No.260  2003.02.24

阿含経(あごんきょう)を訪ねて ―7―

●今日の阿含経:『水に洗いて之を食うべし』

●まえがき:
お釈迦様は、法句経でもそうでしたが、蜂や水鳥、椿の花など、自然の動植物の有り様を観察されて、その有り様に深い意味を感じ取られ、それを譬えとして真理を説かれたことが多いようです。
今日の阿含経も、象達の行動を観察され、賢い象とそうで無い象を比較されて、そこに正邪を感じ取られ、人間の修行や生活のあり方も、表面的に流され、根本を間違うと目的が達成出来ない、或いは身を滅ぼす事もあると説かれております。

今日の阿含経のお言葉は、一人の年若い修行者の托鉢(たくはつ)のあり方を嗜める(たしなめる)為に喩え話をされました。以下の状況説明が阿含経にございます。

その若い修行僧は、非常に欲深い、むさぼり深い男でした。仏教では托鉢(たくはつ)、行乞(ぎょうこつ)ということを申しまして、、鉄鉢(てっぱつ)を持って乞食(こつじき)にまいるのですが、その時は次第乞食(しだいこつじき)と申しまして、ムラのない修行をする事になっています。食物を頂けそうなところで長く立つとか、貧しい家をスッ飛ばしてゆく、と言うようなことを許しません。順繰り順繰りに、軒から軒に托鉢行乞(たくはつぎょうこつ)をしていくのが次第乞食と申しまして、お釈迦様がお示しになられた規則です。この年若な修行僧がそう言う規則にのっとらずに、手段を選ばず、いわゆる目的のためには手段を選ばないようなあくせくしたやり方を致しました。ところがその男は、がつがつしたり、自分の所得にくよくよした所為か、だんだんと身体が痩せてゆきまして、目もくぼみ、今にも死にそうな状態になりました。その事をお聞きになり、諄々(じゅんじゅん)とご教戒されたお言葉が今日の一句です。

●阿含経(雑阿含経39):水に洗いて之を食うべし

龍象(よきぞう)は蓮根(はすのね)を抜けども、水に洗いて之を食うなり。異族(ほか)の象は彼にならえども、泥を合ぜて食うがゆえに、病にかかりて遂に死にいたるものなり。


普通『龍象』を『よきぞう』と訓読みをする事は出来ません。説明読みと捉えれば良いでしょう。『龍』は、想像上動物ですが、漢和辞典には、『王者のたとえ』として使ったり、或いは『王者に関する物事の上に付ける語』と言う説明があります。また、優れた人物、優れた事物の喩えとして使用されるとありますから、龍象を『よきぞう』とフリガナを付けたのだと思います。龍顔、龍文と言う単語もあるようです。

●現代意訳:
賢い象と言うものは蓮の根を食べるけれども、水で洗ってから食べる。だから色艶(いろつや)も良い。他の象もこれを真似て蓮根を食べるけれども、泥を洗うことまで真似ないから、病にかかって、遂には死んでしまうのである。

●あとがき:
お釈迦様は、この教訓を人生生活に広げて説かれたかったのです。
お釈迦様がおっしゃりたかった事は、財産を持つについては、賢い象が泥を洗うように、財産に付いている泥を洗い流してから所有するようにと言う事です。財産の毒素、へどろ、あく、くさみというものを洗ってから使うことです。

では、一体、どういう風に毒を洗うのでしょうか。具体的に毒とはなにでしょうか。お釈迦様は、財産にへばり付いている毒と言うものは、『何時までも』と言う毒と、『自分だけに』と言う毒、一口で言うならば、財産を私する無理な気持を毒と言われています。

財産というものは、如何にも自分が築き上げたと思い勝ちですが、自分一人で為し得る事は、この世に一つもありません。勿論、自分の努力があってこその財産ではありますが、社会全体の仕組み、他の人々の協力、自然の恵みがあっての財産である事は、誰も否定出来ません。

であるにも関わらず、そう言う事をすっかり忘れて、自分の為、自分の家族・親族の為だけに私するならば、それは、『自分だけに』と言う毒によって、やがては、没落に至ると言う、お釈迦様のお言葉ですが、多くの例を私達は見聞していますし、自分の身に置き換えましても、そう言った経験が皆無ではございません。

仏教は、5欲(財産欲、名誉欲、睡眠欲、食欲、性欲)そのものを全面的に否定するものではなく、『むさぼり』『自分だけ』『いつまでも』と言う、欲に絡み付いている毒を洗い流して賞味すれば、欲は人を悩まし破滅させるものではなく、むしろ人を活かす有用なものなのだとお釈迦様がおっしゃりたいのだと思います。


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No.259  2003.02.20

偶然と必然

この世の出来事を偶然と考えるか、必然と受け取るかによりまして、人生を生き抜く姿勢は大きく劇的に変わると思います。宗教は、と言うよりも私が勉強中の仏教は、我が身に起る事すべてを必然と受取り、前向きに生きて行こうと言う教えです。むしろ、必然としか受け取れないと言う気持ちになるのが、本当の信心(しんじん、強い信仰心)を得た信仰者だと考えます。

私は未だ未だ信仰心が浅いのですが、それでも、私は、以下に述べさせて頂く我が人生を振り返った時、すべては必然だと考えざるを得ないのであります。

先ず、私が妻と結婚(昭和46年5月)した経緯を振り返りますと、とても結婚は偶然とは思えません。
妻と初めて出遭いましたのは、昭和44年5月、水俣病問題で世間を騒がせたチッソ水俣工場の労働組合青年婦人部主催のバス旅行です。たまたま私が座った座席の前の座席に妻がいました。私と妻の座席が前後にならなければ、知り合う事は無かったと思います。妻の父親がチッソに勤務していた関係で特別参加したようでしたから……。

私は昭和43年に大学を卒業して、東京に本社があるチッソ株式会社に就職しました。10名の同期入社がありましたが、東京本社での1週間の研修後、その中の2名が水俣工場の配属になりました。残りの8名は、千葉の五井工場、横浜の中央研究所、東京本社などに配属されました。私が水俣へ配属されなければ、妻との出遭いはありませんでした。そして、私と一緒に水俣配属となったもう一人は、そのバス旅行には参加しませんでした。もしも私も他の用事があったりしてバス旅行に行かなければ、妻との出遭いは無かった訳です。

妻に出遇う事になっていた水俣は、私がチッソに就職したからこその土地でしたが、そもそも私がチッソに就職したのは、私が大学の教養課程から専門課程に進む時に選択したゼミ(研究室)の教授が当時のチッソの中央研究所所長と懇意であり、その所長が大学の非常勤講師であったと言う縁によるものです。専門課程には6研究室あったのですが、私が所属した研究室は学生(合成化学科の同級生は40名でした)の人気が高く、かなり高い競争倍率の抽選による配属でした。抽選に外れていれば、チッソ就職は無かったはずであります。

