No.1689  2017.09.11実感ー思いがけないことは起こるもの

前回のコラムで、行き先は明神池でも、その途中の「一歩一歩を積極的に楽しむ」と云う青山俊董尼の教えでした。それは、途中で何かが起こって、明神池に辿り着けないかも知れないからです。

   私は、9月11日、東京への日帰り出張の予定でした。しかし、家を出発する1時間半前に、先方(大学病院)の、日程調整の不手際(ダブルブッキング)で、ドタキャンになり、 出張取り止めになってしまいました。医師で大学教授でもある人との面談予定でしたが、教授秘書の確認不足で起きたことでした。結局は、21日に面談出来ることになり、且つ、 メールでやり取りをしていた助教授(?)とも会えることになり、却って良い結果になりましたので、当初の目的は果たせそうですし、東京出張が延びたお陰で、開発テーマを進める上で、 とても重要な情報を与えてくれる人との縁も新しく生まれました。

   私たちの日常生活は、一歩一歩というよりも、一日一日の積み重ねで新しい縁に出遇ってゆくものだと思います。その縁には、好ましいと思える縁もあれば、不運と思える縁もあります。 そして、好ましいと思える縁も、不運な縁に変化しますし、またその逆もあります。『縁に依って生じる』は、仏法の基本的な教えです。その教えを拠り所に、一日一日の変化を楽しみつつ、真剣に、 自分が今日出来ることを為してゆくことに尽きるのではないかと思った今週の出来事でした。

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No.1689  2017.09.11青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の④「一歩一歩を積極的に楽しむ」

●無相庵のはしがき
   前回の『幽霊の教え』は、実に私自身の事を言い当てていると思いました。「ただ今を目的に生きようではないか!」というのが、今回の法話内容です。そして、青山俊董尼は、 「目的と方向づけは違います。目的は、今、この一歩。ここに目的をおいて、 一歩一歩に全力投球する。一歩一歩を大事に勤め上げてゆく。この一歩を十分に味わい、楽しんでゆく。そういう歩みをしてさえいれば、どこで終わってもいい。 そんなふうに気づきました。」と説かれています。その通りだと思いますが、日常生活で、どうしょうもない窮地に陥ったとき、果たして、そういう教え通りに心を安定させられるかどうか、少し、 考えさせられましたが、それは、私が未だ未だ仏道修行が足りないからだと思います。

●青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の④「一歩一歩を積極的に楽しむ」
   前後裁断して、今ここをどう生きるのか。過去を背負い込まず、未来を抱き込まず、気に入ったことであろうとなかろうと、姿勢を正して立ち向かってゆこうではないか、 受けて立ってゆこうじゃないか、というのが幽霊の教えであったわけですが、さらに大事なことがあります。それは、一歩一歩を目的にして、積極的に楽しんでゆこうとする姿勢です。

   私が、長らくおりました東京から信州に引き上げた後、東京で教えていたお茶の生徒たちが訪ねてきて、信州の夏を楽しみながら勉強会を開いたことがあります。八月のある一日、 その生徒たちを上高地に連れていってあげたのです。
   上高地の梓川の河原で野点(のだて)を楽しみ、河童橋から明神池までを四十分ほど歩きました。初めての歩きは、一歩一歩が楽しいもので、穂高連峰も歩くほどに景色が変わり、 梓川のきらめきも、澄んでとても美しい。一歩一歩を楽しみながら歩いたのです。

   ところが、一緒に行ったメンバーが明神池に着くことだけを目的として「たいへんだ。遠い。くたびれたね」といって、 先に行って帰ってきたお方がたに「あと何分くらい歩きますか」などと聞きながら、ふうふういって歩いていました。その姿を見て、思ったのです。「ああ、人生の旅もこれだな」と。 明神池へ着くことだけを目的として歩いているのと、一歩一歩を楽しみながら歩いているのでは、だいぶ違ってまいります。

   明神池へ着くことだけを目的に歩いておりますと、途中で何かが起きて引き返さねばならないことがあれば、全部が無駄になりましょう。そうではない。 どっちを向いて歩いてもいいというわけではないので、明神池へ向かうという方向づけだけはちゃんとしていなければなりませんが、目的と方向づけは違います。目的は、今、この一歩。ここに目的をおいて、 一歩一歩に全力投球する。一歩一歩を大事に勤め上げてゆく。この一歩を十分に味わい、楽しんでゆく。そういう歩みをしてさえいれば、どこで終わってもいい。そんなふうに気づきました。

   一歩一歩に変化していく穂高の峰の景色。川の流れ、足元の高山植物。いろいろと、一つ一つが楽しい。十分これを楽しんでいたら、くたびれもしませんし、遠いとも思いません。 これならいつ終わっても、途中で終わってもいいわけなんです。そのプロセスを大事にする。一歩一歩を大事にする。人生の歩みのうえでも大事なことです。

   今日ただ今を十分に尽くして生きる。「人生」という旅路ならば、どんな景色が出るのかわかりません。病気という景色もあるかもしれません。 いろいろな景色がでましょう。人生の旅路のいかなる景色も十分に楽しませていただきながら、一つ一つを大事に歩いてゆこうじゃないか。その姿勢であるならば、いつ終わってもいいですね。

●無相庵のあとがき
   人生に於いて病気という景色もあります。私は既に二つの成人病と付き合っています。しかし、癌のような、あと数ヶ月の命という告知をされているわけではありません。私がもし、 数ヶ月先の命と告知された場合、果たして一日一日を大事に生きていくことを目的として生きて行けるだろうかと考えてしまいました。また、会社を経営していますと、倒産、 自己破産という局面を迎える可能性もあります。現に、私は大きな開発テーマに恵まれていますが、開発資金には恵まれず立ち往生気味です。しかし、今やるべき事、やれる事をやるしかないという思いで、 立ち向かっています。一歩一歩を大事に歩いてゆくしかないと思っています。実際は、そうするしかないのではありますが、「いつ終わってもいい」という安定した気持ちにはなれません。 と言いながら、今日は会社を存続させる為、開発資金調達の為に東京へ日帰り出張致します。その東京への道すがら、周りの景色、或いは、時分自身の心の動きを楽しめるかどうか自信はございません。 日帰り出張の目的達成が出来るかどうかが、やはり気に掛かることでしょう。

なむあみだぶつ

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No.1688  2017.09.04青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の③「幽霊の教え」

●無相庵のはしがき
   本誓寺というお寺のお話をした後に、幽霊というと、有りそうな話だと思われるでしょうけれども、この幽霊は、「心ここにあらず」ということを比喩的に表わした幽霊でございます。 大体、私たちは今を生きていないものですよね。済んでしまったこととか、まだどうなるか分からない先のことに心が飛んでしまっているものではないでしょうか。その状態を〝幽霊〟だと説くのが、 このたびの「幽霊の教え」でございます。

   この法話を読んで成る程と思いましたが、私が最も感銘を受けたのは、この法話を説かれている青山俊董尼が、『「幽霊は、ほかならぬ私だった」と気づかせていただいたのです。 』というお言葉でした。禅門のご講師方なら、普通「幽霊になってはダメです。今を生きなさい」と説法されがちですが、青山俊董尼は、他人事に聞かず、常にご自分を問うておられるのですね、 仏法を発信する私は、特に見習わねばならないと思ったことであります。

