No.1540  2016.02.17
この娑婆には悪魔もいます・・・

     今週の火曜日、郵便局ー日本郵政から一通のメールが届きました。
『拝啓
配達員が注文番号51491071354の商品を配達するため電話で連絡を差し上げたのですが、つながりませんでした。
従ってご注文登録時に入力していただいた電話番号に誤りがあったことが分かりました。
このメールに添付されている委託運送状を印刷して、最寄りの郵便局ー日本郵政取扱い郵便局まで、
お問い合わせ下さい。
敬具                         』

     私自身は、最近、品物を注文した覚えがありませんでしたが、我が社の取締役をしている長女が、 私(会社)のメールアドレスで使用して注文をした可能性があり、一応、どんな品物かを確認するため、添付されていると云う委託運送状を開いてみました。 そして、印刷してしまいました。

     この添付物を開いたことが大きな間違いでした。いわゆるパソコンウイルスに罹ってしまったのです。そして、 パソコンが正常に動いてくれなくなりました。 通常は、初めての相手から送られて来たメールの添付物は、ウイルスを警戒して開くことは無かったのですが、印刷してと云うことで、うっかり開いてしまったのでした。

     無相庵コラムは、一旦ワード文書に入力してから、それをコピーして、更新処理をするのですが、ワードが使用出来なくなった為、 直接入力で更新処理をしている次第であります。 最近のニュースで知る日本社会の事件、世界のテロ、紛争を思う時、この娑婆には、人の〝いのち〟、人の安心安全を平気で犯し、 同じ一般市民に恐怖を与える悪魔とも言うべき、動物の『ヒト』が 共存しているのだと改めて、娑婆の実態に触れた思いが致しました。皆様もどうか、お気を付けて下さい。

     ただ、私にも、祖先を辿りますと『ヒト』の子孫であり、私も当然同じ残虐な血を引き継いでいます。ただ幸いにも、 私の育った環境が、幸いにもその血を発現させるものではなかったと云うだけの事を忘れる訳には参りません。
     更に、幸いにも、多くの仏法の先生方にお出遇い出来て、親鸞聖人の教えの要てある『唯除の文』のカラクリを知り得たことは、 まさに、「幸いなるかな!」であります。

なむあみだぶつ


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No.1539  2016.02.14
『唯除の文』のカラクリ

     親鸞聖人は「真実の教とは大無量寿経である」と言われています。その根拠は、学問的な考察は学者にお任せするとして、私は、 唯除の文があるからだと考えています。『大無量寿経』には、阿弥陀仏が未だ修行の身(法蔵比丘)であった時の願いを四十八並べられています。 この願いを〝本願(ほんがん)〟とか〝誓願(せいがん)〟と言ったりします。この中の四十八願の中の第十八番目の本願を法然上人は、〝王本願(おうほんがん)〟 と名付けられて非常に大切にされました。その王本願は、「私が仏になるとき、すべての人々が心から信じて、私の国(極楽浄土)に生れたいと願い、 わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、私は決してさとりを開きません。」と云う阿弥陀仏の宣言なのですが、 その本願には『唯除の文(ゆいじょのふみ)』が但し書きされているのです。その『唯除の文』は、「ただし、父母や僧侶を殺す等の五逆の罪を犯したり、 仏の教えを謗(そし)る者だけは除かれます。」と云う但し書きなのです。

     この解釈には、五逆の罪を犯したり、仏法を謗ったりしないように、注意書きして、全ての人を救いたいのだとする考え方もあるようですが、 ご著書を通してお教え頂いている米沢秀雄先生はこの『唯除の文』が浄土真宗の要の教えだと言われております。

     普通、この唯除の文を読みますと、「私は、父母も殺していないし、お坊さんも殺していない。それに、仏法を謗るどころが、 現に私は仏法を求めているから、この『大無量寿経』に触れている、だから私は救われる対象である。」と考えるのだと思います。そして、続く第十九願、第二十願に、 「色々な善行を積み重ね、また、更に念仏を一生懸命に称える者を必ず救う」と書かれていますので、「私は間違いなく救われるはずだ。」 と考えてしまうのが凡夫の常であり、更に努力を致します。しかし、その努力も通じることはなく、なかなか、救われた思いを抱けません。そこで、 第十八願を読み返しまして、未だに自分が救われない、無碍の一道を歩めないのは、私がこの唯除の対象だった、 つまり、阿弥陀仏が救う対象者ではないのかも知れないな。」と考え始めます。

     私は、このホームページに設けている法話コーナーの米沢秀雄先生の法話集に転載させて頂いている『魂の軌跡―法蔵菩薩の誕生Ⅰ、Ⅱ』 の法蔵比丘が法蔵菩薩に成る物語を知っていましたので、私が、唯除の対象だったのだと考えることが出来ました。そして自分の過去の生き様を振り返ることが出来ました。 そして、私は自分の手で人を殺(あや)めたことは無いにしても、随分、多くの人の心を傷つけたり、自ら付き合いを絶(た)つたり、 排除したりした自分の過去の身勝手さに、自責の念、懺悔の心が湧き起こりました。私は、社会人になってから、 職場(部署も含む)を7回変わりました(自分の意志で決めて変わりました)。仲良くしていた友人知人(男性、女性)との別れは6人にもなります (その時々に夫々理由はあったものの、自己中心的な言い訳で自分を正当化し、最後は自分の意志を貫いてのものです)。 それは、結果的に、人に迷惑、困惑を与えたことは間違い有りません。 それに加えまして、最も迷惑・困惑を与えた人が居ます。それは私の妻です。私は自分の事しか考えずに、勝手気ままな自分の人生を歩んで来ました。 勿論、自分の金銭欲、名誉欲を満たすためでありましたが、それは妻子も望むところだと考えていました。それが間違いでした。 幼い時から仏法を学んでいたにも関わらずです。勿論、生活の基盤はお金ですから、お金はどうでも良いことではありません。でも、お金が一番大切では有りません。 遅ればせながら、今にして思えば、心と心の繋がり、つまり、自分が関係する人々、家族、親族、近隣、職場の人々と調和し、決して自己中心的に言動を取らないことです。 それが、結果として私は出来ていなかったと今は懺悔する気持ちで一杯です。これからは、先ずは、家族と親族、親友と誠実な交流をして参ります。 特に、一番大事にしたいのは、45年間辛抱して付き合ってくれた妻に成る程と思われる配偶者になる事です。

     米沢秀雄先生の『魂の軌跡―法蔵菩薩の誕生―Ⅱ』の末尾に、法蔵比丘が吐露している言葉、 「私は自分自身の零であったという真の値打ちがわかって初めて、それを知らしめて下さったこの世の一切に頭が下がり、この時一切の不平不満は雲と消え霧と散じて、 この身このまま大満足の境涯に転じ生まれることが出来るのでありました。私は今こそ全世界にかつて存在し、今存在し、生来存在するであろう一切を、 そのまま肯定することが出来ます。私は先生の入国審査にも落第して一介の煩悩人に還りましたが、この煩悩人というものに落ち着いてみると、 この世界の何と広大な明るいことでありましょう。先生の審査に徹底的に落第させられて初めて、先生の申された摂取不捨の国、 浄土の真ん中に不思議に生まれている自分を発見しました。今こそ入国審査の矛盾がとけました。」が、私の今の心情そのものであることは実に感動的でありました。

     そして私は、これからは自分の力も考えも信じずに自然の成り行きに委ねて生きて行こうと云う考えになりました。
     それは、実に唯除の文のお蔭でありました。正しく他力の働きに依るものでした。読者の皆様には是非、法話コーナーの、 『魂の軌跡―法蔵菩薩の誕生Ⅰ、Ⅱ』をお読み頂きまして、唯除の文の生きたカラクリの実例を知って頂きたいと思っております。

なむあみだぶつ


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No.1538  2016.02.08
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(第六節)世界一おそろしい者

●無相庵のはしがき
     米沢秀雄先生は、『大無量寿経』の第十八願に但し書きされている〝唯除(ゆいじょ)の文〟を親鸞仏法の要と考えておられた。 法然と親鸞の教えの違いは、実に〝唯除〟の但し書きを気にかけるかどうかにある、と考えておられたことは間違いありません。
     〝唯除〟とはどう云うことかと申しますと、五逆(ごぎゃく;父母を殺害し、 僧侶を殺害する重い罪)と謗法(ぼほう;仏教の正しい教えを軽んじる言動や物品の所持等の行為を指す) の罪を犯す者を阿弥陀仏は救いの対象から除くと云うことでありますが、我々殆どの者は、自分はそう云うことをしていると云う自覚を持っていませんから、除かれる対象 ではないと思っています。実は、それが、そもそもの大きな錯誤であると云うことに気付かなければ(目覚めなければ)、本当の回心(えしん)にはならない、と云うことを、 米沢秀雄先生が我々に気付かせたいと考えて、色々な角度からお話をして下さっているのだと思います。
     唯除の文に依って、自己の真実に目覚めた例として、これまでのコラムの主役だった〝包丁が目に入ったお嫁さん〟、 〝お姑さんを看病するお嫁さん〟、〝江原通子さん〟、このコラムでの、〝自分を世界で一番恐ろしい者と言ったおばあさん〟を紹介して下さっているのだと思います。

その唯除の本当の意図に目覚めた物語を、米沢秀雄先生は、無相庵ホームページの法話コーナー、米沢秀雄先生のご法話、『魂の奇跡』に示されています。 是非ともお読み頂きたいと思います。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『世界一おそろしい者』をそのまま引用
     善導大師の加減の文【『往生礼讃』の第十八願加減の文の事で、衆生の往生(機)と仏の正覚(法)の一体を示し、 続いて機法一体の名号について論じて、念仏衆生の三業と仏の三業とが一体であることを示すらしい】に、唯除が抜かしてある。 どう云う意味で抜かされたのか、分かりませんけども、柳宗悦と云う方があって、この方は民芸品と云うものの価値を、世の中に紹介した人で、 棟方志功とか河井寛次郎とか、富本憲吉とか、そう云う版画家、あるいは陶芸作家を掘り出した人でもあるし、因幡の源左を一般に紹介した人でもある。 そう云う功労者ですけれど、柳宗悦と云う人は宗教についても一つの見識を持っておったと言うですかね。『南無阿弥陀仏』と云う本を書いとるですね。

昔、その柳宗悦の書いた『南無阿弥陀仏』と云う本を読みましたが、その中にやっぱり「唯除の文」は無い方がいいと、こう柳宗悦が言うてますね。 そうすると、浄土宗ではただ念仏して極楽へ生まれると云うことだけで信心と云うものが明確になっておらんと、こう云うことが言えるのですね。 そう云う点ではまあ、楽なことは楽でしょうけれども、易行だけで、難信と云うことが出てこないのではないか、と思いますね。 しかし、南無阿弥陀仏を称えると極楽へ生まれられると云うだけでは、頭を撫でられたようなもので、それを真受けに出来るかどうかと云うことが、問題だと思うですね。

で、浄土宗の悪口を言うてるようですけれども、真宗でも、そう云う風に言うとった。例えば、愛知県の尾張と云うのは、非常に大谷派の門徒の多いところで、 三河仏法と言うて、やかましいんですけれども、そこの説教を若い時から聞いて来た人が言うとったけれども、法蔵菩薩が五劫思惟され、 兆載永劫(ちょうさいようごう;ものすごく長い時間のこと)の修行をされて、南無阿弥陀仏と云う〝お六字〟を成就して下さったので、我々は頂くだけ。 「はい」と頂くだけや、ちゅうような説教をやっとったんですね。そう云う説教やっとって、ようそれで分かる人があったかなあと、私は思うんです。

だから、何と言うか皆聞いて、「ああ、結構なお話で・・・」くらいで終わっておったんではないか、と思うんですね。それで私は、 分かるまで聞くと云うことが大事なんでないかと、こう思うんです。ところが、能登では、「御示談(ごじだん)」と云うのがあるのや。 御示談と云うのは、法話の後に一対一で問いと答えをやるわけですけれども、それも経典の言葉に付いてだけであって、まあそう云う御示談の中から、 本当の信者が生まれたものかどうか、私は不思議に思うんですが、ところが、そう云うような中でも、生まれることは生まれとるのや。

これは石川県の、それを書いた人に会うたことがあるんやけど、自分のおばあさんのことを言うとったね。そのおばあさんが――昔の話ですよ、昔の話やから、 説教を聞くのに何里か離れたところに寺があるので、寺へ行って、いわゆるご示談をして、山の中を歩いて帰って来ると、夜中を過ぎて明け方に家に着くという、 そう云う熱心なおばあさんが、聞法者として居った、と。 「女で、夜中に一人帰って来るのは恐ろしうはないか」と聞いた。そしたら、そのおばあさん、「世の中で、わしほど恐ろしいものはない」と、こう言うたちゅうんや。 きついなあと思うなぁ。「このわしほど、こわいものはない」と云うのは、機の深信と言うのかな。そう云うことを表しておるのでしょうけれども。 もう一つ面白いことを言うと、池田勇諦と云う人が新聞に書いとったが、見世物で〝世界で一番おそろしいもの〟ちゅう見世物があるんや、と。 それを覗(のぞ)くと、向こうに鏡が立っとるんやて。自分が映るんやがな。世界で一番恐ろしいものちゅうの、面白いことを考えたものやと思うね。 しかし、それは見世物やけれども、その石川県のおばあさんには、参ったね。自分ほど恐ろしいものはないから、世の中に恐いものは無いと。こう云うことを言うんですな。 で、唯除の文のことですが、柳宗悦は、唯除の文が無い方がええと、こう言うた。私はそう云うのを読むと、何か頼りないように思われる。どこで信が得られるか。 それから、回心と云うことを言いますけれども、どこで信心が得られるか、どこで回心するか。そう云う回心点ちゅうんかな。そう云うものは、唯除の文が無いと、 分からんと、こう思うですね。

で、唯除の文と云うのが、機の深信に当たるわけ。唯除の文が機の深信に当たって、機の深信が自覚、信心の自覚を呼び覚ます。それで救済教の本願の念仏が、 自覚になると。自覚になったのを信心と、こう言うのであろうと思うですね。その自覚が得られなければ、私は何にもならんと、こう思うんです。

