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No.350  2004.01.05

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第14条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―教化と信心

●まえがき
改めまして、新年、明けましておめでとうございます。
年末の地震で亡くなり、新年を迎えられなかったイランの人々の事を思いますと、こうして、新年を迎えられた事を素直に有難く思わねばならないと思います。年初めから、事故、自爆テロ、事件の報道が始まっています。勿論世の中には明るいニュースもあるのだと思いますが、この1月17日は神戸大震災から10年目を迎える日であり、イランの大地震と合わせて考えますと、不測の出来事に襲われるこの世は、私達人間にとりましては、仏教で言う『苦の土(くのど)』であり、『人生は苦なり』と言うところを出発点としなければ、真に安らかな世界に目覚め得ないのだと、改めて思った次第です。

●聞書本文
教化する人まず信心をよく決定して、その上にて聖教をよみ語れば、聴く人も信をとるべし

●現代意訳
仏法を説く者は、先ず自らが安心決定(あんじんけつじょう、信を得て)から、人々に経典を読み語れば、人々も信心が得られるというものである。

●井上善右衛門先生の讃解からの抜粋
さて「教化する人まづ信心を決定して・・・・・」とあるのは、教化ということが信心の自己展開の活動に外ならぬからであります。自利と利他とが人間の意識では二つに分かたれますけれども、実は一つの宗教的真理の自転活動ともいうべきものです。信とはわれわれの生命が永遠の真実に摂め取られることでありますが、その真実が生きた信を通して躍動するのです。真実を伝えるものは真実そのものの外にはありません。信には人間の計らいでは果たすことの出来ない力が宿され秘められているのであります。

●あとがき
『信心を得てから、経典の解説をすべきだ』と言われますと、私がこうして仏教コラムを書いていることをたしなめられているようで躊躇致しますが、私の立場は、教化する立場ではなく、経典とか仏教書から教化されたいと言う立場であり、このコラムは私の勉強の過程を皆様方に紹介して、同じく仏法に関心のある方の参考にでもなればと言う気持ちから始めたことを思い出しました。

禅宗で、『不立文字』と申しまして、お釈迦様の悟りは、文字や言葉では伝えられない、伝わらないと言う事を申します。師匠から弟子へと、心から心へ伝わるものだと言うことですが、この条で蓮如上人のおっしゃりたいことと同じだと思います。

浄土門でも、『自信教人信(じしんきょうにんしん)』と言われ、自分が信心を得る事がそのまま人々に信心を伝える事だと言う意味ですが、『不立文字』を浄土門的に表現したものと考えて良いと思います。

私の場合は、井上善右衛門先生と西川玄苔師にお出遭いし、直接そのご人格に触れたことが貴重な体験だと思います。信心を得られた方に直接触れ得たと言う思いがあります。そして、その信心をそのまま頂くために、私は今も自分の心の曇りを取り払おうともがいているところだと思います。

従いまして、本当に仏法を求めるならば、善き師に出遭うことだと思います。書物から学び取ることも大切だとは思いますが、善き師と直接触れ合うことによって、言動の奥底にある心に直接触れることがより大切だと思います。各地に法話の会がありますので、仏法を求められる方は、そう言う機会を得られてはどうかと思います。


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No.349  2004.01.01

年の始めに

皆様、明けましておめでとうございます。

平成16年、西暦2004年は、どう言う年になりますでしょうか。私個人も、私の会社も行き詰まるか、行き詰まる寸前で奇跡の復活がなるか、大変重たい年を迎えましたが、日本も世界も、イラク問題、北朝鮮問題の成り行きによりましては、日本を、そして世界をどん底に落とし込める事態になるかも知れません。

上記冒頭の文面は、平成15年年初のコラム冒頭文面から、数字2文字を変えただけで、あとはそのまま一字一句変えることなく引用したものです。しかし不思議に本年年初のご挨拶としてなんの違和感もございません。ひょっと致しますと、来年も同じ事なのかも知れないと言う気さえ致します。

思えば、『今年は激動の年を迎えた、自己変革の年だ』と言って、この十数年を過ごして来ました。そして一方では『犯罪が凶悪化し、精神的な荒廃を何とかしなければならない、古き良き日本の精神文化を取り戻さなければ』とも言われて来ました。しかし、実は、こう言う事は、この十数年に限らず、戦前の昭和10年代から叫ばれている事なのです。最近読んでいる戦前に出版された仏教書を読みますと、『世相は変わっていないのだ』とつくづく思わされます。

世相と言いますのは、この世の外見、即ち現象として現れて、われわれの眼に映る姿ですが、その根源が人間の煩悩【貪(むさぼ)り、怒り怨み、無知】にある限り、煩悩を制御出来る人類になるまでは、永遠にこの世相が続くことになるのだと思います。イラク問題も、北朝鮮問題も、各国の煩悩と煩悩のぶつかり合いでしかありません。ここ数年に限ればアメリカの貪(むさぼ)り、怒り、そして無知が世界各地の紛争・テロを巻き起こしている事は、遠い将来、歴史として語られることだと思います。そして現在イラクへの自衛隊派遣で揺れ動く日本に関しましても、アメリカの煩悩に巻き込まれるしかない立場だったと言うことになるのだと思います。

個人の人生模様に関しましても、全く同じ事が言えます。私の現在の苦境・逆境も、結局は私の煩悩から生じたものであり、政府の経済政策の所為でも誰の責任でもありません。詰まるところ世界の問題も、日本の問題も、個人の問題も、すべては煩悩(貪り、怒り怨み、無知)から生じているものだと申してよいと思います。

仏法では煩悩の根源は我執にあると考えますが、我執は消え去るものではないはずであります。消え去るはずのない我執から生ずる問題はどの様に解決されて行くのか、今年もその答えを仏法に求めながら、今年こそ、幸せの青い鳥をしっかりと掴まえたいと思います。

本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


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No.348  2003.12.29

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第11条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―安心(あんじん)を決定(けつじょう)なくば徒事(とじ)

●まえがき
一般の方には、安心(あんじん)と言う読み方に馴染みがないのではないでしょうか。法話コーナーでご紹介させて頂いています先生方のお一人である青山俊董尼が、安心(あんじん)について実に適切な説明をされていますので、下記にご紹介致します。

「安心(あんしん)」と「安心(あんじん)」という、「し」に点がつくか、つかないかだけでずいぶんと違ってまいります。病院に行って、検査の結果がよくて安心(あんしん)、手術の結果がよくて安心(あんしん)、わがままな私の想いが叶って安心(あんしん)、そんな条件はいつでも壊れてしまうわけです。無常の世の中です。いずれは死んでいかなければならない命、病む日も死ぬ日も必ず来ます。条件などはすぐに崩れます。崩れることで消え去る安心(あんしん)は、本当の安心(あんしん)ではなく、中途半端な「大丈夫」に過ぎません。どうなっても崩れない、そこに腰が座る、それが安心(あんじん)なのです。点がつくだけで、深さが違ってきます。仏さまの御手に抱かれた中での、生老病死であり、起き伏しなので、どうなってもその手からはずれっこないんだと腰が座る、これを安心(あんじん)と呼びます。本当の「大丈夫」というのはそういうことなんです。
浄土真宗で言う安心(あんじん)は、信心(しんじん)とも言い換えられ、また廻心(えしん)とも言われます。廻心とは、自分への執われから解放され転じた心の状態を言いますから、まさに青山俊董尼が言われている「安心(あんじん)」そのものであります。

