No.1520  2015.12.08
無相庵カレンダーの言葉

今日は12月8日です。今日の無相庵カレンダーのお言葉は、『独りを慎しむ』です。この無相庵カレンダーを作成したのは、 確か、私が42、3歳の未だサラリーマンしていた頃です。
解説した文章『日常のすべてにわたって気まぐれな私の、「やりたい、やりたくない」「好き、嫌い」の想いを先とせず、道理に照らし、 仏の眼を畏れ、おのれを慎んで、生きて行き度いものです。』と致しました。今でも悪くは無いとも思いますが、これは、仏様の言葉。 お浄土の世界で始めて言える言葉なのだと今は思います。

今、出来るだけ自分の心に忠実に言い換えるとしたならば。次のようになりました。
「〝独りを慎しむ〟なんてことは、私には到底出来ないと漸く気付かされました。遅過ぎますね。でも、気付かされて、そして自分に強く言い聞かせても、 独りを慎めないのです。」と云うのが、現実の私でございます。

無相庵カレンダーの殆どの言葉は、今では、仏様の世界の言葉だと思います。理想の言葉であります。その仏様の言葉に我が身の現実を知らされることが大切 ではないかと思います。
米沢秀雄先生が、「人間としてはこういうことしか出来ない。人間に至り得る最高、至極の場所は『虚仮不実の我が身』だということがわかって、真実に触れ るだけ。真実そのものになることは出来んのです。」と仰っておられます。この言葉を噛みしめている次第であります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1519  2015.11.30
コラム2回お休み致します。

    『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明が完了しましたところで、取りあえずは1週間のお休みを頂くことと致しました。 会社のクレーム問題の処理をしつつ、米沢秀雄先生『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明を我が身に引き当てながらコラム作成致しましたので、 仏法漬けの生活で仏法に学ぶ立場の者としては大変勉強になりました。
    しかし、この間の出来事を少し仏教・仏法から距離を置きまして、私の心の奥底で起きた変化を仏教語を使わずに、一般的な人生観として確認して見ようと考えました。
つまり、コラム作りから離れて色々と考察してみようと考えた次第であります。
    12月の第二月曜日からコラム再開を予定していますが、仕事の関係で少し延期させて頂くかも知れません。悪しからずご了承下さい。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1518  2015.11.26
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明―(7)たった南無ひとつ

●無相庵のはしがき
    無碍の一道を歩みたく、米沢秀雄先生の『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章の詳細説明』を読んで参りましたが、 米沢秀雄先生の仰りたい結論がほぼ見えてきたように思います。
    先ずは、「私が極重悪人てあることに気付かされることが無碍の一道に足を踏み入れる第一歩であるという事」 そうなれば、「その極重悪人をこそ救わずにはいられない阿弥陀仏の本願力に、〝南無、と頭が下がる〟のが自然の成り行きという事」ではないかと思います。

    でも、疑問を抱かれる方が居られるのではないでしょうか。「何か問題が起これば、総ては私が悪かったからと考えなければならないと云うのは、 辛過ぎる・・・」と。「他人の都合何かはどうでもよく、自分の都合さえ良ければいいと、いつも、いつも考えている訳でもない。他の人の事を思いやる心も持っていますよ ・・・」と。「自分を責めて暮らすのは、消極的だし、気持ちが暗くなる。気持ちの暗い生活は、無碍の一道とは程遠い・・・。」と。
    そうお考えになるのは、尤もだと思います。私も、ずっとその様に考えて参りました。しかし、それは自らが極重悪人と気付くのは、 決して反省して自分の過去を後悔することではないからです。
    それに、極重悪人の『悪人』とは、いわゆる「悪い事をした人」ではなく、知らないうちに、沢山の人々に迷惑をかけて来たことに気付かずに来た 自分のことであり、この世の常識、真実、真理を無視して生きて来た自分であり、無意識のうちに、自分を一番大切にして来た自分である事に、阿弥陀仏の願いに依って、 漸く気付いた私のことだからであります。そして、極重悪人に気付くと同時に、阿弥陀仏の慈悲の眼差しに見守られている自分に気付くのでありますから、 反省も後悔も無い訳で、ただただ申し訳無さと有難さしかないのだと思われます。

    しかし、生れながらにして煩悩具足の凡夫の私、極重悪人の私は、以前として極重悪人であり続けますので、仏様さまとの縁は 切れることが無いというのが、親鸞聖人の至られたお気持ちであり、米沢秀雄先生が強調されるところであります。  

●歎異抄第7章の原文
    念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も、魔界外道も障碍することなし。 罪悪も業報を感ずることあたわず。諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々。

●米沢秀雄先生の詳細説明をそのまま引用

(7)たった南無ひとつ
    その人が名古屋のある有名な真宗の僧侶のところへ相談に行った。そしたらその高名な真宗の人は、「念仏するだけです」と、こう言われた。 念仏するだけですというだけではとりつくしまがない。「念仏すれば息子がよくなりますか」と聞いたら、「アテごとをして念仏してもダメです」と言われた。 本当にとりつくしまもない。

    それでKさんが南無というのはどういうことだということをきびしく言うたんで、Kさんとこへ来たんや。そしたら、南無するということは、 自分自身が何も力が無いくせに、息子のことをああこう心配している、自分の始末さえ出来ん者が、息子のことをああこう心配しておる。 そういう自分は間違いやということを、その母親が分かったんやね。それで南無が分かったわけや。

    それで浄土真宗の教えってこんな簡単なことですかと母親は言うた。というのは家に帰って息子に言うたんやと。 「今までお母さんがやってきたけれども、これからお前が一切取り仕切ってやってみなさい」。こういうたんや。そしたら息子の目が輝き出したという。 これを現益【げんやく:現世で受ける利益(りやく)のこと】と言う。今まで浄土真宗というのは、みんな現益を軽蔑してきた。 現益なしに当益【とうやく:来世に受ける利益(りやく)のと】ばかり言うてきた。 しかも未来往生を言うて来たというところに、大きな間違いがあると思う。それで皆、新興宗教に走るんですよ。 新興宗教を浄土真宗は軽蔑しているくせに、現益を与えておらん。現に親鸞は、「現生正定聚・現生不退」ということを言うておられるにも関わらず、 現益のことを軽蔑してきたというところに、今までの浄土真宗の間違いがあると思うんですね。

    で、Kさんのとこへ来て、南無の心が分かって、息子に「皆お前がとりしきっていい」と言うたら、目の色が変わったという。輝き出したと言う。 「自分でやってみる」と言って、それから夜遅くまでミシンを踏んだ。その母親というのが朝早く目が覚める方やけど、目が覚めると、 工場の方でミシンの音がするので行ってみると、息子がミシン踏んでると言う。それでその息子が言うのには、「私はお母さんに比べると0.7人前の仕事しか出来ん。 しかし、時間を長くかければ、どうにかやれるだろう」と言って、今まで割り当ての仕事もロクにしようとせなんだ男が一所懸命仕事をするようになったという。 それは母親が南無の心が分かって、自分さえ思うようにならんものが、自分の息子を思うように動かそうとしていたところに間違いがあったと気付いた。 これは極重悪人です。僭越至極(せんえつしごく)なんや。

    息子は息子の業を持って生まれてきた。そういうことが初めて分かって、南無というのは、浄土真宗の教えというのは、こんな簡単なことですかと。 簡単なことやけど、こんな難しいことはない。南無出来んのや、皆。簡単なことなんや、南無するだけなんや。実に簡単なことやけど、簡単なことが分かるのに、 その母親のような苦労しなければならんということですね。

    私はいつも言うのは、南無阿弥陀仏するということは、ただやと。ただやけど、ただの南無阿弥陀仏を言えるのには、高い授業料を払わねばならん。 高い授業料というのはお金ではないんや。自分の苦悩や。苦悩の果てに初めて南無阿弥陀仏。いろいろやってみて、これもあかん、 これもあかんことが分かって、初めて南無することが出来る。だから、自分の苦悩を捧げなければ、南無阿弥陀仏は自分のものにならないということになると、 非常に高いものであるというて差支えなかろうと思うんですね。 そういう、南無が簡単なことだということを分からせたということが、Kさんの偉いとこやと思うんや。 偉いって褒め上げる訳ではないけど、そういうもんだと思うんですね。 だから、浄土真宗の教えというものは、もっと一般に普及しなければならんはずのものやけども、誰がその普及の邪魔をしておったか、 教化(きょうけ:説き教えて感化し、人々を仏道に導くこと)にあたる者が、却って邪魔をしておったんではないかと、私は思うんですね。南無というのは実に簡単なもんや。

