No.1450  2015.03.26
念仏申せども――歎異抄第九章――(5)

●無相庵のはしがき
唯円房が「念仏を申しても、喜びが湧いて来ません。浄土に参りたいとも思えません。これは一体どうした事でしょうか?」と、念仏のお師匠である親鸞聖人に尋ねます。 本当の信心を求めているからこその疑念だと思います。恐らく、他の宗教、特に絶対者を立てて絶対者の意向に従うスタイルの一神教の信者には許されない質問であり、 喩え、疑念が湧いても、誰にも覚られないよう、否、自分自身にさえ偽って胸の奥深くに仕舞い込むに違いないと思われます。
ましてや、信仰上に上下関係がある宗教では、そんな質問を受けた先輩、師匠、教祖さまは言下に叱責されるのではないかと思います。

法然上人・親鸞聖人の仏法には、信仰上の上下関係は有りませんし、このような唯円房の質問には全く異なった対応が為されるのが極普通だと思います。
一方で、今日のコラムの中に、米沢英雄先生は、「哲学では救われない」と、はっきりと申されていますように、真実に忠実、真理に忠実であって、人間の造りものを疑う姿勢がはっきりしています。

また、煩悩具足であるからこそ救われる素質を皆持ち合わせていると云う逆説的な事も仰れるのだと思います。
煩悩具足とは、八万四千もの煩悩が一つも欠けることなく足りていると云うことでございます。でも私たちは他人の煩悩は能く見えますし感じられますが、自分の煩悩は全く見えないのが実情であります。 否、自分の煩悩が見えないことに気付けないことが決定的な煩悩なのでありましょう。
その私たち煩悩具足、罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫に胸を傷められ、涙を流されていることをご法話を通じて聴き続ける他ないのでありましょう・・・。

●米沢英雄先生のご著書からの転載

(7)盲点をあばく
この人間の実態を見きわめ、このために真実の救いの道、他力廻向の念仏の道を見出されるのに、五劫の長い時間を必要とされたということは、人間の実態を見きわめることが如何に困難であるか、 更に自分自身というものが如何に自分にとって盲点となっているか、私たちの存在の根元となっている自我が如何に執拗なものであるか、また、如何に日常の私たちがそれを軽々しく取り扱っているかを物語っているものでありましょう。

宗教と呼ばれるものの高度性と真実性は、俗信・迷信と言われるものと、真実の信心との違いは、人間の実存の見きわめの深さによる、と言ってもいいかも知れません。 ここに「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば」とある、「仏かねてしろしめし」という言葉が、非常な重さをそのうちにもっているのであります。 「仏かねてしろしめし」、この一語には、人間探求の全歴史が包含されているのであります。

「煩悩具足の凡夫」という言葉は、人間に刺した最後のとどめであります。しかもこれは人間の考えの積み重ねではない。人間の考えをいくら積んでも仏の考えにはなりません。 哲学は人間の考えである。だから哲学では人は救われない。
この言葉のまえには、人間の権威をたかめるべく生み出してきたあらゆるイズム、イデオロギーが、理想主義もヒューマニズムもすべてが焚きものにすぎません。 それらは人間の夢であって、煩悩にすぎません。煩悩具足という言葉は、実に人間の権威を徹底的に落とすものであります。甚だしい人間侮辱であります。

しかし理想主義の世界、ヒューマニズムの世界、その他数々のイデオロギーの世界に果たして平安があり得たでしょうか。煩悩具足、この一語で、小気味よくとどめをさされ人間の上にのみ、不思議にも平安が訪れるのではないか。 浄土が開けるのではないか。
煩悩具足なればこそ、それを目当てに立てられた本願に遇うことが出来、本願に遇って、他力廻向の信に目覚め、そこに真の安らぎが与えられるとしたら、煩悩具足こそ、本願に遇うための、必要欠くべからざる条件なのであります。
安んずべし、この条件を私たちの誰もが十二分に持ち合わせているのですから。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1449  2015.03.22
続ー虚仮不実の我が身

私は、自分を虚仮不実の人間だとは思ってません。それも事実です。でも、本性は虚仮不実だと思う事もあります。だからと言って、他の人には虚仮不実だと思われないように努力している訳でもないと思いますが、 どうやら、自然と虚仮不実な自分を見せないように振る舞っているのではないかと思います。そしてそれは、幼い頃からの親からの教育や訓練で、どうすれば他の人から良く思われるか、 反感を抱かれないか、或はどうすれば強く思われるか、努力家だと見られるかを学習し、成人になる頃には、すっかり、意識せずして他の人(親、兄弟も含めて)には、その本性を隠して生活出来るようになるのだと思います。
ちょうど、映画やテレビのドラマの俳優さん達が配役の人物に成り切って演じているように、私たちは誰でも、場面、場面で、夫になったり、父親になったり、子供になったり、職場の上司になったり、部下になったり、客になったり、 持て成す側になったりしています。しかも、それは意識せずしてその役割を上手く使い分けて演じ切れるようになっているのだと思います。

私たちは、ある意味、やり手の俳優なのだと思います。しかもそれは無意識のうちに演じているのだと思います。だから、逆に誰でも少し訓練を受ければ俳優を職業に出来るのだと思っています。 ただ、私たちと俳優を職業にしている人達の違いは、俳優さん達は無意識ではなくて、意識してその配役の人物に成り切る訓練をしているのだと思います。

私たちの場合は、逆です。無意識に演じている人物で居続けるのは、本当は苦痛なのです、そして疲れます。でも、周りに隠していた本当の自分を表に出せるかと言いますと、現実問題、実際には出来ません。 そこで、葛藤が生じます。しかし、他の人に悪く受け取られるであろう隠していた自分の嫌な性分(せっかちとか、優柔不断等)、性根(諦めが悪い、恨みやすい等)は直りません。そして直せません。 そこに、仏様の悲しみとやるせなさがあると思うのです。それを親鸞仏法は本願として捉えるのだと思います。 「どうしても、救ってやらねば」と云う本願と、救って貰いたいと云う煩悩具足の私たちの願いが出遇う場、それが信心の場ではないかと思うのです。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1448  2015.03.18
虚仮不実の我が身?