この「安心(あんじん)」が得られませんと、いくらお経の言葉を知っていましても、また、意味を理解出来て私の様にお経の解説が出来ましても、信仰と言う観点から考えますと、殆ど意味がない事であると言うのが、この条で蓮如上人が強調されていることです。浄土真宗の教えで、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫と言う、自らを慙愧する言葉がございますが、この言葉を知っていても、なかなか自分の事だとは思えません。思えたとしましても、それは我執まみれの私が絵空事として反省してみせているだけでしかありません。親鸞聖人のように、自分は地獄行きしかないのだとはなかなか思えないのであります。それを蓮如上人が、この条の冒頭で、聖教をよくおぼえたりとも他力の安心をしかと決定なくば徒事なりと申されています。

私は自らの心の状態を顧みまして、未だ「安心(あんじん)」を得たと言う自覚がございませんので、真にその通りだと思います。何か大変な出来事がありますと、心が揺れ動き、焦燥感、不安に駆られますから、まだまだ安心(あんじん)には程遠いのです。

でも、考えてみますと、比叡山で20年間のご修行を積まれた親鸞聖人でさえ、法然上人の法座に百日間連続して通われて、はじめて廻心されたとお聞きしていますから、修行もせず、また学問も足りない私は諦める資格も有りませんし、これから心からの安心(あんしん)、即ち安心(あんじん)を得させて頂くまで、聞法を重ねながら、未だ未だ自力の限りを尽くすしかないのではないかと思っています。

●聞書本文
聖教をよくおぼえたりとも他力の安心をしかと決定なくば徒事なり。弥陀をたのむところにて往生決定(おうじょうけつじょう)と信じて二心(ふたごころ)なく臨終までとほり候はば往生すべきなり。

●現代意訳
お経の言葉を多く知っていたり、よく理解していると言っても、親鸞聖人のおっしゃる他力本願の安心(信心)を確かなものとして我が身のものにしていなかったとしたら、それは何も意味がある事では有りません。阿弥陀仏にすべてお任せして、浄土往生間違いなしと言う信心を得て、それを臨終の時まで迷う事なしに持ち続けられるならば、浄土往生は間違いないでしょう。

●井上善右衛門先生の讃解からの抜粋
『往生決定と信じて二心なく臨終までとほり候はば往生すべきなり』と結ばれています。もとより信ずるというのは、空しい盲信ではなく、本願に値遇して心に開明を得、疑うにも疑いようのない摂取の信に住することですから、その心底はたとえ意識的に忘れていることがあっても、いつ思い出しても間違いなしということになりましょう。それは心底に不断なる質的相続があるからであって、それが即ち一心であります。だから「二心なく」と言われています。時間的相続というよりは質的転換でありますから、臨終までとほるべきであり、臨終までとほらぬならば質的決定ではありますまい。そうしたこころを「とほり候はば」といわれています。

往生とは、先に引用した「凡夫が仏になること」であり、われわれを迎えられる仏の国に往き生まれることです。仏の国とは何かという人があれば、真実の世界という外ありますまい。真実の世界の存在を疑うならば、それは最早宗教を問題にしない立場といわざるをえません。さらに、何が仏の国に往くのかと問う人があるなら、議論や理屈よりも先ず本願に目覚めることです。本願の摂取に目覚めた人は、この有限なわが心に永遠なものの宿りてあることを実感するでありましょう。

無量寿に融ずるわが命を知らしめられるでありましょう。その真実の信が因となってやがて果に転ずることが往生であり、その往生への思慕と活動が欲生心に外なりません。信の事実が往生の何たるかを自らに明かし証します。その信の証しなくして往生を論ずることは戯論でありましょう。「法には戯論なし」とは『維摩経』の明言するところです。

●あとがき
井上善右衛門先生も、井上先生のお師匠である白井成允先生も、明確な廻心の瞬間を認識されなかったとお伺いしています。歎異抄を最初に独訳された池山栄吉師によりますと、何年何月何日何時何分に廻心したと言う経験を持つタイプと、いつとはなしに廻心したと言うタイプがあると言われていたようであります。前者の廻心は、禅僧の悟りの瞬間と全く同じ心の風景だと思われます。

何れに致しましても、安心(あんじん)を得ることは、そう簡単なことではありません。親鸞聖人自身が、「難中の難」と言われていますから、間違いございません。しかし、一旦、この仏法の道に踏み入れましたからには、もう仏様から首根っこを掴まれたようなもので、逃げ出せないとも申します。廻心は遠いですが、私は念仏者であった祖父や母をはじめとして、井上先生、西川先生と言う遭い難い方々にもお出遭いし、こうして妻(コラム校正)や息子(ホームページ管理・更新)にも支えられながら仏教コラムを続けさせて頂いている事、真に「遠く宿縁を慶びたい」と思います。

これが、2003年の最後のコラムとなりました。-来年は、どのような年になるか分かりませんが、どうなっても「大丈夫」と言い聞かせて、懸命に、賢明に、しかし淡々と渡っていきたいと思います。


安心(あんじん)に関しまして、少し視点変えた奈良康明師(現駒沢大学総長)の法話『信仰と人生―正しい生き方を心にとどめて−』を法話コーナーにアップ致しましたので、合わせてご参照下さい。奈良康明師は、昭和54年に垂水見真会にご出講頂きましたが、『ないものねだり』と言う自省の言葉が印象深く残っています。

皆様と共に、良い年を迎えられることを念じています。


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No.347  2003.12.25

今年を振り返って

今年最後の木曜コラムとなりました。簡単に今年を振り返って見たいと思いますが、テロと紛争の渦に巻き込まれようとしている世界の中の日本も、デフレスパイラルからなかなか脱出出来ない日本の中の私個人も、大きな力に抗することが出来ない風にも見えますが、日本も私も他の力に依存するのではなく、自分の意思を持って新しい年に向かわねばならないと思います。

お釈迦様の説かれた縁起の道理は、すべての現象も存在も縁によって生滅すると言うものですが、縁と言うのは、何処か自分には関係ない間接的要因とか条件と捉えられがちですが、お釈迦様の真意は、この縁自体も、私の意思が働くことが縁となって変化すると言うものであり、単純な運命論では無いことを知らねばなりません。自分が変われば他人も変わる、色々な諸条件も変わり、人生も変わると言う大変大切な教えです。