●青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の③「幽霊の教え」
   この本誓寺には、千年の歴史があるということで、たくさんの宝物が伝わっています。七月の初めに虫干しをするのですが、その虫干しされた宝物を多くの方に見ていただきながら、 午前午後と聞法の会が開かれます。みなさん、お弁当をもって、とても熱心に聞きにいらっしゃいます。日本にこんな姿で仏法がいきいきと人びとに伝わっているところがあったのだなあと感動いたしました。 本堂を埋め尽くすお方がたが、お弁当をもって、毎日、一生懸命、何はさておいてもという姿で集まっておいでなんです。

   さて、この宝物の中にすさまじい目をした幽霊の絵があり、幽霊にまつわるお話をご住職の松本梶丸先生から聞かせていただきました。

   幽霊には三つの特徴があるのだそうです。

   一つは、おどろ髪を後ろへ長く引いている。
   二つ目は、両手が前に出ている。
   三つ目は、足がない。

   そしてこの三つには、それぞれに意味があるというのです。おどろ髪を後ろへ長く引いているのは、済んでしまってどうにもならないことを、ああするんじゃなかった、 こうすればよかった、といつまでも心に引きずり、心が後ろにばかりに向いていることを表わしているのだそうです。まさに、闇から闇へという姿ですね。  両手が前に出ているのは、来るか来ないかわからない未来のことに対して、ああなってもらわないと困る、こうなってもらわねば困る、と取り越し苦労をする姿。そして、足がないということは、 今ここに両足をちゃんとついて立っていながらも、心が過去や未来に飛んでしまって、大事な今ここを取り逃がしてしまうこと。たとえば、講演会などに行っても、おうちのことを考えたり、 おみやげのことを考えたりして、上の空でしか聞いていない。そのお話と出会っていない。心が常に、今ここから、どこかへ飛んでしまっている。 そういうような姿が足がないという姿で表すんだというのです。

   このお話を聞きまして、「幽霊は、ほかならぬ私だった」と気づかせていただいたのです。
   済んでしまったことや、まだ来ないことにとらわれない。過去を背負い込まず未来を抱き込まないで、前後裁断して今日ただ今に立ち向かいなされ、 と幽霊の姿が教えているというのです。
   このことから、お釈迦さまの教えを思い出しました。

   過ぎ去れるを追うことなかれ
   いまだ来たらざるを念(おも)うことなかれ
   過去 そはすでに捨てられたり
   未来 そはいまだ到らざるなり
   ただ今日 まさになすべきことを 熱心になせ
   たれか明日 死のあることを知らんや

   お釈迦さまのこの言葉は、そのまま幽霊の教えであったと気づかせていただきました。
   この幽霊の絵には、もう一つ面白い話があります。
   すさまじい目をした幽霊の前を、お話を聞きに来たおばあちゃんの一人が行きつ戻りつしながら「うらの嫁の目だ」とつぶやいたというのです。 金沢弁で自分のことを「うら」というそうなので、このおばあちゃんは幽霊の目をうちのお嫁さんの目だといったわけです。

   別の日、別のおばあちゃんが幽霊の絵を見ながら、「うら、あんな目で嫁を見ていたかなあ」とつぶやいたそうです。
   うちのお嫁さんの目だと念(おも)う人と、私はあんな目で嫁を見ていただろうかと念う人、この違いは大きいですね。 あんな目で嫁を見ていたのだろうかといえるおばあちゃんの背景には、長い聞法の歴史があったのではないでしょうか。長く教えを聞かせていただき、教えの光に照らしていただくことで、 わが非に気づかせていただく。凡夫の目は、人の欠点を見ますが、仏さまの目を頂戴することができたとき、わが非に気づかせていただくことが出来ます。ここがとても大事なことのように思えますが、 難しゅうございます。よいお話を聞かせていただくにも、聞き方を一つ間違えると、小言の材料の仕入れになりかねません。

   沢木老師がこんなことをおっしゃったことがございます。ある婦人会にお話に行かれたとき、お話が終わって、会長であるおばあちゃんがおしぼりをもってこられた。 「老師さま、今日はまことに結構なお話をありがとうございました」とここまではよかったのですが、「さぞかし、嫁が耳が痛かったろうと思います」といって帰っていった。 入れ替わりにお嫁さんがお菓子とお茶をもって「老師さま、まことに結構なお話を。さぞかし、お義母さんが耳が痛かったろうと念います」といって帰ったそうです。これではいけませんね。 せっかくのよいお話を聞いている間、「ああ、嫁が耳が痛かろう」「ああ、お義母さんが耳が痛かろう」と互いに小言の材料を仕入れ。それではいけません。私のこととして、聞かせていただく。 私が耳が痛いと、き聞かせていただかないと、意味がありません。難しゅうございます。よいお話を聞くにも、聞く姿勢を一つ間違えると、こういうことになりかねないわけです。

   いずれにしましても、幽霊の姿が示す教えのすばらしさを、私どもはしっかりといただかなければならないと思うのです。

●無相庵のあとがき
   私には三人の姉がいます、否、居ました。長女(存命なら、83歳)は、9年前に死去。次女(81歳)は、垂水見真会の主宰者として、 1987年9月5日から、2007年11月8日までの20年間、197回の講演会を開いてくれました。講師の先生との出講交渉など、大変だったと思います。しっかり者の姉でしたが、数年前から、 癌と認知症で、今は、終末医療を受けております。もう、私たち兄弟がお見舞いに行きましても、殆ど反応はございません。先週の土曜日、兄夫婦とお見舞いに行きましたが、やはり、反応は無かったです。 「何を考えているのかな?」という気もしましたが、思考力がないから、ベッドで寝たきりで、食事も取らず、点滴で栄養を与えられる生活に悩む事無く生きておられるのだろうなと思ったことです。 嫁と姑のいさかいとか、人間関係に悩むとか、色々と苦悩を持つということは、人間として生きられている証拠なんだろうと、思ったことです。

なむあみだぶつ

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No.1687  2017.08.31青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の③「石川県本誓寺の歴史と親鸞」

●無相庵のはしがき
   これからの法話の題名は、『幽霊の教え』なのですが、法話の始まりの内容に幽霊の話が出てまいりません。話の中心は、幽霊の絵を所蔵している、 石川県松任市の浄土真宗のお寺である本誓寺(ほんせいじ)さんと親鸞聖人との歴史上の関わりでありますので、私が勝手に『石川県本誓寺の歴史と親鸞』とさせていただきました。

   親鸞聖人は、1207年(35歳)に、越後に流罪となり、京都から越後(現在の新潟県上越市)まで北陸路を歩かれてたものと思われます。直線で約300㎞です。 おそらく一週間位は歩かれたでしょう。途中、中間地点辺りの石川県松任市近くの手取川が氾濫したために、近くに在ったお寺の本誓寺にご厄介になられたものと思われます。 流罪人として立ち寄られたのですから、出で立ちは、乞食同然だったはずです。それでも、その人柄に惚れ込まれて、天台宗から浄土真宗に宗派替えをされたのですから、 曹洞宗の青山俊董尼が仰せのように、実に感動ものでございます。

