No.1810  2019.08.12縁に依って生きている今の私ー②

●無相庵のはしがき
  私が『バンドー化学株式会社』に勤務していたのは、1972(昭和47年)年から1991年(平成3年)の19年間です。 私が『株式会社プリンス技研』を起業したのが退職した翌年ですが、プリンス技研の事業は、連続気泡多孔体という台所で使うスポンジや軽石ような沢山の気泡を持ち、水やインクを吸収出来たり、 エアフィルターのように空気を通すことが出来る能力を持つ製品を製造販売するのが主なところです。それは、バンドー化学で、レジスターや電卓に組み込まれるプリンターに使われるインクロールや、 シャチハタタイプの印鑑(浸透印と申します)を造る仕事に携わったからですが、その仕事に携わることになりましたのは、1975年(昭和50年)に、 私が神戸市兵庫区の中央研究所から泉南の工場(伝導ベルトや塩ビフィルムを製造)に転勤していた時、中央研究所の一つの研究棟が火災で消失した事から、研究所に呼び戻されてから、 連続気泡多孔体製品との縁が出来ました。その火災が無ければ、私はずっと、泉南の工場で停年迄居たかも知れません。火災が大きく人生を変えたように思います。

●縁に依って生きている今の私ー②

  ただ火災は、私が脱サラ起業する直接的な縁ではありませんでした。バンドー化学を退職したい気持ちにさせたのは、人間関係にありました。その詳細を申し上げることは控えますが、 退職の決心を固めるのに背中を押したのは、これまた人間関係にあります。バンドー化学に私より前に勤めていた大学の後輩(私は途中入社)が私より先に退職して、 インクロールや浸透印を生産しているメーカーに中途入社していたのですが、その後輩から平成元年の年賀状に、その会社(F社)が、 インクロールと浸透印の製造を引き受けてくれる企業を探しているということが書いてありました。それで、それを引き受けて、1992年(平成4年)にプリンス技研を起業した次第です。
  プリンス技研は、いわゆる下請け企業として出発致しました。

  インクロールと浸透印の製造方法は、ゴムに塩を混ぜた材料を成形し、それを水槽に入れて塩を溶かし出して、連続気泡多孔体にする方法でした。 当時、そういう製法で連続気泡多孔体を造っている会社は日本にはありませんでした。

  プリンス技研を起業して6年位経った時、『株式会社朝日ラバー』という福島県の会社から、海とかプールで使用される連続気泡多孔体の耳栓の製造に力を貸して貰いたいという話がありました。 F社の下請け仕事だけしかやっていたのでは、零細企業のままで終わってしまうと危機感を抱いていた私は、これはチャンスだと考え、共同開発に取り組み、耳栓を最初の製品として、 現在の特許技術を獲得致しました。

  振り返りますと、中学生の時に選んだクラブ活動の『軟式テニス』が、大学での留年になり、それが『チッソ株式会社』入社の縁となり、阪大のM教授のお世話があって、『バンドー化学株式会社』に勤務し、 そして、結果として、プリンス技研を起業し、『株式会社朝日ラバー』との縁に依って、連続気泡多孔体の製法特許技術獲得に至ったことになります。どれか一つの縁が無かったならば、 現在の私にはならなかったということになります。

●無相庵のあとがき
  74年の技術者人生を振り返って来ましたが、私の技術者人生に影響を与えて下さった重要な人々が少なくとも未だ5名はいらっしゃいます。 また、住んだ町も、神戸市垂水区、西区、須磨区、大阪府池田市、熊本県水俣市、兵庫県明石市、大阪府泉南市、東京世田谷区と、全国に散らばっています。その土地土地で縁のあった人々もございます。 どなた様も、人生を振り返られたら、私と同じように多くの縁を経て、今日を生きておられる事と存じます。そして、更に、これから新しい縁との出遇いがあることは間違いないと思います。 「縁に依って生きている今の私」であることは現実であり、事実でございます。

なむあみだぶつ

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No.1809  2019.08.05縁に依って生きている今の私ー①