今年の世界は米英のイラク攻撃があり、未だイラクに平和はもたらされていません。フセイン大統領が拘束されたことが果たしてどのような展開になっていくか、また日本の自衛隊派遣がどのような結果になるか、このイラク問題が尾を引く来年は、国連が本来の機能を取り戻せるのか、アメリカと他の常任理事国の対立が世界平和に影を落とすことになるのか、世界にとっても日本に取りましても重要な年になりそうであります。アメリカと言う国は、日本に原爆を落とした国です。真珠湾への奇襲攻撃をした日本を懲らしめるためには、日本国民数十万人の命を抹殺する事に躊躇しない国です。アメリカの正義感は分かりますが、イスラエルを一方的に支援・支持するアメリカは、中東諸国からは正義を重んじる国には見えないのです。自分の姿が見れない裸の王様だと、フランス、ドイツ、ロシア、中国から見られているのだと思います。日本としては、アメリカにとことん忠誠を誓って歩むのも一つの道ですが、アメリカとも適当に距離をおき、アジア各国、ヨーロッパ各国とも融和して歩む道もあります。私は色々と難問は出るとは思いますが、日本と言う国家の古くからの歴史を思う時、『和を以って貴しと為す』と言う聖徳太子が示された後者の道を進むべきだと思います。

さて私個人の今年に関しましては、今住んでいる家のローンの支払いに行き詰まって正月を迎えましたから、当たり前ならば、今年の春先にも引越しが必至でした。しかし、借家にしていた家の売却をはじめ、色々な手立てをして、何とか引っ越すことなく越年することになりました。もし借家にしていた家を買って下さる人がいなければ、確実に今の家も出て行かねばなりませんでした。また知人からの金銭的な支援がなかったり、娘からの仕送りがなければ、やはり引越しせざるを得なかったと思います。その他、高齢者にとって厳しい雇用状況を考えますと、私達夫婦の働き場所がもし無ければ、やはり今の家を出て行かねばなりませんでしたから、色々なお陰、色々な縁の積み重なりではじめて、現在があると実感されます。

それに、この金銭的に苦しい中(衣食住の生活ではなく、衣の無い食住の生活)で何とか頑張れているのは、暖かい人々のお陰です。いざとなれば金銭の支援を申し出て下さっている方々や、今の家を出ていかねばならなくなった時の移り住むべき家の提供を申し出て下さっている方、定期的に食物を差し入れて下さる方々、暖かい声を掛けて下さる方々があればこそ、私達夫婦は落ち込まずに踏ん張れているのだと思います。自分一人の力では人生を生きていけない、多くの人々のお陰で人生がある事を実感しています。

このコラムも、本当は続けられるはずがない状況ですが、何か大きな力で続けさせられている様に感じます。逆にコラムが心の支えになっている様にも思えます。コラムを読んで下さる数十人の方々のお陰で、今日まで続けられたのだと思います。お一人でも読んで下さる人がいらっしゃる限り続けたいと思います。

如何なる時にも縁起の道理、これを忘れる訳には参りません。しかし、縁起の道理はお釈迦様が説かれた尊い教えですが、本当はこの縁起の道理が私の生死に関しても自覚出来るようになる事が願われているのだと思います。人生で経験する色々な出来事が縁に因って生滅すると言う事に気付く事も大切ですが、最終的には、自分の生についても、死に付いても縁に因って起こる普通の現象である事が分かる事が究極の安心であると思います。それが浄土真宗で言われる『信心を獲得(ぎゃくとく)する』と言う事だと思います。

私は58歳にして、漸く、その扉の前に立ったと思います。硬くて思い扉ですが、いつか静かに開くものと思います。


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No.346  2003.12.22

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第10条ー

『れんにょしょうにんごいちだいきききがき さんかい』と読みます。

表題―弥陀の大悲の胸のうち

●まえがき
信仰心は、如何に理屈・理論を積み重ねましても抱けるには至りません。従いまして、信心から出た言葉を理屈で理解しようとしても、なかなか理解出来るものではありません。今日の聞書(ききがき)第10条の内容は正にそこのところをテーマにしたものです。

『弥陀の大悲の胸のうち』と言う字句の弥陀は、阿弥陀仏の事ですが、阿弥陀仏が分からなければ、阿弥陀仏の胸の中と言う事も分かりませんし、大悲の胸のうちと言うことになりますと、更に理解出来ません。

阿弥陀仏は、架空の仏様でもありませんし、宇宙の何処かに実在する仏様でもありません。しかし、信心の深まった人々には、『いらっしゃる』としか言えない存在なのだと思われます。

●聞書本文
「弥陀の大悲の胸のうちに、かの常没の衆生みちみちたる」といへること不審に候ふと福田寺申しあげられ候。仰に仏心の蓮華は胸にこそ開くべけれ、腹にあるべきや、「弥陀の身心の功徳、法界衆生の身のうち心のそこに入りみつ」ともあり、しかれば、ただ領解の心中をさしてのことなりと仰せ候ひき、ありがたきよし候ふなり。

●現代意訳
『「弥陀の大悲、かの常没の衆生の胸のうちにみちみちたる」というのなら分かりますが、「弥陀の大悲の胸のうちに、かの常没の衆生みちみちたる」と言うのは、どうも解せないのですが、どう言う事でしょうか?』と福田寺(j俊坊)がお尋ね致しました。それに対しまして、蓮如上人がおっしゃるには、『仏心の蓮華は胸に開くものであって腹には咲かないから、胸のうちにと云う。「弥陀の大悲の胸のうちに、かの常没の衆生みちみちたる」と言う表現も、同じ安心決定鈔に「弥陀の身心の功徳、法界衆生の身のうち心のそこに入りみつ」とも書かれていることからして、衆生の胸のうちとか弥陀の胸のうちと言う事も、その時その時に感じた仏心を表したもので、特に他意はないと思われる』とおっしゃいました。有難い仰せでした。

●井上善右衛門先生の讃解からの抜粋
さて、「弥陀の大悲の胸のうちに、常没の衆生がみちみちている」というのは、衆生の苦悩と煩悩をそのままに抱いておられるのが仏心である。仏心は独り澄み冴えている高嶺の月のようなものでは決してない。「弥陀の大悲が衆生の心に入りみつ」とのみきくと、あるいは天空の孤高な月光がわれわれの心に差し込むように感じられるかも知れません。しかし、仏心の大悲とはそのようなものではない。もともと仏心と衆生とは二体ではない。二体なら機法一体ではなく機法合体といわねばなりません。衆生の苦悩が如来の苦悩である。その如来の心の痛みが「悲」と言う文字に表されている。だから、大悲の胸のうちに常没の衆生がみちみちているといわれるのです。であればこそ、その事実を衆生の立場からいえば「弥陀の身心の功徳、法界衆生の身のうち心のそこに入りみつ」ということになるのであります。如来の徳のすべてをこの私のものとして下さる。それが即ち「慈」という文字のこころに外なりません。

