No.1500  2015.09.17
生甲斐と仏教―本願真実―(2)

●無相庵のはしがき
    今朝(9月16日水曜日)久し振りに井上善右衛門先生のお声をご法話テープで聞きました。ご著書を読み返しながら懐かしく思い、お声を聴きたくなったからでした。 テープは、昭和59年12月15日の垂水見真会の講演会での『恩師の想い出』と云う、井上善右衛門先生が恩師として敬愛されて居られた白井成允(しらいしげのぶ)先生の想い出を語られたものです。 一生涯、真実を求め続けられた恩師と全くご同様に、真実に生きられた先生の懐かしいお声に改めて感動し、私も現実生活の中に於いても、真実に生きねばならないと云う思いを新たにすることが出来ました。
最近、会社の仕事で、色々な企業との関わり合いがありました。ビジネスの世界で真実に(正直に、本音で)生きることは何かと難しい面があり、心苦しくなっていましたが、 やはり、真実を大切に求めて行こうと、吹っ切れたように感じています(そう言いながら、またしても迷うと云う繰り返しをして参ったのが、私なのですが・・・)。

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
    本願の生起本末(しょうきほんまつ;仏が衆生救済の願をおこされた由来と、その願を成就して現に我々を救済しつつあること)を聞くとき、その悲心(ひしん;衆生の苦を哀れみ、救いたいと思う切なる心)の旨を承って、 我々は先ず煩悩にさ迷う己が心に気付かしめられる。自らのさ迷いに気付かしめられるものは、決して安然と己がさ迷いの闇に腰を据えていることは出来ないであろう。 それが本願に促されるということであり、己が心の働きとなって本願が作用する所以である。 そのさ迷いの渦中(かちゅう;もめ事などの中心)にある己れが、まさしく如来の大悲心を領受する正機(しょうき;仏が救う目当て)として誓われていることに目覚める時、 どうして感激せずにおられようか。
    一切衆生を摂取する本願が予めあって、それに自分が当てはまるというのではない。
如何ともなし難い堕獄必定(だごくひつじょう)の自分のために発起された本願と知らしめられる。それが値遇(ちぐう)である。「親鸞一人がためなりけり」という叫びとなって現れている。 その時汚泥の中に蓮華を見るような勿体なき不思議に、慚愧と勇躍の心が自然ときざすであろう。
    ここには最早や、我成しえりというような心は起こるにも起こしようがない。 『涅槃経』に阿闍世が、その開かれた目覚めの不思議を仰いで、「我が心の無根の信」と嘆じているのがそれであろう。無根にして、しかも成就される信の目覚めはこれを他力と仰ぐ外はない。 他力とは本願力に値遇したものの告白である。されば祖聖は「他力とは如来の本願力なり」とのたもうている。 従って他力は、本願力に値遇する信体験の場を離れて語られるべきものではないであろう。

    本願力の信心を卑屈な奴隷信仰と評する人があるが、それは仏法というものを知らぬ言葉である。信心とは本願に隷属する人となることではない。 『聞書(ききがき;蓮如上人の)』に、「南無阿弥陀仏の主になるなり」といわれてあるごとく、南無阿弥陀仏という絶対力に生きる人となることである。 神の支配に従う信仰と、無量寿無量光に生きる信心とを混同してはならない。

    本願においては、機に目覚めることと法に目覚めることとが常に一つである。機を知らしめつつ法に近づけ、法を仰がしめて機に目覚めしめるものである。 機には目覚めて法に値遇するのを信心という。 それはあたかも瞳と瞳が刹那に触れ合うに喩えられよう。たとえ本願の文字を知っていても、瞳と瞳の触れ合わぬのは値遇ではない。出会いながらも空しくすれ違うて行き過ぎるに等しいのである。

●無相庵のあとがき
井上先生は。『値遇(ちぐう)』と云う言葉を能く使われました。〝値〟は、〝直〟の意味を有し、〝まっすぐ〟とか〝直接〟とかの意味がありますので、先生は「瞳と瞳の触れ合わぬのは値遇ではない」と、 仰っています。しかも、奇跡的だけれども必然としての出会いと云うニュアンスを持たされているように思われます。また、それが『本願』なのだと云う想いを抱かれていたが故に、次の表現があると思います。
『さて本願というのは、天地宇宙の真実心が我々の無明の心をそのままにしておくことが出来ないところから現れ起こったものである。しかし本願は一方通行的な働きとして作用するのではない。 我々の心に新しい目覚めを促し、真実なるものに向かわしめる働きとして顕われる。言い換えると我々の能動的な心を通して作用する。』

「心にも無いことを言う」と云う表現がありますが、人間と云うのは、心の中には嘘が無いと思います。心の中には本願の真実が宿っているのだと思います。 しかし、真実が表に顕れることが極めて少ないのが、現実の人間社会ではないかと考えます。だから、人類は間違った方向に進み、争いが絶えないのかも知れません。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1499  2015.09.10
生甲斐と仏教―本願真実―(1)

●無相庵のはしがき
    「他力本願では駄目だ」と云う言葉を聞かれたことがお有りだと思います。
1999年から2012年まで東京都知事を務めていた石原慎太郎氏が頻繁に使われた言葉でもあります。私は、石原氏が著名作家であり、日本で有数の有識者だけに、 文句の一つも言いたい気持ちを持ち、浄土真宗の関係者が、石原氏に誤用撤回を申し入れるべきだとも思っていました。
井上善右衛門先生も、今日のコラムの中で、大新聞の誤用を咎められる気持ちを吐露されています。 しかし、そこは井上先生らしく、言葉も間接的で柔らかく、且つ、その誤用に至った責任は真宗念仏者側にある事を反省しなければならないと顧みられているところが本当に素晴らしいと思いました。

また更に、真宗の教えを説く側に在られるご自身への誡めとして、「学問は決して信心の画を描くものであってはならぬ。それはどこまでも生きた信を追究するものでなければならない。 即ち学問は信体験そのものに〝ことわり〟の光を与えて信心の筋道を明らかにし、それを通して信の道案内となる使命をもっている。」と申されているところに、学者且つ念仏者であられた先生の真摯な姿勢が 現れていて、先生を懐かしむと共に大変嬉しく思ったことであります。

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
    「他力本願」という言葉を大新聞が確定した用語であるかのように、卑しい依頼心の代名詞として用いているのをみると、言い知れぬ不快な情けなさを感じる。 本願という言葉の厳(おごそ)かな宗教的意味に対する余りにも軽率な無知を責めたくもなり、また権威ある新聞が恥を知るべしとも言いたくなるのであるが、しかし新聞用語というものはマスコミの常として、 最も時の社会に効果的に通知しアピールする言葉を用いるものであることも忘れてはならぬ。
    何がこの言葉をして、かくも意気地なき依頼心の代え言葉たらしめたのであろう。それは世の誤解というよりも、最も厳しく真宗念仏者の責任として反省されるべきところである。

    世間は語られる言葉や理屈を聞いているのではなく、直接の生活行動そのものを肌で感じるものである。ここに教義や説明では動かせない直接的な印象が刻み込まれる。 それは誤解であると説明して拭い去られるようなものではない。
おうよそ我々の体験する人間関係というものは、常にそうした仕方をもって互いにそれ自体を告げ知らせている。如何に自己を弁護し説明しようとも、 それは相手の受け取った印象を改めさせるに足るものではない。
因果が刻まれてゆくというのはこのような実態そのものが作用する消すことのできぬ働きなのである。この事を思うとそぞろ恐ろしさを感ぜずにおられない。

    学解【がくげ;学問で理解すること。体解(たいげ;宗教的体験として理解すること)と対照的な言葉です】というものはややもすると、 こうした実態から遊離して脳裏の画餅(がべい;絵にかいた餅、すなわち実際の役に立たないもの。)となる。
世にいわゆる哲学はしばらく措(お)くとして、真宗の学問がこのような画餅となれば、それはただに無力というだけではなく、 教えそのものを冒涜(ぼうとく;神聖なもの、清浄なものをおかし、けがすこと)する悲しい結果ともなるであろう。
    学問は決して信心の画を描くものであってはならぬ。それはどこまでも生きた信を追究するものでなければならない。 即ち学問は信体験そのものに〝ことわり〟の光を与えて信心の筋道を明らかにし、それを通して信の道案内となる使命をもっている。
    さて本願というのは、天地宇宙の真実心が我々の無明の心をそのままにしておくことが出来ないところから現れ起こったものである。 しかし本願は一方通行的な働きとして作用するのではない。我々の心に新しい目覚めを促し、真実なるものに向かわしめる働きとして顕われる。言い換えると我々の能動的な心を通して作用する。 今日の言葉でいえば、主体性を媒介として働くのである。

    依頼心というのは自らは動くことなく、他人の力を期待して欲する結果だけを我が物にしようとするものであるから、 本願真実の働きかけとはまさに天地懸隔(てんちけんかく;違いが非常に激しいこと。天懸地隔とも言う)である。
    もともと安易につく依頼心というものは、個我に執じる利己心から生じるのであって、それは我執の発動する一つの姿であり、 仏教ではこれを懈怠(けたい;善行を修めるのに積極的でない心の状態。精進 (しょうじん) に対していう仏語。)という煩悩におさめている。
    本願はもともとこのような無明煩悩の渦中にある我々を捨ておくことのできぬ悲心の躍動に外ならぬのであるから、その依頼心をこそ気付かせて、その迷いより脱出せしめようとする悲願なのである。 しかるに本願を依頼心の対象にするとは何という悲しい錯誤であろうか。親の涙をよそに、己れの煩悩をつのる業に外ならない。

