No.1760  2018.08.27米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―生きながら我執のないのを仏というー①

●無相庵のはしがき
  前回の〝無相庵のあとがき〟で、「長年聴聞されている方々の中にも、苦しい生活の中で、私と同じ仏法落第生の思いに駆られている方も居られるかも知れませんね。 その落第生を救い上げてくれる仏法でないと、仏法がここまで生き残っていないのではないかとも思います。それは何でしょうか。一週間時間を頂いて考えさせて頂きます。」と申しました。
  それは、米沢英雄先生が、「それで、自力無効というのが南無阿弥陀仏。自分の力はなんにもならん。そういうことがわかったのを南無阿弥陀仏というのです。」との仰せは、 自力無効を悟るのが親鸞聖人の教えのように断じておられることを納得出来ない自分が居るからでした。

  そして一週間色々と思考致しましたが、私が「自力無効を悟るのが親鸞聖人の教えのように断じておられることを納得出来ない自分が居る」と申し上げたのは、米沢英雄先生が、 「自力無効というのが南無阿弥陀仏。自分の力はなんにもならん。そういうことがわかったのを南無阿弥陀仏というのです。」と南無阿弥陀仏を断じておられるけれども、親鸞聖人の南無阿弥陀仏は、 そんな風に、すっぱり、すっきりとしたものではないと云う受け取り方の方が多いですし、この煩悩生活と一体の娑婆世界で生活をする私のような一般在家の者は、そんな南無阿弥陀仏では、 救われようがないではないかという結論に至りました。そして、思い浮かびましたのは、私の敬愛する井上善右衛門先生のお師匠の白井成允先生が晩年に詠まれた『召喚の声』というお歌でした。 お歌は、無相庵のあとがきに記します。

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―生きながら我執のないのを仏というー①

  それから、『歎異抄』ですけれど、『歎異抄』の言葉を真に受けしてはいかん。危ないということがある。
  これは『歎異抄』の後の方に、唯円が書いた言葉ですけど、「本願を信じ、念仏を申さば仏になる」。ところがおととしかな、鹿児島の別院へ引っぱられた。 そしたら60歳近い男の人が部屋へ来られて、「私の娘が18歳で亡くなった。それで、そういうことを手紙で書いてきたので暇なときによんでくれ」といわれた。私は帰りの飛行機の中で、 それを広げて読んで驚いたな。

  18で亡くなった娘さんというのは脳性小児麻痺で、子供のときから寝たきりなんで、それで18まで生きておって栄養失調で亡くなった。そのお父さんは会社に勤めておったのだけれど、 その娘がかわいくて会社退めて、家に田畑があったので、田畑耕しながら子供の看病しとったわけです。父親が帰ってくるのを子供が非常に喜んだので、家にその娘さんがおるのが、父親の楽しみであった。

  その娘さんが18で栄養失調で亡くなった。それでお父さんとしては、その娘さんが成仏しているかどうか、そういうことが心配で、お坊さんに聞いたのです。  「あの娘が成仏しておりましょうか」
  そしたら、「成仏していない」と言われた。
  えらいこっちゃ。
  それで「あなたが仏になって、娘さんを救わないかん」こういうた、と。

  本願を信じ、念仏申さば仏になる。これが本当だったら、脳性小児麻痺で身体はきかんし、言葉もしゃべらんし、知能も遅れているし、だから本願の事言うたって分らんし、 念仏申せと言うたって念仏称えられんし、だから「本願を信じ、念仏申さば仏になる」、これが本当だったら、その子は仏になっていないこと間違いないでしょう。

●無相庵のあとがき①
  私たちは、我執があるから日々生活していると言っても過言ではありません。私たちは仏さまのようになりたいと思って仏法を聞いているという面もありますが、 表題の『生きながら我執のないのを仏という』と言われますと、仏に遠い我が身を思わざるを得ません。 そういう煩悩まみれの私が救われるのは、下記の白井成允先生の『召喚の声』のご心境をお聞きすることでしかないと思われます(この歌の解説は、武蔵野大学教授田中教照教授が、 2011年に書かれた『お彼岸を迎えて』をご覧下さい)。