『浄土真宗に帰すれども 真実の心(しん)は有り難し 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし』
これは、親鸞聖人ご自身が和讃に遺されているお言葉です。「自分の心には真実と言えるものは何もない。嘘偽り、不誠実極まり無い心しか無い。」と仰ってます。

逆に私は自分の事を虚仮不実の人間とは決して思っていません。正直に誠意を以って、その時その時を真剣に生きて来たと考えています。しかし、本当にそうかと云うことです。 もし、今、自分が心に浮んだこと、頭の中で考えたこと、考え付いたことの総てが、周りの人に分かるようになって居るとしたら、どうでしょうか? 少なくとも、私は恥ずかしくて表を歩けません。また、これまでの人生、人生の岐路で、進むべき道、進むべき方向を選ぶに際して考え付いた理由はどうだったか。振り返りますと、周りの人には尤もらしい理由を申して来た様に思うのです。 実際はお粗末な、周りの人々の事を考えない自分勝手な理由だったでは無いか、実に虚仮不実、自分の損得や、良く思われたい下心のみだったではないかと云うのが正直なところです。

冒頭の親鸞聖人のお言葉を聞きますと、普通は、「親鸞聖人ともあろう人が、そんなはずはない。謙遜ではないか・・・」と思ってしまいますが、自分の心の奥底を真っ白な眼で、詳細に見つめますと、 どなたに措かれましても、私と同じようなことに成りませんでしょうか?

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1447  2015.03.14
念仏申せども――歎異抄第九章――(4)

●無相庵のはしがき
米沢先生が歎異抄の中から、特に第九章を選ばれて、ご解説頂いた事の米沢英雄先生のお心が否応なく私には響きました。 唯円房も、親鸞聖人も、そして米沢英雄先生も真剣に真実を求められて居らっしゃったからこそ、この『念仏申せども』と云う文章が私たちに遺されたのだと思います。 これが、本願そのものの働き、思い切って申せば、仕業ではないかと思います。 『本願』と云う実在は、釈尊の前々から、そして、釈尊後も、多くの先輩方が悩み苦しみながら、真実を求められた歴史を観ずれば、信じるとか信じないとかでは無くなるのだと思われます。 私は、何処かで未だ『本願』を丸きり信じていないのだと思います。そう思う限りは、本願を信じるべく、これからも私なりの仏道を歩んで行くのだろうと思います。

●米沢英雄先生のご著書からの転載
(5)唯円の疑い

さて唯円のことでありますが、天下無敵、万能薬としての念仏を手に入れたと誇ったのも束の間、それは酔い心地にも似た一時の感激と消え去って、念仏を疑うわけではないが、どうも、仏になったはずの自分が以前ほど心躍らぬ、喜べない。 浄土という平安のよき世界を願うのだと人に説きつつ、自分はどうも煩悩に明け暮れて、ついぞ平安がない。真に浄土を願うているのかどうか疑われてくる。念仏して大満足を得べき身に、日夜わき起こるこの〝もの足りなさ〟は、何処から来るのであろうか。 何処か間違っている。しかも自分にはその何処であるかが明らかに出来ない。こうしたところに低迷(ゆきき)して、進みも退きもならないのが、唯円の心境でありましたでしょう。

勢いよく師のもとを去っては来たものの、この疑いを明らかにして頂く方は、天下に親鸞聖人お一人の他にありません。お叱りを覚悟、笑われるのも承知で、幾度か躊躇の後、師のもとへ帰って来た唯円でありました。 曾(かつ)て肩をそびやかして去っていった弟子、今日は悄然として戻って来た唯円に対して、聖人の態度は意外にも優しく、慎(つつ)ましくありました。
叱られるどころか、笑われるどころか、この親鸞もかねがねおかしいと思っていたが、あなたも同じ気持ちでいられるかと、弟子の言葉に共感して下さったのであります。 この、弟子に共感するということが、すでに容易でないと思います。

大方は、お前は未だそんなところにうろついているのかと軽蔑されるか、それは、お前の信心が足りないからだと決めつけられるか、それには特別教授をというようなことにもなるのではないでしょうか。 師の権威をもって、そう宣言されますと、返す言葉がなく引き下がり、疑念を残したまま惰性的に後をついていくか、不合理な故に信ずるのだと、無理に眼をつぶってやたらに突進するか、というようなことになるのが普通ではないでしょうか。 また、如何に共感されたお心の広さが尊敬出来るにしましても、ただそれだけでは、世間で言う酸いも甘いも噛み分けた苦労人という程度で、真の指導者とは言えますまい。 弟子の思いもつかぬ脱出路、しかも一時的な誤魔化しでなく、真実の道が示されなければならない。一時は共感し、さてその次に申されるところに、師としての権威ではなく、広大な本願の念仏の権威をもって、一刀両断の鮮やかさで、唯円の、そして私たちの疑念をぬぐい去って下さるのであります。

