を失ったということと関係している。 かつて世界宗教の偉大な開祖たちや古代の哲学者たちが発見した真理の教えが、そのままではもはや現代人の生活感情に合わなくなったと言ったらよいか。

われわれの「自己」は肉体の死をもっては終わらず、死後の世界にも生きるという永生の実感は、多くの現代人の意識からほとんど消えかかっているように思われる。人間は死んだら無に帰すだけだ、死後の生とか永遠の生というようなことは、 空想に近い問題でしかないと言う人もあるだろう。そういう割り切った考え方も、本当は確実な根拠があってのことではないのに、それが大多数の現代人の考え方になっていることは否定できない。

ところで、不死や永生の観念が衰弱したことの原因は、自然化学の発達にあるとよく言われる。脳解剖学や脳生理学の進歩につれて、人間の意識作用は、要するに脳の中の物質的なプロセスにすぎないという医学的唯物論が有力になったからだと言われるのである。しかし、医学的唯物論が多くの人々に受け入れられたのは、それを受け入れやすいような生活感情が社会にすでに発生していたからであろう。とにかく、自然科学、唯物論、仕事と金もうけのための人生という生活感情の三つが一つに絡み合って、魂の不滅とか死後の永生とかいう伝統的観念は、現代では、たとえば、遠方から送られてくる電波が、さまざまな雑音によって妨害されてよく聞き取れないような状況に、似たものになったのである。

死後には何もないとしたら、在るのは今生きているこの世の生だけである。しかるに、そのかけがえのない大事な生が死によって奪われるわけであるから、死が現代人にとって憎むべき最大の敵となるのは自然なことである。 そこから、そういう憎むべき死はあってはならないということが現代人の当然な結論となる。かくして、シェーラーのいう死の観念の異常な拒絶が生れてくるわけである。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1409  2014.09.019
自分が選んで来た人生―進学先高校の選択

小学校から大学までの間に私が住んでいたのは、神戸市の一番西に位置し、明石市と接し、海の4km沖合に淡路島が見える垂水区でした。西から明石→舞子→垂水→塩屋→須磨、と海沿いの街が連なる真ん中位に位置する街です。 進学する公立高校は学区制で決められており、私の在学していた神戸市立歌敷山中学校は第三学区で、当時は県立星陵高校、県立長田高校、市立須磨高校の3校の中から選ぶと云う状況でした(現在は10校に増えています)。

私が中学校に入学(1956年)するまでは、私の中学校から公立高校を目指せる成績(450人居る学年での成績が130番位まで)の殆どの生徒は同じ垂水区の山手に在る県立星陵高校に進学していました。私には3人の姉が居ましたが、 3人とも歌敷山中学から星陵高校へ進学していました。 しかし、私が中学へ入学した年には、成績が学年で上位25番位までの生徒の殆どは県立長田高校に進学するようになっていました。二歳上の私の兄も、私が中二の時に長田高校に進学していました。

が、しかし、私の成績は小学校の頃は学級で真ん中位、中学になっても同じ位でした。心配した母親から、私が1年生の或る時、「学級で10番以内になったら、ご褒美に自転車を買ってあげる」と言われ、ご褒美欲しさに頑張り、 次の定期考査でギリギリの10番になりました。それ以降、学級で10番以内を保ち、学年で50~80番位を上下していたと思いますが、3年生になる直前、学年で三桁の成績に落ちていました。今では覚えていませんが、多分、 軟式テニスの県大会で準優勝してから、テニスに夢中になり、勉強が疎かになっていたのかも知れません。長田高校に入るにはせめて学年(約450人)で30番以内に入っていないと長田高校に進学させて貰えない状況でした。 私は長田高校に是非進学したいとは思っていなかったと思います。別に、2番手の星陵高校で十分だと考えていたと思いますが、母や姉達は、「この子は、厳しい環境におかないと、直ぐに怠けて遊んでしまうから、星陵高校では駄目。 絶対に長田高校に行かせるべきよ!」と、口を揃えて責め立てられた記憶があります。母は、「うちは母子家庭なんやから、大学は授業料の高い私立には行かせられない。公立大学でなければ大学進学は無理なのよ」と、母子家庭を理由に、 脅かされ、ハッパをかけられていたように思います(家から通える公立大学としては、神戸商大か神戸大学を思い浮かべていたと思います)。

兄がその頃、長田高校で学年で1、2番だったこともあり、何となく、今のままでは将来惨めなことになるとでも考えたのかも知れません。軟式テニス部を辞めて勉強に専念しようと思いました。実はそれは表向きの理由で、 本当は軟式テニス部内で厳しいシカトイジメに遭っており、そんな環境から逃れたかったのです。県大会で準優勝してからイジメが始まったように思います。それで、担任と軟式テニス部の先生に、 「実は軟式テニス部を辞めたいんです。長田高校に進学したいのでテニスを止めて勉強に専念したいのです」と申し入れました。 そして、無事軟式テニス部を辞められました。その時先生から、「好きなテニスを止めて勉強に専念する?よく決心したなぁ」と、すごく褒められたように記憶しています。