●無相庵のあとがき
    阿弥陀仏の本願と云うものを、端的に説明された『本願はもともとこのような無明煩悩の渦中にある我々を捨ておくことのできぬ悲心の躍動に外ならぬのであるから、 その依頼心をこそ気付かせて、その迷いより脱出せしめようとする悲願なのである。しかるに本願を依頼心の対象にするとは何という悲しい錯誤であろうか。親の涙をよそに、 己れの煩悩をつのる業に外ならない。』に追加すべきことは何もないと思われます。

それよりも、むしろ、一般の方々には『本願』そのものに疑問があるのではないかと私は思いますが、如何でしょうか。それは、私が〝本願〟に疑念を抱いていた張本人だからであります。
若い頃、『本願』に疑念を抱いていたのは、今から思いますと、科学的思考から、仏さまとか阿弥陀如来は実在しないと思い込んでいましたから、 実在しない阿弥陀如来の『本願』なんて信じられないと思っていたのではないかと考えております。
私が『本願』を感じるようになりましたのは、どの先生のご法話だったかは定かではないのですが、「〝本願〟は〝風〟のようなものだ。〝風〟そのものは私たちの目には見えないが、 木々が揺れているのを見て、〝風〟の存在、実在を知るではないか」とお聞きしました。
それからの何回かの決して小さくは無かった苦難に遭遇し、その時々に、仏法に進むべき道、進むべき方向を教えて貰いながら歩む人生の中で、 自分に働いている『本願』の実在を確信するようになったように思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1498  2015.09.10
生甲斐と仏教―非行非善(2)

●無相庵のはしがき
    今回で、『生甲斐と仏教―非行非善』は終わりまして、次は『生甲斐と仏教―本願真実』になります。『本願』と云う言葉は一般の方々には、なかなか分かり難いと思われますが、 今回と次回の井上善右衛門先生のご法話で、多少、「そういうことなのか」と云うことになりそうに思います。
    私は前回の追記の最後に、「これで、私の心が定まるのかどうか、今は分かりません。しかし、親鸞聖人はじめ、諸先生がご経験された壁と、それを超えられたご経験を思う時、 その時、私にも称えられる「南無阿弥陀仏」「なむあみだぶつ」は、親鸞聖人が隣に居られるような気持ちも味わえ、本当に救われる思いが致しました。」と申しました。
    確かに「なむあみだぶつ」と称えることに抵抗感はほとんど覚え無くなりました。しかし、無碍の一道を歩けるようになった訳ではございません。親鸞聖人が、歎異抄第九章で、唯円坊の「念仏すれど喜べない のですがどうしたことでしょうか?」と云う唯円房の質問に答えられて、「煩悩の所為(しょい;原因)なり」と申されたと有ります。煩悩が無くならない限りは、娑婆世間が苦しくとも浄土を請い願う気持ちは 生じませんが、『心を弘誓の仏地に樹てる』と云う強い意志を持てと云うことでしょうか・・・。

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
    仏法は人間意識に立って事を論じる教えではない。人間の意識に潜む虚構と錯誤に目覚めて、実の世界の本当のあり方に適(かな)わしめる教えである。 それを『歎異抄』には「自然のことわりにあいかなはば・・・」と言われている。
    仏教には西洋の宗教には見出せない三昧・禅定という根本体験が教えの底に宿っている。 『大無量寿経』は釈尊が弥陀三昧(みだざんまい;釈尊が『大無量寿経』を説くときに入られた禅定の境地)の大寂定に入られたところから顕現(けんげん;はっきりと姿が現れること。)した教示である。
三昧といい禅定というのは、心を一境に止めることと簡単に思われているが、それは単に精神を集中し統一するだけのものではない。散乱の波が止まるということは、実如の月が映じるということであり、 それはすなわち自我の殻を脱して大いなるまことの世界に一如たらしめられることなのである。仏法はそこから生まれた教えである。

    我々は人間の意識に固執している。そして本当の世界には背を向けて、勝手な画の中に住んでいる。だから必然に躓(つまづ)きが起る。躓けば傷つき、傷つけば痛む。その因果の必然を避けることは出来ない。 「生は苦なり」と仏陀が告げられたのは、まさにその真実を示さんがためである。
    何故この世にはこんなごたごたが起り、人の集まるところには悶着が生じ、悩み苦しみが絶えないのかと不審に思うたこともあるが、よく考えてみると誰がつくり出したのでもない、 人間が相寄ってこしらえた事柄である。ただそれが自分の所為だとは思えないのが人間で、そのためにいよいよ悩みの嵩(かさ)が増大する。

    『生は苦なり』という言葉は真実である。
その言葉の奥には仏陀のやるせない悲心が揺蕩う(たゆとう;ゆらゆらと揺れ動いて定まらない)ている。 よしなき我執の虜(とりこ)となって、果てしなく「惑」と「業」と「苦」の連鎖の中に沈潜する。その姿をみそなわす悲心が凝り固まって、わが一子の中に降り立つその働きを本願という。

本願の真実に目覚めるということは、如来の大悲に心やすらい、摂取光中の人となることであるが、それがそのまま真実世界の如実の在り方に適わしめられるように仕組まれているのが、本願の念仏である。 念仏が行者のために非行非善であるという自覚は、まさにその消息を語るものといってよい。
ひとえに他力にして自力を離れたる故に、狭隘(きょうあい;こころがせまいこと)な自我の牢獄から脱して、広大なる天地の真実に羽ばたくを得しめられるのである。 それを蓮如上人は「南無阿弥陀仏の主(ぬし)になるなり」と表現されている。

法然上人は「本願の念仏にひとりだちさせて助(すけ)をささぬなり」といわれているが、それが専修念仏(せんじゅねんぶつ;他の行をせず、ただひたすら念仏だけを唱えること。) に帰された上人のありのままの事実だったのである。

日に幾万遍の不断念仏に精進されたのは外に見える上人の姿である。内にあるのは念仏のひとりばたらきを、ほれぼれと仰がれた上人の信の躍動である。
『歎異抄』の第七章には「念仏者は無碍の一道なり」という雄大無比な言葉がある。つづく第八章には「行者のためには非行非善なり」という他力真実の自覚が語られている。 この両章は一体の表裏であることは歴然としている。
第八章を大地として、第七章の大用(たいよう;大きな効用・効果。)が現前する。ここに仏法の何たるかが仰がれる。

●歎異抄第九章原文
    「念仏申し候えども、踊躍歓喜の心おろそかに候こと、また急ぎ浄土へ参りたき心の候わぬは、いかにと候べきことにて候やらん」と申しいれて候いしかば、
「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房、同じ心にてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどに喜ぶべきことを喜ばぬにて、いよいよ往生は一定と思いたまうべきなり。
喜ぶべき心を抑えて喜ばせざるは、煩悩の所為なり。
しかるに仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときの我らがためなりけりと知られて、いよいよ頼もしく覚ゆるなり。
また浄土へ急ぎ参りたき心のなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんと心細く覚ゆることも、煩悩の所為なり。
久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土は恋しからず候こと、まことによくよく煩悩の興盛に候にこそ。
名残惜しく思えども、娑婆の縁つきて力なくして終わるときに、かの土へは参るべきなり。急ぎ参りたき心なき者を、ことに憐れみたまうなり。
これにつけてこそ、いよいよ大悲大願は頼もしく、往生は決定と存じ候え。
踊躍歓喜の心もあり、急ぎ浄土へも参りたく候わんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候いなまし」と云々。

●無相庵のあとがき
    私は、私のこれから先の事は総て縁に依って起こる事を頭では知っております。今の私は、これまでの人生70年の一つ一つの出来事の積み重ね、
否、私が生れる以前の人類の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史の総決算が、今の私に現れていることも、頭では分っています。
そして、総て受動的立場ではなく、自分の行為・発言が先々の縁に影響を及ぼす可能性があることも分かっています。 色々と分かっている積りでありますが、でも、将来不安を完全に取り除くことは出来ません。
そこで、現在の私の落ち着きどころは、「親鸞聖人でさえ、85歳を過ぎて尚、煩悩と対峙され、「煩悩の所為なり」とご自分を頷かれて、念仏と共に乗り越えてゆかれたのであるから、 私も、その親鸞聖人の歩まれた道を辿るべく、現在、自分が出来る精一杯の役割を果たして後は、それこそ、将来の事は縁に任せて、「南無阿弥陀仏」と称えるしかないのだ。」と云うものであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1497  2015.09.07
生甲斐と仏教―非行非善(1)【追記編集有り】