    業風吹いて止まざれども
      唯だ聞く弥陀招喚の声
      声は西方より来りて
      身を繞り髄に徹る

    慶ばしきかな
      身は娑婆にありつつも
      既に浄土の光耀を蒙る

    あはれあはれ十万の同胞
      同じく声を聞いて
      皆倶に一処に会せん
        南無阿弥陀仏

●無相庵のあとがき②
  私は、前回の〝無相庵はしがき〟で、「今も公私ともに、人生の重たく高い壁にぶち当たっていますが、出来る事は何でもしていると思ってますし、 信頼出来る人にも知恵を貸して貰ってもいます。これから先も、状況の変化に応じて、その都度、解決への努力をする積もりでいますので、人生の修羅場にあって、自力無効を感じたいとは思えません。 米沢英雄先生に言わせれば、仏法の落第生です。」と申しました。その時は、今振り返れば、まさに業風に吹かれて、逃げ惑い、右往左往の状態だったと思いますが、白井成允先生の『召喚の声』を思い出し、 私は、幸いにも、仏様の召喚の声を聞かさせて頂く身に在ることが自覚出来、この幸いな身である自分が業風に吹き飛ばされないよう、また、昨年末以来、私の特許権を侵害している、 年商1500億円を超え、従業員も5000人を超える超大企業も我が社と同じく業風に曝されている存在であり、その相手をも業風で吹き飛ばさないよう、自分から動くことなく、 焦ることなく、成り行きを見守り、縁に任せる生き方を選び取ってゆこうと決意した次第です。ただし、これも私の正体が親鸞聖人の教えに心から帰依する仏教徒でないならば、 決意は早晩破られてしまうだろうとも思っています。

なむあみだぶつ

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No.1759  2018.08.20米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―念仏は身体にまかせてあるー③

●無相庵のはしがき

  米沢英雄先生は、今回の法話の結論として、「自力無効というのが南無阿弥陀仏。自分の力はなんにもならん。そういうことがわかったのを南無阿弥陀仏というのです。だから臨終往生は間違い無い。死ぬことだけは、 自分の力では思うようにならなんだ。自力無効。死ぬ時に自力無効を感ずる。臨終往生は間違いない。こういうことですね。」と述べられています。確かに、自分の力だけでは何ともならないという場面を、 私も一杯経験してきました。それも、精一杯の努力をして後とは言えないかも知れませんが、何もしないまま迎えた結果だとも思っていません。 今も公私ともに、人生の重たく高い壁にぶち当たっていますが、出来る事は何でもしていると思ってますし、信頼出来る人にも知恵を貸して貰ってもいます。これから先も、状況の変化に応じて、 その都度、解決への努力をする積もりでいますので、人生の修羅場にあって、自力無効を感じたいとは思えません。米沢英雄先生に言わせれば、仏法の落第生です。

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―念仏は身体にまかせてある―③

  私は不届きなやつで以前、大垣の仏教会へ引っぱられた時のことです。
  大谷派の別院が会場で、その大垣の仏教会の会長が、浄土宗のお坊さんで開会の挨拶をして「さあ皆さん、ご一緒に念仏を称えましょう」と言うて、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と言うたんや。
  そして私が話の番になったときに、話の途中で「先程皆さん非常にありがたそうに、ナンマンダフを称えておられたが、本当にありがたいんか」とこう言った。えらいこと言うやっちゃ。
  そういうのをお義理の南無阿弥陀仏というのです。お坊さんが南無阿弥陀仏称えましょうと言うたから、しゃぁないで称える。しゃあないわけではなく、喜んでかも知らんけど、 南無阿弥陀仏称えておる心の内やいかならん。
  南無阿弥陀仏称えながら、他の事を考えているかもしらんぞ。

  だから人間の心ほどあてにならんものはない。一人二役をやることが出来る。念仏を称えながら、他のことを考えることも出来るのです。皆さまここにおられるけれど、 もう心は家に帰ってるかも知れん。嫁は朝寝しているんでないかというので、家に帰っているのが大分あるし、帰るときに何を買うて帰って行こうかと考えている人もいる。帰り道におる人もある。 心というのはそういうもんで、どこへでも動いている。それを幽霊というんや。幽霊というのは、死んでから化けてでるのが幽霊でない。生きてる我われにも幽霊がおるんや。足のないのを幽霊というんや。
  身体(からだ)はここに座ってるけれど、心はフラフラどこへでも動いてる。スーパーにこれがあるかな、あれがあるかな、考えとるやろ。心がもうスーパーへ行っとる。疲れるるはずや。 仏法聞いて疲れたんやないんや。本堂に座りながら、他のところを歩いてるから疲れる。

