No.1660  2017.05.18魂の軌跡(昭和35年)法蔵菩薩の誕生―Ⅱ

●無相庵のはしがき
   法話コーナーの米沢英雄先生の『魂の軌跡』は、実は米沢英雄著作集の第一巻のⅠ魂の軌跡の序、法蔵菩薩の誕生から転載したものでございます。著作集中の『魂の軌跡』は、 未だ続きがありますが、今回、法話集から重ねてご紹介させて頂きます目的は、コラム1658番、『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(7)世界一おそろしい者―後編の〝はしがき〟 でも申し上げましたように、『魂の軌跡』に唯除の文というのが、なぜ自覚になるかという問いに対する米沢英雄先生の答えが示されていると考えているからですので、 米沢英雄先生の著作集の『魂の軌跡』の中から、その答えに当ると私が考えた部分だけを取り上げさせて頂きました。今回の『法蔵菩薩の誕生―Ⅱ』は、少し長くなりましたが、 この米沢英雄先生の法話は、8年前に、法話コーナーにアップしましたが、この法話を読んで、私自身が法蔵比丘と同じく、回心に至ったような気持ちを味わい、随分嬉しくなったことを覚えています。

   でも、それは永くは続きませんでしたが、それは極々当たり前のことで、多くの〝いのち〟のバトン渡しを経て、業を背負ってこの世に生まれた私であり、それ故に、 親鸞聖人の教えに出遇えたことを、今は、これで良かったと思っております。


●米沢英雄先生の法話、『法蔵菩薩の誕生―Ⅱ』

   法蔵比丘が多年憧れの絶対自由、絶対満足の国、浄土に入国せんとして、いよいよ世自在王仏の資格審査を受けることになりましたが、それに先立って法蔵比丘は尋ねました。
「先生は浄土は願いさえすれば誰でもすぐにそのまま入ることが出来ると言われながら、なお資格審査をされて入国出来る者と、出来ない者とを選ばれるのは根本的な矛盾ではないでしょうか」

   「そう、矛盾とも考えられるが、浄土は迷いのない人、仏ばかりの清浄な国だから、泥足で踏み込んで汚したり、ばい菌をこっそり持ち込まれては浄土が甚だ迷惑する。 しかし君はとにかく全人類の解放を願うようなヒューマニスト、善人だから、まあ落第する懸念はあるまい。
   さて、浄土は清浄な国だから手や口に穢わしい血が少しでもついていては絶対に入れないな。つまり生きとし生けるものの命をあやめたものは入れないのだ。 ところでこの命のとり方にも色々あって、自ら手を下して殺すものもあり、他人の手を借りて殺すのもあり、また自分の父、母、師匠の如く、 自分が成長していくために色々の心配をかけて目立たぬようにじりじりと殺していくのもある。また何も知らないものに自分でもよく分かっていないことを説いて聞かせて、 迷わせて苦しめて殺していく方法もある。また生きて甲斐なき人生だと言うて自分で己の命を殺すこともある。一体自分が生きるために他の命をとってもいいということを、 また嫌になったら勝手に自分の命をとってもいいということをいつ、誰から許されたのだろうかね」

   法蔵は先ほど誉められて自分なら大抵大丈夫だがなと安心した気持ちで聞いていましたが、次第にこれはどうも他人ごとではないような不安な気持ちになってきましたが、 今更聞くのをやめるわけにも参りません。

   「第二には、自分をたててよしとする心、うぬぼれというかね、これが少しでもあったら浄土へは入れないな。天下国家を論じ、 世界の平和、人類の解放などと大変立派なことを言うていても、それが自分の気付かぬ意識の底に、こうして少しでも人によく思われたい、 一文でも得をしたいという名聞利養の心が毛筋でも雑ざっていたらそれは真っ先に落第だ。法蔵、お前は正直者が馬鹿を見る世の中が嫌になったと言うたが、正直者とは一体何処にいるのだろう。 存外お前が考えている正直、自分だけはそれから外れぬような正直の線を引いて、その内側から外側の人、つまりは自分の気に入らぬ人間を批判していたのではないかな。お前は早速言いたいだろう。 それは私一人ではありません。世間の人間はみなそうです、とね。それならお前が捨ててきた世間の人間と同列同格ではないか。自分も同じ仲間のくせに、 それを捨てて如何にも自分が彼らより高尚な目覚めた文化人の如く思い上がっている心根こそ、更に哀れとは思わぬか。お前は今は浄土を願う野望を捨てて、 煩悩に苦しんでいる彼らと共に素直に苦しむべきではないか。お前は修養によって煩悩を克服しようと努めてきたが、もともとお前は煩悩によって生を受け煩悩によって命をつないでいる者ではないか。 自分を超えた、自分の命の本である煩悩を誤魔化そうとしたり、抑えつけようとしないで、素直に頭を下げたらどうだね。人間は所詮煩悩の塊なのだ。煩悩がお前となり、また私となっているのだ。 世界平和、社会主義、自由独立と叫んでも、それが人間の口から叫ばれるかぎりは、自分の思うようにしたいという煩悩に過ぎないのだ。お前の命の根元である煩悩を尊敬し、 同じく一切の人の煩悩を尊敬したら、そこには存外自由な世界がひらけてくるのではないかな」

   法蔵比丘は世自在王仏の教えを聞いているうちに、今までしっかりと持っていたはずの自信が足元からずるずると脆くも崩れおちて、 誠に気恥ずかしいばかりの自分自身の姿がさらけ出され、その気恥ずかしささえ自信を保ち続けようとする最後のあがきではないかと気付かされると共に、 今まで夢にも考えていなかった広い明るい世界の中に抱かれている自分を見出したのです。

   「先生、私は自分が当然生きる値打ちのある者であると自分でもひそかに決め込み、一切この世に存在するものはすべてこの私に奉仕すべきものであると、 意識の深い深い底で堅く信じて今日まで生きてきたように思います。自分の思うようにしたいと望み、思うようにならぬとて悩み苦しむことは、即ちかく信じているからこそでありますが、 自分では少しもそれに気付きませんでした。暴君ネロとは、秦の始皇帝とは即ちこの私のことでありました。私の一息一息の呼吸、私の掌の下にときめいている心臓の鼓動、 これあってこそ私の命が支えられておりますのに、それが私の意思で自由になるものではなかったのでした。私の命の根元は、実に私自身の手の届かぬところにあるのでございます。 それを忘れて自分の思うようにならぬとて、腹を立て愚痴をこぼし欲を起こしておったとは、何という身の程知らずの愚か者でありましたろう。 今日までの私を支えてきた命の根元に対して誠に不遜であったことを心から懺悔いたします。かかる不所存者にも、太陽は何と温かく照らして下さったことでしょう。 風は何と軟らかく吹いて下さったでしょう。一切の人、一切の物は何とやさしくこの身のほど知らずの横着者を、今日まで黙って育ててきて下さったことでしょう。その寛容さに対し、 私の心の狭さが血の汗が滲むほど恥ずかしゅうございます。更に親切なことには、私の思うようにならぬことが次から次へと目の前に見せて下さって、自分自身の値打ちを知れよ、 思い上がっているがために、自ら苦しんでいる愚かさを知れよと、日夜お示し下さったことであります。これこそ最大の慈悲とも知らず、私は世を呪い、神仏を恨みました。 私が昨日まで拝んでいた神仏というのは、自分の思うようにしたいという、その欲望を向こうに飾って拝んでいたのでございます。誠に身勝手なものを信仰だと思うておりました。私は今、 外を見る目がつぶれて内を見る目がひらけたように思います。この明盲は自分の思うようにならぬ人、物、事件、そういう他力を頼まないでは別して明眼の師、先生の教えという他力を頼まないでは、 到底自分自身の真の姿が見えるものではなかったのでした」

   法蔵比丘の頬には熱い涙が溢れて流れました。しかし先刻ほどまでの憂鬱な表情にひきかえて、何と明るい顔でしょう。 法蔵のこの大きな自己革命を師匠の世自在王仏も深く喜んでいられるのでありましょう。かねて明るいお顔が更に輝きを増したようです。顔と顔とが照らし合い、心と心が通い合い、 法蔵の言葉はそのまま世自在王仏の言葉であり、やがてこれが救いを宣言するものの共通の言葉となるのでありましょう。