●青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の③「石川県本誓寺の歴史と親鸞」
    「今日ただ今を」ということに関してもう一つ、最近私が感動したお話があります。
   石川県松任市に本誓寺という浄土真宗のお寺がございます。そこへときどき、ご縁をいただいてお話にまいります。このお寺は千年の歴史をもつそうです。
   ご存知のように、浄土真宗は親鸞さまがご開祖ですが、これは鎌倉仏教で、七、八百年前のことです。千年の歴史をもつお寺ということは、もう一時代さかのぼって、 平安朝になりますので、天台宗か真言宗、高野山か比叡山ということになります。この平安朝仏教でなければ千年にならないので、このお寺はもとは天台宗か真言宗であったことになりますね。 そこで、「ご当山、お古いんですね。もとは天台か真言でいらっしゃったのですか」とお聞きしたことがございます。
   するともとは天台宗の名刹であったというお話でした。鎌倉時代に親鸞聖人が越後に流される途中、川が氾濫をして、足止めされ、このお寺にしばらく滞在されたのだそうです。 その流罪人である親鸞聖人のお人柄に惚れ込んで、名だたる天台宗のお寺が、浄土真宗に変ったというのです。すごいお話ですね、感動いたしました。

   一般的にいいますと、流罪人は歓迎したくない客です。流された人にとっても流罪地はよいところではないでしょう。しかし、親鸞さまのようなすばらしいお方になりますと、 その方のおられるところ、赴(おもむ)かれるところがどこでもお浄土になる、そんな気がいたしました。流され人である親鸞さまがしばらく滞在されただけで、そのお人柄に惚れ込んで天台宗から浄土真宗に変った。 いいですね。このお話から、お釈迦さまの「法句経」の一句を思い出しました。

   村の中に
   森の中に
   はた海に
   はた陸(おか)に
   阿羅漢(こころあるもの)
   住みとどまらんに
   なべてみな楽土なり

   「なべてみな楽土なり」、嫌なところはどこもなく、どこもよいところ。心ある方のいるところが全部お浄土になるのです。ということは言葉を換えると、 「心ない者ゆくところ、なべてみな地獄なり」ということになりかねません。地獄も、極楽も、向こうにあるのではない、自分がつくりなしていく世界だったのだと、気づかせてもらったことでございます。

●無相庵のあとがき
   世界は一つのように思っていますが、私たち人間は一人一人、それぞれ異なった世界を持っていると、唯識も、仏法も考えます。それぞれの知識が異なるわけですし、生まれも、 育ちも異なるのですから、極当たり前の考え方だと私は思っています。親鸞聖人の思い込んでいた世界と、今の私の世界とは、宇宙の成り立ちや、歴史、星座に関する知識が大きく異なりますので、 全く別世界だと思われます。昔、井上善右衛門先生が、犬の見ている世界と、人間の自分の世界とは、全く別物だろうと仰った事を思い出します。

   世界をお浄土と思えるのも、地獄とも思うのも、その人の人間力、人柄に依るということは、大切な教えだと思います。

なむあみだぶつ

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No.1686  2017.08.28青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の②「今日(こんにち)ただ今をどう生きるか」

●無相庵のはしがき
   私のように年老いても現役を引退出来ずに仕事を持っていますと、私生活とは別に思うようにならないことが多いものです。まあ思うように成らないことばかりと言ってもいいと思います。 私は今、特許技術を他社に提供し、その見返りとして『ロイヤリティー』という名のお金を貰うのですが、こちらの希望する金額をすんなり出してくれる相手にはなかなかめぐり会えません。 何年もかかって開発した技術ですし、特許権を維持するために、毎年特許庁に年金を支払っていますから、4件の特許権を維持するには、それなりのお金がかかっていますので、 会社の儲けが我が家の生活に直接影響する零細企業の社長としては、安い金額で妥協する訳にもいかず、自分の煩悩と現実とのギャップに、なかなか心安らかな日々ではありません。 仏教徒としては、「何事も縁に任せて心穏やかに日々を送らねばならない」とは考えますが、正直なところそういう落ち着きどころには至っておりません。

   今回の青山俊董尼の法話の最後に、『朝から晩までの、平凡だと思っている一つ一つのできごとを、心を込めて勤めさせてもらう。今が本番、 これが最後という姿勢で今日ただ今を勤めさせていただく、これよりほかに、人生を大事にする生き方はないのですね。』とありますが、結果をあれこれ考えずに、 「今日ただ今を勤めさせていただく」ために極めて示唆に富んだ、青山俊董尼の名も登場していた法話の言葉を思い出しました。それは『アトリエちぎ便り』と云うブログに見つけた下記の一節です。

   『太田久紀先生は、「仏教は因果論というが、我々が発言権を持っているのは因だけで、果には発言権は無い」と言われる。愛知専門尼僧堂長の青山俊菫さんはそれを、 「一歩足を前に出せば(因)自然に体も前に出る。だから足を一歩前に出すことだけ考えればよい」と、言われている。』

   私はこれまでも、「ただ、今できる限りのことをするしかない」と言い聞かせて、何回かの苦難を乗り越えては来ましたが、その背景に、仏教の因縁果の道理があったことに、 今更の如く、納得出来た次第です。「私たちに発言権があるのは、因だけで、無数の縁に発言権が無いのですから、結果に発言権が有るはずがない」と云う理屈に頭を下げるしかありませんでした。

   それを間接的に表現しているのが、無相庵カレンダーの26日の良寛禅師のお言葉、『災難に逢ふ時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、 是はこれ災難をのがるる妙法にて候』ですし、また3日の甲斐和里子女史の『岩もあり、木の根もあれど、さらさらと、たださらさらと、水の流るる』も、縁のままにと云うことを示唆されているのですね。  

●青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の②「今日ただ今をどう生きるか」
   今ここをどう生きるかということで、思い出すお話があります。

   私がたいへん尊敬申し上げておりましたお方で、教育の世界に生涯をおかけになった東井義雄という先生がおられました。先生のお友だちで、 やはり校長先生をしておいでのO(おー)先生から、ある日、『燼(もえさし)』という題の文集が送られてきたというのです。おかしな題名の文集を出されたものだと開いてみたら、 次のようなことが書かれてあったそうです。

   「今日、私は五十六歳の誕生日を迎えた。平均寿命は七十歳というけれど、私はそこまで生きられるだろうか」この文集が書かれた当時は、平均寿命が七十歳といわれていました。 そこでO先生は、七十歳を一日二十四時間にあてはめてご自分の年齢を計算してみると、五十六歳は午後七時十二分にあたる。O先生はハッとして、私のいのちはもう燼(もえさし)みたいなもので、 あとわずかしか残っていないと思われた。そこで、その燼(もえさし)を大事にするために文集をお書きになったというのです。

