No.1600  2016.10.03人として生まれたことを喜びましょうー横川法語(よかわほうご)

●無相庵のはしがき
   横川法語は、親鸞聖人が浄土門の七高僧(インドの龍樹菩薩・天親菩薩、中国の曇鸞大師・道綽禅師・善導大師、日本の源信和尚・源空(法然)上人)と崇められた中の、 お一人の源信和尚【恵心僧都(えしんそうず)とも尊称される】が遺された法語と伝えられています。法然上人に影響を与え、親鸞聖人も間接的に影響を受けた方です。
   私は、私の母が、朝のお経がわりに、よく読んでいましたので、懐かしい法語でございます。印象に残っていますのは、 冒頭の『まづ三(さん)悪道(まくどう)をはなれて人間(にんげん)に生(うま)るること、 おほきなるよろこびなり。』と、『妄念はもとより凡夫の地体なり。 妄念のほかに別に心(こころ)はなきなり。』と云うところですが、この横川法語は、源信和尚の仏教の覚りの心持ちを表したものと考えてよいのではないかと、私は思います。

   原文はなかなか理解出来難いですが、現代語訳を参考にされて、お読み頂ければ幸いです。

●横川法語原文
    まづ*三(さん)悪道(まくどう)をはなれて*人間(にんげん)に生(うま)るること、 おほきなるよろこびなり。 身(み)はいやしくとも畜(ちく)
生(しょう)におとらんや。 家(いえ)はまづしくとも餓鬼(がき)にまさるべし。 心(こころ)におもふことかなはずとも地(じ)
獄(ごく)の苦(く)にくらぶべからず。 世(よ)の住(す)み憂(う)きはいとふたよりなり。 このゆゑに人間(にんげん)に生(うま)れ
たることをよろこぶべし。 信心(しんじん)あさけれども*本願(ほんがん)ふかきゆゑに、 たのめばかならず往(おう)生(じょう)す。
念仏(ねんぶつ)ものうけれども、 となふればさだめて来迎(らいこう)にあづかる。 功(く)徳(どく)莫大(ばくだい)なるゆゑに、 本願(ほんがん)に
あふことをよろこぶべし。またいはく、 妄念(もうねん)はもとより*凡(ぼん)夫(ぶ)の地(じ)体(たい)なり。 妄念(もうねん)のほかに
別(べつ)に心(こころ)はなきなり。 臨(りん)終(じゅう)のときまでは一向(いっこう)妄念(もうねん)の凡(ぼん)夫(ぶ)にてあるべきぞとこころえて
念仏(ねんぶつ)すれば、 来迎(らいこう)にあづかりて蓮台(れんだい)に乗(じょう)ずるときこそ、 妄念(もうねん)をひるがへしてさとりの心(こころ)と
はなれ。 妄念(もうねん)のうちより申(もう)しいだしたる念仏(ねんぶつ)は、 濁(にご)りに染(そ)まぬ蓮(はちす)のごとくにて、 決(けつ)定(じょう)往(おう)
生(じょう)疑(うたがい)あるべからず。

●横川法語現代語訳
   生きとし生けるもの全ての中において、三悪道(地獄の世界・餓鬼の世界・畜生の世界)を避けて、人間に生まれるということは、大変希なことなのです。 社会的な地位は低いと言っても、畜生より劣ると言うことではありません。家が貧しいと言っても、もがき苦しむ餓鬼ではないのです。 心の中に思うことが実現しないと言っても、地獄の苦しみには比べようもありません。

   生活の中での不満は、自分が愛おしいという証拠なのです。多くの人が、浅ましい心根を持っているということは、本当の幸せ(命の尊さに気づく)を願っていると言う証拠なのです。 人間に生まれたことを喜ぶことが大切です。

   信心は浅いかも知れませんが、阿弥陀仏の本願があまりにも深いので、頼めば必ず浄土に往生出来るのです。 念仏を称えるのは気の進まないことでしょうが、唱えれば、必ず来迎(臨終の時に、阿弥陀仏のお使いに迎えに来ていただける)に出会えるのです。 阿弥陀仏の功徳は莫大なのです。ですから、阿弥陀仏の本願に出遭うことを、大切に喜ぶべきなのです。

   また妄念は、本来私たち凡夫に備わったものです。私たちは妄念の外には別の心などないのです。
   臨終の時までは、私は妄念の凡夫なのですと自覚して、一向に念仏すれば、来迎に出遭って、蓮の台(うてな)に乗る時にこそ、妄念をひるがえして、さとりの心を持つことになるのです。 妄念を持ったままで称えている念仏は、よごれに浸まない蓮のように、必ず浄土へ往生するのですから、絶対に疑ってはならないのです。
   妄念があると言う事実を嫌わないで、むしろ、真実の信心が浅いのだと嘆いて、心をしっかりと保って、南無阿弥陀仏の名号を唱えることが大切です。

●無相庵のあとがき
   親鸞聖人が浄土真宗の第六祖とされた恵心僧都と法然上人は、ほぼ200年の時代差があります。そして、法然上人と親鸞聖人は、40歳の年の差があります。 どう云う縁があってのことかと調べましたら、恵心僧都の著書『往生要集』に中国の善導大師のお言葉を引用されており、それを法然上人が大切にされ、法然上人のお弟子の親鸞聖人も、 その影響を受けたと云うことだと思います。また、三祖師とも、比叡山延暦寺で天台宗の教えを学び、南無阿弥陀仏も称えさせられていたと云うことも、 親鸞仏法に私たちが縁を頂く機縁となったものと、私は思っております。。

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No.1599  2016.09.29続ー仏教の悟(覚)りを考察する

   前回のコラムで私は下記のように申しました。
   『しかし、自分を最低の人間だと自覚することが、悟りだと言うならば、「そんな悟りは真っ平御免だ」と云う声が、私の心の奥底から、また、 多くの方々からの納得出来ないと云う声が聞こえて来ます。しかし、本当の自分を知ると云うことは、本当の人間を知ると云うことであります。本当の人間を知ると云うことは、 自分と相対する他人を知ることでありますから、聖徳太子が仰った「私もあなたも全く同じ煩悩具足の凡夫ですね」と云う自他の無い世界を生きることになるのではないかと想像致します。』

   私は少し前までは、聖徳太子の十七条憲法の第十条の「共に是凡夫のみ」と云う考え方を親鸞聖人のお考えとは若干異なっていると考えて、「如何なものか?」と、 傲慢にも思っておりました。と云う私の考えは、ひたすらに自分が最も至らぬ、煩悩具足の極みだと思ってこそ、浄土真宗の回心(えしん;覚り)なのだと頭の中で考えていたからでした。
   でも今は、「全ての人は自分と同じく、過去からの業(遺伝子)を背負ってこの世に生まれ、また、自分が選んだわけでもない両親・家族・環境で育ったのであって、 自らの努力で自分を変えられない人間同士であり、煩悩具足振りを比較し合うのではなく、共に同じ凡夫を生きるしか無い存在だったんだ。」と、昨年末のある時に考え直す縁に恵まれまして、 「共に是凡夫のみ」と云う聖徳太子ご自身の実体験に基づく覚りが、とても有り難い教えだったんだと思うようになりました。
   「何のために仏法を求めているのか?」の私の現時点での回答は、「本当の自分に出会うため、本当の自分を知るため」であります。そして、 その事を常に忘れないために聞法させて頂くのであると思うことであります。

なむあみだぶつ


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No.1598  2016.09.26仏教の悟(覚)りを考察する

●無相庵のはしがき
   『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説が終わりました。続いて『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第十章』がございますが、ここで一休みさせて頂いて、 『仏教の悟(覚)りを考察する』と云う唐突な表題になりますが、無相庵読者のどなたも、おそらく、明確な意識があってのことか無意識かは別にしましても、「悟りを求めて」おられることと思いますので、 あながち唐突では無いとも思いまして、『悟り』をテーマとさせて頂く次第です。
   ただ、私自身がそうなのですが、「悟りたい!」ではなく、人生では色々な障害、逆境に遭遇しますので、 「心苦しい生活から何とか心安らかな生活が送れないものか」と云う気持ち、或いは「勇気を持って人生・生活に臨みたい」と云う思いから、私の場合は、「これは、幼い頃から親しんできた仏教で、 何とかなるのではないか」と、物心ついてからこれまでの約60年を生きてきたように思います。そう云う意味で、「明確な意思で悟りを求めたことは無い」と思いますので、 前述の「明確な意識があってのことか無意識かは別にしましても」と、申し上げた次第であります。

   かなり前のコラムコラムNo.1422に、 正岡子規の「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。」との遺言を紹介したことがあります。
   その時点では、確かに感銘を覚え、「そうだ、それが悟りなんだ!」と思いましたが、今は、違います。正岡子規も、死を前にして、平気で死んで行けぬ自分を思い、 平気で生きて来られなかったからこそ、遺した言葉では無かったかと思います。

   以下の内容は、難しい言葉が並んでおり、結論が無いとも言えますが、無相庵読者の皆さまには、我慢してお読み頂き、ご自分が「何のために仏法を求めているのか?」を自問自答されて、 ご自分の答えを導き出して頂きたいと思います。