それ以降、本当に勉強に打ち込んだかどうかは今は覚えていません。本当の理由がイジメから逃れたかっただけですから。しかし、多少は勉強もしたのでしょう。学級では5番以内の成績を保っていましたから、無事、長田高校への進学を果たすことが出来ました。しかし、確か長田高校進学者は25名だったと思いますが、その最下位の成績で滑り込んだに違いありません。

でも、軟式テニスの県大会で準優勝し、イジメに遭った事、成績優秀な兄が居たこと、母親と姉達から弟の将来を思う愛情のハッパが無ければ、長田高校進学は叶わなかったと思います。 今や、県立長田高校は兵庫県の公立高校では偏差値トップの進学校なのです。
軟式テニスを選んだこと、県大会で準優勝した事、それ故に軟式テニス部内でイジメに遭ったこと、成績優秀な兄が居たこと、高学歴志向の母と姉達に囲まれていたこと、誇り高き県立長田高校に進学した事等、総てが良くも悪くも私の今を在らしめていると実感しております。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1408  2014.09.11
自分が選んで来た人生―中学の部活動選択

陶芸家の河井寛次郎氏の言葉に「自分で選んでいる自分、自分で作っている自分」と云う言葉があります。親鸞仏法からしますと、「他力に依って人生がある」と言うべきかも知れませんので、 『自分が選んで来た人生』と云う表題に違和感を持たれる方も居られるかも知れませんが、私の人生は自分で選んで来たように思うこともあり、また、選ばされて来たと思うこともありと云うのが正直なところでございます。

私の人生を今振り返ります時、人生を決める節目、節目と言いますか、何か所もの岐路があったと思わざるを得ません。それを何回かに分けて自伝的に書き残しておきたいと思います。

先ずは、小学校から中学へ進学して、部活動を選んだ時が一つの岐路でした。野球部と軟式テニス部のどちらにするかでした。小学生時代に野球は得意でした。その頃活躍していた川上哲治選手(かわかみ てつはる、1920年3月23日 - 2013年10月28日)、 青田 昇選手(あおた のぼる、1924年11月22日 - 1997年11月4日)に憧れていましたので、高校はその頃甲子園出場もしていた強豪の育英高校に進学して、そしてプロ野球に行きたいと思っていました。自信もありましたが、 中学入学時に138cmと云う背の低さに私も多少懸念を抱いていました。しかし、それよりも家族達から猛反対されました。「プロはそんな甘いところでは無いんよ。活躍しているのは一握りの人達なんよ」 「兎に角、勉強して、いい学校に行っておかないと、将来、惨めな生活を送ることになるのよ」と。

結局、二歳上の兄が所属していた軟式テニス部に入部しました。つまり自分の意思を貫けませんでしたが、選んだ軟式テニスは、46歳まで現役プレーヤーを続けることになり、 60歳以降も今や錦織選手で人気が出ている硬式テニスに転向して続けました。今は、緑内障で左眼が見えませんので、テニスは止めましたが、中学の時に軟式テニスを選んだことが、 その後の私の人生を大きく左右することになるとは思っても居ませんでした。

軟式テニスを選んだことに付いて現在は後悔しておりません。結果的には、中二で区の代表選手として神戸市の大会に出ましたし、県の新人戦(1、2年生だけの選手権大会)で準優勝を果たすことによって自信を深め、、 その後、軟式テニスを生涯のスポーツとして選ぶことになりました。社会人になってからも、地域、地域で軟式テニスではそこそこ強い選手だった事で、行く先々の勤務地で注目されましたので、後悔は有りませんが、 今でも、スポーツのプロ選手になりたかったと云う想いは、消える事が有りません。私は小学校4年生で母子家庭になりました。ですから、もし父が生きていたら、父は勉強よりもスポーツが得意な私に、ひょっとしたら野球部を選ばせていたかも知れないと 考えることもあります。でも、軟式テニスを選んだ故に大学卒後の就職先が決まった経緯があり、そして妻との出遇いも生れ、結局は今の私がある事も間違いございません。

次回は、進学先の高校を決める時です。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1407  2014.09.08
予断大敵(追記編集有り)

『油断大敵』ではなく、『予断大敵』なのです。
『予断』とは、「結果を前もって判断すること」と云う意味でございます。私たちは、先々に生じるであろう事柄に付きまして、自分なりに結果を予測し大体断定致します。予測しない人は居ないのではないかと思います。

昨日、テニスの全米オープンで、錦織選手が世界ランキング一位のジョコビッチ選手を破り、日本人としては初めて、4大大会決勝に進みました。 特にスポーツのような勝負の場合、相手が何処に打って来るか、そして、予測してはいけない勝敗をも予測し予断します。予測し予断してしまうことが結果に悪い影響を与えることが多いものです。