●無相庵のはしがき
    今回の井上先生のご法話は、私たちが念仏を称える身となるのは、沢山の法話を聞いて、仏法の知識を学び取る努力だけで実るものではないことを語られたものであります。
私は、私の祖父も母も常念仏の人でしたので、何とか自然に念仏を称えられるようになりたいと思っておりました。しかし、空念仏も、自力の念仏にも抵抗感がありました。 何とか、無意識のうちに人前でも自然に念仏が称えられるようになりたいと考えて参りましたが、なかなか実現しないまま、今日に至っております。
    しかし最近ですが、そんな頑(かたく)なな自分こそ、救いがたい人間だ、自我意識の塊だと思わされる色々な出来事に遭い、今日の井上先生のご法話がすうーと心に入りまして、 心を込めて念仏を称えられそうな気が致しました。そして、ごく最近までは、一日に何万回もの念仏を称えられたと云う法然上人とその浄土宗には抵抗感を覚えておりましたが、その抵抗感は、 次回法話の末尾にある井上先生の法然上人のお話しをお聞きしてからは、すっかり無くなりました。

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
    『歎異抄(第八章)』に、「念仏は行者のために非行・非善なり」と言い、重ねて「ひとえに他力にして自力をはなれたるゆへに、行者のためには非行・非善なり」と述べられている。
我々の自我意識には、何事も自分が行い自分が造るものと決めているのであるが、そうした自己中心の意識が本当の真実に〝かなう(かのう)〟た思いであるかどうか十分に振り返ってみる必要がある。
地球が静止して天体が動いていると思われるが、外から眺めた姿と、内に起こっている事実とは決して同じなのではない。

    写経の大家、北垣元康氏から次のような述懐(じゅっかい)を聞いたことがある。
朝まだき(あさまだき;夜の明けきらないころ。早朝。)に起きて身を清め、富士山の霊水で金粉をねり、静寂の部屋に端座して写経に沈潜(ちんせん;深く没頭すること)してゆくと、
自分が筆を執(と)って書いているという意識は影を没し、仏の国から一字一字が眼前に光を放って出現したもうという事実感にひたってゆく。それはハッキリとした実感で、決して幻想的な感情ではない。
否、自分が書いているという普段の意識こそが一種の影法師のようなものに過ぎなかったと反照(はんしょう;ある物事の影響が具体的な形で他のものの上に現れること。)されてくる・・・と。
外から眺めたときと、内側の事実とには大きな違いがある。外から眺めるのは姿形である。そのものの真実は内に入ってみるのでなければわからない。

    我々は人間の意識に映るところで何事をも判断しようとする。その人間の意識は自他を二つに分けて、都合のよいことは自に、都合の悪いことは他に帰しようとする。 自己の手柄になることはすべて自分の力に帰せずにはおられない。自我意識というものは、そうした性質のものである。それが如実相に〝かなう〟た意識でないことは言うまでもない。
俺が俺がという自己中心の意識が、何時しか世界までもその意識の色に塗り変えてしまっていることがある。
「俺が眠る」と平気で言う。如何にも姿はそうかも知れぬ。しかし本当に自分が眠るなら、我が力で眠れるはずである。ところが眠ろうとすればするほど眠れないのは、誰しも経験するところである。 自分の力で眠るのでなく、眠りが自分に訪れる。内側の事実はまさにそう言うより外ない。

    我々は「自分が生きている」と確信して疑わないが、実は、「生かされている」という自覚により深い真実があるのではないか。

●歎異抄第八章原文
     念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。
ひとへに他力にして、自力をはなれたるゆへに、行者のためには非行・非善なり、と。云々。

●歎異抄第八章白井成允師の現代訳
    念仏は念仏申す人にとりて非行であり非善である。自分のはからいで修める行ではないから非行という、自分のはからいでつくる善ではないから非善という。
ただ仏の力であって自分の力をはなれたものであるから、念仏申す人にとりては非行非善であると云々。

●無相庵のあとがき
    人間、一人きりの山奥で自然相手に暮らすのは、とても淋しいことだと思います。
しかし一方で、自然は事実そのもの、真実そのものであり、嘘を吐き合ったり、騙したり騙されたりがありませんので、心は実に平安・平和・平穏そのものではないかと想像したりすることがあります。
もしそこに、別の人ひとり(友達、兄弟、夫婦、親子に限らず)と暮らすことになれば、多分様相は一変してしまうのだろうと思います。
    そう思うとき、私の暮らす娑婆世間は、多種多様な人間大勢の集まりですから、心が落ち着くはずが無いではないかとも思いました。
西川玄苔先生が、「出家は易行、在家は難行。」と逆説的に仰っておられました。でも、出家も、二人以上集まって修行する僧堂ならばきっと、易行ではなくなるのではないかと思います。

    今日の非行非善は、他力本願の念仏のことを説いているご法話ではありますが、常に錯誤、思い違いをしている罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫の私の姿に思い至らねばなりません。
しかし、それは努力に依って為し得ることではないと云う意味でも、非行非善なのだと思います。井上善右衛門先生は、自己の内面の底にデンと構える自我意識の真実を気付かしめ、 その自我意識の殻から脱出させようとする働き(他力、仏様の悲心)によってはじめて、念仏を称える身にさせて頂き、そして念仏者として、無碍の一道を歩むことになるのは、自然の理ではないかと仰るのです。 続きの『生甲斐と仏教―非行非善(2)』をお読み頂きたい思います。

●追記
    私は、無相庵コラムを更新してから、ウォーキングしたりしながら、コラム内容を思い返して、あれやこれやと考えます。そして、追加すべきことは無いかとも考えます。
今日は、朝八時頃に更新し、それから、日課となっている、妻と買い物がてらのウォーキング(約4300歩)をしながら、「非行非善故に無碍の一道」と云う言葉を考えていました。
そして、「常に、先々を心配(今は、どうしても、将来の経済的破綻等の事態に至らぬ様に、あれこれと対策を練ってしまいますから・・・)する私が、 何も妨げが無い無碍の一道を歩む生活が出来るなんてことは、私には到底出来そうもないではないか。それでは、親鸞仏法では救われないことになってしまう・・・そんなはずはない・・・」と。そして次に、 井上善右衛門先生、白井成允先生、西川玄苔師、米沢英雄先生の事を思い浮かべ、そして、最後は親鸞聖人の晩年のご心境も思い浮かべ、どのようにして、無碍の一道を歩むようになられたのだろうか・・・」と考えました。
そして、白井成允先生の『召喚の声』と云う詩を思い浮かべ、そして、その詩の元になっていると思われる、 親鸞聖人が遺された『心を弘誓の仏地に樹て念を難思の法海に流す』と云う言葉で、 「そうか」と思ったところです。
親鸞聖人も、白井成允先生も、この娑婆世間は、難度海(渡るのが難しい海)だと認識されていたのだと思いました。そして、色々と頭、或いは心に去来する総ては、煩悩から湧き起る真実には程遠い、 ゴミのようなもの(念)だとして、海に流し、いずれは往(ゆ)く、弥陀の本願で立てられたお浄土を心に念(おも)い続けて行くのだと心を決められたのだと思いました。
自分の力を頼りにしている限り、浄土を信じる事は出来ません。浄土を信じられない自分とは何かと云う壁に突き当たれば、救い様の無い自己に出遇うのではないかと思った次第で、 そう考えたところを追記させて頂きました。
これで、私の心が定まるのかどうか、今は分かりません。しかし、親鸞聖人はじめ、諸先生がご経験された壁と、それを超えられたご経験を思う時、 その時、私にも称えられる「南無阿弥陀仏」「なむあみだぶつ」は、親鸞聖人が隣に居られるような気持ちも味わえ、本当に救われる思いが致しました。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1496  2015.09.03
生甲斐と仏教ー目的の世界

●無相庵のはしがき
     今日の井上善右衛門先生のご法話の結論と言えますのは、最後から2番目の文節にあるのではないかと考えます。つまり、私たち人間は目的なく生きることは出来ないと思いますが、 その『目的』と云うものに付いて井上善右衛門先生は、
     『目的は不滅の活動の源泉となるものでなくてはならぬと思う。目的に限られた終点があるならば、そこに達したとき活動は停止して無目的の闇が現れよう。 それはわびしいことにちがいない。身体と共なる目的は、たとえそれが欲望の追及でないとしても一生で終わらざるを得ない。死の前に一切の目的は停止する。 「浪速のことは夢のまた夢」と詠んだ秀吉の辞世には深い哀感がただようている。人間を真に生かす目的は永遠に通うものでなければならぬ。永遠は不滅の目的となって顕現する。 それこそ「究極の目的」の名に値するものである。』と仰っています。
     つまりは、名誉やお金を追いかけることは、私たちの究極の目的、生甲斐や生まれ甲斐にはならないと云うことだと思います。
昨日でしたか、オリンピックで、誰も為し得ていない、柔道で3年連続金メダルに輝いた野村忠弘選手は、引退記者会見の席上、「後悔はない」と言われてましたけれど、満足感は無さそうでした。 普通、オリンピックの一大会で金メダルを取ることを目標にするのが、一流アスリート達の常だと思いますが、多分、金メダルを何個取っても、満足出来ないと云うことでしょうか。
では、不滅の目的とは?