更にもう一つ決定的なチッソ就職の分かれ道は、私が大学で1年留年したことです。私は教養課程の2年間は、講義への出席は、出席しなければ単位が貰えない体育だけで、他の講義には全く出ず、テニスに明け暮れていました。従って教養課程から専門課程に進む時に、かなりの単位が足らず、専門課程に進むのが1年遅れました(留年です)。

昭和40年前半は、昭和の不況下にあり、チッソも、2年間は求人を見合わせていました。私がまともに卒業していたら、チッソとは縁がありませんでした。と言うことは、留年しなければ、妻との結婚は無かったことになります。

これらは、妻との結婚に到る代表的なハードルの数々ですが、これだけでは無く、無数のハードルがあります。そしてこれは単に私サイドのもので、これに妻サイドの縁を入れますと、 妻との結婚は、奇跡的ではありますが、とても偶然とは考えられません、妻とは結婚すべくして結婚したとしか思えません。つまり、偶然ではなく、必然であると私は確信しています。

妻との結婚があったから、今の3人の孫達(6歳、5歳、2歳)の存在があります。孫達は偶然に私の孫として生まれたとは思えません。長男とお嫁さんの出遭いも、私達夫婦と同様に無数のハードルを乗り越えてのものでありますし、夫々の孫達が生まれる因と縁は、それこそ天文学的な因縁果の連鎖によるものです。

私の長女の結婚も、『ある交差点でのある友達との一瞬の出遭い』から始まっています。どう言う事かと申しますと、娘が大学4年生で就職活動している最中、ある交差点で、S社の就職試験に応募している友達のAさんと出遭いました。S社は神戸の優良企業ではありましたが、後に1部上場企業に昇格を果たすものの、その時は未だ2部上場企業でもあり、娘の知らない会社でした。
娘が就職活動した6年前も、既に就職難でしたから、未だ就職先が決っていなかった娘は、Aさんから知らされたS社にも応募する事になりました。そして筆記試験と数回の面接試験を突破して40倍の競争率の中、S社に内定しました。

難関の就職試験を突破するその前に、娘の知らないところで奇跡的な縁が働いていました。実は、娘がこのS社に電話して応募したところ、応募にも定員があり、既に応募は締め切られていたのでした。キャンセル待ちでいいからと言う娘の粘りと、実際に何処かのどなたかのキャンセルによりまして、危機一髪の応募でもあったのです。

そのS社内定後、当時の女子学生の中で人気NO.1であった T損保会社からも内定の知らせが来ました。しかし縁と言う事でしょう、あまり迷う事無くS社への就職を決断し、同期入社の未来の旦那とは就職内定式で出遭い、入社後、本社勤務の娘と札幌勤務の旦那は遠距離恋愛と言う高いハードルも乗り越えて、3年後に結婚(2000年5月)致しました。 やはり、娘の結婚も偶然とはとても思えない必然と言うべき縁だったと振り返らざるを得ません。

また、S社を娘に紹介したAさんの方がS社に縁がなく、その上に、計らずも娘の縁結びの人となった事は、私達の考え及ばない人生の不可解さ、卑近(ひきん)な言葉に言い換えますと『運命のいたずら』を感じさせますが、逆に『縁の不思議』を思わざるを得ません。

この様な事は、別に私や私達家族にのみ言えることではないと思います。このコラム読者の方々の身の上にも、結婚だけではなく、偶然とは思えない勤務先であったり、人間関係であったり、住居であったりするのではないでしようか。今日があるのを振り返りますと、すべてが奇跡であり、しかしそれは偶然ではなく必然であるとしか言えないと思うのです。

少々執拗過ぎますが、もう一つ、私の経営者としての今日現在に関係するお話しを付け加えさせて頂きます。
私は、チッソ株式会社を事情あって2年半の勤務の後に一度大学に戻り(妻とは大学職員時代に結婚しました)、27歳の時に神戸のゴム会社に再就職致しました。入社後2年間は、神戸の中央研究所勤務でしたが、開発テーマの仕上げの為に、泉南にある主力工場に転勤致しました。良い上司と人間関係に恵まれ、快適なサラリーマン生活でしたが、転勤して1年後、中央研究所で火災が発生致しました。

その火災を発生させた研究棟で開発中の製品を工場に移管する為に必要な開発要員として、私に声が掛かりました。工場の上司からは、神戸に戻るか、この工場に勤務し続けるか決断を迫られました。私は、魅力ある人間関係から離れる寂しさと、生まれ育った神戸の魅力の間で悩みましたが、結局は、神戸に戻る道を選択致しました。選択させられたと言うべきかも知れません。

そして、神戸に帰って(31歳)携わった開発製品が、その15年後に脱サラして設立した現在の会社の主力製品となることは、その時は知る由もありませんでした。

今考えますと、火災原因となったらしい電熱器の消し忘れが、我が株式会社プリンス技研の設立、そして、現在の経営苦境と生活苦境へと繋がってきた訳でありますが、私の全く預り知らないところで行われていた電熱器のコンセントの抜き忘れと言う瞬間のうっかりミスが、私の人生に大きく関わっていた訳であります。

この様に人生は、私の知らないところで発生している一瞬の事故や事件等の現象によって、大きく変わってしまうものであります。勿論、場面場面で、自分の意志とか努力が大きく関わっていますが、それだけで人生が決るものではなく、人間が感知し得ない縁が働いている事を誰も否定出来ないと思います。

これまで申し述べて参りました私の人生の出来事を偶然と割切らずに、何か私達人間には分らない無数の縁によるものであり、必然の人生と受止めるのが仏法の説くところだと私は思います。

現在を偶然の為せる結果と受け取るところには、積極的な姿勢は出て参りません。そして、偶然に事故に遭うかもしれないと思うならば怯えた人生になります。すべてが偶然と考えてしまうと、自分の努力のし甲斐もなくなり、ネガティブ、マイナス思考になりはしないでしょうか。

また、毎日何となく変化の無い、単なる繰り返しと感じている生活の中でのちょっとした出来事、或いはちょっとした出遭いが、その後の人生に大きく関わる出来事かも知れないと想いますと(因縁果の道理に目覚めますと)、一瞬たりともおろそかに出来ない緊張感に満ちた人生に転換するのだと思います(これを一期一会とも言うのでしょう)。
必然と思うところには、良きにつけ悪しきにつけ、その現実を受け容れて、奢る(おごる)事なく、また悲観することもなく、積極的に生きて行く生活が展開されるのだと思います。

仏教では、人間に生まれる事は奇跡的であり、更に仏法に遭うと言う事は奇跡の中の奇跡と言う言い方を致します。そして、これを極めて低い確率で発生する現象の積み重ねによる必然であると考えます。いや、そう受け取られるようになり、やがて確信に変わります。
そこのところを親鸞聖人は、お釈迦様がこの世に生まれ出られたのも、達磨禅師がインドから中国に仏教を伝えたのも、仏教が朝鮮を経て日本に伝来して来たのも、親鸞ただ一人を救うためのものだったのだと表明されていますが、これこそ必然観と、その奇跡への感激のお言葉だと思います。