  それで、自力無効というのが南無阿弥陀仏。自分の力はなんにもならん。そういうことがわかったのを南無阿弥陀仏というのです。だから臨終往生は間違い無い。死ぬことだけは、 自分の力では思うようにならなんだ。自力無効。
  死ぬ時に自力無効を感ずる。臨終往生は間違いない。こういうことですね。

●無相庵のあとがき
  長年聴聞されている方々の中にも、苦しい生活の中で、私と同じ仏法落第生の思いに駆られている方も居られるかも知れませんね。その落第生を救い上げてくれる仏法でないと、 仏法がここまで生き残っていないのではないかとも思います。
  それは何でしょうか。一週間時間を頂いて考えさせて頂きます。

なむあみだぶつ

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No.1758  2018.08.13米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―念仏は身体にまかせてある―②

●無相庵のはしがき

  私は幼い時から常念仏者の母親の下で育ちましたが、「なむあたみだぶつ」を称えることに抵抗感がありました。それは極最近まで続きました。 わざわざ、人前で大きな声でお念仏を称えることには今でも憚(はばか)れますが、米沢英雄先生が仰る念仏は自力無効に頭が下がる念仏だということが自覚出来ることが多く、 小さな声で「なむあみだぶつ」が自然と口に出てしまうこともあるようになりました。下り坂に在るからでしょうか。

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―念仏は身体にまかせてある―②

  基礎医学に生化学と生理学がある。生理学は物理的に人間の身体の構造を明らかにする。生化学というのは化学的に血液の成分とか、 そういうものを調べて化学的に人間の構造を明らかにするのを生化学という。

  岡山大学の名誉教授、生化学の水原さんという方がおられて、この方は禅をやっておられる方で、私のところへ手紙をよこされて、あなたは念仏を称えておられんそうやがどうしてかと 聞いてこられた。
  「寝てもさめても念仏申さるべし」、あぁ蓮如さんに会うとわしは落第するな。念仏を称えておられんそうやがどうしてか、こう言われたんでわしは返事を出した。 念仏は身体に任せてある。身体は先に言うたように念仏しとる。夜寝てる間も身体は一生懸命念仏しとる。夜でも休まんのやぞ、血液の循環は。
  人間が念仏称えるのは暇なときだけで、忙しいときは念仏どころでないがな。

  この前に岐阜のお寺へいったときに、岐阜のある奥さんが参っとったのです。そこへ娘さんがとんできて、孫がやけどしたといってきた。そうしたらそのおばあちゃん大あわてで、 今孫がやけどしたと言うて帰るという。仏法どころでないがな、と言った。本当に仏法どころでない。仏法どころでないところが仏法です。

  実はね、南無阿弥陀仏どころでないというのが南無阿弥陀仏。何故そうなるか、自力無効や。これはさっき「絶対他力の大道」を読まれたが、清沢満之が言われた言葉です。自分の力は何もない。 せっかくやで仏法聞かしてもらおうと思って来たけど、孫がやけどしたとなると、南無阿弥陀仏どころでないのです。南無阿弥陀仏どころでないところが南無阿弥陀仏。自力無効。

  自分の力は何もならん。はからいは何もならん。だからいつもかも南無阿弥陀仏のところにおるということです。
  南無阿弥陀仏を称えるときが南無阿弥陀仏でなくて、南無阿弥陀仏称えておらんでも、南無阿弥陀仏の中におること間違いない。

  それを如来大悲の恩徳の中に生かされて生きとるというのです。だから私は生意気のようだけど、南無阿弥陀仏は身体にまかせて、身体が一生懸命念仏していて下さる。 だから身体にまかせたらいいのです。
  皆さんも米沢が言ったからと言うて、身体に任すと言うて、お寺さんから怒られん方がいい。念仏申せと言われたら念仏申して下さいね。

●無相庵のあとがき
  仏法どころではない、南無阿弥陀仏どころではないというのは、皆さまも共感なさるのではないでしょうか。いざとなれば、そんな余裕は無い、 仏法は余裕がある時に向き合えるものなのかも知れませんが、私が仏法に縁がなかったら、どんな人生になっているだろうかとも思っています。 明日のご飯が食べられない状況ですと、それこそ仏法どころではありませんが、根底のところで仏法を道しるべにしているから、少々の困難を乗り越えられているようにも思います。