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
     「希望なき人間は生ける屍(しかばね)である」という言葉があるように、人間は希望なくしては生きられない。医師が患者に希望を失わすような言葉を語らぬのもそのためである。 希望を持つというのは、ただ現在を生きているというだけでなく、目的をもって生きることであり、その目的が現在を導くところに希望が生れる。 目的を失い希望が破滅して最早や未来に何の期待を持つことができなくなると、人間は生きておれなくなって自殺もする。我々は平素、意識していないことも多いが、 いかに人間の生と目的が深い関係に結ばれているかが反省される。目的を頂点とする世界の中に生き、目的活動から離れられないのが人間である。価値と目的とは表裏して生じ、 その価値は目的への希望が人間の生を独特な豊かさをもって包む。そして人間はここに生甲斐を感じ、生きる意味とよろこびを発見するのである。

     ではこのような目的の世界は何によって見出されるであろうか。我々は科学的知性というものをもっている。この知性を人間能力の中核として育てようとしているのが、現代教育の特徴といってよいが、 この理論的な知性で眺めると、世界はただ機械的な必然の因果関係で構成されているものとして受け取られる。そして人間もまたその一部と考えられる外はない。 ここでは目的という世界は全く見出すによしないものになってしまう。自然科学的認識が唯一の真理だとするならば、人間も、畢竟(ひっきょう;結局)、 そうした無目的で没価値な存在になって生きたらよさそうであるが、到底そのような生き方が人間に出来るものではない。そこでは人間尊重ということも根拠をもたぬものとなってしまう。

     我々は目的が人間の欲望によって成り立つように考えることがある。近頃、「人生を楽しむ」という言葉が流行しているが、その奥にはそうした目的観が潜んでいるといってよい。 かつては、人間を「考える動物」と言い、あるいは「工作するのが人間」の本性であるといった人間観が語られたが、この頃は「楽しむ人間」というように、 遊んで生を享楽することを人間の生甲斐とする見方が生じている。人間はもとより身体をもって生きているのであるから、当然その身体にもとづく欲求があり、 その欲求を正当に満たして人生を楽しむということは、間違ったことではない。生活を楽しむのは、結構ではあるが、それが人間の生きる究極の目的であり、 生きる総てであるかどうかは深く反省すべき重大な問題である。

     目的は現在を指導して生に方向を与え、目的関係の統一をわが住む世界に確立し、その目的に一致する活動に価値と意味とを自覚せしめるものでなければならぬ。 ところが諸要求を満たして楽しむという事は、身体が快(かい;こころよさ)を感覚することではあるが、人間の目的にかかわることではない。欲求の満足は生の維持や保存に関係するものではあっても、 生を導く意味を持つものではない。丁度、車をどれほど快適に工夫してみても、それで車の進む方向が見出されないのと同様である。 生を楽しむことが人生の目的だと考えるのは、単なる欲求の満足と生の目的とを混同したものである。生を楽しむことが人生の目的だと考えるのは、単なる欲求の満足と生の目的とを混同したものである。 欲求の満足を追うて生きる人は、たとえそれを満足しても、それだけでよいとは思われぬものがきっと残る。 それは何故か、目的は真の価値と意義とを知らしめるものでなければならぬからである。快はたしかに好ましいものではあるが、人間の存在を意義づける働きをもってはおらぬ。 快を価値というのは、欲望の経験だけをもつものがそれを価値だと仮託したまでである。価値とはそんなものではない。その証拠に、快適でありたいと欲求はするが、 その欲するところを満たしてみても、それが一体何になるという無意味感が残る。満たした底に満たされない空虚感が現れる。 無意味を克服することができぬのは、真に価値の世界を見出しておらぬからである。まことの目的を見出したとき、始めて心は充実感に満たされる。この充実感こそ価値の自覚でなければならない。

     さらに大切なことは、目的は不滅の活動の源泉となるものでなくてはならぬと思う。目的に限られた終点があるならば、そこに達したとき活動は停止して無目的の闇が現れよう。 それはわびしいことにちがいない。身体と共なる目的は、たとえそれが欲望の追及でないとしても一生で終わらざるを得ない。死の前に一切の目的は停止する。 「浪速のことは夢のまた夢」と詠んだ秀吉の辞世には深い哀感がただようている。人間を真に生かす目的は永遠に通うものでなければならぬ。永遠は不滅の目的となって顕現する。 それこそ「究極の目的」の名に値するものである。

     究極の目的が胸の中に開かれると、爾余(じよ;その他)一切の目的は甦(よみがえ)る。そしてわが住む世界の全体に不滅の統一と活動とが生じる。 個々の目的に支えられて深い光を宿すものとなるからである。
そのような目的は決して有限な身体性の中に見出されはしない。それは永遠より来る喚び声を、しかとその胸にいだきしめておられることが感じられる。 そのいのちを託される浄土とは果てしない活動が現成している世界であり、それは終結する所ではなく、往還二廻向(おうげん・にえこう)の無限活動が始まる処である。 祖聖が「慶哉(よろこばしきかな)」と叫ばれたのは、人間が究極の目的を知らしめられた歓喜の声であろう。

●無相庵のあとがき
     井上善右衛門先生が、ご法話の最後に、『祖聖が「慶哉(よろこばしきかな)」と叫ばれたのは、人間が究極の目的を知らしめられた歓喜の声であろう。』と申されています。 親鸞聖人と同じく、「慶哉(よろこばしきかな)」と言える瞬間が目的を達成した時だと思います。では、親鸞聖人は、何を慶ばれたのでしょうか。
親鸞聖人が『教行信証』の後序で、「慶ばしいかな、心を弘誓(ぐぜい)の仏地に樹(た)て、念(おもい)を難思の法海に流す。深く如来の衿哀(こうあい;衿は憐。衆生を哀れみ、情けをかけること)を知りて、 まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜(きょうき)いよいよ至り、至孝(しこう;この上もない孝行)いよいよ重し。」と書かれているそうです。

     他力本願の教えと、その教えを体現された法然上人を含むお釈迦さまにまで遡る七高僧にも出遇えたことを慶ばれたのではないかと思います。

仏法に出遇った私たちに取りましては、生甲斐、生まれ甲斐を仏法に求め得たことを何よりの慶びと思えた時、親鸞聖人と同じく、 「慶哉(よろこばしきかな)」と叫ぶことが出来るのではないでしょうか。
     それでは、仏法に出遇えないと、「慶哉(よろこばしきかな)」とは叫べないかと言えば、それは私には何とも申せません。勝負を超越出来た名人ならではの、 「慶哉(よろこばしきかな)」と叫べる心境があるのではないかと想像しております。ただ、その場合にも、超えるに越えられない善き師の存在が不可欠ではないでしょうか・・・・。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1495  2015.08.31
先週の無相庵(私)

先週は、重要な外注先の社長(68歳)の急逝に伴う告別式出席、同い年の親友のこれまた急逝に伴うお通夜出席(告別式は、社会保険事務所の抜き打ち調査対応のために欠席)と悲しくも忙しい日程でした。 同じ位の歳のお二人の急逝は、昨年脳内出血を起こし、その後には、脳梗塞を起こし易い心房細動と云う心筋に問題がある病かも知れないと診断されている私には、かなりショックなことでした。
それに加えまして、先週の初めに、売り上げの半分を占める商品で品質異常(クレーム)の連絡を受けまして、頭脳の大半はその対応に大童(おおわらわ)でもあり、心身共に参りました。。

クレームの件は、今日からが正念場です。
クレームと言いますのは、相手と或る品質に付いて契約した範囲を外れた品物を納品し、お客さんに見付けられた時に生じるものです。それはあってはならないことですが、起こり得ることなのです。
東洋ゴムの地震発生時に建物が壊れない為に使用する免震ゴムで、大クレーム問題になったことは記憶に新しいです。 そのケースは、社内で品質異常を把握しながら、品質合格品として納品設置し、しかも、出荷検査のデーターを手直ししていたのですから、悪質です。 悪質ですが、納期に追われた場合には、品質に誇りの無い企業ならやりかねないことです。

その他、クレームには色々なケースがありますが、今回の私の会社で起きた件は、品質契約に規定されていない品質項目で、客先から品質異常として品物が返品された例です。 お客様が、品質に満足されていない訳でありますから、契約外の事として強くは主張出来ない、なかなか難しい対応が要求されます。 それだけに、難しいクレームだと考えています。これから、その対応が再開となります。 クレームは、次の注文が無くなることになる、会社にとって命取りの問題であり、実に正念場です。

一方、私の経営する会社は、製品が売れませんと、経営者の給与が取れませんので、新しい製品を開発して、古い製品の注文がなくなっても最低でも穴埋めが出来るようにしておく必要があります。 会社も存続させ、我が家も存続させるためには、どうしても、新しい製品の開発や、特許技術を供与して、ロイヤリティーを支払ってくれるお客さんを増やさなければなりません。
しかし、そう簡単なことでは有りません。

安倍首相の専売特許のアベノミクスは、資産家とか、輸出で稼ぐ大企業が恩恵を被るのでしょうが、ちょっとした技術力だけで生きる我が社のような小さい会社は客先となる企業自体が厳しい状況ですから、 我が社も、我が家も相変わらず状況は厳しいものがあります。