それであの唯除の文が、なぜ自覚になるかと云うことですが、昔――また私のことになって悪いんですけれど、本山から『魂の軌跡』と云うのが出ました。 それは本山から頼まれて、書いてくれと言われて書いたものですけれども、書いた分量が少し足りなかったので、以前にNHKのローカル番組で話をした。 「法蔵菩薩の誕生」と云うのを入れたんですわ。「法蔵菩薩の誕生」なんちゅう言葉は、私が考えた言葉なんですけれど、その時分私は、柳田国男さんの、 民俗学の本をよく読んでおった。柳田国男さんが昔話のことをよく書いておられて、中に桃太郎の話がどこから生まれてきたかと云う『桃太郎の誕生』と云う本があった。 その誕生を引っ張ってきて、「法蔵菩薩の誕生」と云う話を、まあ考えたわけやね。それはあの、『朝に聞く道』と云うんやったな、ローカル番組があって、 それに引っ張り出されて、十分か十五分で二回かな、話させられたその中に、法蔵菩薩と云うのはどういうもんかと云うことを私が考えて、――これは従来、 『大無量寿経』に書かれている法蔵菩薩とは、だいぶ趣きの変わった法蔵菩薩になったと思うんですけれども、その法蔵菩薩のところで、 これも曽我量深先生と考え方が違うところがある。 久しぶりで曽我量深先生の還暦の時の講演『親鸞の仏教史観』というのを読み返しましたら、五十三仏のことが書いてありまして、この「燃灯仏」というのか、 燃灯仏をもう一つ何と言いましたかな。五十三、仏がずっとあげられておるんですね。 曽我先生が言われるには、その燃灯仏と云うのは、『大無量寿経』を読むと、何か一番古い仏のように思われるんや。が、曽我先生は、燃灯仏は一番新しい仏や、 と、こう云う風に仰っておられる。そして一番古い仏が世事自在王仏で、この世事自在王仏について、法蔵菩薩が仏法を聞いたと、こういうことになっておる。

で、この燃灯仏が一番新しい仏やと、こう云う風に曽我先生は言うとられるんや。私は燃灯仏と云うのは、古い仏やと思うんです。それを私は自分に引き付けて考えた訳やね。それは、何でそんなことをするかと言うと、これも昔話になってしまいますけれども、『実存原型としての法蔵菩薩』と云うのを、私はこれは何年か忘れたけれども、ここ(福井市・恵徳寺)で、お寺さん方にお話ししたことがあった。

『大無量寿経』に、ずっと昔、法蔵菩薩と云う方が居られたと云うことが書いてあるんやけど、そう云う伝説的なものでなくて、人間の本質を言い当てたのが、 法蔵菩薩であると、こう云う考え方で、『実存原型としての法蔵菩薩』――これは恵徳寺さん(三上一英師)が本にして出して下さった中にも入っておりますけれども、 そう云う考え方がもとになっておる。

この『実存原型としての法蔵菩薩』と云うのはね、これ「めくら蛇におじず」だな。同朋会館で、兵庫県の布教使の会があった時、引っ張られて話をさせられた時に、 この『実存原型としての法蔵菩薩』と云うのを、堂々と発表したわけや。そしたら、質問がありまして、「それでは五十三仏は、どうなるのか」とこう云うことや。 私の本質が法蔵菩薩と云うことになったら、五十三仏――燃灯仏や代々五十三仏があるのはどうなるかと、こう云う質問を受けて、 その時はちょっとそこまで考えておらなかったので、ギャフンと参ったんやね。

●無相庵のあとがき
     『唯除の文』に焦点を当てられた親鸞聖人の偉業は、お釈迦さんの教えを我々世間一般の生活者に論理的に説き明かしたものであります。 お釈迦さんが亡くなられた約700年後(すなわち紀元後2世紀中頃)に原始仏教から進化したとされる大乗仏教は、また『大無量寿経』の唯除の文は、 この親鸞の出現を永らく待ちわびていたのだと思います。次回のコラムで、『唯除の文』を第十八願に忍ばせたカラクリ(?)に付いて、 私なりの了解(りょうげ)を私なりの言葉で申し述べたいと思います。

なむあみだぶつ


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No.1537  2016.02.08
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(第五節)包丁が目に入った

●無相庵のはしがき
     久しぶりに、『歎異抄ざっくばらんー歎異抄』詳細解説に戻ります。
     今日の表題は、『包丁が目に入った』です。別にお料理の話題では有りません。或るお嫁さんが、自分にきつく当たる姑(しゅうとめ) さんの暴言を聞いた瞬間、思わず、手の届くところに有った包丁が目に入ったけれど、振り向いたその時には、既にお姑さんは立ち去っていて、事無きを得たと云う話です。
皆さんには瞬間的に腹が立って、思わず人を殺(あや)めそうになった事は無かったでしょうか・・・。私は、小中学生の頃だったと思いますが、母親に注意されて、 そんな事を思った瞬間が有ったような気がします。それ程深刻なことではなくても、人には言えない、人には知られたくない感情を持つことは誰にだって有ると思います。 でも、何とか実行に移さずに、事無きを得て今日に至っていると云うのが本当ではないでしょうか。この私の発言に、抵抗を感じる方は、余ほどの聖者か、 大嘘つきのどちらかではないかと思います。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『包丁が目に入った』をそのまま引用
     で、これは前にも言うたかも知れませんが、松任市の松本梶丸君と云う、これは四十代の人ですが、まあ非常に優秀なお寺さんです。 その門徒の人でおばあさんが胃ガンで入院しとる。自分の門徒が入院しとると云うことになると、お寺さんとしてはやっぱり見舞に行くだろうと思う。 で、松本君は見舞に行った。そしたら、息子の嫁さんがお姑(しゅうとめ)さんを看病していた。これはどこにでもあることや。 で、門徒のおばあさんに見舞を言うて出て来ると、お嫁さんが送って出る。これもまあ従来のしきたり通りや。

     で、松本君がそのお嫁さんに、「毎日看病ご苦労さんですね」――これも常識的に誰でも言うことや。そうしたらそのお嫁さんが言うた。 「もうしばらくですから、嬉しいてす」と。それは医者が、もう一か月の〝いのち〟やと言うた。それで「もうしばらくですから、嬉しいです」と、こんなこと言えますか。 ひどい嫁さんや。そして、その次の言葉はもっとひどいわ。

     「こうして、お姑さんを看病していて、思い出すのは、お姑さんから苛(いじ)められたことばかりです」と。ひどい嫁さんや。 こんな嫁さんに当たったら、かなわんな。

     で、私はその嫁さんこそ、お姑さんを真心から看病していると思うんや。と言うのは、 その後に「ここで初めて親鸞聖人にお会いしました」と言うた。親鸞の「虚仮不実の我が身で、清浄(しょうじょう)の心もさらにない」―― そう云う自分の心をどん底まで照らし出されておると言うか、これが浄土真宗の生命だと、こう思うですね。「ここで親鸞聖人にお会いしました」と。 いかに努めても努めても、心の中に虚仮不実があるぞと云うことを見逃さない。そう云う鋭い目を、本願の念仏から、そのお嫁さんが頂いていると云うことですね。 その話を聞いて、この嫁さんこそ、心の底からそのお姑さんを、看病しておるなぁと、私は思いましたね。

     皆、かっこうばかり問題にしとるのや。かっこうでないて。心の底を問題にされたと云うところに、 親鸞と云う方の非常な鋭さと云うのかな、人間分析のまなこが、非常に鋭い。人間分析と云うのは、人間の頭で分析したのでなくて、仏の智慧の眼から分析された人間、 そう云う人間と云う抽象的なものでなしに、自分自身、そう云うものをさらけ出しておられたと云うことですね。

     ですから、親鸞のこう云うものを読むと、我々は非常に心強く思う。と言うのは、そう云う心を私も持っておるからやね。 親鸞の後を、皆が何故付いて行くかと言うと、親鸞がここまで自分自身をさらけ出しておられるからやと、私は思うですね。

     これは、江原通子さんの話やけど、江原通子さんと云うのは、福井の東別院の暁天講座にも、私が推薦して三度か、来て貰った。 それは何故かと申しますと、江原さんというのは、去年亡くなった円覚寺の管長さんの朝比奈宗源老師について、禅の修行した人です。 まあ去年60歳になって、文芸春秋社を退社しましたけれども、文芸春秋に勤めておったんや。で、禅をやった人や。しかし江原さんの、 ずっと以前にあるところでされた講演を読んで、まあ私は、この人は禅をやっているけれども、浄土真宗やな、と思った。

     というのは、自分自身を語る。禅ではね、大抵支那の禅の偉い人の話をする。それか、自分の修行をした苦労話かね。 そう云うもんで、自分自身をまな板に載せて語ると言うことは無い訳なんや。ところが江原さんは、自分自身をまな板に載せて語っておるので、 私はこの人は禅をやった人やけれども、浄土真宗やなと、こう思った。

     というのは、お姑さんとのことが書いてある。えらいお姑さんのことばかり出てくるけど、江原さんと云うのは、 ご主人が文芸春秋に勤めていて、報道班員として南方へ行って、報道班員やから戦死とは言われんのでしょうけれども、戦争に巻き込まれて亡くなられた人や。 その家は昔庄屋をやってた家柄のいい家へ江原さんが嫁にいったわけや。するとご主人が文芸春秋へ出勤するのに、靴脱ぎの真ん中にご主人の靴をそろえた。 これは当たり前のことや。そしたらお姑さんに叱られたちゅんや。「この家の戸主は私や」と。そりゃ戸主はお姑さんでも、息子の靴揃えて悪いことないがと、 我々は思うけども、戸主でもない者の靴を真ん中に揃えるとは何ごとやと、お姑さん、怒ったちゅうんや。

     それから若夫婦が二階におるし、お姑さんは下の部屋におるんやと。で、江原さんが下の便所へ行くのに、 縁側に手をついて障子の外から「便所へやらせていただきます」と、そうして便所行くんやと。そんな家あるかね。そう言うので、 極端に言うとお姑さんから苛(いじ)められた、と言うんかな。お姑さんとしては嫌がらせでなく、普通のことをやっている積りやろうけど、 ちょっと普通の者は耐えられんと思うな。 ところが、私が非常に驚いたのは、鮭の切り身をお姑さんにつけた、と。そしたらお姑さんが怒った。それは鮭の切り身が小さかったからで無いんや。 その鮭の切り身がのせてある皿に、ヒビリが入っていたちゅうんや。そんな小さいヒビリくらい、気が付かんがね。 わざわざそのヒビリの入った皿に盛ったわけでもあるまいが、お姑さんが怒ったちゅうんや。 それで食事が済んでから、それを台所へ下げて、洗い物しとったら、お姑さんが台所まで来て、怒ったちゅうんや。その時に、包丁が江原さんの目に入った、ちゅうんや。 振り返って見たら、お姑さんがもう、部屋へ帰っていたから、それで事なきを得た、と。

     で、こう云うことを人に言えますか。例えそう云うことが事実あったとしても、これは人に言えることでないと。そういうことをちゃんと、 本の中に書いとるんや。私は感心しましたね。こう云うことが言えると云うことは、大したことや。機(き)の深信(じんしん)です。真宗で言う機の深信と云うもんや。 で、そう云うことを、自分をまな板に載せて、語れると云うことは、大したことやと私は思うんです。皆そう云う心がある。心があっても、皆言わんわな。親鸞と云う人は、 人の言えんことを言うたちゅうところに、親鸞が大した存在であると思うんですね。

●無相庵のあとがき
     上述の最後の文節に、『機(き)の深信(じんしん)』と云う言葉がありますが、 『機』とは仏法では自分自身(心)のことと考えて良いと思います。自分の〝いのち〟は、遠い祖先から引き継いだものですから、どんな素質と性格を受け継いでいるか 知る由も有りません。また、生れ育った家庭、環境は、父母の生まれ育った環境と価値観に左右され、これまた自分で選ぶことは出来ません。
     そう云う自分自身の『機』に目覚めなければならないと思うのです。こう申しますと、消極的な考えだと思われるかも知れませんが、 本当の事、事実を知った上で現実を受け入れ、自分の心(頭脳)が決めた道を信じて無碍の一道の人生を歩まれたのが親鸞だと、私は思うのです。

なむあみだぶつ


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No.1536  2016.02.04
他力本願の〝本願〟とは・・・

●無相庵のはしがき
     今日は、午前10時から明石税務署からの出張確定申告場所に行って、申告書を提出して参りました。1年に一回、ややこしいことですが、 年金受給していますし、小さな会社経営していますから、夫婦二人分の確定申告しなければなりません。もう十年間毎年確定申告して参りました。 それで、コラム更新の時間が足りず、米沢秀雄先生のご著書からの引用分を下記に転載させて頂くに留めましたが、先ほど帰って参りましたので、 無相庵のあとがきを追加して再更新する次第でございます。

●米沢秀雄先生のご著書からの引用転載
     「自然(じねん)というは、もとよりしからしむるということばなり」。自然と云うのは、非常に大事なことです。自然には三つある。

          無為自然(むいじねん)
          業道自然(ごうどうじねん)
          願力自然(がんりきじねん)

     この願力自然というのは、浄土真宗の教えなのですけれど、無為自然と業道自然、これは宇宙中が無為自然と業道自然というものです。 業道自然に皆さんが生きておられることは間違いない。女に生まれたとか、男に生れたと云うのは、業道自然です。 誰も自分で女に生れたいと思い、男に生れたいと思って生まれた者は一人もない。私も男に生れたいと思って男に生れたのではない、女に生まれた方が、よかったと思う。 というのは、現代は、女がいばっていて、男の方が駄目なのです。

     私のとこ、医者をやっているのでよく分かるんですけど、赤ちゃんが病気で来る場合、赤ちゃんを抱っこして母親がやってくる。その亭主が、 オムツの入った袋下げて後ろからついてくる。そういうのを見ると、やっぱり女に生まれた方がよかったと思う。

     後悔先に立たずと云うのはこの事です。いくら女に生まれた方が良かったと思っても、もうすでに手遅れですが、これを業道自然と言うのです。

     業道自然というのは、単的に申すと、おしっこしたくなったら、話どころでない。えらい面白いこと言っても、聞きたいと思うても、 おしっこの方が先だ。
電車(近鉄)に乗って来たら、急行と特急がある。この次の先発は云々と言われても、おしっこの方が先発です。

     腹が減ったらメシを食べることが先決。業道自然の世界と云うのは、そういうもんです。
無為自然と云うものは、法身仏(ほっしんぶつ;宇宙を生み出し、動かし変化させる〝はたらき〟そのもの)のことです。
無為自然と云うのが、我々の生れて来た元なのです。

     無為自然というのは、何もせんと云うこと。そこに松が生えているけれども、松は松になりたいと思って生まれたのではなくて、 無為自然から、松として生まれきたのです、この松は、別院の松になりたいと思っていなかった。
しかし、何代前かの輪番かなんか知らないけれど、その方がその松をここに植えたので、仕方なしに生えてるんですよ。
あの松は、心があればですね。あの宮城の松になりたかったかも知れん。みんな仕方なしに生れて、生きているのでしょ。