●季刊誌『洗心』の往生余話―菩提篇(その7)から引用
   要するに悟りと云う体験はあまりにも主観的で直感的なものであるため、龍樹(りゅうじゅ;150年~250年頃の大乗仏教中観派の祖であり、日本では、八宗の祖師と称される。 浄土真宗の七高僧の第一祖とされ「龍樹菩薩」と称される)もその具体性を解き明かせなかったと云うのが本音かも知れませんし、抽象的な言葉をこねくり回して哲学的に言い表そうとしても、 それが厳密な悟りへ繋がる教えなのかどうかは、実際のところ誰にも保証などできなかったわけです。
   そのため、そうした諸々の疑念が龍樹を悩ませた結果、おそらく彼は「空」と云う恐ろしく抽象的な概念を適用せざるを得なかったのでしょうし、 悟りにおけるすべての解釈理論に「空」を展開したことで、自ら思考破綻の無間地獄へと陥るしかなくなってしまったわけです。

   悟りの所以を、勘とか運とか巡り合わせにすべて委ねるのもあまりに癪ですし、主観的ゆえに著しい個人差がある悟りという現象に対して、せめてもの客観的な論証を付与した結果が、 こうした「空」の概念で便宜的に体系立てられた、数々の経典だったのかもしれません。
   「考えるな、感じろ」というフレーズがあながち間違いではないのも、そういった意味を含んでのことですし、悟りを論ずること自体が空しいこと、すなわち「空」であるということを 、龍樹は数々の経典を通じて、仏教を信じる者たちに伝えたかったのではないでしょうか。

   何れにしましても、覚ることは我々凡人には非常に難しい仕業であることは紛れもない事実ですし、もしも万が一、運良く悟れたとしても、 悟った本人が「これこそ悟りだ」と言い切れるような確たる証拠は、おそらく明確な形で表すことなど不可能ではないかと思うのです。〈悟りの実感覚〉がどのようなものであるかをはっきり明示しない限り、 この世の誰一人として悟りを得ることなどできないのであって、そう考えると悟りを得るということは要するに、天啓のような直感的で超越的な認識ではなく、 悟れたという実体験を自覚的に体得することによってこそ、それを主観的な意識や覚醒作用を通して確認できることになるわけです。

   「悟れた」という〈実感覚〉を認識することができて初めて悟りは現実の事象として体感できるのであって、体感することによってこそ悟りは実存的な現象として、 私たち自身の知覚の中に現出できるようになるわけです。 そういった意味で、悟りはきわめて身体的で、五感に訴えかけてくる生々しい体験以外のなにものでもありませんし、そうで無ければ悟りは単に〝言った者勝ち〟の、 独りよがりな自己満足へと成り下がってしまうわけです。

   客観的に検証する術や、計測する物差しがない事には、誰が悟れて誰が悟れていないのかを立証することも不可能ですし、物差しの種類や規格がそれぞれ異なるようでは、 何をもって悟れたと認定すべきかなんて、一切証明することなどできるはずがないのです。

   数々の修行や戒律、苦行や経典があるのも、そうした悟りへのアプローチを指南することがそもそもの目的なのでしょうし、その規格や基準に従い、 それぞれ悟りのレベルゲージに達した者を覚者とする方法が繰り返されてきた結果、世界には数多くの悟りが蔓延して、その是非や正否も定かではないままに、 星の数ほどの〝ブッダもどき〟が生死流転することと相成ったわけです。

   そもそも悟りの源流をたどれば、仏教における悟りというのは今から二千五百年ほど前、三十五歳のしがない修行者だったゴータマ・シッタルタが、 ネーランジャラー川のほとりに立っていた菩提樹の根元で開いた〈実感覚〉がルーツになっております。 その体験が歴史的に正確な事実だったかどうかは、また別の機会に検証する必要があるでしょうけれども、とにかく一人の修行者がそのとき「自分は悟れた」という〈実感覚〉を得たことによって、 そこから〝大いなる菩提の流れ〟とでも呼ぶべき仏教の趨勢が脈動していくわけです。

   こうしたことからも、仏教という宗教はきわめてフィジカル(肉体的、物理的)で独善的な〝教義〟だということが言えますし、一人の修行者の実体験や知識見聞を契機として、 生命や人生、あるいは宇宙や自然の理といったものを有機的かつ俯瞰的に把握した、ある意味で絶対主観にいろどられたダンディズム(男性のおしゃれ精神。 だて気質)あふれる美学および哲学だということが導き出されるのです。

●無相庵のあとがき
   中村師の文章の中で、「悟りは単に〝言った者勝ち〟の、独りよがりな自己満足へと成り下がってしまうわけです」と、 「星の数ほどの〝ブッダもどき〟が生死流転することと相成ったわけです」は、私にはとても印象深いですが、生身の人間の『悟り』を否定したのが、実は親鸞聖人ではなかったかと、私は思いますし、 もし、「龍樹菩薩」が親鸞聖人の後に生まれておれば、『空』と云う概念は生まれなかったかも知れないとも思いました。親鸞聖人は、現実・事実から、真実を追究し続けながら、 この娑婆世界を生き切った私たちと同じ市井の人だったと思うのです。

   私の結論は、自分の心には、悪人の心もあり、善人の心もある。そして、自分の欠点、能力が無いことは分かっているが、それを自分で直すことも出来ないのに、それを認めようとせずに、 他人に対して自分を取り繕う、嘘偽りの人間であると自覚することが、悟りであると思います。その自覚が本当なら、自分にも嘘をつけず、何事にも真剣に励む生活が実現するのではないかと考えます。
   親鸞聖人が、ご自分のことを『罪悪深重煩悩熾盛の凡夫(ざいあくじんじゅうぼんのうしじょうのぼんぶ)』と、告白されたのは、決して謙遜ではなく、 心から自覚されてのことだと思われます。そしてそれが、浄土真宗の悟りだと言ってよいと思います。

   しかし、自分を最低の人間だと自覚することが、悟りだと言うならば、「そんな悟りは真っ平御免だ」と云う声が、私の心の奥底から、また、 多くの方々からの納得出来ないと云う声が聞こえて来ます。しかし、本当の自分を知ると云うことは、本当の人間を知ると云うことであります。本当の人間を知ると云うこは、 自分と相対する他人を知ることでありますから、聖徳太子が仰った「私もあなたも全く同じ煩悩具足の凡夫ですね」と云う自他の無い世界を生きることになるのではないかと想像致します。
   これこそが、禅門で言われる「太死(だいし;自我の死)一番、絶後によみがえる」と云う心の大転換が起こることなのかも知れません。 私が述べて来たことも、星の数ほどの〝ブッダもどき〟の一つの小さな星なのかも知れません・・・。

なむあみだぶつ


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No.1597  2016.09.22『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(10)真の人間教育

●無相庵のはしがき
   米澤先生は、1906年に生まれて1991年に亡くなられています(85歳)。『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』を解説されたのは、 70歳過ぎと云うことですから、亡くなられる約15年位前のことだと思われます。しかし、今回の『真の人間教育』は、米澤先生の遺言のような気が致します。 それは、仏教を私たちに説くべき役割を担っている、お寺さんに向けたものではありますが、私たち世間一般の親達にも言い残した切実な遺言ではないかと、私には思えてなりません。
   また、教育界に対しては、真実の宗教教育を提言されていますが、これは何も、親鸞仏法に限ることではなく、 お釈迦さまが開かれた仏教こそが真実の宗教だと考えられてのことだと私は思っております。
   そして、「今まで仏教教化に当たる人が、全部自分の今日までやって来たことが、間違いやったと云うことが、分かるということが一番大事なことであり、 分からずにずるずると、今日までやってきたようなこと、やっていたんでは困るのや」と、お寺さん達に奮起を促されておられるのだと、私には思えました。

   米澤先生のお寺さん達へのご遺言はご遺言として、今日の法話の中で、私たちが学びたいことは、「私たち人間には皆、仏智がある」と云う事だと私は考えます。仏智があると云うことは、 平易に言い換えますと、「自己中心の気持ちとは別に、とても善い心、優しい心を本来的、本能的に持って、生まれて来ている」と云うことです。私たちの現実・事実としては、人を嫉み、妬み、蔑(さげす)み、 恨む心を持っていることは誰しも否定出来ないと思いますが、谷口タカ子を見付けて、こころの底から喜ぶ、仏様のような心も持っているのもまた、間違い無いと云うことです。ただ、 その自己を自覚するには、聞法が大切だと云うことだと思います。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(10)真の人間教育
   そしたら、普通ならやぞ、「あぶないところをたすけてもらって、ありがとう」と、こういうのがふつうやろ。そこが知恵おくれやて、タカ子がエヘヘと笑ったちゅうや。 そしたらそこの回りに集まっとった27人の子ども達が、全員泣いたちゅうんかな。それを水上勉が言うとるんやけど、こんな美しい涙を自分は初めて見たという。 こう云うことを書いておる。非常に大事なことやと思う。