なむあみだぶつ

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No.1757  2018.08.06米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―念仏は身体にまかせてある―①

●無相庵のはしがき

  米沢英雄先生の今日の法話の核心は、「何のために仏法を聞くのか、それは、自分は何のために人間に生まれてきたか、ということを明らかにするためである。」と仰っているところだと 私は思いますが、大変な苦境、例えば、西日本の豪雨災害のように、土砂で自宅が流されるような被害に遭遇した時には、それこそ、仏法どころではないと思います。災害だけでなく、我われは、 人生に於いて、様々な苦難に否応なく遭遇します。そんな時に何か備える道はあるのでしょうか?南無阿弥陀仏が役に立つのだろうかとも思いました。

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―念仏は身体にまかせてある―①

  昨日も私は、津というところの寺に引っぱられて、昼から2時間話をさせられたんですけれど、その時に、何のために仏法を聞くのか、それは、自分の何のために人間に生まれてきたか、 ということを明らかにするためである。こういうことを申しました。
  この会が終ると、「如来大悲の恩徳は」という親鸞さんの御和讃を、皆さんが一斉に称えられるであろうと思う。私は昔福井の寺へ引っぱられたときに、控え室に戻って聞いていたら、 如来大悲の恩徳はという、それに力がないんです。
  「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし」。私は非常に出すぎた人間やで、またその場所へ出ていって、「今の恩徳讃は何や、お前ら」お前らとは言わなんだ、 「如来大悲の恩徳食った覚えないなあ。それで和讃言うのにも力が入らんのや」。

  隣からぼたもちを貰う、食べてみればうまかった、とんでいってお礼言うでないか。自分が食ったものに対してはお礼言うのに力が入る。ぼたもちはうまかった、 十年経っても忘れられんというだろう。ところが如来大悲の恩徳を食った覚えがないので、その恩徳は身を粉にして報ずべしというのに力が入らんのや。そういうことを言うた。

  ひどいやっちゃ。
  これだけ言うておくと、また米沢出て来て悪口言うかと思って、この後に如来大悲言うのに力が入るわ。「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし」。如来大悲のただ中に、 生かされて生きとるのです。
  自分自身が分らんと、如来大悲の恩徳を自分が食っとらんと、お礼言うのに力が入らんです。

  ぼたもちなり、カステラなり貰うと、力が入るのは自分で食ったからですね。だから南無阿弥陀仏を食わんと、南無阿弥陀仏を称えるのに力が入らんのは当然だと思う。だから、 力が入る南無阿弥陀仏でないとあかん。声を大きくすれば力が入ると思うと、それは間違いです。声が小さくても力が入っている南無阿弥陀仏もあるんやぞ。南無阿弥陀仏称えんでも力が入ってるのもあるのや。

●無相庵のあとがき
  親鸞聖人は、若き日に越後への流罪を経験され、京都から北陸、そして新潟まで歩いて流罪地に赴かれました。色々と危険な目にも遇われたと思います。そして、越後から関東、そしてまた、 60歳頃に京都へ戻るという人生を歩かれましたが、90歳で亡くなられるまで、念仏一つで乗り越えられたと聞いております。恐怖、不安がなかったはずはありません。決して、 縁に従って歩むという安らかな道のりではなかったのではないかと思います。どの様な念仏であったのか、これからも、親鸞聖人のあとを辿りたいと思います。

なむあみだぶつ

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No.1756  2018.07.30米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―生きて働く仏法―②

●無相庵のはしがき

  米沢英雄先生はいつも、親鸞聖人の教えの肝(きも;キーポイント)を私たちに繰返し繰返し、説いて下さっています。今回のポイントは、私たちは自分を変えたくて法話を聴いたり、 仏教書を読んだり致しますが、それは全て知識を習得しているだけなんですね。その知識が我われの日常生活に生きていないというのが大問題です。米沢先生に言わせると、自分が「機」になっていない、 つまり、仏法を受け取る心の姿勢が整っていないからだと仰るのです。  

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―生きて働く仏法―②

  上代さんは、「機の深信」という言葉は知らん。でもええ。自分が機になっとるということが欲生我国、欲生我国が機になるんです。「機の深信」というのは、 そういう「機」になるというのが非常に大切なことである。それが法を受け取る場所です。