     仕方なしに生きているのでは申し訳ない。自分で進んでこのために人間に生れてきたと云うものを、つかまねばならんです。
それは、皆さんは、つかんでいるでしょう。金儲けるために生れて来たと思う人は、金儲けに精出している。この不況の中では、どうともなりませんが。

     だから縁によって、色々変わるのです。総理大臣になろうと思ってもなれない者もあるし、松下幸之助になろうと思っても、 なれない者もある。
だから全部の人間が、人間に生まれて良かったと言わせたいと、本願があるのです。

     だから弥陀の本願は、私よく言うのですけれど、阿弥陀仏が立てたという事になってるけれど、阿弥陀仏がヒマで何かせんならんなと思って、 本願を立てたのでない。 道楽で本願立てたのでないのです。
人間に生れたすべての者に、人間に生れてよかったと、こういうことを思わせたいと言って本願を立てたんです。

     そうすると、本願と我々と非常に緊密な関係になってくると思う。
     皆さんは、人間に生れてよかったと思っていられますか。
     こちそうを食べたいときだけでしょう、人間に生れて良かったと思うのは。
情けないもんです。

     家で御馳走にあたらないと、なんでこんな者と一緒になったんだろうと思うでしょう。料理上手の奥さんと一緒になると、 こういう人を女房にしてよかったと思うかも知らないけれど、料理の下手な奥さんに会ってみなさい。なんでこんな者と一緒になったんだろう、こう思うでしょう。

     なんでこんな者と一緒になったのだろうと思ってる者に、人間に生れて良かった、ちょうどいい加減の者と一緒になったと、 そういう喜びを持たせたいというのが、本願の狙いと云うものです。

     そうするとだんだん我々に近づいてくるのでないですか。
本願と云うのは、そういうものですよ。

●無相庵のあとがき
     米沢秀雄先生の最後のお言葉、「人間に生れて良かった。私が、私に生れて良かったと云う声をあげさせたいと云うのが、本願の狙いです。」と 思えること、それこそが人間に生れた〝生れ甲斐(うまれがい)〟であり、〝生き甲斐(いきがい)〟ともなるのだと思います。 そうなれば、論語の中の有名な孔子の言葉、『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』(あしたにみちをきかば、ゆうべにしすともかなり)と云う心境にもなるのだろう、 と思われます。

     元プロ野球選手だった清原和博選手が、覚せい剤所持容疑で逮捕されました。20代の若さで、人生の頂点を究めた一人の男性です。

多分、天分として引き継いだ素質と努力で頂点を究めたのだと思いますが、頂点を究めれば後は下り坂しか待っていないのではないかと凡人の私は思ってしまいます。 下り坂になりますと、過去の栄光が素晴らしいものであればある程、挫折感が大きく、しかも、有名人だけに、誰にも心の内を曝け出されず、孤独感、 孤立感に襲われるのではないかと想像致します。普通は趣味であるとか、何でも打ち明けられる親族や親友に依って、癒されていくものだと思いますが、清原選手程の有名人 ともなりますと、難しかったのかも知れません。超有名人て無ければ、分からない何かが心の奥底に沈潜しているのだと思うしか有りません。 米沢秀雄先生の「人間に生れて良かった。私が、私に生れて良かったと云う声をあげさせたいと云うのが、本願の狙いです。」と云う考え方に若い頃に触れる機会が無かった ことが、まことに残念です。誰しも、若いころは、自分の為だけに生きるものですが、社会人になっても、自分の為だけに生きていると、 このような残念な人生になるのかも知れません。素質が無くても、素質が無いと思えば、少しでも他の人の役に立つ生き方を目指すようになると思います。 それを目指せば、精一杯の努力をしたくなり、やがて、「人間に生れて良かった。私が、私に生れて良かったと云う声をあげさせたいと云うのが、 本願の狙いです。」と云う言葉に行き当たるはずだと思うのです。

なむあみだぶつ


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No.1535  2016.02.01
幸せは不幸な顔してやってくる

     最近、娘から「幸せは不幸な顔してやってくる」と云う言葉を聞きました。年末年始、そしてこの1月31日までの間に、 私個人と私の会社(株式会社プリンス技研)には良かったと思える事もピンチだと思える事もたくさん起こりましたので、娘を交えた家族の会話の中で、 「ピンチをチャンスに変えないといけないな」と云う私の自分に対する言い聞かせの発言でありましたが、「幸せは不幸な顔してやってくる」と云う言葉を、 私は初めて耳にしました。そして、「上手いこと言うもんだな」と思いました。

     逆に、「不幸は幸せな顔をしてやってくる」と云うことでもあり、能く耳にした「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し」 と云う故事ことわざを現代的に言い換えたものなのだとも思いましたが、ピンチの時に、幸せを願っている者にとりまして、「幸せは不幸な顔してやってくる」は、 希望を持たせてくれ、背中を優しくそして強く押してくれる新鮮な言葉でもありました。

       会社のピンチは、私のプリンス技研株式会社の特許権に関連したもので、 不本意ながら取引先に対して法的手続きを取らなければならなくなった事態が生じたことなのです。 このままでは、これから得られるはずの数百万円の収入を放棄することになりますから、自己防衛心と無法行為を許るす訳にはゆかないと云う立場から、 やむを得ないと思っております。

     その他に、心を暗くさせられたのは、無相庵コラムでご紹介した娘婿の会社の後輩(30代半ば)の突然死、そして、 自分が年を取れば当たり前に生じる成り行きですが、高齢者(70歳以上)に課せられた高齢者講習が必要な免許更新を取り止める決断をし、 結果として12年間乗り続けて来た愛車を手放したことです。

     反対に良かったと思えることは、長らく交際が途絶えていた親族(姉達)との交流が再開したことです。詳しく事は申しませんが、 母が亡くなって以来、交流が出来ませんでしたが、母が亡くなって約30年(今年の6月29日が30回忌)ぶりに、此方から兄と一緒に二人の姉を訪ねる機会が訪れました。 これは、今思いますと、長年この無相庵ホームページのコラム更新を続けて来たご褒美なのか、最近取り組んでいます米沢秀雄先生のご著書の内容が結果として、 私の心にあった懲り固まった嫌な塊が氷解するキッカケを齎(もたら)してくれたのだろうと思っています。お姉さんから「やっぱり、親身はいいわねぇ、 嬉しいわ」と云う言葉を聞けて、私も兄も長年の胸の奥底にあった塊が霧散し、嬉しく思っています。

     他に嬉しい事としましては、法的手続きすることになった特許に関連する技術を、更に進化出来て、 大きな成果を得られそうな可能性に遭遇したことと、2008年から8年間ある企業と開発を続けて参りました商品が、やっと量産化に成功し、 この2月中には全国の事務用品店の店頭に並ぶことになったことです。成功物語の始まりにしたいものです。

     もう一つ、私の母校である兵庫県立長田高校の野球部が100年の歴史で初めて、今春の選抜大会での21世紀枠で 甲子園出場を勝ち取ったことです。私が高校生の時には、予選が甲子園であり、応援に駆り出されたことがありますが、初戦敗退が常でした。ここ数年では、 ベスト4とかベスト8に勝ち上がることもありましたが、まさか甲子園出場に至るとは考えてもいませんでしたので、まさに「びっくりポン」です。

     この娑婆世界は、我々個々の人間の願いとか意志とか努力等が及ばぬ、過去からの人間のぼう大な歴史の積み重ねと、 個々人が祖先から受け継いだ素質と性格が新しい歴史を作り出していくと云うのが、自然(しぜん)な成り行きだと思います。これを親鸞は、 自然法爾(じねんほうに)の理と受け取ったのだと思います。

     私個人としては、私に起こる現実は、自然(じねん)の事として、受け入れ、『禍』と思えることには、その状況に立ち向かい、 乗越える精一杯の努力を為し、『福』と思う現実には、決して甘んじることなく、『福』が『禍』に転じることがないように心を誡(いまし)め、次の『福』を念じて、 これまた精一杯の努力を為すことが、無碍の一道を歩む姿勢であろうと考えます。

南無阿弥陀仏


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No.1534  2016.01.28
親鸞仏法を伝え残すには・・・

     古くからの無相庵読者様から、「ご無沙汰しています。大谷さんのコラムは私にとっては難しいのです。ひさしぶりに 私にも読めるものに出会いました、〝知人の死〟という内容です。」と云う感想メールを頂きました。
     どうしても理屈っぽくなるコラムの表現に、私自身も、気になっておりましたので、一般読者向けの〝無相庵はしがき〟等 を考えてみましたが、それも振り返ってみますと、どうしても、古臭い仏法の匂いと、理屈っぽさを取り除けていないと思っておりました。
     まあ、これが、親鸞聖人の信心から程遠い、私の信心力なのだと思わざるを得ません。ただ、親鸞仏法が一般の方々にも難しく 思われていることも承知しておりますが、それを何とか改良改善して、一般の方々に、親しみがあり、且つ、 どなたにとりましても悩み多い日常生活と云う応用問題を乗越えていける教えとなるようにと云う大それた考えを持っている私には、大きな刺激となりました。
     私の生きる目的目標は、変わっておりません。米沢秀雄先生、井上善右衛門先生の目指された、 親鸞聖人の仏法を現代に蘇(よみ)られせて、平和で安心な日本を、そして平和で安心な世界にしたいと云う根本的な願いを叶える一助にもなりたいと云うものです。      そんな私の願いに賛同される方々のご感想メールは、私にとりましては大きな励ましとなります。 皆さま方のご感想をお待ちしております。

な・む・あ・み・だ・ぶ・つ


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No.1533  2016.01.25
絶対他力

     明治時代に、親鸞仏法を蘇(よみがえ)らせた方が居られます。清沢 満之【きよざわ まんし、1863年8月10日(文久3年6月26日) - 1903年(明治36年)6月6日)】師です。40歳と云う若さで亡くなられた方ですが、清沢師の登場が無ければ、私たちは歎異抄に出遇えなかったかも知れないと、 先師からお聞きしたことがございます。
     その清沢師は、単に『他力』とは申されず、『絶対他力』と云う言葉を残されているそうです。私は不勉強で、未だ一度も、 清沢師の著述を読んだことは有りませんので『絶対他力』がどう云う考え方からのお言葉か分かっておりませんが、私は、最近の無相庵コラムで、 〝まさか〟と云うことに付いて色々と考察した挙句、「〝まさか〟と云うことは無い、〝まさか〟と思うのは、他力を知らぬ私の邪見驕慢から来ているのだ」 と云う結論に至りましたので、清沢師の『絶対他力』とは、「他力ならざるものは一切無い」と云うことでは無いかと考えております。間違っているかも知れません・・。

     お釈迦様の仏法は、お釈迦様が「この世の事は総て、縁に依って生じる」と云う『縁起の道理』に気付かれたことが、 そもそもの出発点であると教えられて参りました。『縁起』と云う言葉は、言い換えますと『他力』だと思います。そして、更に言い換えますと、私は今は『自然(じねん)』 、つまり、「自然(自然)な成り行き」と言っても良いのではないかとさえ思っています。

     私の周りで生じる事、我が身、わが家庭で生じる全ては、私の力が及ばない〝他の力〟つまり総ては『他力』に依ると云っても過言ではない、 と思います。 極論致しますと、私は、『他力の塊』として生きているのだと言っても過言ではないとも思っています。「いやいや、私は、自分の意志で人生を生きている」、 と仰る方が居られるかも知れません。私がそう思って70年間を生きて来ました。勿論、仏法を学んで参りましたから、『他力』に依って生かされて生きている、 とは考えて参りました。しかし、人生の節目節目の岐路に於いて、自分の意志で歩むべき道を選択して生きて来たと思っていました。でも、自分の意志でと考えていたのも、 自分の祖先から受け継いだ性格・性分(つまりはDNA)と、生れ育った環境(生れた時代、生れた国、地域、男か女か、そして両親の教育方針、経済力、兄弟等など)、 と云う条件(他力、縁)に依って選ばされて来ただけの事だと考えるようになりました。

     私が生きていられると言うことは、空気があることで生きるエネルギーを作り出す酸素を体内に取り入れられている事、そして、眠っている間も、 私の意志と関係なく呼吸出来ている事、その酸素を体中に送る道具としての血管が有ること、そして、血液を体中に送る為のポンプ役の心臓を動かしているのは、 自分の意志では無いこと等など、自分の意志で生きているかのように思っていますが、どうやらそうではないように思えます。更に、私が母親のお腹から生まれて来る瞬間、 オギャーと泣くと同時に肺の呼吸が始まり、同時に心臓の左心房と右心房を隔てる膜に開いている卵円孔(らんえんこう)と云う孔が塞がり、血液が、肺を通って流れ出すらしいのです。 これは、一体誰が仕組んだ仕業なのでしょうか。人類の祖先が考えて為した事では有りません。私たちの体で生じている当たり前と思っている働き、口から食べた食物から、 栄養素だけを腸で吸収して、要らない水分は尿として、繊維物質は便として体外に出して、生きてゆける体形、体重を維持しているのは、私の意志力に依るものではありません。 一度、自分の意志、努力で出来ている事を数えみて頂ければ分かるかも知れません。私は、結果として、一つとして見付けられませんでした。

     特に私は、糖尿病ですから、毎朝インシュリンを自分で注射しています。私のすい臓が、食物を栄養素に分解しエネルギーの元とする インシュリンの分泌能力が十分でなくなったから、人工的に血管にインシュリンを補給しているわけです。
その注射器の複雑な構造、部品は、数十個はありそうです。その部品一個一個を仕上げて注射器の部品として使えるようにした技術者の数は想像出来ない位多いでょう。 また、注射器の部品を製造し、運搬し、組立てるためにどれだけの人が携わっていたか、想像を絶します。注射針一つにしても、細い針にしてくれたお蔭で、それ程の痛みもなく、 使用出来ます。また、肝腎のインシュリンを人工的に量産出来るようになるまで、どれだけの開発研究があったか、これまた想像を絶します。この注射器、 このインシュリンが開発されていなければ、私は、こうして生きては居られませんでした。

     これらは、全て他力でございます。他力にも人類の歴史があります。人類だからこそ自然に起きる現象があります。宗教は人類だから 生れたものです。そして、テロを起こすイスラム教過激原理主義者の『イスラム国』が生まれたのは、自然(しぜん;他力)の成り行きです。 自分でどうすることも出来ない他力に依って生じている事に、今、人類は苦悩しています。世界もそうですが、私たち個人も、自分でどうすることも出来ない他力に依って 生じてる現在に悩み苦しんでいる我々です。