   「私は自分自身の零であったという真の値打ちがわかって初めて、それを知らしめて下さったこの世の一切に頭が下がり、この時一切の不平不満は雲と消え霧と散じて、 この身このまま大満足の境涯に転じ生まれることが出来るのでありました。私は今こそ全世界にかつて存在し、今存在し、生来存在するであろう一切を、そのまま肯定することが出来ます。 私は先生の入国審査にも落第して一介の煩悩人に還りましたが、この煩悩人というものに落ち着いてみると、この世界の何と広大な明るいことでありましょう。先生の審査に徹底的に落第させられて初めて、 先生の申された摂取不捨の国、浄土の真ん中に不思議に生まれている自分を発見しました。今こそ入国審査の矛盾がとけました。今こそ先生の名が世自在王仏であるいわれがわかりました。
   法蔵という私の名は、立派なものが一杯つまっているように今までうぬぼれていましたが、あにはからんや法蔵とは世にありとあらゆる煩悩がことごとくおさまっていることでありました。 しかしこの煩悩があったればこそ、この絶対自由、絶対満足の世界に生まれ出ることが出来たのです。浄土の荘厳とは、実に全人類の全煩悩が光り輝いている世界なんですねぇ。私もまた、 光り輝く一人、今こそ阿弥陀仏の境界を頂いたわけでございます。
   本来愚かな私は今のこの境界を忘れて、明日はまた思い悩むでありましょう。しかしこれからは悩むことによってまた自分自身に立ち返り、また浄土に生まれていくでありましょう。私はここに、 私の後から来る悩める者のために、この浄土に生まれるよすがとしての、一つの短い言葉を選びたいと存じます。他力を頼んで自分自身に立ち返る、 そこがそのまま絶対満足の境涯に転ずるという心を込めて、南無阿弥陀仏という言葉を残しましょう。今後この言葉を唱えることによって、私も一切の衆生も、われわれの終のやすらぎの場所浄土が、 己自身を知らせていただくその足許からひらけいくという喜びを共に致しましょう。今日の私のこの喜び、これを今後生まれてくる幾多の悩める魂に伝えるために、私は人間界を経巡ってその傍に立ち、 私の救われた絶対満足の世界を教え、この世界の言葉としての念仏を伝え、すべての悩める魂が願いの如くことごとく満足を得るまでは、私は永劫に救われない人々のところにとどまりましょう。」

   かくて法蔵菩薩の永遠のさすらいが始ったのであります。法蔵比丘は自らが救われることによって阿弥陀仏となられ、一切の人々を救わずにはやまぬという決意によって、 更に法蔵菩薩となられました。

   二千年の昔、釈尊の胸に宿った法蔵菩薩の物語の、多分に私見を加えた紹介であります。私たちが幼い頃から耳にしている阿弥陀仏の浄土、 極楽世界はこの物語を背景としているのであります。法蔵菩薩は人類の悩みと共に誕生し、その悩みの続く限り生き続けていられます。私たちが思い悩む、そこに法蔵菩薩が立たれます。

   「大分頑張っているじゃないか。今息が止まり、心臓が動かなくなるかも知れぬ身と知っているのかな。自分の力で生きている私たちでなかったではないか。 それを知らせていただくための悩みではないか。さぁ素直に頭を下げようではないか。南無阿弥陀仏。頭が下げられなければ、随分頑張っているうぬぼれの強い私たちだなぁということが見えてきてもよい。 そこに広大な明るい世界がひらけてくるではないか」
とやさしく私たちの胸に囁きかけて下さるのです。

   南無阿弥陀仏。誠に短い言葉ではありますが、この中に人類の祖先の光明を求めての悪戦苦闘と、その努力の成就した真実の喜びの歴史が結晶しているのであります。 この言葉の中で、私たちは未見の全人類の悲しみと、喜びとに現実に遇うことが出来るのであります。いつ始ったとも分らない古い古い言葉、これによって次から次へと新しい魂が救われてきたのであり、 この言葉を探ねあて得たものと、ついに得なかったものとの違いはあっても、ひとしくこの言葉を求めての私たちの日々の生活であることを思えば、 全人類の歴史は実に念仏の歴史であると言うことが出来ると存じます。

―法蔵菩薩の誕生(完)

●無相庵のあとがき
   大変長い内容になりましたが、末尾で、米沢英雄先生は、「南無阿弥陀仏。誠に短い言葉ではありますが、この中に人類の祖先の光明を求めての悪戦苦闘と、 その努力の成就した真実の喜びの歴史が結晶しているのであります。」と語られています。『南無阿弥陀仏』は、お墓参りや、お葬式の時に呟くべきものではありません。 『南無(なむ)』は、梵語の「ナマス」の音訳で、「帰命する、帰依する」と言う意味。『阿弥陀(あみだ)』は、梵語の『ア・ミタ』の音訳であります。梵語の『ア』は 否定の「では無い」という言葉で、梵語の『ミタ』は「推し量る」です。従いまして、『南無阿弥陀仏』とは、「私たち人間に推し量ることが出来ない無量に帰依する」とでも申しますか、 親鸞聖人が至られた、自然(じねん)に任せ、法に従う、『自然法爾』の南無阿弥陀仏を米沢英雄先生は語られたのだと思います。

なむあみだぶつ


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No.1659  2017.05.15魂の軌跡(昭和35年)法蔵菩薩の誕生―Ⅰ

●無相庵のはしがき
   これから3回に亘ってご紹介する米澤秀雄先生のご法話、『魂の軌跡』は、前回のコラム1568番の『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(7)世界一おそろしい者―後編で、 「唯除の文というのが、なぜ自覚になるか?」という問いに対する米沢英雄先生の答えが示されていると考えてのものであります。

   親鸞聖人の信心のキーポイントだと思いますので、無相庵コラム1539番の『唯除の文』のカラクリも合わせて、 ご確認して頂きたいと思いますが、『法蔵菩薩』という架空らしき存在ですから、抵抗感を覚える方もいらっしゃるでしょうが、多分、米沢英雄先生は、歴史上実在していたお釈迦様を想定しつつ、 一般化して名付けられたものということで、読んで頂きたいです。真面目に人生を捉える人なら誰でも、持ち合わせている心、つまり〝魂〟ではないでしょうか。米沢英雄先生は、そういうところから、 『魂の軌跡』として纏められたものと思っております。


●米沢英雄先生の法話、『法蔵菩薩の誕生―Ⅰ』

   みなさまは法蔵菩薩という方にお会いになったことがおありですか。世界中で私ほど不幸なものはまたとあるまいとお思いの方、この世の中に神も仏もあるものか、 いっそ死んだ方がましだとまでよくよく思いつめられた方、それほどまででなくても、自分の思うようにならぬという不平不満が少しでもおありの方、 そういう方は一度法蔵菩薩にお会いになるといいと存じます。

   法蔵菩薩はそういう方々の心を明るくする方法をご存じの方であります。またそういう方にどうにかしてお会いしたいと向こうから願っておられ、そういう不幸な方々と話し合うて、 その方々になるほどそうでございましたか、そういう生き方もあったのでございましたかと、心から喜んで頂きたいという願いばかりに生きていられる方であります。 今、全世界の人々が等しく求められている絶対の平和、絶対の自由はこの方にお会いすることによって初めて実現するものであり、この方にお会いしなければ到底実現不可能とさえ思われるのです。

   さて個人の身の上相談から世界連邦会議まで引き受けようという法蔵菩薩は一体どういう方で、何処にいられて、どうしたらお目にかかれるのでありましようか。 暫く私の拙い紹介をお聞き下さい。

   法蔵菩薩はもと法蔵比丘と申されました。比丘というのは坊さんのことですが、寺に住み、経を読み、お弔いをし、お説教をする坊さんと違って、この嘘いつわりばかり、 悪人栄えて正直者が馬鹿を見るという世の中が嫌になって、何処かに美しい真実の住みよい国がないものかと尋ねて歩く人のことであります。(かく申せば、 私たちの心の中にも時折この比丘の姿を見かけるようでありますが)何でもこの法蔵比丘はもとは身分もよく経済的にも恵まれ、ひと通りの教養も身につけ、美人の奥さんがあって、 出来のいい子供さんもあったのだそうですが、それらを捨てて一介のプロレタリアになられました。

   私たち身分賤しくその日の生活に追われているものから見れば、まるで勿体ないような、理想的とさえ思われる境遇でさえ、その方を満足させることが出来なかったのであります。 法蔵比丘の身の上話によりますと、いくらお金があったり、名誉や地位があったり、身体が健康であっても、それだけでは人間は満足出来ないものと見えます。 これは私たちが考えなければならぬ大事なことではないかと思います。