  私はよくいうのですが、法がいくらあっても、こちらに受け取る姿勢がないと何もならんと、こちらに姿勢を作るのが、機というものであると、こう思うのです。

  だから、曽我量深先生が「機の深信」を強調されたのは、まことにもっともである。が、しかし、曽我先生がいくら「機の深信」を強調されても、 自分がそういう仏法を受け取る「機」になっておらんと何もならんと、こういうことです。「機の深信」という言葉を知らんでもいい。自分が「機」になっとる。「母なる文字に値せぬわれ」と、 こういう「機」になっておればこそ上代さんは、子供のいうことをそのまま受け取ることが出来たのであろうと思う。

  生きて働く仏法になるのには、生きた南無阿弥陀仏を喰わねばならん。私はよく仏法を喰わねばならんということをいうのです。

  我われは、何のために食事するかというと、働くために、エルネギーの元にするために食事をするのでしょう。そうしたら仏法は何のために聞くかというと、私において、生きて働くためです。

  仏法はどういう働きをするかというと、何のために人間に生まれて来たか、そういうことを明らかにして下さるのが、南無阿弥陀仏ということです。
  南無阿弥陀仏がたったの六字で、非常に短い言葉で、これは子供でも言われる。子供でも言われるような短い言葉になって下さったということが、非常に有り難いことであるとこう思うのです。

●無相庵のあとがき
  私は今年の3月から私名義のFB(フェイスブック)にて、東本願寺から出版されている河村とし子さんの短い法話『ほんとうのしあわせ』を紹介しています。河村とし子さんは、 熱心なキリスト教徒のご一家で生まれ育たれた方でありますが、嫁ぎ先のご両親が念仏者であったことで、キリスト教から親鸞の教えを説く側になられた希有な方です。東京女子大学国文学科を卒業され、 萩女子短期大学の学長も務められた知識人でもあります。その知識人の河村とし子さんであるが故に、当初、来る日も来る日も聴聞を続けられましたが、親鸞聖人の教えがなかなか納得出来なかったそうです。 キリスト教よりも科学的ですばらしい教えであることは理解出来ても、何故、浄土真宗で無ければならないのか、心の底から納得出来なかったと仰っています。

  でも、機が熟したと仰っておられますが、ある日、法話を聴いている席で、ご講師のお言葉で頷けたわけではなく、ふっと、自分が今まで自分で生きて自分で求めて、 自分でこうして苦労しているんだと思ってたその私というのが、自分で生きているんじゃなかった、人間を超えた大きな大きなお陰さまで生かされてる私だったと、ふっと気付かせていただく瞬間がありました。 それは瞬間なんです。でも、その時に、いまだに忘れませんけれども、不思議なことが起こりました。私はそれまでそんなに求めておりながら、お念仏というのは大嫌いでございましたが、 その大嫌いなはずのお念仏が、生かされている私だと気付かせていただいた瞬間に、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と声に出してお念仏を申している、その声を聞いた時ぐらいの驚きはありませんでしたと、 仰っています。

  キリストの教えに、「たたけよさらばひらかれん」というのがあります。これは、「真剣に救いを求めれば、自ずから、道は開ける」と言うことだと思います。仏法を求めていることが、 自分を誇示ものであったり、自分の人生のアクセサリーであっては、道は開けないと思います。それを身を以て私たちに証せらけたのが、米沢英雄先生であり、河村とし子さんだと思う次第であります。

なむあみだぶつ

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No.1755  2018.07.23米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―生きて働く仏法―①

●無相庵のはしがき

  「生きて働く仏法」ということは、仏法がその人の日常生活の役に立っていなければならないということです。その役立ちは勿論、生活が経済的に豊であるということではありません。 また更に、人格を高めて周りの人々に良い人間だと評価されることでも無いと思います。それは結果として好ましいことではありますが、その為に仏法を聞くということではないと思います。 米沢英雄先生は、「仏法は何のために聞くかというと、自分自身を見るためである」と仰っています。仏法聞いて自分を、ではなく他人を批判する種にしている人がいるという話も聞いたことがあります。 それは、仏法を知識として聞いている初心者に多く見られることですが、長年仏法を聴いて来たと自負する私たちは更に、厳に慎まねばなりません。  

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―生きて働く仏法―①

  仏法は何のために聞くかというと、自分自身を見るためである。
自分自身ほど見えんものはないのです。皆、自分のことはよう分っている積もりでおるのですが、自分自身ほど自分に見えんものはない。他人のことはよう見える。しかし、 自分のことは見えんのです。
  だから、自分を見るのは仏の智慧の眼しかない。仏法は何のために聞くかというと、自分自身を見るためである。