●無相庵のはしがき
  私は前回のコラムで、『縁に任せられるか』というテーマで、「どう考えれば、縁に任せるられるか」ということを体験談的に書き残しましたが、その結論は、 今思えば中途半端なものだったと思うようになりました。今回のテーマの「縁に依って生きている」というのは、『縁起の道理』を人類で初めて明らかにされたお釈迦の基本的な教えです。 その教えは「私たちは神の思し召しで生きる存在だ」とするそれまでの人類の考え方を否定したものでした。現在も尚、神の思し召しに依って生かされていると考える国、或いは人々が存在していますが、 唯一大乗仏教を信奉する国民が多く居る日本に生きている私ですし、親鸞仏法に帰依して生きた祖父と母を持つ私ですから、「縁に依って生きている今の私」と思うのは、 当然の成り行きだと言えるかも知れません。

  私は自分の人生を振り返った時、「縁に依って生きている今の私」というのは事実であり、現実だと思いますが、今回、その事実を具体的にお示ししようと思いました。
  具体例としては、私の会社(プリンス技研)の『特許技術の誕生』に付いて縁を遡(さかのぼ)ってみたいと思い、認(したた)めましたが、書き終わった後、 「無相庵のあとがき」に書いたテレビの報道番組を観て、6600万年前、メキシコ東部に小惑星が衝突し、恐竜を絶滅させた歴史的事実を知り、もし私が隕石が地球に衝突しそうな状況に置かれた時、 「縁に依って生きている今の私」というような悠長なことは言っていられないだろうし、「出たとこ勝負だ」という覚悟も出来ないと思い、このコラムを没にしようかと考えました。 しかし、私の歴史を下記の中学時代以前に遡ってみました時、74年前に敗戦した戦争、そして、70年前、当時5歳の私が住んでいた神戸市垂水区に再上陸したジェーン台風に依る風水害が、 それからの私の運命を左右していたことを知り、そのことを付け加えることで、皆さまに「縁に依って生きている今の私」であることに納得して頂けると思い、 このコラムを没にせず、次回の『縁に依って生きている今の私ー②』に繋げたいと思うようになった次第です。

●縁に依って生きている今の私ー①

  先ずスタートは、2学年上の『兄』の影響で、私の中学時代の部活動で始めた『軟式テニス』、この『軟式テニス』は、私が生涯かけて打ち込んだスポーツですが、 『軟式テニス』をしていなかったら、今の私にはなっていないことは間違いないことであり事実です。
  そして、高校卒業してから入学した『大阪大学基礎工学部合成化学科』、しかし、教養課程の2年間は、『軟式テニス』に明け暮れ、『1年間の留年』。そして、 学部に進級して所属した先が、有機合成化学の『M教授』の研究室。研究室は、6つありましたが、M教授が学科の主任教授でもあり、有名な教授でしたので希望者が殺到し、 抽選を経て決まりましたが、この『M教授』が後々の就職先の二つの企業、『チッソ株式会社』『バンドー化学株式会社』との縁が出来、この『バンドー化学株式会社』に勤務したことが、 30年後の『特許技術の誕生』に至ります。『バンドー化学株式会社』に勤務したことが、どの様な縁となって、『特許技術の誕生』に到るかに付きましては、 次回「縁に依って生きている今の私ー②」にて説明させて頂きます。

●無相庵のあとがき
  縁というものは、所属した学校、勤務先、或いは趣味のグループ(仲間)であったりしますが、そこでは必ず『重要人』との縁も芽生え、むしろ〝重要〟な人との縁に依って、次々と 新しい縁に巡り逢って来たように思います。私の場合、『2学年年上の兄』がそうでした。霞ヶ丘小学校(神戸市垂水区霞ヶ丘町)、歌敷山中学校(垂水区歌敷山町)、 大阪大学(大阪府池田市)までその後を追い、テニスに到っては、社会人になってからも、ダブルスを組む程でした。
  そして『M教授』は、就職のお世話にとどまらず、今の妻との結婚式で仲人までして頂きました。また、妻とは、私が『チッソ株式会社水俣工場』に赴任した水俣で、 知り合った縁なのです。