苦悩と煩悩とは一つに絡み合っています。誰れにとつても苦悩はいとわしい。なんとかこの苦悩からのがれたい。われわれが苦悩にあえいで仏様を仰ぐとき、この苦悩からのがれて楽になりたいと念じる。それは人間の心の常でありましょう。しかしそのときわれわれは仏心を素通りしていませんか。のがれえぬ業の渦中に苦悩するとき、その只中で如来も一ツに苦悩したもうてある。しかし如来の苦悩は煩悩につながってはおりません。煩悩を照らして苦悩の根源をみる智慧の光に生きておられます。「如来の作願をたづぬれば、苦悩の有情を捨てずして、廻向を首としたまいて大悲心をば成就せり」と讃じられているごとく、どこどこまでもわれわれの苦悩に同悲したまう大悲心に気付くとき、必ず智慧の光明がその悲心の中から照らし廻向され、苦悩のままに煩悩から救われる世界を恵まれます。

苦悩の体験にみまわれて、はじめて如何なる心がわがうちに潜んでいるかを知らしめられ、わが心の正体を見せ付けられます。平穏無事な時は、この身の実態は隠されて、浮かれた理想がわが手で把えうるかのごとく己れを欺くものです。世にいわれる大平がわれわれを幻想と退廃に導くのは人間の避けがたい傾向であり、また歴史的事実でもあるようです。苦難は好ましいものではなく、煩悩はまた厭わしいものです。しかもそれが避けられないところに人間の現実があります。しかもその苦難と煩悩の渦中に仏心に値遇せしめられるということは、人生における奇しくも偉大なる出来事であります。妙好人達が煩悩を有難しと仰いだのも、この体験の告白でありましよう。

常没流転の業と仏心とは天地間隔でありながら、須臾(しゅゆ)も相離れぬという不思議の消息が宗教体験というものであり、信心の事実というものでありましょう。「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせて必ずわたしける」まことにこの外に難渡海を越えるすべはありません。ここにいよいよ大悲の願船がかたじけなく仰がれます。「それ人間に生まるること大きなるよろこびなり」という源信和尚の燦々と輝く言葉も、ここよりほとばしり出た叫びでありますまいか。

●あとがき
苦悩・煩悩は私達の胸のうちに生じるものでありますから、外界を探求し検証する科学では決して解決出来るものではありません。従いまして、科学的思考を訓練された私達現代人にとりましては、宗教はなかなか馴染めないものであります。

しかし、井上先生が書かれていますように、私達は必ず苦悩の体験に見舞われます。その時、真面目に苦悩に立ち向かいますと、科学的思考が何ら役に立つものではない事に気付かされます。そして、自己の心を探求せざるを得なくなるものだと思います。

自己の心の中、或は心の動きを自己自身が探求すると言う事は、他の動物では起こりえない事であります。人間だからこその尊い事実であります。そして更には人間に生まれたが故の心の転換が起こり、苦悩がそのまま慶びに転じられます。
「妄念はもとより凡夫の地体なり、妄念の外に別に心はなきなり」と慙愧された源信僧都が「人間に生まるること大きなる慶びなり」と言う相反する気持ちを表現されることになります。

この心の転換は、なかなか言葉では説明の出来ないところです。禅宗では「不立文字」と言いまして、仏心を言葉では伝える事が出来ない、心から心へ伝わるものだと言いますが、これは、浄土真宗でも全く同じことだと思います(今日からアップした法話『禅とは心の名なり』をご参照して頂きたいと思います)。


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No.345  2003.12.18

続―石原知事の他力本願発言

先週の木曜コラムで、私は石原知事の他力本願発言に関しまして、別に擁護する積もりはありませんでしたが、批判する積もりもありませんでした。法華経を信奉し他力本願の念仏を否定した方として有名な日蓮上人も同様だと思っていますが、石原氏の仏教に関する受信装置が法華経で触れられている『本願』にピンと響くもので無かったと言うことであり、私が法華経を唯一絶対のお経であるとは思えないのと同様、夫々の器による信仰の自由を大切にしなければと思う気持ちは今も持っています。

しかし、先週のコラムに対してまして、あるコラム読者様から、下記のコメントが寄せられまして、少し表現を変える必要を感じました。

五木(寛之)さんが石原知事に他力本願の件を同じ仏教ではないかと言ったけど、十分理解されなかったと言っていました。浄土門と聖道門の理解がないと聖道門の人には浄土門はなかなか分かりづらいのかも知れないですね。法華経を信奉する人のグループにはご存じのように日蓮の「念仏する者は地獄に堕ちる」という言葉を意識していてわざと(故意に)他力本願を悪く使用していると思われることがあります。私の独断と偏見かも知れませんが。
そして、コラム掲載後、石原知事のご著書『法華経を生きる』を再度読み直し、下記二つの文章に行き当たった時に、一般世間のテーマではなく、仏法に関する論評において他力本願と言う言葉を誤用されている事と、仏法の根本を取り違えておられる可能性が高く、前回コラムの『石原知事は他力本願の意味を熟知した上で世間一般の通念としての「他力本願」を使用されている』と言う表現を訂正したいと思います。石原氏が故意とか悪意を持って誤用しているとは思いたくありませんが、何れにしましても、私は作家でもある石原氏を買い被り過ぎていたのだと反省しております。

・覚ることでの解脱、さらに真の幸せの獲得は、他力本願では決してかないはしないという、見事な実践者としての釈迦の言葉へのただのレトリックです。どこの誰がいったい、幸せになるためには、ヤクザみたいに指をつめるなどといえるものですか。

・仏の教えが他の宗教と歴然として違う点は、あくまで自分を救うものは自分自身でしかないのだという、ある意味では実存的な、自分自身の人生から逃げも隠れも出来はしないのだと言う、それ故に力強い根本原理に成り立っているところです。
丁度良い例ですので申し上げますと、『自分を救うものは自分自身』と言う考え方は、道元禅師が言われている『自己を運びて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するは悟りなり』と言う事から致しますと、私達が踏み迷ってはいけない道に迷い込まれているのではなかろうかと思われます。即ち、石原氏の思考の世界と仏法の世界の大きさを比較して説明致しますと、石原氏の場合は、石原氏の方が大きく、仏法は小さいものになっています。説明の仕方を変えますと、法話コーナーの最新版『信心』で井上先生が蓮如上人のお言葉を引用して申されているところの、『凡夫の私が仏法を掬い取ろうとしている』と言えます。仏法に掬い取られる私でなければ、お釈迦様の仏法では無いと言う事だと思います。奇しくも、聖道門も浄土門も、至るところは全く同じ世界であることが理解出来ます。

日蓮上人をはじめとして、法華経を信奉されているグループが聖道門なのかどうか私には分かりませんが、中学時代に歴史で知った、日蓮上人の『念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊』と他宗派を非難排斥した言葉の印象がとても強く、母の影響で浄土真宗と禅宗に傾倒していた関係で、日蓮上人に抵抗を感じて来たことは確かです。信仰は間違うと排他的になり易く、また法華経にそう言う考え方を誘引する要素があるのかも知れませんが、法華経が、お釈迦様の教えを説いているお経である限り、それは読み手側の読み違いである可能性が極めて高いのではなかろうかと思います。