そもそも、この日本の厳しい状況は、後進国の低賃金を求めて、先進国の企業が工場を後進国に移すことが原因で起きています。 先進国の国民の働き口が無くなっている故に起きている先進国の労働者の悲劇なのです。国民の大部分を占めるサラリーマンやサラリーマン相手の小売業にとりましては、決して、他人事では有りません。 政治も企業も、お金のことだけしか考えていません。今のままでは、先進国の老人世帯は地獄必定です。 自分の事として、この対策を考えねばなりません。それが、他の人のヒントになればとも思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1494  2015.08.27
生甲斐と仏教ー理想と現実

●無相庵のはしがき
     更新処理に不手際がありまして、戸惑いをお与えすることをお許し願います。
     さて、『国破れてマッカーサー』の序文のご紹介を取り合えず、完了と致しました。そして翌日に、直ぐさま、井上善右衛門先生のご法話をご紹介致しますのは如何かと思われるかも知れません。
前のコラムの追記として申し上げておりますが、井上善右衛門先生のご法話をご紹介することは決めておりました。そして、 井上先生の数あるご法話の中に、今の日本、或いは今の世界、今の人類の状況に関して触れられているご法話はないものかと思いながら、偶々見付けたのが、今日の『理想と現実』と云うお題の法話なのです。

     この法話内容、畏れ多いことですが、我が意を得たりと、嬉しく思いました。私はコラム1492の〝無相庵のあとがき〟に、下記のように述べました。
     『アメリカのマインドコントロールから脱け出すには、アメリカを悪者にしている限りは脱け出せないと考えている。
今の日本に成り下がった原因を外に求めている限りはマインドコントロールから脱け出せないと考える。マインドコントロールから脱け出す唯一の方策は、此処に至った原因が、、国民一人一人の不明(至ら無さ)にある事に気付くことだ。
そして、宗教の歴史に学ぶべきと言ったのは、本来人類に幸せを齎すのが宗教であるべきはずが、宗教の違いが戦争を齎して来た歴史があるし、同じ宗教でも宗派間の争いが今なお続いているからである(今の人類の宗教は間違っていると・・・)。
本来の宗教とはどうあるべきかを宗教の歴史教育の中で教える必要があると、私は考えているのである。』と。

     私が申し上げたい事を、井上善右衛門先生は、理論的に格調高く説いて下さっているのが、今日のご法話『理想と現実』なのであります。
人類の『理想』とするところは、全世界の国々が例外なく『平和』になることです。しかし、その『平和』とは、単に戦争が無い状態を言うのではなく、世界のどの国の人も例外なく格差無く、心穏やかに日常生活を楽しめる状況こそを『平和』と言うのです。 従って、『平和』は、決して、皆がお金持ちになることではございません。
このようなことを井上先生が具体的表現で申されている訳ではありません。そう仰りたいのではないかと、私が受け取ったということでございます(読者の皆様が、「私はこう受け取った」と云うことを、メールでお教え頂ければ誠に幸いです)。

●井上善右衛門先生のご著書『生甲斐と仏教』からの抜粋引用
 我々は現実の中で生きなければならぬ。しかも一方、理想の声を聞かずにはおられない。そこに人間というものがある。理想へのつながりを断って、現実に没入して生きることが出来るなら、我々の生活は楽であろう。
しかしそこには最早や、人間として生きるに値する生き方は消滅する。生甲斐なき生に堪え得ないのもまた人間である。

     現実とは何であろう。それはいま我が足で立っているこの地上のありのままの姿である。そこには煩悩が狂い、我執が渦巻く。そこで共同の生活を営まねばならぬのが人間である。
理想とは何であろうか。我々の求めずにおられないより人間らしい生き方である。その望む生き方と、現実の事実とが厳しく矛盾し衝突する。ここに避けられない人間の悩みがある。
理想に生きて現実の自己を捨て得るかというに、それが捨てられない。現実に生きて理想を放棄するかというに、自己を裏切るさびしさが身に迫るのである。 結局どちらともつかぬ中で、ほどほどの誤魔化しをして生きているのが我々の偽らぬ姿のようである。
しかしそこに言い知れぬ人間の心もとなさとわびしさとがある。

     理想は捨てられない。しかしその理想が如何に現実と触れ合い、現実を導くかは大きな問題である。それは理想の生れて来る母体と深い関係をもっている。

     人間はまず人間独特の理性に目ざめる。そしてその理性を通じて理想の光が生れ、それが命令となって、身を導く。ところがその導きは厳しい断言的な指示であって、それに背くものは拒否し、反するものは排撃して、一切を従わしめようとする。
かかる理想に目覚めるとき、現実との間に激しい闘いが起こることは必定である。何故なら一方の現実は容易にこの理想に従うような素直さを持っていないからである。 人類の遥かなる古(いにしえ)から現実界を生み出して、働き続けてきた惰性は底力をもっている。その闘いは必ずや惨憺たる様相を呈するであろう。
理性の命法(めいほう;意欲を強制し行為を命令する命題)は、どこまでも自己を主張し、現実を敵視してやまない。かかる理想に生きる人々が自己の内と外とにわたって、「闘い続ける精神」を道徳的人間の本質として挙げるのは尤もなことと思われる。

     しかしこの「闘い続ける」というのは決して克ち(自己に勝つ)続けることではない。それは滑る山に登るようなもので、敗れることがあるからこそ闘いを繰返すのである。もし退くことのない両虎が激突するならどうであろう。
この自己は理想と現実とによって引き裂かれるより外にはなかろう。そのような悲惨な出来事が、時として人間の上に起こることがある。しかしそれは闘争の破局である。そこには最早やまことの統一と調和は消え失せている。

     理想と現実とは衝突という以外に触れ合う道をもたぬのであろうか。我々は現実に罪を帰すのであるが、問題はそこにのみあるのではない。
正しさを主張して相手を責めたてることが相手の心を硬化させ、遂に抜きさしならぬ争いとなって、自他共に傷つくことがある。正義をもって自任していても、そこになお未熟さが生じないであろうか。
人間の心というものは、物理関係のように初めから決まったものではない。こちらの動きによって相手の動きが決まってくる。現実の人間関係は常に未決定の動態である。
その底に執拗な煩悩が動いていることを自他共に気づかないのである。

     煩悩が硬化するにも理由がある。貝殻をつつけばいよいよその口を鎖(とざ)すように、自分に対立してこれを排撃する力に逢うと、煩悩は決して後退しない。
対人関係においてこの事実を見るし、自心の内面にもこの事実を感じる。
理性の命ずる理想の中にも、何かこうした対立をかき立てるような要素が伏在してはいないであろうか。理性の中にも姿を変えた我執が残存しておらぬとはいえぬ。
こうした対立的な状態をそのまま保存して、さらに理想を磨いてゆくと、「汝の敵を愛せよ」という立場に到達するであろう。しかしそこには敵がある。敵あれば憎しみがあり、憎しみがあればこそ、これを愛すべしという犠牲的な命法が下される。 それはいかにも高い道徳的精神であるが、その本質は対立性を越えてはいない。闘い続ける精神の姿が如実にそこには現れている。
自己を離れて道に生きることは大切であるが、純粋に道に心を捧げているのか、我知らず道において「我」を主張しているのか、それは問題である。この関門を正当に乗り越えなければならない。

     人間たらんとして努力しつつ、煩悩の果(はて)ない深さと、理性の越えられぬ限界にゆき当たって、さ迷わざるをえぬこの己れに、奇(く)しくも新しい生命が光を投げかける。 生きとし生けるもの総てを包む大いなる光が、煩悩と理性とにさまようわが心を確(し)かと抱いて捨てぬ。そこには最早や敵視と排撃はない。ただ悲心の涙と慈育の摂取とがある。
理性は歓喜してこの光に座を譲る。ここに今までとは異なった母体から輝き出る理想が身を包む。この理想は煩悩と激突するような触れ合いをしない。しかしそれは決して煩悩と妥協するのでもない。 煩悩の深い必然を知って、これをあわれみ、かなしみ、はぐくむのである。如何程煩悩が狂うても、反抗しても、この光はたじろがない。
どこどこまでもこれを追い、これにつき添って離れぬこと、一子(いっし)をあわれむ親心のごとくであるから、この心を一子地(いっしぢ)とも名づけられている。

     人類の歴史を今、苦悩せしめているものは何であろう。今日、歴史を導こうとしている精神の奥になにが宿っているであろうか。我々はまことの理想の生まれでる真実の心源と母体をこそ求めねばならぬ。
現実の一切をいだき育(はぐく)む大いなる天地のまことの大調和と統一を歴史の上に実現せしめてこそ、人類は救われるのではないか。
一個の人間としての自己を救うことは、そのまま世界史に対する我々一人一人の使命を果たすことでもある。

