No.1850  2020.10.01『わが歎異鈔-上巻』ー序文講話

●無相庵のはしがき
  今回から、暁烏敏師のご著書『わが歎異鈔』の本文の紹介をはじめさせて頂きます。暁烏敏師の『わが歎異鈔』には、歎異鈔の現代訳的な記載がありませんので、 私が講話内容を読みながら、暁烏敏師が現代訳を記載されるとしたら、このようになるとして、『暁烏敏師の講話(解釈)』として、付け加えました事を申し添えます。

●『わが歎異鈔-上巻』ー序文

  竊(ひそ)かに愚案を廻(めぐ)らして、粗(ほぼ)古今(ここん)を勘(かんが)ふるに、先師(親鸞聖人)の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思ふに、 幸ひに有縁の知識に依らずは、争(いかでか)易行の一門に入ることを得ん哉(や)。全く自見の覚悟を以って、他力の宗旨を乱ること莫(なか)れ。仍(よつ)て、故親鸞聖人の御物語の趣(おもむき)、 耳の底に留むる所(ところ)、聊(いささ)か之れを注(しる)す。偏(ひとへ)に同心行者の不審を散ぜんが為也(ためなり)。と云々(うんぬん)。

●暁烏敏師の講話(解釈)

 愚かな自分の考えで、考えを廻らして親鸞聖人の生きておられた時、私にお伝えになられた真実の信心と、今の人達が言う信心とは、どうも違うような気がして、嘆かわしく思う。そして、 このままでは、何が親鸞聖人のご信心かと、後から来る者が疑惑を持つであろうとも思う。幸いにして、ご信心を得られた善知識に会うと云う縁を得られたのなら、 易行の念仏の門に入ることが出来るけれども、何も教えを受けないで、ただ自分の力で考えただけでは貴い他力の宗旨を乱すことになってしまう。それでは申し訳無いので、私が故親鸞聖人からお聞きし、 耳の底に残っているところを記し、他力宗旨を求めるこれからの信者が間違った他力信心の道に進まないようにしたいので、この書を残すのである。

●暁烏敏師のご主張

 暁烏敏師は、歎異抄は以下のように述べておられ、歎異抄の著者は、一般に言われている唯円房ではないと主張されています。
  『この「竊かに愚案を廻(めぐ)らして云云」とある序文は、上下二篇をひっくるめて、重ねてつけられた序文でないかと思います。この序文は、いかにも堂々たる書き方であります。 親鸞聖人の弟子唯円房が書かれたものとしてみるよりも、むしろ、聖人の血脈相承をなさった如信上人か、或いは覚如上人が書かれたものでないかと思われるのであります。』

●無相庵のあとがき

 歎異鈔の作者が誰であるのかに付きましては、学者さん達にとって興味が湧くのかも知れませんが、私は、歎異鈔は親鸞聖人のご信心を基にして記された書であることは間違いの無い事だと思いますので、 論争は学者さん方にお任せします。なお、如信上人は親鸞の孫(善鸞の子)であり、覚如は親鸞のひ孫(覚恵の子)であることをご参考に為さって下さい。

なむあみだぶつ

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No.1849  2020.09.24『わが歎異鈔-上巻』(暁烏敏師著)を読み解く

●無相庵のはしがき
  今回から、約1年に亘って、無相庵コラムに紹介させて頂く暁烏敏師の『わが歎異抄』は、暁烏敏と云う元東本願寺総長のご著書です。

●『わが歎異鈔-上巻』(暁烏敏師著)を読み解く-暁烏敏師に付いて

  暁烏敏師【あけがらす はや、1877年〈明治10年〉7月12日 - 1954年〈昭和29年〉8月27日)】は、石川県真宗大谷派明達寺に生まれた。真宗大学(現大谷大学)卒。 東京外国語大学ロシア語科中退。清沢満之に師事、師の没後は、雑誌『精神界』を主宰し、『歎異抄』の紹介に尽力する。以来昭和29年に没するので、内外各地に講演旅行を続ける。 晩年は、盲目となったが、東本願寺の総務長を勤めた。

