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No.360  2004.02.09

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第38条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―如来の廻向(にょらいのえこう)

●まえがき
『如来』を広辞苑で調べますと、「真如の理を証得し、迷界に来て衆生を救うものの意、仏の十号の一つ、仏の尊称」とあります。『回向(廻向)』は同じく、「@自分の修めた功徳を他に回らして、自他ともに仏果を成就しようと期する意、A仏事をいとなんで、死者の冥福を祈る事」とあります。臨済宗で『ご回向』と言いますと、お坊さんが仏前でお経をあげる事であると受け取られているようです。

現代の一般の方々から致しますと、如来と言い、回向と言いますと、根拠の無い架空の話としてしか耳に届かないと想像致します。私もつい最近までは同じ想いだったからです。しかし、『如来廻向』によってしか、私達、煩悩を抱えて苦悩する凡夫が救われ、安心な世界に目覚める事はあり得ないと思うようになりました。私達は、善い事を積み重ねれば幸せな人生が恵まれると信じ、また、お念仏を称えたり、禅堂に通い坐禅を積み重ねれば、きれいな心になり、煩悩から解き放たれるかのように思っております。しかし、それは尊い努力ではありますが、生身の肉体を有する限り、我執と言う根本煩悩、根本無明から決して離れる事は出来ないのだと、比叡山で自力の修行のぎりぎりまで体験された親鸞聖人は、自己を問い直し、自己を見詰められました。そして、比叡山を下り、法然上人との出遭いを機縁として、そう言う煩悩具足の凡夫を救い取らずにはおれないと言う如来の御心(宇宙の御働き、これを真宗では他力と言います)に触れられ、ついに安心(あんじん)を得られたとお聞きしています。

親鸞聖人の信心は、如来の本願力を信じてお任せし、お念仏を称えると言うことですが、この任せると言うことは、言葉では簡単ですが、なかなか任せられないのです。卑近(ひきん)な喩えではありますが、水泳が苦手な人は、水に浮こうと努力すればするほどに力が入って、逆に沈んでしまいます。水になかなか任せられません。体の力をすっかり抜いてごらんと教えても、その要領を飲み込むには時間が掛かります。しかし、身も心も水に任せ切ったら、何の苦労もなく、水に浮くことが出来ます。これは皆さんも経験されたところだと思いますが、この喩えは卑近ではありますが、親鸞聖人の信心は、ちょうど水に浮かぶ瞬間と同じく、任せ切ると言うものだと思う次第です。そして、その任せ切ると言うのも、自分の努力ではなく、任せ切るしかないと言う他力の働きによるものだと思います。

浮かぼう浮かぼうとすればするほど浮かない、悟ろう悟ろうとすればするほど悟りから遠くなる、それは自己に固執する想いが自らの問題になっていないからであると思われます。信心に関しましてこれ以上の言葉による説明は、今の私には出来ないのがまことに残念です。井上先生のご説明を下記に転載しております。少々難しい言葉が並びますが、参考にして頂きたいと存じます。

●聞書本文
「廻向」といふは、弥陀如来の衆生を御助けをいふなり、と仰せられ候なり。

●現代意訳
『「廻向」と言うのは阿弥陀仏が私達衆生を救い取ろうと言う御働きの事を言うのである』とおっしゃいました。

●井上善右衛門先生の讃解からの抜粋
「廻向」と言う言葉は仏教で常に用いられる漢字でありますが、原語はpari-namに由来します。その意は、「・・・・に向かって屈げる」「転じる」「発達し、成熟する」等の義を有するものです。これが中国に伝わって「廻向」と訳され、「廻向」については、廻転趣向(かいてんしゅこう)の義である等と、だんだん難しい義理(ぎり、訳とか意味と言うこと)が語られるようになりました。廻転趣向というときは、「己れの作した功徳を廻らし転じて、期する目的に向かうようにしむける」という義になります。求道心を起こして修道にいそしみ、その錬磨した能力を振り向けて菩提(ぼだい、悟りの境地)を達成しようとする。その心の働き振りがまさに廻向という義をもつこととなります。求道にはいうまでもなく菩提という目ざすところがある。だからつまりは、目的に心を傾けてそれに力をそそぐことであり、これを正確に規定しようとすれば、廻転趣向という義理に発展することはいわれのあることといわねばなりません

さて自己の菩提に向かって努力精進することを「菩提廻向」といいますが、仏道では己れ一人のさとりを目ざすに止まり得ぬ精神があります。それは自他一如という真理にうながされて生ずるのでありますが、そこに「衆生廻向」ということが起こります。衆生廻向とは所修の一切の功徳を廻(めぐら)して衆生に施与し、衆生をして菩提に向かわしめんとすることです。従って、自に対する菩提廻向と、他に対する衆生廻向とは、遂に離れることのできない表裏一体的な廻向の義となって来ざるをえません。

