No.1720  2017.12.31青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』④「会えてよかったね」

●無相庵のはしがき
   今年も、いよいよ大晦日を迎えました。北朝鮮の核・ミサイル開発が進む中、「サイコパス」の典型とも言われるトランプ大統領率いるアメリカの軍事オプションがいよいよ、 現実のものになりなねない状況のままの年越しになりましたが、地球のあらゆる〝いのち〟を救う知恵を人類が持って要るかどうかが問われる2018年が明日元旦を迎えます。 来年の年末には、地球の危機を回避出来たことを喜び合える年越しを共に迎えられる事を祈ります。

     

●青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』③「会えてよかったね」

   「ありがとう」という言葉の中には、二十年、三十年、ご一緒させていただいたことへの、お礼の思いもあります。
   「またあした、会えるといいね」という言葉には、一晩のいのちの約束がない。明日の朝を必ず迎えられるという確約はない。今夜お迎えが来るかもしれない。 朝を迎えることができないかもしれない、という思いが込められているのでしょう。

   切なる思いで「またあした、会えるといいね」といいながらも、会えないかもしれない。今夜が最後になるかもしれない、そんな思いを込めて、「おやすみなさい、さようなら」。 お父さんがこちらを向いて、「おかあさんありがとう、またあした、会えるといいね」と、お互いに挨拶を交わして、二階と一階とにわかれます。さいわい朝を迎えることができたとき、 「お父さん、会えてよかったね」、「お母さん、会えてよかったね」と挨拶が交わせるのです。

   健康なうちは忙しさにかまけて、心も体も宙に浮いたような生き方しかできずに、ご挨拶も上の空でしかできなかったけれど、癌をいただいたお陰で、一度、 一度が恋人のように心躍る思いで、「会えるといいね」、「会えてよかったね」とご挨拶ができる。章子さんは、「癌のお陰で」とおっしゃいました。

●無相庵のあとがき
   今年も、何とか無相庵を続けることが出来ました。皆さまからお励ましのご感想を頂いたお陰さまです。どうか、来年も宜しくお願い致します。

なむあみだぶつ

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No.1719  2017.12.28青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』③「会えてよかったね」

●無相庵のはしがき
   私たちの人生は、明日が約束されているかのように思っており、当たり前に明日が来ると思って寝入ります。しかし、新聞紙上や、メデイアの報道に接する時、 我が身も、そんな約束される明日ではないと思います。しかし残念ながら、それは頭の中だけの〝理解〟なのですね。

   しかし、癌を告知され、それが理解が出来ない現実となれば、私たちはどのような状態になりますのでしょうか。  

●青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』③「会えてよかったね」

   章子さんは、ご説法とは、お寺の本堂でお坊さまから聞くものだと思っていたけれど、そうではなく、肺癌をいただいたお陰で、寝ているベッドの上が、 如来さまのご説法の一等席であったと気づかせていただいたといいます。肺癌で寝ているベッド上が、そのままお浄土になる。肺癌が治ってというのではなく、状態は変わらないままに、 むしろ肺癌のお陰でアンテナが立ち、西方十万億土というけれど、どこか遠くに行くのではないのです。彼岸、彼の岸といいますが、地理的問題ではないのです。そこがそのままお浄土に変わるのです。 このように気づかせてもらったとき、これを往生したといいます。「往いて生まれた」と書きますが、死んでからではないのです。一歩一歩をお浄土に変え、一歩一歩往生していかなければならない、 そういうことでないでしょうか。

   章子さんが亡くなる二十日ほど前、おうちで静養されていたところ、ご主人は「夜、お前が、知らないうちに息を引き取るといけないから、同じ部屋で、横に休む」といい出したそうです。 章子さんはそれに答えて、「一緒に横に休んでもらっても、いざというとき、一緒に死ぬわけにもいかないし、死ぬことを延ばすわけにもいかないし、かわりに死んでいただくわけにもいかない。 そのことに関する限りは、1人でいても、二人でいても同じだから、それよりも、お父さんが私の横で休んでくれることで、疲れてしまってはいけない。子どものためにも、お父さん、 体を大事にしてほしいから、二階と一階と別々に寝ましょう」といいました。