   つまり谷口タカ子が生きとったと云うことが、皆うれしかったんやろね。だから〝いのち〟と〝いのち〟の共感と云うもんか、そう云うことでまあ、皆泣いたんだろうと思う。 そう云うところが宗教心と云うものだと思うんです。これ、宗教心だけれども、自覚にならない。偶然にそう云うことが起こっただけであって、信心と云うのは自覚ですから、これが自覚にならなければ、 こう云うものが人間にとって一番大事なものだと云う、自覚が生まれなければならんのです。偶然、谷口タカ子のために、27人の子どもたちにも、宗教心があると云うことが証明されたんや。 証明はされたけれども、一人一人にそれが自覚にならなければいかん、と。

   で、何故聞法を続けるかと言うと、信心と云う自覚が生まれるためであると、こう思うのですね。だから宗教心と云うのは、皆にあるんや。仏智と云うものが皆にあると云うことが、 非常に大事や。仏智と云うものは、谷口タカ子がたすかったと云うことで皆が泣いたと云うことが、仏智なんや。普通のエゴなら、自我なら、自分さえ生きとればそれでいいやね。知恵おくれの、 大小便の始末をさせられるような子どもが、生きていようといまいと、そう云うことは関係ないと云うのが、エゴのはたらきであって、それが生きていてくれた、 足手まといの者でも生きていてくれたということに、喜んで泣くと云うところに、宗教心、仏智があると云うことですね。

   だから私はこの話を好きでやるのは、仏智が皆にあると云う証拠に言うので、しかもその仏智が目覚めて、自覚になる為には、聞法と云うものを続けなければならないと、 こう云う意味で私が申すわけです。

    ところが、非常に面白いことには、33年経ってからかな、水上勉が昔の分教場へ帰って来た、と。そしたらその時分に自分が教えた子どもが、皆一人前になっとるわけや。 舞鶴でスナックをやっている者もあるし、大阪で土建業をやっている者もあると。それが水上勉が山の分教場へ上ってくる道に、皆、並んでるんや。で、皆、幼な顔が残っているから、 その一人一人の名前を呼んで行くんや。
   と、また一人足らんのやと。それが谷口タカ子や。で、「谷口、死んだか」と聞くと、「山の上で待っとる」と、こう言う。で、山の上に行くと、道がずっと舗装されている。 山の上の分教場は、建かわっていて、立派になっとると。給食室まで出来とると。文化と云うものは発達したけれども、本当の教育が行われているのかどうか。

   と言うのは、谷口タカ子はいい着物と羽織と、対のを着て待っとった。水上勉は先生をやめて、作家になるため東京へ出たんでしょ。そこで、村の長(おさ)と書いてあった、 村のボスでしょう。村の長が「水上先生が東京へ行ったのは、タカ子の世話をするのが嫌で、東京へ行った」と、こう言うとるんや。
   だから水上勉が東京へ行った明くる日から、谷口タカ子は学校へ来られんようになってしもたんや。
   で、この人間の平等、そう云うことが戦後言われた日から、谷口タカ子から教育が失われてしまった。これはどういうことやと云うことを、水上勉が疑問にして、 教育と云うものは何だろうと、こう云う疑問を投げかけておるわけなんやね。

   だから私は、学校教育と云うのは、飯食うための教育で、ことに成績のいい者はいい、ダメな者はあかん、ちゅうのが今の教育で、谷口タカ子みたいな者は、特殊な学級へ入れて、 別に教育すると云うのが、非常に温かいようだけれども、人間を差別しとると言うか、そう云う差別意識があると云うことを、水上勉が訴えているんだろうと思いますね。

   谷口タカ子は知恵おくれの子どもや。知恵おくれの子どもやけど、学校の教師でも出来んことをやっとるでないか。つまり皆に仏智があると云うことを証明したという。これはもう、 蕗とるよりも大きな功績であると思うんですけれども、それを認める者がいないと、それっきりになってしまうのやね。 そう云う点で私は、この話は皆に仏智があると云う証明になって、いい話であると、こう思うのです。皆にあるのや、あるけれど、それを目覚ましめると云うことをやっていない。 それを目覚ましめる真実の宗教教育を、今までお寺さんがやっておらなかった。そう云うところに大きな間違いがあるんでないかと、こう思うんですね。

   『女性仏教』と云う雑誌が出とるんや。そこから前に、その雑誌に、私がほかの雑誌に出したのを転載したことがあるんですけれど、そこからアンケートが来た。この頃、 非行少年と云って、親を殺すような子どもが出ているが、その根本的な原因は何か。どうしたらそれをなおすことが出来るか。そして、間違いのもとはどう云うところにあるかと、 こう云うことをアンケートしてきたんや。
   で、私は、仏教をおろそかにしてきたことが、非行少年を生むことになっておると、こう書いた。それから、それを直すにはどうしたらいいかというのには、 真実の宗教教育をやるほかにないと。こう云うことを書いた。評論家は色々と言うけれども、評論家の言うことは、場当たりでね、あかんのですわ。真実の宗教教育をやると云うことが一番大事なことで、 今日こう云うふうになったと云うことについて、今まで仏教教化に当たる人が、全部自分の今日までやって来たことが、間違いやったと云うことが、分かるということが一番大事なことであろうと。 分からずにずるずると、今日までやってきたようなこと、やっていたんでは困るのや。

●無相庵のあとがき
   私は、水上勉氏の著書『ものの聲ひとの聲』をアマゾンの中古本サイトで購入しました(未だ未だ買い求めることが出来ます。1冊、300円程度)。昨日、届いたところです。 全222頁と、想像していたものよりも、分厚い本でした。10節に分かれていますが、谷口タカ子に関する事は、その中、2節だけです。未だ、読み終わっていませんが、 水上勉氏がとてもとても貧乏な生まれだったこと、禅寺で約10年も過ごされたのち、堪らず脱走された事等、新しく知りました。
   本の最後に、『私は、子ども時代をふり返って、何一つ教訓などたれなかった貧乏な父と母のことを思い、ふたりは、 いま千篇の書にまさることばをいっぱい残して死んだことに気づいている。学校へゆけなかった負け惜しみからいっているのではない。私の体内から、にじみ出るように出てくることばがあるとすれば、 それは父母がくれて、それを若狭の風土に培った気がする。
   高野分教場や谷口タカ子に出会えたのも、この風土の贈り物である。』と結ばれています。

なむあみだぶつ


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No.1596  2016.09.19『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(9)蕗(ふき)取り名人

●無相庵のはしがき
   今日の表題『(9)蕗取り名人』は、唐突な感じを受けられると思いますが、次回の『(10)真の人間教育』と合わせて、 米澤秀雄先生が非常に感銘を受けた、水上勉(みなかみ・つとむ;1919年~2004年、1961年『雁の寺』で直木賞受賞)の教育論を仏教的に解説されたものであります。 〝蕗取り名人〟とは、水上努氏が小学生の先生時代の教え子で、知恵遅れだった〝谷口タカ子〟が勉強は全く出来ないが、蕗を取らせたら、クラスで一番上手かったと云うところからの 呼び名であります。 『(9)蕗取り名人』と『(10)真の人間教育』は、通しで読んで頂くべきものでありますが、あまりにも長くなりますので、途中で一旦区切りをつけさせて頂きます。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(9)蕗取り名人
   宇宙中の〝はたらき〟によって、生かされて生きている私やと分かるのが、仏智(ぶっち)と云うもの。人間知ではないんです。 人間知と云うのは、我々が職業を持って生活していかねばならんから、だからそのために必要な知恵を人間知、あるいは世間知と言うんや。仏智は出世間智(しゅっせけんち)ちゅうんかな。 我々と世間との問題でない。自分自身と云うものがどう云うものか、はっきりと分かるのを、仏智とこう言うんですね。だから今の日本の教育は、人間知、世間知を増長させる教育ばかりやっておって、 仏智、出世間智、それをおろそかにしている。そう云うところに現代日本の教育の大きな間違いがあると、私は思うておりますね。仏智とかそう云うものは皆にあるのや。皆にあるけども、人間知、 世間知の方を重要視して、仏智、出世間智が働かんように、皆がよってたかってしているんでないかとさえ、私は思うんですね。

   仏智が目覚めると、自分が生きとるちゅうのは、全宇宙の〝はたらき〟によって、生かされて生きておるのやと云うことが分かる。そんな馬鹿なこと無かろうと、皆、考えるのやね。 ところが寝てる間も空気があるし、寝ていても空気吸ったり吐いたりしているし、寝ている間も血液が循環しとると云うのは、自分の力でない。宇宙に満ち満ちている〝はたらき〟そのものによって、 生きておる、こう云うことが分かって、初めて人間になれるのじゃないかと、こう思うんですね。

   まあ、学校教育を人間教育と思うているけど、あれは一人前に飯食っていかれる教育を、学校でやっとるだけであって、小学校、中学校はその基礎教育をやっているだけで、 本当の人間教育と言うたら、真実の宗教教育が、本当の人間教育やと私は思うのですね。
   と言うのは、これが分かって初めて人間になれるのやから。犬も猫も「はたらきそのもの」によって生かされているのや。植物でも「はたらきそのもの」によって生かされている。 しかし植物や犬や猫は、それを知ることが出来ない。人間だけが知ることが出来る。つまり人間には仏智がある。生まれながらにしてあるのや、仏智が。しかし仏智がありながら、 仏智に目覚ましめるような教育がないと仏智が目覚めないと、こう云うもんですね。