    何がそれを分からんようにしておったかというと、月忌(がっき:月命日)参り。そういう真宗の儀式と、 信心というものがゴッチャになっていたから。 それで私はなぜ月忌参りと真実信心とを分けるかというと、信心をはっきりさせるために、月忌参りは生活の為である、これをしなかったら生活は出来んからや。 だから生活の為にあるということをはっきりして、真実信心というのは、それとは別問題やと。 例えばお経あげるというのは、お釈迦さまは生きた人に話をしておったんやから、お経が死んだ人の供養になるというところに、言霊信仰が今でも生きておるということや。 だから日本人は民間信仰から絶対に抜け出すことは出来ない、民間信仰そのものが日本人であるとさえ言えるのではないかと思うので、 そういう日本人に浄土真宗を伝えるということは、非常に難しいことであろうと思う。

    親鸞という人なんか、あれは日本人じゃないんじゃないかと思う。民間信仰そのものを否定したんやから、天神地祇も敬伏す――天の神、地の神、 皆が崇めたてまつっておる天の神、地の神が、念仏の行者に頭を下げるというのは、大胆不敵なことを言うたんで、 親鸞という人は日本人じゃないんじゃないかとも思われるくらいですね。

    ところが、親鸞というのは何故そういうことを言えたかと言うと、真実を追求して止まなかったからであると。 真実が親鸞に教えたということであろうと思うんですね。 しかし、それをさっきの山折さんの文章を読んだように、そればっかりを親鸞が強調出来なかった民間信仰を否定できなかったというところに、 真実信心と民間信仰とは違う。違うけれども民間信仰はあかんとは言えなかった。 折衷はしないけれども、天神地祇が守ってくれるんだとすり替えたわけではなかろうけれども、これは真実や、 天神地祇も諸仏諸菩薩と一緒やから諸仏菩薩という名で呼んだって差支えないんやから。

    それから我々は自分の力で生きとるのではない。全宇宙に存在する一切のはたらきに依って、生かされて生きとるというのが我々の実態ですから、 親鸞は折衷したわけでない。諸仏菩薩のはたらきと天神地祇を受け取れば、山折さんの言う矛盾なしに通るのではないかと私は思うのです。 山折さんも靖国と祖霊信仰と一致ということを言うけれども、法性法身ということは言うておりませんから、法性法身という事が非常に大事なことで、 こういうことを今まで真宗であまり強調してこなかったところに、阿弥陀仏が分からなくなってきた原因があるんじゃないかと思うんです。

●無相庵のあとがき
    仏教と云うと、一般の方々は、お葬式とか、街で軽自動車に乗って、家々の月命日にお経を届けるお坊さんの姿が先ずは目に浮かぶのではない でしょうか。
    本当は、お釈迦様の教えを説き伝えるのが本来の仕事だと思いますが、お坊さんも家庭を持ち、妻子を食べさせねばなりませんから、稼がねばならないでしょう。 しかし、在家の人にお釈迦さまや親鸞聖人の教えを説くお坊さんが殆ど居ないまま、数百年の歴史を刻んで来てしまったのは、何故でしょうか。

    米沢秀雄先生は、そのお坊さん達に代わって、生涯、日本国中に、親鸞聖人の教えを懸命に説いて廻られました。そして、ご著書も遺されました。 米沢秀雄先生のご遺志を継いで、親鸞聖人の教えをこの日本に根付かせる仕事を私はしなければならないと考えておりますが、その為には、私自身が親鸞聖人や米沢秀雄先生 と同じ悟りの世界に住む人間に成らねばなりません。その為には、米沢秀雄先生の仰る浄土真宗だけに備わっている、悟りへの手立てを私自身が実証し検証する事でしかない、 と思っております。これからも、米沢秀雄先生や井上善右衛門先生の歩かれた無碍の一道を辿りつつ、その道すがらをコラムに記して参ります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1517  2015.11.23
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明―(6)極重悪人の石屋さん

●無相庵のはしがき
    「禅宗には悟りを開く方便(手立て)は無いが、浄土真宗には悟りを開くことが出来る方便(手立て)がある。」と、米沢秀雄先生は仰いますが、 「そうだったのか。成る程」とは、普通は頷けないのではないでしょうか。しかも、その方便は『南無阿弥陀仏』だと云うことになりますと、ますます、理解不能 に陥ってしまってもおかしくは有りません。
    でも、今日の法話を最後まで読んで頂ければ、「成る程、そういうことだったのか」と頭の中で、頷けるのではないかと思います。そして、更に 次回の『(7)たった南無ひとつ』を読み終えますと、「成る程、成る程!」とさらに理解が深まるものと思います。

●歎異抄第7章の原文
    念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も、魔界外道も障碍することなし。 罪悪も業報を感ずることあたわず。諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々。

●米沢秀雄先生の詳細説明をそのまま引用

(6)極重悪人の石屋さん
    目指すところは同じですけれど、方便があるというところ。何が方便かというと、南無阿弥陀仏です。 南無阿弥陀仏という、名号という方便が浄土真宗にはある。
    南無阿弥陀仏するということは、法性法身から生まれてきて、法性法身に今も支えられて生きておるという。法性法身に帰る。 自分の本当の姿を言い表すと、 南無阿弥陀仏になる。こういう方便があるということが、浄土真宗の特色である。特色であるというとおかしいけれども、浄土真宗の面目というか、 そういうところを見つけられたところに、親鸞があると思うんです。
    「夫れ真実の教えを顕(あら)わさば、『大無量寿経』是(これ)なり」というのは、南無阿弥陀仏があるというのが、 これが浄土真宗の特色であるということ。親鸞さまも若い時は漢学を勉強されたんやから、儒教も老子も皆、知っておられたに違いない。 大本教(おおもときょう)は明治になってから起こったから、大本教や天理教はご承知なかったと思う。
漢学をやられたから、儒教(孔子の教え)やら老子がいうとることはご承知なんです。ご承知やけど、そういうふうなことから、なぜ『大無量寿経』を選ばれたかというと、 南無阿弥陀仏という名号があるという、ここです。方便があるというところに、目をつけられたんだろうと私は思うんです。

    南無阿弥陀仏と簡単に言ってるけど、南無阿弥陀仏というのを、簡単に言うのやったら、口称(くしょう)の念仏で、浄土宗というもので、 これは名古屋の小桜秀謙という人が、珉光院(みんこういん;名古屋名東区に在る浄土真宗大谷派のお寺)の住職ですが、 その方が書いておられた文章の中に非常に面白いのがある。それは、珉光院というのは、名古屋の中心街にあったんですけど、 何年か前に名古屋の郊外の山手に移転をして、その近くに平和公園というのがあって、そこに墓地がある。その墓地で門徒の人が墓を立てたので、 墓開きのお経を上げてくれと言われて、お経を上げに行ったという。
    その時、門徒の人が、墓をぐるりと廻ってみるというと、横か裏か知らんけど、「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見  大悲無倦常照我」 という『正信偈』の中の言葉が彫ってあった。それでこの言葉が好きで、この言葉を墓に彫ったそうなが、「極重悪人・・・・」というのはどういうことですかと、 その門徒の人が住職に聞いたという。
    それで、小桜さんちょっと困ったんやな、説明するのに。

    そしたら、その墓を建てた石屋さんがそこにおって、ちょうど雨が降ってきそうな天気やったんかな。「墓開きも済んだで、雨が降ろうが、 槍が降ろうがもうかまわん」と言うたんやて。
    それで、その小桜さんは、ひらめいたんやな。「それが極重悪人や。自分の都合さえよければ、人が迷惑しようが、 例えばお墓詣りに来ておる者がおろうが、そういう人は雨具を持っておらんと困るんやけど、自分だけの用事が済めば、あとは雨が降ろうが、 槍が降ろうがかまわんというのが、極重悪人や」と。うまいこと言うたもんや。石屋さんが何気なく言うた言葉をつかまえたというのが非常にうまいと思う。

    そうすると皆、分かるやろう。我が身のことしか考えておらんのやから。我が身だけよければという考えでおるんや。 で、一番困るのは極重悪人でありながら、自分が極重悪人であると思うとらんのが、一番困るんやね。
それで、真宗では『機の深信』をやかましく言うのや。何故やかましく言うかというと、 南無というのは『機の深信』のことやで。南無というのは、極重悪人というたら自分がひどい悪党だと思ったら大きな間違いで、自分のことしか考えないで、 あとは野となれ山となれというのが、極重悪人や。

