No.1820  2019.10.28これからは、〝ゆっくり〟をモットーに生きて参ります。

●無相庵のはしがき
  10月22日に天皇陛下の『即位礼正殿の儀』がございました。その厳かな儀式を拝見していて思いましたことは、儀式の進め方、皇族方の動きが、まことに〝ゆっくり〟だと云うことです。 そこで私は、私も残りの人生、ゆっくり生きて行こうと決意しました。

●これからは、〝ゆっくり〟をモットーに生きて参ります。

  私は生来セッカチで、何事もセカセカと思考し、行動も何を焦っているかと云うような位だと自覚しておりまして、それを直そうとして参りましたが、決して直ることは有りませんでした。 しかし、『即位礼正殿の儀』を見て以降、10月22日からは仏道修行と思って、セカセカ・イライラを直す努力をしているところです。

  例えばスーパーで買物をしてレジに並ぶ時、これまでは、並んでいる人数が一人でも少ないところを見きわめ、レジを選んだりしていましたが、そういうことは止めましたし、 ビジネス上、他の会社の人に何かを依頼した時、直ぐに回答が来ることを想定し、その通りに来ない時にはイライラと焦ることがあり、督促したりすることもありました。それでは駄目だと思い、 我慢する努力しています。

  が、しかし事はそう簡単なことでは無いと気付きました。と申しますのは、セカセカ、イライラの元は、「早くしたい、早く結果を出したい」と云う私の煩悩の燃え盛りであるからです。 これは、いわゆる、「我が煩悩を如何にして制御するか」と云う仏法の根本問題の壁にぶち当ることになったことに気付いた訳です。

●無相庵のあとがき
  上述のように、仏法の根本問題の壁にぶち当ることになったことに気付いたのは良いのですが、この解決は、仏道修行に依るしか有りません。しかし、 これまでの74年間でも為し得なかった壁ではございます。生易しいことではありませんが、今回そのことに気付いたことを、大きいチャンスと捉え、これからの毎日の課題として、 取り組んで参りたいと思っております。

  ここでコラムを終わろうと思っていましたが、10月26日(土曜日)のMBSテレビの『報道特集』で、「イスラム教スンニ派に属する過激武装組織である」いわゆるISが、 中東で地域の幼い子を含む人民を無造作に殺し、虐(しいた)げている映像を見まして、私の決意なんかは、余りにも視野の狭い〝取るに足らないもの〟だと反省させられました。自分以外の社会とか、 近隣、知人、友人の為に役立つ事に意識を向けなければならないと思ったことです。

なむあみだぶつ

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No.1819  2019.10.21俯瞰(ふかん)的思考の大切さ

●無相庵のはしがき
   私は、樹木希林さんの著書『一切なりゆき』に大いに刺激を受けてしまい、事ある毎に、著書の中にある単語が思い浮かびます。その中の一つが今回取り上げる『俯瞰(ふかん)』です。 樹木希林さんは、何事も俯瞰的に観て、判断をされたようです。俯瞰的思考は、自己中心的な考えでは出来ないと思います。相手の立場になって考え行動することこそ、 俯瞰的思考が大切だと考えられる所以だと思います。私たちには、煩悩がありますから、俯瞰的思考からは遠い存在だと思います.従って、俯瞰的思考と行動をする人には、怖さを覚えるもののようです。 樹木希林さんは、そういう意味で、俳優としては撮影現場では怖がられていたそうです。

●俯瞰的思考の大切さ

  『俯瞰』を広辞苑で調べますと、「高い所から見下ろし眺めること。」、「離れたところか客観的に見る」ということです。能く、 安部首相は地球儀を俯瞰的に観て外交していると言われます。つまり、東シナ海だけを観るのではなく、その他の地域も含めて、外交を考えるとうことですが、 本当にそうされているのかどうかは別にしまして、物事を考える時に俯瞰的立場で観るということは大切ではないかと思います。それは、私が属するビジネスの場でも、能く感じることです。 ビジネスの現場、つまり、営業の場でも、技術開発競争の場でも、競争に勝たねばなりませんから、時として、相手の立場を考えずに行動する企業もございます。弊社の特許を無断で利用したり、 弊社の特許をリスペクトせずに、行動する相手も多々見受けられます。本当は特許法違反ですが、法廷に持ち込むには、裁判費用等、多額の経費がかかり、我が社のような零細企業では、対処不可能というのが、 現状でございます。