お釈迦様の対機説法と言いまして、お釈迦様は相手によって説き方を変えられていたと聞きますので、色々な教えが後代において、色々な経典になったと推測されています。従いまして、日蓮上人が法華経を信奉された事に関して異を唱える気持ちを持ちません、人それぞれの相性・器で帰依する経典があって良いと思いますが、自分の信奉する経典と異なる経典に帰依する他宗派を積極的に誹謗するのは、お釈迦様の中道の精神(何事も片寄った考え方をしてはいけないと言う教え)から考えまして、如何なものであろうかと思う次第です。

石原氏の他力本願発言に関しまして、結局は苦言を呈した格好になってしまいましたが、苦言を呈する必要がないように、誤解され易い『他力本願』の『他力』と言う字句にも問題が潜んでいることも素直に受け止めて、単に『本願』とすべきでは無いでしょうか、わざわざ『他力』と言う、間違って受け取られ易い言葉を使用し続けるのは、私達凡夫に対しましてもまことに不親切では無いかとも思いました。

それにまた、『他力』に対して『自力』と言う表現がありますが、これは、浄土門から聖道門の教えに対して勝手に被せた修飾語で(他力浄土門に対して自力聖道門と言ったりしています)、これは聖道門と言われる禅宗の方々にとりましては受け容れられないものだと思います。禅宗の方々が自力で悟りを得られるとは思っておられません。そう言う意味からも、誤解され易く、また誤解のもととなる『他力』と言う表現は、避けるべきではないかと思います。それが、お釈迦様の仏法に適うことではないでしょうか。

一般の方々にとりましても、『他力本願』よりも、『仏様の本願』『仏様の本願力』と言う方が、すぅーと受け取れるように思います。そう言うことによりまして、浄土門とか聖道門と言う拘りや区別も無くなり、お釈迦様の仏法らしくなるのではないかと思います。

30数年前、東京で独身生活していた頃、紀野一義先生(当時48歳)から『法華経の探求』と言うご著書を戴いたことがあります。法華経にあまり関心が無かった頃に戴いたため、斜め読みのまま本棚に眠っていました。この度、久しぶりに引っ張り出しまして、熟読し始めました。石原氏の他力本願発言のお陰で、法華経を勉強させていただく機縁を頂きました。 これこそ『仏様の本願力』のお陰だと思います。


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No.344  2003.12.15

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第9条ー

『れんにょしょうにんごいちだいきききがき さんかい』と読みます。

表題―ききわけてえ信ぜぬもの

●まえがき
さて、いよいよ蓮如上人の言行録に挑戦致します。浄土真宗学者である諸先生が色々なご著書で立派に解説されていますので、今さら私が僭越ではあるかと思いますが、いわゆる素人の私が解説することで、一般の方々には抵抗なく受け取って頂ける部分もあるのではないかと思いまして挑戦する次第です。しかし教義上の間違いがあっては蓮如上人に対しましても申し訳ありませんので、井上善右衛門先生(法話コーナーに、ご経歴等をご紹介させて頂いておりますので、参照下さい)のご説明を参考にさせて頂き、更に色々な仏教書を参照しながら、教義から逸脱しないように心がけ、その上でなるべく平易に表現して参りたいと考えています。既に浄土真宗の聞法に慣れ親しんだ方には、随分と物足らない内容になるかと思いますがご容赦下さい。

先ず第9条を井上先生が一番バッターに選ばれたのは、それなりに意味があるのではないかと思います。キリスト教では『信じるものは救われる』と言われているようですが、キリスト教だけではなく、宗教の詰まるところは、信じる事によってはじめて新しい人生が転換して来るものと存じます。私自身が未だ信心を頂けるには至っていませんので、定かではございませんが、しかし、親鸞聖人のおっしゃっておられる『信』または『信心(しんじん)』は、「信じる者は救われるが、信じない者は救われない」と言う奥行きの浅い、或は交換条件的なものでは無いと思われます。

信じるとはどう言うことか、何を信じることなのか、どうすれば信じられるのか、私達がなかなかゴールに辿り着けない問題であります。逆に言えば、この問題が解決出来ますと、立派な信仰者と言うよりも、お釈迦様や親鸞聖人と等しい如来の位にあると言ってよいと思います。

とても、大きな、究極のテーマが一番バッターだと思いますが、私達は常に、この問題(信について)に立ち帰りまして、正しい仏法の道を歩まねばならないと思います。

●聞書本文
「他力の願行を久しく身にたもちながら、よしなき自力の執心にほだされて空しく流転しけるなり」と候ふを「え存ぜずさふらふ」由申し上げ候ふところに、仰に「ききわけてえ信ぜぬもののことなり」と仰せられ候ひき。

●現代意訳
安心決定鈔(あんじんけつじょうしょう)と言う書物に「他力浄土門において永らく聞法もし、修養もしながら、我執からなかなか解き放たれずに空しく生死を繰り返す」と言う表現がございますが、「これは一体どう言うことでしょうか?」と蓮如上人にお尋ねしたところ、上人は「頭で理解はしているが心から信じると言うところまでには至っていないという事だ」とおっしゃいました。

●井上善右衛門先生の讃解からの抜粋
宗教は、人間の生命に顕現する主体的な体験的真実であって、外界を観察究明する科学とは領域を異にします。従って、科学的思考をもって宗教的真理を云々することは全く見当違いです。このことは、先ず明瞭にしておかねばなりません。科学的哲学の横行する今日、こんな解り切った 誤解や思考の越権が往々にして生じているのは遺憾なことと思います。真実の宗教は何よりもまず己が生命の声に耳傾けることから始めねばなりません。その生命というのはもとより肉体的生命のことでなく、人間性の基盤をなす内的生命の意味です。何の為に生きているのか、如何に生きるべきか、生き甲斐とは何か、それ等は最も根本的な人間的生命自体の問いかけです。こうした問いに科学が答えうるべくもないのは言うまでもありません。生命の切実な問いかけに自らが取り組んでゆくところに『聞思(もんし)』の道が必ず開かれます。そしてその究極するところ、『本願』という生命の畢竟依(ひっきょうえ)に値遇(ちぐう)せずにはおられないのであります。それはどこまでも生命そのものの内に顕われる自覚的出来事であります。これをただの理屈として頷いてみても、自分の執心がそのまま中心の座を占めているかぎり、画餅(がぺい)に終わらざるを得ないのは当然です。聞き分けるということは、人間の理性を納得せしめるという点では意味のあることです。しかしそれが直ちに心の開明となるのではありません。聞知と聞信との異なることを上人は『ききわけて、え信ぜぬもの』と示されましたが、聞を信への道とする浄土真宗においては最も肝要な戒めとして、この指摘をわれわれも十分味わせていただかねばなりません。聞くことが素直であった古人の上にさえ問題になったことです。まして聞くことが理知の思考に傾きがちな現代人のわれわれにとっては一層深い反省をもって、この一条の心を玩味させていただかねばならぬと思います。