     他力に依って生きている事を認識すれば、邪見も驕慢も、起こりようがないと思います。現在の私の不平、不満、不信、不審は、全て、 邪見と驕慢から生じていることです。その邪見と驕慢に気付かされた瞬間には、今、自分が在る有難さに気付かされ、今を誠実に生きようとする意志が芽生えるものと 思います。そして、そう思えるのもまた、自分の努力では無く絶対他力に依るものだと思うのであります。
     親鸞聖人が、90歳を前にして、「浄土真宗に帰すれども、虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」と我が身を悲嘆されたのは、 ご自分の邪見と驕慢の心の中を仏様の智慧の光によって照らされたからでは無いでしょうか・・・。そして、嘆きつつも、 真実に出遇えた喜びに包まれておられたのではないでしょうか・・・。

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No.1532  2016.01.21
〝まさか〟なんて無い人生(この世、娑婆)なのに

     私は前回のコラムの最後に、人生で有り得る〝まさか〟に備えられていないと感じている私の心の中を率直に申し述べました。
自分の死は勿論のこと、私の愛する肉親の死も、平静に受け止めることが出来そうにないこと、そして、私の会社の倒産、個人の経済破綻に不安を抱いている自分が居ます、 と。

     これではいけないと、1月18日からの3日間、私の不安を解消してくれると考えられる、 米沢秀雄先生の歎異抄第十章の詳細解説を読み始めました。
     約30頁ありますので、未だ10頁残して読破出来ておりませんが、私が親鸞仏法の真髄を捉えていなかったことが分かり、 「そう云うことだったのか・・・」と、納得致しました。そして、未だ未だ仏法から学びたい、聴聞したいと思えたことが何よりも良かったと思っています。

     つまり、私の努力でこの娑婆世界を上手く歩もうとすること自体が、邪見驕慢の極みであり、今の本当の自分に未だ会えていなかった、 と云うことに気付かされたのでした。
     言い換えますと、私が自力無効の南無阿弥陀仏を称えられるはずが無いと云うことに気付いていない、と云うことであります。 即ち、宇宙の〝はたらき(無為自然と云う)〟、大自然のお蔭、人類の歴史、様々な人々の〝はたらき〟のお蔭で、衣食住が与えられ、 我が〝いのち〟を維持出来ている今現在、既に救われていることにすら、思い至れていない邪見驕慢振りを何とかしないと、 自力無効の南無阿弥陀仏は称えられるはずが無いと云うことでありました。

     言い換えますと、この世(娑婆)に〝まさか〟は無いと云うことであります。自分に、自分の周りに起こっている現実は〝まさか〟ではなく、 極々当たり前のことが起こっていると云うことであり、〝まさか〟と思うのは、本当の自分に未だ出遇っていない、自分の事が何も分かっていなかったと云う、 言い古された、当たり前の事だったということであります。

     そして、仏法を聴聞する目的は、自分の死、愛する肉親の死を平静に受け止められるようになることではないようであります。


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No.1531  2016.01.18
〝まさか〟が起こる人生なのに

     今、このコラムを書いているのは1月17日の日曜日午後9時少し前です。21年前の今日、私の住む神戸は、 阪神淡路大震災に見舞われました。

     その日、私は心配しながら自宅から20㎞離れたところに有る工場(淡路島が直ぐ傍に見える明石市)に、車で息子と共に向いました。 約30分で工場に到着しましたが、工場の屋根が見えた時にホッとした事を今も覚えています。それに、震源地に近かったのですが、工場の建屋自体は、殆ど損壊は無く、 工場内の生産機械も、少し位置がずれている機械があった程度で、翌日から生産を始められたのは幸いでした。でも、JRが三宮大阪間が不通になり、 取引先である大阪の企業に納品する道路も不通になり、半年位は大変苦労したことを今思い出しています。

     そんな滅多に無い〝まさか〟の経験をし、また、その後も幾つかの〝まさか〟に遭遇しながらも、 私は未だに〝まさか〟への心の備えが出来ていません。
     実は、昨日(1月16日の土曜日)、娘夫婦が親しく交際している家族の大黒柱の旦那さん(35歳)が突然亡くなりました。 若いのに、死因は心筋梗塞でした。その亡くなった彼は、私の娘の旦那と同じ会社(娘も大学を出て直ぐに勤務した会社)の元部下で、しかも、その亡くなる直前まで、 亡くなった彼と、三宮のお店で飲み明かしていたと云う経緯があります。
     亡くなった彼には、5歳と2歳の子供があります。こんな事が起きるのか・・・起きていいのか、あまりの〝まさか〟に、 私たち夫婦も大変なショックを受けました。連絡を受けた娘は、救急搬送されたことを彼の奥さんに伝えてから、夫婦で病院に駆けつけ、心肺停止から死亡した事を 知った次第です。
     ショックを受けた私は、無碍の一道を目指す私の、このショックは何か、何故ショックを受けたのかを考えました。 彼は私と関わり合いはありましたが、訃報を聞いて涙を流す程の間柄ではありません。多分我が身に引き換えて「これが、娘の旦那に起きていたら・・・」とか、 心筋梗塞を起こしかねない病を抱えている私ですから、「もし、自分が死ぬとしたら、その覚悟は出来ているのか?」「もし、私が亡くなったら、会社は、妻は、家は、 どうなるのか?」と、我が身のことが色々と心配になったのだと思いました。つまり、自分の〝まさか〟に処する覚悟が全く出来ていないことに気付かされたのが 正直なところなのです。
親鸞仏法を発信しながら、無碍の一道を未だ歩めていない私であります。自力無効の『南無阿弥陀仏』を称えながらも、自力に頼って生きるしかない我が身を持て余した時、 親鸞は、そして米沢秀雄先生はどのように処したのかを体験的に学び取りたいと思っています。

自力無効のーなむあみだぶつ


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No.1530  2016.01.14
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(第四節)私の中の五逆

●無相庵のはしがき(一般読者向け)
     前回のこの無相庵のはしがき(一般読者向け)を読まれて、ひょっとしたら、「親鸞の目指すところは、 とどのつまり、総ては自分が悪かったと自省することではないか・・・」と思われた方もいらっしゃるかも知れません。世の中に、既にそう云う 考え方から開発されている『内観法』と似たものではないか、と。内観法に付きましては、病院で行われる場合と、民間の研修所で行われる場合があるそうで、 標準的な研修所で行われている方法としては、 母、父、兄弟、自分の身近な人に対しての今までの関わりを、その、人たちに『してもらったこと』、『して返したこと』、 『迷惑をかけたこと』の3つのテーマにそって繰り返し思い出させて、他人にどれだけ迷惑をかけて生きて来たか、また、どれだけ、 多くの人々にお世話になって来たかを自覚させ、生かされて生きて来たことに恩と感謝の念を目覚めさせ、恩返しする謙虚な気持ちにさせる、と云うものです。 これは、一つの方法だと考えます。これも良い方法ではありますが、記憶を呼び戻す苦労がありますし、ひょっとしたら呼び戻せなかった大事な記憶もあるかも知れません。

     私がお勧めしたのは、現時点の今、自分の心の中の現在進行形の偽らざる意識です。そして、探りたいのは、意識の奥に在る無意識 に近い自分の心です。例えば、この無相庵の文章を読まれながら、心では何か別のことを考えていないかと云うことです。別のことに気持が動いているかも知れませんし、 「難しいな、分かり難いな、もっと分かり易くかけないのかな」と云う気持ちになっているかも知れません。或いは、「これは、自分の考え方とは違う」と、 批判の心が動いているかも知れません。心に浮かぶことは人夫々千差万別だと思いますが、無意識の中に、自分の先入観で読み流しているかも知れませんし、 色々な煩悩がうごめいているのが、普通の人間だと私は思います。
     今の私の心の中にも現在進行形の煩悩があります。その、人には見せない心の中の意識・無意識をチェックする習慣付けが出来れば、 自然と、内観法が目指す過去記憶、多くの人に『してもらったこと』、『して返したこと』、『迷惑をかけたこと』を鮮やかに呼び戻すことが出来るのではないかと、 思うのです。そして、自分が如何に、恩知らずなのか、如何に不誠実に生きて来たかを自覚し、そこで初めて、現在を誠実に生きようとし始めるのだと思います。 結果を畏れず、精一杯の努力をし始めるのだと思います。そして、仏法を聞こう、また、色々な考え方を知ろう、知識を得たいと考え始めるのではないかと思います。 そうしますと、親鸞と同じく、何も怖くない特別の心境になるのかも知れません(私は未だ経験していませんので、断定は出来ませんが・・・)。

●無相庵のはしがき(仏法の言葉に慣れている方向け)
     一般向けに説明されている五逆罪とは、『人倫や仏道に逆らう5種類の極悪罪。犯せば無間地獄に堕ちるとされ、 五無間業(ごむけんごう)』と言われる罪です。具体的には「父母を殺し、先生を殺し、聖者を殺す事、そして、仏身より血を流させ、宗教教団を破壊する罪」です。
     『大無量寿経』の本願第十八願では、「この五逆罪を犯した者以外の全ての者を救えない場合は、私は仏にならない」、 と法蔵比丘が誓いを立てたのであります。瞬間的には、五逆罪を犯した者は、凶悪犯罪人で、自分とは無関係な人種だと思ってしまいますが、親鸞も米沢秀雄先生も、 「いやいや、この五逆罪を犯しているのは、私なのだ」と自覚されていたのです。何故なのか、詳細解説をお読み頂きたいと思います。でも、それでも、 私は五逆罪は犯していないと思われるかも知れません。その場合も、引き続き、次回からの詳細解説文をお読み頂きたいと思います。

     今回のコラムの重要な点は、法然が崇拝した善導大師は、『観無量寿経疏』の中で善導大師が、「不得外現賢善精進之相内懐虚仮」、 訓読みでは、「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を懐くことを得ざれ」と読まれたのを、親鸞は「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、 内に虚仮を懐けばなり」 (教行信証信巻)と読み変えられたところにあります。
     どちらも、心の内外一致を求められたのでありますが、親鸞がより現実を直視し、人間の心の中は、虚仮不実そのもので、 直せるものではないと、真実を追求されたことに私たちは、親鸞仏法の厳しさと、誠実性に目覚める必要があります。善導大師や法然の教えを守ることはとても出来ません。 そして、親鸞が、和讃に詠まれた、「虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」は、謙遜でも何でもなく、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこの方、 常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」と云う悲嘆の心を読まれたもので、「地獄は一定すみかぞかし」と云う言葉にもなる訳でありましょう。 終始一貫されていることに、感動を覚えます。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『私の中の五逆』をそのまま引用
     ところが親鸞は、親鸞の浄土真宗は、単なる救済教ではなくて、真の自覚教であると、こういうことが親鸞の苦労されたところである、 と思うんですね。単なる「念仏すればたすかる」という救済教ではなしに、救済教で有ると同時に自覚教であると、そういう二つを結び付けられたところに、 親鸞の浄土真宗の面目があるんじゃないか。そういう時にまあ、唯除というのが、「唯除五逆誹謗正法」というのが、自覚――我々が救われたという自覚を得るのに、 大きな意味をもってくるのであろうと、こう思う。

     それで法然は、唯除のことなんか言うとられん。それは師匠の、師匠ったって、目の当たりに会うたんでない、 ずっと以前亡くなった中国の善導大師が、加減の文から唯除の文を除いてしまっておる。だから法然においても、唯除ということは問題でなかった。 それを親鸞が問題にされたというところに、単なる救済教でなしに、親鸞の信心というのは自覚の信心であると、こういうことが言えるのであろうと、こう思うんですね。

     で、唯除というのは、これは五逆罪と、こう言うて、父を殺し、母を殺し、師匠を殺し、仏身より血を出し、和合僧を破る、 こういうのを五逆罪と、こう言うてあるんですね。で、この五逆罪というのはね。人間が生きていくために、どうしても犯さずにはおれん、 そういう罪を五逆罪と言うんですね。父を殺し、母を殺すと云うのは、直接手かけて殺した覚えはないけれども、自分を育てるために、両親が非常に苦労する、 学校の先生が苦労する。そう云うことで、我々が一人前になるために、両親の身体を弱らせ、先生の年齢をとらせる、こういうことが五逆罪のもとになるわけです。 私が直接的に殺すのでなくて、慢性的に殺しておるのではないか。そういうことを極端に言うと、まあ父母や師匠を殺すということになるんでないかと思う。

     それから仏身から血を出すと云うことも、これは私の独自の考え方があって、従来の考え方と違う。仏身と言うのは、 自分の身体から血を出すんやね。で、これ(自分の身体)を仏身と。これが仏さんかと言うことやけれど、これは自分で作ったものでないのでね。 仏さんからお借りしとるんやね。だから、いつかお返しする時が来るんやけれど、お借りしとる。何のために借りとるんかと言うと、この身体を使って自分も生き、 人のためにも働く、と云うことのためにこの身体を使っておる、お借りしとる。そのお借りしとる身体を、我欲の満足のために痛めつける。 たとえばタバコの飲み過ぎのために肺ガンになる。タバコ飲み過ぎると肺ガンになるかどうか知らんけれども、肺ガンになるとか、あるいはマージャンで夜ふかしして、 睡眠不足のために身体を痛めるとか、あるいは食べ過ぎて胃潰瘍になる、そう云う風に病気というものは、我欲の満足を追求したためになるとすると、 この仏からお借りしている身体より血を出すということになるのでないか、と。

     私はまあ健康だから、お前は仏身より血を出しておらんやろうと、こう言われるか知らんけど、私は非常にそそっかしいので、 安全カミソリで顔を剃ると、よく傷つけて血が出るので、よく散髪屋へ行くと、「これ、どうしなはったんや」と聞かれます。私の持っているのは不安全カミソリで、 切れて血が出るんや。それは、そそっかしいからなるんやね。顔に傷がつくということよりも、仏身から血を出すということが問題なんや。だから我々は、 仏身から血を出すことばっかりやっとるのでないかと、こう云うことですね。

     それから和合僧を破るというのは、平和な教団、教団を攪乱すると言うことやけれども、これは大谷派の問題でなくて、 社会を乱すと言うことやね。社会を乱すと言うのは、例えば人の悪口を言う。そう云うことが社会を攪乱するもとになるやね。今でも残っているが、 今年の正月に「世界が平和でありますように」と言う、小さな札を各戸に貼ったのがあるんや。あれを見てね、「世界が平和でありますように」と言う、 あれは誰がやっているんかなと思うたんやけれども、「世界が平和でありますように」――まことにもっともやけど、あの札を貼った人に私は言いたい。 「あんたの家は平和か」と。
     自分の家は平和でないくせに、世界は平和であれ、と。自分の家かて世界の中の一つやろ。で、「あんたの心の内は平和でありますか」と。 こう云うことが問題なんやね。