  本当に『縁』って〝不思議〟だと思いますが、縁って、私にとって想定外の、私にとっては実に好ましく無い縁に出遇うことも時としてあります。 〝出たとこ勝負〟っていう日常会話的な表現をされる方もいらっしゃいます。
〝出たとこ勝負〟という表現は、姜 尚中(カン サンジュン)東京大学名誉教授氏の言葉です。
  皆さんもご存知ないかも知れませんが、実は、先月25日に「直径約130メートルの小惑星が地球の近くを通過。国際天文学連合によると、この小惑星は、地球から約7万2千キロ離れた場所を通過。 この距離は地球から月までの5分の1ほどで、天文学的にはニアミスだったという。専門家は「もし地球に落下していれば、東京24区が街ごと破壊する威力がある」と分析している。」、 という何とも恐ろしい『ニュース』を伝えるテレビの報道番組の中で、 姜(かん)東大名誉教授が表現した言葉でした。   そういうことも含めて、「縁に依って生きている今の私」であると自覚したいと思いますが、なかなか〝出たとこ勝負〟っていう覚悟が出来そうにもない私でもあります。

なむあみだぶつ

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No.1808  2019.07.29縁に任せられるか

●無相庵のはしがき
  私は前々回のコラムの『あとがき』で、「技術者としての最後の仕事で、〝逆転、さよなら、満塁ホームラン〟を打って、経済的に迷惑をかけた妻子や、 2002年に止む無く解雇した元従業員約30名に対して、お詫びと、私の名誉挽回を計りたいという、煩悩に燃えているところです。」と申しました。それは、 成功すれば、これまでの開発では得たことのない収益が期待出来る開発テーマに出遇っていたからです。そして、その開発に協力してくれる取引会社から、10日後(7月26日)に その回答が寄せられることになっていたタイミングでした。 それからの約10日間、私は心の中で、親鸞仏法者としての私の宗教力を試す日々を送りました。その10日を振り返って、どう考えれば、縁に任せるられるかということを 体験談的に、書き残しておこうと考えた次第です。

●縁に任せられるか
  誰しも、これが人生の分かれ目という日を経験されたことがあると思います。例えば、入学試験の合格発表の日とか、結婚が決まるかも知れないお見合いの日、 就職試験の結果通知がある日、昔よくあった倍率の高い宅地分譲、マンション分譲の抽選発表の日等、ドキドキされた経験を持たれた方もお有りだと思います。 私はその全てを経験して参りましたが、振り返ってみれば、縁のままに、生きて来たように思いますが、今回もドキドキ感のある日を迎えるに当り、 自分は「意識して、縁に任せられるか」と問い直しました。そして、7月26日を迎えたその日、縁に任せると申しますか、どちらに転んでも大丈夫という心境を実感しました。 それは、縁に任せるということではなく、二択、三択のどれでも良いという消極的な考え方でもなく、「どちらになっても、新しい縁が生まれるという期待に満ちたスタートになるんだ」 という積極的な受け止めなのです。

●無相庵のあとがき
  ただ、この受け止め方は、私が努力して得た宗教力ではなく、親鸞仏法を実践していた、私の母方の祖父と、母から知らず知らずに受け継いだものに違い無いと思います。 そんな事を思いながら、来週から始まる技術開発に取り組む所存でございます。

なむあみだぶつ

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No.1807  2019.07.22セレンディピティって知ってますか?

●無相庵のはしがき

  私はかなり前に、この『セレンディピティ』という考え方に共感を抱いたことがありましたが、その〝セレンディピティ〟という単語がなかなか思い出せなかったんです。 書棚にある以前読んだ本の中に、〝セレンディピティ〟という単語が載っていそうな本を何冊か斜め読みしてみたのですが、見付かりませんでした。

  そこで、ノーベル賞に関連がある言葉だった事を思い出し、中でも、2000年に受賞された白川英樹先生の導電性高分子合成法が関連ありそうでしたので、 白川先生を紹介するWikipediaを検索したところ、その中に、『セレンディピティーを知っていますか』という単著の名前を見付け、「これこれっ」と〝セレンディピティ〟という単語だったことになり、 すっきりした次第でした。

●セレンディピティとは
セレンディピティとは、英和辞書で、『探してもいない珍宝を偶然に発見すること、思わぬものを偶然発見する才能、掘り出し上手」と説明があります。
  また、別のインターネット検索では、「セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、 探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ること」という説明もありました。

  私は白川先生のようなノーベル賞に結びつく幸運な目に遭遇したことは有りませんが、白川先生と同じく化学の分野で生きて来た人間ですので、プリンス技研という会社を起こしてから、 技術開発を約20年、今も続けている事業は、或る技術開発の主たる材料だった高分子材料(プラスチック)のメーカーの取締役開発本部長が、たまたま同じ大学の研究室で一緒だった親友だったことで、 その企業の技術陣を紹介してくれまして、その技術陣のお一人とのディスカッションから運命的なヒントを得られ、有用な特許出願に至り、その後、技術は進化して、合計4件の特許権を得ることになりました。