●あとがき
普通、世間一般での『信じる』と言うことを論理的に分析しますと、私達の五感(眼、耳、鼻、舌、身)で感じたことを頭脳で認識・確認し、過去の経験、習得から記憶している情報と照らし合わせて、何かの存在や現象、或いは法則を認知することだと思います。たとえば、他人を良い人だと信じる場合にも当て嵌まることだと思いますが、認識間違いをしたり、過去の情報が乏しい場合には、後になって信じたことが間違いだったと言うことになる場合が往々にしてあります。 オカルト宗教教団における盲信や狂信もそれに当て嵌まると思います。

浄土真宗の『信』又は『信心』と言うのは、世間一般の信とは全く異なると言ってよいと思います。『浄土真宗の信』も、法話を耳で聞いたり、書物を読んだり、信心のしっかりした方に直接接したりして、五感を出発点とは致しますが、情報と照らし合わせてと言う科学的分析ではなく、自分の心の中で真実なるものを希求するもう一人の自分(我執から解き放たれた仏性・仏心と言ってよいでしょう)が心の表層に現れて、ある時、五感で受け取った感覚を知覚した瞬間に、信じるとか信じないとかではなく、疑いようの無い確信に至るのだと思われます(禅僧の忽然とした悟りの瞬間もそうなのかも知れません)。

それを井上善右衛門先生は、『値遇(ちぐう)』と言う言葉で表されています。『値遇(ちぐう)』とは、『遇うべくして遇った』と言う想いと『遇えるはずが無いのに、今まさに遇うことが出来た』と言う想いの両方が意入された言葉だと思います。

盲信とか狂信は、我執の心とか自己愛が中心となって生じた『信じました』と言う現象で、一見非科学的と私達には思われますが、当事者としては、自分の過去の経験に基づく科学的思考によって信じるのだと思います。たまたま、誤った科学的根拠を出発点としていますから、いずれは破綻が来る『盲信』『妄信』『狂信』でしかないのだと思います。従いまして、これら誤った宗教的信は、意外と高学歴者に見られることは、私達の良く聞き知るところであります。

浄土真宗におきます場合、何を信じるのかと言いますと、井上善右衛門先生の讃解の中にもありますように、『本願(ほんがん)』を信じることだと思います。信じると言う表現は自力的なニュアンスがありますから、信じせしめられると言う方がよいと思います。『私は、仏様から目覚めて欲しいと願われている』と確信せざるを得なくなるのだと思います。仏様と言うのに抵抗があると致しますと、宇宙の囁きと言ってもよいですし、目に見えないけれども、確かに感じられる何か大きな働きと言い換えても良いと思います。

こう言う心境は、何十年と法話を聞きましても、科学的立証を求める限りにおきましては、得られないと蓮如上人が戒められたお言葉が『ききわけて、え信ぜぬもの』ではないかと思います。

『信』の反対は『疑』です。疑う心は、科学的分析態度から来ます。この姿勢も必要であります。 従いまして、禅宗では徹底的に疑えとも申します。徹底的に疑うことによりまして、はじめて取り除くことの出来ない己の我執に行き当たるからだと思います。徹底してと言う意味は、中途半端に疑う事を止めますと、妄信や狂信と言う横道に入り込む恐れがあるからでしょう。疑って疑って、もう疑いようが無いところまで、安易に妥協しない姿勢が大切だと思います。

勿論、浄土があるとか無いとか、阿弥陀仏は何処におられるのかとか、科学的追求をし始めることは、宗教を求める事とは全く次元の違う姿勢であり、入り口を間違っていると言わざるを得ません。『宗教は、自己を問い直すことから始まる』と言う先輩の言葉は、『信』への確かなる第一歩であると、この蓮如上人の第9条を読みながら、あらためて思った次第であります。

今日から井上先生の法話『信心』をアップさせて頂いております。第9条と合わせて味わって頂ければ、一歩でも信に近づけるのではないでしょうか・・・・・・・。永い永い迷いの年月を経て、真実の信心に至られた井上先生ならではの、尊い『心の洞察』だと存じます。


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No.343  2003.12.11

石原知事の他力本願発言に想うこと

石原東京都知事が平成15年の都議会施政方針演説(2月5日)において、浄土真宗の根本教義である他力本願と言う字句を使用されています。石原氏は以前から他力本願と言う字句をよく誤用されており、浄土真宗教団も抗議をしていますが、意に介されずに多用されています。

『我が国は、太平洋戦争での敗戦後、アメリカに依存することで現在の地位を築き上げました。しかし、それが見せかけの成功でしかなく、非常に脆い存在であることは、ここ十数年の手痛い経験で、誰の目にも明らかになったと思います。他力本願に慣れた我が国では、危機に晒されたとき、社会や企業に責任を取る者が存在しないため、新しい決断を下すことができず、皆、萎縮するばかりであります。変化が激しく、何が起きても不思議ではないこれからの時代を強く生き抜くため、それぞれが自らの行動に責任を持つ、自己決定のできる社会を樹立する必要があります。それが独立した国家本来の姿でもあると思います』
他力本願だけに限らず、日常生活で使用され、しかも本来の意味からはかけ離れた、或は本来の意味とは全く間違った使われ方をしている仏教語はかなり多く、私は石原知事を批判するのもどうかと考えています。『往生します』『成仏されました』と言う表現も、本来の意味とは違って使用されています。

それだけ、昔は仏教が民衆の間に根を張り浸透していたのだと思われます。そして、言葉だけが独り歩きしてしまった結果が上述の石原知事の他力本願でありますから、石原知事を責めるのもどうかと思う次第です。

ただ、石原知事は、『本願』を説いている法華経(比喩品)を信奉されており、また『他力』と言う著書を出している五木寛之氏とも対談されているのですから、他力本願の本来の意味を熟知されているはずですし、ましてや影響力の大きい方でありますから、もし石原知事が人々が生きて行く上で仏教が大切な指針を与えるものだと思われるならば、わざわざ誤用されるべきでは無いのではないかと思います。

仏教徒でない一般の方々は、他力本願の本来の意味をご存知では無いと思います。仏教徒でも、浄土真宗以外の方は、やはり他力本願は、他力依存と受け取っておられるかも知れません。来週から浄土真宗中興の祖と言われる蓮如上人の言行録を勉強致しますので、根本教義である他力本願の本来の意味をお示ししておきたいと思います。

石原知事が使用している他力本願は、他人の力に頼る、他人に助けて欲しいと願う、他力依存、他人依存と言う意味で使用されていますが、先ずは『他力』というのは、自力、即ち自分の力とか努力では無い『他の力』と言う文字通りの意味ですが、仏教では、大自然・宇宙に働いている力を仏様と擬人化して呼びますから、他力とは仏様のお働き、仏様の力と言う意味だと考えてよいと思います。浄土系の宗派では、仏様の中でも、阿弥陀仏のお働き、阿弥陀様の力と言う意味となります。