    我が身さえ都合よければ、人は困ろうがどうしょうがかまわんのやと、そういうことを極重悪人と言う。 石屋さんが何気なく言うてる言葉が極重悪人。そういう何気なく言うた言葉というのは、我々の言葉でもあるわけやね。我々の言葉でもあるというのは、 我々が極重悪人であるということや。そういうことを見つけたというのは、抜け目のない話やね。親鸞という人も我々の隣に居ったら、嫌な人と思う。 抜け目のない奴やと思うで。ということで、私の申したいのはおよそ宗教というものは、皆法性法身を目指しておる。法性法身を目指しながら、法性法身に到達出来ない。 中に到達出来る者は非常に稀(まれ)である。例えば禅をやっている人は非常に多いけど、禅の悟りを開いた人は、そう数多くはなかろうと思うんです。 それは何故かというと、悟りを開くための方便が無いからであると。だから悟りを開く開かないかは、偶然になるんです。偶然なんです。

    これを必然にする。偶然を必然にしたところに、浄土真宗の面目があると思う。南無阿弥陀仏のいわれを知るということを、 蓮如が強調しておるが、いわれが分かるということは、南無ということがどういうことか。自分が南無出来るということで、 初めて法性法身は自分のものになるということです。これは決して人のことでないのや。南無阿弥陀仏しながら法性法身が分からんということは、 本当に南無阿弥陀仏しとらん。南無しとらんというだけの話や。

    これはK君が、岐阜の竹鼻別院で、暁天講座で話をした。その話を聞いておった奥さんが、Kさんに会うて、一ぺん話が聞きたいというたんです。 60がらみのお母さんであったという。それはどういう問題かというと、この人が息子のことを心配して、息子が一人おってその息子が五つの時に高熱が出る病気をやって、 命拾いをした。命拾いをしたんやけど、その子どもが少し頭が悪いようにお母さんは思われるのかな、それでその病気の後遺症であろうて思い込んでおった。 言葉がのろい、動作もにぶいと。それで、その母親というのがミシンの仕事をやって縫製業をやってる。ミシンの仕事をやって息子も手伝わせてるんやけど、 息子が仕事がのろいので、自分が生きている間はいいけど、自分が死んだら息子は取引先との交渉もできないし、仕事はのろいし、これはどうもならん。 自分の死んだあと息子はどうするかと心配しておったという。

●無相庵のあとがき
    私は、ここまで読んでも、なかなか、すっきりと合点がいきませんでした。でも、次回の法話を読み終え、もう一度、 この『(6)極重悪人の石屋さん』に戻って、ゆっくりゆっくり読み直し、そしてまた、次の法話『(7)たった南無ひとつ』まで、通しで読み直して、 漸く合点がいきましたので、どうぞ、最後までお読み下さいますように。

    私たちは、自分の事を極重悪人とは思っていません。それは、〝極重悪人〟と聞きますと、先ず無慈悲に何人もの人を殺した殺人鬼が目に浮かぶ からだと思いますが、親鸞聖人が言う極重悪人とは、〝自分さえ良ければ、他人はどうなってもいい〟という自己中心の煩悩具足の凡夫の事を言うのであります。 〝無慈悲に何人もの人を殺した殺人鬼〟は、人間の姿形をした、生き物であって人ではありません。もしそれを名付けるとしたら、極重悪獣と言うべきかも知れません。
    むしろ、「自分よりも悪い人間を探し出して、あの人間に比べれば、自分は悪人ではない」と思う私をこそ、 極重悪人ではないのかと思ったことであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1516  2015.11.19
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明―(5)老子の法身仏

●無相庵のはしがき
    法性法身も法身仏も、同じく、宇宙の一切を創造した〝はたらき〟のことであり、仏像のような姿の仏様のことではありません。私は、この無相庵コラムで一時期、 『いのち旅』シリーズを連載させて頂きましたが、〝いのち〟を生み出し、〝いのち〟を進化させ、〝いのち〟を認識し、宇宙をも認識出来る能力を持った我々人間を宇宙に存在せしめ、〝いのち〟を どこまでも存在し続けさせるべく働いている一切の〝はたらき〟を法性法身、或いは法身仏と称しているのだと私は今回理解致しました。

私の存在は、宇宙の全ての存在と関係しています。無関係な存在はございません。
太陽が無ければ、今の私は存在し得ないように、他の星達、銀河とも、私と太陽と同じ関係にあります。この関係と共に、法性法身があっての私であることを悟るのが、 仏教での悟りであると米沢秀雄先生は、今回の(5)老子の法身仏で仰っているのであります。

それ位のことは、多分、どなたも話を聞けば理解出来ます。しかし、この理解は頭が分かったことであり、心で分かったことではないと私は考えます。頭、つまり頭脳(知力)で分かっても、 それは悟りではないと言うのが、仏教で言う『悟り』だと私は受け取りました。そして、これは、他の宗教でも、また、孔子、老子などの思想でも同じだと言うのが、米沢秀雄先生の持論であります。
そして、その悟りを開ける方便(手立て)があるのが、唯一、仏教の親鸞聖人の浄土真宗の教えであると米沢秀雄先生は力説されるのであります。  

●歎異抄第7章の原文
    念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず。 諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々。

●米沢秀雄先生の詳細説明をそのまま引用

(5)老子の法身仏
    その場面でこういう話をしたところが、法性法身、法身仏のことは、他の宗教でもいうとるんでないかという質問なんや、高校の先生が。それで私は、その通りや、と言うた。 たとえば仏教だけが、言うてる訳でない。仏教の中で言うたら、禅でも法性法身、法身仏のことは言うとるのや。法性法身を禅では悟るんや。悟りというのは何かと言うと、法性法身を悟ることや。 現に、親鸞も晩年の『和讃』で、「弥陀の本願信ずべし、本願信ずる人は皆、摂取不捨の利益にて、無上覚をば覚るなり」。この上ない悟りを覚ることが出来ると言うている。 この上ない悟りと言うのは、法身仏を悟ることや。法性法身を悟ることや。そういうことを、弥陀の誓願は法性法身を悟らせるための方便(ほうべん;便宜的手段のこと)であるということを、 親鸞さまはちゃんと言うておられる。

ところが禅とかほかの宗教と真宗のどこが違うかと言うと、方便があるということが、真宗の特色である、ということが、言えるんでないでしょうか。ほかの宗教には方便がない。 例えば、禅なら、法身仏を悟る以外にない。そしたらこういうものは、タナボタ式やと思うんや。タナからポタ餅の落ちてくるのを待ってるんや。いつ落ちるか分からんのや。 タナボタ式の信仰というのは、禅なんかもタナボタ式やと思うんやね。支那の昔のお寺さんで、竹に小石がカチンと当たって、その音で悟りを開いたと言う人もある。 その人はタナからボタ餅が落ちたんや。竹に石が弾(はじ)くことで、その音を聞いて悟りを開いたということになったら、それこそタナからボタ餅が落ちた訳やね。いずれ皆タナボタ式や。

大本教とか天理教というのも、法身仏のことをいうとるのやで。けど、方便がないのですわ。だから開祖というか、そういう者の言うことを信ずるほかないんや。 大本教なら、出口なおという人は無学文盲で、親爺が道楽者で子どもが沢山あって、貧乏のどん底におったんや。貧乏のどん底でひらめいたんや。これを天啓という。 貧乏のどん底でひらめいた。そしてその人が常識と変わったことを言い出した。 変わってるなと皆思ったんやけどそれを「お筆先」と称して、出口王仁三郎というのがそれを大成して、教義を作り上げたわけです。これが大本教です。

天理教なら中山みきという人が、法身仏を悟ったんや。法身仏を悟ったけれども、あれも方便がないんです。だからタナボタ信仰になるわけや。 中山美紀を信ずるか、あるいは親里というて天理教の建物を信ずるか、それ以外にないわけです。

ところが浄土真宗はどこが違うかというと、方便があるというのが、浄土真宗の特色である。法性法身を悟るのには、南無阿弥陀仏という方便があるということで、これが浄土真宗の特色。 法身仏は皆いっしょや。例えば儒教というのがある。儒教で天ということをいう。天というのは法身仏のことです。

愛知県の人から電話があって、これは同朋新聞の片隅のコラムに、『涅槃経』の言葉が引いてあって、「慙愧の心なきを、畜生という」と、こう言うてきたんや。 ですけれど私は、その時に電話で奥さんに言うたのは、あんた裸で外歩くか。そしたら、いや、服なり着物なり着ますと。それなら畜生でないでないか。畜生というのは裸で歩くのや。 だから丸出しで裸を恥ずかしいと思ったら、これは畜生でないわけや。ただ、慙愧(ざんき)というのは、慙は天に恥じ、愧は人に恥じると、こういう。これは支那で訳されたお経で、 支那の言葉を使ってあるのや。天というのは法身仏のことや。形がないもので、目に見えないものを天というんや。天というのは漢文で習うても分からんのや。 私も昔習うて、天というのは何を言っているのか分からなんだけど、成る程法身仏のことやとなると、儒教でも目指しているところは、法身仏を悟るということだと分かる。