●無相庵のあとがき
  その他にも、運命的だなぁー、これも縁だなぁと思えることも二、三あり、今も貴重な開発課題に取り組める幸運を得ています。
  これを本当の珍宝にするために努力しているところです。

なむあみだぶつ 、

  


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No.1806  2019.07.15 「無相庵コラムを始めて、19年」

一昨日の7月13日(土曜日)、2000年(平成12年)の7月13日に始めた無相庵コラムから満19年になりました。 コラム数も1805にもなっていました(なお、アクセス数は、352311)。2000年(平成12年)と申しますと、私が脱サラ起業したのが、 1992年(平成4年)ですが、売上高が90%無くなる目前という極めて苦しい経営危機の時でした。

  多分私は、苦しさを仏法という教えに依って乗り越えようとしたのだと思いますが、 乗り越えたからこそ、今があるのかも知れませんが、それは、様々な人々や取引先のお陰、社会のお陰、 つまり縁に恵まれて、危ういところで倒産を免れ、自己破産を回避して来たように思います。

  無相庵コラムを毎週発信することで、仏法を学んで参りましたが、では、私が19年前より、人格が良くなったか、 禅門でいういわゆる悟りが開けたのか、真宗でいう安心(あんじん)を得たのかを自分に問い掛けますと、 即、答えは、「いいえ、とんでもございません」ということで、煩悩はいっこうに消えません、というより、老いてますます、 燃え盛っているようにも思います。

  今は、技術者としての最後の仕事で、「逆転、さよなら、満塁ホームランを打って」、経済的に迷惑をかけた妻子や、 2002年に止む無く解雇した元従業員約30名に対して、お詫びと、私の名誉挽回を計りたいという、煩悩に燃えているところです。

  私の今の偽らざる心境を吐露させて頂きましたが、でも、それもこれも、やはり、「何事も縁に依って起こる」という仏法の肝の教えに 支えられて来たからてはないかという、ささやきが、聞こえない訳でありません。

なむあみだぶつ

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No.1805  2019.07.08米沢英雄先生の『自然法爾(じねんほうに)』(光雲社出版)―南無阿弥陀仏と頼ませ給いて-③

●無相庵のはしがき

  『南無阿弥陀仏と頼ませ給いて』の章を今回で終りますが、今回の一番末尾にある、「南無阿弥陀仏の心をいただくということ」と、「それが容易ではないことが、とても大事なこと」という 米沢先生のお言葉を、私は真摯に受け取らねばならないと思いました。これが、新興宗教の教えと最も大きな違いだと私は思い、感動を覚えております。

●米沢英雄先生の『自然法爾(じねんほうに)』(光雲社出版)―南無阿弥陀仏と頼ませ給いて-③

 南無阿弥陀仏と頼ませ給い、いくらでも言ってやる「ナンマンダブ」これでいいかという。どれくらい称えれば、百万べん称えればいいかという。そんなものでない。
  南無阿弥陀仏というのは、南無しなければならない。宇宙一切のおかげによって、生かされて生きている自分であるという、これが南無であるのですから。南無阿弥陀仏と口で称えるのも、 10念の念仏というのは楽なものです。「ナンマンダブ、ナンマンダブ」すぐ済んでしまうでしょ。

  しかし、南無阿弥陀仏の心をいただくということになると、これは容易ではないのです。一生かかってもだめかも知れない。南無阿弥陀仏するときもあるけれども、 南無阿弥陀仏しとらんときもあるのです。ただ上の空で、「南無阿弥陀仏」言ってるときもある。これは非常に大事なことです。

●無相庵のあとがき
  「心をいただく」ということは、何事にしても大事なことです。贈り物を頂いた時、贈り物も然ることながら、その贈り物に込められた心をいただくことが大事ですし、 昨日から始まった大相撲も、ただ勝てばいいというのではなく、元貴乃花親方が大事にしていた相撲道の心をいただくということも、南無阿弥陀仏の心をいただくというニュアンスではないかと思います。

なむあみだぶつ

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No.1804  2019.07.01米沢英雄先生の『自然法爾(じねんほうに)』(光雲社出版)―南無阿弥陀仏と頼ませ給いて-②