私達が菩提を求めると言う事は、言葉を変えると、心の闇を照らす光を求める願いと言えましょうが、その闇の現実を生み出し、自らを苦悩せしめている根源に、不実な、空しい自己に固執する潜在的な我執の心があります。その我執という本質を持った心で、心の闇を照らす光を求め、我執の闇から脱出しようとする企ての努力が為されるわけですが、この努力がいかに懸命であっても、それは自らの自己矛盾の故に遂に挫折せざるをえません。善根を修して仏果に趣向しようとする。その心根は純粋であっても、捉われた自我に根ざす行業は遂に純粋性を貫くことが出来ない。親鸞聖人が虚仮の行、雑毒(ぞうどく)の善と述懐された叫びの中には切実な体験の告白が含まれていることを思察すべきです。自力の廻向が全(まっと)うされないというよりは、むしろそこには廻向はなかった、真実の廻向はそこには成り立たないという目ざめが体験的に聖人に生じたのであります。
それでは仏道の廻向というのは本来むなしい不可能なものであったかというとそうではない。厳然として廻向は今、現にこの身の上に行じられ顕現している。衆生を自他一如に摂め取って一子のごとく愛愍し、菩提に向かわしめる衆生廻向が如来によって行じられている。それを離れて如来自らの菩提廻向も無い。それが即ち「若不生者不取正覚」という御誓いです。ここに正しく如来廻向という大いなる世界の躍動に魂の目を開かれたのが親鸞聖人であられました。他力廻向とはこの一筋の如来廻向の外にはありません。仏道とは実にこの如来廻向の活動に参じる道であります。
何とおうけなき事でありましょうか。われわれは一人一人に現に如来の悲心の善根が恵施(えせ)されている。そして菩提に趣向するよう願われ拝まれているのです。その廻転趣向の総てが南無阿弥陀仏のなかに念々と働きつづけているのです。これこそ実に摂取不捨という眼前の事実です。仏法とは何かと言えば摂取不捨に尽きましょう。その摂取不捨のなかにおいて、己れが求道の始終が営まれ、促され、催されているのです。摂取不捨に甘えるのは摂取不捨の影を追うものです。摂取不捨は常に一人一人の主体を通じて働きかけられている南無阿弥陀仏を聞信せしめられ、南無阿弥陀仏が口にほとばしるのです。その事実を「廻向といふは、弥陀如来の衆生を御助けをいふなり」とピタリと眼晴(がんせい)をおさえて廻向の大義を誤りなく語られたのが、いま『聞書』に残された法語であります。

●あとがき
上述の讃解からの抜粋の中で、『仏法とは何かと言えば摂取不捨に尽きましょう』と井上善右衛門先生が珍しく断定的におっしゃっています。井上先生は、慎ましい方で、あまり断定的な言い方をされませんでした。「・・・・・ではなかろうかと思います」と言うご法話の中でお聞きしたお言葉が今も耳にはっきりと残っています。

『摂取不捨に尽きる』と言う事の意味もなかなか私達には理解出来ないのですが、「如来の本願力が私達を必ず救い取って下さる」と言う言葉に変えても良いと思います。何から救い取って下さるのかと言いますと、この苦悩の里としか言えない生死流転のこの世から、安楽静寂のお浄土へ迎え取ると言う事です。この世は別に苦しいばかりではないと言う方もおられますでしょう。私も、この世は苦しみばかりでは無い、楽しい事もあった、嬉しい事も結構あると思った事もあります。絶対苦境にある今も幸せを感じる時すら現にあります。実はこの世すべて苦だと言うのは、仏様側からこの世を観れば、苦としか映らないのだと言う事です。だから、仏様は、私達を何とかして救い取ろうと願いを立てておられるのだとお聞きしています。

これの願いと働きを浄土門では『本願力』と申します。この力は目に見えません。目に見えないから信じられないと言うのが、現代科学教育を受けた私達であります。しかし、力はどんな力でも力そのものを目にすることは出来ませんが、現象として感じ取れるのであります。万有引力もニュートンが、リンゴが樹から落ちるのを見て発見致しました。太古の昔から、万有引力は宇宙に働いておりましたが、誰も気付きませんでした。それと同様に、本願力も太古の昔から宇宙に、勿論この地球にも働いていました。

その本願力に気付かれたのは先ずはお釈迦様です。そして、その本願力を信じるだけで救われるのだと確信されたのが親鸞聖人であります。本願力は、あらゆる衆生を救い取ろうと働き続けている訳で、その現れは、お釈迦様が出現し、達磨大師が印度から中国に渡られ、仏教が韓国を経て日本に伝来し、聖徳太子が仏教国日本を構築しようとされた事、法然上人と親鸞聖人の出遭い等の現実に起きた歴史を知り、私自身が、白井成允先生、井上善右衛門先生、西川玄苔老師、青山俊董尼にお遭い出来たと言う事をつぶさに思い浮かべれば、本願力を信じるのが自然の道理ではないでしようか。

どんな方にも、生きとし生きるもの、総てに本願力は働いているわけですが、それを感知出来るかどうかは、受信装置のアンテナが立っているかいないかと言う事だと思います。このアンテナも、自分の力で立てたのではない、遠く太古の昔からの想像もつかない宿縁によるものだとは、親鸞聖人ご自身のお言葉にあります。

人間に生まれること稀なり、仏法に遭うこと難しと仏教では申しますが、これは我田引水でもなんでもなく、私は、本願力と言う宇宙の真理に気がつけば、誰でも、そう思わざるを得ない事なのだと思っている次第です。


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No.359  2004.02.05

世間虚仮(せけんこけ)