     この前、能登へ引っ張られて話をさせられたあとに、質問があってね。この質問はおもろかったな。ある聞法会で門徒の人が講師に、 「人間はどういうふうに生きたらいいんか」と聞いたら、「それは即答で出来ん」と講師が言うたちゅんやね。一番最後の時に「こういう質問があったが、 人間らしく生きればいい」と、こう講師が言うたちゅんやね。で、それに対して、どう思うかという質問や。人間らしく生きる、と。そんなことなら、 別に浄土真宗の教えを聞かんでもいいんや、と。モラロジーでも、宏正倫理でも、そういう教えを聞いてれば、あれは人間らしく生きる教えを言うとるんやね。 モラロジーというのは道徳を守るということ。それから宏正倫理というのは、あれは朝起き会と云うのをやって、おるんか、朝行くと五つの誓と云うのがあるんや。 「今日一日、腹をたてないでおきましょう」とかね、それ、まことにもっともや。腹立てないでおけたら、まことに結構や。 ところが立てないでおきましょうと言うだけで安心しとるんやね。そいで家へ帰ると腹立てとるんやぞ。多分そうやと思うんや。 そんなもの、かっこうだけやね。かっこうだけ。

     親鸞さんは、かっこうに満足出来なんだ人や。そいで能登の時にも言うたんやけど、善導大師が「外に賢善精進の相を現じて、 内に虚仮不実の心を抱いておってはいかん」と。内外一致せないかん、と、こう云うことを善導大師が言われた。まことにもっともです。すました顔しておって、 心の中で悪いことを考えておってはいかんので、内外一致しなければいかん。まことにもっともや。これならどこへ出したって、通る。 ところが親鸞はそれを読み変えられた。

「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を抱けばなり」

     虚仮不実の心を、心の中に皆持っとるんや。で、外だけはかっこうよう見せとるんや。そういうことを親鸞が言われた。 で、こういうことが親鸞の、真宗の面目であってね、「腹を立てないでおきましょう」、そんなことはまことにもっともやて。昔の修身の教科書みたいなもんや。 しかしそれが実行できるかどうかと云うことが問題やね。実行出来ない。こう云うところを見きわめたところに、親鸞の真宗がある。だから、人間らしく生きられない、 人間失格と言うんか、人間から落第した。そういうものが親鸞の教えであろうと思う。 で、この親鸞は、ご承知のように晩年になってまで、

虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし

     と、こう云うふうに言うとられる。だから救われん奴や、と。救われん奴やと云うことが、親鸞の信心の究極であると思う。 救われん奴やと言う。第二章にも「地獄は一定すみかぞかし」――こういう言葉がありますが、地獄は一定すみかぞかし、と言うたら、これは救われん奴やと言うことや。 救われん奴や言う自分自身を確認した言葉で、この救われん奴やと云うことが決定的に分かった方が、救われておると、こう云うことやね。

     これは西田哲学の言葉を使うと、「絶対矛盾の自己同一」と。これは絶対矛盾しとるんや。絶対矛盾しているが、一つになる、 これは親鸞が「虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし」というのは、人間と云うのは、自分自身に対して一番甘いので、人間と云うのは、 自分自身に対して一番甘いにもかかわらず、親鸞は虚仮不実のわが身と言う、それから「心は蛇蠍のごとくなり」――蛇やサソリのような心を持っておる。 こう云うふうに自分自身の一番内面まで見られたと云うことは、仏の智慧に照らし出されておられたと、こう云うことで、如何に親鸞を照らしておったかと、 こう云うことが分かると同時に、救われん奴やと云うことが、仏に摂取されている証拠である。つまり自分自身はこう云うものを持っておると云うことが、 人前にさらけ出せるということは、人がどう思おうが、そんなことは問題でない。自分自身は仏から信じられている、こういう確信を親鸞は持っておられたから、 自分の虚仮不実の我が身、そう云うことをさらけ出すことが出来たんだと思うですね。

●無相庵のあとがき
     人間なら誰でも、心の中に、名聞(みょうもん)・利養(りよう)・勝他(しょうた)(社会的高い地位が欲しい・お金がもっと欲しい・人には負けたくない) の気持ちがあると思います。しかも常に無意識の内に抱いているものと思われます(少なくとも、私が抱いている事は間違いありません)。しかし、 その心を表に出すことは先ず無いのが、普通だと思います。表に出せば、嫌われると思っていますから・・・。      であるならば、表に、名聞・利養・勝他の気持ちなど全く持っていないと云う賢善精進の素振りをみせてはいけないと云うのが、 親鸞の考え方だと思われます。
     自分の心の中の虚仮不実を本当に自覚出来たからには、他の人からどう思れようと、思われて当然の自分だと考えますし、 どんな目に遇っても不思議では無いと、何かを畏れる気持ちは失せて行くのかも知れません。それを親鸞は、念仏者は『無碍の一道』と言われたのではないかと思います。

自力無効のーなむあみだぶつ


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No.1529  2016.01.11
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(第三節)自覚教と救済教

●無相庵のはしがき(一般読者向け)
     人間なら誰でも、明日の事、近い将来の事に何らかの心配・不安を抱いているものです。将来に何の心配も不安も抱いていない人はいない、 と言っても過言ではないと思います。もし何の心配も不安も無いと仰る方があるとしたら、それは強がりを言っているだけのことだと断定さえしてよいと思います。
     私の場合は、成人病を抱えており、突然死があり得る体ですし、経営している会社が何時倒産に陥るか分からない瀬戸際にあり、 会社の破綻イコール個人生活の破綻でもあり、経済的不安がいつも私の頭の隅っこにあります。朝起きて資金繰りのことが真っ先に浮かぶことも正直なところ多々あります。
     今は人間関係で、明日を迎えたくないと云うようなことは有りませんが、勤めている職場に相性の悪い上司、或いは同僚が居れば、 心穏やかな毎日では無いはずです。ましてや、同居している家族(夫婦間、両親間)の中に、気になる相手が居るならば、毎日が苦痛ではないかと思います。 また、逆に家族の中に深刻な病気であったり、大きな手術を予定している家族を抱えていると、自分が病気の場合よりも落ち着かない毎日ではないかと思います。

     この不安や心配を持たないでおこうと努力しても、何ともならないのが、私たち人間のどうしょうもなく辛いところです。こんな時、 どうやって、心を落ち着かせるのでしょうか?『悩む力』とか、『置かれたところで咲きなさい』とか、著名人の書いた人生の生き方・考え方とか倫理道徳に関する 自己啓発本を読まれるかも知れません。或いは、倫理を説く会や、「隣人を愛せよ」と説くキリスト教に救いを求められたり、 心を落ち着けるのにぴったりの座禅を教えてくれる禅寺の門を叩くかも知れません。
     それでもなかなか心を落着けることは難しい場合が多いと思われます。そこで、私は、800年前の日本の思想家、親鸞の考え方を 日常生活に応用する事が、不安心配を解消出来る早道だという事を何とかして伝えたいと思い、このサイトを更新し続けております。。

     色々と試してみることは良いことだと思いますが、私は、特別な事はしないで、日常生活の中の場面場面の言動が、 自分の心の中で誠実に思っていることと食い違いが無いかどうかをチェックすることをお勧めします。世間で能(よ)く「心にも無いことを言って・・・」、 と云うことはないのかどうか、とか、「あの人は表裏のある人だから・・・」と、言われない言動なのかどうか。つまり、正直に生きているかどうか、 誠実に生きているかどうか等と、自己分析を重ねれば、大体は、自分の不誠実さと言いますか、自分がいつも、〝人に良く思われたい〟とか〝認めて貰いたい〟とか、 〝結局は自分の損得でしか考えていない〟〝とどのつまりは自己中心でしか無い〟ことに気付かされるものだと思います。そんな自分の正体に気付きますと、 過去に自分が為してきた言動、人生において進むべき道を選択する重要な局面で選択した時にも、上述のような、自己防衛的な、自己中心的な理由で選んでいた ことにも気付くと思います。実際、私がそうだったからです。

     以上、私の恥さらしみたいになりました。他の方の心の中は知り得ませんが、私が並外れて、裏表のある人間だとは思っていません。
以下に説明する、浄土真宗の親鸞は、どうやら、私と同じ位、否、もっと厳しく自分の心の中の不誠実さを見きわめた人だと思います。興味を持たれた方は、引き続き、 お読み頂ければ幸いです。

●無相庵のはしがき(仏法の言葉に慣れている方向け)
     親鸞は、師匠の法然及び法然が傾倒した中国の善導大師の教えだけでは、親鸞自らも、また私たちのような一般在家が救われることはかなり 難しいと考え、43歳の時に流罪で流された越後から関東に42、3歳で移り住んで以降、63歳前後に生まれ故郷の京都に帰る頃には、 大無量寿経に示されている本願(48願)の中、第十八願の〝唯除(ゆいじょ)の文〟の存在を手掛かりに、揺るぎない信心(つまり、 自覚)を獲られたのではないかと思われます。法然も善導大師も、唯除の文には重きを置いてはいなかったようで、法然(善導大師)の教えは救済教、 親鸞の教えは、救済教と自覚教を併せ持ったものだと米沢秀雄先生は考えられて、この詳細解説を書かれたと考えています。

     つまり、米沢秀雄先生に代わってはっきり申すならば、親鸞も米沢秀雄先生も、ただ念仏すれば、仏の本願力で救われると云うことはなく、 救われたと自分自身に自覚があって初めて救われたということになる、と。その為には、徹底して自己とは何か、人間の存在とは何か、 ものの有り方(詳細解説文では『存在の理法』)を自覚する必要がある、と云うことだと考えます。
     親鸞仏法に帰依される方の中には、法然の「知識と学問は、要らない。」と云う考えに固執しておられる方も居られますが、 今の情報化の進んだ現代には、私は、親鸞とか米沢秀雄先生先生の考え方は全ての人に通用する考え方ではないのではないかと、 現代科学知識に囲まれ影響されている私は思うのですが、如何でしょうか。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『自覚教と救済教』をそのまま引用
     曽我先生が、南無阿弥陀仏は釈尊以前の仏法であると言われた。そういうことが何故本当かと申しますと、これは私の考えやけど、 私はよく、近頃ちょっと有名になったもんで、方々へ行くと字を書かされるんやね。それで色紙を書かされたりするんや。そうすると私は、私の考えた言葉で、 「南無阿弥陀仏というのは、もののあり方をいい当てた言葉である」と、こういう言葉を書くことにしている。

     というのは、松の木は、松の木に生れていて、松の宿業引き受けて生き抜いている。どんな場所へ植えられても、 松は松の生命を生き抜いておる。それが松の木の南無阿弥陀仏である。ミミズは地面の中に入りこんで、朝から晩まで地面をほじくり返して、 ミミズの宿業を引き受けて生き抜いとる。これがミミズの南無阿弥陀仏である。

     だから釈尊というのはご承知のように、すべては因縁の法によるということを悟られた。それを短い言葉で表現すると、 南無阿弥陀仏になるであろうと。まあ「存在の理法」と申しますか、ものがあるということは、南無阿弥陀仏があるということにイコールになるわけで、それでまあ、 南無阿弥陀仏ということはもののあり方をいい当てた言葉や、と。

     で、私は男に生れたいと思うて生まれたんでないけれども、生まれてみたら男であった。だからこれは、私の南無阿弥陀仏であると思う。 皆さんも――皆さんはそんなことはないかな。時に腹立てられることがあると思う。何でもない時に「腹立てよっ」て腹立てられんけど、しかし何かことが起こると、 ムラムラッと腹が立ってくる。で、腹が立つということも、自分の力で抑えようったって、抑えられん。「しもたな。腹立てんとおけばよかった」というのは、 後で気がつくことで、腹が立つ時にはムラムラッと立ってくるんやね。だから、腹が立つということも南無阿弥陀仏や、と。自分の力でないんや。 存在の理法によって腹が立ってくるんやから。

     だから宇宙に存在するものは一切、我々の経験も一切含めて、南無阿弥陀仏やと、こういうことが言えるんでないかと思うんですね。 だから、そういう観点から見まして、南無阿弥陀仏というのは釈尊以前の仏法であると言われるのは、まことにもっともやと思うていた。

     そこでまた善導大師にかえるんやけど、善導大師にね、「加減の文」というのがある。
あの善導大師が十八願を書き換えたんやね。これは曽我先生に言わせると、〝復元〟したものやと、こういうふうに言うとられるが、それは十八願を読まんといかんけれども、 加減の文では、「若我成仏・・」か、「若し我れ成仏せんに、十方衆生、わが名を称えて・・・」「称我名号」、南無阿弥陀仏と称えて、「下至十声」、十声称えて、 「もし生まれずば正覚を取らじ」。もし浄土に生れなかったら、この自分は仏にならんと。かの仏――「彼仏今現在成仏」、かの阿弥陀仏は今現に成仏されている、と。 当(まさ)に、・・・「本誓重願」――本願、重願とは重誓偈(じゅうせいげ)のことかな。「重ねて誓うらくは」という重誓偈というのがついているけれども、 「当に知るべし、本誓重願虚(むな)しからず」と。「衆生称念」――衆生が念仏したら「必得往生」――必ず往生を得る、と、こういうふうに加減の文と言うて、 言い換えられた。

     つまり本願の十八願と本願成就とを結び付けておる、と。彼の阿弥陀仏が現在成仏しておられるから、まあ本願というのは嘘でない。 だから衆生が念仏称えれば、必ず往生をとげることができると、こういうふうに本願成就と因願、成就の果と、十八願を因願とすると、それが成就して、 因と果を結びつけておるのが、善導大師の加減の文であると、こういうことが言えるんやね。

     ここで注目せんならんのは、「称我名号」――これが口称(くしょう)の念仏になるわけ。南無阿弥陀仏と口でとなえる、称我名号。 だから浄土宗というのは「称我名号」、口称の念仏ということを。非常にやかましく言われる。それに対して親鸞は、「信心」というのをやかましく言われる。 で、浄土宗では口で念仏をとなえるということをやかましく言うのは、今の善導大師の加減の文に「称我名号」――わが名号をとなえるとか、 衆生が念仏をとなえると必ず往生を得ると、こういうふうに書いてあるところによるのであろうと思うんです。

     ここで注目せんならんのは、四十八願の中の第十八願には、一番しまいに「唯除(ゆいじょ)の文」というのがついておる。 念仏すればみな助かる、と。しかし五逆罪を犯した者と、仏法をそしった者だけは、浄土に入られん、と。ただ除く、と。唯これだけは除くという「唯除の文」がついておる。ところが善導大師が書き換えられた加減の文には、唯除、これが無いんです。