●無相庵のあとがき
  零細企業の愚痴を申すことになりましたが、私がもし、経営者として俯瞰的思考が出来ていましたら、そういう愚痴をこぼさないで済む賢い経営が出来たのではないかと、 反省しているのが実情でございます。俯瞰的思考をすることで、色々と失敗を事前に防止出来るのではないかと思います。 俯瞰的思考が必要なのは、争いの典型的な場、スポーツの場でも同様です。サッカーでも、ラクビーでも、アマチュアは、ボールが在る狭いところに選手は集まります、それでは勝てません。 全体を見渡したプレーが出来る選手が多い程、勝つ確率が高まります。

なむあみだぶつ

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No.1818  2019.10.14自力は無効と思えるか?

●無相庵のはしがき
  私は今、大きな技術開発課題に直面し、頭の中は日夜、課題の解決策が浮かんでは消え、浮かんでは消える状態です。そして、「これはっ」と思える解決策を試作実験で検証する日々を送っています。 なかなか「これでよし!」ということにならない事が多く、まさに、自分の力の無さを思い知らされ、「自力無効」状態になりますが、私はその時、親鸞聖人も思い通りにならない状況という、 私たちと同じ目に遇い続けられて、念仏申す身になられたのはないかと思っております。

●自力は無効と思えるか?

  『自力無効』とは、仏教の中の浄土真宗(親鸞聖人が開祖)の教えです。「自分の力だけでは、何事も為し得ない」という教えなのですが、私たちは、 何とか自分の努力で何事も切り開こうと思って誰しも日夜頑張っています。しかしそれが無効、つまり、役に立たないという教えなのですが、実は、その『自力無効』を知りなさいという教えではありません。

  自力無効と言われましても、私たちは、自分の努力が無効とは思えませんので、一生、頑張ってしまいます。
  しかし浄土真宗は、そういう私たちでは駄目だとは申しません。むしろ、そういう頑張ってしまう自分ということに、早く気付きましょう、という教えなのです。それを樹木希林さんは、 ご著書『一切なりゆき』の中で、次のようにお仰っています。

  『人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前。私自身は、人生を歎いたり、幸せについておおげさに考えることもないんです。いつも「人生、上出来だわ」と思っていて、 物事がうまくいかないときは「自分が未熟だったのよ」でおしまい。こんなはずでは・・・というのは、自分が目指していたもの、思い描いていた幸せとは違うから生まれる感情ですよね。でも、 その目標が、自分が本当に望んでいるものなのか、他の人の価値観だったり、誰かの人生と比べて、ただ羨んでいるだけなのではないか。一度、自分を見つめ直してみるといいかも知れませんね。
  お金や名声もなくて、傍からは地味でつまらない人生に見えたとしても、本人が本当に好きなことができていて「ああ、幸せだなあ」と思っていれば、その人の人生はキラキラ輝いていますよ。』

●無相庵のあとがき
  念仏を申す身になられたということは、自分の本質を見極められたからではないかと思います。樹木希林さんが、仰る「その目標が、自分が本当に望んでいるものなのか、他の人の価値観だったり、 誰かの人生と比べて、ただ羨んでいるだけなのではないか。一度、自分を見つめ直してみるといいかも知れませんね。」は、それを言い当てられたのではないかとも思います。 樹木希林さんは、浄土真宗系の女子校で学ばれたということですので、彼女のことですから、浄土真宗の教えの本当のところを追求されていたのかも知れません。

なむあみだぶつ

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No.1817  2019.10.07樹木希林さんの二元論

●無相庵のはしがき
  物事には、裏表があるという考え方は、特別な考え方ではないと思います。しかし、全身が〝癌(がん)〟と医師から告知された樹木希林さんなればこそ、説得力がありますね。 私の場合は、〝貧乏〟と〝お金持ち〟に応用したいと思います。〝貧乏〟は辛いことばかりですが、〝貧乏〟だからこそ、ちょっとしたことが嬉しかったりします。ずっと美味しい食事をしていたら、 食事を美味しいとは感じないと思います。例えば、皇族の皆さまは、常に御馳走ばかりでしょうから、庶民の私たちが、たまに食べて舌鼓を打つ、お茶漬けとたくわんの味はお分りにはならないと思います。 そして運動の後のビール一杯、これは貧乏人には堪りませんね。