   東井先生は、O先生より少しお若いのですが、「じゃあ私は何時になるのかな」と計算してみたら、ちょうど午後七時。「私も燼だ」とお思いになったそうです。それからは、 この燼をどう生きればよいのかとお考えになり、それらしき本を読んだり、お話を聞きに行ったりして、最後に出会ったのが、大島みち子さんの書いた『若きいのちの日記』だとおっしゃいました。

   大島さんは顔の軟骨が腐る病気になり、いったんは治って大学へ進んだのですが、病気が再発し、二十一歳の若さで一生を閉じなければなりませんでした。 その大島みち子さんの最後の記録である『若きいのちの日記』の詩の一節が東井先生に燼の生きざまを教えてくれたとおっしゃるのです。

   その詩は「病院の外に、健康な日を三日ください」という書き出しです。一週間、十日とは欲張らないで、三日でいいから健康な日がいただけたら、というのです。詩は続きます。 「一日目、私は飛んで故郷に帰りましょう。そして、おじいちゃんの肩を叩いてあげて、母と台所に立ちましょう。父に熱燗を一本つけて、妹たちと楽しい食卓を囲みましょう」。
   これが第一日目の願いなんです。遊びたいなんていわない、まことに慎(つつ)ましい願いです。実際には、その一日さえ許されることはなかったのですが、もし、 一日でも健康な日が許されたら、大島みち子さんは、どんな思いで故郷へ飛んで帰ったことでしょう。おじいさんに、今生(こんじょう)最後の肩叩きを精一杯の思いでしてあげたことでしょうね。 お母さんと心を込めてお料理をつくり、お父さんへの今生最後のお酒のお燗、お燗もなかなか難しいものです。ちょうどいい塩梅(あんばい)のお燗にして、お父さんに勧めたことでしょう。 そして、今生最後の家族との食卓を囲み、明るい笑顔で楽しい食卓づくりをしたことでしょう。
   そんなふうに思いながら、この詩を読ませていただいて、フッと思ったのです。〝今日ただ今のみの〟いのちを生きるということは、別に大島みち子さんのことだけではないのだ、 いのちをいただいているものすべてのことなんだ。東井先生は「生きているということは、死ぬいのちを抱えていることだ」とおっしゃっていましたが、そういうことなんですね。一刻後のいのちは、 誰も保証されていません。まして、明日のいのちを保証されているわけでもありません。危なげながらも、どうやら間違いなくいのちをいただいているのは今だけです。それがいのちの偽りのない姿なんです。 その姿に目覚めたら、いのちあるものすべてが、〝今日ただ今のみの〟いのちを生きていることに気がつきます。

   そう考えましたら、今日、食事をつくることも、今生最後の食事づくりになるかもしれません。そう思えば一生懸命、心を込めてつくることができましょうし、あるいは、 だんなさまにしても、家内(妻)の食事を食べるのはこれが最後かもしれないと思ったら、一生懸命、味わいながらいただくこともできるでしょう。
   〝今日ただ今のみの〟いのち。一つ一つが、最後。そういう思いで勤めさせてもらうことができれば、人生は少し変ってくるのではないでしょうか。

   東井先生は、「燼を大事に生きるということは、何も特別なことをすることではなかった」とおっしゃっていました。 私どもは生きがいを感ずるということを何か特別のことをしなくてはならないように呆けてしまっております。しかし、人生で特別なことをして過ごすのはほんのわずかな時間で、 平凡な当たり前の繰り返しのほうが非常に多いものです。
   「当たり前だと思って見捨てていたことを、一つ一つ大事に勤めるよりほかに、燼を大事に生きる生き方はないと気づかせてもらった」。 そして、先生が結論として得た生きざまは「今が本番、今日が本番、今年こそが本番」ということ。明日がある、あさってがあると思っていてはいけない、肝心なのは今なのだという結論に達せられたのです。

   朝から晩までの、平凡だと思っている一つ一つのできごとを、心を込めて勤めさせてもらう。今が本番、これが最後という姿勢で今日ただ今を勤めさせていただく、 これよりほかに、人生を大事にする生き方はないのですね。

●無相庵のあとがき
   私は今年の3月8日に満72歳になりました、O(おー)先生流の計算をしますと、私の年齢は、何時になるか、 計算してみますと午後9時36分のようです(2017年3月1日厚生労働省が公表した資料によると、日本人の平均寿命は男性81歳、女性は87歳)。正真正銘立派な燼(もえさし)です。 ただ私の場合は、やり残したことが山ほどあり、妻子と孫の為にも、燼だという認識を持てる状況にはございません。

   お金は大事です。この人生は、「お金が無いと首が無いとの同じだ」と表現する人も居ます。その言葉を私は一概に否定は出来ません。しかし一方で、 「人生はお金だけで解決出来るものではない」と言われる方も同じ位に居られるように思われます。どちらも、それぞれの現実を語られていると私は思います。 私自身はどちらの立場も経験致しましたが、結論として、他の人との縁なくして、私の72年間に及ぶ人生は無かったと思わざるを得ません。これからの老後と言われる人生、 燼でない人生にすへく、結果として自分の思う通りにならなくとも、人との縁を求めて、歩み続けたいと思っている次第であります。、

なむあみだぶつ

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No.1685  2017.08.21青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の①「今日(こんにち)ただ今をどう生きるか」

●無相庵のはしがき
   今回から、青山俊董尼の法話の紹介をスタート致します。米沢英雄先生の法話とは全く趣が変ると感じられるものと思います。浄土門(浄土真宗)と、 禅門(曹洞宗)の違いというよりも、在家(米沢英雄先生)と出家(青山俊董尼)の違いなのかも知れません。一般の方々には、青山俊董尼の法話の方が、 取っ付き易いのではないかと思いますが、いずれにしましても、聞き手の私たちが、法話から学んだ事を日常生活に生かさなければ、勿体ないことだと思います。
   私たちの人生には、闇の中といえる時と、光の中といえる時がありますが、今回のお教えにある、「今日ただ今をどう生きるか」と、 人生の主人公である私が変ることに依って、闇を光に変えられるのだという力強いメッセージを忘れないで生きて行かねばならないと、闇の中にある私は思いました。  

●青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の①「今日(こんにち)ただ今をどう生きるか」
   手のつかぬ 月日ゆたかや はつごよみ

   という句があります。これは、大正、昭和にかけて、菊池寛と並び賞されたといわれる、女流作家の吉屋信子さんの句だと聞き伝えております。

   一日二十四時間、一年三百六十五日、手つかずの暦を手にして、その上にいろいろな可能性を描いてみる。どなたにとっても、心豊かなひとときでございますね。
   考えてみますに、一人の人に、一日二十四時間、一年三百六十五日という時間という財産を頂戴しております。財産はものばかりではありません。時間も大事な財産です。 その時間という財産を、すべての方がまったく平等に頂戴しています。

   しかし、その財産を、たとえば一日二十四時間を、二日分や三日分ぐらいにも豊かな中身に生きる人と、一時間や二時間ほどの貧しい中身にしか生きない人がいます。 あるいは、その月日を光で埋めてゆくのか、闇で埋めてゆくのかで、その方の人生は、ずいぶん変ってゆくような気がいたします。