  上代さんは松江におられるのです。何年も前になりますけれども、松江の近くまで行ったので、上代さんに手紙を出して、太田という町に行くから、松江までゆかれんので、 えらい悪いけど太田まで出て来て下さらんか、一ぺんお会いしたいからと連絡して、そのお寺で上代さんにお会いしました。

  その時に上代さんに詳しく聞きました。おじいさんから仏法聞いたという。そのおじいさんが酒飲みで、身上つぶしてしもうた。小原庄助さんみたいなおじいさんや。
  おじいさんが説教参りに行って、帰ってきて、上代さんに聞かせるのです。上代さんは長女で、他に兄弟が沢山おるのですが、また酒飲みじじいが何言うんかというので、 おじいさんの話を聞いてやったのは上代さん一人です。

   上代さん一人が、おじいさんが聞いてきた説法を、又聞きして仏法に触れたわけです。上代さんは、おじいさんを慰めるために、仏法を聞いたんですけれど、 その聞いた仏法が上代さんに生きてきたということが、非常に大事なことだと私は思うんです。

●無相庵のあとがき
  米沢英雄先生が、「上代さんは、おじいさんを慰めるために、仏法を聞いたんですけれど、その聞いた仏法が上代さんに生きてきたということが、非常に大事なことだと私は思うんです。」、 と仰っている意味は、何か目的を持って仏法を聞いたのではなく、兄弟姉妹から疎んじられているおじいさんを慰める為に聞いた仏法だったから、良かったという意味ではないかと、私は思いますが、 米沢英雄先生の真意は分りません。

なむあみだぶつ

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No.1754  2018.07.16米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―機の深信―③

●無相庵のはしがき

  私たちは、褒められれば、そんなことは無いと思っても嬉しいものですが、自分の人格の欠陥や、社会的地位の低さ、生活水準の低さを指摘されますと、それが本当のことであっても、 悔しく腹立たしい思いに駆られると思います。そんな経験が何回かあったような気がします。そんな時、私の場合は怒るよりも、言い返せずに無口になっていたような気が致します。そして、 何とか見返してやろうと、頑張って来たようなきも致します。皆さんは如何でしょうか。

  この法話の主人公の上代さんは、私とはちょっと、否、かなり違って、先妻の子供たちが、恩知らずになじっても、「至言なり母なる文字に値せぬわれ」という歌が読めるのですね。  

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―機の深信(きのじんしん)―③

  上代糸子さんが日雇い人夫をして働けばこそ子供が食ってゆけるのに、にもかかわらず子供が、お母さんは人格もない、努力もせんから日雇い人夫が相当だろうと言った。 こう言われて腹が立たん親があるでしょうか。自分が働いているからおまえが食ってゆけるんでないかと、こう言いたいところだろうと思うのです。
  ところが上代さんは、子供が言うことはまことにもっともなことであると、     

      眼を伏せて子のいうをきく
         至言なり母なる文字に値せぬわれ

  自分はお母さんと言われる値打ちのないものだというふうに受け取ってる。上代さんというのはね、「機の深信」という言葉は知らないでしょうと思うけれど、 ちゃんと「機の深信」になっとるんです。

  「機の深信」という言葉をいくら知っとってもあかんのや。自分が〝機〟になっとらん。そういうものが、仏法を聞いた人の中に、「機の深信」のない仏法者が非常に多いということが 一方にありますが、上代さんは「機の深信」という言葉は知らないでしょうけれど、自分がちゃんと〝機〟になっとる。

  「母なる文字に値せぬわれ」。子供から言われて腹の立つどころか、自分はお母さんという名に値せん者だと、こういうふうに頭を下げとる。こういうふうに、 自分自身を見る眼を持っておられたということが、大したことだと思うのです。

●無相庵のあとがき
  上代さんの場合は仲人に騙されて母親代わりをさせられている訳です。さっさと出戻っても誰からも致し方なしとされる立場ではないかと思いますが、 そんな中で「至言なり母なる文字に値せぬわれ」という歌が読めるのです。何故でしょうか?