   だから聞法と云うのは、仏智を目覚ましめるための人間教育であるという、これが本当の人間になるための教育である、と。これがなかったら、これを知らなんだら、 仏智が目覚めなんだら、犬や猫といっしょやないかと、こう云うことが私の言いたいところなんです。だから真実の宗教教育、聞法と云うものが、真の人間になる教育である、と。形だけの人間でなく、 本当の人間になる教育である。そう云うふうに私は考えておりますね。私はこの考えは間違っていないと思う。

   私が非常に感動したのは、若狭から出た作家で、水上勉(みなかみ・つとむ;1919年~2004年)と云う方がいる。水上勉の講演を時々読んで、非常に感動しておるんですが、 水上努が母親の集まりで言うた話。これは『ものの聲(こえ)ひとの聲』と云う本に載っとるらしい。 その講演は、水上努が口減らしのために、京都の禅寺へ小僧に入ったんです。ところが彼は情けないかな、その禅寺の和尚の裏ばっかり見たんやな。それで絶望して、寺逃げ出して郷里へ帰ってきて、 分教場の代用教員をやっとったちゅう。

   その山の上にある分教場では、複々式教育と云うのをやっとる。つまり一つ教室に一年生から四年生まで居るんやちゅう。だから一年生を教え、二年生を教え、三年生を教え、 四年生を教えなければならん。ところが四年生を出ると本校へ帰るので、本校に帰った場合に、成績が悪いといかんというんで、四年生には力を入れて教えた。ところが一年生や二年生は、 えらい粗末に扱われるのや。 まあ、水上勉が書いたところをみると、なかなか面白いんや。一年生の子どもらに、「木の葉を十枚拾って来い」これで算数おしまいやという。うまい。一枚二枚と云う木の葉を数えられればいいんやで。 算数なんてのは、銭勘定できれば、大人になれるんやから、心配ないんや。
   そこに谷口タカ子というたか、知恵遅れの女の子を預けられたんやね。で、前の教師が「この子は、他の子の勉強のじゃまになる」と、学校へ受け入れんようにしてしもたんや。 母親が水上勉のところへ頼みに来たのやね。「この子を学校へ出せてくれ」と言うて。で、知恵遅れの谷口タカ子が、明くる日から学校へ来たんや。喜んで来たんや。喜んで来たんやけど、 勉強は全然駄目なんや。おまけに大小便もらすんや。それで四年生が当番制を作って、タカ子の大小便の世話をしたちゅうんや。

   ところが人間ちゅうのは、捨てたもんじゃないですよ。戦時中になって、授業どころでないんや。蕗取りを上から命じられた。子どもらを連れて、水上勉が裏の山へ蕗取りに行くのやな。 蕗取らせたら、谷口タカ子は、一等賞やと。蕗のあるところを見付けるのが上手くて、蕗を余計に取って来るんやな。
   ところが戦争が非常に厳しくなって、毎日のように蕗を取って来るもんやから、蕗がだんだん少なくなって来たんやね。それでもう戦争の末期かな、山へ上がって蕗を探しに行ったんやね。そしたら、 夕方になって、子どもが皆、帰って来るんや。ところがその時分は疎開してる子どもらも居って、一クラスに28人おったちゅうんかな。数えてみたら27人しか子どもがおらんという。それで、 「谷口、どうしたか」というて、皆で谷口タカ子を探しに行ったというんや。
   そしたら谷口タカ子は、山の中腹のホラ穴を入ったところに、蕗が沢山あるのを見付けたんやと。それで蕗を沢山取って、それを背負うて穴を出ようとするんやけど、出られんのや。 そこはやっぱり知恵遅れでね。普通ならその蕗を少しずつ持っては穴から出るんやけど、そこが真面目なというか、知恵遅れといおうか、蕗がひっかかって穴から出られんのや。
   それをクラスの子供が見付けたんやね。「タカ子がいたぞ!」と呼ばったちゅう。それで水上勉を初めクラスの者が皆、寄って行ったんや。それでどうやらこうやらして、 穴からタカ子を出したちゅうんや。

●無相庵のあとがき
   米澤秀雄先生は、「本当の人間教育と言うたら、真実の宗教教育が、本当の人間教育やと私は思う」、「真実の宗教教育、すなわち聞法と云うものが、真の人間になる教育である。 形だけの人間でなく、本当の人間になる教育である」と、仏法を聞法することが人間にとって非常に大事だと仰っています。人間と他の動植物の一番の違いは、高等な頭脳を貰って生まれてきたから、聞法して、 それを理解出来るところにあると云うことだと思います。他の動植物は、空気の存在を知らないまま、水の存在を知らないまま、太陽の光のお陰で生きている事を知らないまま死んでいきます。 人間に生まれた意味を知り、その尊い〝いのち〟に気付かないのは、折角人間に生まれたのに勿体ないと云うことだと思います。

   谷口タカ子物語は、次の『(10)真の人間教育』の冒頭直ちに続きがございます。上述の引用のままでは、尻切れトンボになっていますので、 その冒頭部分を下記に少し引用しておきます。

   『そしたら、普通ならやぞ、「あぶないところをたすけてもらって、ありがとう」と、こういうのがふつうやろ。そこが知恵おくれやて、タカ子がエヘヘと笑ったちゅうや。 そしたらそこの回りに集まっとった27人の子ども達が、全員泣いたちゅうんかな。それを水上勉が言うとるんやけど、こんな美しい涙を自分は初めて見たという。こう云うことを書いておる。 非常に大事なことやと思う。』

なむあみだぶつ


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No.1595  2016.09.15『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(8)法輪を礼拝

●無相庵のはしがき
   仏法の話は分かり難いものです。特に浄土真宗の場合は、二種の深信(にしゅのじんしん;機の深信、法の深信)と云う言葉を聞かされましても、 初めて聴く人には全く意味不明だと思いますし、本願、信心と云う言葉の意味を、正しく理解出来る人は殆どいらっしゃらないのではないかとも思います。
   しかし、これらを抜きにしては、親鸞仏法に依って、苦難有り、逆境有りのこの世の中を、無碍一道として生き抜く力を得る事は出来ないと思います。

   今日の(8)『法輪を礼拝』は、仏像や絵像を拝むのが信仰ではなく、『法』、つまり『真理、真実』を拝むのが親鸞仏法本来の姿でなければならないと、 米澤秀雄先生は強調されたいのだと思います。
   この無相庵ホームページを訪ねられ、法話コーナーとかこのコラムコーナーに関心を持ってお読み頂いている無相庵コラム読者の方々ならば、 既にそれらの言葉の意味をご存知だと思っておりますが、以下の米澤秀雄先生のご説明で、より深く理解頂けるものと思います。私も、靄(もや)っていた霧が晴れたような思いが致しました。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(8)法輪を礼拝
   自分自身を見る目。私がよく言うのは、自分自身を見るのに、二つあると。これは私が発明したんやない。善導(大師)が言うとるのや。自分自身を見るのに二つある。 一つは機の深信と、それと法の深信。機の深信と云うのは、自分と云うものは、煮ても焼いても食えん奴やと、そう云う自分自身を納得する、と。まあ、自分の心でさえ思うようにならんのに、 チョッカイ出して人の心を自分の思うように動かそうとする、そう云うヤツであると、こう云うのが機の深信。これが一つ。現実形態としての自分が見えると云うこと。 そう云う愚かな自分をも見捨てずに、宇宙中の〝はたらき〟が生かし続けておられる、と。そう云うところに法の深信がある、と。

   法の深信と云うのを、今まで阿弥陀さんの〝おたすけ〟のように言うて来たところに、間違いがあるんじゃないかと思うんですね。そしておまけに、阿弥陀さんと云うのは、 ここから十万億土の先に、極楽と云う世界があって、そこに阿弥陀さんがおられる、と云うふうに説いてきた。そう云うところに何か、地球の果てに、西の方へ行くと、 実体的な阿弥陀さんがおられるように錯覚を持たせるようにしてきたところに、今日までの説教の間違いがあるんでないか。

   南無阿弥陀仏のほかに、阿弥陀さんなんかあるはずがない。南無阿弥陀仏と云う名号のほかにあるはずがないですね。ですから私は、難波別院へ去年(昭和55年)10月に行った時に、 難波別院では法輪――法輪ちゅうのは、こう云う丸い輪があって、後光がさしている。それに「南無阿弥陀仏」と、親鸞の字を模した文字をくっつけたのが掛けてあるのです。それを見て、 「これはいい」と。
   親鸞は「帰命尽十方無碍光如来」と言うて、そう云う名号を拝んでおられた。名号を拝んでおられたと云うことは、「法」を拝んでおられたと云うことですね。ところが大抵は、 阿弥陀仏の立像があったり、阿弥陀仏の絵像が掛けてあったりする。

   私は、これは奈良・平安の仏教に逆戻りしたもんやと、こう云ふうに思う。それはどう云うことかと言うと、奈良・平安の時代には、お寺さんは教学の勉強に一所懸命や。 例えば薬師寺では唯識か、非常に面倒な学問を勉強しておる。東大寺でも華厳宗と言うて、また面倒な学問を、お寺さんはやっておる。そう云うものは一般の庶民には分からんですね。 今のように皆に学問があるわけでない。字も読まれん、字も書けん者が、非常に多かったんやから、一般庶民にはそう云うものが分かるはずがない。それで一般間庶民は、お寺の本尊を拝んで、 本尊を拝むことによって、そのご利益(りやく)を頂こうと云うのが、一般の庶民の信仰と言われるものであった。