中庸という儒教の古い書物があるけれど、これに「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」とある。誠というのは、真実ということ。親鸞が追及した真実というのは、天の道であると。 これを誠にするのは、それを自分のものにするのに、人のしなければならんことや、というんやけど、これは自力聖道門になるわけや。支那では修養という。修養というのは自力聖道門、人間の努力や。 努力によってこれを得ることにしようというのが儒教なんです。

「老子」というのは道教といわれますが、宇宙の本体を玄といいます。「玄のまた玄、衆妙の門」というて、玄から一切の存在が出てくるという。 玄というのは言葉でいい表わせない、法性法身のことも、「離言法性」というこれは言葉で言い表わすことが出来ん。言葉で言い表すことが出来ないから、それを悟れないのや。 それで禅宗では「不立文字」。文字を立てないというのは、言葉で言い表わすことが出来んから。悟るより外ないというので、禅は「不立文字」と言うし、老子では玄といい、これはすべての物を生み出す。 そうしたら法性法身のことでないか。法性法身はすべてのものを生み出すんや。玄ちゅうのはそれを言葉で言い表すことが出来ない。「玄のまた玄、衆妙の門」と言うとるのや。 ――この衆妙(しゅうみょう;天地万物の深遠な道理)というのは存在している一切のものが不思議です。その不思議なものが出てくるもとが、玄のまた玄である。

不思議なものというと、雑草でも不思議や。雑草は種も播(ま)かんのに、種がこぼれるんでしょうけれど、我々が種をまかんのに、雑草が生(は)えるというのは不思議や。 雑草も生きとるのや。いのちというのは、人間が絶対に自分で作れるもんでない。そういうところから生まれてくるということになると、法性法身から一切のものが生まれてくるのといっしょでないか。

ところが老子でも禅でも、法性法身に行く方便がない。その方便があるということが、浄土真宗の特色であろうと思うんてす。大本教でも言う。 天理教でも天理王のみことというのが、法身仏のことをいうとるのやけど、「天理王のみこと、祓い給え、浄め給え」というだけで、どうしたら法性法身、 天理王のみことを自分のものに出来るかちゅうと、そういう方便がない、方便があるというところに、浄土真宗の特色がある。

●無相庵のあとがき
    方便(手立て、具体的な方法)が何であるかは、この後2回の法話の中で。懇切丁寧に説いて下さっております。
しかし、それで以て、真実信心に至られ、真宗の悟りを開かれる方が居られましたら、幸いであります。
しかし、その確認は他人には出来ません。ご本人自らが、無碍の一道に足を踏み入れられたかどうかで判定するしか方法はございません。と、今はそう申し上げたいと思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1515  2015.11.16
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明―(4)法性法身が大本

●無相庵のはしがき
    この(4;法性法身が大本)と、次回(5;老子の法身仏)、次々回(6;極重悪人の石屋)は、米沢秀雄先生が宗教、宗派が数ある中で何故浄土真宗(親鸞仏法)を選ばれたか、 否、何故、親鸞聖人が、『大無量寿経』を真実の教えとして選ばれたのかを私たちに何とか分かって欲しいという切なる気持ちから、説かれた法話だと思います。 こんな法話をされた方を私は他(ほか)に存じません。鎌倉時代の親鸞聖人のお説教を現代の私たちに伝える通訳者としての米沢秀雄先生に感謝したいものであります(なお、通訳者という捉え方は、 無相庵の読者のあるお一人からのメールで教わったことであります)。 最初の方は、仏教は、葬式仏教とか言われていますが、それは昔のお寺さんが生活(お金を稼ぐ)の為に葬式や法事の時にお経を上げたりすることを考え出してやり始めたことで、 肝心の法を説く事を忘れてしまったためだと米沢秀雄先生は嘆いておられる内容でございます。仏教の一番肝心なのは法性法身を説くところにあります。
    法性法身という事は、後半部分に「はたらきそのもの、はたらきそのものから、宇宙に存在する一切のものが生まれてきておるし、我々も法性法身から、縁あって人間に生まれてきた。 というのは我々人間に生まれようと思って生まれてきた者は、一人もありはせんのだから、生まれてきたら人間であった。 縁に依って、法性法身から人間に生まれてきた。そういうことになると、虫けらでも、木や草でも、皆法性法身から生まれてきておると、これは間違いない。」と述べられています。 しかし、法性法身は、他の宗教や宗派でも説くのですが、その法性法身を悟らせるための工夫として方便法身(阿弥陀仏)を立てたところに、浄土真宗の素晴らしさがあると仰りたいのですが、 そこは、次回、次々回と最後まで読んで頂ければ、霧が晴れると確信しています。  

●歎異抄第7章の原文
    念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず。 諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々。

●米沢秀雄先生の詳細説明をそのまま引用

(4)法性法身が大本
    先ほど来、えらい殺伐なことを申し上げましたが、真実の信心というものでは、飯が食えんのです。親鸞いう人は一生貧乏した人ですから、 真実信心というもので飯が食えんということになると、何かほかのことで飯を食わなけりゃならん。だから、祖霊信仰で飯を食うということは、差支えないけれども、 利用してるんだという意識だけは、やっぱり持っていなければ、真実信心と混同してしまうと私は思うんです。 お経というのはお釈迦さまが生きてる者に話をしておったやろ。それが何時の間にか死んだ人にお経あげるようになった。

    あれは、お釈迦さまはご承知のように弟子達を教育しておられたので、それは、木の下で教育をしておられた。印度は暑いですから、木陰で講義しておられた。 それから雨の降る日は、ほら穴の中で、講義しておられたんですよ。それでお釈迦さまに帰依した金持ちが教室を寄付した。その教室を祇園精舎と言うんや。 「祇園精舎の鐘の声、生者必滅(しょうじゃひつめつ;ひとたび生れたものは,必ず滅びさるという意)のことわりをあらわす」と、 『平家物語』のしょっぱじめ(北陸辺りの方言?;一番最初の意)に出てきますが、釈尊の頃、撞木(しゅもく;鐘を叩く棒)で突くようなお鐘があるはずがない。 あの鐘というのは、支那(しな;今の中国の呼称)で始まったものやろと思うんですけれども、祇園精舎の鐘の声というのは、授業開始のベルや、と私は言うのや。 今から釈尊の講義が始まりますというベル、授業開始の合図、授業が終わった合図が、祇園精舎の鐘の声になってたんだと思うんですね。生きている者に釈尊が話をされた。 それがいつのまにか日本では、死んだ人の供養のためにあるということになって、それは言霊信仰(ことだましんこう)というのがあって、ことば には霊力がある、不思議な力がある。 そういうことから〝となえ言〟をやるんで、〝となえ言〟で間違いが帳消しになるという考えを日本人が持っておったということですね。 言葉に魂があるという言霊信仰というのは、日本人の心にこびりついている。

    例えば、皆さんは正月になると、「おめでとう」と言う。我々は結婚式の時に「おめでとう」とか相手に言う。「おめでとう」という言葉に霊力があると。 こう考えておったんです。「おめでとう」と言うと、相手の人に何かおめでたいことが、いいことが降りかかってくる、という考えをもっているから「おめでとう」という言葉を、 単なる挨拶だと思ってるのは現代の人間のことで、昔の人間は「おめでとう」という言葉に霊力があると、こう考えておった。 お経にも霊力があると考えてるから、死者に対する供養としてお経をあげる。あれは言霊信仰からきておると、いうことが言えるんですね。 そういうことを知っておくことは、大事なことではないかと思うんです。それで、言霊信仰からお経をあげても、何を言ってるのか分からんのや。 分からんけど、お経をあげると、言霊信仰で死者が喜ぶと、皆、思っとるんや。思とるのは勝手やけど、こういうことを言うと身も蓋もないので、 まことに申し訳ないけど、親鸞という人はどういうことを追及したか、こういうことだけを、私は自分の生きてる間にはっきりさせたいと思っとるのです。

    この間能登の穴水というところへ行きましてね。穴水の公民館で話をさせられた時に、輪島の人で高校の教師をしてる男の人、40代かな、 その人と知り合ったのは随分昔でね、その人の子どもさんが今、高校生だというから、その子供さんが幼児の時にどういう病気か知らんけども、ストマイを注射してストマイつんぼになった。 そのストマイつんぼになった子供さんの相談を受けたことがある。随分昔のことですから、その人と会う時はめったにありませんけれども、随分長い付き合いです。 それが一番前に坐って、私の話が済んだ後に質問したんですね。