   その頃の彼は、世の中の苦しみは全部自分一人が背負いこまされたというような、誠に鬱陶しいしかめ面をしておりました。どうにも自分が楽でないものですから、 人の言う事を聞いては、あの教えを聞くと助かる、この教えを聞くと救われる、と言われるままに方々訪ねまわって、何でも53人ばかり師匠をかえたということです。彼は頭がよくないのです。 頭さえよければ、空とか無我とか真如とかいう境涯を悟って、確かに早く楽になることが出来たのでありましょう。

   そういう哲理を教えてくれる先生のところへも通って、大分勉強してみたのですが、何しろ頭が悪くて落第しました。また彼は疑い深いのです。 科学精神とかいう厄介なものを持っていて、奇蹟は信じない、科学的真理に合わねば信じないというのですから、せっかく親切にこういう神さんを信じなさい、 こういう仏様を信じなさいと言うてくれる人があって、そこへも大分通うてみたのですが、どだい疑い深いのですから、ものになりません。「どうにも救われません」と告白しますと、 とうとうそれはお前の信心が足らんからだと叱られたので、それきり足が遠のいてしまいました。

   また彼は根気が乏しいのです。自我を抑制する苦行を積むと楽になる道が見付かると教えてくれるところもあったのですが、 何しろ30分静かに坐っているだけの根気さえも持ち合わせぬので到底駄目なんです。それに今は生活に困って働かねばならんので、 静かに坐ってなんかいる時間の余裕も心のゆとりもなかったのですから無理もありません。

   そんなに暇も根気もないのなら、このお札を買うて毎日拝みなさいと言うてくれる人もあったのですが、スッカラピンの彼にはそのお札を買う金さえなかったのでこれも駄目、 というわけでせっかく方々訪ね歩き、色々苦労をして見ましたけれども、これで明るくなった、これで元気で日暮しが出来るという心のきまりがついにつきませんでした。

   そこで法蔵比丘は、俺は神にも仏にも見放されたんだ、人生なんて生きる意義がないんだ、馬鹿馬鹿しいというて酒を飲んでみましたけれども、それも酔うている間だけのこと、 醒めてみるとやはり寂しいんです。何か、よりどころがほしいんです。そのよりどころが見付からず、さりとて独り立つ力はなし、こうして彼は絶望の底に落ちていったそうです。

   その時彼は世自在王仏と言う人の名を聞いたのです。世自在王仏というのは大和言葉で申すと、「世の中のこと、よろず思いのままのみこと」とでもいうのでしょうか、 勿論その人の徳をほめたたえたあだ名であります。

   法蔵比丘がこの名を初めて聞いた時は「何と大袈裟な。俺がこれだけ真剣に尋ね求めてさえ助からなかったんだ。この人だって大したことあるまい」と、 たかをくくって訪ねていかなかったのですが、 威張ってみても、どうにも自分で自分の始末がつかなくなってしまったものですから、とうとう我を折って、世自在王仏のところへ訪ねて参りました。

   今まで訪ねた53人というのは、いずれも豪壮な住宅で、豪勢な暮し向きに見受けられたのに、世自在王仏の生活は質素というべく、いささかみすぼらしいもので、 あまり「思いのまま」でもなさそうなのですが、会うてみますと、その方は円満な光り輝いた清浄なお顔お姿で、法蔵比丘はさすがに今日までいろんな人を見てきただけに、一目で之は本物だ、 今まで会ってきた人たちとは全然違うものだと直感致しました。

   その充ち足りた心の王者というてよい世自在王仏のお顔を見ておりますと、何か自分が物ほしげなみすぼらしい人間に見えてくるのが妙でありました。 そしてまだ一言も交わさぬ先から、この方こそ多年の自分の悩みに解決をあたえて下さる方なのだ、自分は今日この方にお会いするために多年苦労してきたのだ、 と云う確信が不思議にも湧いてくるのでありました。

   そこで法蔵比丘は率直に自分の悩みを訴え、苦しみや悩みのない国へ住み替えたいという命がけの希望を述べ、現世のあらゆる束縛から脱れる方法を尋ねました。 またその際自分一人が解放されても他の一切の人類が同時に解放されねば、それを見ていることはまた自分の悩みであるからして、 自分が解放されると共に世界一切の人類がたちどころに解放されるように、しかもそれも資本家が没落して無産階級が解放された時にというような、くるのかもしれんが、 いつくるかわからんという不確かなものでなくて、今日只今この眼で直に見てなるほどと頷ける解決方法を教えていただきたい、これがわからなければ死んでも死にきれませんと一心に願いました。

   そのひたむきな法像比丘の願いを黙って聞いていられた世自在王仏は微笑をたたえながら言われました。
「法蔵よ、誠に大きな願いを立てたお前を心から尊敬するがねそんな望みの起こせるえらいお前にそのくらいのことがなしとげられんかね」
法蔵はうなだれて、
「はい、誠にお恥ずかしいことですが、私の分際では出来そうにもございません」
すると世自在王仏はやさしい中に威厳をもって語り出されました。
「法蔵よ、それはおよそ人間として誰でもがもっている根本的な願いなのだ。その願いが心の中に目覚めた時、人間になるのだといっていい。その願いが成就した時、人間を超えた仏になるのだ。 人間とは仏になる道を歩むものだ。この道は容易に見出されるものではないし、この道一つと心が決まるまでには、お前のように深い迷いを重ねなければならないのだ。 迷うのは己の外にあるものを頼りにするからだ。しかも迷う己自身も頼りにはならない。己にあってしかも己を超えているものをこそみいださねばならない。 53人のところで満足を得なかった今こそ、誰でも、いつでも、何処でも、救われる道がお前のものとなるであろう」

  そこで法蔵は今まで自分の外にあるものを頼ろうとして、しかもそれが頼りきれないためにさすろうてきた自分の姿が照らし出されてくるように思いました。 「それではお前のようにあらゆる教えから落第したものの救われる世界を教えてあげよう。そこはね、摂取不捨、あらゆる苦労も失敗もみな無駄事に終わらせない、 一切をおさめとって捨てぬという国、しかもそこはそこへ生まれたいと願えば誰でも生まれることの出来る平和の国、自由の国、清浄の国、絶対満足の国なんだ。 だからそこにいられる人々の心は平和に清浄な慈悲心に充ちた方、仏といわれる人たちばかりなんだ」

   法蔵は、それこそ自分が願い続けてきたことではないかと思わず叫びました。 「いい国ですなぁ、そういうところこそ私の求めていたところですが、ユートピアのようにお話だけの国ではないんでしょうね」
「お前の疑うのももっともだ。こんな国、ありそうもないと誰でも思う。しかしこれこそ真実にある国、もっとも現実的な国なんだ。さぁ、これからお前をこの国へ案内しよう。 君なんか自分だけでなく、全世界の人類が同時に救われねばならんと主張する誠に人道主義的な正義感にあふれたえらい人だから、真っ先に入国出来そうだがね、 しかしまぁ一応規則に従って入国希望者の資格審査をやりましょう」
   さて法蔵比丘はその願いの如く果たして入国出来たでありましょうか。

―法蔵菩薩の誕生―Ⅱに続く

●無相庵のあとがき
   「君なんか自分だけでなく、全世界の人類が同時に救われねばならんと主張する誠に人道主義的な正義感にあふれたえらい人だから、真っ先に入国出来そうだがね」という『君』は、 私のことを言い当てられたような気にさせられ、「入国審査に合格するはず」と思いましたが、それは、とても甘い認識に気づくことになります。次回をご期待下さい。

なむあみだぶつ


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No.1658  2017.05.11『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(7)世界一おそろしい者―後編

●無相庵のはしがき
   前回コラムの〝あとがき〟で、『次回の〝(7)世界一おそろしい者―後編〟で、米澤秀雄先生は、「それであの唯除の文というのが、なぜ自覚になるかということですが、・・・」と、 語り始めておられますので、私は熟読したいと思っております。』と、申し上げましたが、今回の詳細解説を読みましても、明確な表現での回答を私は見付けられませでした。しかし、文面から推察しますと、 多分、その回答を、米澤秀雄先生が別途語られている、『魂の軌跡』に語られていると、私は思いました。