そして、『本願』と言いますのは、『誓願(せいがん)』とも言われ、必ず実現したいと言う強い願望とでも申せば良いかと思います。何を願うかと申しますと、煩悩に苦しむ私達人間を救いたい、本当の意味での幸せな人生を送らせたい、人間に生まれた甲斐を自覚させたいと言う強い強い願いです。しばしば親が子の幸せを願う想いに喩えられますが、もっと深く広い、無私の愛、慈悲心から来る願いです。

従いまして『他力本願』とは、阿弥陀仏が私達を必ず救いとると言う願いであり、私達の方から仏様に助けて欲しいと願う事では無い事がお分かり頂けたと思います。石原知事が使っている他力本願は、他力に御願いすると言う意味で使われており、むしろ浄土真宗で戒められている自力の願いであり、親鸞聖人の他力本願とは明らかに異なる訳であります。

浄土真宗では、私がお念仏を称えて救われるのではなく、とっくの昔から仏様の方が私達に手を合わせて、生まれ難い人間に生まれた事に早く気付いて仏法を求めて欲しいと願われて、念仏を称えておられると説きます。そしてその事に気付いてする報恩感謝の念仏を他力の念仏と云い、私がお念仏を称えて救われようと努力するのを自力の念仏と申しております。

私達は、この世に生まれて後、親の願いのお陰で成長致しますが、更にもう一人、生まれる前から私に願いをかけて下さっていられるのが仏様であります。窪田空穂と言う詩人が、70歳を過ぎてからですが、『今にして、知りて悲しむ、父母が、我にしませし、その片思い』と言う歌を詠んでおられます。片思いとは、親が子の幸せを想う願いです。私も60歳を前にして、父と母が私に願いをかけて色々としてくれた事に気付いては来ませんでしたが、自分が子供を持ち、孫を持ちますと、『ああーそうだったなぁ、片思いをさせて来たなぁー』と実感致しますが、仏様は、もっともっと前から片思いのしっぱなしではないかと説くのが、親鸞聖人の至られたご心境と思われます。

私達は、願われているから生かされて生きています。どう願われているのかを知るには、仏法に聞くしか無いのだと、私は思います。

石原知事は『法華経を生きる』と言うご著書を出されています。石原知事が多くの失言(本人も私も失言とは思っていないけれど)にも拘らずマスコミに潰されない強さは、世間の評価よりも、仏様の評価がどうなのかと言う視点を持たれているからだと私は思っています。

石原知事は、作家であり、法華経の信奉者でもありますから、本願と言う意味は知り尽くしておられると思われます。そうであるからには、別の機会にでも、是非本当の他力本願の意味を世の中の人々に説いて頂ければ、あれだけの影響力の強い方ですから、親鸞聖人も仏様もお喜びになると思うのですが・・・・・・・・。


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No.342  2003.12.08

蓮如上人御一代記聞書讃解ーはじめにー

これまで、勉強して来た経典は、はじめから順番に般若心経、歎異抄、白隠禅師座禅和讃、法句経、阿含経、修証義ですが、浄土門系のものは歎異抄のみでした。それは一般の方々には、浄土門の教義よりも聖道門(禅)の方が、取っ付き易いと考えたからであります。特に若い方々にとりましては、『南無阿弥陀仏』よりも『坐禅』の方が知性的・哲学的な感覚を持たれていると思い、敢えて浄土門の教義の解説を避けて参りました。

『私はお念仏を称えています』と言うよりも、『坐禅をしています』と言った方が世間的には"かっこいい"事も確かだと思います。私も人前で南無阿弥陀仏と称えるのは今でも抵抗があります。仏法を学び、到達する境地は、禅も念仏の道も変わりません。しかし、世間にあって煩悩まみれの日常生活を送っている在家の人間が、本当の意味で救われる可能性が高いのは、私は親鸞聖人の教えだと思っています。そして、在家の煩悩生活を実践しながら悟りの世界を極められた日本の歴史上の最初の仏法者は親鸞聖人であると言って間違いないと思います。

そして、その親鸞聖人の教えを一般民衆に広く分かり易く伝え直し、浄土真宗を日本を代表する宗派に仕立て上げたのが、これから勉強する蓮如上人であります。親鸞聖人は、浄土真宗の開祖とされていますが、親鸞聖人ご自身は、そのお積りもなく、お寺も持たれませんでしたし、今日の東西の本願寺が出来るとは全く想像だになされなかったろうと思います。

今では私も、本願寺の存在のお陰で歎異抄をはじめとする親鸞聖人のご著書が保存され、そのお陰で現代の私達が親鸞聖人のお教えに接することが出来ていると感謝していますが、つい最近までは、きらびやかなお寺、葬式坊主と言われる職業化した坊さんを育て上げる真宗教団と、そしてその元締めである本願寺の礎を築いたと言われる蓮如上人に対しては、親鸞聖人に感じる懐かしさとか敬愛の感情を持てなかったことは事実であります。さらに、あの有名な一向一揆を陰で首謀したのが蓮如上人では無いかと言う誤った歴史認識を持っていましたため、私はなかなか蓮如上人に教義上での興味を持てませんでした。

今回、蓮如上人の勉強をしようと思いましたのは、私が最も敬愛する故井上善右衛門先生のご著書に 『蓮如上人御一代記聞書讃解』があったからです。修証義の次に取り上げる経典を探していた私は、この機会に、私自身の蓮如上人への誤解を解くためと、そして、蓮如上人を通して更に親鸞聖人の教えを深められるかも知れないと思いました。また、一般民衆向けに説かれた蓮如上人のお言葉を紹介することにより、現代の一般の方々にも、浄土真宗の教えへの理解と共感を得て頂けるのでないかと思う次第です。

●蓮如上人について
蓮如上人(室町時代の1415年〜1499年)は、親鸞聖人(鎌倉時代の1173年〜1262年)を本願寺第一代(実際には親鸞聖人はお寺を持たれていません)とすれば第8代目となります。蓮如上人は親鸞聖人が亡くなられて、約150年してからお生まれになったと言うことになります。
蓮如上人は、第6代目の巧如(ぎょうにょ)の召使であった女性と、父で第7代目の存如(ぞんにょ)の間に生まれ、正当な後継ぎではなかったけれども、第8代目になったと言う事は、教義の理解のみならずリーダーとしても有能振りが際立っていたにちがいありません。

蓮如上人が第8代目を引き継いだ頃は、まだ現在の本願寺のような大きな寺ではなく、天台宗の青蓮院と言うお寺の末寺として、白毫寺と言うお寺の一隅を借りて建つ、親鸞聖人のご遺骨を安置している廟堂に過ぎなかったのです。そして、親鸞聖人の教義を宗とする教団は、関東の方の勢力が強く、本願寺は、末寺も門徒も少なかったと言うのが実情のようです。
43歳で本願寺を引き継いだ蓮如上人は、布教を目的にしたのか、本願寺の経営を強化する事を目的にしたのか分かりませんが、当時の室町幕府との人脈構築に励んだりしながら、近江を重要拠点としながら北陸へと布教活動を拡大させ、当時の土一揆を起こす農民勢力を巻き込み、色々な問題や非難を抱えながらも、本願寺を浄土真宗の一番手にのし上げて行った事は事実のようであります。