世間虚仮とは
私以外の世間が虚仮だと・・・

永らく、そう思って来た
実は、私が虚仮だった

虚仮の私が見る世間が
虚仮だった

そう気付かして下さったのは
多くの仏様だった

だから唯仏是真なのか・・
聖徳太子の深さを感じた

『世間虚仮唯仏是真(せけんこけゆいぶつぜしん)』とは、聖徳太子が天寿国繍帳に遺された言葉です。

2月を迎えました。今年1月の私の1ヶ月間は、本当に色々な経験を致しましたが、生涯忘れることが出来ない、最も辛くとも、最も有難い1ヶ月となりました。

こんな境遇(経済的破綻目前)になりますと、私の周りからは、私と付き合っても得になりそうにはない、むしろ危険であると見積もった人々は、次々と去っていったように感じております。そして、私の周りは"心の美しき人々"だけになったのではないかとさえ思っています。恐らく何も問題がない平穏な時には分からない人間の真実の姿が映し出されるのだと思います。

私は一体どっちの人間性を持っているのだろうかと思うとき、誰に対しても"心の美しき人" にはなれそうにない自分に気付かされました。そして前者の部類に入りかねない虚仮不実(こけふじつ)の我が心身が照らし出されました。

そして、親鸞聖人がおっしゃっている『邪見驕慢悪衆生(じゃけんきょうまんあくしゅじょう)』と言う正信偈(しょうしんげ)と言うお経の中の言葉が思い浮かび、特に驕慢と言う言葉に、自己を問い直さずにはおれませんでした。驕慢とは、自分は人よりも正しいと思い上がった心ですが、『自分は、きっと良い人に回り逢うはずだ、悪い人には出遭わないはずだ』と言うのも思い上がり、即ち驕慢だと思いました。私自身、『自分は、きっと良い人に回り逢うはずだ、悪い人には出遭わないはずだ』とは意識して考えた事はございませんが、心の奥底に、そう言う驕慢心(きょうまんしん)があったように思われました。『直ぐに人を信用し、心を許してしまう"無類のお人好し"』は自他共に認めるところでありますが、"本当のお人好し"ではなく、実は驕慢心が変化したものだったのでは無いかと今振り返っているところです。

勿論、邪見(じゃけん、邪険ではありません)でもありました。邪見とは、正見(しょうけん)の反対で、真理に適った思考が出来ない事、仏教的には、因縁果の道理が分かっていないと言う事です。因縁果の道理が分かり、驕慢心がなければ、私はもっと違った人生を歩んでいたに違いありません。

しかし、人生も黄昏(たそがれ)に近づいている私自身が邪見と驕慢のどうしようもない悪人、罪深い凡夫であったと気付かせて頂いた事は、逆に申しますと、過去のすべてが決して無駄では無かったのだと思っております。気付かずにこの世を終わる事こそ空しい人生だと思うからです。

私が邪見驕慢の人間であると思い知らされましたのは、やむを得ず私に厳しい言葉を投げ掛けた人々の仁王様の様なお叱りと、「何とかこの危機を乗り越えて」と物心共にお恵み頂いている観音様のような慈愛を注いで下さる人々の両方にお出遭いさせて頂いているからだと思います。仁王様と観音様、やはり両方の仏様がなければ、人は救われないのだなと、改めて仏法の深さを感じた次第です。

厳しく叱り付ける仁王様と、慈愛の眼で見守って下さる観音様(阿弥陀様と申しても良いでしょう)の中、どちらが欠けても、私をして、煩悩具足の凡夫と素直に思わしめなかったのではないかと思う次第です。

さて、有難い1ヶ月の始まりは『今月から御社への注文が半分以下に減る』との通告を受けた仕事始めの1月6日でした。正に地獄へ突き落とされたとでも言う、忘れることの出来ない日となりました。突然そう言う事を通告されれば、危機を予測して計画的に蓄えを積み重ねておられる智慧のある社長さんか、余程の修羅場を乗り越えて度胸が座った社長さんでも無い限り、目の前が真っ白か真っ暗になると思います。私の翌朝の目覚めは『やっぱり夢ではないのか・・・』と、逃れることの出来ない現実に、私は恐怖と言い知れない不安を感じたものでした。

昨年末、会社の資金も個人の資金も殆ど枯渇し、今年の2、3月には完全に資金不足になると見積もり、どうしようかと考えあぐねて正月を迎えていた私には、その通告は、死刑判決にも匹敵するものでありました。人生の破綻が目前に迫った事をはっきりと認識致しました。当然、どうすれば破綻の危機から脱出出来るのか、破綻したらどうなるのか、どう言う道があるのか・・・・色々と頭を駆け廻りました。「死刑囚の死刑前夜の気持ちとは、こう言うものか?いや、死刑囚の場合は間違い無く死刑が執行されるのであるから、自分の方がまだましか・・・」等とも思いました。色々な妄想も起こりました。破綻とは、会社が倒産し、自己破産し、住まいを失う事です。

私の尊敬する井上善右衛門先生が、いつかのご法話で、戦争中のお話として、「戦場で敵からの銃撃を受ける瞬間、盾になるはずのない1本の野草の茎に身を隠そうとした」とお聞きしたことがありますが、それに近い、心境に追いやられました。

一番堪えたのは、家族(妻子、孫)をこんなところにまで巻き込んでしまった事でした。いたたまれない想いを抱きました。そして、ここまでに至った私の人生を振り返りましたとき、私が過去に為して来た選択のすべてが間違っていたと思わざるを得ませんでした。間違いだらけの人生であったと思った時、私は世の中の誰よりも無能力の、また煩悩の満ち溢れた人間であることを自覚したように思います。