なんでも無い繰り返しの日常生活そのものが奇跡と受け取れ、必然と受け取れる確信に満ちた生活こそが、人間として生まれた私達の生活でなければならないと思いますし、仏教徒の日常生活であるべきだと思います。


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No.258  2003.02.17

阿含経(あごんきょう)を訪ねて―6―

●今日の阿含経:『止めよ礼をなすことを須(もち)いず』

『須』
は、漢語辞典で調べますと、待ち受ける、用いる、必要とする、願うと言う意味の漢字です。そう言えば『必須(ひっす、ひっすう)』(絶対に必要な、と言う意味)と言う単語がありました。

●まえがき:
今日の阿含経は、この句だけを読んでも何の事か分りません。実は前後に詳しい説明が付いています。以下にこの句(即ちお釈迦様が発せられた言葉)が生まれた時の状況を説明させて頂きます。

一人のプライドの高い、少し驕り(おごり)高ぶった宗教学者がお釈迦様の当時にいました。
その学者は自分の住んでいる地方にお釈迦様が旅行に来られたと言う事を聞きまして、一つお目にかかって学問上の議論を戦わしてみようという気持ちで訪問しました。その時のいでたちがお経に詳しく書いてあるそうですが、白い馬車に乗り、弟子を大勢つれて金の柄のパラソルを持ち、それに水の入りました金の瓶を手にしていました。その当時の形容で言いますと、非常に豪勢な様子をあらわしています。ちょうどお釈迦様が逗留(とうりゅう)されている森までやってきたのですが、その時あいにくお釈迦様は説教をしておいでになったので、その土地の有名な宗教学者が来たことに一向気が付かずにおられました。従って、別に挨拶もされるわけでもありませんでした。その宗教学者は心中穏やかではありませんで、『せっかく俺みたいな大学者がこれ程のいでたちでここまでやって来たのに、説教中とは言いながら挨拶一つせず、全く相手にならないと言うことはけしからぬ』、と思ったのでしょう。自分の威厳を示すために、踵(きびす)を返して、直ちに立ち帰ろうとしたのです。その時ちょうどお釈迦様のお説教が終わりましたのでしょうか、それともお釈迦様が気が付かれたのか、その学者にお声を掛けられました。それで漸く学者は再びお釈迦様のそばに戻りまして、学問上の議論を始めました。最初のうちは、自分の学者としての実績、地位、知識を真っ向から振りかざして問答しておりましたが、話の進むにつれて、何時の間にかお釈迦様の人格と深い知識に胸を打たれ、それまでの態度を改めて、今更のように襟を正して、大袈裟な礼拝をしようとしたのでした。その時に、お釈迦様は、今日の阿含経のお言葉をその学者に投げ掛けられたのでした。

●阿含経(雑阿含経四):止めよ礼をなすことを須いず

止めよ、止めよ、礼を作す(なす)ことを須(もち)いざるなり。心きよければすでに足る。

●現代意訳:
もういい、もういい。もうたくさんだよ。そんな堅苦しい挨拶をわざわざしなくともよい。心が清ければ、それで良いのだよ。

●あとがき:
こころが清いと言うことは、相手にもこちらにもなんのわだかまりもなくなった澄み切った心と言う事で、疑いや、怨みや、闘争心などがすっかり消えた素直な、穏やかな心を差しています。こう言う心で相手に接する事が出来るならば、居丈高(いたけだか)に迫ってくる相手の心をも、寛容に包み込み、延(ひ)いては相手の心をも清らかに変えてしまえるのだと言うことを教えてくれているお言葉だと思います。

こう言うお言葉が残っていると言う事は、2500年前から人間関係のあり方、接し方が重要なテーマになっており、お釈迦様は、人間の価値とか、相手を敬うとか、互いに信頼し合うと言うのは、外に表れた形ではない、その心だと説かれたのです。

お釈迦様のお言葉は、今問題となっていますイラクと北朝鮮問題の取組み方を示唆していると受け取らねば成らないと思います。
イラクもアメリカも、お互いに疑いの気持ちを抱いていますから、イラクが譲歩して、どんなに時間を掛けて査察をさせても、アメリカの疑いを晴らすことは出来ないでしょう。逆にアメリカがどんな証拠を突き付けても、イラクは大量破壊兵器の存在を認めないでしょう。どんな文書を交わして約束を取り付けても、信頼を失った者同志、相手の非を責め立てる者同志に、短期間に理解し合える時は来ないでしょう。

『我必ずしも是に非らず、彼必ずしも非にあらず、共に是れ凡夫のみ』と言う聖徳太子のお心が清い心であり、そう言う心をどちらか一方でも持たなければ、人間は戦争を回避出来るものではないと思われます。

今日の阿含経の場面では、お釈迦様の何の力みもなく清らかな、先入観のない、寛容な心が宗教学者の氷のように頑なな心を溶かしてしまった訳です。

地球上から戦争を無くすには、人類は2500年前のお釈迦様のお言葉に耳を傾けて、清らかな心を取り戻すべく仏教の因縁果の道理を体得し、真理と真実を大切にする心を養いたいものであります。

イラク、北朝鮮問題は、こと此処に至っては、清らかな心を持って、事に当れと言うのは、現実を知らない理想論のように聞こえる事と思いますし、アメリカの核の傘の中で安全を保障されている日本の現実では、いざ戦争になりますと、アメリカに非協力的な対応を取る事は出来ないと言うのが現実だと思います。しかし、戦争に至る前ならば、日本の率直な想いを世界に向けて発表する事は出来ると思います。それが出来ないアメリカの核の傘ならば、思い切って傘から出る事も国民自身が決断しなければ、何時まで経っても、お釈迦様のように、相手の気持ちを和らげ、他に影響を与え得る国家には成れないと思われます。

私は、お釈迦様は、単に寛容な心だけで、大宗教学者の態度と気持ちを変え得たのではないと思います。やはり宗教上の理論に付きまして、その大学者が屈服せざるを得ない正当性があったのだと思います。ここが大変重要だと思います。心だけが清ければ良いと言う程、人間社会と言いますか生存競争を生きる人類が無防備で済むものではないと考えねばならないと思います。

今の日本も、何とか安全が保障されているのは、アメリカの核の傘の中にあるからである事は間違いありません。アメリカの核や大量破壊の軍事力の傘の中にありながら、日本が核廃絶をイラクや北朝鮮に求めるのは、決して筋が通る事ではないと思います。
他の国々が成る程と思える国の体制と形、憲法、そして政策を打ち出さねば、アジア近隣の国々からも、世界の各国からも重んじられないし、世界の平和に貢献出来ないと思います。

私は一週間前の韓国訪問で韓国の方々と接して、韓国の国民が嫌がる靖国神社参拝に小泉首相が拘る事に疑問を感じるようになりました。韓国訪問前、そして今日の阿含経に接する前までは、戦没者の前で平和の誓いを立てると言う真実の気持から靖国神社に参拝するのならば、他国の過剰反応は気にせずとも良いと考えていましたが、心だけでは先方に伝わらない、たとえ二度と戦争をしないと言う誓いをしたのだと言っても、そしてそれが本当だとしても、外国の感情を慮り(おもんばかり)、且つ態度に示す事は、人と人の間柄だけではなく、国と国との付き合いの中に不審や疑念を持ち込まないための智慧なのだと、この阿含経を味わいながら考えました。