スポーツ選手でなくても、例えば、私たちは他の人と話し合いをする場合、相手がどのような事を言うかを事前に考えるものです。そして、「こうあるべきだ」と予断します。 私はビジネスの世界に身を置く者ですが、交渉事が多く、あれこれと予測予断致します。それで疲れてしまう事が多いのですが、白紙で臨もうと思いましても、ついつい予断をしてしまいます。

しかし、振り返ってみますと、自分の予断通りになった経験は無かったように思います。思っていたよりも、自分にとって悪い結果もありますし、逆に良かったこともございます。 どちらかと申しますと、悪い結果が多かったように思います。悪い結果となりますと、落ち込みます。不愉快になります。

まぁ、予断はしない方が良いけれど、なかなか止められないと言う意味で、『予断大敵』と言うわけでございます。しかし、予断は止められませんし、予断は必要な場合もあります。結論としましては、予断はしても油断はしない。 つまり、物事は色々な縁に依って決まるものであり、予断通りは行かないのが私たち人間社会の常で有る事をしっかり心に持っておきたいと思います。

最近の契約交渉事で、予測と違う低い契約金に終わった事がありまして、『予断大敵』と云う取り敢えずの結論に至った次第でございます。脳内出血も、予断続きで頭がパンクしたのかも知れません・・・。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

追記:
今日、9月9日(月曜日)早朝、テニス全米オープンの決勝で、錦織選手はストレート負けしました。今日の昼からNHK総合で録画が放映されます。闘い振りを見て確かめたいと思いますが、おそらくは準決勝までの思い切りの良い ショットは影を顰(ひそ)めたものと想像しています。日本、日本人は私を含めて騒ぎ過ぎでした。NHKも急遽、WOWWOWから録画放映出来る権利を取得すると云う異常反応を示し、試合後のインタビュー、今日の試合前の取材攻勢で、 錦織選手は平常心を失わざるを得なかったのではないかと思います。スポーツには精神面が影響します。極端に表現するならば、対等な技量の選手同士の場合、精神面が100%勝敗を決めると言っても過言ではないと思います。 準決勝で錦織選手が世界ランキング1位のジョコビッチ選手に勝てたのも、精神面の優位さで偶々(たまたま)勝てたと言ってもいいでしょう。

これまでの対戦成績は5対2で錦織選手はチリッチ選手を上回っています。それだけに、勝てるはずと云う安易さと、勝たねばならないと云うプレッシャーが同時に作用して、精神面で既に不利だったと思われます。 この分析が当っているかどうかは、分かりません。でも、上述のコラムの中で、予断大敵と申しましたが、予断大敵と思っても、予断をしてしまう人間のどうしょうも無い弱さ、と申しますか。頭で考えても、心はその通りにならない モドカシサは如何ともし難いものだと思い直した次第です。『物事は色々な縁に依って決まるものであり、予断通りは行かないのが私たち人間社会の常で有る事をしっかり心に持っておきたいと思います。』と、偉そうなことを申しましたが、反省しております。 縁に任せようとしても、任せ切れないのが人間が背負っている業と云うものなのだと思います。
結局は、「な・む・あ・み・だ・ぶ・つ」と、煩悩を背負った我が身、我が心を、正直に認め直し、阿弥陀如来の御手(みて)の中に在る我が〝いのち〟を懺悔し、また感謝して生きられたのが、親鸞聖人だったのかも知れません。


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No.1406  2014.09.04
真の民主主義

多数決に依って法律やルール等、組織のみならず国家や社会の約束事を決める民主主義は、既に破綻していると考えるべきだと思います。確かに主義、考え方を異にする者同士で話し合いの場は持ってはいますし、 少々話合もするようです。しかし、決めても守らないことは確かに多いですし、話合いの場以外では反対の立場を主張すると云う事は、国際政治の場でも、国内政治の場でも、あらゆる組織の中、社会の彼方此方(あちこち)でも散見されます。

これは、何も今日になって生じたものではなく、昭和になってから、民主主義に潜む問題点として、私が存じ上げている仏法の先生方、名僧、高僧方が、時折ではありますが、懸念の発言をされています。しかし、一考だにされないまま、 その傾向はますます酷くなっているように思われます。

最近何度もご紹介している井上善右衛門先生も、そのお一人です。先生のお口から社会批判、政治批判をお聞きした事は殆ど有りませんでしたが、下記に転載引用する民主主義に関する明確な懸念とご提言を見付けましたので 、私たち個人の人間関係にも参考にしたいものだとも思い、ご紹介させて頂きます。