そして、最低の人間である事を自覚した後、こんな私を温かく励ましてくれた友人・知人と、そして窮地に陥った私を更につき落そうとする、両極端の人間模様の真実に出遭った時、『これが人生の真実の姿なんだなぁー、自分は何も分かっていなかったなぁー』と思えた瞬間は、私の邪見と驕慢心がはっきりと見えた瞬間でもありました。

もしも、温かく励ましてくれる友人ばかりでしたら世間に甘えてしまい、逆に立ち直れなかったかも知れません。そして、更に追い打ちをかけるような冷たい対応をする人ばかりですと、絶望し、それも立ち直れなかったと思います。両極端の対応(仁王様と観音様)を差し向けてくださったところに、仏様の慈悲を感じずにはいられませんでした。

自分の邪見と驕慢心に気付きましたら、世間の真実に真正面からぶち当たる覚悟が出来ました。即ち、鎧兜(よろいかぶと)を脱ぎ捨てて、色々な問題に対して、私のありのままの力をぶつけて、後は世間の審判に従うと言う覚悟が出来ました。そして、自分の精一杯の努力をし、幅広く人様からアドバイスを頂いて、問題解決に当たる姿勢が出来ました。これまでは、驕慢心から発せられた独断専行、人の注意に耳を傾けない暴走族の無免許運転でしかありませんでした。

作家の吉川英治師が「我以外、皆我が師なり」と言われたそうですが、吉川師も、恐らく親鸞聖人と同様、罪悪深重・煩悩具足の凡夫と言う人々の末席に座られた方であることが、今になって、その言葉の意味が少し分かったような気が致しました。

私の人生は、1月6日から、大きく転換し始めたように思います。家族をどん底の経済状況から救いたい、しかし、それは私が精神的に救われる事によって、家族・親族に素晴らしい人生をプレゼント出来ると言う確信へと変わっているように思います。経済的にどうなるかは分かりませんが、青山先生の法話『"さいわいに"と受けて立つ』と言う気持ちで、人々に教えを請いながら、難問にチャレンジして行こうと思っています。

まとまりの無いコラムとなってしまいましたが、仁王さまも観音様も共に拝めるようになった事は、この1月の様々な出来事が私を正しい道に連れ戻す仏様の御働きであったのだと深く深く感謝している次第であります。


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No.358  2004.02.02

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第37条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―極楽の生(しょう)は無生(むしよう)の生(しょう)なり

● まえがき
2月になりました。今年の1月の1ヶ月間は、非常に辛いものがありましたが、普通では出来ない多くの経験と人間の心模様を目の当たりにして、人生観が変わったような思いがしています。詳細は、木曜コラムに1ヶ月を振り返りたいと思いますが、地獄の想いを味わった瞬間もありますが、今日の青山先生の法話『"さいわいに"と受けて立つ』に示されている心が分かるような1ヶ月でありました。

さて、この聞書第37条も、一般の方々にはなかなか理解しがたいものであると思います。私もずっと躓(つまづ)いて来たところです。極楽とか地獄と聞きますと、何か架空の物語のように感じ、非科学的、非現実的で、子供騙しの話と捉(とら)えてしまうからです。ですから、一般的な仏教に対する感覚では、『色即是空、空即是色』を説く「禅」の方が何処か高等・高邁(こうまい)な仏教に思え、『南無阿弥陀仏』を称える浄土宗や浄土真宗は、少し低レベルと言いますか、知的な教えでは無いように思われ、現代人にはなかなか受け容れられていないというのが現状だと思います。

坐禅の方がかっこいい、念仏はかっこわるいと言う考えは、私にもよく理解できるのですが、そう言う捉え方は、宗教を何かアクセサリーの様に位置付けている、我執(自己愛)そのものが現れているように思えて、仏法に求めるべきものと反対の立場ではないかとも思います。

私は、お釈迦様の教えこそが私達人間を人類を苦の世界から救い取ってくれるものだと信じ、そして親鸞聖人が至られた信心の世界に深く共感・共鳴を覚えるのですが、『ただ念仏すれば救われるのだから念仏しなさい』という飛躍的な説き方をされることには、少なからず抵抗を感じます。井上先生が、次のように述べられていらっしゃいますが、まことにその通りだと思います。

浄土真宗は言うまでもなく浄土の真宗であり、親鸞聖人の本典は『顕浄土真実教行証文類』であります。浄土の真実を離れて真宗の信はありえません。然るに現代の経験的科学的思考の抵抗を避けようとするためか、浄土の問題を殊更回避して真宗を語ろうとする傾向があることは甚だ遺憾なことです。現代の思想的盲点を指摘し浄土の真実義を明らかに示す使命が今日こそ真宗の僧俗にあるべきです。もとより宗教は学問ではなく、理論の沙汰でもないことは言うまでもありません。しかし科学的思考による中毒が真の人間性を歪めようとする今日、真実の宗教的自覚が何たるかを理性に対して明らかにすることは極めて必要ではありますまいか。疑難に対して答える術(すべ)のない丸腰は、われわれの使命を果たす所以ではないと思うのです。
私は、井上先生のお志をお継ぎし、自分自身が親鸞聖人や井上先生と同じ信心を賜り、そして親鸞聖人の教えを現代の人々に受け容れ易くする努力を、心を同じくする方々と共に続けて行きたいと思っております。井上先生のお言葉は確かに難しい面がありますが、先生は、ご自分に言い聞かせ、言い聞かせされながら、お話になっておられたように思いますので、ご自身のご専門であった倫理学でお使いになられるお言葉の中から選び選び話されているものと存じますので、いきおい一般には馴染みのない言葉が出て参りますが、私には説得力のある、また味わい深いお言葉として心に響きます。