今日の阿含経にあるお釈迦様のお言葉を表面的に捉えるだけでは、厳しい世間を生き抜く智慧とはならないと思います。真理と真実を大切にして、心の清らかさを養うと共に、世間を生き抜く智慧も磨き働かせる事が同様に大切である事を忘れては、宗教も所謂(いわゆる)現実を離れた理想論に陥ってしまうと思います。

私がこう考察致しましたのは、10年続いた株式会社プリンス技研を今日の苦境に至らしめ、従業員、株主の方々に多大なご迷惑と心労をお与えしたのは、私にこの厳しい生存競争の激しい世間を生き抜く智慧と、真実・真理への目覚めが浅かったからだと、自責の念を新たにしているところからであります。

今からでも遅くは無いと思います。更に仏道を極めると共に、世間を生き抜く智慧も磨いて行きたいと存じております。


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No.257  2003.02.13

韓国出張報告

昨晩、韓国のソウルから帰国致しました。ソウル沖の島にある仁川(インチョン)国際空港から関西空港までは、約1時間半の旅です。韓国へは初めての訪問で、ソウルの位置も、インチョン空港との位置関係も出張で初めて知ったと言う具合です。私が子供の頃から知っていた韓国の金甫空港は2年前から国内線専用の空港になっていました。

写真は、私が宿泊したホテルの部屋から撮影した夕方の風景(254)と、車中から撮影した繁華街の様子(294)です。

ソウルも今は冬ですが、着いた日の10日(月曜日)は暖かく、オーバーコートは要らなかった位でしたが、昨日の朝は零下8度、10数年前に経験した零下20度のシカゴを思い出さされた寒さでした。ソウルの冬の平均気温は零下3、4度と言う事です。

ソウルは東京とか大阪と同じ位の大都会の雰囲気でした。大きさも、ソウル市は、ほぼ東京都と同じ広さと聞きましたし、そして人口もソウル市には1100万人、ソウル市近郊を合わせると韓国人口の半分(2500万人)が集まっているそうです。片側5車線の広い道路が走っており(因みに韓国では、車は右側通行です)、私が想像した以上の都会でした。

道路を走っている車の殆どは韓国車です。日本車は結局見掛けませんでした。これは、国内企業の成長を大切にする韓国政府の政策の如実な現れだと聞きました。それに比べまして日本は、海外に向けて開かれた国ではありますが、グローバルスタンダードとか言う言葉に躍らされまして、国際的な競争社会の中に中小企業を無責任におっぽり出した政府の責任は大きいと思いました。

昔、阪神タイガースのエースだった江本投手が、『ベンチがアホやから阪神は勝てない』と言うような発言をして、トレードに出されましたが、日本国にも『政府がアホやから製造業が亡びて行く』と言えるのではないかと思った事でした。

仕事の方は、相手の企業とは率直な話し合いが出来たと思いますし、会社の印象は非常に良かったです。結果はどうなるか分りませんが、良い出張だったと思います。

仕事とは別に今回の韓国出張は有意義な事でありました。と言うよりも考えを新たにした事があります。それは、韓国の反日感情についてです。

私は、小泉首相の靖国神社参拝に対する韓国とか中国の反応が厳しいものである事を報道で知っていましたが、これは、中国とか韓国の政府が国民に対するアピールとして必要以上に強い抗議のコメントをしているのではないかと思っていました。しかし、直接私が接触した人々に質問しまして、韓国国民自身が本当にそう思っている事を知りました。

1910年から太平洋戦争敗戦までの35年間にわたり、日本は韓国を植民地として管轄しましたが、私も、正直なところ、それだけの永い間、植民地としていた事も知りませんでした。ましてや、その間に韓国に対してどのような理不尽な事をしたか全く知りませんでしたが、今回出遭った人に質問したところ、日本人は韓国の人々に対してかなり悪い事をしたと 親から聞いていると言う答えが返って来ました。

そして、反日感情は反米感情よりも厳しいものがあると言う事も聞きました。また、日本の製品は法外に高いと言う事も聞きました。適正利益ではなく、とれるだけの利益を取ると言う悪徳商人と言う印象を持たれているように感じました。

私は自分の国の事を結構いい積もりで考えていましたが、これ程までに海外から悪に思われているとは考えておりませんでしたので、大変ショックを受けました。そして、歴史の真実を知り、率直に謝るべきところは謝り、言い訳すべきところがあれば堂々と主張して、すっきりとした外交関係を築かねばならないと思いました。

それから北朝鮮に関する事ですが、やはり、北朝鮮との統一は韓国国民の願うところですが、それは、韓国国民のほぼ全員が、北朝鮮に親戚(叔父さん叔母さん)がおり、北朝鮮に自分の本当の故郷があるからだと言う事です。会いたくても会えないどころか、連絡さえ取れない状態なのです。

私は、金正日総書記の印象を悪人顔で好きになれないが韓国民としてはどうなのかと、率直に質問したが、その解答は兎も角も、北朝鮮の人々、即ち自分の親戚の人々が食べる事に不自由している事に非常に胸を痛めていると言う事でした。

南北統一は熱望していますが、しかし、統一までは10年以上必要だろうと言うのがある人の見解でしたが、それが何故なのかは、言葉の不自由さがあり、聞き出せませんでした。

何れにしましても、近くて遠いのは北朝鮮だけではなく、韓国もまさに近くて遠い国です。
私達日本国民が、正しい歴史認識を持つ事に関心を持たねば、朝鮮半島との距離は、縮まらないと実感させられた旅でありました。

韓国では相手企業からの接待で昼食・夕食をご馳走になりましたが、写真にございますように、テーブル一杯におかずが盛り付けられた小皿がところ狭しと並びまして、それを取り皿もなく、皆で突付き取ると言うものでした。そして、腰掛け式ではなく、どこのレストラン(食堂)も座卓でした。日本文化は大昔に韓国から輸入されたものなんだろうと、改めて感じたことでした。


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No.256  2003.02.10

阿含経(あごんきょう)を訪ねて ―5―

今日から三日間、ソウルに出張致します。インターネットで弊社のホームページにアクセスされた韓国企業からの招聘によるものです。海外の企業とインターネットで知り合い、訪問する間柄になるとは、本当に時代が変わったことを実感致します。
私が開発した技術は、未だ日本においては2商品を生み出したに過ぎませんが、世界のどの企業も製造出来ない材料を生み出す技術シーズ(技術の種)です。不況の日本ではなかなか花開かないのですが、韓国或いは中国で満開の花が咲くかも知れません。