     ところが、親鸞は唯除の文を非常に重要視しておられて、まあ関東の門徒に与えられたお手紙の中にも、唯除のことを書いておられる。 何故この唯除の文が大切かと、こういうことですが、真宗の救い、おたすけ――真宗の救いとかおたすけというのは、どういうものであるかというのは、 どういうものであるかということを明らかにする意味でも、非常に大切なことやと思うんです。

     仏法というのには、自覚教と救済教とある。この自覚教というのは、これは自力聖道門の教えで、修行して、 自分は仏になったということを自分で確かめる、自覚を得る。まあ釈尊が菩提樹の下でさとられた。これがやはり自覚ですから、自分で修行してさとるのを、自覚教という。 それに対して、浄土教というのは、南無阿弥陀仏をとなえればたすかると、こういうのが救済教というもの。ですから救済教になると、非常に楽な、ちゅんかな、楽なんや。 自覚教になると、たとえば永平寺とか臨済宗の寺とか、そういうところへ入って難行苦行しなければなりませんから、これは自覚教で、容易でない。そこへもってきて、 南無阿弥陀仏ととなえれば、極楽世界へ生まれることが出来るということになると、非常にこれは楽なもんで、やっぱり片手間仏法にはもってこいの教えであると、 こういうことが言えるんですね。それで浄土教というのが、一般的に非常に広まったんであろうと思うんですね。南無阿弥陀仏をなえると、 自力修行した人と同じ効果があるということになると、楽して同じ効果があるなら、楽な方がいいということになると思うんです。

     :ところが親鸞は、親鸞の浄土真宗は、単なる救済教ではなくて、真の自覚教であると、 こういうことが親鸞の苦労されたところであると思うんですね。単なる「念仏すればたすかる」という救済教ではなしに、救済教で有ると同時に自覚教であると、 そういう二つを結び付けられたところに、親鸞の浄土真宗の面目があるんじゃないか。 そういう時にまあ、唯除というのが、「唯除五逆誹謗正法」というのが、自覚――我々が救われたという自覚を得るのに、大きな意味をもってくるのであろうと、こう思う。

●無相庵のあとがき
     唯除の文の存在が、どのように親鸞の心に変化を齎(もたら)せたかが、非常に大切だと思いますが、それを知るには、実際に自分自身が、 親鸞と同じ位の苦悩の日常生活を辿らなければ、〝汝、自ら当(まさ)に知るべし〟と云う世自在王仏の助言を無視してしまうことになり、自覚教ではなくなって、 親鸞仏法が、片手間仏法としての資格を失ってしまいます。

     無相庵コラムの締めくくりは、これまで、『帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ』でしたが、最近は、『自力無効のーなむあみだぶつ』 と書くように致しました。それは、米沢秀雄先生の詳細解説中に、男に生まれたのも、腹が立つのも、自分のハカライ(自力)では無く、宿業を引き受けて行くと云う、 南無阿弥陀仏と云う表現と全く同じ心でありますが、自分の力に頼らず、一切を他力に任せる気にはそう簡単にはなれません。私の心の中に、自分の力で何とかしょうと云う 自力至上の煩悩が頑張っており、それを自分の力で何とか出来るものではありません、そのお手上げ状態での叫びとしての『自力無効のーなむあみだぶつ』であります。 この後、米沢秀雄先生の詳細解説は、『私の中の五逆』、『目に入った包丁』、『世界一おそろしい者』、『五十三仏を経て』、『私の中の謗法』、『無上仏たらしめん』、 『もののあり方』と続きます。

     この第二章の詳細解説を卒業する頃に、かすかにでもいいですから、希望の光が遠くに感じることが出来ましたら、嬉しいですね。
     『歎異抄ざっくばらん』の中古本がアマゾンで、4冊、何とか買える値段で出品されています。卒業早めたい方は、お買い求めになられては、 如何でしょうか・・・。

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No.1528  2016.01.06
続ー今年の無相庵の決意

     前回のコラムの続きでございますが、その前に、〝はしがき〟として、無相庵の決意と無関係ではない、危うくなっている世界情勢、 もしかしたら、第三次世界大戦に向かう可能性を感じさせる正月早々に飛び込んできたニュースに付いて言及させて頂きます。

●はしがき
     サウジアラビアとイランの双方が国交断絶を宣言しました。国家対国家の問題ではなく、イスラム教の中の、シーア派とスンニ派の 宗派対立だそうです。サウジアラビアがスンニ派国家、イランがシーア派国家なのです。周りの国々も、シーア派国家は、イランに、スンニ派国家はサウジアラビア に同調する表明を発しているそうです。因みに、問題の〝イスラム国〟はスンニ派だということです。宗派対立は、宗教間対立よりも激しいように思います。
     キリスト教もカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)に分かれていて、色々と問題を起こしている歴史がありますが、 それを問題視して、昔から色々な〝寛容論〟が述べられています。私はこれから寛容論(ヴォルテールの寛容論を購入したところです)を勉強する積りですが、 どうやら、キリスト教の寛容論は、聖徳太子が十七条憲法に謳っている『共に是凡夫のみ』と云う、「お互いに至らぬ者同士、批判し合わずに、 仲良くしようではないか」と云う考え方と同じではないかと、今の私は考えています。聖徳太子を敬っていた親鸞でしたが、親鸞は、 他人の煩悩を問題視する事を好しとはしていません。罪悪深重煩悩熾盛の凡夫である自己に目覚める事に生涯を貫かれたように思います (他の人の煩悩に目を凝らすことに否定的な意見を述べてはいませんけれども・・・)。私は、親鸞の思想・考え方でしか、人類は救われないと思いますが、 そういう大それた事ではなく、親鸞の思想と考え方で、私の身近な人々と平和な日常生活を実現出来ないかと考えて、 今年の無相庵の決意を認(したた)めました。

●今年の無相庵の決意の本文
     私が、親鸞仏法の教えを現代的に説き遺す為にするべき事として考えましたことは、親鸞の人生を歩む姿勢、考え方、 そして親鸞が私達に遺してくれた教えを現代社会の人々に納得して貰い、実践してもらうには、先ずは私自身が親鸞の晩年の心境に至らねば、 説得力が無く、親鸞の教えを正しく伝えることが出来ないのではないかと云うことでした。

     そして、昨年8月以降に、先ず取り組みましたのは、親鸞の教えを正しく体現された米沢秀雄先生や井上善右衛門先生のご著書を、 改めて読み返すことでした。そして、私自身の日常生活(家庭生活、社会生活、ビジネス関係)の中で遭遇する諸問題に実践的に取り組もうと云うことでした。

     上述した考えに従って毎日の問題に取組む中で、私の心の中に何か変化が起きたように感じています。
     その変化とは何かを考察してみます時、私達の日常生活は、私の煩悩と他の人の煩悩のぶつかり合いだと思うのですが、 自分の煩悩の多種多様さと強さと根深さ執拗さを自覚し始めますと、他の人の煩悩が気にならなくなるような気がしております。私達が生活する中で疲れを感じるのは、 他の人の煩悩が気になるからではないかと思います。他の人に、こうあって欲しい、と望むのは、他の人の煩悩を否定することだと思います。 しかし、それは自分勝手に描いた他の人の煩悩だと思います。従って、自分の心の中で戦っているのは、自分の煩悩と、他の人の煩悩ではなく、 もしかしたら、有りもしない他の人の煩悩を作り上げた自分の煩悩との戦いだったかも知れないと思うようにもなりました。 正に自縄自縛(じじょうじばく)とは、この事ではないかと思いました。

     私は、昨年の8月以降、自分が生きて来た人生の節目節目で決断して来たことを振り返っています。振り返って思ったことは、 総て自己中心的でありながら、当時の自分は自己中心であるとは認めないで、周りの環境変化や必然の成り行きだと周りに説明して他を納得させ、 自分をも納得させて来たと云うことだっのではないかと云うことです。

     親鸞が晩年の愚禿悲嘆和讃の中の第一首、「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」に詠み込んだ虚仮不実の生き方を私自身がこれまでの人生の節目節目で繰り返して来たではないかと思いました。

     そう気付かされて以降の日常生活で、何か事を進める時に、私は、自分の心にどんな煩悩が混じっているかを無意識的にチェックするように なっている自分に気付きました。そうしますと、必ず、私の心の中に何らかの煩悩が見付かり、そしてその根っ子には、自己中心、自己愛、 自己防衛本能が潜(ひそ)んでいる事も認識出来るようになったように思います。
     しかし、その我が煩悩を棚上げ出来るか、払拭出来るかと言えば、どうしても出来ません。そして、それが出来ないのは、 今の自分が、色々な自分の努力で出来上がったのでは無く、生まれ付きに持っている性分とか、生まれ育った環境と、両親を含む多くの人々等、 自分には知り得ない無数の他力に依って生かされて来た人生でありますから、自分勝手に、何も決められないからだということにも気付かされました。
そうなれば、誰の日常生活でも避けることが出来ない問題(その多くの根っ子には人間関係に帰する問題があります)の解決に必要な問題点を探り当て、 丁寧に対処して行く考え方と姿勢で望めば、自ずから、道が開けるのではないかと思われます。

     虚仮不実ではなく、誠実に生きると云う事は、こう云う事だったのかと気付かされた思いが今はしています。しかし、私が今、 晩年の親鸞の心境に至り得たとは思っておりません。親鸞の晩年の心境に至るには、親鸞と同じく90歳位まで生きて、 80歳を越えて初めて経験出来る煩悩とその根深さを知り、新しい自己に出遇うことを重ねなければ、至り得ないのだと思います。実際、 親鸞は84歳の時に長男の善鸞を義絶(勘当)する大変な不幸に見舞われています。
     それは、85歳の時の和讃に、悩み悩まれた挙句だと思われる一首、 『弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり』が詠まれていることから、推察出来ます。

     私は、これまで、自分の煩悩を無くして、心安らかに生きて行きたいと云う願望を持っていました。それが、 仏教を求める者が求めるべき悟り(覚り)だと考えておりましたが、親鸞が至り得た晩年の信心は、それとは全く異なるのではないかと思うようになりました。つまり、 親鸞は亡くなる直前まで、煩悩と戦ったのではなく、また、煩悩を疎ましく思ったのでもなく、煩悩と共に生きながら、常に新しい自己に出遇って、 新しく開けた世界を、(表現は適切ではないのですが)楽しんでいたのかも知れません。

●あとがき
     私はこれからも、日常生活の中での身近な人々との付き合いで生じる我が煩悩を冷静に確認しながら、 親鸞の至り得た心境に一歩でも二歩でも近づければ、私の人生は無駄ではなかったと思えるのではないかと、これからも、その足跡をご披露し、 皆様の何か参考になるなら有難いと思っております。
     改めまして、本年も宜しくお願い申し上げます。

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No.1527  2016.01.04
新年のご挨拶と今年の無相庵の決意

     皆様、明けましておめでとうございます。本年も、どうか宜しくお願い申し上げます。
     昨年、私は、私と同い齢でソフトテニスペアーとして活躍した一人の親友と、私が会社を創業した頃からの協力会社の社長さん(68歳) を昨年8月末に相次いでお見送りしました。昨年の1月に高校時代の親友も失っていたこともあり、お二人のご逝去は他の方々のものとは違った思いがありました。
     また、私自身が糖尿病に加えて心房細動と云う病を抱え、昨年は、神戸市立西神戸医療センターの救急外来に3回もお世話になったこともあり、 自分の死を極めて現実的なものとして感じるようになっていましたので、昨年の8月以降は、我が人生を振り返ると共に、死を意識して色々と準備すべきことを考えました。

     その中で一番考えたことは、生命を持った数多くの〝いのち〟の中で、唯一考える頭脳を持った人間に生まれたからには、この世を終える前に、 自分だからこそ出来る世の中に役に立つ何かをやり遂げておきたいということでした。結果的には、昨年末に次の二つに絞りました。

(1) 親鸞仏法の教えを現代的に説き遺す事
(2) 技術開発した連続気泡多孔体の製造技術で会社が存続し続ける道筋をつける事

(2) はここでは説明を省かせて頂きまして、(1)に付いて、以下、次回のコラムに亘って、私が考えたこと、考えていることをご紹介させて頂きます。

     一昨年位から、イスラム国の残虐な行為が私達に非常なショックを与え始めましたし、それに関わるシリアの内戦が産みだした 避難民問題、更に、それと決して無関係ではないフランスの同時多発テロ問題は世界に大きく、しかも深刻な、解決の方法が見通せない不安を与えました。

     この不安を齎した最大の真因は、経済格差を齎し勝ち組と負け組を必然的に生み出す資本主義と、 多数決で物事を決める民主主義に有ることは言うまでも無いことですが、それと共に、同じ位に問題だと思うのは、実は、世界に平安を齎すべき宗教にあると云う事なのです。 そういう見方をする人も多いようですが、私は特に、キリスト教やイスラム教等、神様を絶対視する宗教の考え方に在ると考え、ここは、 絶対者を立てない仏法が世界を救う唯一の教えであると考えた次第であります。
     そう考えた上で、私に為し得ることは、何か?、を真剣に、考えました。(次回コラムに続きます)

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No.1526  2015.12.27
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(第二節)真宗は片手間仏法

●無相庵のはしがき
     今年も、最終週を迎えました。本年は、世界的にも天候不順に加えまして、中東問題に関わって多発した無差別テロ、非難民問題等、 世界の不安定化を世界中の一般市民が一様に感じた年では無かったかと思います。
一応、今日の無相庵コラム更新を今年最後のものとさせて戴きます。
     さて、「親鸞聖人の浄土真宗は、片手間仏法だ」と、米沢秀雄先生独特の「ドキッ!」とさせるご表現で、 私達を米沢秀雄ワールドに誘いこまれます。この〝片手間仏法〟と言う表現は、在家と出家の仏法にはやはり厳然とした区別があるということを言わんとされての 表現であろうと、読後に私は思いました。私は少なくとも、あの千日回峰行のような難行苦行をしてみようとは思いませんし、一生独身を通され、 一日に何万回も念仏を称えられたという法然上人の真似は到底出来そうにもありません。娑婆世間は、 もしかしたら千日回峰行に勝るとも劣らぬ位の難行苦行と言うべきかも知れません。そして、千日回峰行と同じく、途中で逃げ出すわけには参りません。 そういう私達と変わらぬ生活をされながら仏法を究められた親鸞聖人が、片手間仏法の創始者だと、米沢秀雄先生は尊敬と感謝の想いを込めて、語られているのが、 今回の『真宗は片手間仏法』であろうと思ったことでありました。
     親鸞聖人は、釈尊以降に出られたインド、中国、日本のお坊さんの中から、年代順に七高僧を先師の代表として揚げられました。インドから龍樹(りゅうじゅ) 天親菩薩(てんじんぼさつ)。中国から曇鸞大師(どんらんたいし)、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)、善導大師(ぜんどうだいし)。そして日本の源信和尚(げんしんおしょう)  法然上人(ほうねんしょうにん;源空ともいう)。以上7人の先師方であります。予備知識として持たれて、お読み頂ければと思います。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『真宗は片手間仏法』をそのまま引用
     私が第二章で引っかかるのは、弥陀と釈尊と、それから善導大師だけがあげてあると、こういうところに引っかかる訳です。 これもご承知のように、親鸞という名前は、天親菩薩の『親』と曇鸞大師の『鸞』とをとって、自分の名前にされた。にも関わらず、天親菩薩も出てこなければ、 曇鸞大師も出てこない。善導大師だけが出ているところに、これはまあ浄土宗ではないかと、こう私は引っかかるわけなんやね。