  ●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(7)世界一おそろしい者―後編

   それであの唯除の文が、なぜ自覚になるかということですが、昔――また私のことになって悪いんですけれど、本山から『魂の軌跡』というのが出ました。それは本山から頼まれて、 書いてくれといわれて書いたものですけれども、書いた分量が少し足りなかったので、以前NHKのローカル番組で話しした、「法蔵菩薩の誕生」というのを入れたんですわ。
   「法蔵菩薩の誕生」なんちゅう言葉は、私が考えた言葉なんですけれど、その時分私は、柳田国男さんの民俗学の本をよく読んでおった。柳田国男さんが昔話のことをよく書いておられて、 中に桃太郎の話がどこから生まれてきたかという『桃太郎の誕生』という本があった。その誕生を引っ張ってきて、「法蔵菩薩の誕生」という話をまあ考えたわけやね。それはあの、 「朝に聞く道」というんやったな、ローカル番組があって、それに引っ張刕出されて、十分か十五分で二回かな、話をさせられたその中に、法蔵菩薩というのはどういうもんかという事を私が考えて、 ――これは従来、『大無量寿経』に書かれている法蔵菩薩とは、だいぶ趣の変わった法蔵菩薩になったと思うんですけれども、その法蔵菩薩のところで、これも曽我量深先生と考えが違うところがある。

   久しぶりで曽我量深先生の還暦の時の講演『親鸞の仏教史観』というのを読み返しましたら、五十三仏のことが書いてある。五十三仏のことが書いてありまして、 この「燃灯仏」というのか、燃灯仏をもうひとつ何といいましたかな。五十三、仏がずっとあげられておるんですね。
   曽我先生がいわれるには、その燃灯仏というのは、『大無量寿経』を読むと、何か一番古い仏のように思われるんや。が、曽我先生は燃灯仏は一番新しい仏や、と、 こういうふうにおっしゃっておられる。そして一番古い仏が世自在王仏で、この世自在王仏について、法蔵菩薩が仏法を聞いたと、こういうことになっておる。
   で、この燃灯仏が一番新しい仏やと、こういうふうに曽我先生はいうとられるや。で、私は燃灯仏というのは、古い仏やと思うんです。それを私は自分にひきつけて考えたわけやね。 それは、何でそんなことをするかというと、これも昔話になってしまいますけれども、『実存原型としての法蔵菩薩』というのを、私はこれは何年か忘れたけれども、 ここ(福井市・恵徳寺)でお寺さん方にお話したことがあった。

   『大無量寿経』に、ずっと昔、法蔵菩薩という方がおられたということが書いてあるんやけど、そういう伝説的なものでなくて、人間の本質を言い当てたのが、法蔵菩薩であると、 こういう考え方で、実存原型としての法蔵菩薩――これは恵徳寺さん(三上一英師)が本にして出して下さった中にも入っておりますけれども、そういう考え方がもとになっておる。

   この実存原型としての法蔵菩薩というのはね、これ「めくら蛇におじず」だな。同朋会館で、兵庫県の布教使の会があった時、引っ張られて話しさせられた時に、 この実存原型としての法蔵菩薩というのを、堂々と発表したわけや。そしたら質問がありまして、「それで五十三仏は、どうなるのか」と、こういうことや。 私の本質が法蔵菩薩ということになったら、五十三仏――燃灯仏や代々五十三仏があるのはどうなるかと、こういう質問を受けて、その時はちょっとそこまで考えておらなかったので、 ギャフンと参ったんやね。

●無相庵のあとがき
   米澤秀雄先生のご解説に回答が無いと思ったのは、私の読解力の無さがあるかも知れませんが、 無相庵ホームページの法話コーナーにある〝魂の軌跡〟に〝はしがき〟と〝あとがき〟に申し述べながら、ご紹介させて頂きます。 どうか、お読み頂きたく存じます。

なむあみだぶつ


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No.1657  2017.05.08『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(7)世界一おそろしい者―前編

●無相庵のはしがき
   〝世界一おそろしい者〟という言葉から思い浮かびますのは、残虐な殺人犯なのかも知れませんが、今回の世界一おそろしい者は、一般の私たちだということのようです。 私たちは、手を下して殺人は致しませんが、心の中では、何人かを殺しているのではないかということです。自分の心の中をそっくり他人に覗かれたら、悪人振りを知られるとか、 恥ずかしいことが沢山あると思うのです。その自らの悪人振り、自己中心性、罪悪深重煩悩熾盛の凡夫振りを自覚しなければ、本当の信心、安心(あんじん)を頂けないというのが、今回の詳細解説に於ける 米沢英雄先生のご結論ではないかと、つまり、真宗こそ自覚教だというご主張だと私は受け取りましたが、皆さまは如何、お受け取りになりますでしょうか?

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(7)世界一おそろしい者―前編

   善導大師の加減の文に、唯除が抜かしてある。どういう意味で抜かされたのか、分かりませんけれども、柳宗悦という方があって、この方は民芸品というものの価値を、 世の中に紹介した人で、棟方志功とか河井寛次郎とか、富本憲吉とか、そういう版画家、あるいは陶芸作家を掘り出した人でもあるし、因幡の源左を一般に紹介した人でもある。 そういう功労者ですけれど、柳宗悦という人は宗教についても一つの見識をもっておったというですかね。『南無阿弥陀仏』という本を書いとるですね。

   昔、その柳宗悦の書いた『南無阿弥陀仏』という本を読みましたが、その中にやっぱり「唯除の文」はない方がいいと、こう柳宗悦が言うてますね。そうすると、 浄土宗ではただ念仏して極楽に生まれるという事だけで信心というものが明確になっておらんと、こういうことが言えるのですね。そういう点ではまあ、楽なことは楽でしょうけれども、易行だけで、 難信ということが出てこないのではないか、と思いますね。 しかし、南無阿弥陀仏をとなえると極楽へ生まれられるというだけでは、頭をなでられたようもので、それを真受けにできるかどうかということが、問題だと思うですね。

   で、今浄土宗の悪口を言うてるようですけれども、真宗でもそういうふうに言うとった。たとえば、愛知県の尾張というのは、ひじょうに大谷派の門徒の多いところで、 三河仏法というてやかましいんですけれども、そこの説教を若い時から聞いてきた人が言うとったけれども、法蔵菩薩が五劫思惟され、兆載永劫の修行されて、 南無阿弥陀仏という〝お六字〟を成就してくださったので、我々はいただくだけ。「はい」といただくだけや、ちゅうような説教をやっとったんですね。そういう説教やっとって、 ようそれで分かる人があったかなあと、私は思うんです。

   だから、何というか皆聞いて、「ああ、けっこうなお話で・・・」くらいで終わっておったんでないか、と思うんですね。それで私は、分からなんだら、 分かるまで聞くということが大事なんでないかと、こう思うんです。ところが、能登では、「御示談」というのがあるのや。御示談というのは、法話の後に一対一で問いと答えをやるわけですけれども、 それも経典の言葉についてだけであって、まあそういう御示談の中から、本当の信者が生まれたものかどうかと、私は不思議に思うんですが、ところが、そういうような中でも、 生まれることは生まれとるのや。

   これは石川県の、それを書いた人には会うたことがあるんやけど、自分のおばあさんのことを言うとったね。そのおばあさんが――昔の話やから、 説教聞くのに何里か離れたところに寺があるので、寺へ行って、いわゆる御示談をして、山の中を歩いて帰ってくると、夜中を過ぎて明け方に家に着くという、そういう熱心なおばあさんが、 聞法者としておった、と。

   「女で、夜中に一人で帰ってくるのはおそろしうないか」と聞いた。そしたら、そのおばあさん、「世の中で、このわしほどおそろしいものはない」と、こう言うたちゅうや。 きついなあと思うなあ。「このわしほど、こわいものはない」というのは、機の深信というのかな。そういうことをあらわしておるのでしょうけれども。

   もう一つおもしろいことを言うと、池田勇諦という人が新聞に書いとったが、見世物で〝世界で一番おそろしいもの〟ちゅう見世物があるんや、と。それをのぞくと、 向こうに鏡が立っておるんやて。自分がうつるんやがな。世界で一番おそろしいものちゅうの、おもしろいことを考えたものやと思うね。しかし、それは見世物やけれども、その石川県のおばあさんには、 まいったね。自分ほどおそろしいものはないから、世の中にこわいものない、と。こういうことを言うんですな。

   で、唯除の文のことですが、柳宗悦は、唯除の文がない方がええと、こう言うた。私はそういうのを読むと、何か頼りないように思われる。どこで信が得られるか。それから、 回心ということを言いますけれども、どこで信心が得られるか、どこで回心するか。そういう回心点ちゅうんかな。そういうものは、唯除の文がないと、分からんと、こう思うですね。 で、唯除の文というのが、機の深信に当るわけ。唯除の文が機の深信に当って、機の深信が自覚、信心の自覚をよび覚ます。それで救済教の本願の念仏が、自覚になると。自覚になったのを信心と、 こういうのであろうと思うですね。その自覚が得られなければ、私は何にもならんと、こう思うんです。