●聞書本文
「無生の生(
むしょうのしょう)」とは極楽の生(しょう)は三界(さんがい)を経廻(へめぐ)るこころにて非ざれば極楽の生は無生の生というなり。

●現代意訳
「無生の生」というのは、極楽に往生した命は、迷界(欲界、色界、無色界)を輪廻するものではなくなるから、「極楽の生」を「無生の生」というのである。

●井上善右衛門先生の讃解からの抜粋
この条は、「極楽の生」について述べるとともに、極楽の境界(きょうがい)や往生の意味をも含めて、その要(かなめ)を簡潔正確明快に語ってある一条であります。極楽とは阿弥陀仏の浄土をさす固有名詞であり、『観無量寿経』や『阿弥陀経』に述べられており、『大無量寿経』には「名付けて安楽」と語られていますが、要はその世界が衆苦なきまことの喜びの境界(きょうがい)であることを示す名です。

ところがわれわれは人間の経験をもとにして言葉を理解しようとしますから、極楽とか安楽とかいうと、どうしても感覚的な想念にかられ、人間的な悦楽の場所という思いに傾こうとします。それは大いに注意すべき第一の点でありましょう。したがってむしろ「衆苦を超えた世界」という『阿弥陀経』の言葉に従うがよかろうと思います。感覚的な楽しみという予想的観念に陥ることを誡(いまし)めて、第122条には、

極楽はたのしむと聞きてまいらんと願い望むる人は仏にならず、弥陀をたのむ人は仏になる。
といい、第247条には更に言葉を進めて、
物は思いたるより大いに違うというは極楽に参りての事なるべし、ここにて有難や尊やと思うは物の数にてもなきなり、彼土へ生じての歓喜は言の葉もあるべからず。
と語られています。

人間の感覚的欲望にわれ識(し)らず誘われて浄土を願うということが、宗教精神とはまさに逆な心であることは言うまでもありますまい。だから「仏にならず」と断言し、虚仮不実な自我のむなしさに目覚めて弥陀の真実心に帰する人、即ち「弥陀を頼む人は仏になる」と、宗教的自覚の道を示されているのです。

この第122条と第247条とを背景としながら、本文のこころを玩味しましょう。「無生の生」というのはむずかしい言葉ですが、それを受けて「三界を経廻るこころにて非ざれば、極楽の生は無生の生というなり」とある言葉によって、その意を明瞭に窺うことが出来ます。三界とは迷界(欲界、色界、無色界)の異名です。われわれの生はこの三界に生死(しょうじ)という形を取って現れています。

多くの人が生まれ多くの人が死ぬ。そして流れる水の止まることなきがごとく、蕩蕩として遷(うつ)り変りつづけながら、同じ本質の生死を果てしなく繰り返しています。われわれの生は決して唐突に生じたものではなく、人類の永きに亘る生命の流れのなかから因と縁とにかられて生起したものであることは間違いない事実であり、これを主体的内省に移すとき、まさに三界を経廻る自己という自覚に達せざるをえません。

しかもわれわれのこの生が本質的に死に結び付いており、また浮沈する仮りの生に固執して止まぬ潜在的性格を宿しているため、既に述べた通り、生自体に深い矛盾を蔵し、その矛盾が四苦八苦として示されるような衆苦となってわれわれの生を懊悩せしめるのです。

かかる性質をもって三界に流転しつづけてきたわが生命が、このたび無量寿無量光に摂取され永遠真実の土に往生せしめられるということは、その浄土の生が決して生死する生の連続上のものではないということです。それは生死の本質を離脱した生であり、その意味におい「無生」といい、しかも如来の新しい寿(いのち)を得るが故に「無生の生」といったのであります。即ちその生は生滅において成り立つような生ではないから「無生無滅」ともいいます。それは即ち法性の真理と一味の無量寿であり、われわれの想念を超えた永遠の生命というべきであります。

●あとがき
私達が死んだら、極楽へ参るとか、地獄へ堕ちるとか申しますが、そうなりますと、霊魂というようなものがこの肉体に宿っており、肉体がなくなれば、霊魂が極楽か地獄のどちらかに行くように考えてしまいます。しかし、お釈迦様は霊魂を否定されました。むしろお釈迦様以前に信じられていた霊魂の存在を否定したところにお釈迦様の真骨頂があるのです。

そう致しますと、親鸞聖人は、極楽とか地獄をどのように捉えられていたのでしょうか。今の私には勉強不足で明快には答えられませんが、極楽即ちお浄土は、やはり肉体を失って後に参るところだとお考えになっていたと思われます。しかし、親鸞聖人も、お浄土へゆくのは霊魂だとは思っておられなかったように推察しておりますが、親鸞聖人は「私が死んで参るところは、お浄土である」と確信しておられたのは間違いないと思います。