●無相庵のはしがき

  前回から今回へと続く、『南無阿弥陀仏と頼ませ給いて』という法話が私達に訴えているのは、私達が仏さまから念じられているという、普通一般の考え方とは真逆の考え方だと思います。 これは、他の仏門とは反対の考え方だと思います。そしてこれこそが、親鸞仏法の最も大切な要点であると、私は思いますが、それは、米沢先生が、親鸞聖人が遺された『自然法爾章』を読み解かれて、 「南無阿弥陀仏と頼ませ給いて」を、仏様の方が私たちに念じていらっしゃると説明して頂いて、私は気が付けたのです。

●米沢英雄先生の『自然法爾(じねんほうに)』(光雲社出版)―南無阿弥陀仏と頼ませ給いて-②

 南無阿弥陀仏と頼ませ給いて、念仏を称えてくれよ、と。念仏を称えてくれよとは、口で「ナンマンダブ」言うことでない。南無阿弥陀仏になってくれと、南無してくれと。
  そうすると、あなたの愚痴がこぼれないようになるのです。南無と頼ませ給いて、これは大したことです。

  こういう頼ませ給いてという言葉を使ったところに、親鸞さまがあるということですね。我われのために本願を立ててくださったのです。けれど、本願を立てたということを、 我われに恩を着せんというところに、頼ませ給いてという言葉があるのですよ。

  みんな恩を着せたがるでしょう。
  隣にカステラをあげる。隣の奥さんが黙っている。そうすると気にいらないんです。お礼をいわせたい――お礼をいわせたい場合にどういうかというと、遠回しにいう。 あのカステラうまかったかと、こういうふうにいうのです。そういうふうにして、遠回しにしてお礼をいわせんと気がすまないというものを持っている。

  恩に着せたがるのですが、阿弥陀如来は、恩に着せないのてす。南無阿弥陀仏と頼ませ給いて、南無阿弥陀仏してくれと、仏の方から頼んでおるというのです。
  仏の方から頼まれても、仏の要求を拒否するところに、我われがあるという事を知らないのです。

●無相庵のあとがき
  私は、幼い時から親鸞仏法に親しんで参りましたが、私の聞き方、受け止め方が、親鸞聖人の本当の教えに気付かないまま、永年過ごして来たように思います。
  そういう意味では、この法話は、実に有り難かったと思っております。そして、もう一度、過去にお聞きした米沢先生以外の先生方の法話も聞き直そうと思うに至りました。

なむあみだぶつ

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No.1803  2019.06.24米沢英雄先生の『自然法爾(じねんほうに)』(光雲社出版)―南無阿弥陀仏と頼ませ給いて-①

●無相庵のはしがき

  今回と次回、『南無阿弥陀仏と頼ませ給いて』という章をご紹介致しますが、私たちは、「南無阿弥陀仏」と称えて、仏様のことを思い、念じると思っておりますが、それは、 大きな考え違いだということだと思います。 「南無阿弥陀仏と頼ませ給いて」という表現から、これは仏様の方から、私たちに向かって「南無阿弥陀仏」と念じておられるのだと思います。

●米沢英雄先生の『自然法爾(じねんほうに)』(光雲社出版)―南無阿弥陀仏と頼ませ給いて-①

  弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏
  とたのませたまひて、むかへんとはからせたまひたるによりて、行者のよ
  からんとも、あしからんともおもはぬを、自然とはまふすぞとききてさふ

  これは、我われのはかららいを超えておるということをいうておられるのです。
  我われのはからいを超えておるというのは、具体的な事をいうと、気象通報のことですけど、福井は、昨日大雨注意報が出ていたんです。ところが少ししか降らなんだ。大雨洪水注意報が、 だんだん中部の方へ移動した。私が、福井を出て、桑名までゆくというので、家内は桑名の方がひどいのでないかと、汽車が遅れるのでないかと心配してくれました。

 ここへ着いてみたら雨は降ってない、昨日の朝迄降ってましたと。今日降るとよかったんです。昨日の大雨だと、皆さん来られないので、私は早く帰られる。みんな笑うけどさ、自分中心に考える点では、 みんなも一緒でしょう。そういうものです。