(6)人間は簡単に出来ていない
唯円が、先生である聖人にお尋ねになります。「念仏を申しておりますけれども、ひどく嬉しい心も起こりませんし、娑婆だと分かっていても、この娑婆が何処となくよくて、浄土へ急いで参りたいという気も起りませんが、どうした訳でありましょう。 これでよろしいのでありましょうか。どうも胸がすかっと致しません」という次第であります。 すると先生は、「この親鸞もかねがねそうした不審を抱いていたが、あなたもそうであったか」と、共感して下さったのですが、ここまでは唯円も先生と同じなのですが、これから先が違います。
違うというのは人間の質が違う訳ではありません。人間を見る眼、世界を見る眼がどの位はっきりしているかという違いであります。唯円は目覚めたはずであるが、未だ夢を見ようとしている。 それに対して、聖人は徹底的に自己に目覚めていられると申しましょうか。或は、唯円の腰の落ち着けどころが、まだ少し浮いている、先生はもう動きようの無いどん底に腰を落ち着けていられると申しますか。 地獄一定が観念的であるか、真に実践的であるかの違いでありましょう。
唯円の言うような不満の起こるのは、私たちの側から見ればおかしいけれども、本願から見れば当然のことではないか。あたかも空気や日光の、これなくては瞬時も生存しえないものの恩恵が無視されて、 隣人の小さな一時的な親切がひどく有難く思われるように、最も喜ぶべきことが喜ばれない、移ろい易い娑婆の幸福が願われる。ここに煩悩が遺憾なく活動し、その煩悩が絶えない、念仏した位で煩悩の絶えない衆生を、 何処までも救おうという本願故、念仏しても念仏してもなお煩悩の方が先まわりしているところに、私の念仏で払い落としても、払い落としても、なお煩悩の借金の方が大きいところにこそ、私の唱える念仏など問題にならない、 すべてを包む本願の念仏がたてられねばならなかった最大の理由があるのではないか。 むしろ、あとからあとから新しい煩悩が湧き起って、念仏も間に合わぬところにこそ、私たちは、己の自我の言語に絶する執拗さに泣くと共に、なおも絶望せず、これにかけられた本願の、その強靭さに、更に感動せずにはいられぬのではないか。

私たちに煩悩が絶えないということは、私たちにとっては悲しく辛い、情けないことのようではあるが、かえってこれが、私たちに見えない本願の絶対的存在を証明するものであり、その絶えざる煩悩を縁として、 その煩悩に敗北することに依って、煩悩の前に、己のはからいの無力さを身に沁みて覚り、自己自身を投げ出すことによって、その背後に光る本願に眼を開かせようという仏の至上命令を聞かねばならぬのではないか。 一度の念仏で簡単に大満足が獲られたり、自我の世界、いわゆる娑婆にさっさと見限りをつけて、急ぎ浄土に住み替えたり出来るほど、人間は手軽におめでたくは出来ていないのであります。

●無相庵のあとがき
米沢英雄先生は、仏法と言えば、親鸞聖人の『浄土の真宗』であり、それをこれからの世に引き継いで行くのが、ご自分の使命だと考えて居られたのだと思えます。そして、本願に出遇えた事を本当に幸運だったとお喜びでした。 その為に自分は生れて来たとまでお思いになっておられた。多分、親鸞聖人も、『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』を遺されている法然上人の仏法を次の世にしっかりと引き継ぐ使命を果たしたい一心で、 『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を遺されたのだと思います。釈尊の仏法は、このように、人から人へと進化しながら、今の私たちにまでバトンが手渡されて来ました。 この事実こそが、本願の働き、つまりは念仏のみが真実だと親鸞聖人が言い遺されている所以だと考える次第であります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1446  2015.03.11
念仏申せども――歎異抄第九章――(3)

●無相庵のはしがき
今日の内容は、米沢英雄先生ご自身がご自身の心を飽くなき厳しさで見詰めて見詰められた上で、ご自身の自我を少しでも見逃すまいと、本願の促しに依る徹底した慚愧の、これはもう、米沢英雄先生の法との戦いを振返られての物語だとさえ思います。 ただ、未だ本願の念仏を称えるに至っていない私如き者が物知り顔に、無相庵コラムを世の中に発信しておりますのは、正に仏法を仏様を傷付けている行為なのだと思います。
でも一面、この無相庵ホームページは本願に促されて続けて来られたようにも考えます。縁が尽きるまで止められないとも思っているところでございます。

●米沢英雄先生のご著書からの転載

(4)自我と法の戦い
『歎異抄』第九章は、唯円の質問に始まります。唯円は先生である親鸞聖人のご指導によって、念仏の信に目覚められた時、その大きな感激と共に、念仏さえあれば独立者として天下に闊歩し得るとの大自信に燃えて、 師のもとを離れていかれたのでありましょう。私たちをもっとも謙虚ならしめるはずの念仏が、かえって驕慢ならしめることは、念仏自身の罪ではなくて、実に私たち自身の自我が如何に根強いかをあからさまに物語っているのであります。

私たちか゛心から念仏するいうことは、私たちがひそかに命と頼んでいる自我、私の自信、私のうぬぼれ、私の思うようにしたいという野心、それが徹底的に打ち砕かれた告白に他ならぬのでありますが、打ち砕かれたはずの自我が、 その瞬間からまた上手く元通りにつぎ合わさって、そしらぬ顔をして私たちの心の中に収まっているのです。私たちは打ち砕かれたはずだと思っている。しかも不死鳥のように蘇って、心の中に既に収まりかえっている自我に気付かないのであります。 これはまことに捉えどころない、影法師のようなものであります。見ようとすれば、くるくると私の後へ後へと回って隠れ、容易に見ることが出来ません。

他力の信心、本願の念仏に目覚めるまでの悩みは、自我と世間との戦いでありました。この我は自我の存在と性質とを知るために必要な我でありました。本願の念仏に目覚めれば、自我は無くなるか。 決してなくなりは致しません。かえって、今までより強くなったようにさえ思われる。強くなるわけではないが、今まで見えなかったのが、いよいよはっきりと見えてくるというのでありましょう。

本願の念仏に目覚めてからは、自我が世間と戦うかわりに、自我が法と戦うのではないでしょうか。第九章に語られているのは、この法と自我の戦いではないと思います。法を得ますと、その法が法執となってその人を振り回し、 自己を、社会を傷付けると共に、法自身をも如何に傷付けているかは、今日いくらでも見受けられる事実であります。悲しいかな、自己を最大の盲点とする私たちには、それが気付かれません。 己れの愚を悟り得た賢者に早変わりして、世の愚者たちの前に、指導者づらをして立ちはだかるのであります。その上、厚かましくも、これを世の為、人の為、法の為であるとの看板さえ掲げるのであります。 さればこそ、この盲点をも照らし出す光が求められなければなりません。この光を示し得る人は、この光に照らされている人のみであります。