●樹木希林さんの二元論(ご著書からの抜粋引用)

  『病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろう』
  私の場合、癌の治療前後で、生活の質に大きな変化はありません。映画(『神宮希林 私の神様』)の中でも、私は、「高齢者をいたわりなさい」などとブツブツ言いながら、 石段を登ってお参りしたり、式年遷宮で使うヒノキを育てる神宮林という山を歩いたりしています。無理をして元気そうに見せているわけではなく、これが自然体なんです。そこには、 医学による治療だけでなく、多分に心の状態が影響していると思います。体調の基本となる血液のめぐりや栄養の吸収などは、私自身がもともと持っている生活習慣や心のあり方と直結していると感じています。 心の問題と、医療でつぎはぎしたりして悪いところを取ったりする技術とが融合していかないと、本当の元気は手に入らないのかも知れません。

  西洋的な二元論の考え方に従えば、病気が〝悪〟で病気でない状態が〝善〟。でも、一つのものに表と裏があるように、物事には善の面もあれば、悪の面もあるとわたしは思うんです。 そういう東洋的な考え方が自分の身体の中に入ってきて、宇宙の大きなものに対して働きかけるような、「祈り」という行為に感応していく。それが総体的にひとりの人間となって生き生きしてくるんじゃないか、 という感覚なんです。どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、 こんなつまらない人生はないだろうと。 (「全身がん 自分を使い切って死にたい」2014年5月)

●無相庵のあとがき
  それから、私の経営する会社がもし、経済的に豊かなら、私は海外旅行に行ったり、飲み歩いたりして、必死で研究開発に取り組んでいないと思います。 何とかしなければならないと云う想いがあるから、色々と勉強もし、四六時中、頭の中は、仕事の事ばかりが占領しているのだと思っております。これは、貧乏のお陰だと思っております。
  樹木希林さん流に言うならば、「貧乏は駄目、金持ちは全てに渡って良いという二元論だけなら、こんなつまらない人生は無い」ということだと思います。

なむあみだぶつ

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No.1816  2019.09.30「金の切れ目は縁の切れ目」と言いますが

●無相庵のはしがき
  表題の『金の切れ目は縁の切れ目』は、昔から能く聞く格言です。人生の真実や機微を述べ、万人への戒め・教訓となるように、簡潔にした言葉を格言と言うようですが、 お金に纏わる格言の第一位が、この『金の切れ目は縁の切れ目』だそうです。
  「金の切れ目が縁の切れ目」になった経験を、多くの方々も、経験されていると思います。それは、知人・友人との間で経験されたことでしょうが、私の場合は、今も身を置くビジネス世界で、 何回か経験して来ました。

  そして極最近も、或る企業からの依頼で始めた、我が社の特許技術を応用した製品の開発の最終局面で、当然先方が負担すべき費用を請求しても、正当な理由も無く応じない企業があり、 私は縁の切れ目にしようと考えました。

●「金の切れ目は縁の切れ目」と言いますが

  何故、縁の切れ目にしようと考えたのかと申しますと、「縁の切れ目は、新しい縁に向けての絶交のチャンス」と受け取って行くことにしているからです。 振り返れば、それはこれまでも、常にそうして乗り越えて来たと言うか、今も、そしてこれからも続いて行くと思うからです。縁というのは、非連続ではなく、縁が次の縁を呼び覚まし、 それは、亡くなるまで連続するものだと思うからです。又、私が亡くなることに依って、別の形で子や孫に縁が受け継がれていくということなのかも知れません。

●無相庵のあとがき
  『縁は異なもの味なものの』という言葉もあります。これは、男女関係を言い当てたものですが、今では、日常生活で生じる様々な縁に付いても使われるようになっています。 樹木希林さんの、『一切なりゆき』も、そのようなことだと思います。私は今でも、樹木希林さんの『一切なりゆき』の本を読み返すことがありますが、読めば読む程、樹木希林さんが、 本当の自由を求めて、如何に仏教の教えに添って生きられたことかと刺激を受けています。

なむあみだぶつ

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No.1815  2019.09.23「へぇー成り行きにまかせましょう。」