 だから、雨が降らないでいいやら悪いやらというもんです。皆さんも、雨が降ると洗たく物の始末に困るかも知らないけれども、また家で出来ることもある。隣の奥さんと、噂話が出来るでないですか。 こんな所に来たために、足にしびれはきれるし、気の毒に。

 ここで非常に大事なのは「南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからせたたまひたるによりて」、南無阿弥陀仏をしてくれと、仏の方から頼んでおられるという。

 仏のいう事をきかないのが我われです。

●無相庵のあとがき
  仏さまが何にを念じておられるのか、それは、我われ一人ひとりが、人間に生まれた意味、そして不可思議さを思い、今日一日の命を大切にして欲しいと願っておられるということです。 しかしながら、米沢先生が「仏のいう事をきかないのが我われです。」と仰せのように、仏の声が、そしてその本願が私たちになかなか届かないというのが、現状でありますが、 そこで私たちは、仏さまの「南無阿弥陀仏」という呼びかけに応じて、感謝と慙愧の心を添えて、共に合掌して参らねばならないと思った次第であります。

なむあみだぶつ

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No.1802  2019.06.17米沢英雄先生の『自然法爾(じねんほうに)』(光雲社出版)―身辺の一切の物から真実を教わる―③

●無相庵のはしがき

  今日の法話の中にある、「刑務所は入る人がおるお陰で、刑務所の看守や所長が生活できるのです。」という、「善悪を一概に決めつけられない」という例え話として用いられた米沢先生の内容は、 如何なものかと私は思いました。強盗殺人を起こす極悪人がいるから警察があり、それで警察の人達が生活できているということでもあり、仏教徒でない一般の人々に、 悪いことをする人たちの存在を肯定してしまうことになるではないかと受け止められかねないので、注意を要するのではないかと思います。

  「しかし、親鸞さまの言われるのは本当です。如来がこれが善である、これが悪であると言われるほど、自分が知っておれば、善悪を知っていると言えるけれども、 自分では、善悪はわからん。」ということを強調されたいがためであることは、親鸞仏法を身につけておられる方々は、充分に理解されるものと思います。

●米沢英雄先生の『自然法爾(じねんほうに)』(光雲社出版)―身辺の一切の物から真実を教わる―③

 私は、福井でタクシーに乗ったとき、タクシーの運転手さんが言ってきました。

  刑務所に入る人なんて、どうしてああいう者が出てくるのでしょうって、憤慨しておるのです。
  私はちょっと考え方が左巻きなもので、刑務所は入る人がおるお陰で、刑務所の看守や所長が生活できるのです。何が善であり何が悪だかわからんと、親鸞が言っておられる。 いい年して、何が善だか、何が悪だかわからない。

  しかし、親鸞さまの言われるのは本当です。如来がこれが善である、これが悪であると言われるほど、自分が知っておれば、善悪を知っていると言えるけれども、自分では、善悪はわからん。

  刑務所に入る人がおるお陰で、刑務所の看守や所長が生活できるということまでは、みなさんは考えておらないでしよう。自分を基準にして、幸いにしてその人(運転手さん)は、 刑務所に勤めておられないから、そういうことが言えるのですけど、刑務所に勤めるようになったら、「囚人大歓迎」というものです。余計囚人が入ると、ボーナスが増えるかも知れない。

  我々の考えというものは、いい加減なものです。自分中心に、自分の好き好みで、考えているということです。非常に危ないものです。

●無相庵のあとがき
  米沢先生の、「我々の考えというものは、いい加減なものです。自分中心に、自分の好き好みで、考えているということです。」というご指摘は、私たちが日常生活で、 最も注意しなければならないことだと思います。

  最近、私はある企業との交渉事で、自分は正しく、相手が全面的に悪いという主張をする社長に遭遇しましたが、そう批判する私自身も、同じく「自分は正しく、 相手が全面的に悪いという主張をする」人間ではないかと、深く反省しました。

  そして、人はそれぞれ生まれ育ちも異なり、学歴・職歴も経験体験したことも異なっているわけですから、考え方、価値観も異なります。従ってお互いに理解出来るはずも無く、 時には腹立ちもし、一時の感情で絶交に至ってはいけない、ビジネス社会に身をおく者としては我慢も必要なのだと、強く強く自分に言い聞かせたところでありますが、私は前回のコラムで、 『「縁は待つものでもある」という事だと思ったことでした。』と申し上げましたのに、舌の根も乾かぬうちに、またしても縁を待てない自分に愕然とするばかりであります。 「我が身が可愛いくて仕方が無い」、それこそ、親鸞聖人仰せの罪悪深重煩悩熾盛の凡夫は私ではないかと、いつまで経ってもその座に腰を下ろせない我が身、我が心をどうすればよいかと・・・。