   お釈迦様がある日、コーサラ国のパセーナディ王という方に、こんなことをお話されました。「世の中には、闇から闇へ行く人と、闇から光りへ行く人と、光から闇へ行く人と、 光から光りへ行く人の四種類の人がある」と。
   人生には、光という言葉で象徴できるような、喜びとか幸せに満ちた人生と、闇という言葉でしか表現できないような、悲しみや痛み、つらいことの多い人生とがあります。

   たとえば、三とか五というような小さなことであっても、それにこだわり続け、引きずることで、百にも二百にも大きくしてしまう。 白隠禅師の言葉に「三合五勺の病気に八石五斗の気の病」というのがあります。病気そのものは三合五勺なんだけれども、それにこだわり続けて、こうなったらどうしょうと心を病んでしまう。 そして、食べるものも食べられなくなってしまうような形で病気をふくらませてしまい、八石五斗の気の病となってしまう。そういうようなあり方、闇をいつまでも引きずって、 闇をどんどんふくらませてしまう人生を、闇から闇へというのではないでしょうか。

   逆に、その闇を転じて肥料にして、花を咲かせることができるような生き方、これを闇から光へというのでしょう。そして、光ともいえることを闇に変えてしまう人がいる。 あるいは、光をどんどんふくらませてゆかれる人もいる。そういう四種類があるというお話をされたのです。このことから、二つのことを学んでおきたいと思います。

   一つは、授かりとしか思えないような、動かしようもないと思えるようなことも諦めてはいけない、変えることができるんだぞ、ということ。ただし、 闇から光へ変えることもできるかわりに、光を闇に変えてしまうことがあります。変えるということには両方があるのですから、心せねばなりません。でも、変えることができるというのはうれしいですね。 自分の人生を、光のある方向へと変えてゆくことができます。

   もう一つ学んでおきたいことは、私の人生を変えるのは、主人公の「私」でしかないということです。それも昨日でも明日でもなく、 今日ただ今をどう生きるかにかかっているということです。それによって、闇を光にもすれば、光を闇にもしてしまいます。

   今ここをどう生きるかということで、思い出すお話があります。

●無相庵のあとがき
   「今ここをどう生きるかということで、思い出すお話があります。」の続きが、次回の青山俊董尼『天地いっぱいに生かされて』第一巻の②「今日ただ今をどう生きるか」となりますが、 次回コラムは、都合によりまして、来週の月曜日とさせて頂きます。ご了承の程をお願い致します。

   私は今闇の中に居ると思っていますが、小さな光が数個、私の身の回りに見えています。それらは、これまでに構築した人間関係であり、築いてきた科学技術なのですが、 その小さな光が大きな光になるかどうかは、縁に依る部分もありますが、縁をただ座して待つのではなく、出来得る限り、精一杯の努力が必要なのだと考えております。

なむあみだぶつ

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No.1684  2017.08.10『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(5)私の縁側仏法

●無相庵のはしがき
   甲子園の夏の熱戦も始まり、今年も早お盆を迎えます。長期のお盆休みをとられる方も多いかと存じます。我が家は、明日からチェコの友人一家(3名)と、 私たちの子(2名)と孫(4名)が、一夜泊まりで集います。これが我が家の恒例のお盆行事です。で、無相庵も、しばらくお盆休みとさせて頂き、次回のコラムは、 8月21日(月)とさせて頂きます。

   さて今回を以ちまして『歎異抄ざっくばらん』詳細解説を終えることと致します。『南無阿弥陀仏』を中心にした法話から『真理』、『縁起』を中心にした、曹洞宗、 青山俊董尼のご法話に切り替えます。
   『南無阿弥陀仏』も本来は、『真理』『縁起』に従って生きて行こうと表明する言葉であります。今回のコラムに24回の『南無阿弥陀仏』という言葉が出てきますが、 米沢先生は、末尾で、「今までのお寺さんは、南無阿弥陀仏を殺してきたんでないかと思う。」と仰っています。その嘆きから米沢先生は、『歎異抄ざっくばらん』のご著書を残されたのだと、 私は思っております。

   青山俊董尼は、米沢英雄先生をとても尊敬されており、これからご紹介する法話の中にも、度々米沢先生のお話が出て参りますから、 青山俊董尼は南無阿弥陀仏をお称えにはなりませんが、南無阿弥陀仏の心を持たれていると思います。無相庵のあとがきで、これから何回かにわたってご紹介する、 法話の題名一覧をお示ししております。皆さまとご一緒に、青山俊董尼の説かれる『真理』と『縁起』のお話をお聞き致したいと思います。  

●『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(5)私の縁側仏法
   聞法というのは、その一切の存在の中から聞いていくのが、聞法というものであろうと思います。ある特定の人の話を聞かなければ、聞法にならんというような、 浄土真宗の南無阿弥陀仏というのは、そんな狭いもんでなかろうと思う。かえって、人間が狭くしとるので、広い南無阿弥陀仏、広大無辺な南無阿弥陀仏を、 人間のけちくさい根性で狭くしておるのでないかとさえ、私は思います。皆、南無阿弥陀仏の中の出来事であるということです。

   しかし、南無阿弥陀仏の中の出来事であるというて、甘えているわけにいかん。というのは、法を伝えるという立場になると、甘えていることは出来んのであろうと思います。 皆、南無阿弥陀仏の中やからというて、裸になって大の字に、ふんぞり返っているわけにはいかんのであろうと思う。そういう尊い法を伝えるという立場になりますと、皆が南無阿弥陀仏の中におるのやから、 私がいろいろの人から来た手紙を、引っ張り出してきては紹介をしますが、それは南無阿弥陀仏が生きてるんだということを、私も確認し、皆さんにも確認してもらいたいためです。 こういう手紙を下さる方は、私にとって大変有り難いので、そういうことで私もいろいろ考えることができます。

   で、南無阿弥陀仏を確かめていくことができる。南無阿弥陀仏というのは一生涯かかって、確かめ確かめして生きていくべき教えであると私は思うのです。 私の考えなんかとるに足らんもんでしょうけれども、とるに足らん私が、生命があって生きとるということが、これは南無阿弥陀仏が生きてる証拠やと思う。そういう南無阿弥陀仏に感動しますと、 その生きた南無阿弥陀仏をお伝えしたい。講義に書かれてあるとか、そんなものは死んだ南無阿弥陀仏や。南無阿弥陀仏は生きとるんや。私が生きとるところに、南無阿弥陀仏は生きとる。 一切が南無阿弥陀仏して生きとるということが一番大事なことで、生きた南無阿弥陀仏でないというと、生きてる我々には何の足しにもならんのでないか、こう思うんですね。