●無相庵のあとがき
この歎異抄第九章を読みます時、いつも思い出しますのは、井上善右衛門先生がご師匠と仰がれていた白井成允先生に、臼杵祖山老師(昭和の隠れた聖者と言われる)が本願の念仏を間接的に語られる場面であります。 この場面は、一昨年2月14日のコラム1270にご紹介していますので、是非お読み頂きたく思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1445  2015.03.08
念仏申せども――歎異抄第九章――(2)

●無相庵のはしがき
前回コラムで歎異抄第九章の原文をご紹介致しました。『米沢英雄著作集第1巻』では、その原文に引き続いて米沢英雄先生の解説がございます。9節に分かれていますが、それを3回に分けて、転載させて頂きます。 全て感銘深い節々でありますが、今回の中で特に深く深く感銘を受けた言葉は、『本願の念仏によって、照らし出された人間像というものは、人間のぎりぎり決着の姿であって、それに比べますと、その他の人間観は実に甘いということであります。』と、 『迷いと救いとの二つがあるのではなく、迷うという状態から救いの状態に移り変わるとか、上っていくとかいうのではなくて、迷うていたと悟らして頂く他に、救いというものはない。 迷うていることが分からぬから苦しい、迷うていたと気付いて目覚めさえすれば、それが救われたことである。』であります。
読者の皆さまも夫々に感じ入られる言葉があるのではないでしょうか。

●米沢英雄先生のご著書から転載

(1)師弟の対話
私は、『歎異抄第九章』を拝読しますたびに、二つの事実にいつも深く感動するのであります。一つは、正しい師の有難さ、正しい師を持つことの必要さ、私自身、今正しい師に遇い得ていることの幸せを、しみじみと教えられるのであります。 今一つは、本願の念仏が如何に人間の本質を、今日の言葉で申せば、いわゆる実存を、底の底まで見極め尽くしているかということであります。 本願の念仏によって、照らし出された人間像というものは、人間のぎりぎり決着の姿であって、それに比べますと、その他の人間観は実に甘いということであります。

この章は、師と弟子の信仰についての対話であります。しかもこの弟子は、信仰上相当の体験を経て、その上に生じた疑問を持っております。 弟子は信仰生活を誤魔化さずに真面目に歩んで、一つの疑問に逢着(ほうちゃく;出くわすこと。行きあたること)したのであります。弟子は自分の疑問を素直に自分の疑問として提出しましたが、はからずも、 同じ道を歩む者の代表として問われたことになりました。 それほどこれは信仰生活の上での重大問題であります。師はその疑問に対するに、個人的な感想を述べられたのでなく、自分の傷ましい信仰生活の体験から、更には己を含めた本願の念仏の歴史の上に立って、実に鮮やかに、明快に答えておられます。 ここにおよそ道を求めるものが、その道程において、当然落ち込むべき落とし穴と、その正しい脱出路が、師と弟子との対話となって語られております。

(2)悠久の歴史
これはいわば一つの求道の典型であります。後から歩む私たちが、またその落とし穴を身をもって体験する時に、この典型を思い出し、ここでの宗祖の親切な教示に従うことによって、お諭しをよくよくお聞かせ頂くことによって、 これを超えることが出来るのであります。これは、弟子が疑問を思い切って率直に尋ねられ、また師がこれに対して明快に応え得るほど、真面目に求道していて下さった、お二人のお蔭であります。 更には、遡って、五劫の間、思惟されたという法蔵菩薩のお蔭であり、それを初めて人間の問題として紹介して下さった釈尊のお蔭であり、釈尊が方向を示して下さった本願念仏の道を伝承すると共に、時代的苦悩の試金石にかけて、 いよいよ本願の念仏の光りを磨き出して下さった七祖のお蔭であります。インドでは龍樹・天親、中国では曇鸞・道綽・善導、日本では源信・法然という方々のお蔭であります。 ただに、この七人の方々ばかりではない。この方々、また親鸞聖人以後の方々のご指導を受けて、本願の念仏に目覚め、これを人生の灯、日常生活の支えとして、人間に生れたことを喜び、苦悩しつつ、感謝しつつ、 この世を終えていかれた名もない人々、そういう方々もまた、身をもって本願念仏の道の真実を証明して下さった方々であります。

真実の法を見出して下さった仏と、その法によって救われると共に、法の真実性を証明し、具体化して生きられた衆生との共同作業によって、今日まで生きて来たのが念仏の道であります。
思えば悠久な歴史であります。しかもそれは、本願の念仏という一つの主題で貫かれた、統一のある美しい歴史であります。私たち一人一人は、その響きの大きい小さいはありましても、この交響楽の中に無くては叶わぬ一人一人であります。

(3)交響楽の世界観
世にいう歴史、治乱興亡の歴史は、一将功成って万骨枯れる歴史でありました。文化史といえども、対決と闘争生滅を免れません。 本願の念仏の歴史においては滅ぶものも反逆するものも、本願の念仏の真実性を証明するもので、正面切って本願の念仏を薦められる諸仏と同様、なければならぬ存在であります。交響楽の重要な一ポストを持って居られる訳であります。 無駄なもの、無意義に存在するものは何一つ無いというのが、この交響楽の世界観であります。無意義に存在するものは何一つ無いという事が全ては救われる、救われている、ただ当人が気付いていない、自覚が無いだけだ。 もし人間に罪があるとすれば、自分が既に救われているということに気付いていない、無自覚である。考えてみようともせぬ。そして不平を並べ立てている、その一点にあるのではないでしょうか。

迷いと救いとの二つがあるのではなく、迷うという状態から救いの状態に移り変わるとか、上っていくとかいうのではなくて、迷うていたと悟らして頂く他に、救いというものはない。 迷うていることが分からぬから苦しい、迷うていたと気付いて目覚めさえすれば、それが救われたことである。

この章で、唯円は信仰の上で迷われた。それを、師親鸞の教えで明らかにして頂かれました。唯円が迷って下さり、それを思い切って尋ねて下さったからこそ、本願の念仏が更に明らかにされたので、よくぞ迷って下さった、よくぞお聞き下さった、 聖人の教えも尊いが、それを引き出して下さった唯円の存在もまた尊いのでありましょう。