なむあみだぶつ

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No.1801  2019.06.10「宿業の身」から発動する貪欲・瞋恚・愚痴は臨終の一瞬まで消えない

●無相庵のはしがき

  数年前から私は、中村了權師の洗心会が発行されている『洗心』という季刊誌を無料配布して頂いております。今回は、今年の5月発行された『洗心』の中から、 【「宿業の身」から発動する貪欲・瞋恚・愚痴は臨終の一瞬まで消えない】というお話を引用し、紹介させて頂きます。

中村了權(なかむら・りょうごん)師のご紹介:
  1937年、岐阜県養老郡生まれ。大谷大学文学部仏教学科卒業。宗教文化専門紙・中外日報社編集局記者、兵庫女子短期大学副学長、兵庫大学教授などを経て、現在、兵庫大学名誉教授、 一般財団法人洗心会理事長。

  著書に『親鸞に生きる人間像――現代人の精神遍歴』(文明堂)、『親鸞仏教の宗教力――悲痛な現代を生きる〈安楽論〉』『親鸞仏教〈いのち〉の共生力』(春秋社)など、多数。

●「宿業の身」から発動する貪欲・瞋恚・愚痴は臨終の一瞬まで消えない

 仏教は、分別のはたらきでは決して制御も抑制も消滅もさせることができない『阿頼耶識(あらやしき)』のはたらきによって発動する不条理な状況(絶望的な状況)の圧迫から人びとを解放する教えです。  真実の智慧と慈悲のはたらきを、〈いのち〉とする阿弥陀仏の本願のはたらきを顕現する大乗仏教経典『無量寿経』の教えは、まさにさまざまな不条理の圧迫に苦しむ、 「阿頼耶識」のはたらきに束縛されて生かされて生きている人びとの生活全体の実際を悲憐(ひみん)してその人々が安心・安穏・安楽に生かされて生きて往くことが出来る〈浄土〉の世界を成就する教えです。

            ―中略―

  つまり、人びとの生命的存在の根源に潜むものは「阿頼耶識」のはたらき、すなわと宿業(しゅくごう)のはたらきであり、この宿業のはたらきは人びとの思いを超えて、 すでにあるさまざまな社会的関係性のうちで、いろいろな条件や契機(縁起のはたらき)に誘発され、どのような行動をも発動する原動力であって、人びとの生活全体の実際はまさに、 この宿業のはたらきによって成立するものです。

●無相庵のあとがき
  唯識では、『識』を眼・耳・鼻・舌・心・意の六識に『無意識』を加えて七識としておりますが、その『無意識』 を「マナ識」と「阿頼耶識」に区別しており、合計八識となった所以でございます。

  『宿業』とか『阿頼耶識』いう言葉には、ネガティブなイメージがありますが、そうではありません。飽くまでも人間にとって、良いことと悪いことはあっても、 阿頼耶識の種には良いも悪いもありません。私の過去の祖先達、そして自分がこの世に生まれ出て以来巻いた種が芽吹いて、色々な縁に巡り逢います。

  『宿業』は『宿縁(しゅくえん)』とも言い換えられておりまして、本当は、縁に任せれば良いものを、私の性分は〝せっかち〟ですから、私の事業が良い縁に遭うように、 焦って先手先手を打ってしまいます。「縁に任せる」という仏法の教えを実践出来ていないなと反省は致しますが、なかなか〝縁に任せて〟とは参りません。そんな自分にとって、 一昨日のMBSの番組『サワコの朝』に出演されていた、極上の孤独を楽しんでおられる下重暁子(しもじゅう あきこ、1936年5月29日 - )さんの『蜘蛛(くも)』のお話。蜘蛛は、 自ら仕掛けた蜘蛛の巣に獲物がかかるまで、じっと堪えて待つ、『待つ力』を持っているという話は、私をハッとさせてくれました。成る程、もし蜘蛛が焦って巣の網の中を動き回っていたら、 獲物はかからないことでしょう。「縁は待つものでもある」という事だと思ったことでした。

なむあみだぶつ

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