  また、私の母(大谷政子)が主宰した垂水見真会に、亡くなられる3年前の26年12月1日に、10周年記念講演に本願寺総長として、来られた経緯がございます。

●無相庵のあとがき
  『わが歎異抄』は。上巻、中巻、下巻の3巻に分かれています。何れも、250~300頁のご本ですので、ひょっとしたら、1年で終わらないかも知れませんが、 暁烏敏師が心血を注いだ歎異抄の講話ですので、私も心血を注いで、読ませて頂こうと思っております。暁烏敏師は21歳で、最初に歎異抄に出遇い、「こおどりする位に感激した」と云うことですが、 その後『大無量寿経』を勉強して、更に『歎異抄』が、親鸞聖人の教えそのものと受け取るようになったそうです。

  私も、これまで何回か歎異鈔を勉強し、無相庵コラムでご紹介もして参りましたが、75歳になった今の読み取り方は以前とは若干変わっているとも知れません。どう変わっているのか、 それを確認することは、一つの楽しみでもあります。私の勉強にどうか、お付き合いをお願い申し上げます。

なむあみだぶつ

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No.1848  2020.09.20安倍晋三内閣から菅義偉内閣へ

●無相庵のはしがき
  永らく、無相庵コラムを更新することが出来ませんでしたが、先ほど、長女との電話でのやり取りで、 更新出来そうです(現時点では未だ更新出来るのかどうかは分りませんが・・・)。

●安倍晋三内閣から菅義偉内閣へ

  更新を中断している間に、私に取ってはサプライズの菅義偉内閣の誕生でした。安倍さんは国家観を持って、その国家観に基づいて、 色々な施策を実行していたように思いますが、菅さんの国家観は、私には見えていません。安倍さんは外務大臣の父、内閣総理大臣の祖父、伯父を持っているから、 無意識のうちに「日本をどんな国にするべきか・・・」と考えるようになったのだと思います。 一方、菅さんは、裕福なイチゴ農家とは言え、私たちと同じ庶民の家庭に育ったので、日本という国をどうするかと云う思考を持ち得ないまま議員という仕事を職業に選んだのだと思いますが、 これから国家観を育てて行って欲しいものです。

●無相庵のあとがき
  私は今、コロナ禍の厳しいビジネス社会に身を置いておりますので、息苦しい毎日を送っており、やはり、私には仏法が拠り処であり、無相庵コラムを更新する事が無ければ、 心穏やかにはなれません。これから、出来るだけ長く続けて参ります。 これからも、どうか、宜しくお願い致します。

なむあみだぶつ

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No.1847  2020.08.03歌手山川豊の「どん底」の心境代弁

●無相庵のはしがき
  7月31日の神戸新聞に主題の記事を見付けました。「どん底」は、人それぞれ、どんな状態を〝どん底〟というかは異なると思います。

  例えば、大相撲の大関まで上り詰めた照の富士関(1991年11月29日、28歳)は、膝の怪我、内臓疾患を患い、 昨年の1月には序二段にまで墜ちたどん底から這い上がって、今日の千秋楽、見事これまで誰も為し得なかった、序二段から這い上がっての幕内優勝を勝ち取りました。 私とは年齢も立場も全く異なりますが、照の富士関のように、何としてもどん底から這い上がろうと勇気付けられました。

  さて一方「今や演歌界の第一人者の一人として活躍している歌手山川豊さんは、どんな〝どん底〟を味わったのでしょうか。

●歌手山川豊の「どん底」の心境代弁

  75歳の私が今「どん底」にあるのかどうか分りませんが、もしこれから、私が81歳(日本男性の平均寿命が81.25歳、女性が87.32歳)まで生きるとしましたら、 その時には、今の状況を思い出し、「あの時がどん底だったなあ」と思うかも知れないと考えているから、山川さんの記事に目が行ったのだと思います。