●無相庵のあとがき
     「人間たらんとして努力しつつ、煩悩の果(はて)ない深さと、理性の越えられぬ限界にゆき当たって、さ迷わざるをえぬこの己れに、奇(く)しくも新しい生命が光を投げかける。」から、
末尾の「一個の人間としての自己を救うことは、そのまま世界史に対する我々一人一人の使命を果たすことでもある。」は、井上先生のご見解ですが、難解ではないでしょうか? 具体的にどうすれば、奇(く)しくも新しい生命が光を投げかけてくれるのか?また、どうすれば、一個の人間としての自己を救うことになるのか?
     私も井上先生にお聞きしたいですが、無相庵読者の皆様に於かれましても、ご同様ではないでしょうか。
今ではお聞きすることは出来ないのですが、私の想像ではありますが、「自分の心の中にある理想と現実を実際に、真剣に闘わせ続ければ、必然として、新しい生命が光を投げかけるのではないでしょうか?」と仰るのではないかと。
     先生は、よく、蜜柑(みかん)の実体・事実を知るのに、重さや色、大きさだけでは掴んだことにはならない。口に入れて、味わうことをして始めて、蜜柑とは何かが分かるのだと云う説明をされていました。
現実とは何か、理想とは何か、これを突き詰めてゆきますと、縁と云うことに行き当るでしょう。そして、人間と云うものの実体を知ることになりましょう。現実の中の自分、理想を思い描いている自分とは何かと云う問いかけも出てくることでしょう。 最後は、「自己とは何か?」と云う根本問題に直面することになります。そこまで、考え抜いた時、自己の限界を知るのではないかと思います。その時、親鸞仏法的には、「他力に大きく包まれている自分」に目覚めるのではないかと。
     井上先生が、法話の中で仰せの「何故なら一方の現実は容易にこの理想に従うような素直さを持っていないからである。人類の遥かなる古(いにしえ)から現実界を生み出して、働き続けてきた惰性は底力をもっている。」が印象深いです。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1493  2015.08.26
『国破れてマッカーサー』(西鋭夫著、中央公論社版)序文紹介-(完)

●無相庵のはしがき
     今、私は、半藤一利(はんどう・かずとし)氏の『十二月八日と八月五日』と云う、太平洋戦争開始(真珠湾攻撃)前後と終戦前後の時、日本国民がどのように受け止め、発言し行動したのかを書いた著書を読んでいるところである。
『国破れてマッカーサー』の本文は、今は妻が読み出したところ。彼女の現時点での率直な感想は、「こんなん(無知)で、よくもアメリカと戦争したなと思うわ」である。当時のアメリカの生資料では、日本の考えていることは、ほぼお見通しだったようだ。
私も、『十二月八日と八月五日』に書かれている、真珠湾攻撃を知らされた1941(昭和16)年の12月8日の日本人の大方の反応(歓喜と興奮に湧いた)を初めて知り、「やはり、日本国民自体が何も知らなかったし、知ろうともしていなかったんだな」と、国とは怖い組織だと思った。
今の中国、そして北朝鮮も強いリーダーと、もの言わぬ国民との関係が見て取れる。犠牲になるのは、何も知らない、知らされていない国民である。他国事ではない、日本も五十歩百歩だと思っている。

     今回で、一先ず、『国破れてマッカーサー』の紹介を一休みしようと思う。そして、
私が『十二月八日と八月五日』も『国破れてマッカーサー』も読みながら、あるいは読み終えて、この事実だけは、国民は知っておくべきだったと云う内容があれば、ご紹介することもあるかも知れない。と云うことにしたい。

●『国破れてマッカーサー』の序文(はじめに)-(完)
     原稿を書き上げるのには丸3年かかった。英文で900頁近くかかった。タイプライターで書いた。当時、使いやすいワープロは、まだ普及していなかった。マッキントッシュも、発明されていなかった。

この原稿はハナ博士、それから、名前は挙げないが、プリンストン大学の日本研究で著名な教授、スタンフォード大学教授、エール大学教授、フーバー研究所主任研究教授、そしてマイヤーズ博士によって同時に読まれた。全員一致で「出版」が決定した。
この方式を「レフリー・システム」という。第三者の判断を仰ぎ、原稿に出版する価値があるかないかを決定する客観的な制度だ。これはアメリカの学会では当然のことであり、全ての学術論文の判定にもこの方式が使用される。

     スタンフォード大学フーバー研究所出版から出た本のタイトルはUncoditional Democracy。
     日本の「無条件降伏(uncoditional surrender)」と「民主主義」とをかけたもので、「有無を言わさず民主主義化された」という強い皮肉を含んだタイトル。アメリカでは、このタイトルだけで有名になった本だ。
この本は、アメリカで公開された生の機密文書を使って書かれた最初の本である。出版されたのは、1982(昭和57)年。2004年3月に、フーバー研究所からペーパーバック版が刊行された。
     22年も経過して、再版されたのは理由がある。アメリカのアフガン戦争と占領、イラク戦争と占領が大混乱に陥り、無政府状態が続いている。 大成功をおさめた「日本占領」をもう一度詳しく吟味すれば、アフガンとイラク占領に役立つものがあるのであろう、と期待をたくして、この本が再度出版されたのである。

     私が翻訳したのではないが、大手町ブックスから『マッカーサーの犯罪』として、1983年に出版されたのはこの本だ。その直後から、日本からもアメリカからも、学者たちから電話や手紙がたくさんあった。 占領関係の資料についての「教えを請う」ものだった。
『国破れてマッカーサー』はUncoditional Democracyと『マッカーサーの犯罪』を基に、戦後日本の原点、「占領」という悲劇をさらに明らかにしようと、私自身が全面的に書き改めたものである。

     私がアメリカの生資料に重点を置くのは、アメリカが敗戦日本を独占し、好きなように操ったからだ。事実、占領中、日本での公用語は英語だった。 すなわち、日本政府の全文書、マスコミの全印刷物、NHKの全放送内容は英訳され、マッカーサーの司令部(GHQ)の判断を仰がねばならなかった。日本の政治家の発言、演説もすべて英訳された。日本中が検閲された。 日本の政治家の誰それが、マッカーサーの日本壊滅戦略に奮戦抵抗した、と近年言われているが、マッカーサーは日本人の抵抗を「負け犬の遠吠え」としてしか聞いていなかった。

     アメリカが「占領劇」の主役だ。
アメリカが「戦後日本」の生みの親。
「日本占領」と「戦後」には同じ血が流れている。「占領」から脱皮しなければ、日本の成長はない。「アメリカ」から脱皮しなければ、日本は「国」にはなれない。アメリカの「文化力」に抵抗しなければ、日本文化は消滅する。

     しかし、『国破れてマッカーサー』は、アメリカの悪口を言ったり、非難をした本ではない。「占領政策」がどのようなものであったかを、アメリカ政府の極秘資料を使い、赤裸々に記述したものである。

     戦勝国アメリカの肩を持たない。
     敗戦国日本の弁護もしない。

日本の読者が聞きたくも、見たくもないことが書かれているかもしれないが、事実の追及がこの本の「魂」だ。

     これから続く章では、なるへく私見を挟むことを避け、「占領」の真の姿を忠実に記述するため、歴史的に重要な生資料だけで、「話」を進めてゆくように努力した。 資料に存在しない架空の「会話」や「舞台」を作成するようなことはしない。 『国破れてマッカーサー』は、小説ではなく、書き替えることのできない現実の記録である。

●無相庵のあとがき
     西鋭夫の『国破れてマッカーサー』を非常に興味深く読んで来た。知らないことばかりだった。私が無知なのかも知れないが、読んで良かったと、紹介してくれた方に感謝している。
ただ、私は、西氏とは会ったことも無いし、人となりを全く知らない。だから、西氏の書いている内容すべてを正しいとは思っていない。しかし、全部が全部、売名目的の作り話であるはずが無いとも考えている。
信仰もそうなのだが、否定することは案外簡単だ。しかし、信じることはなかなか容易な事ではない。私は親鸞聖人には勿論会っていないが、私が信頼する井上善右衛門先生が親鸞聖人を信頼し、教えを信じているから、疑いなく、その教えを信じている。 また、親鸞聖人に親しみさえ感じている。
そんな関係が成り立つのは、稀有なことだと思う。稀有な事を成立させてくれた総ての縁に感謝することだと思う。

情報が正しいか偽りかは別にして、当たり前のことではあるが、無相庵読者夫々個人の持っている知識、想像力、経験から、新たに接した情報の内容ごとの取捨選択も含めて、自分の知識に加えるかどうかを判断して頂きたいと思う。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

追記
かなりコラム更新のタイミングが変則になりましたが、木曜コラムとして、井上善右衛門先生の『理想と現実』と云う法話を更新致します。
戦争に纏わるテーマを取り上げますと、何処か心騒がしくなってしまいます。そこで、井上善右衛門先生の落ち着いた、静かなご法話を味わいたいと思いました。 ご法話『理想と現実』は、人類が直面している平和を願っているにも関わらず世界の彼方此方で、戦争やテロとか、いわゆる争いが絶えません。 そう云う現実を憂え、理想とは程遠い現実の矛盾を解決する人類だから成しえるヒントを、井上善右衛門先生の至られた親鸞聖人、遠くは釈尊の一如の世界に想いをはせたいと思い、明日の木曜コラムを緊急更新致します。


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No.1492  2015.08.26
『国破れてマッカーサー』の序文紹介-(3)