転載引用文―
人間は個性によってものの見方、感じ方が違ってくる。例えば私の友人は現実主義的な考えを持ち、私は理想主義的な傾向を持っているとすると、何かある問題に遭遇して友は私を評して夢をみていると言うでしょうし、 私は友を評して現実に溺れていると思うでしょう。これはどうにも仕方のない相互の思いで、それを誤魔化すことは出来ない。しかしそこに相手の言葉を通じて私は自分の思いの中に現実を見忘れている節はないであろうかと、 反省を怠らず、友もまたその反省に同様であるとすれば、意見を異にしながら反目し合うのではなく、却って内面に協力することが出来ます。相互が相互を高めることが出来る。何等か否定するものがあってこそ、前進は可能であります。 しかも各々(おのおの)が各々の個性を通じて一隅を照らし、全体の統一に美しく寄与することが出来ます。性格を異にし意見を異にするものが憎み合うのでなく、尊重し合うということが実現するのでなければ、民主主義は成立しません。 しかるにただ対立と憎悪に終始し、相手を敵と呼び、これを覆滅して自己を拡張する戦術のみが議せられるところに、どうして民主主義の成長がありましょう。民主主義は制度と共に心の態勢を開くところから始まらねばなりません。
―転載引用終わり

今の仏教界から、政治批判は勿論のこと、社会の在り方に関する提言さえも殆ど出ていないように思います。政教分離(せいきょうぶんり)と云う原則があるからかも知れませんが、 それは、信教の自由を保証し、特定の宗教を国が強要しないと云うもので、特定の宗教団体や政府の発言内容が問題になるのであって、人間社会をより良くする為の提言を宗教家、宗教団体がする事を禁じているものではありません。 私はこれからも先輩達、先師方の過去の発言そのものを紹介したり、また、自分が社会の有り方に懸念と思うことを、積極的に発言して参りたいと思っております。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1405  2014.09.01
人生勝負に勝つには自信か?それとも?

競争社会に生きる私たちは、常に、勝負或は試験に立ち向わされながら生きざるを得ません。勝つか負けるか、合格するか振り落とされるか常に厳しい毎日を闘っていると申しても決して過言ではないと思います。 私の父は、私達姉弟5人全員学生の頃(長女が大学3回生、末っ子次男の私が小学4年生)、神戸スイーツを現在も支えている製粉会社の技師長を務めていました。或る時、姉弟の中の誰かが、「お父さんはいいね。私たちは試験試験でシンドイ!」と父に言ったら、父が、 「お父さんなんかは毎日が試験だよっ」と答えた事を、自分が大人になって、その深い意味が分かり「成程なっ」と何回か思った事があります。 そして今、私自身、技術開発競争、製品開発競争の世界に在って、遠い世界の見えないライバル達と闘い、また取引企業相手とも厳しい交渉をしながら生きています。 そんな中、厳しい勝負の世界を26年間生き抜いたヤンキース等で活躍した元プロ野球選手松井秀喜さん(40)が、「スポーツに限らず、自信を持つというのは大切な事だ。」と云う主旨のコラムを神戸新聞に書いているのを見付け、興味を持って読みました。
勝負と申しますと、青春の一時期ソフトテニスに命を賭けた私は、やはりスポーツが頭に浮かびます。一流の選手、頂点を究めた選手がどのような姿勢や考えで勝負に臨んでいるのか、やはり興味があります。

大相撲界では先場所、第69代横綱白鵬関(1985年3月11日生れ;2007年7月から横綱)が史上3人目となる30回目の優勝を成し遂げましたが、大相撲と云えば、白鵬関も尊敬している第35代横綱の双葉山関 (1912年~1968年:1938年1月場所から横綱)です。69連勝の記録は未だ破られていません。 名横綱双葉山の言葉として有名なのが、『我未だ木鶏足りえず(われ、いまだこっけい、たりえず)』です。 闘鶏に準(なぞら)えて、強くて威嚇鋭い鶏と勝負しても、木で出来た鶏なら心乱す事は有りません。そのような木で出来た鶏のようになりたいと双葉山は稽古と心の修行に励んだそうです。

スポーツ界では、坐禅を組んだり、密教の護摩行をする人達も居ます。確かにそう云う努力をする人は一流選手に多いです。 その人達は大事な勝負の場面での精神の集中力を身に付け、日頃の実力を発揮させたいと云うのが目的だと思われますが、私は、それは寧ろ、そのような事をしてでも大勝負には勝ちたいと云う意識が強い故に、勝負に強いと云うことではないかと考えます。