   例えば薬師如来と云うのは、どう云う功徳を授けるか、そう云うことはお寺さんに聞かんと分からん。それだから観音菩薩とか、そう云う仏を拝んで、皆で利益を頂こうと云う、 ご利益信仰であったんですね。それを否定したと云うところに親鸞があるわけやけど、もうずっと時代が下がってきたら、奈良・平安の仏教に逆戻りしたんではないかと、私は思うんですね。

   それで、難波別院で、法輪に南無阿弥陀仏とだけ掲げてあるのが書けてあるのを見て、非常にいいなあと思ったんです。

   親鸞と云う人はそう云う人で、「帰命尽十方無碍光如来」と云う名号を拝んでおったんや。
   で、南無阿弥陀仏ちゅうのは、これは誰も持ち主はないのや。本山のものでもないし、全人類のものであると、こう云うことが言えるんや。 別に本山から南無阿弥陀仏を下付(かふ;金品・書類などを役所から下げ渡すこと)して貰うちゅうことないんや。

   それで往生浄土の生活と云うのは、どう云うのかと申しますと、ここでも機法二種の深信と云うものが大切なので、自分のような陸(ろく)でもない者が、 宇宙中の〝はたらき〟によって生かされて来た。宇宙中の〝はたらき〟と云うと、法螺(ほら)を吹くように思われるかも知らんけれども、そう云うことですね。 例えば、日本の小さなところでもですね。福井の豪雪が愛知県で機織(はたお)っている奥さんのところまで響いてくるようなもので、それは目に見えんだけで、繋がっておるのや。 そのように私と太陽とも繋がっておるんや。そりゃ太陽と繋がっておる。太陽の光を受けんと、お米や野菜が出来んのやから。それから、月とも繋がっている。 無数の宇宙中に散らばっている星とも何らかの関係があるわけですね。そう云うことが目に見えんから、ないのでない。目に見えんけれどもあると、こう云うことを感ずる能力を人間に与える、 それを仏智と言う。

●無相庵のあとがき
   「自分のような陸(ろく)でもない者が、宇宙中の〝はたらき〟によって生かされて生きている」と云う自分自身の実態に心底気付かされましても、 自我(煩悩)が消えるわけでは有りませんから、人間関係に於いて、瞬間的に腹が立つことは無くならないでしょうし、言い返したいこと、言い訳をしたい気持ちも無くなる訳では無いでしょう。
   そして、財欲、性欲、食欲、名誉欲、睡眠欲が失せることは有りませんから、貪りの心、煩悩が無くなる訳では無いと思います。

   それは、私たちが過去から引き継いできた人類の資質・本能(仏教では、これを〝宿業〟と申します)から必然的に起きる結果であることは分かるものの、 無碍一道の日常生活を我がものにするには、もう超えなければならない山があるような気が致します。更に、『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説を読み進みたいと思います。

なむあみだぶつ


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No.1594  2016.09.12『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(7)神秘感の誘惑

●無相庵のはしがき
   宗教に神秘性を求めるのは、極々有りがちのことと言いますか、神秘性を求めて宗教団体の門を叩く人が殆どと言ってよいかも知れません。ですから、騙されて、 高い品物を買わされたりする目に遭うのでしょう。仏教のまともと言われる宗派の禅宗でも真言宗でも、浄土真宗でも、神秘性を売り物にしているお寺さんもあるのではないかと思います。
   それに比べて親鸞聖人は、亡くなるまで、真実を求め続けた方だと云う米沢先生のご主張が、今回の『神秘感の誘惑』と云う法話内容であります。実は仏教を開かれたお釈迦様は、 「人間が亡くなった後、どうなるのか、何処へ行くのかに付いては、誰も分からないことだから、議論しても仕方無い」と言われたそうです。それはその通りですし、納得出来ますね。
   米沢先生が、法話の最後の方で、「神秘性の排除、そう云うことが親鸞の使命であったと思うんです。昔どころか今もですよ、神秘的なものに憧れる性癖があるんです。 その神秘性に憧れる性癖が、罪福信と云うか、迷信を生んでいるわけです。今、仏教と言われておるけれども、皆、罪福信ですわね」と仰っています。これでは、本当の安心が得られるわけが有りません。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(7)神秘感の誘惑
   さっきも申し上げたように、この死と云うのは自我の死であると、こう云うふうに私は解釈していて、『歎異抄』の第九章の話をしたわけなんです。自我と云うのは、 我執とも言われますが、我執と云うのは、平たい言葉で言いますと、我が身が一番可愛いと云う心ですけれども、我執と云うのは絶対に死なんもんですね。だから「ちからなくしておわるとき」、 もう我執が行き詰まって、ニッチもサッチもいかんようになって、「ちからなくしておわるとき、かの土へはまいるべきなり」と、こう言われておって、死んでからの浄土でないと云うのが、 親鸞の考え方であろうと思いますし、私もそう思います。

   で、ご承知であろうと思いますけれども、「体失往生、不体失往生」と云うことがありまして、浄土に往生するのに、体が失(な)くなって往生するのと、それから不体失往生、 体がありながら浄土に往生するのと、こう云う二つの考え方が浄土教にあるわけですね。で、親鸞はどちらかと云うと、不体失往生。体を持ったまま、煩悩を持ったまま、 我執を持ったまま浄土へ往生する――こう云う立場が親鸞の立場であろうと思うですね。
   ところが法然の門下に「体失往生か、不体失往生か」と云う問題が起こった。それで師匠の法然に尋ねる。「体失往生が本当ですか。不体失往生が本当ですか」と。そうすると、 法然ちゅうのはこう云う場合は、別に法然上人がずるいわけでもなかろうけれど、「体失往生、まことに尤もである。不体失往生、まことに尤もである」と言うて、どちらにも軍配をあげんのやね。 それで私は、法然がどう云う考えでそう言うたか知りませんけれども、本願寺派(西本願寺)では体失往生なんですね。浄土と云うのは、死んでからの世界ちゅうことに、本願寺派の人は言うとる。 私自身は、親鸞と同様不体失往生と云う立場をとりたいと思うですね。体を持ちながら、煩悩を持ちながら、浄土に生まれる、と。

   体失往生は、これは成仏ではないかと、私は思う。成仏と往生は違うと思うですね。体失――体を失ったら成仏でないかと思う。と云うのは、肉体を持っている限り、 我々の我執は絶対に死にませんから、それで肉体がなくなって成仏するのは、皆成仏することやと云うのが私の考えです。
   だから昔は、信心を得るのが容易でないと云うふうに言われておったので、信心を得た人を非常にうらやましがって、どうしたら信心が得られるか、皆、苦労したようです。

   信心なんて、私、大したもんでないと思う。自分を超えた〝はたらき〟によって、生かされ生きておる私やと、それが分かるほかに信心なんてありゃせんし、 それが悟りを開くと云うことやと思うんですね。

   私はいろいろ『歎異抄』について疑問に思う点がありますけど、ひとつは先程の、凡夫の身を持って悟りを開くと云うことはもってのほかやと、『歎異抄』の終わりの方で唯円が言うとる、 ところが親鸞は晩年の『和讃』で、

 弥陀ノ本願信ズベシ
 本願信ズル人ハミナ
 摂取不捨ノ利益ニテ
 無上覚ヲバサトルナリ

    この上ない悟りを覚るのであると、こう云うふうに親鸞は言うておるのであります。ところが悟りの内容については、親鸞は言うとらん。そう云うところに問題があるんだと思うんです。

   で、悟りの内容を、私はこう解しとるのや。〝はたらきそのもの〟によって、生かされて生きとる私やと云うことが分かるほかに、無上覚はないと私は考えております。 ところが神秘的なものを残しておかんと、宗教と云うものは成り立たんのですかね。私は浄土真宗の〝種明かし〟や、と。私の言うことは、手品の種明かしみたいなもんで、種を全部明かしてしまうと、 おもしろないんやね。人間と云うのはおもしろいもんで、神秘的なところがあると、「へええ」と神秘性に憧れるちゅうものがあるんや。私のように、裏も表もないような種明かししてしまうと、 もうあかんのや。ところが私はそれでもいいと、それでこそ本当やと。真実と云うものは、そう云うもんやと思う。

   ただ、いくら種明かししても、その種の分からん人がおるんやね。種明かししてみせても、「あんなことではなかろう」と。これがやっぱり人間の持っている神秘性に対する憧れですか、 そう云うものがある。
   私が以前に、能登のお寺へ松扉哲雄(しょうひてつお;1919年~1999年。能登の僧侶)さんに引っ張られて、話をさせられた。人間を学ぶ会と云うのやったかな。 第一回が東昇(ひがしのぼる;1912年~1982年;元日本ウイルス学会会長、浄土真宗信者でもあった)先生――この方も福井へ来られたことがある。ウイルスの世界的権威ですけれど、 その東昇さんが来られた。二回目に私が行った。そしたら後で座談会があって、年寄りのグループで本派のお寺さんが司会しておって、私に言われました。