●無相庵のはしがき
     『国破れてマッカーサー』の序文(はじめに)紹介は、次回で終わる予定である。
さて、『国破れてマッカーサー』の紹介を序文だけに止めてよいものかどうか・・・。しかし、本文を紹介するとなると、14頁の序文に対して本文は517頁だから、何もかも約37倍も掛かる。
とても、無理だと思う・・・しかし、日本国民なら知っておくべき内容が本文には満載されている。

     西鋭夫氏が、本文に付いて、この序文(はじめに)の末尾で、次のように書かれており、日本人が太平洋戦争前後の歴史の真実を知るためには、アメリカの機密生資料に基づく本文を欠かせないとも思う。
     『これから続く章では、なるべく私見を挟むことを避け、「占領」の真の姿を忠実に記述するため、歴史的に重要な生資料だけで、「話」を進めてゆくように努力した。
資料に存在しない架空の「会話」や「舞台」を作成するようなことはしない。
「国破れてマッカーサー」は、小説ではなく、書き替えることのできない現実の記録である。』

     本文紹介をどうしたものか、もう少し考えてみたい。

●『国破れてマッカーサー』の序文(はじめに)-(3)
     この本を書くようになった経緯について一言。
東京オリンピックの年、1964(昭和39)年の初夏、私はアメリカの西海岸、ワシントン州シアトルにあるワシントン大学の大学院へ留学した。運賃の安い船便で渡米した。
在学中、「日米外交史・第二次世界大戦」のゼミを取り、「太平洋戦争」について初めて詳しく学んだ。
日本の学校教育では、アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)になると「1931年、満州事変」「1941年、真珠湾攻撃」「1945年、広島・長崎の原爆」しか教えない。日本の「悪行」と「原爆の非人道的悲劇」だけを強調する。
歴史は、勝った国から見ると、こうまで違うのかと驚いた。
アメリカ国民は原爆投下に関して、罪悪感を持っていない。アメリカ人が少しでも「反省」をしてくれれば、日本が受けた悲惨が癒されるのではないかと我々日本人は望んでいるだけだ。アメリカは「原爆で勝った」と信じている。

     日本の「真珠湾攻撃」を、日本の「汚い、邪悪の性格」を象徴するものだと、アメリカ国民は今でも12月8日になると、「Remenber Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)」と唱える。学校教育でもそう教えているからだ。

     今日の日本に決定的な影響を与え、運命を決めたアジア・太平洋戦争について、日本人の私がアメリカで初めて学んだということは、文部科学省と日教組に牛耳られている日本の学校教育が、いかに祖国の歴史を軽蔑し、無視しているかを曝け出したようなものだ。 その祖国の歴史、「日本史」さえも必修でなく、大学受験の都合で選択科目にしている学校教育は、「亡国」という凶事への前兆か。

     博士論文は日米関係のどの時代について書こうかと漠然と考えていた時、『ニューズウィーク』誌(1974年末?)の小さな記事が目についた。「1945年度のアメリカ政府の機密文書を公開する」と書いてあった。 アメリカ政府は極秘文書を30年後に全面公開する。30年間で時効となる。これも、アメリカが偉大な国であるという証(あかし)の一つではなかろうか(日本には時効はない。 極秘文書は永遠に極秘だ。注;外交文書に付いては、アメリカに倣ったようですが・・・)。
「1945年は昭和20年。アメリカの日本占領が始まった年だ。日本人の知らないことが隠されているのではないだろうか。アメリカ政府の本音が解るのではないだろうか」と思った。
 一週間後、ワシントン大学大学院の研究助成金を受け、ワシントンDCに飛び、National Archives(アメリカ国立公文書館)へ直行した。ここには、アメリカ独立宣言の原文があり、ここにアメリカ政府の重要文書のすべてが保管してある。 公文書館の建物は惚れ惚れするほど見事。これはアメリカの国力か、富の深さか。いや、歴史を大切にする心意気であろう。

     「国務省(Depertment of State 日本の外務省にあたる)の1945年度のファィルを見たい」と申し出た。すると、礼儀正しい、度の強いメガネをかけた係員の一人が、 私を地下の迷路に連れて行き、四方に頑丈な金網の張ってある小さな部屋に案内してくれた。金網は濃い緑に塗ってあった。「しばらく待っていてください」と言う。
この部屋には灰色の金属製の長方形テーブルが一台、鉄製の椅子が一脚。床はコンクリートで灰色に塗ってあった。身の引き締まる思いがした。15分ほどして、この係員が手押し車に灰色の箱を20ほど積み、ゆっくりと部屋に入って来た。 「はいって来た」と言っても、外からも内からも、係員の動作も私も丸見えだ。「あと数十箱ありますから、これらが済み次第お知らせください」と言って、係員は部屋を出た。

      これらの箱の上には、うっすらと埃(ほこり)が積もっており、それに指紋がついていない。どの箱にもついていない。箱は両手を使わねば開けられないもので、20年間たった後、機密文書の扉を開けるのは私が初めてかと、興奮した。 あの感情の高ぶりは、生き埋めにされている日本の歴史に対する畏敬の念だったのだろうか。存在していたことも知られていなかった貴重な生資料が、次から次へと出てきた。それらを複写し、大学へ持って帰り、博士論文(1966年)を書き上げた。

     その論文が、スタンフォード大学内にある世界的に有名なシンクタンク、フーバー研究所のラモン・マイヤーズ博士の目に止まった。マイヤーズは毎年素晴らしい学術専門書を続々と出版する怪物。「フーバーに来て、本を書くか」と誘われた。
誘われる前から、ぜひ一度でよいから行ってみたいと思っていた研究所だ。フーバー研究所で働きながら、日本占領についてさらに調査の枠を広げ、トルーマン大統領図書館(ミズリー州インディペンデンス)、 マッカーサー記念図書館(バージニア州ノーフォーク)で数々の新しい貴重な資料を発掘した。これらの図書館には、日本人研究者が今まで訪れたことがなかったので、歓迎された。トルーマン図書館財団から研究奨励金を受けた。

     「日本占領」は、当時(1970年代)「ポピュラーな研究題材」ではなかった。占領について書かれた本もなく、ある本といえば、占領に参加したアメリカ役人及び軍人が、個人的な回顧録として、「マッカーサーの日本占領」を美化しながら書いたものだ。
フーバー研究所の、アメリカで著名な教育学者のポール・ハナ博士を紹介され、親しくなった。ハナが「ここフーバーの公文書館にトレイナー文書があるが、誰も使っていないんだ。なぜかなあ」と私に尋ねられた。 灯台下(とうだいもと)暗しとはこのことだ。誰も使っていないのは、誰も知らなかったからだ。
ジョセフ・トレイナーは、日本占領中、マッカーサーの本部(GHQ)で、日本の教育改革に携わった男だ。彼は教育改革に関し、アメリカ側と日本政府側の膨大な量の文書を集めて保管していた。「トレイナー文書」は「宝庫」だ。 アメリカの占領政策が戦後日本の「姿」を形作った。そのアメリカ製「日本」を永久化しようとしたアメリカは、日本の学校教育および教育哲学に目を付け、大改革をした。それ故、「トレイナー文書」は、重大な「発見」だった。

●無相庵のあとがき
     西鋭夫氏は、『国破れてマッカーサー』の「はじめに」に対する「おわりに」で、現在の憲法を制定した時 (1946年〝昭和21年〟)、「自己防衛のための武力を禁止した憲法第9条で日本は闘う意思を捨てた」と言う。
そして、闘う意思を捨てたのは、「平和主義ではなくて、敗北主義だ」と断じている。
だとすると、あれから、日本は自衛隊を組織し、今、憲法解釈を変更し、前提条件付きではあるが、集団的自衛権をも行使可能としたい安倍政権を〝是〟とすると言うのだろうか。

     西鋭夫氏はまた、現在も日本はアメリカのマインドコントロールから脱け出ていないと言う。
しかし、マインドコントロールから脱け出るのは簡単なことではないのだ。あのオウム真理教の信者達に、私たちはその難しさを感じたではないか?
     西氏が、日本がマインドコントロールから脱け出て、誇りを取り戻すための具体的な方策として何を提案するのかを、今は分からないが、私はマインドコントロールから脱け出すには、 アメリカを悪者にしている限りは脱け出せないと考える。今の日本に成り下がった原因を外に求めている限りはマインドコントロールから脱け出せないと考える。

     マインドコントロールから脱け出す唯一の方策は、此処に至った原因が、、国民一人一人の不明(至ら無さ)にあると気付くことだ。
そのためには、アメリカの大教育改革に対抗した、日本独自の教育改革を始める必要がある。その中心はなんと言っても歴史教育だと思う。 そして、その中では特に、人類に今日の不幸を齎したのが宗教とお金第一の社会の歴史に有ることを学ばせることだと思うのである。

     宗教の歴史に学ぶべきと言ったのは、本来人類に幸せを齎すのが宗教であるべきはずが、宗教の違いが戦争を齎して来た歴史があるし、同じ宗教でも宗派間の争いが今なお続いているからである。 即ち、本来の宗教とはどうあるべきかを宗教の歴史教育の中で教える必要があると、私は考えているのである。
     が、しかし、このことに関しても、まだもう少し考えてみたいと思う。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1491  2015.08.24
『国破れてマッカーサー』(西鋭夫著、中央公論社版)序文紹介-(2)