さて、その勝負に勝ちたいと云う意識の高さは、何処から来るかと考えますに、それは、『誇り』ではないかと思うのです。身分とか能力の高さを誇示する『pride(プライド)』では無く、人としての『誇り』です。 自分自身に誇りを持っているかいないかが、どんな人生を切り開いて生きるかに大きな影響を与えるのではないかと、松井秀喜さんのコラムを読み終えて考えました。 松井さんは、「スポーツに限らず、自信を持つというのは大切な事だ。」と仰っているのですが、その自信は技術の裏付けが必要ですし、過去の実績を含む経験から来るものだと思います。 しかし、それは、元はと云えば、自分に『誇り』を抱いているからだと言えないかと考えました。
松井秀喜さんが、日本球界復帰を選択しなかったことについては「10年前の日本での自分の活躍を想像するファンの期待に応える自信を持てなかったから」と説明されたらしいですが、それは、彼の〝誇り高さ故〟の選択だったと言えなくもないと思いました。

では、自分への誇りは何処から来るのでしょうか。非常に難しい問い掛けですが、私は、宗教心、信仰心と決して無関係ではないと考えたいです。自分の〝いのち〟を大切にする。人生を大切にするのは、折角人間の〝いのち〟を頂いた自分を大切にしたい。 それが『誇り』だと思うのです。それは、現在69歳の私自身の人生を振返る時、誇りを持って生きて来た自分を思いますし、公私共に経済的な大苦境にある今現在も、誇りを失っていないからこそ、 常に僅かな希望に賭けて、頑張り続けられているのだと自覚しています。決して自信がある訳では有りません。でも、根拠は有りませんが、何とかなるに違いないと云う確信とも云うべき〝誇り〟を失っては居ないのは自分ながら不思議です。 それはきっと、父や母や祖父が誇りを持った人生だったからであろうと思えるからかも知れません。実際、母は大正10年代、島根県からただ一人東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)へ留学したのですから、誇り高き娘だったに違い有りません。 母はその後結婚して家庭に入り、6人の子供を育てる一方で、祖父の事業家魂を受け継ぎ、1950年には仏教を広めるべく神戸市垂水区に仏教講演会を立ち上げ、亡くなる1986年までの36年間、途中で未亡人になりながらも、ほぼ毎月1回、 合計336回継続致しました。 やはり、折角なら生き甲斐と生まれ甲斐のある人生を送りたいと云う〝誇り高き〟母だったのだと思います。私はその母からその誇り高さを知らず知らずの中に学び吸収したのではないかと思うのです。 松井秀喜さんのお父上も信仰心の厚い方のようです(キリスト教司教さん)。きっと我が〝いのち〟も含めて、人間に生れた〝いのち〟を大切にされる〝誇り高い〟心をお持ちで、松井秀喜さんを育てられたのだと私は推察致します。

一方、こうも思います。この無相庵のような仏教に関わるホームページをお訪ねになられた方々は、ご自身の人生に何かしらの問題点を感じられての事ではないかと思うのです。 それはひょっとすると、この人生に充実した生き甲斐と、この世に生まれた生まれ甲斐を求めての事かも知れないと思うのです。そして、その方々は、我が〝いのち〟を大切にされる誇り高き人生を生きて居られ、これからも生きて行かれるとも思うのです。

長いコラムになってしまいました。それでは、松井秀喜さんの『10の0でも打席で自信』と云うコラムを転載して、コラムを終わらせて頂きます。

~10の0でも打席で自信~
自信を持て、そう励ましたり、励まされたりしたことのある人は多いのではないか。スポーツに限らず、自信を持つというのは大切な事だ。

いかなる状況でも活路を見いだす力が、自信というものだと思う。野球選手ならどんなに不振でも、相手が格上でも日々勝負を続けなければならない。 毎日、毎打席、自信の裏付けとなるものを持てるか。僕にとっての自信を端的に説明するなら、自分に有利な材料を必ず探し出すことだ。

ヤンキース1年目の2003年、レギュラーシーズンで10打席無安打に抑えられたレッドソックスのマルティネスとプレーオフで対戦した。10の0でも、僕は自信を以って打席に向かうことが出来た。凡退からプラス材料を得ていたからだ。
レギュラーシーズンでは、速球とチェンジアップが早いカウントで甘く来る事が何度かあった。打ち損じていたそれらの球を逃さなければ勝機はあると思った。追い込まれたら甘い球は来ないし、カーブは狙っても打てないほど切れた。 だが不利な材料は全て頭から排除し、打席には有利な材料だけを持って入った。

勝負事は一つでもプラス材料があれば、それを糸口に優位に立てることもある。リーグ優勝決定シリーズ第7戦での同点につながる一打を含め、マルティネスからは2試合で二塁打3本を打つことが出来た。
野球に完璧はない。マイナスを考えだしたらきりがない。だから試合ではプラス材料だけを頭に入れる。その代わり練習ではマイナス思考を持つ。打撃練習で完璧に捉えても「少し外だったら打てない」などと失敗の可能性を意識する。 練習と試合の切り替えも自信を手にする鍵だと思う。

僕は不振でも「大丈夫」と言い続けた。強がりにしか聞こえなかったろうし、少しは強がりもあった。ただ打席ではプラス材料だけが頭にあったから、本当に打てると思っていた。根拠のない自信は持たなかった積りだ。