   「ここで問題になっておるのは、東さんの話も分かる。今日の米沢の話も分かるが、有難うない、と。お坊さんの話は、分からんが有り難い」と、こう言うんやね。 私はがっかりしてしまった。
   私が褒められなんだからガッカリしたんでなくて、さっぱり分からんことに憧れる。神秘性――「何ごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」。 こう云う感情的なことに日本人は弱いんじゃないかと思うんですね。そう云う点で親鸞と云うのは、実にふとどきなんで、そう云う感情的な甘さと云うものに、酔わなかった。 徹底して真実と云うものを求めた。そう云うところに親鸞があると私は思うんですね。
   それで、神秘性の排除、そう云うことが親鸞の使命であったと思うんです。昔どころか今もですよ、神秘的なものに憧れる性癖があるんです。その神秘性に憧れる性癖が、罪福信と云うか、 迷信を生んでいるわけです。今、仏教と言われておるけれども、皆、罪福信ですわね。
   私はそれの代表的なのが、節分やと言うておりますけれど、「福は内、鬼は外」。これは人間の願いですわ。人間の願いを端的に表現すると、「福は内、鬼は外」になるんやね。だから、 そういう逆境が来ても、逆境を引き受けて、耐え抜く力。そう云う力こそ、人間に最も望ましいもので、そう云うものが本願の念仏によって与えられると云うことが、本当の功徳であろうと、 私は思いますね。
   本願の念仏によって与えられると言うと、「ナンマンダブ、ナンマンダブと唱えていれば、どうにかなるんか」と、こう思うんやね。そう云うもんでない。 自分自身が明らかになるところに、逆境を引き受けて行く力が生まれると、こう云うことでもあります。

●無相庵のあとがき
   「念仏を唱えたら、往生出来る、逆境に遭わないで幸せになれる」と云うことは決して有りません。自分とは何か、どう云う存在かを本当に分かりたいと云う気持ちになって、 本当の仏法を聞いて、真実の自分に出遭えた時、私の場合は、結果的に『南無阿弥陀仏』と云う名号を伝え残してくれた多くの祖師方等、無数の人々の数千年、数万年の苦労と思惟を思った時に、 「逆境が来ても、逆境を引き受けて、耐え抜く力が与えられる」のだと思います。

なむあみだぶつ

   追記
   松扉哲雄師の事を、私は今回初めて知りましたので、インターネットで姓の読み方を含めて調べていました時に、師の法話記録のなかに、下記の市井の方の詩が掲載されていました。 この詩を私は、かなり以前に、京都の紫雲寺のご住職のご法話の中で知り、深い感銘を受けたことがありまして、非常に印象に残っておりました。
   人間は、良い事も思います、けれど、テレビで見る、自分とは関係無い、激甚災害とか悲惨な事件の報道を見ても、野次馬根性でしかない自分に気付くものです。 それを正直に、公表された詩です。日常に埋没する私たちの姿と、こころの叫びが表現されています。
   この自分の心の奥底を見る眼は、仏から与えられた眼(心の中の真実を追求する眼)だと思います。この詩を書かれた岡本さんは、仏(真実)に出遇われた方だと思います。

   『一番好きなもの』
                    岡本理恵
   私は高速道路が好きです
   私はスモッグで汚れた風が好きです
   私は魚の死んでいる海が好きです
   私はごみでいっぱいの街が好きです
   殺人 詐欺 自動車事故が好き
   そして 何よりも好きなのは
   多数の人が 涙を流す 血を流す 戦争が大好きです
   飢えと 寒さの中で 闘って死んでいく姿を見ると
   背中がぞくぞくするほど楽しくなります
   毎日 毎日 大人が 子供が 生まれたばかりの赤ん坊が
   次から次へと 死んでいるかと思うと 心がゆったりします
   歴史を歴史と感じ 過去を過去として思う
   無感情な 時の流れに 自分自身に
   たまらなく喜びを感じます

   こんな私を助けて下さい 誰か助けて下さい
   たった一粒でもいいのです
   こんな私に 涙というものを与えてください
   たった一瞬でいいのです
   こんな私に 尊さというものを与えて下さい
   私の名前は 人間といいます

            (松扉哲雄『自身に目覚めん』に所収)
                                 

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No.1593  2016.09.08『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(6)永劫来(えいごうらい)の無償配布

●無相庵のはしがき
   今日の内容の中で、大事にしたいのは、『仏法は外を見ていた目、耳や目を自分の内面に向ける〝はたらき〟、それが仏法です。あなたが今日まで、 自分と思って来られたのは、あなたが育てた自分であります。真実のあなたは、一切に支えられて生かされて生きている自身があなたです。』と云うところだと思います。 そして、その、「外を見ていた目、耳や目を自分の内面に向ける」為には、「一度静かに今日までの自分はどうして来たか、振り返えること」で、自分の正体を知ることだと云うことです。

   私は、昨年の9月~12月の何月何日か忘れましたし、何故そうなったのかも忘れましたが、自分の過去を振り返った日がありました。その時、自分が生きて来た70年間の節目節目で、 自分が決断・選択した結果が現在に至っている訳です。それは、社会人になるまでは進路だったり、趣味の選択だったり、付き合う相手だったり、です。私の場合は、社会人になってから、 転々と致しましたから、所属先を変える時は、大きな節目となりました。そして、脱サラ起業した時は、仕事も、付き合う相手も一挙に変わる大きな節目でした。
   その節目節目の決断は何を以て為したかを振り返った時、全ては、私のあまりにも自己中心的な、自分さえ良ければいいと云う自我(煩悩)からだった事に気付きました。つまり、 その時の自分は、正に「あなたがあなたの自我で育てた自分ではないか」と、仏様から突き付けられた思いが致しました。
   それから、何となく、自分の自我(煩悩)に意識が行くようになり、また、同時に、付き合う人々にも、生まれ育った環境にも影響された自我があることを前提にして、 付き合うようになり、心地良い人間関係が築けるようになったように思っています。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(6)永劫来の無償配布
   福井で○○会というけれど、その道徳の会の人が無償配布やと言うて、雑誌をうんと持って来て、その(福井の糸メーカーの)奥さんに読んでくれと言うた、ちゅうんや。 その奥さん、読まんのや。で、その無償配布と言われた時に、この道徳の会は三十五年かの歴史を持っておって、雑誌を無償配布している。その幹部は自腹切ってるのや。自腹切って金出して、 その雑誌を買うて、ただで配って会員獲得をはかるんやね。
   そしたら、その(福井の糸メーカーの)奥さんが「三十五年の歴史ですか。我々は永劫の昔から、無償配布を頂いとるんや」と。この、息をさせて貰っているとか、血液の循環とかね。 これ、無償配布や。永劫の昔から無償配布を頂いておる、と。三十五年の歴史が何ですか、てなもんでやったんやね。そしたら幹部の人が参ってしまったという。それから、 正月だけは仕事が休みやと云うことを聞いて、奥さんとこへ念仏を聞きに来たちゅうや。 これがなかなか面白い。

   (手紙を朗読)「○○会の方の訪問を受け、先生を背に、本願を前に、多弁な正月となりました。その方の申されるのには、あなた様にこれで三回もお念仏のお話を聞かせてもらったが、 あなたが言われるように、私は頭が下がらん。尊いことは分かっても、心から勿体ないと云う思いが起きて来んと言われました。私は、真実を見る目、耳がないから、と。そしたらおきまりの、 どうしたら耳や目がつくか、と尋ねられました。かねてお育てをこうむった米澤ご一流で――ここは耳を塞いでおくことや――それはあなたが、自分に遇うたことがないから、 一度静かに今日までの自分はどうして来たか、振り返ってみて下さい。
   一切の〝はたらき〟を当たり前にして何とも思わず、自分の外のことのみ心をかけて、損や得、幸不幸、季節の変わりや泣き笑いに力を入れ、世間のことに支配されたり、 意識したりして、今日今まで自分を忘れずくめで、生かしめている自然の〝はたらき〟には、無意識です。今あなたとこうしている一瞬も、支えられている力に気付かず、当然としている。
   しかし念仏は、この背く私を包み、なお何のとがめもせず、生かして、生かし続けて下さる。この無償の〝はたらき〟、〝いのち〟の尊さに、申し訳ないと感動する時、 耳や目が与えられます。」――そうすると、相手が〈ウーン〉とうなったんやな。つづけて、

   「自分を見たことがありますかと聞いたら、いっぺんもありませんと。仏法は外を見ていた目、耳や目を自分の内面に向ける〝はたらき〟、それが仏法です。あなたが今日まで、 自分と思って来られたのは、あなたが育てた自分であります。真実のあなたは、一切に支えられて生かされて生きている自身があなたです。今、念仏の呼びかけによって、真実のご自分に遇われて、 ああ私はこれであったのか、とうなずかれた時が、初めて人間になれるのです。あなたが無償の〝はたらき〟をするのでなく、無償の〝はたらき〟の中に包まれている自分に立つことが出来て、 真の倫理の人になれます。南無阿弥陀仏は人間に生まれてよかった、私が私に生まれてよかったとの、満足の声です。自分の存在がかたじけないと、拝まれる心です。本願が形をとった大きな呼びかけに、 目覚めて下さい。――〈ウーン〉とうなる。四度目のうなり声とともに、ハラハラと人間を超えた水滴が畳に・・・」
   こう云うことが書いてある。この人はそうしたら、もう道徳の会をやめてしもうて、無償配布もやめたという。けっこうなことやと思う。