  それは、「機の深信」というのは、『二種深信』といわれる〝深信〟のもう片方の『法の深信』とが一体的な〝目覚め〟であるからだと思います。

なむあみだぶつ

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No.1753  2018.07.08米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―機の深信―②

●無相庵のはしがき

  『機の深信』といいますのは、「機」とは自分の「心根」と言い換えてもよいと思います。自分の、誰にも教えたくない、教えたら蔑(さげす)まれるに違い無い、 「本音の心持ち」のことだと言ってよいと思います。そして、「深信」と申しますから、その誰にも言えない心根を持っていることを、しっかり自覚していると云うことだと思います。

  今日の逸話の主人公である上代様はその『機の深信』を体現していた方で、私などがとても真似すら出来ない方のお話です。  

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―機の深信(きのじんしん)―②

  上代糸子さんというお方がいて、この方は、私より一つ下ですから、今年七十四歳かな。今でも日雇い人夫(にんぷ)しておられるのですけれど、この方が日雇い人夫になられたのは戦後で、 戦時中に結婚された。軍人のところへ嫁にいかれたのです。
  ご承知のように戦時中は、男が駆り立てられて男が少ない。ところが縁あって、子供を得て奥さんに亡くなられた人のところへ後妻にいったんですね。 それでその子供が三人おると聞いていたのですけれど、行ってみたら五人おったという。さばよんだんや、よけいにいうのをさばよむというんだが、逆にさばよんだ。二人は結核で寝ておったから、 その当時、結核の子がおるというと嫁にきてくれんと思うて、それを仲人が隠しておいたんでしょう。

  で、まあ上代さんは結核の看病にいったようなものであった。その子供が次々に死んで、敗戦後ご主人も長の心労で亡くなった。で、葬式だす金がない。仲人が責任を感じたんでしょうが、 仲人が葬式代を出してくれて、葬式することができた。
  もう金がないことわかってるので借家をしとった家主から出てゆけといわれたというのです。それで仲人が交渉してくれて、無事におられるようにしてくれた。

  そして売りぐいをやっとったわけや。売り食ぐいも底つく。それで日雇い人夫に出たのです。
  日雇い人夫に出て、三番目の子も結核で亡くなって、あとに男の子と女の子と二人残った。その二人を養うために日雇い人夫に出たのです。えらいこっちゃと思う。 その日雇い人夫に出たときに子供がどいうたかというと、

        日雇いは母に似あえり
            人格も努力も無きを知ると子のいう

  お母さんは身分相応や、人格もないし、努力をせんから、日雇い人夫ぐらいしかできんやろと子供がいうたという、上代さんがよんだ歌です。

●無相庵のあとがき
  昔、西川玄苔老師からお聞きした、『常不軽菩薩(じょうふけいぼさつ)』のお話を思い出しました。
  『常不軽菩薩(じょうふけいぼさつ)』の『常不軽』」とは「常に誰をも軽んじない」ということであります。常不軽菩薩は自身が誹謗され迫害されても、他人を迫害するどころか、 仏法に対する怨敵などと誹謗し返さなかった。この精神や言動は、宗派を問わず教理を越えて、仏教徒としての原理的な行動・言動の規範としてよく紹介引用されるとされています。

  仏教徒としては、心掛けたいところですが、かなり難しいです。しかし、それが出来ないのは『機の深信』と程遠い自己に気付かねばならないとの警告と受け取りたいものです。

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No.1752  2018.07.02米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―機の深信(きのじんしん) ―①

●無相庵のはしがき

  浄土真宗では、『機の深信』と『法の深信』という基本的な教えがあります。『機』とは、私たち煩悩具足の凡夫の持ち前を言い、『法』とは、その凡夫を救いたい仏の、 本願のことだと考えてよいと思います。

  親鸞聖人の『教行信証』の信巻に、二種の深信に付いて説明があります。
  深心といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。

  (機の深信) 一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。

  (法の深信)二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。

  救われたいと思う私どもそれぞれの自分自身が、救いようのない罪悪深重煩悩熾盛の凡夫だという自覚が無い限り、救われようが無いということが浄土真宗の基本的な考え方だと思っています。
  そのことを米沢英雄先生独特の、ライオンの例え話で説明されているのが、以下の法話でございます。  