   そのときのご挨拶が「おやすみなさい」という詩で残されています。

お父さんありがとう
またあした
会えるといいね

●無相庵のあとがき
   私も、今は夫婦二人の生活で、私は一階、妻は二階の生活ですが、「明日また会えるといいね」という思いも、言葉は掛け合わないのが現実です。

   でも、72歳まで年老いますと、折に触れて、「ここまで、よく面倒を見てくれたな」と思うことがあるのも事実です。常に感謝、感謝とは思えないのも、 常に起居を共にする夫婦ならではないのかな、と自己弁護しているところです。

なむあみだぶつ

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No.1718  2017.12.25青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』②「会えてよかったね」

●無相庵のはしがき
   前回の『サイコパス』、『エンパス』の話は、脳の扁桃体の活性化具合に関係しているということで、私は非常に興味を持ちました。親鸞聖人の時代には、 心の動きや働きが頭脳に関係があるとは分かっていたと思いますが、頭脳に扁桃体があるということは想像すら出来なかったであろうと思われます。扁桃体が、直ぐ傍にある 、記憶力に関係する〝海馬〟とも連携することも突き止められています。人間の煩悩、自己中心性と、扁桃体や海馬がどの様な関係があるか、また仏教の〝悟り〟が、 扁桃体、海馬などの頭脳の部位がどの様に刺激を受けて為されるものであるか、或いは全く関係の無い現象なのか、興味あるところです。

   ただ、肺癌になるとか、大きな苦難に出遇わなければ、大事な気づきが得られないということになりますと、 納得しかねるところがあると思われる方もいらっしゃるでしょう。  

●青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』②「会えてよかったね」

   どんなにやる気があっても、天地いっぱいのお働きをいただかなかったら、笑い声一つ立てられなかったのだということ、手を握ることさえできなかったということを、 章子さんは肺を切り取っていただいたお陰で気づかせてもらいました。すばらしい気づきです。癌を通して、いのちの姿に気づくことができたわけです。

   章子さんは、その後、肺癌の手術の結果がよくて、大部屋に移されました。すると、隣のベッドの奥さまが、明日退院だといいます。
   「よかったですねぇ、子どもさんが待っておられるから、早く退院してあげてください」と章子さんがおっしゃると、この奥さまは「私は明日、退院しません。 大安の日を選んで退院します」といって、大安の日を選んで退院されました。その奥さまが、半年後にお亡くなりになりました。

   章子さんはこの方を通して、新聞のご説法が聞こえてきたといいます。 新聞は、大安の日には喜びの記事しか載せていないかといえばそうではなく、仏滅の日には悲しい記事しか載せていないかといえばそうでもありません。どの日も同じように喜びも悲しみも満載しています。 追ったり逃げたりせずに、同じように受けて立ち、むしろ苦しみ悲しみこそ、聞く耳を開かせていただくときと積極的に受けてゆけと新聞が説法していることに気がついたというのです。

●無相庵のあとがき
   説法は、新聞から聞こえて来ますが、耳を澄まし、目を懲らすと、日常生活のあらゆる場面で説法が聞こえ、これまでお会いしてきた先生方、親鸞聖人や釈尊の姿が見えることがあります。 勿論、自分の心の中には、餓鬼、畜生も住んでいます。餓鬼、畜生、鬼が居るから、仏にも会えるということなのだと思います。章子さんも、そうではなかったかと思います。

なむあみだぶつ

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No.1717  2017.12.21美しすぎる脳科学者

●無相庵のはしがき
   BS朝日の『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(毎週土曜日、午後6:00~6;45放送)の11月25日の放送を視聴しました。その番組は、 出版社の株式会社幻冬舎の館野晴彦氏と、今回ご紹介する『美しすぎる脳科学者』の対談でしたが、その脳科学者のことを私は初めて知りましたし、その方の「サイコパス」という聞き慣れない題名の著書が、 25万部ものベストセラーになっていることを知り、また驚きました。中野信子さんが美し過ぎるかどうかは、人に依っては異論があるのかも知れませんが、私は、好ましい知的な美人だと思いました。 皆さんの中には、既にその著書「サイコパス」を読まれた方もいらっしゃるかも知れませんね。