●無相庵のはしがき
     西鋭夫氏は、「アメリカの〝マインドコントロール〟は天才的だ」と今日抜粋引用した文中で言っている。日本が、我々日本人が、アメリカのマインドコントロールにかかっていると言っているのである。 通常、「マインドコントロールに掛かっている者は、自分がマインドコントロールに掛かっている事に気が付かない。それがマインドコントロールだ」と、よく言われる。だから、西鋭夫氏の見解は、現代日本人にはなかなか受け容れられないかも知れない。
     一体、どういう方法でマインドコントロールを受けたのか、それは、次回の抜粋引用内容で、明らかになるが、マッカーサーに依る日本占領が始まった1945年からの教育改革が大きい役割を担っていると西氏は、 1945年の『トレイナー文書』と云うアメリカ政府が保管していた秘密文書を調べて、そのカラクリが分かったと言うのである。
     『トレイナー文書』とは、アメリカが日本占領中、マッカーサーの本部(GHQ)で、日本の教育改革に携わった「ジョセフ・トレイナー」と云うスタッフが、教育改革に関し、 アメリカ側と日本政府側の膨大な量の文書を集めて保管していたものだ。それが、西氏のアメリカ留学中の1975年(終戦後30年後)に、たまたまアメリカの秘密文書公開ルール(秘密文書は全て30年後には公開する)に従って、 公開され、西氏が読むことが出来たのである。西氏に言わせれば、「トレイナー文書」は、『日本が如何にして壊れたかを知る「宝庫」』なのだそうだ。

●『国破れてマッカーサー』の序文(はじめに)-(2)
 アメリカは自国の国益を護るため、自国の安定を確保するため、あの勇猛日本、あの「神風特攻隊」を生み出す日本、国のために玉砕する日本人を二度と見たくなかった。 我々日本人から「命をかけても護らなければならないもの」を抹殺しなければ、いつまた日本が息を吹き返し、強い国になり、太平洋で、アジアで、アメリカの進出を邪魔するかもしれない、アメリカに報復するかもしれないと恐れていた。

     日本の文化から、日本の歴史から、日本人の意識から、「魂」を抜き去り、アメリカが「安全である」と吟味したものだけを、学校教育で徹底させるべし。 マッカーサー元帥の命令一声で、日本教育が大改革をさせられたのは、アメリカの国防と繁栄という最も重要な国益があったからだ。

アメリカが恐れ戦(おのの)いた「日本人の愛国心」を殺すために陰謀作成された「洗脳」を日本は今でさえ「平和教育」と呼び、亡国教育に現(うつつ)を抜かしている。
     1946(昭和21)年の春、アメリカから教育使節団が来て、日本の学校教育を二週間ほど見学し、日本の生徒には「日本語は難しすぎる」と判断し、「日本語をローマ字にせよ」と迫った。 50年後の1997(平成9)年、文部省は小学1年生から、ローマ字ではなく英語を教えると発表した。

「新文明開化」の夜明けか。これを国際化と言うのか。
アメリカの「マインドコントロール」は天才的だ。操られている日本国民は12歳か。日本占領の独裁者マッカーサーが、「日本人は12歳だ」と公の場で明言した。
     あの口五月蠅(くちうるさい)アメリカ、自動車部品を1個、2個と数えるアメリカ、コダック、富士フィルムを1本、2本とかぞえるアメリカが、日本の「教育」に文句を言わない。一言も注文を付けない。
     日本の教育は今のままで良いと思っているからだ。アメリカは日本教育改革がここまで成功するとは思ってもいなかった。
アメリカは日本を見て、自画自賛している。

     「日本占領」はアメリカ版の「成功体験」。マッカーサーは今でもアメリカの英雄だ。
     敗戦国になり、「一億総懺悔」をさせられ、隣国から、世界中から絶えず罵倒され、「謝れ」と言われ、国際平和、国連、ユネスコ、ODAという有名無実の名の下に多額の金を巻き上げられ、その上、 「劣悪な国民」の烙印を押され、永い永い年月が経った。

     1868(明治元)年の明治維新以来、「富国強兵」を国の目標として、日本は世界史上まれに見る「国造り」に大成功を収めた。当時、欧米の植民地に成り下がったアジアで、日本が征服されなかったのは、 「強兵」がいたからだ。
     「富国」となった今、日本には「強兵」がいない。
     今、アメリカ軍の強兵が日本にいる。

     1945年から1952(昭和27年)まで続いたアメリカの占領中、アメリカは日本を信念も自信もなくしてしまう国に仕立て上げ、自衛もできない丸裸の国にした。アメリカに頼らなければ生きてゆけない国に仕立て上げた。

     日本中にあるアメリカ軍の大きな基地は、日本が「提供」しているのではなく、アメリカ軍が戦利品として「没収」したものだ。アメリカ占領軍は、未だ日本から立ち去らず、「属国・植民地」の動静を監視している。 その監視費用(年間5千億円)も日本が出す。「広島と長崎の夏」の前、日本の国土に外国の軍事基地はなかった。他国の基地があるのが異常なのだ。

     それどころか、職業軍人マッカーサーが妄想逞しく、争いのない「天国」を夢見て、6日間で綴った作文を「侵すべからずの聖典」、憲法を崇(あが)め、いかに世界が、日本の現状が激変しようとも、マッカーサーの「夢のまた夢」 にしがみついているのが、今の日本の姿、腹も立てず、侮辱も感じず、今の日本が「平和の姿」だと独りよがりの錯覚をしている。
     日本の首相も侮辱を感じないのだろう。首相が「参勤交代」をするかのようにアメリカを訪問し、ワシントンDCにあるホワイト・ハウスに招待され、その後必ず隣のバージニア州アーリントンにあるアメリカの聖地、 国立墓地と無名戦士の墓に詣(まい)る。連れていかれる。
     この墓地にアメリカの英霊が眠っている。日本の首相は花輪を捧げる。かつての敵に、敬意を払うことは礼儀を弁(わきま)えた大人の姿だ。

     日本にもアーリントン国立墓地に匹敵する厳粛な場所がある。ところが、首相が帰国して、祖国の英霊が眠っている靖国神社に足を運ぶのか。運ぶ首相もいる。 だが、近隣諸国の感情を逆撫でしてはいけないと細心の気を配り、あたかも悪いことをしているかのように人目を避け、終戦記念日を避け、こっそりと英霊に黙祷する。近隣諸国は、待ってましたとばかり「戦争犯罪人を擁護している」と日本を攻撃する。

     日本の兵士たちは、理由はどのようなものであれ、祖国日本のために死んでいった。この人たちに敬意を払うのは、生きている日本人としての礼儀である。日本国の首相として、最小限度の礼儀だ。 敵兵の英霊に頭を下げ、祖国の兵を無視する国は、最早「国」としての「誇り」もない、いや、その「意識」もないのだ。
     アメリカ大統領も日本に来る。彼らは靖国神社に表敬訪問しない。そんなものが東京にあるのも知らないのだろう。あってはならないと思っているかもしれない。
ここに、アメリカと日本の真の関係が見える。
     繰り返す。「日本占領」は、アメリカ外交史上最高の「成功物語」。

●無相庵のあとがき
     西氏は、憲法第9条が、日本の誇りの死体、信念も自信も失った日本の墓場だと言う。じゃ、それを生き返らせようと頑張っているのが、安倍政権だと言うのだろうか?      私は逆ではないかと考えている。抑止力を高める為に、アメリカとの同盟関係を強化し、アメリカの後方支援を行なえるようにする。それが目的で集団的自衛権を行使出来るようにすると云うのは、一見筋が通っているように見える。
     しかしそれは、アメリカからの年次要望書に応えるが為の、安倍政権の親米振りが顕われた政策ではないかと、私は安倍政権に好意的ではない受け取り方をしている。
     アメリカから、70年前に施された教育大改革と云う手法に依ってかかったマインドコントロールから脱け出せていないからだと私は思うのである

     私が、『国破れてマッカーサー』の序文(はじめに)を、この無相庵コラムで紹介する目的は唯(ただ)一つ、我々日本国民の共業(ぐうごう)を、微力ながらも、『転悪成善の益』に与(あずか)らしめたいからである。
     私は、私が親しくご指導を受けた仏法上の先生である、井上善右衛門先生と西川玄苔老師ご自身等がご師匠と仰がれていた、白井成允先生の、 「人類の平和を実現する為に、日本の大乗仏教、即ち親鸞仏法を護らねばならない。その仏法を護る為には日本国を護らねばならない。」と云うご遺志の実現に努力しなければならないと考えている。
     その、「日本を護る為」には、日本の誇りを現代に生きる日本国民が取り戻さねばならないと考えていたところに、西鋭夫氏の『国破れてマッカーサー』を紹介され、出遇ったのである。 西鋭夫氏と私の目的は、『誇りある日本を取り戻したい』と云う点では一致していると思う。しかし、目的を達成する為の基本的な考え方、根底に在る考え方と手段は異なるのではないかと思っている。
     西氏と私で、根底にある考え方の違いは、仏法の考え方の有無である。従ってその手段も自ずから異なってくるのであるが、具体的手段を明らかにすることは控えたいと思う。

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