   私は今お寺で話しさせられておりますけれども、私の話は縁側仏法やということを、かねがねいうとる。縁側に腰かけながら、現実の問題を仏法に聞くという立場、 そういう立場でありたいと思う。だから、私の話は、いわゆるお聖教(おしょうぎょう)の講義ではないのや。生きた問題をとりあげて仏法に聞く。仏法はどう答えるか。 生きた問題を例に引いて、この生きた問題を仏法がどう答えるか、そういう仏法の答えを私が聞きたいと思い、また皆さんにも生きた問題を仏法に聞いていただきたいと思う。 仏法というものを死なしてはいかんと。仏法に生命を打ち込むのは、我々の責任ではないかと思うんですね。死んだ南無阿弥陀仏がいくら流行しても何にもならんと思う。

   私も、お通夜とか葬式に行った時の南無阿弥陀仏は生きておらん南無阿弥陀仏であると思う。我々はなま身をもって生きてるんや。なま身をもって生きとる者には、 生きてる南無阿弥陀仏でないと間に合わんのでないかと思うんです。だから今までのお寺さんは、南無阿弥陀仏を殺してきたんでないかと思う。だから生きた南無阿弥陀仏を伝えるということが、 仏法を伝える人の責任というものでないかと思うんです。

   いろんな事例を紹介しますけれど、こういうことを決して軽んじていただきたくはない。皆、真剣に悩んどるのや。真剣に悩んどるものに、真剣に答えられなければ、 そういう南無阿弥陀仏は、死んだ南無阿弥陀仏になるであろうと思うんです。

●無相庵のあとがき
   天地いっぱいに生かされて【青山俊董】

第一巻:今ここをどう生きる          第七巻:投げられたところで起きる
第二巻:宗教とは天地悠久の真理        第八巻:親の生きる姿勢
第三巻:釈尊の見つけ出された真理       第九巻:いつもほほえみをー無財の七施
第四巻:生かされて生かして生きる       第十巻:愛のことばをー無財の七施
第五巻:仏の生命を生死する          第十一巻:苦しみが私を救う
第六巻:正師を得ざれば学ばざるにしかず   第十二巻:照らされ導かれ

なむあみだぶつ 

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No.1683  2017.08.07『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(4)宇宙中が念仏

●無相庵のはしがき
   表題の『宇宙中が念仏』の念仏は、『南無阿弥陀仏』のことですが、勿論、お墓の前で称える念仏ではございません。米沢先生の表現で申しますと、自力無効の南無阿弥陀仏のことです。 米沢先生が、この『歎異抄ざっくばらん』で語っておられることは、人生を考える上で、とても大切な視点であります。また、真理を語っておられるとも思いますが、それを念仏に集約してしまうことが、 現代社会に於いて適切かどうかに付きましては、念仏に手垢がついてしまっていることを考えますと、見直す必要があると私は考えるようになっております。

   私たちが、イスラム教という言葉を聞きますと、「自爆テロ」や、「神は偉大なり」とかのマスナスイメージしか浮かんできません。イスラム教の本当の教えは、 そんなものではないと思いますが、念仏も、同じような受け取り方しかして貰えないようになったのは、念仏を生活の糧として利用しただけで、 本当の教えを説いて来なかったお寺さんの歴史がそうさせたのだと思います。
   このマイナスイメージを払拭するのは容易なことではないと思います。

●『『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(4)宇宙中が念仏―前編
   ご承知のように、親鸞は晩年に「虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし」というてるが、ああいうことは親鸞なればこそいえるので、ああいうものを人間は皆、 内心にもっておって、それを見ようとしないし、人に見せようとしない、そういうところがあるんだろうと思うんですが、ああいうところを直視した、それを人の前に公開した。公開したというても、 『和讃』に書き残しただけですけど、ああいう勇気、あれが真の勇気というものであろうと思うんです。皆、格好よく見せたい。従来出てきた名僧知識というのは、皆、格好よく見せた人ばかりであると、 こう思うんですね。

   法然と親鸞との違い。法然というのは確かに偉い。偉いというのは、菩提心を否定して、念仏を立てたというところで、念仏というのは、人間の到達できる一番のどん底ですか、 そういうところを法然がちゃんと探し当てたという点で、法然はすばらしい存在であると思いますけれども、法然は口称の念仏に終わってしまった。口で南無阿弥陀仏、ととなえることに終わってしまった。 そこを突き抜けて親鸞が、信心というところまで、いったということが、ひじょうにすばらしいと思うんですね。

   南無阿弥陀仏というのは、私にいわせてもらうと、一切が南無阿弥陀仏ひとつと、こう思う。南無阿弥陀仏というのは、清沢満之の言葉を使うと、自力無効というか、 自分の力は及ばんということで、自力無効。そういうことになると、我々が腹が立つということひとつでも自力無効で、腹が立つということが、自分が南無阿弥陀仏していることだと、こう思うんですね。 虚勢を張っている人が、奥さんや子どもを怒るというとったが、弱いくせに虚勢を張ってると、こういうたら、虚勢を張るところに人間の愚かさというのがあるし、 腹が立つことひとつ自分でおさえることができない。そういう者が生意気な顔して偉そうに虚勢を張ってる、というところに、先にいうた龍樹の寧弱怯劣(にょうにゃくこうれつ. 根機、 素質能力の劣った弱々しい者)というのが暴露している。寧弱怯劣の者のために念仏があると、龍樹がいうけれども、寧弱怯劣というのが人間の現実の姿であるということ、 その寧弱怯劣をあるがままに表現したのが、親鸞という人であろうと私は思います。

   それで、一切が念仏しとる。これは大したことだと思うんですよ。それで大行といわれるんだ。我々が念仏となえるなんてことは、大行でないわけや。我々の念仏というのは〝後なで〟やと。 子どもの時に小学校で、習字の稽古する時に、先生がお手本を書いて下さる。我々はその〝後なで〟をする。我々が念仏となえるというのは、〝後なで〟にすぎんと思う。この宇宙中のものの在り方が、 皆、念仏しておる。というのは、松は松の宿業を引き受けて生き抜いておるのが、松の南無阿弥陀仏。みみずがみみずの宿業を引き受けて地面にもぐっておるのが、みみずの南無阿弥陀仏。 一切のものが南無阿弥陀仏してる。これは教学を聞くことだけが聞法でなくて、一切の日常生活の中で、一切のものから南無阿弥陀仏を教わっていくのが聞法であると思うんですね。

   日常生活に生きてはたらく南無阿弥陀仏でなければ、私は何にもならんと思うんですね。この机からでも、南無阿弥陀仏を学ぶことができると思う。机はそこに置かれたまんまにおって、 これが移されるまで、ここで南無阿弥陀仏しておるのでないかと思うんです。ですから、一切のものは南無阿弥陀仏しておる。南無阿弥陀仏で一切のものが解決しておるのでないか。 迷いとか悩みというのは南無阿弥陀仏の中でもがいておるので無いかと思うんです。そういうことに気がつくということが、我々にとって一番大切なことであろうと思う。南無阿弥陀仏の中でもがいておる。 皆、南無阿弥陀仏の中でもがいて、愚痴をこぼしておる。事実そのものが南無阿弥陀仏しておるにもかかわらず、それを受けることができないで、愚痴をこぼしたり、 もがいたりしておるのでないかと思うんです。