●美しすぎる脳科学者

   中野信子さん(末尾に略歴を記載しています)が、その人です。
   彼女は、知能指数(IQ)148の天才少女だったそうで、学生時代は、オール100点を取り続けたという。しかし、皆とは何かが違うことに気づき、それは脳に原因があると考え、 脳の勉強をするために東大の理科二類に進学し、脳科学者になったという次第。IQ148というのがどれ程凄いかといいますと、普通は20~140らしく、平均は100。130は優秀、 136は極めて優秀、といいますから148は、私たちと別世界に住む方です。

   その彼女に、『サイコパス』という著書があります。 「サイコパス」というのは、英単語で「psychopath」と書き、辞書では、「(反社会的または暴力的傾向を持つ)精神病質者」となっていますが、本の中で彼女は、『ありえないようなウソをつき、 常人には考えられない不正をはたらいても、平然としている。ウソが完全に暴かれ、衆目に晒されても、全く恥じるそぶりさえ見せず堂々としている。それどころか、 「自分は不当に非難されている被害者」「悲劇の渦中にあるヒロイン」であるかのように振る舞いすらする。』と書いています。

   私は、中野さんの「サイコパス」を読んでいて、直ぐさまアメリカのトランプ大統領を思い浮かべてしまいましたが、実際、 アメリカのトランプ大統領が完全にサイコパスの典型と書いているインターネットサイトもあります。
   多分、忖度(そんたく)なし、人の悲しみ苦しみに共感を覚えない人格として表われると思われます。

   「サイコパス」の反対語は、「エンパシー(empathy)」或いは「エンパス(empath)」.で、「共感、感情移入」という英単語で、 〝他人または他の対象の中に自分の感情を移し入れること〟と訳されています。忖度し易い性格の人のことではないかと思われます。

   「サイコパス」も「エンパス」も遺伝的なのか、生まれ育った環境に依るものなのかに付いては結論が出ていないようですが、近年、 脳の働きfMRI(核磁気共鳴機能画像法)と呼ばれる装置を用いている研究が盛んで、「サイコパス」は、脳の「扁桃体」と呼ばれる部分の活動が一般人と比べて低い事が明らかになっているようですから、 「サイコパス」も「エンパス」も、自分ではどうしょうもない性癖、人格ではないかと思われます。自分を自分で変えられないし、ましてや、他の人を変えられるわけがないということになります。
   昔から、自分が変わったら相手をも変えられるということを能くいわれていましたが、それを絶対に不可能とまでは言えませんが、かなり難しいという認識を持ち、 「サイコパス」と思える人からは、距離を保って、深入りはしないということが大切だというのが、中野信子さんのアドバイスであります。

●無相庵のあとがき
   考えてみますと、地球上には、137万種(うち、7割は昆虫)もの生物が存在するそうですが、それぞれに脳といわれる部位があるとすれば、 それぞれの脳細胞は微妙に異なっているはずです。凶暴な生物も居るでしょうし、警戒感が強く、逃げ足の速い生物もいます。たとえば、犬という一種の動物でも、 ドーベルマンや秋田犬のような怖い犬もいれば、盲導犬にもなるラブラドール・レトリバーとゴールデン・レトリバーもいます。

   そのことから考えますと、地球上にいる70億ともいわれる人間の中には、「サイコパス」も「エンパス」も入り混じって、私たちの周りにいることになります。 一人一人違うんだという認識を根底に持って日暮らしすることが大切だということではないでしょうか。

   以下に、中野信子さんの略歴をご紹介致します。

   中野信子(なかののぶこ)
   脳科学者、東日本国際大学特任教授、横浜市立大学客員准教授。1975年生まれ。東京大学工学部卒業、同大学院医学部系研究科脳神経医学専攻博士課程終了。医学博士。 2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。著書に『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』(幻冬舎新書)、 『脳はどこまでこんとろーるか?』(ベスト新書)、『脳、戦争、ナショナリズム 近代的人間観の超克』(中野剛志、適菜収との共著・文芸新書)ほか。 