   で、この奥さんと云うのは、生活が非常にどん底まで落ちても、本願念仏、そう云うものを心の支えとして生き抜いていると云うことが、私は非常に立派やと思うんですわ。
   この人は困っても愚痴をこぼさん。愚痴をこぼさずに逆境を生き抜いている。この逆境を引き受けて、生き抜かしめる力が、本願の念仏やね。本願の念仏をいくら讃嘆しても、 自分自身が本願の念仏を確かめておらんことには、何にもならん思う。この人の言うことになぜ説得力があるかと言うと、本願の念仏とこの人が一体になって、生き抜いているからや、と。 本を読んで覚えたとか、大学で講義を聴いたとか、そんなものは何にもならん。自分の身体と離れてるんや。この人は、本願の念仏と一体になっておるから、 この人の言うことに説得力があるんだろうと思います。

●無相庵のあとがき
   末尾に、「逆境を引き受けて、生き抜かしめる力が、本願の念仏やね」と云う、米澤秀雄先生のお言葉があります。この『本願の念仏』と云う、 中でも『本願』とは何かが分かり難いのではないかと思います。私は、「人間に生まれたからには、生きている間に、人間に生まれて良かったと思って欲しい」と云う、 宇宙全体に働いている〝はたらきそのもの〟の、つまりは仏様の願いだと考えたいです。その願いがあるからこそ、キリストもお釈迦様も、この世に人間として生まれ、その後に、 その教えを引き継いでくれた先師達が、今日の我々に、その教えを伝えてくれているのだと思います。そして、その感謝の表れが、『本願の念仏』になるのだと私は考えております。

なむあみだぶつ


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No.1592  2016.09.05『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(5)豪雪の影響

●無相庵のはしがき
   今日のテーマは、表題の『豪雪の影響』とありますが、豪雪の影響に関しては、最後の方にちょっと出てくるだけです。福井県の豪雪の影響を受ける人は、福井県だけでなく、 一見関係がないと思うような人々にも、想像もしない驚くような影響があると云うお話です。私たち人間は、本当は自分に取って大切なことを知らないまま生きておりますが、何かの出来事で、 初めて、その大切さに気付くと云うことがあります。失って初めて、その大切さが分かると云うことは、私たちの日常でよく有ることだと思います。 〝親を失って初めて知る親の恩〟がその最たるものかも知れません。 また、平和も失って初めて平和の有り難さが分かるのでしょう。ひょっとしたら、一番大切な事を知らないまま、死んでいくかも知れません。 そう云う人間であることを自覚するのとしないのでは、日常生活の生き方が変わるのではないでしょうか。

   冒頭部分に、米澤秀雄先生が、「〝自分が煮ても焼いても食えん奴や〟と云うことが分かって、宇宙の〝はたらき〟によって、生かされて生きていると云うことが分かったら、我々は、 どんな逆境にも耐えて生き抜く力と云うものが与えられるんだろうと思う」と、仰っています。『煮ても焼いても食えん奴や』とは、「自分のことしか考えていない、自己中心の私だ」と云うことですが、 「そんな〝煮ても焼いても食えん自分〟に、太陽の恩恵が与えられ、私が眠っている間も、空気も吸え、血液が体中を循環してくれるから、生かされて生きていることが自覚出来れば、 どんな逆境にも耐えて生きていける」とも仰っています。
   浄土真宗では、これを自覚した時、〝念仏が分かった〟と言うのだと思います。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(5)豪雪の影響
   機の深信と云う言葉があるが、これは精神的な腹を減らす方法であろうと思いますね。この精神的な腹が減りますと、精神的な腹が減ると云うことは、自分と云う者が陸(ろく)でもないと云うことが分かる。私はそれを「煮ても焼いても食えん奴や」と、こう言うんやけど。皆、涼しい顔してるけど、腹の中には 煮ても焼いても食えん奴がおるんやぞ、いっぴきずつ。何びきもはおらんやろけど、煮ても焼いても食えん奴がいるんや。
   で、その煮ても焼いても食えん奴やと云うことが分かって、宇宙の〝はたらき〟によって、生かされて生きていると云うことが分かったら、我々は、 どんな逆境にも耐えて生き抜く力と云うものが与えられるんだろうと思うですね。

   こう云う話をすると、皆さん自分が幸せな奴やなと思う。他と比較して幸せやなと、人間と云うものは思うんや。
   昨日来た手紙やな。岡山県からです。私は会ったことないですよ。岡山県で、三十いくつかになっておるんや。それがね、耳が聞こえんの、子どもの時から、難聴も高度なんでしょう。 普通は耳の聞こえん子どもは、聾学校へ行くはずなんや。ところがその子は、偉いなあと思うのは、普通の学校へ行って、それから高校を出とるんや。だから自分は、教科書と先生が黒板に書く字と、 先生の口もとを見て勉強したちゅうんや。偉いもんですね。それが縁あって、嫁に行ったんやね。そうすると姑さんがきついんや。お姑さんは、わざわざよりによってこの耳の聞こえん子を貰わんでも、 と云う頭があるんやろね。

   で、昨日のその手紙に書いてあったが、アパートにおって、部屋をずっと掃除するんやね。すると姑さんがおって、部屋の片付けが悪いと言って、 ホウキとハタキでもって全部やり直すちゅうんや。まあ、毎日そんなことやられたらかなわんわ。
   ところがそれが妊娠二ヶ月で出血して、病院に入院したというんか、そう云うことが書いてあった。流産かなあと思うんや、前に一度流産しとるんやね。で、入院しとったら、 その姑さん一回だけ見舞いに来てくれただけや。で、実家の母が毎日来てくれると言う。それで、初めて実家の母親を見直したわけや。子どもの時には、母親に、 「耳の聞こえん私を、なんで生んだんや」と言うたちゅんや。「耳をなおしてくれ」と言うて、母親に迫ったと。まことにもっともやと思う。
   もっともやと思うが、結婚してそこのお姑さんにいじめられて、初めて実家の母親が、自分のような耳の不自由な子どもを、よく育ててくれたというて、 実家の母親を非常に有り難く思えるようになったと云うことが書いてありました。人間と云うものは情けないものや。そう云う、お姑さんにいじめられんと、実家の母親の有り難さが分からんと、 こう云うもんですね。

   人間と云うのは、こう云うもんですよ。この人だけでない。奪われてみんと、与えられているものの有り難さと云うものが分からんのです、人間と云うものわ。 与えられているのが当たり前になっているのや。例えば皆さんも、以前に言うた卵円孔(らんえんこう;胎児期の心臓にある右心房と左心房をつなぐ孔のこと。 出生後は塞がって卵円窩として痕跡を残す)がうまくピシャッと、生まれた時に、ふさがったために、生きておられるんやけど、そんなことは有り難いと思ったことはないでしょう。 まあ、よくぞうまく生きておられるものや、と思う。

   親鸞の時代には生理学とかそう云うことを親鸞は知らんけれども、「功徳は行者の身に允(み)てり」と、こう言うてるでないか。「功徳は行者の」――行者と云うのは、 念仏の行者という。念仏の行者とは、念仏を心の支えとして生活している人を、念仏の行者と言うんですけれど、念仏の行者だけでないんや。人間に生まれた者は皆、 こう云う〝はたらきそのもの〟のお陰をこうむっているのや。それが有り難いと思えるのは、念仏が分かって初めてなると言うので、念仏の行者に「功徳は行者の身に允(み)てり」。 念仏の分かった人だけが、有り難いなあと、こう思うちゅうんやね。まあ、この身体が実にうまく出来ておると云うことに、驚かざるを得ないです。

    そういうことを言って、いろんな例をあげていると長くなるけれども、私がここでも前に申したことがある。
   四十歳で、ガンが手遅れで亡くなる奥さんに、28日間で本願の念仏を伝えた愛知県の奥さんがいる。その人が、その次には裏の家の、70歳で念仏が大嫌いやと言うおばあさんに、 本願の念仏を伝えたと言う。この方は在家の奥さんです。その奥さんのご主人が、繊維業をやっておって、繊維が不況になった時に、まっさきに倒産して、その奥さんが自分で機械を動かして、 機(はた)を織るんや。
   そこで面白いことがあるんや。これは福井を見直すと云うことになるんやけど。この冬、豪雪になったでしょう。そしたらこの愛知県の奥さんが電話をかけてきて、 「福井の豪雪をテレビで見とるが、大変ですね」と言って慰めてくれたんや。ところがその奥さんが織っている糸が、来んようになったのや。タテ糸が。タテ糸とヨコ糸で紳士服を織ってるんやね。 そのタテ糸が来んようになった。このタテ糸が福井で出来るんやて。福井の豪雪が大変や大変やと言うとったうちはまだいいけど、今度は自分の商売、自分の生活に関わってきたんや。
   それで福井の工場へ電話かけて、「糸を送ってくれ」と言うたら、「それどころでない」と。「工場がつぶれると云うことで、雪おろしに一所懸命で、 糸なんか作ってられん」と言うんやて。まあ、そう云うことがあって、福井の豪雪も、その愛知県の奥さんの生活と、間接につながっておるちゅうことが、豪雪のおかげで初めて分かったと。