   宇宙中が南無阿弥陀仏してる。これはひじょうにすばらしいことでないかと思うんです。だから私は南無阿弥陀仏というのは、浄土真宗とか浄土宗とか、 そういうけちくさい宗派の問題でないと思うんや。一切のものが南無阿弥陀仏してるということになると、これは大したことで、これ以上のものがないんじゃないかと思うんですね。 それを言葉で表わすと、南無阿弥陀仏になるんだということで、親鸞はそこまで見きわめた人ではないかと思う。だから親鸞には、宗派を立てるような意思なんか、ひとつもなかったと思う。 現に、浄土真宗の開山は法然上人であるといってるのは、法然上人を奉っていうてるのでなくて、法然上人が、よくぞ南無阿弥陀仏だけだということを見抜いて下さったという感謝の心から、 法然上人を浄土真宗の開山だとこういわれたんだと思うんです。

   宗派を立てるつもりは、おそらく親鸞にはなかったと思います。それよりも、物の在り方、そういうことを親鸞は知りたかったんだろうと思う。物の在り方ということになると、 みんな南無阿弥陀仏しとるということが物の在り方であろうと思う。

   私は男に生まれた。女に生まれた人もある。これは自分でえらんで生まれたんでない。これを宿業といいますけれども、その現実の在り方が、みな南無阿弥陀仏しとる証拠である。 南無阿弥陀仏の中でもがいたり、愚痴をいったりしてるのが、我々でないかと思うんですね。

●無相庵のあとがき
   極最近、法話コーナーで多くの法話をご紹介させて頂いている、青山 俊董尼(あおやま しゅんどうに、昭和8年(1933年)1月15日 - )師のCD法話集を久し振りに拝聴致しました。 曹洞宗の尼僧さんですから、勿論念仏のお話は出て来ません。しかし、お釈迦さんの説かれた、仏教の根本教義、「縁に依って起こる」という『縁起の道理』を中心に説かれています。

   この縁に依って起こるということは、「物事には、原因と結果がある」と申しますか、その因が縁に依って果が異なって生じるという『因縁果の道理』を説くのが、 お釈迦様の仏法ですが、その道理の中で生きている本来の自分自身を自覚して称えるのが本来の念仏なのです。青山 俊董尼のお話を久し振りにお聞きして、念仏の原点に還らせて頂いた思いが致しました。

なむあみだぶつ 

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No.1682  2017.08.03『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(3)比丘から菩薩へ

●無相庵のはしがき
   今回の『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(3)比丘から菩薩へ、には、多くの仏教専門用語が出てきておりまして、難解だと思います。『願生心』、『欲生心』、 『五念門』は、その最たる言葉です。私も難解で、インターネット検索して、勉強させて頂きましたが、今回の詳細解説で、私が最も重要だと思いましたのは、 末尾の「どんな苦労の中に自分がおっても、我が行は精進にして、忍んでついに悔いじ」でした。  

●『『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(3)比丘から菩薩へ
   だから親鸞の眼(まなこ)は、慧眼という言葉があるけど、なかなか抜け目のない人やと思うんですね。抜け目のない人というのは、軽蔑したのではなく、大変尊敬した言葉です。 それで法然上人は、なぜ口称の念仏だけに終始したかというと、唯除の文に気づかなかった。つまり、善導大師の加減の文を後生大事にふりかざしておったから、唯除の文を見落としてしまった。 法然が見落とした唯除の文に注目したところに、親鸞の存在があると私は思うんですね。

   先月、ここで安田理深先生の『願生偈』の偈頌文の講義があったらしいですけど、その筆録を私は見せてもらいました。その中に、欲生心と願生心のことが出てました。これは、 欲生心というのは、我が国に生まれんと欲(おも)えという、阿弥陀仏からの命令の形になってる。欲生心というのは、無自覚な願生心である。阿弥陀仏の浄土へ生まれるまでは、人間は満足出来んように、 人間の根本構造が作られているということなんです。この欲生心というのは、無自覚な願生心。願生心というのは、自覚した欲生心であると私は思う。

   欲生心というのは法蔵菩薩でいうと、法蔵比丘。この法蔵比丘を従来真宗では重きをおいておらんのや。これは真宗の教化の失敗やと思う。欲生心というのはひじょうに大事。 法蔵比丘が欲生心。法蔵比丘が浄土を求めて遍歴していって、南無阿弥陀仏して浄土に生まれることができた。安田先生もいうてられる。五念門が大事や、と。五念門を入る時は、 善男子善女人で五念門をくぐるのや。五念門の門というのは、浄土に生まれる門や。浄土に生まれる門は穢土にある。これは間違いない。安田先生がいわれた。五念門に入る時は善男子善女人で入る。 これが法蔵比丘です。

   これが出てくる時は菩薩となって出てくると安田先生はいうとる。菩薩になって出てくるということは、法蔵菩薩となって出てくるということだと思う。法蔵菩薩は架空の人物でなくて、 我々のことである。我々が浄土を求めていく時には、我々が法蔵比丘となるのや。それから浄土から出てきて、娑婆の生活をするのを、法蔵菩薩というのだと私は思うんや。

   愛知県のKさんが本願の念仏を伝えたお婆さんは、毛織物をやってるんやけど、Kさんを助けるために、Kさんの恩に報いるために、婦人服地を織らせるわけや。 ところが紳士服と婦人服を比べると、婦人服の方が、工賃が安いんやと。それで余計はたらかねばならんが、銀行の借金の支払いや生活費入れると、月に三十万要る、と。もう六十近い女の人で、 はたらいて三十万円かせぐというのは容易ではないが、今の仕事がやめられんのや。そのために朝早くから夜遅くまで、寝る間も惜しんではたらいて、やっとそれだけ稼ぎ出しておるのやね。

   ところがひじょうに偉いと思うんや。それが、「娑婆の願い、自分の願い、一切の要求、一切の願いがすたりました。もったいないことで、念仏の中で、 生死していけるというかたじけなさ。ただただ頭が下がります。そらごと、たわごと、まことあるなき娑婆に、自分自身をもって生きていける、おそれ多いことであります。 私というものは苦労が育ててくれます。現実にそむくことなく、生かされて生きている」という心境になっている。だから、苦労を苦労としない。これが法蔵菩薩。

   ご承知の「光顔巍巍」というあのお経がある。その一番あとに、

    仮令身止  諸苦毒中
    我行精進  忍終不侮

   という言葉がある。「どんな苦労の中に自分がおっても、我が行は精進にして、忍んでついに悔いじ」ということ。この奥さんは法蔵魂の生きた見本や、と私は思うですね。 これこそ法蔵魂というものだ。

●無相庵のあとがき
   私は公私共に今、チャンスとピンチが一緒に来ています。とてもチャンスな開発テーマに遭遇していますが、でも一方で、開発資金の調達に苦心している状況にあります。しかし、 「我が行に精進にして、忍んでついに悔いない」という心境で、連日、人脈をフルに生かして、その開発テーマに関係する専門家の方々に会っています。今年の始めには、思っても見なかった状況の変化です。 これからの数ヶ月、人事を尽くすべく頑張ります。それは、「光顔巍巍」のサイトの末尾にある、『仏法を聞き、学ぶということは、 自分の都合に合わせて仏法を求めることではなく、自分に都合の良い仏法を求めていた、宗教さえも、自分の関心で利用しようとしていた、「本当の相」を知らされることに他ならないのではないでしょうか。 それを親鸞聖人は、「真実教」と示してくださっているのでしょう。』に、私の姿勢を正されたからです。