妻は5人、子供は27名と言う私生活には現代の私達は少し抵抗を感じるのでありますが、子供達を北陸地方をはじめとして各地の寺の後継ぎに派遣したり、嫁がせたりして、法脈よりも血脈によって、強固な本願寺教団を構築して言った手腕と人格は、表面的には親鸞聖人の人格とは全く趣きを異にしています。

しかし、今日、浄土真宗の門徒が『正信偈』『ご和讃』を毎朝夕仏壇で詠む慣わしは、蓮如上人が企画されたものであると共に、『ご文章』として書き遺された教えは、浄土真宗界では親鸞聖人のご著書と同等の地位を占めていると言っても良く、浄土真宗は蓮如上人が開祖だと言ってもよいほどではないかと思われます。

●蓮如上人御一代記聞書について
蓮如上人御一代記聞書は、蓮如上人の実子や側近が書き残した蓮如上人の言行録(1580年までに11冊作成されている)を、江戸時代になって、抜粋編集されたものであります。全部で三百十余箇条の法語が編集されているようですが、今回は、井上先生が選ばれました70箇条について、井上先生のご解説を手掛かりとさせて頂きながら、そして、歎異抄に表されている親鸞聖人の教えと重ね合わせながら、浄土門の教えを深めたいと思います。

70個条ですから、完了するのは、再来年の4月頃になるものと思われます。無事終わるまで続けられることを祈りますし、お付き合いして頂きたいと思います。

今日、12月8日は、お釈迦様がお悟りになられた日、成道会(じょうどうえ)と申し、仏教徒には特別の日であります。東京の武蔵野女子学院の先生から下記のメールが無相庵に届きました。

お元気ですか

成道会を前に、メイルを送ります

明日は、12月8日です 約2500年前のこの日、暁の明星の輝くとき、お釈迦様は、菩提樹の もとでおさとりを開かれました
今、こうしたメイルを通して皆様に出会えたことの巡り合わせの不思議 と尊さを思います
どうぞ、多くの皆さんにお伝え頂き、この日をそれぞれの生活の中で胸 に刻めたらと思います

本多 静芳

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No.341  2003.12.04

道徳と宗教

犯罪が低年齢化・凶悪化する現在の病める日本、道徳教育なるものが必要ではと、初等教育のあり方を見直す必要があるのでは無いかと論議されつつあります。良い方向にあると思いますが、もう少し踏み込んで、宗教教育こそ必要では無いかと考えたりしています。

そこで今日は、人生を生きて行く上では、道徳よりも宗教が必要であると言う考え方を申し述べたいと思いますが、私は仏教徒で、他の宗教の本質を理解出来ていませんから、道徳よりも仏教が必要であると言い直すべきなのでしょう。

道徳と言いますのは、人として正しい道を歩む基準であると思います。
目上の人を大切にする、弱者に優しくする、他人に迷惑を掛けない、きちんと挨拶が出来る、仕事は真面目に励む、責任感が強い、他人の役に立つ、人の悪口を言わない、無駄遣いをし無い等は道徳の基本として直ぐに思い浮かびます。私の卒業した中学校の校訓は三つあったと思いますが、今でも二つ覚えていますが、『何でも何故と考えよう』『すすんで仕事に汗を流そう』です。これらが実践出来れば素晴らしい事に違いありません。多くの人々から信頼を受けて、心豊かな人生を歩む一助となる事は否定出来ません。

これらについて何一つ欠けたところが無い方もおられます。そして高い社会的地位を得られ、指導的立場にある方も多くおられると思いますが、それだけでその人の人生が幸せに満ちたものであるかと言いますと、残念ながらそうとは断言出来ない面があるように感じます。
世の中には『晩節を汚す』と言う事があります。これは、人生の最後になって、名誉を失うような事態になる事を言いますが、あり得ることだと思います。また、最近は校長先生の自殺報道が目立ちます。校長先生と言えば、どちらかと言えば道徳的に優れた人格だと推察していますが、道徳的に優れているだけに、自分の力だけではどうにも解決のつかない苦難や逆境に遭遇した時、逆にその責任感から死を選ばれたと言う場合もあるのではないかと想像致します。

道徳は大切である事は間違いの無いことでありますが、道徳的に正しいから逆境に遭わないと言うことはありません。そして、道徳はどんな逆境をも乗り越える力を与えてくれるものでは無いのではないかと考察しています。勿論、道徳と言うより人生の考え方として、『順境と逆境は交互にやって来る、人生あざなえる縄の如し』と言われ、『良い事ばかりは続かないが、悪い事ばかりも続かない』と逆境にある人を励ます道徳的教訓と言うものもありますが、果たして、この教訓を知って、絶体絶命の逆境を何人の方が乗り越えられるでしょうか 。
近年、自殺者が毎年3万人を越えると聞いていますが、その方々もきっと上述の教訓は何回か耳にし、『そのうちにいい事が来るだろう』と言う会話もあっただろうと思います。しかし、本当の逆境にある時、辛抱すれば順境が来そうな気は全くしないと言うのが本当のところだと思います。これは、私のこの3年間を振り返っても、そう断言出来ます。道徳や教訓では人は救われないと・・・・・。

いくら道徳的に立派な人にも逆境は来ます。もっと申しますと、宗教的にどんなに磨き上げられた方の人生にも然りです。悟りをひらかれた方にも、外部から見ますと相当な逆境では無いかと思われる状況が押し寄せます。道徳的に立派であろうと、宗教的に立派であろうと、誰の身にも等しく逆境は訪れると言わねばなりません。たとえば、親鸞聖人は、日本各地に信者があって尊敬される立場になられた晩年も晩年、85歳で、長男の善鸞様に裏切られ、勘当される事態に遭遇されました。宗教上の裏切りでありましたから、恐らくは、メンツ丸つぶれの恥ずかしさに悩まれたと思われます。しかし、立派に乗り越えられたからこそ、親鸞聖人は歴史に残る祖師として評価されています。むしろその逆境によって、更に信仰を深められたようにお見受け出来ます。

逆境と申しますと、私の知る限りでも幼くして母と離れ離れになると言う究極の逆境に出遭われた祖師方は多いです。お釈迦様は生後1週間で、親鸞聖人は9歳、道元禅師は8歳で死別されています。蓮如上人は6歳で母親が出奔してしまいました。幼い時にお母さんと別れる事は大層辛いことだと想像致します。その出来事が仏教史上に特筆される方々を生み出したとも言えるのではないかと考えます。

仏教では、逆境がむしろ信仰を深め、積極的な人生が展開されると言う考え方を説きます。『逆境から私を救うのが仏教ではなくて、逆境こそが私を救うと説くのが仏教です』と言えると思います。 私も世間的には逆境にあります。経済的困窮によって明日知れぬ身でありますが、生まれ難い人間と言う尊い命を頂いた事と共に、逆境こそが私を救うと言う教えによって、はじめて今日生きる力を与えて頂いているように思います。


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