●無相庵のあとがき
   次回の『(7)世界一おそろしい者―後編』で、米澤秀雄先生は、「それであの唯除の文というのが、なぜ自覚になるかということですが、・・・」と、語り始めておられますので、 私は熟読したいと思っておりますが、果たして、親鸞聖人はどうであったかと推察致しますと、親鸞聖人は、自覚教と救済教、どちらにも軍配を上げられなかった、否、上げることが出来ないまま、 どちらかと申しますと、最終的には、阿弥陀仏法の本願にお任せするしか無いというお立場ではなかったかと考えたいです。それは、最晩年に親鸞聖人が書かれた『自然法爾章』に、 自然(じねん)にお任せするより外はないと明確に仰っているからであります。ただ、米澤秀雄先生も、この『自然法爾章』を親鸞聖人が最晩年に遺された境地だとして、 『自然法爾』というご著書の〝まえがき〟に、「自然法爾章は、短い文章ながら、円熟した親鸞の晩年の思想の結晶である」と書かれていますから、自然法爾の境地も、 自覚があってこそ得られた心境であると、米沢英雄先生はお考えになっていたのだと私は解釈しております。

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No.1656  2017.05.01親鸞聖人が救われた世界とは?

●無相庵のはしがき
   今年のGWも、三日目を迎えました。ただ、我が家にはGWはございません。週末に私の長男と二人の孫娘(20歳と17歳)が泊まりに来て、 沢山の御馳走を食べて、満足そうに帰ってくれたのが祖父母としての嬉しいGWです。 なお、今週の木曜コラムは、お休みさせて頂きます。

●親鸞聖人が救われた世界とは?

   親鸞聖人は、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、 ただ念仏のみぞまことにておわします」というお言葉を遺されています(『歎異抄』の後述)。最後は、お念仏だけが、頼りだと仰っておられることは、重い言葉だと思います。 親鸞聖人も、亡くなられる直前まで救いを求められて思索されたと思うのですが、万策尽きて、最後は「南無阿弥陀仏」だという境地に至られたと思うのです。「南無阿弥陀仏」とは、 「阿弥陀」は、「計り知れない」ことですから、「人間には計り知れないことが分かった」ということだと思います。そういう境地に至られた親鸞聖人という方が居られたことを、私は、 非常に有り難いと思い、親鸞聖人が頼りにされた南無阿弥陀仏を称えることが、私の救いになっていると思います。

   この娑婆世界では、思わず腹立つことがありますし、悔しい目にも、悲しい目にも遭います。そんな時、「南無阿弥陀仏」で、決着がつくような気が致します。腹立ちを抑えることは、 出来ませんし、悔しい目、悲しい目に遭わないようにすることも出来ませんが、「南無阿弥陀仏」で、ケリがつきそうに思います。

●無相庵のあとがき
   今、北朝鮮問題で、戦争に巻き込まれやしないかと、心穏やかではありませんが、これも、私が解決出来ることではありませんから、やはり、「南無阿弥陀仏」で、 受け止めていくしかありません。そして、「世界平和は、家庭の平和と個々人が自身の心の平和に心を砕くことでしか実現出来ない」と思いますので、その役目を果たしたいと思っています。 夫婦関係。親子関係はもとより、親族、近隣との平穏・平和に務めます。

なむあみだぶつ


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No.1655  2017.04.27『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(6)目に入った包丁―後編

●無相庵のはしがき
   今回が、表題『目に入った包丁』そのもののお話です。
   世間の殺傷事件は、〝もののはずみで〟起こってしまったということもあると思いますが、今回のお話は、険悪な仲の嫁姑の間で、お嫁さんは傍にあった包丁が目に入り、 〝もののはずみで〟お姑(しゆうとめ)さんを、あやうく、殺(あや)めてしまうところだったというものです。
   そこまでいかなくても、それに近い状況を経験したことは、私たちにも覚えがあるのではないでしょうか。しかし、普通は直ぐに忘れてしまうものですし、 そんなことがあつたことをわざわざ人に発表することはしないものだと思います。また、わざわざ人に告白する必要もないでしよう。
   しかし、そういうことが我が心の中で起きたことを、自分自身は忘れてはならないのではなかろうかと、この詳細解説を読んで、考えさせられたことでした。  

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(6)目に入った包丁―後編

   これは、江原通子さんの話やけど、江原通子さんというのは、福井の東別院の暁天講座にも、私が推薦して三度か、来てもらった。それは何故かと申しますと、江原さんというのは、 去年(1979年)亡くなった円覚寺の管長の朝比奈宗源老師について、禅の修行をした人です。

   まあ去年六十歳になって、文芸春秋社を退社しましたけれど、文芸春秋社に勤めておったんや。で、禅をやっておった人や。しかし江原さんの、 ずっと以前にあるところでされた講演を読んで、まあ私は、この人は禅をやっているけれども、浄土真宗やな、と思った。 というのは、自分自身を語る。禅ではね、たいてい支那の禅の偉い人の話をする。それか、自分の修行をした苦労かね。そういうもんで、自分自身をまな板にのせて語るということはないわけなんや。 ところが江原さんは、自分自身をまな板の上にのせて語っておるので、私はこの人は禅をやった人やけれども、浄土真宗やなと、こう思った。

   というのは、お姑(しゅうとめ)さんとのことが書いてある。えらいお姑さんばかり出てくるけど、江原さんというのは、ご主人が文芸春秋に勤めていて、 報道班員として南方へ行って、報道班員やから戦死とはいわれんのでしょうけれども、戦争に巻き込まれて亡くなられた人や。その家は昔庄屋をやってた家柄のいい家へ江原さんが嫁にいったわけや。 するとご主人が文芸春秋社に出勤するのに、靴脱ぎのまん中にご主人の靴をそろえた。これは当たり前のことや。そしたらお姑さんにしかられたちゅうんや。 「この家の戸主は私や」と。そりゃ戸主はお姑さんでも、息子の靴をそろえて悪いことはないがと、我々は思うけれども、戸主でもない者の靴をまん中にそろえるとは何ごとやと、お姑さん、 怒ったちゅうんや。

   それから、若夫婦が二階におるんやと。で、江原さんが下の便所へ行くのに、縁側に手をついて障子の外から「便所へやらせていただきます」と、そうして便所に行くんやと。 そんな家あるかね。そういうので、極端に言うとお姑さんからいじめられた、というんかな。お姑さんとしてはいやがらせでなく、普通のことをやっている積もりやろうけれど、 ちょっと普通の者は耐えられんと思うな。

   ところが、私がひじょうに驚いたのは、鮭の切り身をお姑さんにつけた、と。そしたらお姑さんが怒った。それは鮭の切り身が小さかったからでないんや。 その鮭の切り身がのせてある皿に、ヒビリ(ひび)が入ってたちゅうんや。そんな小さいヒビリくらい、気がつかんがね。わざわざそのヒビリの入った皿に盛ったわけでもあるまいが、お姑さんが怒ったちゅうんや。 それで食事が済んでから、それを台所へ下げて、洗いものしとったら、お姑さんが台所まで来て、怒ったちゅうんや。その時に、包丁が江原さんの目に入った、ちゅうんや。ふりかえって見たら、 お姑さんがもう、部屋へ帰っていたから、それで事なきを得た、と。

   で、こういう事を人に言えますか、例えそういうことが事実であったにしても、これは人に言えることでないと。そういうことをちゃんと、本の中に書いとるんや。 私は感心しましたね。こういうことが言えるということは、大したことや。機の深信(じんしん)です。真宗でいう機の深信というもんや。 で、そういうことを、自分をまないたにのせて語れるということは、大したことやと私は思うです。皆そういう心がある。心があっても、みんな言わんわな。親鸞という人は、 人の言えんことを言うたちゅうところに、親鸞が大した存在であると思うですね。