     これ、長い文章でないですから、短い文章ですから、天親菩薩や曇鸞大師を省略されたということも、あるかも知らん。 まあ善導大師だけを代表者としてあげられたのかもしれませんけれども、ご承知の『正信偈』にも「善導独明仏正意」というて、善導大師を非常に称讃されております。 称賛されておりますけれども、これはこないだ聞いたんやけど、これは仲野良俊師の考えで、親鸞は、初め善信というておった。善信というと、 善導大師の「善」の字をとってあるわけやね。それから「信」は源信和尚から。それが『教行信証』を著述するようになってから、親鸞ということになっとると、 こういうわけやね。だから『教行信証』を著述する前には善信いうて、善導からとった名前を用いられたということですね。

     それでまあ、名前のことなどどうでもいいようですけれども、自分が真に傾倒した人から、名前を一字ずつ貰ったというころに、 親鸞という名前の意味があるんではないか。そうすると親鸞においては、天親菩薩と曇鸞大師が、親鸞の信心というものを明確にする上に、 大きな役割を演じておるのだろうと、こう思うのですね。

     で、これからそろそろ善導大師の悪口を言わんならんのやけど、これはご承知のように法然は一願建立と言うて、 第十八願を非常に重んじておられた。それも、『大無量寿経』の上巻の中にある四十八願の中の十八願。親鸞は、下巻の一番初めに出てくる本願成就文に、 非常に重きをおかれて、本願成就の文から出発しておられるというところに、すでに法然と親鸞との相違があるわけですね。

     もうひとつ言うと、法然は一願建立と言うて、第十八願ばかりでしたけれども、親鸞は四十八願の内、八願を採用されておられる。 十一、十二、十三、十七、十八、十九、二十、二十二願をとられている。そういう点が法然よりも非常に厳密であると、こういうことが言えるわけですね。 で、この法然上人は43歳で、浄土宗云うか、初めて本願の念仏を自分のものにされた。43歳ですから、あれは若くして、子どもの時から叡山に上って修行されたので、 43歳で回心されたということは、非常になんというか、遅いと、こういうことが言えるわけですね。 しかし、それは、自力の道が、如何に自分に合うておらんか、と。叡山は自力聖道門ですから自力の修行が、如何に自分にふさわしくないかということを確かめるために、 43年かかったんであろうと、こう思うんですね。そのかわり、得られた本願の念仏というのは、非常に確固たるものであったと言うことが言えるわけなんで、 この43年かかられたということも、法然においては無駄ではないし、本願の念仏の歴史の上においても、これは大きな意味を持つものであろうと思うのです。

     ところが、法然上人がどこで回心されたかというと、これは善導大師が書かれた『観無量寿経』の解釈、それを読んでいて、 一つの言葉によって開眼、目を開かされた、こういうことになっております。「一心専念弥陀名号・・・」という、あれですか、 法然が善導の『観経疏(かんぎょうしょ)』で目を開かれたのは。

     一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥(ぎょうじゅうざが;日常の立ち居振る舞いのこと)時節の久近(くごん:時間の長短、 過去から今日まで)を問わず、念々に捨てざる者は是を正定(しょうじょう;正しい禅定)の業と名づく。彼の仏願に順ずるが故に。(『観経疏散善義』)

     と。「彼の仏願に順ずるが故に」――この言葉で回心されたというふうに言われてると思うんです。これは私 、非常に大事なことやと思うのは、法然という方は出家されて、仏の道に一身を捧げられた人や。それが我々と違うところやと思う。 私は浄土真宗というのは片手間仏法で、生活しながら片手間に仏法を聞くものやと、こういうふうに申しております。ところが法然上人という方は、 自分の一生を、極端にいうと生命を仏に捧げられた、こういうことが言える。そうすると法然が仏という言葉を聞いて感じられるのと、 我々が仏という言葉を聞いて感じるのと、感じ方に大きな相違があるんでないかと、こう私は思うんですね。

     それで善導大師が書かれた「彼の仏願に順ずるが故に」―――仏の願いに順(したが)うからであると、こういうことを我々が読むのと、 法然が読まれたのとは違うんです。法然は43年かかって分からずに、この言葉に出会って、まあ戦慄(せんりつ)を感じて、回心されたのやから、 私ら経典を読むのとでは、全然質が違うと思うですね。ところが法然上人は、善導大師の観経の解釈の、ここで回心されたので、 それで「偏依善導」、偏(ひとえ)に善導一師に依ると、善導に絶対的な信頼を持っておられた、ということが言えるですね。

     私は非常に不届きな男で、法然の主著である『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』、それも読んでおらんので、 こんなこと言えた義理でないんやけど、まあ『選択本願念仏集』を出されて、法然は非常な批判を蒙(こうむ)ったんですね。そこでは、菩提心が否定されているというので、 菩提心を否定したら、もう仏法が成り立たんわけです。菩提心が、成仏を目指して仏道修行しようという心を起こすので発菩提心(ほつぼだいしん)というので、 自力聖道門で、出家の方は皆菩提心を起こされて、皆仏になろうと成仏を目指して、仏道修行をされるわけですが、 その菩提心を起こす必要が無いということを法然上人が言われたために、これは仏道が成り立たないでないかというので、非難を受けられたのですね。

     これは、法然の考えられたことは、各自自分で菩提心を起こさんでも、大菩提心の中に――大菩提心というのが、 本願の念仏の〝いのち〟ですけれども、大菩提心の中におるんやから、今から自分で努力して菩提心を起こす必要が無いというのが、法然の考え方であったんでしょう。

     ところが偏依善導――偏に善導一師に依るということになると、これはまあその当時『選択本願念仏集』に対する非難、 その菩提心を否定したというところで、非難されたということはありますけれども、私はつまり、善導大師というのは中国の人です。昔の支那の人や。 その支那の人が言い出したことを、真正面に受け取ってやると、仏法というのはだいたい印度から起こったもので、インドから中国に伝わったものだ。 その中国人の言うたことを真向から信頼しているということになると、これは本家本元の印度をないがしろにしておるんでないかというような、 私ならそういう非難をするであろうと思うんですよ。

     それから、これも確かかどうか知りませんけれども、『観無量寿経』の原本というと梵本ですか、――サンスクリット語で書いてあるのが、 インドにないそうでして、それで『観無量寿経』というのは、支那で出来たんじゃないかという説もある。もしそれが本当だとすると、 支那で出来たお経を根拠にした善導大師の言うことに、真向から信順するんやったら、これは仏法ではないんやないか、という非難も成り立つんじゃないかと、 こう思うですね。

     現に、渡辺照宏という学者が、「南無阿弥陀仏」というのが、印度にはそういう言葉がないと。 それで「南無阿弥陀仏」は印度で生まれた教えでないという説を立てておるのを、何かで読んだことがあります。 そういうことになると、浄土教というのは、まあ成立せんことになってしまうんやね。で、そういうことで、その点、曽我量深先生が出られたということは、 大きな意味を持っておる。つまり、南無阿弥陀仏というのは、釈尊以前の仏法であると、こういうことを言われた。大胆なことを言われたものですけれども、 これは私は、やっぱり本当だろうと思うですね。

●無相庵のあとがき
     今年も、皆様に励まされながら、何とか、コラム更新を続けられました。来年もどうか、宜しくお願い申し上げます。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1525  2015.12.24
『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説―(第一節)生活の中の仏法

●無相庵のはしがき
     今回のコラムはとても長いです。ても、一番大切だと思われる内容だと思いましたので、長い文章になる追記までしてまいました。 どうか、日にちをお掛けになられて、読破して頂きたいです。
     さて、『唯除の文』を親鸞聖人が、どのような考え方で大切にされたのかに関係するところを抜粋してご紹介しようと考えておりましたが、 米沢秀雄先生が親鸞聖人の浄土真宗と法然上人の浄土宗の違いをどのように捉えられていたかに言及されている『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』の詳細解説の 冒頭部分にあたる『生活の中の仏法』と『真宗は片手間仏法』と云う節もご紹介しておく方が、ご理解が深まるものと思い、結局は、 『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第2章』詳細解説全文をご紹介させて頂く事と致しました。

     現在の浄土宗と浄土真宗の教え・信仰に関する考え方には大きな違いがあるというのが、米沢秀雄先生の考え方だと私は思っています。 現在の浄土真宗教団、即ち東西本願寺は、親鸞聖人を浄土真宗の開祖とされていますが、親鸞聖人は法然上人のお弟子さんですから浄土宗に対抗して浄土真宗と云う宗派を 立ち上げられた訳ではございません。これは非常に大事な事実ですが、ただ、現在の浄土宗と浄土真宗は、米沢秀雄先生の仰るように、決定的に異なる重要な点があります。 それを理解するには、法然上人と親鸞聖人が生きておられた時代背景からの想像力を働かせる必要があると私は考えております。
法然上人(1133年~1212年)、親鸞聖人(1173年~1262年)が生きておられたのは、平安時代末期から鎌倉時代(1192年~)初期にかけてであります。 それは、壇ノ浦で平家が滅びた1185年から源頼朝が征夷大将軍となった1192年を含む戦乱の時代でした。

     鎌倉時代は、現代のように一般庶民が学校教育を受けて文字を読み書き出来たり、色々な知識(情報)を得られることはなかったと思われます。 公家、武家の上層部の家族が、家庭教育や、寺院などで、書物を読む機会を得られていたに過ぎないのではないかと想像致します。 一般庶民に仏法を説き伝えるには、「ただ念仏するだけで、死んでから地獄に落ちず、浄土に往生出来るのだ」と説くしかなかったかも知れません。

     親鸞聖人は、比叡山で天台宗の教えを受け、朝は「南無妙法蓮華経」夕べには「南無阿弥陀仏」を称えさせられていたと聞きます。 しかし、悟りは開けず、「ただ念仏するだけ」で極楽往生出来るとは納得出来ず、29歳の時に比叡山に別れを告げました。
そして、本当に他力本願の教えに納得出来たのは、50歳を過ぎて主著『教行信証』を執筆し始めた頃からでは無かったかと思われます。

そのあたりの事情を参考にされて、以下をお読み頂ければ幸いであります。

●米沢秀雄先生の詳細解説―『生活の中の仏法』をそのまま引用
     初めにちょっと申し上げておきますけれど、先月の時に、確か茨城県の奥さんが手紙をよこして、「自分は人見知りするたちで、 近所の奥さん方のように、誘い合わせてお茶を飲むというようなことが出来んのや」と、こう言うてきた人があるということを申しましたが、 それから長いこと音沙汰がなかったんや。

     それでこれは、私が鉄砲を打ったけれど、当たらなんだんかいなと思ったら、やっぱり当たったんやね。この6月に入ってから手紙がきた、 「主人から、お前は子供っぽいというより、幼稚なんやといわれている」んやと。「自分は幼稚なんでなかなか礼状が書かれなんだ」と言うてきている。 で、やっぱり私の言うたことが分かったらしい。
     で、この自分は人をうらやんで(ないものねだりして)いた、と。そんなことをしていると、自分の大事な一生が台無しになってしまうということが分かったんで、 そんなことばっかり気にして、うちのことが放ったらかしになっとったと、こういうことを書いてきましたから、まあ私が打った鉄砲は、やっぱり当たったんや。

     何でこんなことを言うかというと、仏法というものが、日常生活と、今まで別になっておったんでないかと思う。
だから、その日常生活の中に、仏法がどう結び付いて、どう生きてくるか。そういうことが私の関心事なんです。仏法と日常生活が別々になっているのを、 昔は〝死後の浄土〟にしたんでないか。浄土と現実の生活とは違うというので、それを時間的にズッとずらして、 死後の浄土にしておったんではないかと、こう思うですね。

     そうすると、親鸞が生涯をかけられた「現生不退(げんしょうふたい)」というか、「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)」という、そういうことが忘れられてしまっているということになると、 親鸞の九十年のご苦労が何にもならんことになるんでないかと、私は思うんですね。この現生不退とか現生正定聚ということになると、これは昔流の言葉を使うと、 「不体失往生(ふたいしつおうじょう)」というんか。往生に二つあって、「体失往生」と「不体失往生」と。「体失往生」というのは、死んでから極楽へ生まれる。 「不体失往生」というのは、生きながら浄土に生れる、と。親鸞は「不体失往生」派であると、こう思うんやね。

     ところが法然の弟子たちの間にも、そういう論争があって、師匠の法然に聞いたちゅうんや。法然というのは寛大なのかもしらんけれども、 ずるいと思うんやな。「体失往生、まことにもっともである。不体失往生、これもまたまことにもっともである」と、両方に軍配をあげたんやな。

     それでもまぁ、そういう裁きを聞くと、親鸞は失望されたと思うですね。しかし、これは余談になってしまうけれど、 丸岡高校(福井県坂井市丸岡町の県立高校)に引っ張られたことがあって、そこの図書館の主任をしている先生が本派(浄土真宗本願寺派?)のお寺さんで、 高校の先生をしとられるんやな。で、その人と私が、講演の前に話をしておって、その人から「親鸞は、生きながら浄土に生れるということを言うておられるのに、 死後の浄土にしてしまっている」と。というのは、これはもう亡くなられたけれども、本派の勧学(本願寺派の最高学位の僧侶の呼称)で龍谷大学の名誉教授で、 その方と四国の高校で一緒になった時に、その先生の話というのは、やはり死後の浄土ですね。
     私はまあ、日常生活の中でのことを言うとったんや。そうするとね、それを軽蔑するんですね。日常生活のことを言うのは、 新興宗教や、と。こういうことなんです。死後の浄土ということをいうのが、真宗の建前であるということを、 牢固(ろうこ;がっしりと崩れないさま)としてその先生は持っとられたですね。