ー松井さんのコラム転載終わり

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No.1404  2014.08.28
知能を得た生命(人類)~太陽系惑星〝地球〟の奇跡~

マリモって皆さんご存知だと思いますが、それが北海道の阿寒湖で〝見られる〟ことまではご存知でも、こんな情報、つまり、
『マリモは、分類学的にはアオミソウ科の植物であり、淡水生の緑藻で湖沼や河川に生息している。阿寒湖を始めとして山中湖や河口湖などの淡水湖や、日本以外ではヨーロッパ北部や北アメリカなどの涼しい所にも生息している。 最新の研究では、DNAを分析した結果、世界のマリモは阿寒湖から広がっていったことが分かった。多分、渡り鳥の足に付着したり、食べられたフンに混じって運ばれていったものと考えられている。 そして、大型球状体のマリモになるのは、世界でも阿寒湖だけ。大型の球状マリモは5~9年周期で成長と崩壊を繰り返し、最大直径は30センチメートルを超えるようになる』と云うことまでご存知の方は少ないかも知れません。 私は阿寒湖が火山噴火によってもたらされたカルデラ湖であることも、カルデラ湖だからこそ、大きなマリモが生育する事も含めて全く知りませんでした。

私自身は8月24日のNHKスペシャル『神秘の球体マリモ~北海道 阿寒湖の奇跡~』を視聴して初めて、知った事ばかりなのです。
そして、『阿寒湖の大きなマリモ』が、阿寒湖そのものが生まれた環境と生まれ方、そして、その湖底や地形、風や波の動き方等、 無数の条件が重なって、世界に例を見ない大きなマリモが群生している事を知った時、私は、これは丁度、地球に〝いのち〟を得た私達人間に当て嵌まる奇跡と同じだなと考えた次第です。 そして、フト、表題の『知能を得た生命(人類)~太陽系惑星〝地球〟の奇跡~』に言い換えた次第です。 人間も奇跡の存在です。否、私は奇跡の存在なんだと・・・。ただ、奇跡の人類とマリモの大きな違いは、私達は我欲に依って行動を左右されているのに対して、マリモは、〝あるがまま〟に生きているところです。


おそらく、マリモは、自然の働きのまま、自然の働きに身を委ねて、自然の働きの為すがままに生きてゆきますから、これまで通り子孫に〝いのち〟を引き継いでゆけると思います。ただし、人間の要らぬお節介がなければの話です。 人間が我欲に依って、阿寒湖に手を加えたり、例えば観光客のマリモ観察に便利なように湖岸の形を変えたり、湖底の浚渫工事をしたり、桟橋を造設したりしなければの話です。

人間は地球を我が物顔に、我欲満足の為に、勝手に自然環境を変えて来ましたし、地球に共生する〝いのち〟の仲間達(動植物)を無計画に乱獲・食し、絶滅危惧種を増やし、ドンドンと絶滅させて来ました。このままでは、やがて、 人間が人間(人類)自らを絶滅させかねないのではないかと危惧されます。人類は考える知能を与えられて、今、地球を支配しています。しかし、世界各地域の戦火を見ている限り、与えられた知能を生かしているとはとても思えません。
知能を生かして初めて、宇宙が生み出した本来の人類なのです。今の人類は、宇宙に、宇宙の真理に逆らっており、本来の人類では有りません。

人類の現実は、戦火のみならず、一般生活者の私たちも、前回コラムで申し上げましたような、末法・五濁悪世としか思えない愚かな生活振りであります。「自分の精神異常に気付かない者を精神障害者と言う。」と、どなたかの本で読んだ事があります。 まさに現代人は、自分の外側を科学的に認識分析し、我欲を満足させる手立てを考える知能はますます発達させて来ました。
しかし、その一方で、その手立てが自分に対してどのような不幸な結果を齎すか自分の内側の精神状態の異常に気付かない総精神異常動物に成り下がってしまいました。
一刻も早くその事実に目覚めねばならないと思います。

その為には先ず、私自身が煩悩具足の凡夫に目覚め、愚かが故に為す、他の人を悲しませるような事をしない、醜(みにく)い事をしない、他の人から見て情けないことをしない、他の人々が許せないと思うような事をしない、 他の人々を恐い目に遭わせない人格になることが前提だと考えます。そして、世間の生活者一人一人がその様な人格になるように、一隅を照らす人格を目指し、これからも、仏法を行じたいと思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

追記(本当にお伝えしたかった事):