    私は法身仏のことをいうたんや。これが分かるということが、浄土真宗を分かる上に非常に大事なことなので、私はいつもこれを強調してるわけです。 この会でも言うたでしょうけれども、今まで法性法身とか法身仏とか、そういうものを真宗で言うてくれなかった。阿弥陀ばかり言っていたために、阿弥陀仏が分からんかった。 阿弥陀仏というのはそういう実体があるのでなくて、阿弥陀の誓願だけがあるわけだけど、それが分からんようになってきた。何のために弥陀の誓願があるのか、分からんようになってきた。

    法性法身、あるいは法身仏のことをあまり言わんところに原因があるんだと思うんですね。だから、私いつも法性法身と言うから皆さんご承知でしょうけれども、 はたらきそのもの、はたらきそのものから、宇宙に存在する一切のものが生まれてきておるし、我々も法性法身から、縁あって人間に生まれてきた。 というのは我々人間に生まれようと思って生まれてきた者は、一人もありはせんのだから、生まれてきたら人間であった。 縁に依って、法性法身から人間に生まれてきた。そういうことになると、虫けらでも、木や草でも、皆法性法身から生まれてきておると、これは間違いない。

    そういう間違いないところをおさえてある法性法身、これが分かるということが、人間にとって一番大事なことである。 というのはこれから生まれ、これによって生かされて、今も娑婆に生きとるのは、法性法身の世界やから。これだけは間違いない。 この娑婆で何を信じておろうと、これだけは間違いないということをおさえたところに、親鸞があると思うんです。

    だから法性法身のことをいつも言う。法性法身から方便法身が生まれてくる。何のための方便法身。 これが阿弥陀仏だけど、何のために方便法身が生まれてくるかというと、衆生を法性法身に帰すために生まれてくる。弥陀の誓願というのは、我々を法性法身の世界へ帰す、法性法身を分からせる。 その方便として、南無阿弥陀仏という言葉が生まれてきた。それを知ってるということが、浄土真宗の根本であって、一番大事なことやと思うんです。 法性法身の中に今生きているという、我々の本当の姿に遇わせるのが、弥陀の誓願不思議と思うんですね。

●無相庵のあとがき
    この『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』は、かなり長い内容ですが、どうか、最後までお付き合い頂きたいと思っております。もし、疑問な点とか、 理解し難い文章がございましたら、是非とも、ご遠慮なく、お問い合わせ下さい。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1514  2015.11.012
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明―(3)祖霊信仰と真宗

●無相庵のはしがき
    祖霊(それい;家族,親族の先祖の霊魂。死霊ではなく、私たちのそばに居て、私たちを見守っている父母、祖父母、そのまたご先祖の霊魂を言う)に幸せを祈り願うのが、祖霊信仰 だと思います。私は私たち夫婦夫々の父母と私の祖父の写真を仏間に置いておりますが、その写真に何かを願ったり祈ったりは致しません。今の私が有るのは、父母と祖父母、 そして更にずっと遡(さかのぼ)ってのご先祖有ってのお蔭である事を忘れてはならないという意味で、飾っております。 祖霊に頭を下げるのは別に批判すべきものではないと米沢秀雄先生も思っておられたと考えますが、その祖霊に何かを願い祈ることは、少なくとも、それは親鸞の教えではないということを米沢秀雄先生は、 仰っているのだと思います。お墓参りも、そういう意味で、批判されるべきものでは有りませんが、それよりも、自分が仏法に救われる事が何よりも、祖霊が喜ばれる事だということだと思います。 一番末尾で主張されている、「親鸞が90年の生涯をかけて見つけたところの真実の法をいかにして伝えていくかということ。いかにして伝えるかというよりも、自分自身がいかにして自分のものにするか。 自分のものにしなければ、人に伝えることが出来ない。自分のものにして人にどうして伝えていくか、そういうことを真剣に考えたい」というのが、米沢秀雄先生が実践されていた事でございますし、 それが米沢秀雄先生の実に重たいご遺言だと私は受け止めております。

●歎異抄第7章の原文
    念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず。 諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々。

●米沢秀雄先生の詳細説明をそのまま引用

(3)祖霊信仰と真宗
    非常に長い文章を読みましたけれども、これは単に靖国神社の問題だけでなく、祖霊(それい;家族,親族の先祖の霊魂。死霊ではない)信仰というのは非常に強い。祖霊信仰というのは日本人の民族性というものであって、 これを否定することは出来ないということですね。ご承知のように真宗もこれを利用しているわけで、利用しているというのは、毎月の月忌まいり (げっきまいり;月命日に僧侶をよんでおまいりしてもらうこと。)というのは、祖霊信仰なんです。だから、祖霊信仰を決して軽蔑することは出来ない。例えば、お盆とか彼岸にお墓参りをする。 あれは祖霊信仰です。祖霊信仰が今も生きとるのや。お墓に対してお経あげる。それが何になるのや。何かになると皆思うとるのや。あれは祖霊信仰が生きとるということで、 浄土真宗もまた利用しているということです。これは私が口をきわめて祖霊信仰を否定しても、日本人の心の中にこびりついておるので、絶対に離れることはない。 私は月忌まいりの悪口をいうけれども、それは決して廃(すた)れるということはない。

    よく聞くのは、それを縁として真実を伝えるのやと。ところが真実を伝える方は全然お留守になってるのや。祖霊信仰ばかりやってるのや。

    祖霊信仰がなぜこびりついておるのかというと、仏教というのは後から入ってきたんです。神道というのは、仏教の中にそれを取り入れて、 補強して教義を作ったものですから、民間信仰というのはもともと土台があって、民間信仰がずっと生きてるところへ、仏教が遅れて入ってきた。だから民間信仰と抱き合わせて、 仏法が広まらねばならんような、そういう宿命にあったということです。

    例えば。私はよく言うのやけど、お盆の行事は仏教の行事やと思うとるのやな。『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』というのがあって、 私は『盂蘭盆経』というのを疑問に思っとるのや。というのは、目連(もくれん;お釈迦さんの十大弟子の中の筆頭弟子、 よく知られている舎利弗と大親友。神通力第一と称された)の母親が餓鬼道に落ちてる。それを救うのにお釈迦さんが、沢山のお寺さんを呼んで供養をすると母親が救われると、 こういうことが『盂蘭盆経』に書いてあるので、それでお盆にお経を上げるというけど、私がそれを疑問に思うのは、あの実質はどういうのかというと、目連の母親は目連ばかりかわいがったんやと思う。 誰でも母親というのは自分の子が一番かわいい。よその子はどうでもいい。ところが、目連の母親は、目連を盲愛しておったんでしょうか。だから目連のことばかり考えておって、 ほかの子どものことはいっこうに考えなんだ。そういうエゴイズム。そのエゴイズムを否定するために、釈尊が説教されたとすればされたのであって、死んで餓鬼道に落ちてるということを、 釈尊が言われるはずがないと思うんですね。

    お盆の行事というのは、もともと民間信仰の行事やった。それを仏法があとから入ってきて、仏法の行事として、とってしまったんやと思う。 というのは、正月の行事とお盆の行事が似てるんです。今は皆分らなくなってしもうたけれども、私は子どもの時分、そういうことがあったので、 記憶しているけれども月月節季(つきづきせっき)といって月々払いをすることになっておる。私ら子どもの時には、半年払いやった。月々の払いと、お宮さんでやる祓いと関係があるんですね。 同じはらうこと。つまり、罪けがれというものは、体にくっつくもので、はらって落とすことができると、日本人は非常に楽天的な民族やから、そう考えておったんや。 だから、水無月(みなづき;陰暦の6月)の祓い、晦日(つごもり;毎月の末の日)の大祓いと言うて、六月と大晦日に祓いがあって、身心一新して半年を迎える。 半年節季というのが、昔はあった。我々の子どもの時から、ひと月祓いに変わったわけなんです。

    この払いと大祓いの祓いと、非常に密接な関係があるのと、火というものが非常に神聖視されておった。だから真宗ではやらんけれども、余宗 (他の宗派)では迎え火とか送り火とかやる。 迎え火送り火というのは、祖先の霊を迎えるための火と、祖先の霊を送るための火。それが丁度正月の行事と似とる。正月の行事で左義長(さぎちょう;小正月に行われる火祭りの行事)というのがあるが、 左義長というのは、山から或いは島から迎えた正月の神様を送る行事で、迎え火は盛んでないが、送り火だけが左義長として盛んになっておる。