●無相庵のあとがき
今日の米沢英雄先生のご文章の中に、『本願の念仏』或は『本願念仏』と云う言葉が11回も出て来ております。単に『念仏』と仰らずに、何故『本願の念仏』と言われたのだろうかと考えました。 私は昔から、「兎に角、念仏を称えなさい」と言われる僧侶方に抵抗を感じて来ました。米沢英雄先生も(何かのご著書に書かれていたのでは・・・)、呪文の様にただ念仏を称えさえすれば良しと云う考え方をされていなかったと思いますので、 親鸞仏法で最も大事な〝本願〟を枕に使われたのではないかと推察しております(ご著書からお答えを探してみたいと思います)。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

今日、3月8日の誕生日で満の古希を迎えました。昨日は息子と娘が満70歳の誕生日の祝宴を、灘の酒蔵の料亭で開いてくれました。ご馳走とお酒を満喫し、幸せな日でした。これから、仏道を歩みつつ、事業も精一杯頑張ろうと心を新たに致しました。


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No.1444  2015.03.05
念仏申せども――歎異抄第九章――(1)

私はこれまで、この無相庵コラムにて、歎異抄解説を3度試みましたが、いずれは4度目に取り掛かろうと考えていました。自分の心の変化を確認したいと思って来たからです。 そうこうしているうちに、米沢英雄先生の著作集の中に、歎異抄第九章の感動的な解説を見付けました。 これは解説と云うよりも、米沢英雄先生が歎異抄第九章と重ねて信仰体験を語られていると感じたからであります。数回に亘って、紹介させて頂きます。 まずは、歎異抄第九章原文をご紹介致します。読み易くする為に、私の独断で、ひらがなを漢字に書きかえております。 また、漢字熟語の読み方は従来から読み習わされているひらがな読みを書き加えています。

●歎異抄第九章原文
念仏申しそうらえども、踊躍歓喜(ゆやきくかんぎ)の心疎かにそ候こと、また急ぎ浄土へ参りたき心のそうらわぬは、如何にと候やらんと、申し入れて候いしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じ心にてありけり。 よくよく案じみれば、天にも踊り地にも踊る程に喜ぶべき事を、喜ばぬにて、いよいよ往生は一定と思い給うべきなり。 喜ぶべき心を抑えて、喜ばせざるは、煩悩の所為(しょい)なり。然るに仏かねて知ろし召して、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願は、斯くの如き我等が為なりけりと知られて、いよいよ頼もしく覚ゆるなり。 また浄土へ急ぎ参りたき心の無くて、些か所労(しょろう;疲れ、病気)の事もあれば、死なんずるやらんと、心細く覚ゆることも、煩悩の所為なり。 久遠劫(くおんごう)より今まで流転せる苦悩の旧里(きゅうり)は捨て難く、未だ生れざる安養の浄土は恋しからず候うこと、実に、よくよく煩悩の興盛(ごうじよう)に候にこそ。 なごり惜しく思えども、娑婆の縁尽きて、力無くして終わる時には彼の土へは参るべきなり。急ぎ参りたき心の無き者を、殊に憐れみ給うなり。 これに付けてこそ、いよいよ大悲大願は頼もしく、往生は決定(けつじょう)と存じ候らえ。踊躍歓喜の心も有り、急ぎ浄土へも参りたく候らわんには、煩悩の無きやらんと、あやしく候らいなましと、云々。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1443  2015.03.01
神も仏もあるものか!?

私たちは、災難、事故、或は社会生活で不遇な目に遭った時、愚痴や怒りの言葉として、「神も仏もあるものか!」と、叫びたくなることがあります。実際、思わず叫ぶこともあります。しかし、或る先生が申されました。 「神も仏もあるから、罰が当たるんだよ」と。

仏法を説かれる先生ですから、何と云う事を言われるのかと思いました。
でも、よくよく考えますと、そんな風に思うのは、私が神様や仏様を誤解しているからでした。「神様も仏様も、人間を救ってくれる存在のはずだ」と誤解しているからでした。 でももしそうだったら、津波や土砂災害で、多くの命を一瞬にして奪い取られないはずではないかと考えてしまいます。神様仏様が居ても、縁に依って悪いことも起きるし、良いことも縁に依って起きるのではないかとも考えてしまいます。

しかし、よくよく考えて見ますと、「私たちが神様仏様を誤解している訳では無い」と云うのが親鸞仏法の考え方であり、教えだと思うのです。
「誤解しているのは神様仏様を、ではなくて、この自分自身を大きく誤解しているのだ」、「この(大事な)私を神様や仏様が罰するはずが無いと誤解しているのだ」と親鸞仏法は教えているのだと私は思います。

そして、仏様の光りに照らされて「罰が当たって当然の私である」と自然と頭が下がり、罰を罰と受け取れた瞬間に、不運、不遇、不幸が罰では無くなり、社会生活、家庭生活、経済生活で起きる全ての事を受け入れる心が芽生え、そして、 人生を積極的に生きる人間に生まれ変わるのだと考えたいです。勿論、それでも、生身の私は罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫、煩悩具足の凡夫であり続けますが、念仏を称えると共に、仏様との縁は切れることが無いと思われます。

仏法は、上述のように頭で捻くり廻すものであってはならないと私は教えられて参りましたが、未だ「罰が当たって当然の私である」と自然に頭が下がるには至っていない私ですので、ご批判を覚悟し、敢えて理屈を付けてみました。 私と致しましては、親鸞仏法を受け取る上での一つの参考にして頂ければ真に幸いであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1442  2015.02.25
祖聖(親鸞聖人)を讃仰する