●今日の阿含経:『つつしみは甘露の道なり』

●まえがき:
『甘露(かんろ)』を広辞苑で調べますと、『梵語amrta阿密哩多。不死・天酒。諸天(天人達)の飲料で、味甘く、香気があり、一度これを飲むと死ぬことがないとされる。仏の教法をたとえるに用いる。転じて美味』とあります。

『放逸』は、現代ではほういつ≠ニ読み、「わがままなこと。勝手気ままで、しまりのないこと」ですが、これをこの阿含経ではなおざり≠ニフリガナをうっています。
因みになおざり≠ヘ現代の漢字では『等閑』(あまり注意を払わないこと。おろそか。ゆるがせ)と書きます。

この阿含経では、つつしみの反対の意味で使われていると思いますので、我慢のない、欲の趣くままと解釈したいです。

八正道の正精進(しょうしょうじん)は、慎み(つつしみ)のある生活態度を意味するものと思いますので、今日の阿含経は、正精進を勧めるお釈迦様のお言葉と捉えて良いと思います。

●阿含経(増一阿含経4―27):つつしみは甘露の道なり

つつしみは甘露の道、放逸(なおざり)は死の径(みち)なり。つつしむものは即ち死すことなく、道を失えるものは生けるも既に死せるなり。

●現代意訳:
慎み(つつしみ)は悟りへの道である一方、欲の導くままの生活は、人間として生きているとは言えない。仏道を求めて慎んで生活する人々は、仏と一体の永遠の生命を得るが、仏道を歩まない者は、生きながらも既に死んでいるに同然の生活である。

●あとがき:
このコラムの参考書としている友松円諦師のこの阿含経講義は、法句経講義と同様、昭和9年11月に出版されたものですが、この本の中で、下記の時代考察があります。とても70年前の文章とは思えません。現在にそのまま通用する内容です。
恐らくは、鎖国解消と共に入って来た西洋文明によって、日本古来の精神文明(神道、仏教に根ざしたところの)が駆逐され続けた今日までの約140年間ではなかったかと思われます。

『ご承知の通り、徳川時代までというものは万事、克己(こっき)的生活、節制ということが余りにやかましく言われましたために、少し人間の本当の気持がゆがみちぢんでいました。仏教をはきちがえたために欲情の一切を煩悩として排斥しようとしていたのです。その反動としては、明治以後、特に、ここ二三十年来、自然主義、自由主義というものが尊ばれまして、人間自然の本能に委せる生活の方が純粋だ、人間というものは心のままの気持ちを出しておればかえって文明が進むのだ、子供なども自由に放任して置いた方がいいというような、一般に自由享楽の考え方がうけいれられまして、昔とは万事ふりあいが、ちがってきました。そのために大きな近代文明を我々の前に展開してくれましたけれども、もりというものはやはり極まればそこに堕落するものでありまして、極端にいけばそこに必ず邪道に陥るものです。自然主義、自由主義はやがては自堕落、放逸の風を上下に波うたせるようになりました。そして世人は許された自由に悩んでいるのです。我ながら自分の放逸に悩んでいるのです。釈尊が「道を失えるものは」と言われたのはこれであります。自分のしたい放題、思うままのことをすれば何時の間にかそれが正しい道を失って、邪道や横道に入ってしまうものであります。 私達は、釈尊の「道を失えるものは生けるも既に死せるなり」という言葉を繰り返すごとに、それは昔の教訓ではなしに、今さらの如く今日の問題として考えさせられることであります。本当にお互いが自分自身を全く本能愛欲に委せきったときには人生の意味は見失われます。 釈尊はここで静かに、「つつしみは甘露の道」とこう言われています。甘露の道という言葉は、非常に味わいのある言葉で、いわば「こくのある人生」と言いますか、口に含んでおりますと甘味がしっとりしみ出してくるような、そういう気持でありましょう。「つつしみは甘露の道」つつしむところに人生の本当の味が出てくるのです。自分をぐっとひきしめるところに甘露の味が出てくるのです』
私は、仏法の因縁果の道理に目覚めれば、慎みの心が芽生えるのが自然と思います。過去の因を知りたければ、現在の果を見よ、未来の結果が知りたければ、現在の因を見よと申します。勿論、因と果の間に縁がありますので、自分が求める果は、自分が関与出来る因だけによるものではなく、私達が感知し得ない様々な条件が働いた上での果でありますから、未来の結果は、分らないというべきですが、放逸生活を送って、良い結果があり得るはずがありません。

つつしみがもたらす甘露の甘味は、自力の世界にだけ感じる他力のもつ甘さであります。これが宗教的な生活であり、安心立命の境地であります。


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No.255  2003.02.06

四つの真理 ―4―

写真は、前回のコラムで掲載したカサブランカの1週間後です。命とは何かと考えているところですが、切り花なのに、1週間経過して、次々と花が咲き開くと言う事は、命があると言う事でしょう。植物の命と動物の命は異なる次元のものと考えるべきなのでしょう。

●仏教の四つの真理:
苦諦(くたい) ……真理に目覚めなければ、人生は苦であると明らかに観る事
集諦(じったい) ……苦の原因を明らかに観る事
滅諦(めったい) ……苦が滅した心境を明らかに観る事
道諦(どうたい) ……滅諦に至る道(方法)を明らかに観る事

今日の木曜コラムは、仏教の四つの真理、4番目の道諦(どうたい)について勉強致します。

道諦には、八正道(はっしょうどう)と言う、仏教徒ならば誰でも知っている仏道の八つの修行項目が示されています。苦から解脱し、悟りの境地に至る道筋を示すものですが、車の運転のように、段階を経て行けば、合格すると言うものではないと思います。

そんなに簡単ならば、親鸞聖人が比叡山で20年もの歳月を費やされなかったでしょう。

私は、以下に示される八正道は、むしろ悟りを開いた後に、自(おの)ずから身に付く人生を渡って行く姿勢ではないかと思います。仏法を聞き、苦、集、滅を明らかに認識し、本当の菩提心(苦が滅した悟りの世界に至りたいと言う切実に願う心)に目覚め、因縁果の道理が自分のものになった瞬間に、八正道を行じて歩む仏道生活が始まるのだと思います。

八正道は、悟りへの手段ではなく、仏道生活のあり方に関する最終目標と言っても良いものだと、私は思います。

正見(しょうけん)………正しい見解
因縁果の道理、この四諦に関する知識を正しく知り、身に付けることであります。
正思惟(しょうしゆい)………正しい意志・決意
言動に移る前に、正しい見解を踏まえて、柔和や慈悲、清浄な心で結論を出す事であります。
正語(しょうご)………正しい言葉
妄語(うそ)・悪口・両舌(二枚舌)・綺語(むだ口)をせずに、真実で、他を愛し融和させる有益な言葉を用いることであります。
正業(しょうごう)………正しい行為
殺生、盗み、不倫行為など世間に迷惑を掛けることをしない事は勿論ですが、生命を愛護し、他人の喜ぶことをする事であります。
正命(しょうみょう)………正しい生活
正しい職業によって正しい生活をすることですが、さらには日々の生活を規則正しいものにすることでもあります。睡眠・食事・業務・運動・休息などを規則正しく営み、健康を増進することにより、経済生活や家庭生活を健全に遂行させます。
正精進(しょうしょうじん)………正しい努力
非常識であったり、無理があってはいけません。成る程と思える努力と言う事です。
正念(しょうねん)………正しい意識・注意
無常とか無我を年頭におき、且つ理想と目的を常に忘れないことです。
正定(しょうじょう)………正しい瞑想・精神統一
望ましくは、正式な座禅を習得すれば良いですが、そうで無くても、静かに仏壇の前に座って、姿勢を整え、呼吸を整えれば良いと思います。