なむあみだぶつ
追記
今回の中野信子さんとの縁を特別なものとして、私は親鸞聖人の『不断煩悩得涅槃』(煩悩を抱えたままで、悟りを開く)が、脳科学的にはどういうことになるのか、研究してみたいと思いました。

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No.1716  2017.12.18青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』①「会えてよかったね」

●無相庵のはしがき
   今回、このコラムを初めて読まれる方は、冒頭の「章子(あやこ)」という人名は突然過ぎると思います。「koramu1713」をご覧頂いてから、お読み頂きたいと思います。

   皆さまも、「なせばなる、なさねばならぬ何ごとも、ならぬは人の為さぬなりけり」という言葉を言われた事もあるでしょうし、自分より目下と思う、 子どもや部下を励ます積もりで言ったこともあるのではないでしょうか。それを窘(たし)める今回の青山俊董尼の法話です。  

●青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』①「会えてよかったね」

   章子さんの手術の当日のことです。三人おられる子どもさんの中で、卓球の特待生でもある高校生の末っ子が、学校の勉強や卓球の特訓の合間をぬって、自転車やら、地下鉄やら、 乗り継ぎしては、四十分も五十分もかかって駆けつけました。章子さんはこの末っ子をまだ年が若いからと、とても心配していました。そのため、息子が入ってきたら、「ははは」と元気に笑って、 「お母さん、大丈夫だよ」とこういって、手をしっかり握り返そうと思っていたのです。そのように予定して待っていたわけです。

   そして、息子が入ってきて,「お母さん、痛むかい?」と聞いてくれました。予定としては、「ははは」と元気に笑って「お母さん、大丈夫だよ」といって、 手を握り返すつもりでいましたけれど、肺を切り取られた体は、笑い声一つ立ててくれず、手を握り返そうとするその手にも、まったく力が入らない。

   予期しなかった、涙ばかりがぼろぼろこぼれる、という現実に出くわして、大きなことに気づかせていただくのです。
   それまで健康なうちは、「なせばなる、なさねばならぬ何ごとも、ならぬは人の為さぬなりけり」という歌を振り回していました。ことを成し遂げることができるかどうかは、 本気かどうかが問われることに間違いありません。道元さまも「切に思うことは必ず遂ぐるなり」と、つまり一つのことをなし遂げることができるかどうかは、志の如何によると、繰り返しおっしゃいました。

   しかしながら、自分の努力で一生懸命やった、自分の頑張りでやったという奢(おご)りの心がそこに忍び込みますと、やらない人を責める刃(やいば)となります。

●無相庵のあとがき
   私などは、70歳を越えまして、体力も気力も記憶力も衰えていることを自覚しています。若い時は、こんな時が来るとは思っていませんでしたし、 年老いた先輩や年老いてからの母親や目上の姉を自分と同じ積もりで、時には陰で、「おかしいのでは無いか?」と批判もしていたように思います。体力も、気力も、記憶力も自分の手柄ではない、 与えられいたということを忘れては、やらない人を責める刃を振りかざしかねないことに気付きたいものです。

なむあみだぶつ

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No.1715  2017.12.14青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』⑥「死を思えばこそ生が輝く」

●無相庵のはしがき
   私たちが死んで、あの世に往くとき、お金等の財産も、名誉・肩書きも持って往けない、持って往けるのは、それまでの自分の『生きざま』だというのが、 今回の、青山俊董尼のアドバイスではないかと思いますが、『生き方』、或いは『生きざま』を持って往くということは、どういうことでしょうか?私は,ハタと考えました。どう考えればよいのか、 私の考察は、〝あとがき〟に。  

●青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』⑥「死を思えばこそ生が輝く」

   息子さんは、お父さんのおっしゃる通りに、棺の両はしに穴を開けて手を出させました。「三かく長者の葬式だ」、「どんな葬式が出るか」と、村の人たちは、 沿道に出て待っていました。

   棺が来て、手が出ているさまを見ると、人びとは、「あれほど掻き集めても、まだ足りないと手を出している」といいました。そうとしか見て貰えなかったわけです。

   これは象徴的なお話でございます。私どもが早く気がつかねばならないことは、ものをもっては往けないのだということです。 ただ一つももって往けないのだということです。ただ一つもっていかなければならないのは、どう生きたかというその生き方です。それだけは背負っていかねばならないのですが、 私どもはなかなか追い込まれないと気がつきません。