     で、丸岡高校で話し合うた図書館の先生もそうや。しかし、死後の浄土ということも、私は法然の真似をするわけではないけれど、 まことにもっともなんや。けど、そんなことならば、別に親鸞の出現を待つ必要もないと、私は思うんですね。それで、法然の教えと親鸞の教えとでは、 だいぶ開きがあるちゅうんかな、そういうことが大事なことではないかと思うんですね。

     それで前回も申し上げましたように、『歎異抄』というのは、親鸞が越後から関東へ来て、その時分はまだ思想の円熟期でなかつたために、 法然から教えられた通りのことを言うておられたんでないか。それでも私は、法然の存在というのは、日本の仏教史の中で画期的な存在だと思います。 「念仏ひとつで救われる」ということは画期的なことですから、法然の言われることは間違いない。けれども、それをさらに厳密にされたというところに、 親鸞の存在があると思うんです。

     例えば、前回は第一章の「弥陀の誓願不思議」、そういうことを申し上げたんです。別に順を追うていくつもりではないけれども、 今日は第二章の問題点を申してみようと思います。

●無相庵のあとがき
     一般の方には、『現生正定聚』と云う熟語は馴染みが無いと思います。或るサイトで、「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)とは、 現生不退(げんしょうふたい)とも言い、阿弥陀如来より回向された信心を受容すれば、浄土に往生することが定まった身となり、 悟り(覚り)を開いて仏に成ることが定まること、もしくは仏の覚りと等しい位に定まることをいう。」と説明されています。
親鸞聖人は、死ぬまで煩悩を無くすことは出来ないとお考えだったと思いますので、「体失往生」派でもありましたが、死んで往生する、 それだけを願って生きることには納得出来なかったのだと思います。我が煩悩に悩み苦しむ人生で良いとはどうしても思えなかったのだと思います。 そこで、生きているうちに、往生が確定する身になりたいとして、『現生正定聚』と云う、人間が生きているうちに達成出来る〝身分〟と言いますか、 信仰上の〝地位〟或いは〝段階〟を考え出されたのではないかと私は想像しております。そう云う意味では、「不体失往生」派でもあったと言えるのではないかと・・・。 死んだ後の為に仏法を聴くのは如何なものか、生きている生身の自分の人生に生きる仏法でなければならないというのが、親鸞聖人のお考えであり、米沢秀雄先生のお考えだ、 と私は想像しております。

次々回のコラムは、「自覚教と救済教」と云う節をご紹介致しますが、米沢秀雄先生は、浄土宗は、〝救済教〟で、禅宗は〝自覚教〟、そして、親鸞聖人の浄土真宗は、 〝自覚教と救済教の両面〟を持っていると云う考え方をされているようであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


ご参考
本文中の太字にした〝ないものねだり〟をしていたと云う茨城県の奥さんの相談事に付いて、米沢秀雄先生の文章をご参考までに下記にご紹介致します。

ないものねだり

私は、非常にだらしない人間やから、私の仏法は縁側仏法や、というんです。縁側仏法というのは、縁側で腰かけながら、日常起こる問題を仏法に聞くと、こういう立場です。日常起こる問題を、日常問題と見過ごさずに、それを仏法に聞いていく。仏法がどう答えるか、そういうことを確かめていくと――そうでないと、仏法と日常生活と離れてしまうのではないか、こう思うんですね。

この前、私は東京へ行きました。そして話をさせられたのですが、そこへ来ておられたらしい(来ておったということが手紙に書いてありました)、――茨城県の主婦が、 手紙をよこされました。その手紙を読んだらね、非常に面白い、深刻な人の悩みを面白いというのは失礼になる。深刻な悩みなんです。
それはどういうのかと言うと、その奥さんは非常に内気で、人見知りをする性質(たち)で、高校の時に登校拒否をしたこともあると、こういうことが書いてあるんです。 それが縁あって、その内気な、人見知りする人がですよ。結婚して子どもさんが二人ある。で、ご主人は神さまのような人やと、こう書いてある。神さまのような人やろな。 そんな人見知りする奥さんを大事にしとるんやから、間違いなく神さまみたいな人なのでしょう。
で、その悩みというのは、自分が人見知りする性質なので、近所の奥さんとお茶を飲みに行ったり来たり、そういう交際が出来んというのですね。近所の奥さんは、 方々へ出かけて訪ねて行って、お茶を飲んだり話をしたりするけれども、自分はその人見知りする性質のため、交際が出来んと言うので、 それでこういう性格をどうしたら直すことが出来るかという相談なんです。確かに本人としては深刻な悩みなんでしょうけれども、私は「それは東京で話した時に、 私が言うとるはずや。あんたは何を聞いとったんや」と。

それは、相対的生活と絶対的生活と言うんかな、こういうことを東京で私が言うたはずや。まあ、仏法聞いてどうなるかと言うと、絶対的生活が出来る、 人を羨(うらや)まん、自分は自分でよかったと。こういう生活が出来るのは絶対的生活と言うもので、それこそ、 仏法というものが与えてくれる功徳であろうと思うんですね。皆、相対的生活をしておる。例えばその奥さんが、自分は内気で困った、と。 他の人は行ったり来たりして、お茶飲んで楽しそうにしていると。これは他を羨むので、相対的生活をしているわけです。
で、私は非常に皮肉な人間やから、その返事を書いた時に、「あなたは他の奥さんが、行ったり来たりしてお茶を飲んで非常に楽しんでおると思うとるが、 あんたもやってみると、ガッカリすること間違いない。つまり、お互いに行ったり来たりしてお茶飲んで、何を話ししとるかというと、近所の奥さんの悪口や」と。 こんな位なら別に出て来るんでなかったと思うこと間違いないんや。初めは着物の話くらいしてるかも知らんけれど、終りになってくると、人の悪口になってくるんやで。 そんなことせん方がええんや。それより、絶対的生活をしなさい、と。あなたもご主人があって、子どもさんがおるから、ご主人の会社の友達が来るやろうし、 子どもの友だちが遊びに来る。その時あなたは放っとくか。放っときはせんと思う。それだけが出来れば上等でないの。
まぁ、ないものねだりというのがあるんやね。ないものねだり。その奥さん、ないものねだりしてるんや。自分の性格にそれがないから、それがあって欲しいと思うんやね。 そういうように、自分にないものねだりをやっておると、自分に与えられておるものに気が付かん、ということがあるんですよ。
そういうことが、非常に大事なことやと思うんです。その奥さん一人の問題でなくてね、誰にでもある問題でね。ないものねだりをやっておると、 自分に与えられているものまで、見えなくなってしまう。そういうことがあるのでないかということを書いてやったのですが、その奥さんが分かったかどうか、 まあ分かりませんけれども。

その相対的生活から、絶対的生活をするかどうか。その絶対的生活とは、「自分が自分に生れてよかった」と、こういう生活を絶対的生活というので、奥さんに書いたのは、 内気な性格とか、人見知りする性格というのは、そういう性格そのものは、別に悪いもんでない。そういう性格に生れてきたということは、悪いことではない。 それを悪いことだと思うコンプレックスが問題なのだ。そのコンプレックスというのは、相対的生活をしたいというところから生まれてくるので、仏法というのは、 そういうコンプレックスをどうして除くかというと、「私が私に生れてよかった」という絶対的生活が出来るようになることでしかないんや。
私はえらい生意気な話やけれど、親鸞の教えを非常に喜んではおるけど、親鸞のようになりたいとは思わん。なろうたってお前がなれようかと、 こう言われるかも知らんけれども、そうでない。皆、あのようになりたいとかこのようになりたいとかいうのを、迷いというもので、それが相対的生活であって、 自分はこのままで結構だと、こう自分に落ち着くことが出来るのが、絶対的生活というものだと思うんですね。その奥さんは、私が手厳しく書いたんで、 怒ったかもしれんけれども、怒ったってもかまわんのや。怒っても、かまわんけれども、そういうことが、根本的なことが分かるということが、 非常に大事なことやと思うんです。


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No.1524  2015.12.21
親鸞仏法の悟りへの方便(手立て)

     コラムNo.1517で、禅には、悟りへの方便(手立て)が無いが、親鸞聖人の浄土真宗には、 信心逆得(しんじんぎゃくとく;禅門の悟りに相当)出来る手立てがあると米沢秀雄先生が仰っていると申し上げました。
     この手立ては、大無量寿経に説かれている四十八の本願の第十八番目の本願の但し書きされている『唯除(ゆいじょ)の文』だと教わってきました。 しかし、なかなか正確には、それがどう云うことかが分かりませんでした。
     でも、米沢秀雄先生のご著書『歎異抄ざっくばらん』の、歎異抄の第二章の解説の中に有る『自覚教と救済教』と云う節以降(『私の中の五逆』、『目に入った包丁』、 『世界一おそろしい者』・・・)に、その答えが書かれていると思いましたので、少し長くなりますが、私自身が色々な参考書を勉強しながら、 次回から数回に渡ってご紹介させて頂きます。唯除の文の存在は、親鸞仏法の要で有りますと共に、在家が求めるべき仏法の要でもあると米沢秀雄先生がお考えでしたし、 私もその通りだと考えるからでございます。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

付記
     十八願とは、「たとひ我(われ)、仏を得たらんに、十方の衆生(しゅじょう)至心(ししん)に信楽(しんぎょう)して、わが国に生まれんと欲(おも)ひて、 乃至十念(ないしじゅうねん)せん。もし生まれずは、正覚(しょうがく)を取らじ。ただ五逆と誹謗正法(ひぼうしょうぼう)とをば除く。」です。
そして、『ただ五逆と誹謗正法(ひぼうしょうぼう)とをば除く』を『唯除の文』と申します。


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No.1523  2015.12.17
救われてみれば、救われる必要は無かった

表題は、竹部勝之進(福井県吉野郡生まれ;1905~1985年)と云う親鸞仏法に帰依された詩人の作品「タスカッテミレバ タスカルコトモイラナカッタ」 を言い換えたものであります。

親鸞仏法に出遇った私は、「何とかして救われたい。どうにかして安心(あんじん)を獲たいものだ」と、思いつつ、法話を聴き、 仏教書を次から次へと求めて参りましたし、今も現在進行中であります。恐らく、この無相庵を訪ねて下さる方々も、 こんな私と同じ願いを持っておられるものと存じます。

竹部さんは、この詩から致しますと、助かった方、救われた方だったと思われます。多分、助かると云うこと、 救われると云うことがどういう事なのかが分かっていなかったということなのでしょう。
「煩悩が無くなってしまうと、仏様とは縁が無くなってしまう。」と米沢秀雄先生がご著書中で度々仰っておられます。
竹部さんの「タスカッテミレバ」の詩は、この米沢秀雄先生の考え方と、おそらく大いに関係があると思います。

沢山の煩悩が心の中に住み着いて、日毎に煩悩が消えて行くと言うよりも、ますます煩悩が深まり拡がっていく行くばかりの現実の 自己に出遇い、それと同時に、仏の慈悲無しではとても生きていけない本来の自己に出遇います。その時が、本当にタスカッタ時、 救われた時ではないかと考えたりしています。

今日、初めて気付きました。私の母(1906~1986年)と全く一年違いの同じ時代を親鸞仏法を頼りにして人生を送られた竹部さんだった事に・・・。

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No.1522  2015.12.14
無相庵カレンダーの言葉(3)

     今日は、12月14日です。今日の無相庵カレンダーのお言葉は、『あれを見よ、明日は散りなむ、花だにも、生命(いのち)の限り、ひと時を咲く』です。
    この歌は、九条武子(1887年~1928年) と云う西本願寺の21代法主の次女に生まれ、京都女子大の創設に関わられた方の歌です。九条武子さんは、柳原白蓮と共に大正の三美人とも言われ、 浄土真宗では大変有名な『聖夜』と云う歌の作詞もされました。

後に知ったのですが、歌い出しの〝あれを見よ〟は、間違いで、〝見ずや君〟が正しいそうです。即ち、正しくは『見ずや君  明日は散りなん花だにも   力の限りひと時を咲く』でございます。カレンダーに添え書きした解説文は「明日のいのちが知れない私達であるからこそ、今日の生活に命を燃やしたい。」と致しましたが、 花は、咲いた処で、南無阿弥陀仏(自力無効に目覚める事)しているのですが、私達人間は、頭脳を持たされていますし、 自分が一番可愛いと云うエゴの心を持たされていますから、なかなか置かれた場所や環境で、満足出来ませんから、素直に南無阿弥陀仏出来ません。

でも、この〝エゴの心〟を持っているからこそ、人間に生まれ得た意味と喜びを感じることが出来、 南無阿弥陀仏に出遇えるのだと親鸞聖人はお考えになっていたものと思われます。

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仏教讃歌『聖夜』

 1.星の夜空の うつくしさ
   たれかは知るや 天のなぞ
   無数のひとみ 輝けば
   歓喜になごむ わがこころ
 2.ガンジス河の 真砂より
   あまたにおわす ほとけたち
   夜ひるつねに 守らすと
   聞くになごめる わがこころ


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No.1521  2015.12.10
無相庵カレンダーの言葉(2)

今日は12月10日です。昨日(9日)の無相庵カレンダーのお言葉は、『ともしびを、たかくかかげて、わがまえを、ゆく人のあり、さ夜なかの道』です。
西川玄苔先生のご長男(西川慈海氏、当時40歳)が挿絵と共に添えられた解説文は『真っ暗な闇路を、行く手も知らず迷いさすらう者を、 灯かりをともして前を歩いて下さる御方がある。 その御方につき随って行くところに、間違いの無い道を、心強く進む事が出来るのです。』です。

母が親鸞仏法の念仏者だったので、私は幼くして仏教に出遇えていたのですが、間違いだらけの青年時代と熟年時代を過ごしてしまいました。 今も残り少なくなった人生を心強く進んでいるとは決して申せません。しかし、約10年前位から、米沢秀雄先生にご著書で出遇えたお陰様で、 それまで直接ご指導して頂いていた井上善右衛門先生、西川玄苔先生始め、多くの先生方をも仰ぎ見れるようになりました。

ともしびを高く掲げて歩かれている先頭は、何と申しましても、お釈迦さまです。そして、そのお釈迦さまの後ろには、親鸞聖人、道元禅師、白隠禅師・・・白井成允先生、 米沢秀雄先生、西川玄苔先生、井上善右衛門先生と、沢山の先師方が続いて居られ、その後ろの後ろの最後尾に私が居るような気がしています。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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