これまで勉強して来た四諦(したい)と最後の道諦の八正道を合わせまして、四諦八正道(したいはっしょうどう)と申しまして、お釈迦様が悟りを開かれた後にされた最初の説法(初転法輪、しょてんぽうりん、と申します)の内容とされています。

ものの本では、お釈迦様は、初転法輪の最初に、『中道(ちゅうどう)』を説かれたそうです。 その内容は、下記の通りです。

『修行僧達よ、世の中には二つの極端がある。修行者はそのどちらに偏ってもならない。二つの極端とは、第一に、官能の導くままに官能的快楽にふけることである。これは、卑しく、低級で、愚かしく、下等で、無益なことである。
第二には、自分で自分を苦しめることに夢中になることである。これは、苦しいばかりであり、下等で、無益なことである。
修行僧達よ、私は二つの極端を捨てて、中道を悟ったのである。これによって洞察も認識も得られ、寂滅、悟り、目覚め、涅槃に到りつく』

この中道のあり方として、四諦の中で、八正道を示されたと言うことであります。

一先ず、これで、四諦に関する勉強を終わりと致しますが、これは頭の整理でありまして、この事を知っても、私達の人生が大転換することにはなりません。あくまでも、自分の心の中で、本当の自分と向き合って、人生苦を正しく認識し、苦からの解脱、悟りの世界に到りたいと想う菩提心が目覚めなければ、すべては絵に描いた餅になります。

『そりゃー、苦から逃れたい、悟りを開きたいと誰しも思っている』と言われる方もあるでしょうが、それは表面的な思考であり、現実の自分を掘り下げますと、快楽と苦悩の渦巻くこの世が好きで好きで、本当のところは、永遠の安らかさが得られる悟りを求めてはいないのではないでしょうか。本当は、お浄土なんかに往生したくないと言うのが、私達の実体ではないかと、自らの煩悩と葛藤し続けられ、煩悩で一杯の私達が救われていく道を自らが歩まれ、示して下さった方が親鸞聖人であると私は思います。


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No.254  2003.02.03

阿含経(あごんきょう)を訪ねて ―4―

●今日の阿含経:『我もまた田を耕す』

●まえがき:
この世の中、色々な職業があります。様々な役割と仕事があります。その役割や仕事に応じた報酬を頂き、夫々に生活をしています。色々な職業があってこそ、世の中が成り立っています。田中耕一さんや小柴昌俊さんのようなノーベル賞を貰う優秀な技術者や学者さんだけでは、世の中は成り立ちません。衣食住の生活が成り立ちません。お百姓さんのお働きによって私達は田を耕さずしてご飯が食べられます。大工さんの腕によって安全で快適に眠れるところが確保出来ます。教育を担当して下さる先生方も明日の日本の為に私に代わって子供を育てて下さいます。政治家やお役人も、私達に代わって、言葉も価値観も異なる難しい外国との交渉をしてくれています。すべての仕事が私達の生活に無くてはならない尊いものだと思います。職業に貴賎無しと言われる由縁(ゆえん)です。

社会と同様、企業におきましても、様々な職種があります。全責任者である社長、現場で精根詰めて製品を仕上る作業を担当する人々、少しでも多くの製品を買ってもらおうと街を駆けずり回る営業の人々、千差万別です。特に大企業では、頭脳を使う仕事から肉体労働まで、細分化されています。

会社は、一見、製品を生産する人達がお金を稼いでいるように見えますが、製品を造るためには、材料を仕入れなければなりません、これは、購買部の人々の仕事です。また製品を設計し、製品を生産する方法を決める技術者も陰で働いています。そしてそう言う人々が働き易い環境や条件を整える人事部(労務部とも言います)の人々も、そのまた陰で現場を支えているのです。普通私達が顔を見る事が少ない社長や専務などの役員さん達は、本社のソファーでノンビリしている訳ではありません。数ヶ月、数年先も会社が生き残り、且つ裕福になるように、作戦を立てています。

現場の中で、一人の人が急に休んだりしますと非常に困りますが、社長が1日位休んでも、いや1ヶ月休んだとしても、直には困りませんが、会社の将来には赤信号が出ます。

世の中は、表面的な目だけで捉えますと、現場の人々だけが苦労し、現場視察する背広姿の経営者達は、のんびり遊んでいるように思われるムキがあります。確かに、そう言う類(たぐい)の経営者もいるかも知れませんが、会社は、生産活動だけが、お金を稼いでいる訳ではありません。

今日の阿含経は、現場で働く人々が現場視察している社長に向って、『社長も、現場を見て廻るだけでなく、私達と同じように汗を流して作業をしてみてはどうですか?』と皮肉った時に、怯む(ひるむ)事なく凛として答えた社長の一言と言う感じのものです。

●阿含経(雑阿含経4):我もまた田を耕す

我もまた田を耕し、種をおろし、もつて自ら飲食(おんじき)を供ふるものなり。

●現代意訳:
私は、お百姓さんのあなた達のように、田んぼに入って、田を耕している訳ではありませんが、私はその代わりに、人の心を耕し、真実の智慧と言う種を蒔き、それによって、自らの飲食を得ています。

●あとがき:
こう言う解答が出来ると言う事は素晴らしいと思います。自分の仕事に自信が無いと、なかなかこうは答えられず、一瞬ひるんでしまうものだと思います。お釈迦様は、強い使命感、役割認識を持って、仏法を説いて廻っておられ、托鉢によって食生活を営んでおられたから、 凛として答えられたのだと思います。

私も、実は、現場巡回している時に、まえがきにあるような皮肉っぽい言葉を聞いた事があります。社長が現場で働くことが、陣頭指揮を取る事ではないと思いますが、お釈迦様のような、受け答えが出来たかどうか……。
『私は、お客さんから信頼される仕事の仕組みや人材を造り、新事業、新製品と言う明日の飯の種を撒いているのだよ』と凛として答えられる経営者を目指したいと思います。

頭脳を使う仕事だけが尊いのではない、肉体労働だけが働いている姿ではない、夫々が夫々の役割に使命感を持って取り組むところに、チームワークも出来、心の平安があるのではないでしょうか。いくら言論の自由が保証されている民主主義国家とは言え、国の全責任者である首相や大統領を蔑む(さげすむ)言葉が乱れ飛ぶ国に将来があろうはずがありません。