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―機の深信(きのじんしん)―①

  因位と果位というのは、法蔵菩薩がいきなり因位ということになっているけれども、我われの因位は生まれたときに欲生我国が善知識を求めてゆくのです。善知識というのは、 どこにおるかわからん。私にとっての善知識は、皆さんのための善知識になるかどうかわからんのです。
  子供が善知識の場合もある。五百円札が善知識である場合もある。さっきのおじいさんがそうですが、水たまりの五百円札、水たまりを通るたびにのぞくことにおいて、 南無阿弥陀仏に遇ったのです。

 生きた南無阿弥陀仏。

  だから生きておらん南無阿弥陀仏をいくら称えてもだめです。私は生きた南無阿弥陀仏を称えなければならんと、こう思う。なければならんというとえらい失礼ですけど、 そうありたいと思うのですね。

  というのは、我われは生きとるんです。生きとるものには、生きとるもんでないと間にあわんと思うのです。ライオンというのは生きておるニワトリでないと食わんそうです。 腹がへったら人間でも食ってしまうけど、腹がふくれとったら、何も食わんのや。

  だから、ライオンでさえ生きてるもんでないと食わんのだから、人間も生きてる南無阿弥陀仏を食うには、こっちも腹へっとらんと生きてる南無阿弥陀仏食えんということでしょう。 この腹をへらすということを何というかというと、真宗では「機の深信」という。

  生きて居る我われの腹をへらす、機というものが明らかになったときに、南無阿弥陀仏が我われの中に入って働くんであろうと思うのです。
  だから曽我量深先生は、「機の深信」ということを非常にやかましくいわれた。「機の深信」をやかましくいわれるはずです。これは生きてる南無阿弥陀仏が入ってくるようになるには、 こっちに「機の深信」がないとあかんのや。

●無相庵のあとがき
  「機の深信が無いといけない」と米沢英雄先生に言われましても、自己肯定、自己愛の極めて強い罪悪深重煩悩熾盛の凡夫の私には、自分を振り返った時、 とてもとても難しいことだと言わざるを得ません。否、むしろ不可能とさえ思っているのが私の実情であります。

なむあみだぶつ

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No.1751  2018.06.25米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―腹がたち愚痴がこぼれても結構―②

●無相庵のはしがき

  米沢英雄先生は「腹がたち愚痴がこぼれても結構」と仰いましたので、「そうか、そう言われれば、こんな自分でもいいか・・・」と思ったのですが、今日の、法話では、 親鸞聖人の腹立ちは、真実の仏法を弾圧したことに対する腹立ちで、自分を越後への流し者にしたことに対する腹立ちではなかったと言われますと、私の腹立ちの次元が、余りにも低いものであり、 やはり、私は親鸞聖人とは違い過ぎると思い、また、シュンとなりました。  

●米沢英雄先生の『自然法爾』(光雲社出版)―腹がたち愚痴がこぼれても結構―②

  生きながら仏みたいになったら、もう仏法は要らんのです。南無阿弥陀仏の必要がないので、そういう人がたとえあっても、そういう人は我われと縁のない人です。
  我われに縁のある人は一生腹立つのが止(や)まん人、止まんけれども、それでも人間に生まれた喜びを感じている人、そういう人こそ我われにとって非常に慕わしい人である。 その人が親鸞さまであるということで、親鸞さまも、先ほど言いましたように、一生腹立てておった人だと思うんです。この親鸞さまに一生腹立ちがやまなんだ証拠を一つ挙げると、 念仏を弾圧したということ。それに対する憤慨は、一生親鸞さまが忘れることができなんだ問題です。それいうことが非常に大事なことです。

  一生忘れることができなんだんですね。

  それは自分を越後へ流し者にしたからというのでないのです。真実の仏法を弾圧した、そういうことに腹立てたんです。それが非常に大事なことですね。
  だから、我われ庶民のためと申したけれども、人間すべてのものの仏法というものを明らかにされたのが親鸞さまである、こういうことが言えるのですね。

●無相庵のあとがき
  今回の法話で、米沢英雄先生は、私たちに何を語られているのか、考えてみました。「だから、我われ庶民のためと申したけれども、人間すべてのものの仏法というものを 明らかにされたのが親鸞さまである、こういうことが言えるのですね。」、という事ですので、私たち人間は誰しも例外なく、煩悩を埋め込まれてこの世に生まれ、また同時に誰しも、安らかになりたいという 「欲生我国(よくしょうがこく;お浄土へ帰りたい、生まれたい)」の心も埋め込まれて生まれついていると云うことではないかと思った次第です。

なむあみだぶつ  

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