●無相庵のあとがき
   コラム1589番で、「自分はいいことも思うけれども、思うてはならんことも思う」と。それで「どうしたら思うてはならんことを思わんようになれるのか、 そう云う方法を教えてくれ」と米澤秀雄先生に質問した人が居ました。それに対して、「思うてならんことと云うのは、自我の心。自我と云うのは、いつも言うように、自分の思うようにしたい、 自分さえよければいい、自分ひとりしかおらん、自分中心に考える心」だけれど、その自我の心が起こることに付いて、「起こっても差しつかえないんですのや。私もそれと同じや。私も七十過ぎたけれども、 今も思うてはならん事を思う」と言われています。つまり、自我の心は無くせないと・・・。仏法聞いて、自我の心を無くせると思うものですが、自我はそんなに甘くはないと云うことが、仏法聞いて分かる、 つまり、そう云う自分に目覚めることが、仏法を聞く意味だと、米澤秀雄先生は、考えておられたようです。

   

なむあみだぶつ


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No.1591  2016.09.01『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(4)極楽世界

●無相庵のはしがき
   私は、キリスト教の『神様』と、仏教の『仏様』は、根本的に異なるのではないかと考えています。仏教では、雨を降らせたり、台風を発生させたり、 生き物を生長させたりする『はたらき』そのものを『仏(ほとけ)』と名付け、その偉大さに敬意を表して『仏様』と名付けて今日に至っていると考えています。
   米澤秀雄先生は、自分の意思と努力で生きていると思っている、無知で傲慢な私たちが、 その微妙な〝はたらきそのもの〟に依って生かされて生きていることに深く感謝するかどうかが問題で、「信心というのも、難しいもんでない。 私はその〝はたらきそのもの〟によって生かされて生きている私やな、ということに深く感動するのが信心というものであろうと、こう思うんですね。」と、 仰っています(浄土真宗の『信心』と云うのは、禅宗の『悟り』と云ってもよいと思います)。

●『歎異抄ざっくばらんー歎異抄第九章』詳細解説―(4)極楽世界
   私は、これはいつも言うけれども、五劫思惟と兆載永劫の修行は違うと。今までは五劫思惟、兆載永劫の修業と、こういうようにくっつけて、 法蔵菩薩が兆載永劫の修業をされて、南無阿弥陀仏を成就して下さった、こういうふうにいうてきたのや。私は、五劫思惟と兆載永劫とは違うという考えや。 兆載永劫というのは、無限です。五劫というのは長い。長いけれども、五劫という限(きり)があるのではないかと、こう思うのや。

   法蔵菩薩が、自分が助かると同時に、全人類が救われる道、そういう国を成就したいというて、あの世事自在王仏に申し出る。すると世事自在王仏は、「汝自当知」――汝みずからまさに知るべしと、 こういわれる。

   ところが、面白いことには、『大無量寿経』に、法蔵というのはもと王子さまやったけど、法蔵というのは高才勇哲というて、非常に頭のいい、勇気のある人間やと、こういうことになっとるんや。 それで私は法蔵菩薩とは、我々と同様、自惚(うぬぼ)れがあったんであろうと思うんや。自分の高才勇哲を頼む心があったのでないか。自分のような頭のいい者が考えて、 考えられんはずがなかろうと考え出して、五劫掛かったというわけや。法蔵菩薩の自惚れが崩れるのに、五劫掛かったということは、我々の自惚れが、容易に崩れるものでないということを物語っておるのや。

   それが五劫の果てに、――私ではかなわんと、悲鳴をあげた。それが南無阿弥陀仏や。そういう悲鳴あげたら、別に自分で苦労せんでも、ちゃんと浄土が出来上がっておったということを見つけた。 浄土が出来ておったということは、生かされて生きている自分を見つけたと、こういうことです。自分の力で生きているんでない。宇宙を成り立たしめる大きなはたらき、 それを私はいつも「はたらきそのもの」というとるが、難しく言えば「法性法身(ほっしょうほっしん)」とか「法身仏(ほっしんぶつ)」というものやけど、そういうはたらきによって、 生かされて生きとるのや。その生かされて生きとるということを、私が言うとね、それが気に入らん人がいるんや。生かされて生きているというのが、何か消極的に思えるんでしょう。

   しかし、みんな生かされて生きてるんで、自分で生きているものなんて、一人もありゃせんのや。血液の循環から心臓の動きから、皆、絶対他力なんや。法身仏のはたらきなんや。 自分で心臓動かしている者あるかって言うんや。あったらこれは珍獣、珍しいけものや。心臓は自分の力で動いているんでないで。はたらきそのものによって動かされておるのやね。 血液の循環から一切は、はたらきそのものによってまかなわれておって、それを借りて、少し自分で働いているのや、我々は。あまりロクなことやらんのやけど、 我々は。少しばかり働いているのを鼻にかけているのが、人間というものですね。

   だから偉そうなこと言っても、皆「法身仏」「法性法身」「はたらきそのもの」のお蔭を蒙っているんやて。それを忘れているんや、皆。それで自分の力で生きてきたように思うとるんやね。 それは思うているだけの話であって、私はそれを昔から、借金で人に奢(おご)っていると、こう言うんや。借金というのは、「はたらきそのもの」の力によって生かされながら、 それを自分のはたらきだと鼻にかけておる。それを借金で人に奢っていると、私は称しておるんやけど、これは間違いないと思いますね。

   こういう微妙なはたらきを、我々も身に受けておるということですね。で、それに深く感謝するかどうかと云うことが問題でしょうね。信心というのも、難しいもんでない。 私はその「はたらきそのもの」によって生かされて生きている私やな、ということに深く感動するのが信心というものであろうと、こう思うんですね。

   確かに『阿弥陀経』には、極楽というのは迦稜頻伽(かりょうびんか;上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物で、極楽浄土に住むという)の鳥が鳴いているとか、 百味の飲食(ひゃくみのおんじき;色々な珍しい味の食べ物やおいしい食べ物のこと。)が食べられるとか、八功徳水(はっくどくすい;八種類のすぐれた性質をそなえた水)と言うんか、 まあいい湯かげんのお風呂にん入れるとか、そういう色々ないいことが書いてあるんや。それに騙されて、難波に海へ当時は身投げしたんでしょうね。 しかしそれなら『阿弥陀経』は嘘が書いてあるかというと、嘘は書いてないんや。本当のことが書いてある。

   例えば、我々が朝、目がさめて、雀が鳴いとる。雀が鳴いとるということで、どのくらい我々が慰められるかしらん。あれ、迦稜頻伽や。迦稜頻伽という特別な鳥が極楽におるように書いてあるけれども、 雀も蝉(せみ)もみんな迦稜頻伽やで。蝉はちょっとうるさいけど。ああいうものがないと、我々の生活はまことに索莫(さくばく)たるものになってしまうね。 だからそういう、この世が極楽であるという眼(まなこ)をもつということが、大事なことであろうと思うんですね。私は親鸞のいうている事は間違いない、お経に書いてあることは間違いないと思う。 それを誤解して伝えてきたところに、罪があるんでないかと思うんですね。昔はこの世は苦の娑婆や。苦の娑婆ちゅのは、幕府から、或いは明治になっても「税金納めよ」と政府からも責められるし、 地主からも責められる。この世は苦の娑婆や。だからこの世ではせっかく働いて、政府や幕府のお役に立って、そして死んだら極楽という、 〝ありがたい〟ところへ生まれて、蓮の〝うてな(台のこと)〟の上に乗って、百味の飲食をいただくのや、と。こういうことを昔の説教者がいうて、騙(だま)してきたんやね。

   で、私はお寺の坊守会(お寺の奥さん達の集まり)に引っ張られた時に、「あんたらのような尻のでかい者が乗ったら、蓮の茎が折れてしまうわ」と、こう言うて笑った。 そういう事を語っているのではないのです。百味の飲食というのは、我々が腹減っている時には、何食べてもうまいんや。で、お腹いっぱいの時に、すき焼き出されたって、 食べられんわ。だから我々のお腹が空いている時には、何食べても美味しいものです。百味の飲食なんや。だから仏法というのは、精神的に腹を減らすもんや、と。

●無相庵のあとがき
   「信心」が得られたなら、この苦しみに満ちた娑婆世間が、極楽浄土に思えてくると云うのが、米澤秀雄先生のお考えですが、その絶対条件として、 自分の心の奥底(無意識と申すべきでしょう)に有る自己中心の気持ち、「自分が一番大事」、「自分さえよければいい」、 「この世は私のためにある、私の為に動いている」と云う自我に深く気付かされることが無ければ、極楽浄土を感じることは出来ないと云う事ですが、これ以降の詳細解説、 【(5)豪雪の影響、(6)永劫来の無償配布、(7)神秘感の誘惑、(8)法輪を礼拝、(9)蕗(ふき)取り名人、(10)真の人間教育】に、 親鸞仏法の信心を得る為の要件が余すところなく述べられていると思っています。

なむあみだぶつ


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