それが、『正定聚(しょうじょうじゅ)』と言う考え方に表われていると思います。人間生きている限り、この肉体を持っている限りは、煩悩はなくならない、死ぬまで煩悩具足の凡夫のままであるけれども、その煩悩具足の凡夫を必ず掬い取ると言う阿弥陀仏の根本的な願い(『本願』と申します)を信じ、お念仏を称えるその境界(きょうがい)を親鸞聖人は『正定聚の位』と言われたのであります。

何故、煩悩具足の者がお浄土にゆくことが出来るのか、一般の方は理解に苦しまれると思います。「煩悩を消してからというのなら分かるけれども、煩悩だらけの者のまま死んだら、それは地獄行き確定と考えるのが普通ではないか」と。ここが最も理解しがたいところでありますが、歎異抄の「善人なおもて、往生をとぐ、いわんや悪人をや」のお言葉に表わされている親鸞聖人の教えの要の所でもあると思います。

逆転の発想とでも言いますか、すごい宗教的発見だと私は思います。そして、生きている限りは、聖道門(禅宗など、修行によって生きている中に仏になると言う仏教)が説く『悟りを開いて仏になる』と言う事は肉体を有する我々凡夫ではあり得ないと、科学的にも充分考察された考え方であると思います。

親鸞聖人のおっしゃる『正定聚の位』は、お浄土ゆきが確定した身分、或は境界(きょうがい)を言うのですが 、禅で言う悟りと全く同じ境界だと思っております。その境界は、既にこの世が極楽と言ってもよいのですが、あくまでも肉体を失ってから参るのがお浄土、極楽とおっしゃいます。そのご境界を白井成允先生が、「身は娑婆にありつつも、既に浄土の光耀を蒙る」と説明されています。親鸞聖人は、非常に冷静で徹底して科学的なお考えをされていたんだなぁーと言葉を失うほどです。

この聞書の条において説かれるところは、『正定聚の位』に至りますと、私の命が『無生の生』、即ち生死を超えた永遠の生命と同化し一体になるのだとおっしゃっているように思います。

極楽・地獄というのを、架空の物語、非科学的だと一笑に付す訳には参らないと思う次第です。


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No.357  2004.01.29

かしこき思い

ある日、名誉も誇りも財産も
すべて私から離れて行った
しかし、同時に永年の懸案だった
"かしこき思い"も消え失せたように思う

私は、そんなに賢い人間とは思っていなかったが
この"そんなに"が"くせもの"だった
"そんなに"がとれるまでに、30年
そして、漸く煩悩具足の凡夫の仲間入りが出来た

煩悩具足の凡夫の新入りだ
凡夫仲間の新入生である
だから凡夫の世界は意外と
すべてが新鮮で清々しい

何故だろう
何も持っていないからなのか・・・
これからは、一つ一つが勉強だと思える
本当に、本当に知らない事ばかりだった

※煩悩具足の凡夫とは、すべての煩悩を兼ね備えた凡夫と言う意味です。

  私が29歳の時(丁度30年前)、念仏者であり、一流企業の経営者でもあられた加藤辨三郎師(かとうべんざぶろう、故在家仏教協会会長・協和発酵工業社長)に『私は、どうも素直に念仏を称えることが出来ません、称えたとしても空念仏のようで、嫌なんです・・・・どうすればよいでしょうか?』とお尋ねしました。

  ご返事は、今も大切にとっているお葉書に残っていますが、『まだお念仏を称えるお気持がわきません由、よく分かります。私がそうであったのですから。ただ申し上げておきたいのは、それはあなたが「かしこき思いを具して」いらっしゃるからでございましょう。やがていつの日にか、その「かしこき思い」に限度のある事にお気づきになりましょう。宿縁の開発(かいほつ)をお待ち申し上げます』と言うお答えでした。私は、自分では賢いとは思ってないのになぁーと今日まで生きて参りましたが、名誉も財産も僅かな誇りも失った今、はじめて、加藤先生のおっしゃっていた意味が分かりかけて参りました。

加藤辨三郎師と同様に、帝国大学の工学部化学科卒の肩書きを持ち、高分子材料加工技術と言う専門知識と技術開発力を持っていましても、今の時代は、59歳にもなりますと雇ってくれる会社は殆どございません。そんな中、間借りしている工場で、昼間、パートさんがしていた仕事を引き継いでやる夜のアルバイトを3ヶ月前から始めさせて頂いております。20数秒毎の繰り返し作業を4時間続けます。こう言ってはパートさん達に失礼ですが、初めは、やはり自分自身情けない想いを抱きながら、それでもまじめに作業を繰り返していました。しかし、やはり仕事の遣り甲斐は全く感じられませんでした。時給900円を稼ぐロボットでしかありませんでした。しかし、単純作業を繰り返しながら、「今この瞬間しか本当には存在しない、明日という日、一週間先1ヶ月先の日は、仮定・架空の日だ。今この現時点だけが本物の貴重な瞬間なのだ」と思い至りましてからは、繰り返し作業でも、心を込めてやれば、つまらないと言う気持ちは失せてゆきました。