   ぎりぎりに追い込まれても気づかず「死に欲」などといって、最期まで離れられない人もいるかもしれません。そういう意味では章子さんは幸せでした。 癌のお陰で早く気がつきました。金も名誉もすべてもちものに過ぎない、何の役にも立たないと気がついて、癌のお陰で早く手放すことができたという意味では、 幸せなお方だといえるかもしれません。

   注)「死に欲」とは、死ぬまぎわになってもまだ欲が深いこと。また、死ぬ時期が近づくに従ってますます欲が深くなること。

●無相庵のあとがき
   持ち物は、自分の体の外に有る物であり、「生きざま」は心情、気持ちですから、体の内の、臓器でいえば、頭脳ですから、体と心は同時にあの世に往くのだと、 単純に考えました。単純に考えましたが、体の歴史も心の歴史も、私の人生だけでなく、祖先から続きものの歴史であり、極めて尊いものです。それを丸抱えであの世に旅立つのですから、 〝いのち〟は、本当に尊いのだと思った事です。

なむあみだぶつ

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No.1714  2017.12.11青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』⑤「死を思えばこそ生が輝く」

●無相庵のはしがき
   今回の三かく長者の話は、面白い結末を迎えます。それは兎も角も、私たちは、財産を求め、お金を求め、名誉・肩書きを求め、毎日、あくせくしてしまいます。しかし、それらは、 あの世には持って往けません。現実は、やはり、お金が無くては困りますが、私は今のところ、信頼出来る友人・知人に恵まれ、子や孫、親族にも恵まれております。 有り難いことです。  

●青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』⑤「死を思えばこそ生が輝く」

   話は変わりますが、インドに「三かく長者」という長者がいたそうです。「恥かく、義理かく、欲かく」で、三かく長者といわれました。恥をかいて、義理をかいて、欲をかいて、 一代でたいへんな財産をつくりました。

   この三かく長者は寄る年波が来て、お迎えが来る段階になってようやく気づきました。「三かく長者」などという名誉にもならぬ名前をいただいて掻き集めたこの財産、 いざというときは何の役にも立たない。役に立たないばかりでなく、もっていくこともできない。もっていくことができないばかりでなく、後に残った者たちの財産相続争いの種になるだけだ。 そんなものを得るだけのために、かけがえのない生涯を費やしてしまった。

   残念なことであったと、遅ればせながら気がついた三かく長者は、息子さんに自分の葬式を言う通りにしてくれるかとお願いします。
   「お父さんのおっしゃるとおりにしましょう」と息子さんは了承しました。お父さんが、どうして欲しいと言ったかといいますと、棺の両はしに穴を開けて手を出してくれということでした。

   そうすることで、「これほど掻き集めても、往くときは空手だよ」。何も持っていけないのだよ、こんな生き方は二度としなさるな」こう後の人に言いたかったのです。

●無相庵のあとがき
   ただ、ビジネスにおいては、付き合いたく無い企業もございます。企業はコンプライアンス(企業は、法令や規則をよく守ること、つまり法令遵守)が、求められます。最近は、一流企業で、 検査データーの改ざんが問題になっておりますが、私の付き合っている企業の中にも、商法を守らない企業とか、独占禁止法、不正競争防止法を守らない企業があります。これは全て、 経営トップの問題だと、私は見ております。反面、私の付き合っている企業の中に、実に快い企業が、三、四件ございます。そう思われる企業でありたいものです。

なむあみだぶつ

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No.1713  2017.12.07青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』④「死を思えばこそ生が輝く」