●無相庵のまえがき
人類で初めて『縁起』と云う真理に気付かれたのは釈尊でありますが、『私たち人間の一人一人が救われ、そして人類が救われる』道として、大乗仏教経典『大無量寿経』の第十八願の但し書き『唯除』にスポットを当てられたのが、 親鸞聖人だと思うのであります。そして、その親鸞聖人の偉業を現代文にして讃仰されたのが、米沢英雄先生であります。
その親鸞聖人の実像を私たちに分かり易く描かれたのが、前回のコラムでご紹介した讃仰詩『その人』、そしてその詩と〝対(つい)〟の如くに感じますのが、今回ご紹介する『祖聖よ』で始まる讃仰の書であります。 なお、その書は米沢英雄著作集の中では「一人いて」と云う表題になっています事を申し添えます。 長い文章になりましたが・・・。

●米沢英雄先生の親鸞聖人讃仰文『祖聖よ!』
祖聖よ!あなたの未見の弟子である(或は弟子と勝手にうぬぼれている)私が、あなたを師と仰ぐようになってから、すでに数年の月日が流れました。
しかもあなたに対する憬仰(けいこう;偉大なものを敬い慕う)の念は年とともに深まり、日と共に新たであります。
今年も、宗祖のご命日を迎えるにあたって、しばらく宗祖と私とのつながりについて考えてみたいと存じます。

                                                                (1)

 思えば、祖聖は一面私と共通点をもっておられ、また一面、私の全然もち合わせておらぬものを持っておられます。私と共通点を持っておられるからこそ、私はあなたに無限の親しみを感じます。 また私に全くないものをもっておられるからこそ、私はあなたを師と仰ぎ、教えを乞うことが出来るのです。

私との<共通点>それは共に罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫である、ということであります。また私と全く<異なるところ>は、あなたが常に本願をお喜びになっていたことであります。
私は自分の好みから申して、『御伝鈔(ごでんしょう)』というものを好きませぬ。 余人が宗祖を讃め上げようとして書かれた伝記よりも、私自身は、祖聖が自ら筆をとって書かれた自叙伝に心惹かれます。 しかしその自叙伝たるや、たった二行でその生涯の歴史を尽くし、世界中でこんなに短い、しかも完璧な自叙伝なるものを人類はかつて知らぬのであります。

それは『(教行信証)信巻』に書かれた告白、
『誠に知んぬ、悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して』という文字であります。これは単に宗祖の生涯を言い尽くしているのみでない。
私の、またおよそ人間としてこの世に存在しているもののすべてが、この文字より外に出ることは出来ぬでしょう。言うならば、これは宗祖の自伝であると共に、人類そのものの自伝でありましょう。

 しかも、宗祖はこれに続けて、
  『定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近付くことを快(たのし)まず、恥ずべし傷むべし矣』
と、記しておられます。ここが私と違うところであります。私は愛欲の広海に楽しみ戯れております。前後の考えもなく、名利の大山を追及しております。身のほどを知らぬ野望に燃えて。時あって愛欲に飽きます。 名利の追及に疲れます。そして自己嫌悪に陥ります。虚無的になります。私には光はありません。そして世を呪います。

 要するに、「これが自分の思う通りを貫きたいという身のほど知らずから、人生に対する無知からきている」ということにながく気付きませんでした。 「自己嫌悪とは、とりもなおさず最大の自我に根をもち、驕慢心の裏返しである」ことに気付きませんでした。世の中が暗いのでない。私自身を知ることに暗かったのです。私を甘やかしていたのです。 <恥ずべし傷むべし>というような懺悔は、およそ私の口をついて出ることのなかった言葉であります。幼児が母親からものの言い方を習うように、私は祖聖によって、初めて人間らしい言葉を習いました。 恥ずべし傷むべし――この言葉が私の言葉となって私の口から出た時の驚きよ!思えば、この時私は初めて真の人間として誕生したのでありました。肉体の命は父母が私に与えてくれたものでありましょう。 しかし、それに人間の精神を・・・魂を吹き込んで下さったのは、祖聖よ!誠にあなたでありました。

あなたを通して私に顕現した<本願の力>でありました。
もしあなたにお会い出来ず、本願に遇い得なかったなら・・・私は慄然(りつぜん;恐ろしさで身のふるえるさま)としてその後を想像し続ける勇気を持ちませぬ。

「我は命なり、光なり」と、海の彼方の神聖なる人は自ら宣言しました。かく自らは宣言せられぬ宗祖こそ、私にとって<命>であり<光>でありました。遠くはまた、阿弥陀仏の本願こそ私の〝いのち〟であり、 光でありますが・・・それを私と皮膚の色を同じくした人が、私の民族の言葉で伝えて下さらなかったならば、私の如き不完全な触覚しか持たぬ者がどうして、本願を自ら探ねあてたり出来ましょうか。

あなたは、私に「汝(なんじ)斯(か)くなせ!」とは教えておられませぬ。唯「我は斯く為したり」と語っておられるのみです。「汝斯く信ぜよ!」とは命じておられませぬ。 「我は斯く信ずるのみ」と申しておられます。何という自信!しかもなんという謙虚!それこそ愚鈍にして不遜な私をも駆(か)って、本願の許(もと)にひれ伏せしめる力であります。

思えば、気候に恵まれて耕せば食事に事欠かぬために、楽天の気質が養成され、浅薄な現実謳歌者に堕し、単純に現実を肯定し、およそ思想というものに縁遠くささやかな目前の享楽に生きてきたわが民族にとって、「否定精神」を内包する仏教は、 誠に異質なものでありました。

仏教渡来当時の血塗られた歴史は、一面この異質性によるのかもしれません。しかし、この否定精神こそは人間形成の上に欠くことの出来ぬものであります。
それがこの国土に根を下ろすためには、この国の民族性に迎合した種々の変形(デフォルマシオン)を必要としました。それは低俗性か高踏化かのいずれかであります。 そのために、一面、仏教は全土に拡まりましたが、一面、甚だ不純粋不明朗なものとなりました。或は、人間に真の人間の道を教えるはずの仏法が、その使命である普遍教育を断念して街頭を去り、研究室に退陣して特殊階級の遺産となってしまいました。