  新聞記事の内容を下記に紹介致します。

  【不安は強い期待の裏返しだろう。歌手の山川豊は2年ぶりのニューシングル「拳」を「自分にこなせるかなと思った。」と明かす。どん底からはい上がる男のストーリー。 「僕にもそういう時代があった。ここまで本音に歌える曲はそうそうないんじゃないかな」
  墜ちるとこまで墜ちたなら、失くすものなどなにもないー。デビュー10周年の頃の苦しかった自分と重ねて歌う。「ときめきワルツ」でNHK紅白歌合戦に初出場後、 ヒットに恵まれず「精神的に追い込まれ、夜、眠れなくなった」という。
  違う世界を見た方が良いと始めたのがボクシング。無心に汗を流すうちに不眠は解消し「何よりも若い選手の頑張りを目にして、俺はまだ甘ったるいなと感じた」。

  復活を懸け、1990年発売の「しぐれ川」を引っ掲げて全国のスナックを回ると「山川も落ちぶれたな」と言われが、逆に励ましも受けた。「あの日々があったから(98年のヒット曲) 『アメリカ橋』につながった」と振り返る。

  新作「拳」は「誰もが一度や二度、どん底を味わっているはずで、僕が代弁するイメージ」。曲調は王道の演歌路線だが、こぶしを利かせ過ぎずに歌い上げたという。 「それが〝山川節〟なんでしょうね」と笑う。

  来年は歌手デビュー40周年。「支えてくれた人たちに恩返しをしたい。小さな町や離島などまだまだ行ったことのない場所で、卓上カラオケでもいいから歌を届けていきます」と意気込んだ。】

●無相庵のあとがき
  歌手として、NHK紅白歌合戦に出場出来るのは、一握りの歌手しかおらず、その後ヒット曲が出ないこと位でどん底とは言えないと思う人も居ると思いますが、 新聞記事の冒頭の「不安は強い期待の裏返し」ということで、「自分はこんなことでは終わりたくない」という希望と期待を持つ者には分るのではないかと思います。私自身、 今、「こんなことで終わりたくない」思いが強いですし、これまでお世話になった人々へ多少の恩返しをしたいと云う思い、それが支えとなっているから何とか頑張れていると思いますが、 山川豊さんにしても、照の富士にしても、自分の努力だけで、〝どん底〟から這い上がれた訳ではなく、『一期一会』の縁に恵まれたからこその復帰だったのではないかと思います。

  昨日の8月1日の無相庵カレンダーのお言葉『一期一会』を噛みしめ、私も仏教徒として、努力して参ります。

なむあみだぶつ

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No.1846  2020.07.27もう一度仏法

●無相庵のはしがき
  現在の私は、会社と個人生活の再建に取組んでいます。その私の頭を占めているのは〝お金が何より大事〟と云う考えだと自覚しています。 人それぞれ、人生では色々な場面があるでしょう。ある時は、健康が何より大事だと云う時もあり、〝人間関係が平穏なのが何より〟と考える時もあるでしょう。

  でも考えて見ますと、それでは娑婆の荒波に翻弄され、自分がこの世に生まれて来た本当の意味を見失ってしまっており、仏教徒とは言えないのではないかと思う時が 極最近多いと思います。
  テレビで能く、「もう一度ニッポン」と云う言葉が流れていることから、〝もう一度〟と云う言葉を拝借して、今回のコラムの題名と致しました。

●もう一度仏法

  私が毎日向き合っている世間は、ビジネス社会です。仏法とは全く趣の異なる争いの世界です。極端に言えば、損得だけの世界です。それも、極端に言えば、「相手が損するのは相手が悪い。 相手がどうなろうと、それは知ったことではない」と云う、『共存共栄』と云う考え方とは真逆の世界のように感じます。私は仏教徒の母に育てられましたから、脱サラ起業してからの社是として、 仏法が説く『自利利他』を掲げて出発したことを覚えています。しかし、脱サラ起業してから、今年の1月22日で28年経ちまして、私が相手にして来た企業の社長さんで、 『共存共栄』を共有出来たと思うのは、数十人の中で、今も付き合いが続いているお二人だけです。ひょっとしたら、お二人に出遇ったことは珍しいと言えるかも知れないと思う程、ここ二十数年は、 そんな社長、そんな会社に縁がありません。