マリモも地球も奇跡の存在です。マリモの奇跡にビックリしたことは事実です。でも、書き終えて少し経ってから、上述コラムでお伝えしたかった事はマリモも地球も奇跡の存在には違いないのですが、この大宇宙の総ての存在が全て奇跡の存在だと云うことでした。 そして、特に、私を含めまして、人間のお一人お一人は勿論のこと、地球に生きる、生きとし生けるもの総てが奇跡、言い換えますと、掛け替えのない〝いのち〟であることをお伝えしたい事だったことに気付きました。
更に、我が〝いのち〟の奇跡、掛け替えの無さに本当に目覚めたならば、同じ瞬間を共に生きる〝いのち〟も又、掛け替えのない〝いのち〟であることに思い及ばないはずが無いと云うことであります。
宇宙の総てが掛け替えが無い存在であること、我が〝いのち〟も又掛け替えのない〝いのち〟である事に人間として初めて目覚められたお釈迦様の言葉として伝えられていますのが、 「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」なのであります。「宇宙中で私独りだけが尊いのだ」と云う意味では勿論ございません。 金子みすずさんの詩を引用して分かり易く優しく説明して下さっている『天上天下唯我独尊』〝サイト〟を引用させて頂きましたので、是非、ご覧下さい。
そして、夫婦間、親子間、嫁姑間等の近しい人間関係に生かして頂ければ真に幸いでございます。


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No.1403  2014.08.25
末法(まっぽう)・五濁悪世(ごじょくあくせ)を生きる覚悟

今の世の中、悲しい事、醜(みにく)い事、情けないこと、許せない事、恐い事が毎日のように起こっています。あまりにも毎日過ぎて、慣れっこになっているようにさえ思うほどです。 「何とかならないのか・・」と思いながらも、何とも出来ない自分に、政治に、無力感を覚えてしまっていました。 そんな最近、私は、数年前に買い求めた中村了権師(元兵庫大学教授、現在、財団法人洗心会理事長・季刊誌『SEN・SIN』編集主幹)のご著書『親鸞仏教の宗教力―悲痛な時代を生きる(安楽論)』を読み直し、 あらためて、「自分は、今、『末法・五濁悪世』を生きている者だから、今の世相は来るべくして来たものと考え直しました。そして、一つの覚悟(日常生活での自分の有り方、考え方) をしなければならないと思いました。

元々仏教の考え方から致しますと、現在は末法の時代であります。 末法の時代とは、仏教の末法思想によります。つまりそれは、釈尊が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる正法(しょうぼう)時代が過ぎると、 次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない像法(ぞうほう)時代が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない末法時代が来ると考える歴史観です。

そしてその末法時代を親鸞仏法では、『五濁悪世の時代』と捉えます。学生時代に学んだ日本史では西暦1052年から末法の時代に入ったとされていますが、末法時代開始年代は諸説あるにしましても、現代は末法の時代だと申して良いと思います。 そして、正法は500年、像法は500乃至1000年続き、そして末法は1万年続くと言われています。この説が釈尊に依って説かれたものかどうかは別にしまして、私たち人間の世は、科学文明の進歩と共に悪くなって来ており、これからも更に悪くなり続けると仏教は考えていると云うことになります。

日本では、ストーカー殺人、苛め、セクハラ、バワハラ、食品偽装、親が子を殺し、子が親を殺す、振り込め詐欺、政治家の公金横領、毎日のマスコミ報道は心痛むニュースばかりです。過日佐世保市であった高校生の同級生殺人事件は、 現代社会のあらゆる問題が凝縮されて起きた感を抱かざるを得ませんでした。そして、我が身、我が周辺で何時起きても不思議ではなく思い、「何とかしなければ・・・」と思いました。

しかし、何から手を付けるべきか分かりません。それは人類が数百年、数千年歩み続けながら、構築して来た社会とその仕組み、そしてその人間の精神構造なのですから、一朝一夕には解決出来る訳が有りません。 ここは、この世の有り方や世相、他の人の言動・行状を嘆いたり批判するのではなく、伝教大師 最澄が申された『一隅を照らす者は国宝』を私は胸に刻み、実行して行くのが、私のあるべき姿勢だと思ったことです。

伝教大師の『山家学生式』の説明文をインターネットサイトから引用:
「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らすこれ則ち国宝なり」。「径寸」とは金銀財宝のことで、「一隅」とは今あなたのいるその場所のことです。  お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも変えがたい貴い国の宝である。 一人ひとりがそれぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていく。自分のためばかりではなく、人の幸せ、人類みんなの幸せを求めていこう。 「人の心の痛みがわかる人」「人の喜びが素直に喜べる人」「人に対して優しさや思いやりがもてる心豊かな人」こそ国の宝である。そうおっしゃっています。  そして、そういう心豊かな人が集まれば、明るい社会が実現します。
ー引用終わり