これが一般大衆に開放されて、十方衆生に人間完成――成仏の確信と方法をあたえるためには、あなたとあなたの先師の出現を待たねばなりませんでした。
この師弟の美しい協力によって、「本願念仏の道」は、従来のともすれば神秘的であった色彩をかなぐり捨てて、人間の世界に永劫不滅の姿を確立しました。しかも、これを全人類が確認するのは、なお今後に残された問題となっております。

                                                                (2)

祖聖の生涯をかけられたお仕事は、およそ『信』と呼ばれるものを厳密に鑑定(めきき)して、真なるものと偽なるものとを、はっきりと判定されたことではなかったでしょうか。
あなたの仏智のごとく明るい批判の眼に、あらゆる人間的な確信はみるみる崩壊して、唯一つ「如来廻向の信」が美しくとり出されたのでありました。
如来廻向の信のみが、この世のあらゆる汚濁を排撃せずしてこれを包み、しかもこれに妥協せず更にこれを転ぜしめて徳たらしめる力の根源であります。

この粟散片州(ぞくさんへんしゅう;あわ粒を散らしたような小国。インド・中国などの大国に対し、日本をいう)の錬金術師が、初めて瓦礫を変じて金となす道を大無量寿経の中から抽出して来られたのであります。 しかもその術は密室の中においてではなく、白日の下にさらけ出され、己の専売特許とせず、一般大衆の手に公開せられました。
眼あるものは見よ!耳あるものは聴け!といつも私たちの前におかれています。

「本願念仏のいわれ」を聞き、極重悪人として私が否定されることによって、その刹那から思いもよらぬ、自我を超えた広大無礙の世界――浄土が開け、その中に私が摂取されるという願生浄土の明るい力強い生活が、 私達のものとして許されるようになりました。
現生不退(げんじょうふたい)とは、いたずらに過去を慕わず未来を憧れず、泰然として只今の生活に全力をあげることでありましょう。 これは根強い自我の否定なくしては得られぬ生活であり、この根強い自我を断ち切るのは、それよりも鞏固(きょうこ;人が勇気を持って逆境に耐えることのできる精神的な強さ)な本願念仏の力しかないのであります。 これによって、私たちは、古代の祖先が生きた<脆(もろ)くはかない単純な肯定の世界>でもなく、中世の祖先が生きた<死後に光明を待ちもうける暗い否定の世界>でもなく、 自己の全否定によって<如来の全肯定の世界―――光明世界>に身を以て生きることが出来るのです。

                                                                (3)

私は数ならぬ身と存じますが、家族にかしずかれ、隣人に援けられ、全世界全宇宙に支えられて生きているのでありました。私の重さは、今や全宇宙全歴史の重さと匹敵するのであります。 「天上天下唯我独尊」と釈尊が絶叫されたのも、もっともであります。数ならぬ身も今こそ、自重自愛致さねばなりませぬ。
秋のようやく深まらんとする一夜、「あなたが先師の恩厚に感激のあまり、悲喜の涙を抑えて書き綴られ」という遺著を拝読致しますと、それは一見四角な文字で埋められた寄り付き難い表情でありますが、拝読していくほどに、 その文字から滲み出て私の魂を静かに洗うていくものは、あなたの血であり涙であります。その紙背(しはい;奥に隠されている意味)から叫び出る魂のうめきに、鈍感な私の魂もいつか微かながら、共鳴し始めるのを感じます。
「たとい三千大千世界を失うとも、この一書には代えられじ」と、私もまた私なりに悲喜の涙を止めかねるのであります。この愚かな私にも注がれている祖聖の温かい慈愛のまなざしを感じ、なおしばらく、この世に業をさらすことをお許し下さい。

●無相庵のあとがき
私も、いずれは米沢英雄先生への讃仰文を書き表したいと思っています。そして、米沢先生のご著書を、私よりも40年~50年若いジェネレーションが読んで理解出来る言葉と表現にしたいと考えています。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1441  2015.02.22
親鸞聖人、その人から受け継いだもの

●無相庵のまえがき
米沢英雄先生とお出遇いしましたのは昭和61年12月1日の垂水見真会に『何故仏法を聞くのか』と云うご講演にお越し頂いた時でございます。 母が未だ存命しており、私は41歳でサラリーマンとして忙しくしていた時期でございます。約30年前ですが、ご講演の内容を全く思い出す事が出来ません。 その時は中間管理職時代で、サラリーマンとして最も苦しい立場で、名聞・利養・勝他(みょうもん・りよう・しょうた;名聞は虚栄心。人によく思われたい、人から悪く思われたくない、そういう思いが中心になっているのが名聞。 利養は打算、算盤(そろばん)勘定をして損をしたくないというのが利養。勝他は競争心)の世界にどっぷり浸っていた時代であります。それこそ、「何故仏法を聞くのか」が分かっていない、また、考えてもいない頃のことであります。

ご講演の後、福井に帰られる米沢英雄先生を兵庫県の須磨と明石の間にあるJR垂水駅まで母とお見送りに行きまして、電車に乗られ座席に座られて、私と母に手を振られている笑顔の先生のお姿は今も目に浮かびます。 母は、その7ヶ月後に亡くなりましたが、もし存命していれば、初対面ながら旧知の間柄のように意気投合していた米沢英雄先生には何回もご出講頂いていたことは間違いなく、私も何回もお会い出来たと思いますが、 ご縁に恵まれないまま、その後の約20年を空しく過ごしてしまいました。

そして、約10年前、偶々インターネットで知り合った、福井のお寺の坊守様からお貸出し頂いたのが、『米沢英雄著作集』全10巻の中の5冊でした。これまで接したことの無い親鸞仏法の説かれ方に刺激を覚えた事でした。 でも、その時は未だ、本当の米沢英雄先生には出遇えてはいなかったと振返っております。本当の米沢先生にお出遇い出来たと思うようになるには、少し日にちを要します。

「自分は未だ仏法に依って救われていない、長年仏法に親しみ、聴聞もし勉強もして来たけれど、自分自身が救われたと云う実感出来なければ、人々に仏法を発信する資格は無い。これでは駄目だ」 と、自分の心の奥底の現実・事実が照らし出され始めましたのは、昨年の11月4日の無相庵コラム1417の冒頭でご紹介した、 沖縄の志慶眞小児科医の『こころの時代』を視聴してからでございます。