  ひょっとしたら、そんな『共存共栄』と云う甘い考え方をするのがそもそも間違っているのかも知れないと思うようになっている私ですが、米沢英雄先生が能く言っておられた、 「日常生活は、仏法の応用問題」を思い出し、もう一度初心に還り、私の仏法を見直そうと思った次第です。

●無相庵のあとがき
  飽くまでも、私がこれが仏法だと受け取っている仏法を見直すと云うこどあります。私は赤子の時から、母の背中に背負われて、法話を聴いていたらしいです。そして、幼い時から、 家族揃ってお仏壇の前座ってお経を読んでいました。何かを求めて仏法を聴き出した訳ではありませんので、まあ、何にも疑うこともなく、仏教徒になったのですから、そう云う意味で、 今のビジネスも含めた日常生活をしながら、仏法を学び直したいと云う気持ちであります。

なむあみだぶつ

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No.1845  2020.07.19無相庵更新を再開します。

●無相庵のはしがき
  昨日、長女が来てくれまして、約2週間振りに無相庵コラムの更新が出来そうです。出来そうですと言いますのは、現時点では、分らないからです。 本当は、写真入りにしたいのですが、それも自信がありませんので、今回は控えます。

●無相庵更新を再開します。

  今年になってからとは思いますが、自分の記憶力、思考力の衰えを感じる瞬間が多いのです。今年75歳になりましたが、恐らくは、70歳位から、徐々に衰え始めていたのだと思います。 それでも技術的な事は、何とかこなせていたと思いますが、それも極最近は自信が揺らぎつつあります。

  1週間前だったか、神戸市保険福祉局介護保険課から、『〝75歳以上の市民の方全員〟に認知機能検診(第一段階)の受信券をお送りします』と云う案内状 が届きました。神戸市全9区に在る医療機関一覧表も同封されており、私の家から歩いて約5分のかかりつけ医院の名もありましたので、そのうちに行こうと思っていますが、やはり、後期高齢者は、 認知症になりがちだからですね。早く行っておかないと、忘れてしまうと思います。でも、私は未だ認知症ではないだろうと思っています。それは、自分が認知症ではないかと云う懸念を持っているからです。 認知症になれば、自分が認知症かどうかさえ考えられなくなると思うからです(自己診断です・・・。)。

●無相庵のあとがき
  後期高齢者になって、後期高齢者の窓口負担が1割になっており、内科、眼科、歯医者に通う私が唯一恩恵(?)を蒙っている一点ですね。 糖尿病と心房細動という基礎疾患を抱えており、新型コロナ感染は絶対に避けなければなりません。、

  新型コロナ感染で思い浮かびました。新型コロナ感染を予防出来るかも知れない方法があります。長寿の里と云う化粧品メーカーが販売する水溶性液体をマスクにスプレーするだけで、 感染を予防出来るようです。銀イオンで菌を死滅させる方法を取っており、科学的根拠を持つ方法であり、信頼出来ます。

  インターネットで、『長寿の里』で検索しますと、トップに「長寿の里の大爆発商品 - アルコールよりすごい除菌パワー‎」と表示されます。 我が家には、来週中に届きます。

  因みに、長寿の里に電話をしまして、新型コロナの感染防止に有効なのかどうかを問い合せを致しましたところ、今のところ、効くとも効かないともお答は出来ないと。 将来的にも発表する予定は無いと云うことでした。誇大広告等、法律的な問題もあるのだと私は想像致します。

なむあみだぶつ

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No.1844  2020.07.05しばらく無相庵更新を休みます

単に、年老いて更新作業に難儀しているからに過ぎません。

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No.1843  2020.06.28欲得の無い、ええ顔