●無相庵のはしがき
   今回は、癌に罹って47歳で亡くなられた鈴木章子という方が、仏法に出会ったお陰で、人生の最後を輝かしく迎えられたとのお話です。癌に罹ったら、 頼れるものは何も無いということは何か分かるような気がします。極最近は、陽子線治療法等、多少お金はかかっても、治癒する可能性が高い治療方法が開発されたようで、 お金持ちと私たち貧乏人とでは格差があるのかも知れませんが、お金は大切だと思っていても、全てはお金で解決出来ると確信している人はそんなに多くないのではないかと、 私は思います。私は、貧しい会社の社長を続けていますので、お金の事が常に念頭にありますし、開発研究も、お金のことがあるから頑張っていると思っています。しかし、何か行動を起こす時、 私の心の中には、お釈迦様、親鸞聖人、青山俊董尼、井上善右衛門先生先生、米澤秀雄先生が住んでおられるお陰で、お金ではなく、何が正しいかを、それらの方々に相談出来ますので、 間違いは起こしません。
   しかし、お金の事を重要視しない故に、貧乏暮らしから脱出出来ないのかも知れません。つまり、私は経営者失格ですから・・・。  

●青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』④「死を思えばこそ生が輝く」

   死を見据える眼の深さということにおいて、非常に感動したお話があります。

   北海道にご縁をいただいてよく出掛けますが、斜里という町があります。知床半島の入り口みたいなところにある町です。 この町に鈴木章子(すずきあやこ;昭和16年~昭和63年)さんという、お寺の奥さまがいらっしゃいまして、何年か前になりますが、癌でお亡くなりになられました。四十七歳でした。

   二、三年前にこの斜里までまいりまして、章子さんと親しくしておいでの奥さまと、いろいろなお話をさせていただき、章子さんのこともたいへん身近に感じさせていただきました。
   先ほど「縁」ということを申しましたが、この章子さんは、「仏法」という縁に出会うことで、同じ癌でもこんなにも輝かしいものに変貌できるものかと思うほど、 人生の最後を輝かせていらっしゃいました。

   乳癌が転移をして肺癌になります。その肺癌のベッドの上で章子さんが気付いたことは、財産も、経歴も、だんなさまも、子どもも何の役にも立たないということです。 金を積んだら癌は何とかなるでしょうか。経歴を並べてみても、癌は何ともなりません。だんなさまや子どもが、何とか代われないかと思っても無理です。奪い取られるものは全部奪い取られて、 丸裸の一個の人間が、ベッドの上に転がされているだけなのです。大事なことは、心にどんな宝を頂戴しているかだけだと気づいた、そうおっしゃいました。
   この気づきは大事ですね。なかなか私どもはこれに気づけません。金があれば、ことは解決するような気がして、何ごとにつけ、カネカネとなりがちです。 あるいは肩書きでものをいわせようとします。

●無相庵のあとがき
   今年の後半、私の会社の特許を無断で利用して、大きな収益を得ている三つの企業の存在を知りました。数年前かウスウス気付いていましたが、 法的に闘うのはエネルギーが要りますし、気も重たくなると考え、捨て置いてきましたが、あまりにも露骨にインターネット等で技術を宣伝していることが分かり、 競争社会では法律だけは守って貰うべきだと決断し、最悪、法廷で決着をつけることにしたところです。私の技術者人生の最後を輝かしいものにしたいものです。

なむあみだぶつ

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No.1712  2017.12.04青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』③「死を思えばこそ生が輝く」

●無相庵のはしがき
   11月28日に受けた大腸癌内視鏡検査の結果は、今日の午前九時から医師の診断を受け、切り取ったポリープが悪性(癌化している)か良性かの判定を教えて貰います。
   青山俊董尼の師匠が、「みんな死にたくない死にたくないというけれど、みんな生きていたら、困るじゃろうが。死ぬからいいんじゃ」、と仰ったそうですが、私はやはり、 「死にたくはありません」。
   がしかし、癌と告知されれば、もう、いくら嫌だと言っても、もう受けるしかありません。でも、やはり「死にたくはありません」が、行って参ります。  

●青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』③「死を思えばこそ生が輝く」

   やはり、尊敬申し上げている余語翆巌【よごすいがん(1912-1996)元曹洞宗師家会会長)】老師のお供をいたしまして、 戒法をお授けする「お授戒」という大きい法要に行ったことがございます。余語老師が、そのお授戒の戒師をお勤めになり、私が教えを説く説教師というお役目でご一緒させていただいたときのことです。 そのお授戒におつきになった方がたに、老師がこうおっしゃったことがあります。