    そういう正月のやり方、それからお盆の行事のやり方が非常に似ておるので、私はお盆の行事だけあとから入ってきた仏教がとったと、こう思うのやね。 えらい味もそっけもないような話になってしもうたけども、そういうことをよく心得ておくということが、大事なことでないかと思うんです。 その中から親鸞が90年の生涯をかけて見つけたところの真実の法をいかにして伝えていくかということ。いかにして伝えるかというよりも、自分自身がいかにして自分のものにするか。 自分のものにしなければ、人に伝えることが出来ない。自分のものにして人にどうして伝えていくか、そういうことを真剣に考える上で、こういう民間信仰の知識を持つということが、 大事なことでないかと思うんです。

    私は山折さんのこの意見は、なかなか傾聴すべきものと思うけれども、これで抜けてる点もあると思うんです。それを後で申し上げてみたいと思います。

●無相庵のあとがき
山折氏は学者さんで、評論家でもありますが、親鸞仏法に帰依されている方ではございませんから、念仏の謂(いわ)れも、『南無』の本当の意味も見極めるべきお立場ではないと考えます。 米沢秀雄先生は「山折氏が把握出来ていなくて言及していない親鸞仏法の根本的に大事な点に付いて、後で説明する」とおっしゃっておられますので、それは何かと推測しながら、 先に進むことに致しましょう。

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No.1513  2015.11.09
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明ー(2)山折哲雄氏の論説

●無相庵のはしがき
    今回ご紹介する『山折哲雄氏の論説』は、文章がとても長い上に、読み取って理解するのにはかなりの難しさがあるように思いましたので、 最初は端折(はしょ)ろうかとも思いました。でも、私もなかなか真意を掴めませんでしたので、〝『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明〟全文を2回読み直しましたところ、米沢秀雄先生が、 わざわざ引用された意味が非常に大きい事に気付かされました。読者方も全引用文を読み終えられた時には山折哲雄氏の論説がキーポイントであることがお分かりになると考え、引用することと致しました。 是非とも、高校国語の読解力問題を勉強し直すお積りで、読破して頂きたいと願うものです。
米沢秀雄先生は、山折氏の論説を「肩書はどうでもいいんやけど、書いてあることが非常に面白い。」と一見評価されているかのように思えますが、ニュアンスから、 「親鸞の信心を、よくもまぁ、こんな受け取り方が出来るものだ」と、私は受け取りました。
〝無相庵のあとがき〟に私の受け取ったところを申し述べましたので、参考にされましてから、米沢秀雄先生の引用文をお読み下さってもいいかと思います。

●歎異抄第7章の原文
     念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず。諸善もおよぶことなきゆえに、 無碍の一道なりと云々。

●米沢秀雄先生の詳細説明をそのまま引用

(2)山折哲雄氏の論説
    近頃私(米沢秀雄先生自身)がよく言うのは、今の浄土真宗というのは、ここで申したかも知らんけど、現益【げんやく;現世で受ける利益(りやく)】というものを軽蔑している。
現当二益(げんとうにやく)ということがあります。これは別に親鸞が言うとるわけではないんですけど、親鸞の後に出てきた真宗の学者が言い出したんでしょうけれども、 現益と当益(とうやく)とがある、と。当益というのは単なる未来の益とは違う。利益(りやく)ですけど、当益というのは当来(とうらい;必ず来るはずの世)ともいわれる。 本当は未来とは言わず、当来という。未来往生というのは実現するかどうかわからんものであって、当来というのは、必ず来るというので、 一瞬先も当来、明日も当来、明後日も当来、一年先も当来、十年先も当来、必ず来るというので当来というのが本当なんですね。未来往生といわれるけど、あれは間違いだろう。 未来往生というのは観念であって、親鸞の化土往生(けどおうじょう)に当たるものであって、 本当はないものであると、こういうことですね。

    こういうことが親鸞の信心を明らかにする上に、非常に大事な点であろうと思うんです。ところが、ここに持って来たのは、 難波別院から出てる『南御堂』という機関誌なんですけど、何故持って来たかと申しますと、それに、山折哲雄(やまおりてつお)という人が、これは私初めて分かったんやけど、 東北大学宗教学科の助教授(当時、46歳)だそうです。 肩書はどうでもいいんやけど、書いてあることが非常に面白い。ちょっと読んでみます。
「靖国の論議、親鸞の苦悩を共有できるか」という題ですが、

「今再び靖国神社国家護持の問題が火を吹き始めている。それが政治の思惑や、社会の動向と結びついていることは言うまでもない。しかしながら、ここでは政治や社会の事柄として、 それを考えようというのではない。靖国神社についての論議が厄介な問題をはらんでいるのは、それが単に宗教の領域の問題にとどまらず、実を言えば、日本文化の根幹に関わっているからだと、 私は思う。一般的に考えると、本願寺教団の出発点を示す親鸞は神祇不拝(天の神地の神を拝まぬ)の立場をとっているから、言うところの靖国信仰とは相容れないはずだという論理が成り立つ。 それは今日の本願寺教団にとっては、一歩も譲ることの出来ない、死活の問題であるだろう。だが、ここで注意しなければならないのは、神祇不拝の含蓄は、必ずしも一義的ではなく、 靖国信仰のふところもまた、奥行が深いということだ。

    まず靖国信仰の方から考えてみよう。
    それには少なくとも次の四つの要素が重層的に含まれていると私は思う。即ち、英霊信仰――護国の英霊、祖霊信仰――祖先の霊を祀る、 それで靖国問題が面倒になってくる――神祇信仰、そして霊の国家的管理というのがそれである。英霊というのは国家のために戦って死んだ人々の霊を指すが、この英霊はその遺族や子孫にとっては、 同時に追慕の対象となる祖霊であり、やがて時日を経るにしたがって、国家と国土、人民を守る護国の神となるであろう。

    ここで特に注意すべきは、われわれは日本人の自然な感覚として、英霊と祖霊と神祇は、それぞれ霊の異なった位相を示してはいるものの、実際にはそれらが、 一体のものと観念されてきたということである。
例えば、英霊という観念の背後には、祖霊と神祇の観念が分かちがたく結びついている。こうして靖国神社の国家護持という問題は、英霊の公祀という名のもとに、霊の一般的機能をも、 国家的管理のもとにおくということを意味するだろう。

さて、しからばこれに対して親鸞の神祇不拝とはいったいどういうことか。
    これが霊の国家的管理というものに対して、真向から対立する考え方であることは言うまでもないが、しかし問題はその先にある。

    ところでここで予め確認しておかねばならないのは、神祇不拝というものは、文字通り神祇を拝さずということであって、 それは決して神祇の存在を全面的に否定する命題ではなかったということである。
    親鸞はその著作のどこにおいても、神祇の存在そのものを否定はしていない。
    知られているように、親鸞における神祇不拝の思想を最もよく示すものとして、『教行信証』の化身土の巻の文章がよく引かれる。 化身土の巻の末尾には、異端的な見解を批判することを前提にした文章が、諸経典から抜き出されて並べられている。『教行信証』の、最終章である化身土の巻の、 そのまた末尾に何故このような引用文を並べ上げたのか、親鸞の真の意図はなんであったのか。この謎は今日においても十分に明らかにされているとは言えないが、それはともかくとして、 この引用文の中に、神祇不拝の思想を示す文章が、いくつか出て来るのである。いわば『教行信証』の結章において奏でられる第一バイオリンの旋律がそれである。 たとえばそこに『涅槃経』の次の一文が出て来る。

    「仏に帰依せば遂にまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ」。そしてそのあとに衆知の「菩薩戒経」の次一節があらわれる。「出家の人の法は、国王に向ひいて礼拝せず、父母に向ひいて礼拝せず、 六親につかへず、鬼神を礼(らい)せず」と。
上に記した文章は、もちろん単なる引用文であるのではない。なぜなら、そこには親鸞のひそかな決意が託せられていると考えられるからである。親鸞における神祇不拝の立場は、 ここに挙げたわずか二例によってだけでも、十分明らかである。だがしかし、我々はこのことと並んで、不思議なことに気付かされる。というのも、 神祇不拝を示すこれらの文章をあたかも挟み込むような格好で神祇不拝の存在の意味を肯定する経典が、次から次へと交互に表れてくるからである。
それらの文章群は分量において、神祇不拝を説く引用文を遥かに圧倒している。それを仮に化身土の巻の末尾における第二バイオリンの旋律であるとすれば、この第二バイオリンの音は、 神祇不拝という第一バイオリンの音を、殆ど消し去ってしまいかねないほどの力強さが響き渡っている。即ち、この宇宙に遍満するありとあらゆる天神地祇は、念仏の行者わ守り、 数々の現世利益を彼らに授けるのだという、高らかな旋律がそれだ。そしてそれを解き明かす経典は、たとえば、『大乗大方等大日経』 (だいじょうだいほうどうだいじっきょう;略して大集経と言われる。詳しくは『大方等大集経』(だいほうどうだいじっきょう)である。