●無相庵のはしがき
  私の好きなテレビ番組は「歌番組」です。火曜日のNHKの『うたこん』、土曜日のBS5の『人生歌がある』、日曜日のBS3の『新BS日本の歌』は必ず見ます。 昨日の『人生歌がある』も見ましたが、その特別企画で作詞家星野哲郎さん(ほしの てつろう、1925年9月30日 - 2010年11月15日)の紹介があり、鳥羽一郎さんが、星野さん作詞『兄弟船』を歌い、 小林幸子さんが、同じく『雪椿』を歌った。この二つの歌も作曲家船村徹さんとのゴールデンコンビの大ヒット曲ですが、美空ひばりさんの絶唱である『みだれ髪』は余りにも有名です。 鳥羽さんも、小林さんも、星野さんの大きな写真の前で歌ったのですが、その時の星野さんのお顔がとても〝ええお顔〟でしたので、このコラムの題材と致しました。

●欲得の無い、ええ顔

    星野さんは、打算・損得の世界で活躍する政治家ではありませんから、余裕のある〝ええお顔です。

星野さんの様なお顔にはどうしたら成れるのでしょうか。多分穏やかな日常生活をお過ごしだったに違いありません。

  零細企業を営んでいる私なぞは、年から年中開発研究に取組んでいますから、一喜一憂の日々が続いており、なかなか穏やかな心で生活が出来ておりません。それに、生来のセッカチな性格と、 自分に甘く他人に厳しく、ウォーキング中に出遭う無法者の車に怒りを覚えることが多く、一日中、穏やかさから遠く離れた生活であり、鏡で見る自分の顔は、星野哲郎さんとは雲泥の差、 情けなくなります。
  情けなくなっては、心を入れ替えて、寛容さを心掛けるのですが、常に元の木阿弥(もとのもくあみ)です。恐らくセッカチを直せば、日常生活の全てが変わると思うのですが、 家族から、「絶対変わるのは無理やと思うわ」と、言われています。と言うことは、一生、星野さんのような〝ええお顔〟には成れない?
  でも私は諦めず頑張ります。

●無相庵のあとがき
  星野さんは27歳で作詞家デビューされましたが、元々は現国立東京海洋大学を卒業され、ニチロ漁業に就職されたという作詞とは全く関係の無い人生を送られる筈だったそうです。 しかし、入社して数年で腎臓結核のため、郷里周防大島(山口県)にて4年にわたる闘病生活を送られた経緯があり、幸か不幸か(絶対に幸ですよね)、闘病中に作詞との縁が出来たのではないかと思われます。 45歳の時に渥美清の『男はつらいよ』で大ヒットを出されてから、作詞された曲は、4000曲にもなるそうです。生来の寛容な性格が、良い詩を書かせ、穏やかなお顔を作り上げたのだと思います。

  なお、これからのコラム更新は、日曜日の午後乃至月曜日の午前中に行う事にさせて頂きます。これからもどうか宜しくお願い致します。

なむあみだぶつ

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No.1842  2020.06.20人間万事塞翁が馬

●無相庵のはしがき
   私は今年の3月に75歳になりました。長く生きていますから、色々な事を経験しましたので、最近、人生を振り返る時が多くなりました。 振り返りました時、「うーん、やっぱり人間万事塞翁が馬なんだなぁ」と云う想い抱かざるを得ません(皆さんは如何でしょうか)。

●人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)

  インターネット検索致しますと、「人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、 不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ」と説明されていますが、 次のように解説されてもいます。

昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、 老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。

一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。しかし足を折った老人の息子は、
兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。

  単に「塞翁が馬」ともいう。人間は「じんかん」とも読み、「人類」ではなく「世間」を意味する。

  「塞翁が馬」と、故事では幸せと不幸が交互に起きている事になっていますが、それは喩えての表現であって、人生はそんな簡単なものでは無いですね。ずっと不幸続きで、 偶(たま)にホンのちょっぴり幸せな瞬間があると云う場合もあり、人生の前半は幸せだったが、晩節を汚すような不運な結末を迎える人生もありましょう。私の場合は事業の不振で、 かなり長期間経済的困窮に苦しみました、そこへ新型コロナ問題で今年になって、更に困窮度が増しましたが、困窮するのは私の会社だけでありませんので、政府の経済対策のお陰を蒙り、 会社存続に汲々としていたところに開発研究には不可欠な資金を得ることが出来まして、むしろ今では新製品開発に邁進出来るようになっています。何が幸せで何が不幸せな想いをするかは、 予測不能です。今の状況は、私が努力したからではありません。成りゆきでこうなりました。
  それを称して樹木希林さんは、「一切なりゆき」と仰ったのだと思います。