●無相庵のあとがき
   米沢英雄先生は、「親鸞という人は、人の言えんことを言うたちゅうところに、親鸞が大した存在であると思うですね。」と仰ってます。人に言えない、 心の中で生じた恥ずかしい醜さを隠さずに公表する姿勢を評価し讃嘆されていると思うのですが、それを強要されますと、私のような普通の人間は、腰が引けます。 親鸞仏法を拠り所にしている私でさえこの有様ですから、仏教が本当は救わねばならない、仏法に関心の無い世間一般には到底受け入れられないとも思います。 誰でも、自分の至らなさ、身勝手さ、心の奥底に潜んでいる醜さを自覚されていると、私は思います。自覚しているし、直さねばならないとも思っていると私は考えますが、 それは、残念ながら、自分の努力では解消出来ませんから、悶々とします。親鸞仏法を聞法されている方は、「自分の自覚が足りない、自覚が中途半端だからだ」と反省し、更に聞法に励みます。 しかし、それでも解消しなくて、立ち往生する、思考停止になる、或いは、他の宗派や新興宗教に走る方もおられるかも知れません。

   私は、幸い立ち往生もせず、他の宗派にも新興宗教にも走ろうと云う気持ちは湧きませんでした。それは、米沢英雄先生は、『自覚教』と『救済教』に関して、 『親鸞の浄土真宗は、単なる救済教でなくて、真の自覚教であると、こういうことが親鸞の苦労されたところであると思うですね。 単なる「念仏すればたすかる」という救済教でなしに、 救済教であると同時に自覚教であると、そういう二つを結びつけられたところに、親鸞の浄土真宗の面目があるんじゃないか。』と仰ってますが、人間の自覚には限界があると思います。 そうしますと、私たちには、どうしても救済が必要だと思います。最後は、救われたいと思うのです。
   そこで思い浮かびますのが、親鸞聖人の「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」というお言葉です。 親鸞聖人は、南無阿弥陀仏で救われたと云うことだと思いますが、〝あとがき〟が長くなりすぎましたし、もう少し吟味も致したく、この先は、次回のコラムで、一旦、 『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説を一休みさせて頂きまして、続きを書かせて頂きたいと思います。

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No.1654  2017.04.27『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(6)目に入った包丁―前編

●無相庵のはしがき
   今回と次回、米沢英雄先生の『目に入った包丁』という表題の詳細解説を、前編と後編に分けてご紹介致しますが、今回の前編は、石川県の南部に位置する、 松任市(金沢市と小松市の間に位置する日本海の海岸沿いある都市)に住んでいた、浄土真宗大谷派(東本願寺派)本誓寺の門徒のお姑(しゅうとめ)さんとお嫁さんの逸話でありますが、 お嫁さんが、日頃、お姑さんと一緒に親鸞仏法の法話を聴いていたのでしょう、余命一ヶ月と診断されていたお姑さんの付き添い看病をしていたとのことで、そのお嫁さんが、 親鸞仏法の究極の体現者だったことを紹介されながら、米沢英雄先生は、親鸞仏法の本当のところを私たちに説かれている、とても重要な詳細解説だと、私自身、肝に銘じた次第であります。  

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(6)目に入った包丁―前編

   で、これは前にもいうたかもしれませんが、松任市の松本梶丸君という、これは四十代の人ですが、まあひじょうに優秀なお寺さんです。その門徒の人でおばあさんが胃がんで入院しとる。 自分の門徒が入院しとるということになると、お寺さんとして、やっぱり見舞いに行くだろうと思う。で、松本君は見舞いに行った。そしたら、息子の嫁さんがおしゅうとめさんを看病していた。 これはどこでもあることや。で、門徒のおばあさんに見舞をいうて出てくると、お嫁さんが送って出る。これもまあ従来のしきたり通りや。

   で、松本君がそのお嫁さんに、「毎日看病ご苦労さんですね」――これも常識的にだれでもいうことや。そしたらそのお嫁さんがいうた。「もうしばらくですから、うれしいです」と。 それは医者が、もう一ヶ月のいのちやというた。それで「もうしばらくですから、うれしいです」と。こんなこと言えますか。ひどい嫁さんや。そして、その次の言葉はもっとひどいわ。 「こうして、おしゅうとめさんを看病していて、思い出すのは、おしゅうとめさんからいじめられたことばかりです」と。ひどい嫁さんや。こんな嫁さんに当ったら、かなわんな。

   で、私はその嫁さんこそ、おしゅうとめさんを真心から看病していると思うんや。

   というのは、その後に「ここで初めて親鸞聖人にお会いしました」というた。親鸞の「虚仮不実のわが身で、 清浄の心もさらにない」――そういう自分の心をどん底まで照らし出されておるというか、これが浄土真宗の生命だと、こう思うですね。「ここで親鸞聖人にお会いしました」と。 いかにつとめてもつとめても、こころの中では虚仮不実があるということを見逃さない。そういう鋭い目を、本願の念仏から、そのお嫁さんがいただいているということですね。 この話を聞いて、そのお嫁さんこそ、心の底からそのおしゅうとめさんを、看病しておるなあと、私は思いましたね。

   皆、かっこうばかり問題にしとるのや。かっこうだけでないで。心の底が問題や。その心の底を問題にされたというところに、親鸞という方のひじょうな鋭さというのかな、 人間分析のまなこが、ひじょうにするどい。人間分析というのは、人間の頭で分析したのでなくて、仏の智慧の眼から分析された人間。そういう人間という抽象的なものでなしに、自分自身、 そういうものをさらけ出しておられるということですね。 ですから、親鸞のこういうものを読むと、我々は非常に心強く思う。というのは、そういう心を私も持っておるからやね。親鸞の後をなぜついて行くかと言うと、 親鸞がここまで自分自身をさらけ出しておられるからやと、私は思うですね。

●無相庵のあとがき
   私たちが、取り違いしてはいけないのは、親鸞聖人がすこぶる謙虚な方だったと思い違うことだと思います。親鸞聖人は謙虚な方ではなく、 また謙遜する方でもなかったのです。 ご自身が、どうしようもなく救いがたい根性と、レベルの低い能力の持ち主だと、本当に思っておられたと受け取らねばならないと思います。つまり、人との比較ではなく、 絶対的に低い自己評価をされていたということです。

   そうなりますと、日常生活の様々な対人関係の場面で、相手を忖度することなく、自然に適切な対応が出来るようになるものと思われます。そして、 本当の意味で、励み心がわきあがり、少しでも、人の役に立てる人間になろうという気持ちしか起こらないのだと思われます。仏法を聞くことに依って、何の心配もなくなるとか、 苦労がなくなるとか、 無碍の一道を歩めるという事でなしに、日常生活を前向きに、且つ励み心が湧き上がることになり、例え、物事が上手くいかなくても、そこは、縁の道理に従って、励み心を失うこともなく、 日常生活を送るようになると思います。

   この無相庵あとがきは、皆さまには、何を言っているのか分からなかったと思います。私が伝えたいと思うことが上手く纏められませんでした。これが、私の実力です。 蛇足でした、申し訳ありません。米沢英雄先生の詳細解説だけで充分だったと思います。

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No.1653  2017.04.20『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(5)私の中の五逆―後編

●無相庵のはしがき
   前回コラムの〝無相庵のあとがき〟で、私は「親鸞の浄土真宗は自覚教であり、また救済教だったのだと思ったことであります。」と申し上げましたが、 今回の米沢英雄先生の詳細解説を読ませて頂き、それは少し違ったなと思いました。救済教というのは、南無阿弥陀仏と称えたご褒美に浄土往生を保証するという浄土宗の立場であり、 親鸞の真宗の場合は、「仏の方から信じられている」と確信出来る自覚教であると考えるのが、理屈的に納得出来るのではないかと思い直した次第であります。
   そして、これは、それ以前には無かった画期的な思想であり、信心の心模様であって、他の仏教宗派にも、他の宗教にも見当たらないのではないかとも思いました。親鸞聖人以外の宗教は、 全て、「私たちが神さまを信じる」か、「私たちが仏様を信じるか」のどちらかだと思うのです。
   親鸞聖人の信心に出会えた運の良さを実感した次第でありました。  

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(5)私の中の五逆―後編

   この前、能登に引っ張られて話しをさせられたあとに、質問があってね。この質問はおもろかったな。ある聞法会で門徒の人が、講師に、 「人間はどういうふうに生きたらいいのか」と聞いたんやて。「どういうふうに生きたらいいんか」と聞いたら、「それは即答できん」と講師がいうたちゃうんやね。そして、 一番最後の時に「こういう質問があったが、人間らしく生きればいい」と、こう講師がいうたちゅうんやね。で、それに対して、どう思うかという質問や。人間らしく生きる、と。そんなことなら、 別に浄土真宗の教え聞かんでもいいんや。モラロジーでも宏正倫理でも、そういう教えを聞いてれば、あれは人間らしく生きる教えをいうとるんやね。モラロジーというのは道徳を守るということ。 それから宏正倫理というのは、あれは朝起き会というのをやっておるんか、朝行くと五つの誓いというのがあるんや。「今日一日、腹を立てないでおきましょう」とかね。それ、まことにもっともや。 腹立てないでおけたら、まことにけっこうや。ところが立てないでおきましょうというだけで安心しとるんやね。そいで家へ帰ると腹立てとるんやぞ。たぶんそう思うんや。そんなもの、かっこうだけやね。 かっこうだけ。