誇張を怖れずに言えば、『教行信証』の結章の、そのまた巻末において展開されているのは、神祇に対する不拝という第一テーマと、神祇による擁護という第二テーマとが、 互いに拮抗しせめぎ合っているという、まことに信じがたいような、矛盾的な信仰のドラマであったと言えるだろう。
私が小論の初めで、神祇不拝というのは、決して神祇の存在そのものを否定を意味するのではないだろうと言ったのも、実はそのためなのである。親鸞は『教行信証』による限り、 神祇を礼拝すべからずと宣言しておいて、あとは、涼しい顔をしていたのではない。
当時、13世紀の親鸞が生きた時代や社会には、さまざまな神祇信仰や諸仏諸菩薩信仰が並び行われていたが、その中から彼は、アミダ信仰のみをよりすぐって、民衆の前にさし出した。 それはただひと筋の絶対の信仰であったが、しかし、そのアミダ信仰が、同時にさまざまな神祇信仰や諸仏諸菩薩信仰によって包囲され、侵蝕される危険にさらされていたことを、親鸞はよく知っていた。 単に知っていただけではないであろう。あるときは、その影響のおそろしさを、彼自身が肌身にヒシヒシと感じていたにちがいない。もしそうであったとするならば、 そういう危険やおそろしさから身をかわすには、いったいどうしたらよいのか、それへの解答を迫られてた親鸞が、最後に発見した論理が、次のごときものでなかったのかと私は思う。

すなわち、アミダ仏に帰依信順する念仏の行者は、必ずや天神地祇の比護を蒙って、現世の利益を授けられるであろう、というのがそれである。もしも親鸞が神祇不拝を主張するあまり、 神祇の存在それ自体を否定してしまったとしたら、彼はおそらく関東の農民の心を掴むことができなかったに違いない。彼らの大部分はそれぞれの狭い共同体に於いて、村の鎮守を祀り、 先祖の霊を供養する一方、非業の死をとげた人人の穏霊のたたりにおびえ、病気や自然災害を巻き起こす邪霊の存在に、恐怖の念を抱いて生活していたからである。 祖霊や怨霊、そして一般に神祇の存在を信じる漁師や農民に向かって、それらの存在それ時代を全面否定することが、どれだけ愚かしい行為であるか、 そのことを農民中で生きくるしんでいるはずの親鸞が知らなかったはずはない。とするならば、彼が為しえた最善のことは、それらの神祇信仰に対して、 ただアミダ信仰のみを選びぬく、その絶対の優位性を主張することにおいて、ほかにはなかった。その時もろもろの悪鬼神は善神に変身し、無私の念仏行者に対して、 擁護の手をさしのべるであろう。言ってみれば、神祇不拝とは、アミダ信仰の第一義性を説くことにおいて、悪霊の善霊への転換を保障する命題であった、とも言うことが出来るのである。 そしてこのような事情は親鸞の晩年、75歳の時の著作である『現世利益和讃』においても本質的に変わりはない。 なぜならそこでもまた、念仏の人は天神地祇と善神によって、現世の利益を授けられるとする確信が、歌い上げられているからである。 神祇不拝の第一テーマは、神祇による擁護という第二テーマによって伴奏されているのである。

しかしながら、ここで見落としてはならないのは、親鸞が決して第一テーマと第二テーマとを調和させようとしたのではなかったということである。なぜなら、神祇不拝とは、論理的に言うかぎり、 神祇の存在の否定を予想し、かつそれを目指しているはずのものであり、そのことを親鸞は明らかに見すかしていたと思われるからである。見すかしてはいたけれども、しかし、 彼はその目標を、現実の生の場面においては、遂に実現することは出来なかった。真義不拝という命題をめぐっての親鸞の苦悩の根元が、実はそこにこそあったのではないかと私は思うのである。

親鸞が13世紀に抱いたであろう苦悩の質を今日のわれわれは、どれほどに共有することが出来るであろうか。靖国神社問題を前にして、私はそのことの困難さを、 あらためて思わずにはいられない。先にも触れたが、英霊や祖霊や、護国の神に対する日本人の信仰は、日本の文化の問題として、その歴史的伝承の淵源は遠く、その根は深い。 そして、今日われわれは何よりも日常的な年回法要を通して、神祇精霊崇拝の土壌の中に、どっぷり浸かって生きているではないか。 その上に更に、京都の本山には祖師堂に親鸞の木造が安置されて、礼拝の対象とされ、末端寺院においてもまた、親鸞や蓮如の木造が祀られ、礼拝されている。親鸞を儀礼的に、 一つの祖霊として生きている限り、われわれはいつまでたっても、靖国神社問題を対象化することなど、とうてい出来ないのではないかとも思うのである。」

●無相庵のあとがき
    米沢秀雄先生は、山折哲雄氏(やまおりてつお;1931年5月11日生まれ、現在84歳)の論説を、 浄土真宗の大谷派の難波別院が発行する機関誌に掲載した事を暗に咎(とが)めたいと云うお気持ちがあったのではないかと、私は受け取りました。 山折先生は、今では著名な宗教評論家でありますが、この論説は先生が東北大学宗教学科の助教授をされている時(1977年頃、46歳)でありますから、新進気鋭ではありますが、学者であって、 親鸞仏法の信心への理解は深まっておられなかったのではないかと私は推察しております。
論説は、親鸞のアミダ仏信仰と、その他の様々な神仏信仰を同列に取り上げ、信仰対象を何にするかという観点からの論説であり、 最終的にはこの宇宙に存在するあらゆる事物現象を生み出す『はたらき』(この働きを仏教では「法性法身仏と申します)を悟らしめる手立てとしての南無阿弥陀仏を選び取られ、罪福信を否定し、 南無(自力無効、頭がさる)に到る『機の深信』こそ、現世で悟り、現生利益を受け取れる唯一の道だと確信された親鸞の信心の核心を外している論説だとして、 見逃すことは出来ないと思っておられたのだと、これから引用して参ります全文を読み終えて感じました。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1512  2015.11.05
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』詳細説明

●無相庵のはしがき
     米沢秀雄先生は、日常生活は信仰上の応用問題だと言われています。いくら仏法を聞いても、応用問題が解けなければ、仏法を聞いたことにはならないと言われます。 一方、別の考え方として、何かを得るために仏法がある訳ではないという事も聞くことがあります。私は、幼い時から、母親の影響で仏法に親しんで来ました。ですから、何か動機が有って仏法を 求めたわけでは有りませんでしたが、年齢を重ねそれなりに逆境を経験し、今現在の私は、良い人生、意義有る人生を歩みたいと云うことから仏法を求めていると言っても良いのではないかと 自己分析しています。
従いまして、生活と仏法は関係無いと云う考え方に素直に頷けません。しかし、一方で、であるにも関わらず、仏法のお蔭で、思うようにならないことがあっても、 活き活きとした生活を送っているかと振り返った時、決して、そうではない自分であることを認めざるを得ません。昔から、本当の親鸞仏法の信者は無碍の一道を歩めるのだと受け取って来ましたので、 私自身は未だ未だ道は遠いな、と思って参りました。そこで、かなり昔に読んだことのある、米沢秀雄先生の『歎異抄ざっくばらん』を思い出し、 無碍の一道の事が書かれている歎異抄第7章の解説を読み直した次第です。読み直しまして、本当に読んだのかという位、覚えていませんから、何も分かっていなかったことが分かりました。 それが大変有難かったです。かなり、長い内容になりますが、皆様にも参考になりそうに思いますので、数回に分けて、紹介させて頂きます。  『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第7章』は次の7節に分けられております。(1)となえ言の伝承、(2)山折哲雄氏の論説、(3)祖霊信仰と真宗、(4)法性法身(ほっしょうほっしん)が大本、 (5)老子の法身仏、(6)極重悪人の石屋さん、(7)たった南無ひとつ

   禅宗と浄土真宗は宗派は異なりますけれども、修行の方法が異なるだけで、根本的には、夫々個人が相性で選べば良いと私は考えて参りましたが、 その考えは根本的に間違いであったと、無知と不勉強を恥じ入りました。

●歎異抄第7章の原文
     念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず。諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々。 (注1)天神地祇(てんじんちぎ;天の神と地の神のこと。あらゆる神々のこと「神」は「じん」とも読む。同義語として天地神明) (注2)敬伏(きょうふく;敬礼帰伏)