●無相庵のはしがき
  表題の「へぇー成り行きにまかせましょう。」(ここの〝へぇ〟は、語尾が下がる方の返答ニュアンスの〝へぇ〟です)は、私が敬愛する故井上善右衛門先生(元神戸商大、 現兵庫県立大学の学長)が、足利浄円師(昭和35年(1960年寂、82歳、実子に京都女子大学創始者の甲斐和里子師や龍谷大学学長を務めた足利瑞義の父親である足利義山師の孫で、僧侶)を、 前の晩に宿泊された、井上善右衛門先生のご自宅(阪急六甲)から講演予定のある広島市に向かわれる途中の阪急電鉄のトラブルに依り、 JR三宮駅で乗り換える列車に乗り遅れそうになった際に、焦る井上善右衛門先生に向かって発っせられた瞬時のお言葉です。 この話を、樹木希林さんの「一切なりゆき」をキッカケに、思い出し、私も絶対に,井上先生と同じく焦っただろうと、 「成り行きに任せること」の難しさと、仏法を本当に身につけられた方は違うんだなぁと、あらためて恐れ入った次第です。 事の次第を、本文にてお伝えします。

●「へぇー成り行きにまかせましょう。」

       季節も日時も忘れてしまったが、足利浄円先生が与えて下さった不滅の教えとその時の感銘とが昨日のことのようにありありと蘇ってくる。

     前夜私の宅にお泊り下さって、翌朝三宮駅から急行で広島に発たれるその朝の出来事である。 なるべく汽車の待ち合わせが長くならないようにと、心をくばって時間を計り、先生とともに家を出て阪急電車六甲駅までご案内したまでは無事だった。 先生の傍にある心のなごみで朝の空気も清々しく感じられた。阪急六甲から三宮までは十分とはかからない。これから行けば予定の急行にはほどよい時刻である。プラットホームに腰掛かけて六甲の山をうち眺めながら、何やら先生と言葉を交わしていた。 ところがどうしたわけか、大阪行きの上り電車は通過するのに、三宮行きの下りが来ない。遅いですなと私が時計を見たときである。駅のスピーカーが声たてて響いた。

     「皆さんにお伝えします。下り電車は御影駅まで来ていますが、故障で止まっています。恐れ入りますが暫くお待ち下さい」さあ困ったと思った。限られた時間しか残っていない。しばらくして来ればよいが、それがわからぬ。 先生はその急行で発たれないと向こうでの講演に間に合わない。何の懸念もなく立てた私の計算は狂うてきた。おだやかでない心が一秒一秒嵩じてくる。しかし待つより外にはない。するとスピーカーが再び叫んだ。

     「恐れ入りますが、いま暫くお待ち下さい。故障を点検していますが、いつ発車できるか不明です」アナウンスは驚く気配もないが、私にはショックである。 「不明」なものを「暫く」とは何事かと胸は騒ぐが詮ないことである。またしてもまたしても時計を見る。急行に遅れる責任はヒシヒシと案内役である私にかかって来る。とうとうじっとしておれなくなって、せき込んでわたしは先生に言った。

     「どうしましょう。急行に遅れます。バスに乗りましょうか。タクシーを拾いましょうか」バスに乗れば大廻り、タクシーに乗っても直線で走る電車のような訳にはいかないから急行に間に合うとは思われぬ。 それを知りながら、どうして先生に問い掛けたのか私にもわからぬ。燃えている火がわけもなく揺れ動くようなものであろう。すると先生は、私のせき込む言葉に応えて、

     「へぇー成り行きにまかせましょう。」その一瞬。私の燃え動いている心はザブッと冷や水をかぶる思いがした。その感銘を忘れない。そのときの私の顔が写真にうつっていたら、おそらく見ものであろう。 私は答えることを忘れて呆然とした。それからどれほど経過したかを覚えぬが、長くはたたぬうちに電車が来て、それに乗って三宮駅に着いたときは、ギリギリ一杯、ホームに駆け上り、先生を列車に乗せて窓から荷物を渡した。 動く列車の窓から先生いとも静かに「へぇ、有難うございました。左様なら」

     列車が消えてから我に返った私は、いましがたの出来事を噛みしめ噛みしめ家路についた。あのときの「成り行きにまかせましょう」と言われた言葉はまことに珍無類である。思い出すと可笑しくさえなる。 「このまま待ちましょうか、バスにしましょうか。タクシーに乗りましょうか。」とおたずねしたのだから、全くそれの答えとはならぬ。しかも私が冷水を浴する驚きを喫したのは、何故か。 慌てふためいて真実を見忘れ仰天している心そのものに光を当てて、その迷妄を破されたからである。