そして、職業に貴賎はないと言う言葉がありますが、「職業に貴賎はないが、人の心持に貴賎があるから、職業に貴賎があるように思ってしまうのだ、喩え世の中で尊敬されるお医者さんと言う職業でも、大学教授と言う職業でも、日本の首相でも、瞬間・瞬間に真(まこと)を尽くしていないならば、その人の職業は卑しいものになる。逆に、喩え、世の中の底辺のように見られる仕事であったとしても、瞬間・瞬間に心を込めていれば、尊い職業になるのだ」と思うようになりました。これは貴重な有難い体験になりました。そして、これが禅宗で言う、日常生活がそのまま禅だと言う意味なのだと思いました。一期一会と言うお茶の心に通じることを身を以って知ることが出来ました。

私は、人生の破綻に直面すると言う緊迫した状況の中で、日々体験している様々な出来事、人間模様に、沢山の本を読んで得る知識とは全く異なる発見とある種の感動を覚えつつ、「お前は、何も知らなかっただろう」と言う宇宙からの声なき声に何時しか頭を下げていました。

私の世間との格闘は、これから未だ未だ続きます。負ける可能性は極めて高いと言う現実ではありますが、1年後に控えた還暦が、どの道、第二の誕生となるように、一日一日、一つ一つ、一瞬一瞬を大切に学びながら、元気と陽気を忘れずに挑戦して参りたいと思っています。

このような状況の中で、こんな気持ちにさせて頂いているのは、私達夫婦を温かく励まして下さる方々の仏様としか思えない慈愛に触れているからであると心から感謝しています・・・・・・合掌

加藤辨三郎師の経歴:
明治32年8月10日生まれ、本籍地・島根県簸川郡大社町(私と同じ本籍で、縁を感じていました)
大正12年3月 京都帝国大学工学部工業化学科卒業
昭和5年9月 工学博士の学位を授与される
昭和24年7月 協和発酵工業(株)を設立、取締役社長に就任
昭和27年7月 社団法人・在家仏教協会を設立、会長、理事長を歴任
昭和48年8月 協和発酵工業(株)会長に就任
昭和58年8月 逝去、享年84歳
ご著書 『阿弥陀経を読む』『いのち尊し』『日々あらたに』『仏教と実業』その他多数


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No.356  2004.01.26

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第30条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―諸仏三業荘厳して

●まえがき
今日の聞書は非常に難解です。まるで外国語のような、私には手に負えないと言うのが、率直なところです。特に『荘厳』(しょうごん、そうごん)という言葉の意味するところが分かりませんから、全体の意味するところに確信がありません。広辞苑で『荘厳』は、「仏具・法具などで仏像・仏堂を飾ること」とか「たっとく、おごそかなること。重々しく立派なこと」という説明がありますが、諸仏三業荘厳と並びますと、さっぱり分かりません。

通常は、井上先生の讃解文を熟読すれば、大体理解出来るのですが、この聞書に関しましては、井上先生のお書きになられている文章さえも理解し難いと言う壁にぶち当たりました。従いまして、現代意訳は、私の苦し紛れの中で、私の勝手な解釈を止む無く書き記しました。出来れば、どなたかお分りになられる方がおられましたら、掲示板に正しい解釈を書き込みして訂正して頂ければ、有難いと思います。お願い申し上げます。

●聞書本文
のたまわく「諸仏三業荘厳して畢竟(ひっきょう)平等なることは、衆生虚誑(こきょう)の身口意(しんくい)を治せんがためとのべたまふ」といふは、諸仏の弥陀に帰して衆生を助けらるることよと仰せられ候。

●現代意訳
蓮如上人がこう言われました。『「諸仏が身口意の三業を荘厳してわれらと一味になってくださるのは、衆生の欺瞞(ぎまん)に満ちた身口意を治してやろうとされるためと説かれている」という親鸞聖人が御和讃(高僧和讃)で詠われている真意は、数多(あまた)おられる諸仏・諸菩薩が阿弥陀如来と一緒に成って、或は阿弥陀如来に成り代わって我ら衆生を助けて下さると言う事なんだ』とおっしゃいました。

●井上善右衛門先生の讃解からの抜粋
永遠の真実とは人間が執我(しゅうが)を脱却したときに体験する自己と永遠な世界との一体的目覚めというべきものでしょう。人間の常識的意識は自己の殻(我執という「卵の殻」と考えられます)を通して世界に接している。その殻を通して世界に接している。その殻を除かねば真実の意識は生まれない。真実の意識には常恒なる世界の永遠性が宿る。そこには意識を超えたものが意識に映じきたるというべきであります。その絶対にして永遠なるものが法身(ほっしん)と名付けられます。その永遠の真実が同時にわれわれの精神を照らし、精神の殻を破ってこれを摂取し同化する働きを指すのであり、永遠なるものが肉体化してわれわれの精神に寄り添い宜しきに従って(方便)無碍の働きを現じられる。諸仏もまたこの働きと一味になって顕現するのであります。

●あとがき
私が今回身心に受けた世間の鉄槌は、過去に受けたどの鉄槌よりも脳に心に響きわたりました。殆ど叩きのめされたと言う感じです。正直なところ、これまでの59年間の人生で私が行(おこな)って来た事すべては間違いだった、何一つ正しい事をして来なかったと言う想いがしています。さすがに、微かに記憶が残っている小学校の1年、いや幼稚園まで溯りますと、やっと無心で遊びまわっていた自分を見出せると言うところです。