   親鸞さんは、かっこうに満足できなんだ人や。そいで能登の時にもいうたんやけど、善導大師が「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮不実の心を抱いておってはいかん」と。 内外一致せないかん、と。こういうことを善導大師がいわれた。まことにもっともです。すました顔しておって、心の中で悪いことを考えておってはいかんので、内外一致しなければいかん。 まことにもっともや。これならどこへ出したって通る。ところが親鸞はそれを読み変えられた。

      「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を抱けばなり」

   虚仮不実の心を、心の中に皆持っとるんや。で、外だけはかっこうよう見せとるんや。そういうことを親鸞がいわれた。で、こういうことが親鸞の、真宗の面目であってね、 「腹を立てないでおきましょう」、そんなことはまことにもっともやて。昔の修身の教科書みたいなもんや。しかしそれが実行できるかどうかということが問題やね。実行できない、 こういうところまで見きわめたところに、親鸞の真宗がある。だから、人間らしく生きられない、人間失格というんか、人間から落第した。そういうものが親鸞の教えであろうと思う。

   で、この親鸞は、ご承知のように晩年になってまで、

  虚仮不実のわが身にて
  清浄の心もさらになし

   と、こういうふうにいうとられる。だから救われんやつや、と。救われんやつやということが、親鸞の信心の究極であると思う。救われんやつやという。第二章にも、 「地獄は一定すみかぞかし」――こういう言葉がありますが、地獄は一定すみかぞかしというたら、これは救われんやつやということや。救われんやつやという自分自身を確認した言葉で、 この救われんやつやということが、決定的に分かった方が、救われておると、こういうことやね。

   これは西田哲学の言葉を使うと、「絶対矛盾の自己同一」と。これは絶対矛盾しとるんや。絶対矛盾しているが、一つになる、と。これは親鸞が「虚仮不実のわが身にて、 清浄の心もさらになし」というのは、人間というのは、自分自身に対して一番甘いので、人間というのは、自分自身に対して一番甘いにもかかわらず、親鸞は虚仮不実の我が身という。 それから「心は蛇蠍(じゃかつ)のごとくなり」――蛇やサソリのような心を持っておる、こういうふうに自分自身の一番内面まで見られたということは、仏の智慧の光に照らし出されておられたと、 こういうことで、いかに親鸞を照らしておった仏の光が、ひじょうな力を持っておったかと、こういうことが分かると同時に、救われんやつやということが分かったことが、仏に摂取されている証拠である。 つまり自分自身はこういうものを持っておるということが、人前にさらけ出せるということ、人がどう思おうが、そんなことは問題でない。自分自身は仏から信じられている、 こういう確信を親鸞は持っておられたから、自分の虚仮不実の我が身、そういうことをさらけ出すことができたんだと思うですね。

●無相庵のあとがき
   神さまを信じる宗教の信徒は、神さまの仰せに従います。しかし、実際には神様は存在致しませんから、神様の仰せは、神様に代わって、人間の誰かが作り上げた仰せであり、 イスラム教の信徒と自称する人間が、テロに走る場合も出て来るのだと思います。今から22年前、日本の仏教宗派と自称する教団が、サリンを使った無差別テロを行いました。 神、仏、教祖を崇める宗教には、どうしても、異常な言動を巻き起こす危うさが入り込む余地があるように思います。

   親鸞仏法を求める私たちも、真実の宗教とは何か、真実の宗教とはどういうものかを常に問い直す努力を怠ってはならないと思います。

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No.1652  2017.04.17『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(5)私の中の五逆―前編

●無相庵のはしがき
   法然上人は、『大無量寿経』の第十八願の但し書きである〝唯除(ゆいじょ)の文〟を重んじなかったけれど、親鸞聖人は、非常に大切にされた。そこを以て、米沢英雄先生は、 親鸞聖人の浄土真宗は、救済教ではなく自覚教であると、多分、私たちが、自覚教の最たる宗派として考えている禅宗に比して、真の自覚教であるとまで、仰りたかったのだと思います。
   その根拠として、唯除の言葉の中にある「五逆罪」を犯している私たちの認識違いを指摘されているのが、今回の詳細解説の要点であると思います。五逆罪とは、 (1)母を殺すこと,(2)父を殺すこと,(3)僧(阿羅漢)を殺すこと,(4)仏の身体を傷つけること,(5)教団の和合一致を破壊すること、の五つの罪でございます。米沢英雄先生の説明をお聞きしますと、 私も間違い無く、五逆罪の罪人であると自覚致しました。 

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(5)私の中の五逆―前編

   それで法然は、唯除のことなんかいうとられん。その師匠の、師匠ったって、目の当たりに会うたんでない、ずっと以前に亡くなった中国の善導大師が、 加減の文から唯除の文を除いてしまっておる。だから法然においても、唯除ということは問題でなかった。それを親鸞が問題にされたというところに、単なる救済教でなしに、 親鸞の信心というのは自覚の信心であると、こういうことがいえるのであろうと、こう思うんですね。

   で、唯除というのは、これは五逆罪を犯すというて、父を殺し、母を殺し、師匠を殺し、仏身より血を出し、和合僧を破る、と。こう云うことを五逆罪と、こういうてあるんですね。 で、この五逆罪というのはね、人間が生きていくために、どうしても犯さずにおれん、そういう罪を五逆罪いうんですね。

   父を殺し、母を殺すというのは、直接手にかけて殺した覚えはないけれども、自分を育てるために、両親がひじょうに苦労する。学校の先生が苦労する。 そういうことで、我々が一人前になるために、両親の身体を弱らせ先生の年齢をとらせる、こういうことが五逆罪のもとになるわけです。私が直接殺すのでなくて、慢性的に殺しておるのでないか。 そういうことを極端にいうと、まあ父母や師匠を殺すということになるんでないかと思う。 それから仏身から血を出すということも、これは私の独自の考え方があって、従来の考え方と違う。仏身というのは、自分の身体から血を出すんやね。で、これ(自身の身体)を仏身と。 これが仏さんかということやけれど、これは自分で作ったものでないのでね。仏さんからお借りしとるんやね。だから、いつかお返しする時がくるんやけれど、お借りしとる。 何のために借りとるんかというと、この身体使って自分も生き、人のためにも働く、ということのためにこの身体を使っておる、お借りしとる。そのお借りしとる身体を、我欲の満足のために痛めつける。 たとえばタバコの飲み過ぎのために肺ガンになる。タバコ飲み過ぎると肺ガンになるかどうかしらんけれとも、肺ガンになるとか、あるいはマージャンで夜ふかしして、睡眠不足のために身体を痛めるとか、 あるいは食べ過ぎて胃潰瘍になる、十二指腸潰瘍になる。そういう病気というものは、我欲の満足を追求したためになるとすると、この仏さんからお借りしている身体より、 仏身より血を出すということになるのでないか、と。

   私はまあ健康だから、お前は仏身より血を出しておらんやろうと、こういわれるかもしらんけど、私はひじょうにそそっかしいので、安全カミソリで顔を剃ると、 よく傷つけて血が出るので、よく散髪屋へ行くと、「これ、どうしなはったんや」と聞かれます。私の持っているのは不安全カミソリで、切れて血が出るんや。それはそそっかしいからなるんやね。 顔に傷がつくということよりも、仏身より血を出すということが問題なんや。だから我々は、仏身から血を出すことばっかりやっとるのでないかと、こういうことですね。

   それから和合僧を破るというのは、平和な教団、教団を攪乱するということやけれども、これは大谷派の問題でなくて、社会を乱すということやね。社会を乱すというのは、 例えば人の悪口をいう。そういうことが社会を撹乱するもとになるんやね。今でも残っているが、今年の正月に「世界が平和でありますように」という、小さな札を各戸に貼ったのがあるんや。 あれを見てね、「世界が平和でありますように」――まことにもっともやけど、あの札を貼った人に私は言いたい。「あんたの家は平和か」と。
   自分の家が平和でないくせに、世界は平和であれ、と。自分の家かて世界の平和の中の一つやろ。で、「あんたの心は平和でありますか」と。こういうことが問題なんやね。