     『智度論』にこんな喩えがある。犬に石を投げると投げた人には気づかず転ぶ石を懸命に追いかける。ところが獅子に石を投げるとその石には眼もくれず、投げた人に向って飛びつくというのである。 我々の問答というものは転がる石をどこまでも追いかけ廻る。しかしそこに解決の道はない。気づかなかった根源の問題点にたちかえり、それを照らす真実の光に遇うたとき、我々の心には必ず驚きが起こり感動が湧く。 決して意図的に私をたしなめられたのではない。住む心の大地が自然に動いて即妙の言葉となり、それが私の盲点を射たにちがいない。

     教えとは言葉でもなければ文字でもない。心の扉が開かれて真実の活動に道が与えられることである。書かれた文字は剥(は)げるが、うまれた生命は成長する。師とはこの生命を育てられる人である。 私は縁起という仏説をただ文字として受け取っていた。そして自分が勝手に計画し計算した予定表が、そのまま次元するかのごとく思うて疑わなかったのである。 縁起を理解したと思うているが心の底は縁起を離れ、自己の思いに立っているから、来ない電車に腹がたつ。そして自ら苦しむのである。 そのとき車の故障が起こるそのことにこそ縁起の事実を見る。縁起を見る人は縁起に生きる。「成り行きにまかせましょう」の一語はこの真実を私の胸に投げ込んで下さった。教えずして導き、語らずして告げるとはこの事であろう。 不滅の教の前に畏(かしこ)み奉(たてまつ)る。

     足利浄円先生からたまわった慈育の一つ一つには常にこのような光が宿っている。問いに応えて下さらぬという人があるが、そうではない。答うべき根源に心光をもって答えられていたのである。先生の偉大さはこのようなところにあったと思う。

●無相庵のあとがき
  「成り行きに任せよう」と、私も思うことはあります。しかし、心底、成り行きに任せられるかと自問自答する時、成り行きに任せられていない自分に気付かされます。 足利浄円先生の場合は、縁に生かされているご自身の心身を本当の意味で悟られていた故に、目の前の困難やトラブルに自然体で、「成り行きに任せられた」のだと思います。 足利浄円先生は、「一切なりゆき」を生きられた方だったのだと思います。それを教えて頂いた井上善右衛門先生にも、感謝です。

なむあみだぶつ

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No.1814  2019.09.16一切なりゆき

●無相庵のはしがき
  表題の『一切なりゆき』は、樹木希林さんのご著書の名前です。150万部のベストセラーになっているとか聞いております。私は、無相庵読者のお一人から紹介を頂き、丁度、 「縁に依って生きている今の私」というコラムに取り組んでいたところであり、「なりゆき」というのは、「縁」という言葉を平易な言葉に言い換えたものだと考えていましたので、 あの樹木希林さんが仰る「なりゆき」とはどういうことだろうかと興味もあり、即取り寄せて読みました。そして、内容に驚かされました。何に驚いたかと申しますと、 樹木希林さんが沢山の本を読まれており、それは、仏教も含めて、多岐にわたるものですし、人生を大切に生きられていたことを知り、私の知っている樹木希林さんとは全く別人格の方だったからです。

  それで、驚かされた点を申し述べ、皆さんにも、樹木希林さんが昨年9月15日に亡くなられる直前までの素晴らしかった人生を纏めて、皆さまと共有し、私たちのこれからの人生に、 活かせたら、樹木希林さんも喜んで下さると思います。