●無相庵のあとがき
  良寛さまの歌といわれていますが、「波の音聞かじと山へ入りぬれば また色変へて 松風の音」「・・・苦は色変えて、松風の音」とも聞いたことがあのます。何が苦か、何が幸せかは、 なかなか難しいものだと思います。人生は、一切なりゆきで成ってゆくとは、「全ては、縁に依って起こる」というお釈迦様の教えに落ち着けるかどうか・・・。人生経験に依って、思わしめられるのでしょう。

なむあみだぶつ

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No.1841  2020.06.13砂上楼閣

●無相庵のはしがき
  昨日の徹子の部屋で、歌手の坂本冬美さんが仰ってました。「家で壁に向かって『夜桜お七』を練習していて、気付いたんです。 私は歌を聴いて下さる皆さまが前に居られるからこそ、何とか気持ちを集中して歌ってこられていたことに気付いたんです。」と。

  私は、その坂本冬美さんのお言葉を聞いた時に、『砂上楼閣』と云う四字熟語がふっと頭に浮かびました。何故かはっきり分りませんが、私自身、私の経営する会社も、 我が家の生活も、経済的な面で見通しが立っていないからかも知れません。でもこれは、何も私だけでは無く、それこそアメリカ大陸の人々、アジアの人々、ヨロッパの人々、アフリカ大陸の人々、 世界中の人々、全員が見通しが立たない故に、私と同じ不安を抱えているのだと思います。地球と云う星が、『砂上楼閣』そのものだと思ってもいます。

●砂上楼閣

  新型コロナウイルスに依って、私たちの生活は一変しました。 今年の正月・元旦では思いもよらないことです。道を歩く人はぼほ全員マスク姿です。「思いも依らないことが起きる」、それがこの世だ、だから仏教はこの世界を娑婆と言うのだと云うことは、 法話で何回も聴き知っているはずなのに、将来を思いアタフタと不安になり、過去の平穏な時を振り返っては、「あの頃は良かった」と、懐かしんでしまいます。

  『砂上楼閣』は、「さじょうろうかく」とも「さじょうのろうかく」とも読むそうですが、鉄筋コンクリートのしっかりした建物を建てた積もりでも、砂地の上に建てたのでは、 震度3程度の地震が起これば、一溜まりも無く倒壊してしまうことを以て、砂の上に立てた重層の建築物と言うようです。建築物ではなく、強い組織、しっかりした会社、揺るぎない地位に付いて、 『砂上楼閣』と言う場合に能く使われます。安陪一強と言われる政権も、独断専攻極まりないトランプ大統領の政権も、小さい小さいコロナウイルスに壊される日も近いかも知れません。

  強い自力で立っている積もりでも、それは他力に支えられてのことだと云う認識を私たちは持たねばならないと云うのが、親鸞聖人の教えでもあります。

  なお、今回掲載した無相庵カレンダは、初版の無相庵カレンダーの第12日のお言葉です。
  『世の中は 今日よりほかは 無かりけり 昨日は過ぎつ 明日は 知られず』
  解説文:『私たちは、再び戻り来ぬ過去や、未だ来ぬ明日に執われて自分が今、向き合っている現在をおろそかにしてしまいます。現在こそ過去を生かし、未来をはらむ、 かけがいの無い時であります。』

●無相庵のあとがき
  新型コロナの感染問題で、売上高が激減し、家賃、従業員の人件費が支払えずに閉店を余儀なくされたお店は何万件もありそうです。これからも増え続けることでしょう。 1年2年と続けば、大手企業も危ないかも知れません。ましてや、零細企業の私の会社は零細なるが故に従業員もいませんから、今は助かっているのだと思います。何とかしなければと、 新製品開発に〝いのち〟を賭けてはいますがさて・・・。

なむあみだぶつ

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