今日のお釈迦様のお言葉は、大きくは国家、小さくは家庭においても、よく吟味すべきものだと思います。

今年ももう2月に入りました。私と私の会社にとっては悪夢の2002年から年が変わりましたが、会社も個人も経済状況は大変厳しいまま、自己破産状態である事に変わりはありません。しかし、世の中全体がそう言う状況だからか、何故か不思議にも家を追出される事態にはなりません。家を買える人がいないし、私を追出しても銀行も不良債権になるからでしょう。不思議なバランスの中にあります。

そんな中、今年になって、新しいスタンプの仕事が動き出しました。殆どお金にはなりませんが、兆しとして喜ぶべきだと思っています。また、昨年も押し詰まった12月26日に、お隣の韓国から技術の引き合いがあり、その後のやり取りで具体化し、近々韓国に話し合いに参ります。勿論、我が社の経済状況からして費用は先方持ちと言う事で招待を受けました。有り難いと思っています。

この先、どうなるかは分りません。全く不明でありますが、毎日毎日、新しく生じてくる状況を受け容れて、自分が出来る範囲で精一杯工夫して対処して行く、それが仏道そのものだと思います。それが、次の木曜コラムで勉強致します仏教四つの真理の中の道諦(どうたい)の示すところだと思います。


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No.253  2003.01.30

四つの真理 ―3―

木曜コラムは引き続いて、仏教の四つの真理に付いて勉強させて頂きます。
写真は、カサブランカと言う百合の一種です。友人が励ましに持参して来てくれました。
カサ・ブランカは、確かスペイン語で白い家(casa【家】・blanca【白い】)、 可憐と言うより、豪華な花びらです。

● 仏教の四つの真理:

  集諦は、『じゅうたい』と読まずに、『じったい』と読むようです。苦・集・滅・道は『く・じゅう・めつ・どう』です。

今週は滅諦について勉強致します。苦の原因である煩悩が滅し、そして苦そのものから解放された心の状態示すのが滅諦であります。誤解があってはならないのは、決して欲望(財産欲、名誉欲、睡眠欲、食欲、性欲)が無くなるのではなく、それらの欲を貪る(むさぼる)事が無くなる、すなわち、欲を自ら制御出来ると言う事です。そして愚痴も、苛立ち腹立ちも無くなり、うぬぼれも無くなり、死の恐怖と言う苦は勿論、すべての苦しみから解放された心境を指し示す真理を滅諦と言います。

お釈迦様は、実際に滅諦に至られ、煩悩を滅した方ですが、過去の日本では、聖道門と言われる禅宗で、沢山の方々が、お釈迦様と同様の滅諦に至られた方がいらっしゃると思います。ご自分で私は滅諦に至ったと言われてはいませんが、著書等から拝察して、道元禅師、白隠禅師、良寛禅師などは、恐らくは、そう言う禅僧だったであろうと想像致します。

しかし一方、浄土門では、法然上人も親鸞聖人も、わざわざご自分から滅諦に至っていないと言われています。親鸞聖人は、ご自分の事を『愚禿親鸞(ぐとくしんらん)』と名乗り、『私は、死ぬ直前まで、即ち、肉体が生きている間は、煩悩は消えない罪悪深重の凡夫である』とおっしゃっています。そして親鸞聖人のお師匠である法然上人も『愚痴の法然』と名乗られました。

果たして、お二人共に、滅諦には至られなかったのでしょうか?そして、禅宗では滅諦に至るけれど、浄土真宗や浄土宗では滅諦に至る事は無理なのでしょうか、一般の方々から誤解を受けるところだと思います。

滅諦に至った人は、仏様と等しい人格であり、俺が俺がと言う自我に支配される立場から大転換し、真理に目覚め、宇宙の生命と一体となって、死の恐怖に慄(おのの)くことがなくなり、他の人を仏道に招き入れ、他人の幸せ、人類の幸せの為に活動することが、そのまま自分の慶びになるのだと思います。

前述の祖師方も、仏道のスタート時点では、滅諦を目標とされたでしょうが、本当に滅諦に至られた方は、自分が滅諦に至ったかどうかさえも問題ではなくなると言って良いのではないでしょうか。私は、その様に解釈しております。


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No.252  2003.01.27

阿含経(あごんきょう)を訪ねて ―3―

●今日の阿含経:『後にやめてふたたび犯さず』

●まえがき:
今日の阿含経は、アングリマーラと言う稀代(きだい、たぐいまれな)の殺人鬼がお釈迦様の教えをうけて、自分の犯した罪を悔い、お釈迦様の弟子になって後、更に聞法を重ねて回心(えしん、心の転換)を果たし、自分の心境を語った言葉を、お釈迦様がまことにその通りだと言う事で、お釈迦様のお言葉として伝えられたようです。

世間一般の感情としては、何人も殺した殺人鬼に関して、その死刑囚が大いに後悔・懺悔して心を入れ替えたからと言って、なかなか罪を許すと言う気持ちにはなれないと言うものだとは思いますが、昨年でしたか、ある殺人事件で死刑宣告された人の減刑を、その死刑囚に息子さんを殺された父親(獄中の死刑囚と文通までしていたと言う)が嘆願していたと言う報道を見ました。結局は、死刑が執行された様ですが、死刑囚がその父親に書き残した懺悔の手紙は、心を打つものがあり、私も、ここまで改心・回心(えしん)した人間を殺さねばならなかったのかと、やるせない想いがしたと同時に、一度重大な罪を犯した人間を、人間の判断で殺したり、許したりする事に付いて、私なりの結論を出せないままであったことを思い出しました。

また、私自身の人生を振り返り、人間関係における過去の過ち(あやまち)に関しても思い出しました。私は、世間のルール・常識・礼儀を非常に大切にする方だと思っています。大切にすると言うより、不正を見過ごすことが出来ず、直接的に反省を求めなければ気が済まない性格です。『こうあらねばならないはずだ』と言う、包容力の無い正義感と道徳・倫理観を持っていると自らを分析していますが、付き合いが途絶えた何れの例も、私は一方的に相手に非があると思っていましたし、多分、私が経緯を詳細に説明すれば、多くの人は、納得して頂けると思います。しかし、今想う事は、相手の常識からすれば、私の方こそが許し難い振る舞いや発言をしたから、こう言う事になっているのだと思うようになりました。

今はもう私は、どんな振る舞いをする人をも、見逃して行こうと固く決心を固めていますが、 人間と言うものは、一度決心を固めたとしても、なかなか守り通すことは難しいものです。罪を犯そうにも犯せられない深い懺悔・慙愧(ざんき)がなければ、再び過ちを犯すものではないでしょうか?