   「みんな死にたくない死にたくないというけれど、みんな生きていたら、困るじゃろうが。死ぬからいいんじゃ」。積極的に死ぬからいいんだという肯定です。

   先日、次のような話を科学者から聞きもしました。
   私どもの細胞は、死に続けるから新しく生まれ、新陳代謝を続けています。ところが癌細胞は、その部分の細胞だけ死なずに、育ち続けるそうです。死なずに生長し続ける、 それが癌なのだというのです。つまりこれは死ぬからいいんだという無常の大肯定です。

   この無常を見据える眼が深いほど、今生かされているいのちの重さもわかり、どう生きたらよいかも見えてきます。死を忘れたら生もぼける、生死一枚の世界なのです。

●無相庵のあとがき
   私は、何も知らずに、この無常の世界に生まれました。つまり、私の意思・意向を無視して、世界は変化し続け、私の心身も変化し続ける世界に生まれ出たということです。 受け入れるしかないのです。この死に関してだけでなく、日常生活で起こることは全て、私も皆さまも、「はい!」と受け入れるしかないとしつつ、行って参ります。

なむあみだぶつ

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No.1711  2017.11.30青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』②「死を思えばこそ生が輝く」

●無相庵のはしがき
   大腸癌の内視鏡検査は一応無事終わりました。大腸の内壁の画像は、寝転んでいる私にも見る事が出来ます。昨年見付かっていたポリープは、 一番大きい直径5㎜程度のものだったようで、首を絞めるような感じで、遠隔操作で、切り取ってくれました。そして、私の見た感じでは、複数個ありましたが、合計4個のポリープを切り取ったようです。 切り取ったポリープが悪性か良性かを組織検査されまして、来週の月曜日に、診察医から知らされます。内視鏡検査員の見立てでは、多分良性だろうということで、胸を撫で下ろしましたが、 来週の月曜日まで、結論は持ち越しです。

   無相庵カレンダーの一日目のお言葉は、『一期一会(いちごいちえ)』なのですが、この言葉は、茶の千利休の言葉といわれ、「茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、 その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度のもの」ということで詠まれた言葉だそうです。日本人の気持ちの根底に流れる無常観を表わした素晴らしい四字熟語だと思います。  

●青山俊董尼法話集第三巻『釈尊の見つけ出された真理―縁起』②「死を思えばこそ生が輝く」

   信州の私のお寺では、夏に二泊三日の禅の集いをしますが、朝のお掃除の後、皆さんに野点(のだて)でお茶を一服差し上げるのを楽しみにしています。 というのも朝のお茶でなければ飾れない花を生けるのが楽しいからでございます。
   昨年なども、宵から早晩に咲く宵待草を、瓶(かめ)へ生けてみたり、朝の間しか咲かない露草の花をお菓子にそっと添えてみたりして、皆さんに一服のお茶を差し上げました。

   陽(ひ)が出るとともに、しぼむ宵待草や、朝の間しか咲かない露草の花に、皆さんたいへんに感動してくださいます。ひとときしか咲かない花。花のいのちと私のいのち。 無常なるいのち同士が、今このひとときに出会えた感動、そういうことでないでしょうか。

   いつまでも咲いている、生きている、いつでも出会える、そこに感動はありません。このひとときをはずしたら出会うことができない、 昼にはしぼんでしまう一輪の花のいのちと出会う感動は、無常だからこそなのです。

   東井先生は「生きているということは、死ぬいのちを抱えているということだ」とおっしゃいました。その無常を見据える眼(まなこ)の深さ、ここから、日本人の、 無常観を根底に据えた「一期一会(いちごいちえ)」という教え、一度一度の出会いを大事にしていこうという教えが生まれてきているのではないでしょうか。

●無相庵のあとがき
    『一期一会』は素晴らしい四字熟語でありますが、私たちの日常生活では、殆ど忘れがちだと思うのです。多分、あれやこれやと、思い巡らすことが多く、心に余裕がないから、 庭木の葉っぱに宿った露に、目が留まらないのでしょうか。そういう意味では、偶には茶会の席のような、落ち着いた機会を持ちたいものだと思ったことでした。

なむあみだぶつ  

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