●無相庵のあとがき
   私たちは、自分の力で大きくなったと思いがちです。本当は、自分の力なんて殆ど役に立っていなくて、むしろ、両親に迷惑をかけ、社会に迷惑をかけ、自然を破壊しているにも関わらず、 今、こうして生きていられる存在です。そのことを頭の中では自覚出来ます。自覚出来ますが、生業の中での自分は、社会の恩恵、大自然の働きの恩恵をすっかり忘れて、未だ来ぬ未来を心配したり、 未だ来ぬ不確かな未来に根拠のない夢や希望を抱いてしまいます。そんなご自分を見詰められて、『教行信証』に遺された親鸞聖人の詩が下記の通りでございます。

   『悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の大山(たいせん)に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざることを。恥づべし、 傷むべし。』

    <現代語訳>
「悲しいことですが、愚かな親鸞は、愛情欲望の広海に溺れ沈み、名誉や利得の大きな山道に迷い惑い、信心を得て正定聚の仲間に入ることを喜ばず、真実の証(さとり)に近づくことを楽しまない。 まことに恥ずかしく、傷ましいことです。」

   親鸞聖人のこの詩を読んで思いました。この詩は親鸞聖人の嘆きの詩であると同時に、救われた心境を詠われた詩である、と。「こんな救いがたい自分だからこそ、 救わねばならないということで、阿弥陀仏が本願を立てられたのだ」、と、親鸞聖人は確信されたのだと考えました。ということで、親鸞の浄土真宗は自覚教であり、 また救済教だったのだと思ったことであります。

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No.1651  2017.04.13『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(4)自覚教と救済教―後編

●無相庵のはしがき
   フィギアスケーターの浅田真央さんが引退され、一昨日からテレビ報道は〝真央ちゃん〟一色です。最近の世界大会を見ていて、若い選手、特にロシア選手の演技を見ていて、 「真央ちゃんの時代は終わったんかなぁ」と感じていましたので、私は驚きはしませんでした。ただ、皆さんと同様に、ずっと応援して来ましたので、彼女がトリプルアクセルを跳ぶ直前の〝ドキドキ感〟を、 もう味わえないと思いますと、安堵感もありますが、喪失感もあります。彼女は、引退表明記者会見の中で、「今度生まれて来るとしたら、やはりフィギアスケートをやりたいですか?」と、 質問されて、「別のことをやりたいです」と、はっきり言われていました。普通は、「今度生まれることがあったら、やっぱりまた、フィギアスケートをやりたいです」と答えると思いますが、 やりきった人だからかも知れないなと思いました。
   何かに打ち込んでも、それが中途半端だった人間は、「また、やりたい」と言うのかも知れません。人生の半分をテニスに打ち込んだ私は、「今度生まれたら、 プロスポーツ選手になって活躍したい」と思っていますので、私のテニスは中途半端だったということになるな、と思ったことです。

   一方、「今度生まれても、仏法無しでは生きられない」と思っていますが、これも、中途半端だからかも知れません。浄土往生出来る迄、流転輪廻を繰り返すのでしょうか・・・。

   今日のコラムの前半は、非常に分かり難いと思います。要点は、浄土宗の口称の念仏の〝謂(いわ)れ〟だと、思われます。「念仏を称えて往生出来なかったら、私(阿弥陀仏)は、 正覚を取らない」と言われた阿弥陀仏が、既に浄土におられるから、私たち衆生は、念仏さえ称えたら、往生する事は間違い無いという浄土宗の立場を、米沢英雄先生が説明されています。ですから、 浄土宗は、救済教だということだと思います。  

●『歎異抄ざっくばらん』第二章詳細解説―(4)自覚教と救済教―後編

   そこでまた善導大師にかえるんやけど、善導大師にね、「加減の文」というのがある。
   あの善導大師が十八願を書きかえたんやね。これは曽我量深先生にいわせると、〝復元〟したものやと、こういうふうにいうとられるが、それは十八願をまず読まんといかんけれども、 加減の文では、「若我成仏・・」か、「若し我成仏せんに、十方衆生、わが名号を称えて・・・」「称我名号」、南無阿弥陀仏ととなえて、「下至十声」、十声となえて、「もし生まれずば正覚を取らじ」。 もし浄土に生まれなかったら、この自分は仏にならんと。かの仏――「彼仏今現在成仏」、かの阿弥陀仏は今現に成仏されている、と。当に、・・・「本誓重願」――本願、重願とは重誓偈のことかな。 「重ねて誓うらくは」という重誓偈というのがついているけれども、「当に知るべし、本誓重誓願虚しからず」と。「衆生称念」――衆生が念仏したら「必得往生」――必ず往生を得る、と。 こういうふうに加減の文というて、いいかえられた。

   つまり本願の十八願と本願成就とを結びつけておる、と。彼(か)の阿弥陀仏が現在成仏しておられるから、まあ本願というのは嘘でない。だから衆生が念仏をとなえれば、 必ず往生をとげることができると、こういうふうに本願成就と因願、成就の果と、十八願を因願とすると、それが成就して、因と果とを結びつけておるのが、善導大師の加減の文であると、 こういうことがいえるんやね。

   ここで注目せんならんのは、「称我名号」――これが口称の念仏になるわけ。南無阿弥陀仏と口でとなえる、称我名号。だから浄土宗というのは「称我名号」、口称の念仏ということを、 ひじょうにやかましくいわれる。それに対して、親鸞は、「信心」というのをやかましくいわれる。で、浄土宗では口で念仏をとなえるということをやかましくいうのは、 今の善導大師の加減の文に「称我名号」――わが名号をとなえるとか、衆生が念仏をとなえると必ず往生を得ると、こういうふうに書いてあるところによるのであろうと思うんです。

   ここで注目せんならんのは、四十八願の中の第十八願には、一番おしまいに「唯除の文」というのがついておる。念仏すればみなたすかる、と。しかし五逆罪を犯した者と、 仏法をそしった者だけは、浄土へ入られん、と。ただ除くという「唯除の文」がついておる。ところが善導大師が書きかえられた加減の文には、唯除、これがないんです。

   ところが親鸞は唯除の文をひじょうに重要視しておられて、まあ関東の門徒に与えられたお手紙の中にも、唯除のことを書いておられる。なぜこの唯除の文が大切かと、 こういうことですが、真宗の救い、おたすけ――真宗の救いとかおたすけというのは、どういうものであるかということを明らかにする意味でも、ひじょうに大切なことやと思うんです。

   仏法というのには、自覚教と救済教とある。この自覚教というのは、これは自力聖道門の教えで、修行して、自分は仏になったということを自分で確かめる。自覚を得る。 まあ釈尊が菩提樹の下でさとられた。これがやはり自覚ですから、自分で修行してさとるのを、自覚教という。 それに対して、浄土教というのは、南無阿弥陀仏ととなえればたすかると、こういうのが救済教というもの。ですから救済教になると、ひじょうに楽な、ちゅうんかな、楽なんや。自覚教になると、 たとえば永平寺とか臨済宗の寺とか、そういうところへ入って難行苦行しなければなりませんから、これは自覚教で、容易でない。そこへもってきて、 南無阿弥陀仏ととなえれば極楽世界へ生まれることができるということになると、ひじょうにこれは楽なもんで、やっぱり片手間仏法にはもってこいの教えであると、こういうことがいえるんですね。 それで浄土教というのが、一般的にひじように広まったんであろうと思うんですね。南無阿弥陀仏をとなえると、自力修行した人と同じ効果があるということになると、楽して同じ効果があるなら、 楽な方がいいということになると思うんです。

   ところが親鸞は、親鸞の浄土真宗は、単なる救済教でなくて、真の自覚教であると、こういうことが親鸞の苦労されたところであると思うですね。 単なる「念仏すればたすかる」という救済教でなしに、救済教であると同時に自覚教であると、そういう二つを結びつけられたところに、親鸞の浄土真宗の面目があるんじゃないか。そういう時にまあ、 唯除というのが、「唯除五逆誹謗正法」というのが、自覚――我々が救われたという自覚を得るのに、大きな意味をもってくるのであろうと、こう思う。

●無相庵のあとがき
   一方で、親鸞の浄土真宗は、これまでも度々申し上げておりますが、第十八願に付いている但し書きである『唯除の文』での自覚を大切にするから、真の自覚教であると、 こういうことを、米沢英雄先生は、強調されるわけであります。どういうことでそうなるかに付きまして、三つ前のコラムでご紹介した、 『唯除の文』のカラクリをお読み頂きたいと思います。

なむあみだぶつ


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