それから、「親鸞仏法を推奨する無相庵の私こそが、親鸞仏法に依って本当の意味で救われたと思えるまで、親鸞仏法を一から学び直そう、聴き直そう!」と決心しました。 そして先ずは親鸞聖人のお師匠法然上人が帰依された善導大師の二河白道の勉強から始めることと致しました。 そして、二河白道の教えの中の白道を突き進む旅人になるには、数年前に著作集を読んで刺激を受けた米沢英雄先生の真実信心を学ぶ必要があると考え、今年に入ってからでしたが、第一巻から読み直し始めました。 しかし、前に一度読んでいますのに、初めて読むような感覚でした。米沢先生が「本を読むと云うことは自分を読むと云うことだ」と言われていたようですが、未だ今も第一巻を卒業出来ないで居るのですが、 今回、米沢英雄先生の信心の本当の内容に出遇えるのではないかと思い始めているのが、正直なところです。

これから、2回に亘りまして、米沢英雄先生が親鸞聖人に感謝され讃嘆される2篇の詩をご紹介させて頂きます。
それらの詩を読ませて頂く限り、先生は、私が未だ小学生の高学年の頃(昭和30年)、御年(おんとし)45、6歳の頃には、既に親鸞聖人と同じご信心を獲られていた事が窺えます。 米沢先生は親鸞聖人から本願他力の念仏仏法の松明(たいまつ)を受け取られ、次のジェネレーションに手渡す役割を自覚され、詩を以て宣言されていますが、私も遅ればせながら、米沢英雄先生からその松明を受け取る一人になるべく脇目も振らず励みます。

●米沢英雄先生の『その人』と云う詩
第一巻のまえがきに『米沢英雄著作集』の出版に際して気持ちを述べられているので、それを転載させて頂きます。
「柏樹社から私の著作集を出したいという申し出があった時、驚くと共に逡巡した。 出版洪水の現今に私如きものの著作に存在価値があるだろうかという疑問と、今一つは著作といっても自身ペンをとって書いたものは数えるほどしかなく、殆どが講演の筆録であるからであった。柏樹社が大変熱心で、私が押し切られた形になった。 以後ずっと私の方が受け身である。
以上は出版事情を述べたものであって、内容については、私自身の考えを述べたので、私が責任を持たねばならない。内容は殆どが宗教、殊に仏法、その中でも浄土真宗(私の場合は仏教の宗派ではなくて、 親鸞の人間観、人生観)であるが、それも現代の視覚から、しかも経験乏しく思索も浅い私のやぶにらみ故、正鵠(せいこく)を射ているかどうかについては自信はもてない。 けれども私としてはこうとより信じようがない。それを述べているわけである。」

                                        その人

               その人が亡くなってから 七百年になるという
               だがその面影は昨日の様に鮮かだ
               その人の苦悩の克服
               又苦悩を超え得た歓びは短い言葉に結晶した
               その言葉は その人よりももっと昔から
               悠久な時の中を生きつづけて来たのだという

               その人は演説しなかった その人は怒号しなかった
               その人は激昂しなかった
               いつもしずかに自分自身に言いきかせていた

               その人は大げさなジェスチャーをしなかった
               人類のためにつかわされたとは言わなかった
               人類の身代わりになるとも言わなかった
               自分一人の始末がつきかねるといつもひとり歎いていた

               その人は子供を喜ばすプレゼントをもって来なかった
               みんなに倖せを約束しなかった
               只古臭い言葉に
               新しい命を裏打して遺して行っただけだった

               その人の悲しみを救うたものこそ
               その人の遺して行った言葉こそ
               人類のすべてがやがて仰がねばならぬものではなかったか

               その人の生涯ははじめから不幸だった
               幼くして両親に死に別れ
               唯一人の師と頼んだ人にも生き別れ
               家をなしたのも束の間
               一家は離散し 諸国を放浪し
               この世の片隅に一人しずかに生きて
               魚の餌食になりたいというて死んで行った

               その人の小さな内省的な眼 あれが自己の中に巣喰うて
               遂に離れぬエゴイズムをしばらくも見逃さずみつめつづけた眼だ
               之が生涯この人を泣かしめた
               又その故に本願を仰がしめた
               世間的には不幸な生涯であったが
               その支えとなった本願と
               本願の生きた証明者であるその師に遇い得たことを
               最勝の喜びとしてやすらかに往生したという

               その人の御名の語られるところ
               そこには今もしずかな歓びがあふれ 涅槃に似たやすらぎがある
               その人はその後 幾多の魂の中に転生した

               之からもどれだけの魂に宿り
               その悩めるものを勇気づけ
               真実の喜びを与えて行くことであろう
               噫、あなたこそ無量寿であり無量光ではないか
               あなたによって真実に眼を開かれた私は
               本願の松明をリレーする走者となって
               命の限り走りつづけて 自らを照らすと共に
               次のジェネレーションに確かに手渡さねばならぬと今改めて思う

●無相庵のあとがき
私はこれまで『本願』は、宇宙に遍満する働きに備わってるものだと考えて参りました。仏様と一体に在るものと頭で理解していました。 しかし今では『本願』は、私がこの世に生れ付いた時から私の心の底(無意識層)に在ると考えるようになりました。そして、その『本願』は、私の祖父から母へ、そして私に、遺伝的に連綿と伝えられたと考えています。 『本願』は、仏様そのものであり、仏様も私の心の奥底に既に宿って居られるとも思っております。
ここまで、書いて参りまして、気付かされたことがございます。 それは、私は今尚、否、あのサラリーマン時代よりも名聞・利養・勝他(みょうもん・りよう・しょうた)の世界を離れることが出来ていません。むしろ、生き甲斐にしているような日常生活を送っている自分ではないか、と云うことです。 そして、そう気付かしめられたのも、正に本願力に依るものであることは、また間違いのないことでありましょう。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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