●米沢秀雄先生の詳細説明をそのまま引用

(1)となえ言の伝承
    今日は歎異抄の第7章でございます。ここは有名な「念仏者は無碍の一道なり」という言葉の出ているところですが、この章は、えらい宣言だと思うですね。 これは、現代はほとんど無宗教の時代ですから、現代的感覚でこれを読んでも、その当時の人々の考えというのは、現代と大分(だいぶ)ずれていると思うんですね。 それは何かと申しますと、ここに書いてある天神地祇に対する崇拝の念が大変強い時代であった。これは日本民族の民間信仰ですね。 例えば、北陸でいいますと、白山とかそういう高い山を神聖化した時代であるし、今は山なんかを神聖化する考え方は、現代人には全然ありません。 例えば木曽の御岳(おんたけ)さんも神さまが祭(まつ)ってあったところで、日本人の崇拝的で、皆、御岳さんへ登ったもんや。今は御岳さんは観光に行くだけですが、 立山も立山信仰というて、昔は信仰の対象であった。

 そういう時代に、「天神地祇も敬伏し」というようなことをいったということは、大したことなんですわ。天神地祇に対しては、恐懼(きょうく;おそれかしこまること。)して、 おそれおののいて、祟(たた)りのないようにと祈ってる時代ですから、祟りを怖れる心というのは非常に多かったですよ。祟りを怖れる心は今もある。

例えば、今は全然そういう風習がなくなりましたけど、となえ言(となえごと)というのがある。となえ言というのは、何か間違ったことをすると、柱に当たったとか、 そういうことでも柱に対してとなえ言をする。となえ言をして祟りをよけるというのが、日本人の風習やった。それから、かまどに対するとなえ言があるし、うち中方々にとなえ言があった。

例えば、わりに今の人でも知っている正月の七草粥【ななくさがゆ;人日(じんじつ)の節句(1月7日)の朝に一年間の無病息災を祈って食べられている日本の行事食(料理)である】の時ですが、 「七草なずな、唐土の鳥が、わたらぬさきに」――あれは七草を囃(はや)すときのとなえ言、ああいうとなえ言が、うちの柱一本に対してもあった。 それが明治になって殆ど無くなったので、あれを無くしたのが浄土真宗であるといえるんです。

浄土真宗。西洋でいうと、キリスト教の歩いたところは草も生(は)えんと、こう言うですね。キリスト教が民間信仰を全部無くしてしまった。そのように、 浄土真宗が、民間信仰を全部無くしてしまったということが言える。だから浄土真宗が浸透した地域というのは、もう民間信仰がなくなっておるので、浄土真宗は敵に近いもんでないかと思うんです。 福井県の武生(たけふ)の辺りに行くと、あそこら天台宗の信仰の名残りで、元三大師【がんざんだいし;良源(りょうげん、延喜12年9月3日(912年10月15日) - 永観3年1月3日(985年1月26日)) とも呼ばれるが、平安時代の天台宗の僧。諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、 比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。】というが、この方は人々から大変尊敬せられた、天台宗の比叡山のお寺さんらしいですけど、元三大師の信仰というのが武生方面にあって、 鬼を木版で印刷したものが、家の軒に貼ってあるところがあります。あれも魔除(まよ)けであって、魔除けということは、「魔界外道も障碍することなし。」の魔除けであって、 魔除けを貼っておくとか、あるいは、となえ言をするとか、祟りを怖れる心というのは、非常に多かったんですね。

 祟りの話ならば、私が方々へ引っ張られて話をさせられると、あとに質問が出て来る中に、必ず出て来るのが、墓相の問題や。「墓相をどう考えるか?」、ということを言われるんですね。 そういう時に、「あんたらは墓の起源を知っとるか」と言うんです。墓の起源は昔は土葬でね。土を掘って遺体を埋めたわけや。 その人が生きておる時分にその人に対してろくなことをした憶(おぼ)えがないので、その人が化(ば)けて出んように、遺骸を埋めた上に重しをおいたんや。それが墓の起源です。 それが出世して、先祖代々の墓になったんやね。だから、重しの発達したもんやで、墓相もへったくれもないんや。

  なぜ墓相を気にするかというと、祟りを怖れる心が我々にあるからや。その祟りを否定した、というところに親鸞の信心があるのやで、これは実に日本の信仰の歴史上、画期的であると言えるんですね。 天神地祇――天の神さん、地の神さんということになると、日本人は皆これに平伏したんや。その天の神、地の神も、念仏の行者には敬伏すると言うので、私の持っている本には、 「念仏者」の〝者〟が抜けてますけど、「念仏者」と〝者〟を入れるのが本当なんですよ。念仏を信じておる行者、それに対しては天神地祇も敬伏す、天の神、地の神も頭下げる、と。 そう言うところに、親鸞の信心が画期的なものであるということが言えるわけですね。それがいい面もあるけど、先程申したように、民間信仰、 日本人がどういう信仰をもっていたかという資料を絶滅させたという、不利な点もあるわけですね。

「無碍の一道」というと、障りのない道、と書いてあるけど、念仏の行者にとっては、障(さわ)りが障りにならんということであると思うんです。 人間が一生生活していく場合に、障りのない生活なんかあろうはずがない。しょっちゅう障りに会うてるはずやけど、なぜ、無碍の一道は障りのない生活かというと、 転悪成善(てんあくじょうぜん)、悪を転じて善となす、という理想が親鸞の信心の中にありますので、無碍の一道というものが成立するんだと思います。

それから、近頃私がよくいうのは、今の浄土真宗というのは、ここで申したかも知らんけど、現益【げんやく;現世で受ける利益(りやく)】というものを軽蔑している。 現当二益ということがあります。これは別に親鸞がいうとるわけではないんですけど、親鸞のあとに出てきた真宗の学者が言い出したんでしょうけれども、 現益と当益(とうやく)とがある、と。当益というのは単なる未来の益とは違う。利益(りやく)ですけど、当益というのは当来(とうらい;必ず来るはずの世)ともいわれる。 本当は未来とは言わず、当来という。未来往生というのは実現するかどうかわからんものであって、当来というのは、必ず来るというので、 一瞬先も当来、明日も当来、明後日も当来、一年先も当来、十年先も当来、必ず来るというので当来というのが本当なんですね。未来往生といわれるけど、あれは間違いだろう。 未来往生というのは観念であって、親鸞の化土往生(けどおうじょう)に当たるものであって、本当はないものであると、こういうことですね。

●無相庵のあとがき
    親鸞聖人ほど、私たちと同様の普通の人間として、真実を求め、真実に生きた人は居ないと思います。だから、私たちと同じように妻帯され子どもも持たれて、煩悩生活を 生涯貫かれたのだと思います。しかも、一生、衣食住において貧乏生活に甘んじられたとお聞きしています。
科学教育を受けた現代人の多くが、正月には神社に初詣し、厄除けの神社に参り、家内安全、商売繁盛を祈り、節目節目にはお墓参りも致しまずが、親鸞聖人は、 父母の供養の為に念仏を称えたことが無いと申されています。

今回は、民間信仰と云うものと真逆の信心を説かれた親鸞聖人を前提としたプロローグだと思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1511  2015.11.02
続ー真実に生きる

前回のコラムで、『〝真実を求めて生きるところに平安がある〟という事と、世間の評価ではなく、私の心に宿った仏様が願われている生き方から外れないで、 この世間を生きて行こうと思うようになったからかも知れません。』と、申し上げましたが、平安と云う事は、歎異抄第7章に語られている『無碍の一道』の生活を送ると云うことでございましょう。 しかし、私自身が自分の生活を振り返った時、何も障りが無く生活しているとは申せません。障りばかりに囲まれ、不安な気持ちに襲われることがしばしばであります。 何故『無碍の一道』の生活を送れないかと歎異抄に尋ねますと、「自分自身の自己中心(自分さえ良ければ良い)的な心が一番障りになっている」と云うことでありました。
南無阿弥陀仏の『南無』の意味が全然分かっていなかったと云うことでもあります。『南無』とは、自分こそが罪悪深重煩悩熾盛の凡夫の極悪人だったと頭が下がる事だということであります。

逆説的な表現になりますが、「真実に生きるという事は、逆に真実に生きられない自分に頭が下がること」でもあると思います。 頭が下がれば、どんな事が起きても当たり前のことであり、どんな事でも受け取って行ける事でありますから、何にも怖く無いことでもありましょう。
ただそれで、縁に任せて成り行きに任せて何もしないというのでは、〝お任せ〟の誤った有り方だと私は考えます。今為すべき事に自分が出来る精一杯を尽くし、その上で、後々の事は、ご縁に任せること が真実に生きる事でもあるのではないかと思うようになりました。。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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