●一切なりゆき

  樹木 希林(きき きりん、1943年〈昭和18年〉1月15日[2][1] - 2018年〈平成30年〉9月15日)には、ロックンローラーの内田裕也さんとの間に、 内田 也哉子(うちだ ややこ、1976年2月11日 - )というご長女(エッセイスト、歌手、女優)がおられます。樹木希林さんがその也哉子に最後に伝えたのは、「おごらず、他人と比べず、面白がって、 平気で生きればいい」という言葉です。なかの「面白がって」というのは、「なりゆきと一体になって」ということではないかと思います。考え方としては、禅門の悟りとも似た心境で生きればいいということではないかとも思います。 樹木希林さんの考え方の根底には、仏法があるように思います。樹木希林さんのご著書の『表表紙(おもてびょうし)』 に、本の名前と共に樹木希林さんご自身の顔写真が大きく載っているのですが、そのご自身の顔に付いて、『顔施(がんせ)』だとおっしゃっていますが、その他にも、ご著書の中には、仏教との関わりを感じさせる事が散見されます。 例えば、真言宗の開祖である弘法大師空海の「生まれ、生まれ、生まれて生の初めに暗く」という言葉が引用されていますし、『お経の中に、「一生にも、二生にも三生にも」という、一生だけではなく、 人間はいろんな試練や出来事に遇うというのだったら、何も今生をここからここまでと、決めずに、まあ、今生はこういう顔して生まれて来たけど、次はまた違う姿かも知れないし・・・』ともいわれています。 また、ご自分でも他の人々を和ませる写り映えだと思われたからでしょうが、それを表現された『顔施』というのは、仏法の教えとして有名な 『無財の七施(むざいのしちせ)』の中の一つで、「優しい笑顔で相手の人に接する」という誰にでも出来るお布施というものですが、無相庵カレンダーの13日目にございます、 『和顔愛語(わげんあいご)』も『無財の七施』から来ています。

●無相庵のあとがき
  加えて、樹木希林さんは、本の中で、「女学校が浄土真宗系だったし、鬼子母神(きしぼじん)がそばにあって、御会式を見たりなど、子どもの時から仏教が身近だったので、 自然にお経を上げる心境になったのだと思います。」とも仰ってますので、彼女の心の根底には、浄土真宗の説く、「縁に依って生かされている」という教えがあるのだと思った次第であります。 著書の名前が、「一切は縁に依る」というよりも、「一切なりゆき」とされたことで、一般の方々が取っつき易かったのだろうと、仏法を発信する者として、大いに勉強になりました。

なむあみだぶつ

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No.1813  2019.09.09縁に依って生きている今の私ー⑤

●無相庵のはしがき
  私は前回の〝無相庵のあとがき〟で、「縁に任せられないことに悩む必要はなく、自分に起こって来る全ての現実、現象は、自分が支配出来ない〝なりゆき〟なんだと、 微妙なニュアンスの〝諦め心〟で暮らそうと、一段落しています。しかし、この悟りは、そうは長く続かないかも知れませんが、その時はその時として、なりゆき任せで・・・、と。」と申し上げました。 しかし案の定、一週間もしないうちに、なりゆきに任せられない自分と向き合う羽目になりました。

●縁に依って生きている今の私ー⑤

  9月2日(月曜日)から9月6日(金曜日)までの、私の一週間は、二つの技術開発の案件にのみ費やしました。どちらも、成功すれば、高い収益が得られる開発だけに、 高い壁を乗り越える必要があり、しかも、他社の協力無くしては乗り越えることが出来そうに無い案件ですので、私の頭はフル回転状態になりました。フル回転の殆どは、 上手くゆかなかった時の次の一手を思い巡らすものでした。つまりなりゆきに任せられずに、必死でもがいている状態でした。「なりゆきに任せられない私」だったのです。

●無相庵のあとがき
  昨日のテレビ番組で、徹子の部屋の特集版に樹木希林さんの過去の出演シーンが紹介されていましたが、樹木希林さんの人生は、ロックローラーの内田裕也氏との結婚も含めて、 常に面白く楽しんで、生きられて、そして最晩年には、医師から全身癌の告知を受けながら、昨年の9月15日に亡くなられたましたが、『一切なりゆき』に任せて生きられた方であり、 私の見立てでは、「苦労を苦労と思わない」で生きてそして亡くなられた希有な方だと思いました。「思い悩むということがなかったんだ」と、思われます。そういう意味では、樹木希林さんは、 自己の煩悩と生涯向き合われた親鸞聖人とは正反対の人格だったと、私は思いました。

  私は、樹木希林さんの「一切なりゆき」という本を注文しましたし、9月10日(火曜日)の『徹子の部屋』の追加特集版『「樹木希林さん特別番組~おもしろうて、やがて不思議の、 樹木希林~」(夜7:00-8:54、テレビ朝日系)』も観ようと思っています。

なむあみだぶつ

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No.1812  2019.09.02縁に依って生きている今の私ー⑤

●無相庵のはしがき
  「縁に依って生きている今の私」と言いながら、「縁に任せて生きられない私」というのが現実の私で有りまして、8月19日(月曜日)の1週間は、 来客続きと、会社の命運が賭かった開発の行方を左右する事態に遭遇し、正直なところ、米沢先生が冗談雑じりの話としてよく仰っていた、「仏法どころではありませんでした。」と言わねばなりません。