私は会社を経営し、技術開発と製品開発に懸命に取り組んでいます。でも、仕事が社会の役に立つとは考えて来ませんでした。仕事は飽くまでも自分と家族の衣食住を獲得し維持する為だと考えて来ました。 この考え方は、変わらないと思います。製品開発の仕事は、人々の生活を便利にしたり、効率良くする事があるでしょうが、その喜びは瞬間的なものであって、人生そのものを心豊かに出来る訳ではありません。 人々の本当の幸せに貢献するには、やはり伝教大師の上述のお言葉にある通り、お金や財ではなく、心を大切にする事だと思います。私の祖父も母も、その為には仏法を世の中に伝え広めることだと考えて、人生を全う致しました。 私も、その精神と人生を引き継いで参ります。親鸞聖人も「世の中安穏なれ、仏法広まれ」と願い続けたと言われています。末法・五濁悪世に怯(ひる)むことなく、残りの人生を生きて参りたいです。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1402  2014.08.20
共是凡夫耳(共にこれ凡夫(ぼんぶ)のみ)

人類は、戦争を繰り返しています。言葉を持つ人間が、言葉を交わし合わずに、人間同士で殺し合う事は何と愚かかと思います。今もテレビで見る中東では銃を打ち合い、明らかに殺し合っています。 何故、話し合いで解決出来ないのかと本当に情けなく悲しい気持ちになります。
でも、そう思う私自身はどうかと過去を顧みれば、反対意見の人と冷静に話し合いで快く合意出来なかったと云うのが正直なところです。何故ならば、自分が正しく、相手が間違っていると云う考え方を変えることが出来なかったからだと思います。 話合えば話合うほど腹立ちが酷くなり、いよいよ、対立の溝が深まるばかりだったような気がします。恐らく、世界で起きている戦争も同じ経緯を辿っていることは間違いないでしょう。日中、日韓の冷え切った関係も、実にその典型だと思われます。

平和・和合への道は、聖徳太子の定めた(西暦604年)『十七条憲法』の第十条に示される姿勢・考え方を皆が共有することでしか為し得ないのではないかと思います。 特に、その中の十条に語られる『共是凡夫耳(共にこれ凡夫(ぼんぶ)のみ)』を共有することでしか平和・和合は為し得ないと思います。夫婦間然り、親子関係然り、職場の人間関係も然り、政界の与野党間然り、国家間然りであろうと思います。

そして、『共是凡夫耳(共にこれ凡夫(ぼんぶ)のみ)』を共有するには、先ずは、己れの凡夫振りを自覚することなくして有り得ません。 「凡夫を自覚しよう」と言いますと、「それは自己を卑下することになり、劣等感に陥ってしまい、暗い気持ちになる。前向きな考え方ではない」と反発する人もあるようですが、それは違うと私はこの頃思います。

私は最近、自分の瞬間瞬間の言動に対して、自己中心性の有無を確認してしまう癖がついています(『~唯識の世界~』コーナーに煩悩を並べ立てていますが、一々、これはどの煩悩かと確認する訳ではありません。 どの煩悩も自己中心からのものですから)。意識的では有りませんが、かなり丹念に確認します。そうしますと、自分の発する言葉も行動も自己中心性ならざるものは無いことに気付かされています。見事な程に自己中心です。 それはそれ程まで自己中心性だったとは知らなかった自己を発見する訳ですから、呆(あき)れはてつつ、馬鹿馬鹿しくもなり、また何処か楽しいものになります。決して暗い気持ちには成りません。 そして、これは私だけであるはずは無く、人間は皆、自己中心の心を持っているに違いない、だから、自己中心であるが故に苦悩が尽きない人間の姿を見そなわし(ご覧になられて)、阿弥陀如来は(本願他力とも云うべき)慈悲の眼を注がざるを得ないのだろうと思うのです。 そして、『共是凡夫耳(共にこれ凡夫(ぼんぶ)のみ)』と云う言葉を聖徳太子と共に思い起こします。

勿論、自己中心性に目覚めましても煩悩が無くなる訳では有りません。対人関係で腹立ちが無くなる訳ではありません。
しかし、「自分もあの人も、共に凡夫同士なんだものなぁ」と意外に短時間のうちに腹立ちの心を翻すことが出来るように思います。未だ、思い切り腹立たしい事態に遭遇していないからかも知れませんが・・・。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1401  2014.08.12
無相庵もお盆休み

明日から、5名の孫達が二泊三日で遊びに参ります。御心配をお掛け致しましたが、脳内出血後の経過も悪くは無く、何とか孫達を迎えられる体調になったと云うことでございます。

無相庵コラム更新はしばらくお休みさせて頂きまして、来週始め位からでも再開させて頂こうと思っております。

無相庵コラム更新はございませんが、もしお盆にお時間がお有りになる方々には、新しくアップした井上善右衛門先生の法話をお読み頂ければ幸いでございます。親鸞仏法の真髄が語られていると私は深く感動を致した二つの法話でございます。 出来ましたら、『理想と現実』、『本願真実』、『浄土の真実』、『実相』、『奇行』、『二つの家庭』、すべての法話を、通しでお読み頂ければ、新しくお気付きになられる事が、ひょっとしたらあるのではないかと思っております。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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