如何なる人でも、人生において何らかの過ち(あやまち)を犯して来ていると思います。それも何度も同じ様な過ちを………。もうすまいと思いながら、繰り返すのが人間だと思います。その過ちの連鎖を断ち切るには、心が転換する何か重大なキッカケがなければならないと思います。

そう言う意味から洞察致しますと、今日の阿含経でお釈迦様がおっしゃりたい事が分るような気が致しました。

●阿含経(雑阿含経31):後にやめてふたたび犯さず

人はさきに過悪(あやまち)をなすとも、後にやめて、再びおかさざれば、これ世間を照らすこと、雲の消えて月のあらわるるが如し。

●現代意訳:
ある人が一旦過ちを犯しても、もし悔い改めて、もう二度と犯さなければ、その人は、世間に光りを与えるほどの人格者となるだろう、それはちょうど、雲が消えて、月がくっきりと現れるような、清清しさである。

●あとがき:
お釈迦様は、勿論、過ちを犯す事を奨励されている訳ではありません。むしろ人間と言うものは過ちをおかしてしまうものだと言うお考えをされていたのではないかと思います。

すなわち、お釈迦様の言われた過ち(あやまち)とは言うのは、何も法律に触れる罪だけでなく、道徳的・倫理的なことだけでも無く、『あの人さえいなかったら』と心の中で想ったり、憎悪、怒り、妬みの心を抱くだけでも罪悪(過ち)だと言うことを含めておられると思います。そう言う過ちまで含めますと、私達は、自分は過ちを一切犯していないとは誰も言えないと思います。そう致しますと、この阿含経は、私と別世界の話ではなくなります。

この阿含経でお釈迦様が私達現代人に遺されようとしたメッセージは『人間と言うものは過ちを犯してしまうものだ、しかし過ちを繰り返して良いものではなく、過ちを犯したことを機縁として、自分を見詰め直せば、心の大転換が図られて、世の中を照らす人になるのだ』と言うものではないだろうかと思います。過ちを縁として悟りを開き一隅を照らす人になる、仏教で『転悪成善(てんあくじょうぜん)』と言う言葉がありますが、まさにこう言う事ではないかと思います。

仏法は奇跡を起こす事を期待すべきものではありませんが、過ちが悟りへと転じて行く、災いが福に転じて行く、不幸が幸せに転じて行くと言う、心の一大転換を起こさせる真理を聞かせて頂き、本当の幸せに至らしめてくれる尊い教えだと思います。

前述で、『自分を見詰め直せば、心の大転換が図られて』と簡単に表現を致しましたが、じゃ、どの様に自分を見詰めれば、心の大転換が図られるのでしょうか?私は、この答えを求めて、これからも、法然上人、親鸞聖人、道元禅師、白隠禅師等が歩まれた道を諸先輩のお力をお借りしながら辿り、お釈迦様に近付きたいと思っています。


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No.251  2003.01.23

四つの真理―2−

木曜コラムは引き続いて、仏教の四つの真理に付いて勉強させて頂きます。

● 仏教の四つの真理:

今週の月曜コラムで、今日の木曜コラムは滅諦について勉強すると申しましたが、想うところありまして、前回に引き続き、集諦(じゅうたい)に関して更に考察したいと思います。

前回の説明で、私達が苦に遭遇するのは、無知・無明な存在であるからと申し上げました。 私達を苦しめる代表的な煩悩と言われます、貪欲(必要以上に欲求する)、瞋恚(抑制の無い怒り、腹立ち)、愚痴(解決に至らない愚かな後悔)、驕慢(私は正しいと言う、うぬぼれ)は、無知・無明から生じます事は分りますが、では、一体何に関して無知・無明なのかと言う事こそ大切であると思います。

私は、世の中のすべての現象が何故起るか、その真因も、間接要因を明確に出来ない事や、自分自身の明日さえ予想出来ない事を無知だと考えて来たように思います。また、人類が探求して来た科学的知識に関しても、宇宙の計り知れない科学的真実から考えますと、人類はまだまだ全体の100万分の一程度か、或いはそれ以下しか解明出来ていないと思われますので、そう言う無知も含めまして、無知であり、従って宇宙の真理に対して無明だと考えて来ました。

しかし極最近ですが、浄土真宗で言うところの浄土や往生に関する考え方を明確にしたいと思い、人間の生と死について考察していました時、ふと、私は因縁果を他人様に説きながら、因縁果が自分のものになっていなかった事に気が付きまして、自分の思考能力と仏教知識の稚拙さに愕然とし、且つ慙愧(ざんき)にたえない瞬間がございました。

と申しますのは、生まれて死ぬと言う現象を科学的に考察した時、肉体が生じて消えるのですから、ゼロからプラス(或いはマイナス)になり、プラス(或いはマイナス)がゼロに還る事になります。そう致しますと、現在生きていると言う事は、一体どう言う事かと壁にぶち当たってしまいました。しかも、私の科学的知識から致しましても、ゼロから何か生じ、何かが突然にゼロになる事は有り得ないではないかと……。そうするとやはり、生死(しょうじ)と言う現象も、私は科学的に説明する事が出来ませず、私にとって一番大事な生死と言う問題も、結局のところは、因縁果の道理の中で考えるべきであったと思い至りました。

そう致しますと、今の私は、私の科学的知識では思慮出来ない処からこの地球に来て、肉体と心を頂き、そして、やがて私の考えが及ばない何処かに行くはずであります。そして、浄土真宗では、その定まった行き先をお浄土と呼ぶのではないかと、思い至りました。

そして、無知と言うのは、仏教の根本的考え方である因縁果の道理を知らない事、即ち邪見(じゃけん)を言い、そして無明とはそう言う無知な私に働き掛けて下さる仏様の智慧と慈悲を知らない事なのだと思い当りました。

そして、その後、諸先生のご著書を読み返しながら、生死の問題やお浄土とか往生とかに関する私の疑問と疑念は、お釈迦様の大昔から既に解決され、答えが用意されていた事に改めて気付かされ、自分の邪見、驕慢、無知、無明さ加減に恥じ入った次第であります。これから更にお釈迦様、親鸞聖人の説かれた経典と経典解釈を勉強して行きたいと思いました。

苦の原因は、邪見・驕慢・無知・無明が主なものであり、これが集諦(じゅうたい)の内容と言って良いと思います。

私は、今から約28年前のサラリーマン時代(30歳だったと記憶しています)、当時、株式会社協和発酵の会長をされ、且つ在家仏教協会を主宰されていた加藤辨三郎師とたまたまご縁があり、お便りでご指導を頂いた事があります。それは、下記のやり取りでございました。

私、『母は南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏とお念佛を有り難そうに称えていますけれど、私は、どうも気恥ずかしいような想いもありまして、お念佛を称える気になりませんが、どうしてでしょうか?』
加藤師、『ご自分に賢き想いがあるからです』

それ以来、『私が南無阿弥陀仏を素直に称えられないのは、私に自分が賢いと言う自惚れ(うぬぼれ)があるからなのだろうか?』この事は、ずっと私の心の中の命題でありました。そして、私は念佛を称えようと思い立つ心が起らないままに、早28年が経ちました。

しかし、この度、自分の賢き想いに少々気付かせて頂きました。そして、お念佛を称えようと思い立つ心が起るのは、この道を歩んで行けばそう遠い事ではないと言う道に一歩踏み入れさせて頂いた想いが致しております。


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