なむあみだぶつ 

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No.1681  2017.07.31『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(2)龍樹菩薩の念仏―後編

●無相庵のはしがき
   この『龍樹菩薩の念仏―後編』は、この『歎異抄ざっくばらん』の詳細解説の中で最も重要なことが説かれていると言っても良いと思います。また、 親鸞仏法の教えの要(かなめ)と申すべきかも知れません。繰り返しお読み頂き、成る程と思って頂きたい内容でございます。

●『歎異抄ざっくばらん』第六章詳細解説―(2)龍樹菩薩の念仏―後編
   ところが、皆寧弱怯劣(にょうにゃくこうれつ;素質能力の劣った弱々しい者)でないつもりでおるのや、自力聖道門のものは。しかし、一皮むくと、寧弱怯劣のものが出てくるんやね。 私が鎌倉で出会った人がそのよい例です。それは五十四歳の銀行マンやけど、奥さんや子どもの前に虚勢張っておったという。虚勢を張ってるということは、内心は弱いんやけど、弱い人間ほどいばるんやな。 寧弱怯劣というのが人間の正体なんです。龍樹は寧弱怯劣の者のために念仏があるといったけれども、それは人間の本質はみんな弱いもんや。弱い者であるということを見きわめておる。
   龍樹が見きわめたのかどうか知らんけど、親鸞は、人間というものは弱いものであるということを見きわめた上で、その龍樹の寧弱怯劣の者のために念仏をとりあげたんだと、 私は思うんです。

   唯除の文が大切だと申しますけれど、念仏をとなえると浄土に生まれて救われる。しかし五逆罪を犯した者と、正法を誹謗した者とは、救われんという但し書きがついておるということ。
   五逆罪を犯すということは、人間が肉体をもっている限り、五逆罪を犯さずにはいられないということを見きわめたところに、五逆罪を犯したものは浄土に生まれることができんと、 こういうたんだろう。
   また、正法を誹謗したものも浄土へ入ることができん――ここでいわゆる自覚教になっていく、つまり自分自身の問題になっていく。五逆罪を犯したものは浄土に入れない。 正法を誹謗したものは浄土に入られん、浄土に入られれん者は誰かと詮索していくと、自分のことではないかということになる。

   自覚というものが、ここで初めて生まれる。自分の存在というものに気づかしめられる。これはいつも私が申してるんですけれども、我々がはたらきそのもの、 法身仏の中に生かされて生きてるのや。しかし、我執――自分が一番かわいいという心が法身仏の世界から飛び出してるということが、正法を誹謗してるということや。

   我々は我執なしに生きるということが出来んのや。私が生きてるのは、私の我執が生きてると言うてもよい位のもんや。法身仏の世界と本当にひとつになってるのやったら、 人がなぐってもたたいても、なぐられてたたかれてなぐられておるやろけど、なぐられて悪口言われると腹立つということは、法身仏の世界に生かされて生きておりながら、 それが我執をもってとび出しておる証拠なんで、人間が生きてるということはとび出し通し、つまり正法を誹謗し通しであるということ、だから、そういうことを聞いた時だけは、なるほどと思うけど、 次の瞬間から我執が出てくるんや。そういう人間の根本構造、その根本構造のことを曠劫多年(こうごうたねん;何度も生まれ変わり死に変わりする久遠の時間)という言葉でいわれてるんだと思います。

   それで、唯除の文が本願成就の文(『本願成就文』とは『無量寿経』の下巻の最初のところの御文)にもついておるということが意味が深いということは、本願成就したということは、 仏法が分かったということ、仏法が分かっても、誹謗正法から逃れることはできんということです。人間、仏法が分かって本願の意味が分かった、そうすると安心して、仏法はわしのもんやと、こういうけど、 唯除の文に引っかかる。うまくできてるもんやと思う。だから親鸞が『大無量寿経』をとりあげたということは、自覚教と救済教とをそこでひとつにしたのであると、私は思います。

●無相庵のあとがき
   『唯除の文』の重要性に付きましては、これまでも、何回か申し上げて参りました。親鸞聖人が『大無量寿経』を真実の教えとされた根拠でもありますし、米沢英雄先生が、 親鸞聖人の偉業だとされた根拠だと思います。また、「だから親鸞が『大無量寿経』をとりあげたということは、自覚教と救済教とをそこでひとつにしたのであると、私は思います。」 と米沢先生は仰ってますが、「私こそが、五逆罪を犯した者であり、正法を誹謗した者であったんだ」、という自覚を持っても、肉体がある限り、我執は無くならない事も自覚しているから、 生きているうちに、救われることは無いということになりましょう。従いまして、「生きているうちに、無碍の一道を歩むことは出来ない、救われるのは死後でしかない。」ということから、親鸞聖人は、 現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)という考え方に到達されたんだと思います。すなわち、その信心を阿弥陀仏から恵まれて、死後に必ず浄土往生するという確信がえられると云う救済を受けられる、 ということだと思います。

   ただ、今の私は、死後に浄土へ生まれたいとは思いませんし、おそらく、現代人の多くの人も、私と同じ気持ちかも知れません。それは何故かと考察しますと、 それは、私自身が、この世が苦の世界とは思えてないからなのでしょう。ということは、振り出しに戻ることになりますが、「私こそが、五逆罪を犯した者であり、正法を誹謗した者であったんだ」、 という自覚を持てていないということだと思うのです。

●無相庵のあとがきのアトガキ
   昨日の朝、無相庵のあとがきを書き終えてから、買い物がてらのウォーキングに出ました。約1時間半の9013歩のウオーキングです。途中、犬を連れて散歩する人々に出会いました。その時、 考えました。犬と自分の違いは何か、と。犬は、多分、過ぎ去ったことも、未だ来ぬ未来のことも、考えず、目の前のことに心を奪われて無心に歩いていると思います。気になる匂いがあれば、 クンクンとにおいの正体を確かめるようです。尿意・便意がもよおせば、場所をわきまえず、しゃがんだり、片足をあげたりして用を足します。私はと言えば、犬とはちょっと違うものの、 犬と同じように、目先のことに心奪われて、何のためにこの世に生まれて来たのかと云う根本問題を忘れて、集中してしまいます。考えてみれば、私と犬は、五十歩百歩だと思いました。

   しかし、人間の私は、犬とは何か違うはずだと考えた時、当たり前に思って来た、「仏法と出遇えた事があるではないか。キリスト教でもイスラム教でもない仏法に出遇えるのは、 私が人間だったから!」と思い直しました。そして、同時に、有名な下記の三帰依文を忘れていたことを思いました。そして、何か、晴れ晴れと致しました。

   「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く、この身今生に向かって度せずんば、 更に何れの生に向かってかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし」

なむあみだぶつ 

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