●縁に依って生きている今の私ー⑤

  それで、8月26日(月曜日)の月曜コラムの更新が出来ませんでしたが、現在は、少し落ち着いております。それは、或る無相庵の読者様から、 樹木希林さんのベストセラーとかの『一切なりゆき』という本を紹介されたことがあり、「そうか、物事は一切成り行き任せなんだ。」と自分に言い聞かせ始めました。 しかし、今度はやはり、「一切をなりゆき任せにしていられない」自分と向き合うことになりました。『なりゆき』ということは、言い換えれば、仏法の教えである『縁』そのものです。

  『「一切をなりゆき任せにしてられない」自分と向き合うことになりました。』ということは、「縁に任せられない私」ということでありますが、 「縁に任せられる人は居るのだろうか?」と考えました。
  そして、「縁に任せられる人は居ないけれど、誰しも皆、生きて来ており、現実に生きている」ということは、結局は「縁任せで生きている」ことではないかと、逆説的に、納得した次第です。

●無相庵のあとがき
  縁に任せられないことに悩む必要はなく、自分に起こって来る全ての現実、現象は、自分が支配出来ない〝なりゆき〟なんだと微妙なニュアンスの〝諦め心〟で暮らそうと、一段落しています。

  この悟りは、そうは長く続かないかも知れませんが、その時はその時として、なりゆき任せで・・・、と。

なむあみだぶつ

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No.1811  2019.08.19縁に依って生きている今の私ー③

●無相庵のはしがき
  これまで、連続気泡多孔体の製法特許技術獲得に至った経緯を詳細に語って来ましたが、この『連続気泡多孔体の製法特許技術』が、私が私の人生で探し当てた天命の仕事であり。 この技術を更に進化させて行くのが、これからも私が懸命に取り組んでゆくべき仕事であると思いました。それは、この夏、甲子園の高校野球をテレビで観戦したのと、それから、 昭和を代表するお二人の女性歌手を紹介するテレビ番組を観て、実感させられました。

●縁に依って生きている今の私ー③

  どういうことかと申しますと、甲子園に出て来ている球児達は、甲子園に出場する事を唯一の目標として、来る日も来る日も懸命に努力して来て、甲子園球場の土の上で、更に真剣に、 懸命にチームの勝利を唯一の目標としてプレーしている姿は、観衆やテレビ視聴者に感動を与え、勝っても負けても、振り返れば自分自身も一生忘れられない感動的な瞬間だったと思うに違いありません。
  もう一方の、お二人の女性歌手は、美空ひばりさんと島倉千代子さんですが、そのお二人とも、「人生は、楽しいことよりも苦しみや辛いこともあるけれど、 ずっと歌い続けられてきたことで乗り越えられた」と、述懐しておられました。
  つまり、常に真剣に向き合える仕事があったから、振り返れば、大満足の人生だったと仰ってました。
  また、ひばりさんの付け人も、島倉さんの付け人も、そんなひばりさんと島倉さんと一緒に歩めた人生は、とても素晴らしいものだったと振り返っておられました。

  私は、そういう高校球児達や、ひばりさん・島倉さんの姿を私は自分に置きかえ、私は、私の『連続気泡多孔体の製法特許技術』で単にお金儲けをするということではなく、 私が死んだ後も、私の知らない会社が私の技術(特許権は11年後に全て失効致します)を利用して出来た製品が、世の中に役に立っていることを夢見て、技術を進化させようと思っております。

●無相庵のあとがき
  そして、私は、『連続気泡多孔体の製法特許』を最初に取得出来た1999年5月以降の20年間、特許の無断使用等、残念なことや、 なかなか特許が会社の収益を飛躍的に貢献させられず、苦しい経営が続いて来ましたが、いつかは、大きな果実が得られるという確信を持ってこれまでも、そして今も思っています。

  何故なのかと考えますとき、私は、成功体験を積み重ねていた母に影響されて、幼い時から、常に「何をやるにしても、やるからには、一番にならねばならない」という気持ちを持ちながら、 学生時代を送り、その節目節目で、目標を達成して来たからではないかと振り返り、これからも「頑張ればやれるんだ!」と自らを鼓舞しているところであります。

なむあみだぶつ

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