その後の今日までの人生はすべてがすべて間違っていたと思います。間違っていたと言う表現は、少し言葉が過ぎるかも知れませんので、言い直しますと、すべては私の我執に根ざしたものであったと思うのです。しかし、不思議なことですが、これは反省と言うものではなく、また悔恨・後悔の気持でもないように感じます。上述させて頂いた井上先生の抜粋の中に書かれている『永遠の真実が私の心の中を照らし出した』のではないかと思われます。井上先生がおっしゃる「永遠の真実」とはつまり『仏様』であると解釈してよいのでしょう。

私のこれまでの人生の"ひとこま、ひとこま"は、すべて煩悩・我執・自分可愛さ・無知から生じた、或は選んだものであったのだと、はっきりしたからです。これは私がいくら頑張っても、こんな事にはなるはずがありません。これが他の力、すなわち他力と言うものだと思います。これまでも、自分の我執に気付いていると思っていましたが、すべてがすべて自分の我執から生じた現象、出来事、問題であるとはどうしても思われなかったのです。今回は、すべてがそうであったと思えました。

そして、これまでの人生の中であった数え切れない失敗・挫折・苦境・人間関係の亀裂のすべてが、「自己の我執に目覚めよ」と言う『永遠の真実からの切ない呼び掛け』だったと思われます。そしてまた、これまで出遭った人々(母、兄弟姉妹、妻子も含めて)は、私に好意を寄せてくれて仲良くして来た人も、私と仲違いしたり、私を苦しめた人も、すべて仏様が差し向けてくださった尊い菩薩様方であったと感じられます。更には過去の祖師方からお釈迦様に至るまで、永遠の真実の世界から差し向けられた仏様方だったと感じています。

これら私が出遭った人々を、この聞書では、諸仏諸菩薩と言い、その私への「働きかけ」を身口意の三業と言い、私の命を彩ったことを荘厳と言うのかなと思ったりしています。甚だ的外れな解釈かも知れませんが、私には、そう思えました。

自分の我執が見えましても、しかし我執を消し去る事は出来ません。むしろますます我執がはっきりと形を現した感じが致します。ですから、これからは、常に、我執からの行動・言葉・想いからではないかと確認しながら人生を歩まねばならないと思っています。いや、歩まざるを得なくなったように思います。それは、何事も瞬間的に外部に向けて反応するのが、我執だからです。そして我執から表に現れる身口意(しんくい、言動と想い)は、必ず問題を起こし、自分を苦しめるものとなることを、身に沁みて感じ入ったからではないかと考察しているところです。

そんなに自分の我執が気になると、気持ちとしては、暗く、息苦しいように思われるかも知れませんが、心の中にある沢山の我執・煩悩と仏様の心が、きっちりと引き出しに入って整理されているからでしょうか、意外とすっきりとすがすがしい気も致します。そして、自分を守ろうとして纏(まと)っていた鎧(よろい)を脱ぎ捨て、人を攻撃する武器を放棄したからかも知れません。これからは、永い月日をかけて、身にまとったすべてを脱ぎ捨ててゆく作業になるのだと思います。

そう言う意味では、今回の鉄槌は、夢違い観音(ゆめたがいかんのん)様のキツイ、しかし有難い、しかもタイミングの良い一撃だったのではないかと思っています(夢違い観音様は、悪夢を吉夢に変えて下さる観音様です)。

そして、無相庵カレンダー13日の井上善右衛門先生のお歌と、16日の西川玄苔老師の下記2首のお歌は、ようやく永遠の真実に照らし出された心境を素直に表されたものだと改めて、有難く存じました。

『慈しみ、汝(な)がその胸に、徹るまで、悲しみ堪えて、立たす御仏(みほとけ)』
『ながながの、月日をかけて、御仏(みほとけ)は、そのみこころを、とどけたまえり』

私達が耳で聞いて心で認識するとき、その聞こえてきた音であるとか、言葉とか、鳴き声や泣き声は、我執とか以前に聞き重ねて記憶した知識をフィルターにして認識致します。眼で物や人や現象を見て心で認識するときも、我執、そして過去に積み重ねて記憶した知識をフィルターにして認識致します。だから私達は正しく聞いたり、正しく見れないのです。

私の経験と我執で、見たり聞いたりして判断致します。だから個人個人、何事におきましても、受け取り方が異なってしまうのは当たり前だと思います。だから判断も、次の行動についても、意見がなかなか一致しません。なかなか我執に気付けない私達人間は、そして国家も、衝突を繰り返します。残念なことです。

この我執で見たり聞いたりする私達に、易しく説かれた青山俊董尼の法話『とらわれのない眼でものの真実を観る』を法話コーナーにアップしましたので、是非お読み下さい。


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No.355  2004.01.22

母が歩いた道を

仏様を拝むだけで、苦しみが無くなるのではない
苦しみが私を救ってくれる事を教えてくれる、
それが仏法なのだ

仏法を聞き進むと、苦しみの根源である煩悩が無くなるのではない
むしろ、私の煩悩が時々刻々と増えて行くのだ
いや増えるのではない
元々あった煩悩が照らし出されてくるのである

この頃やっと『なまんだぶー、なんまんだぁー、』と、
私の母が空念仏を称えていた意味が分かった
いや、空念仏ではなかったのだ
多分・・・いや間違いなく、
自分の煩悩が照らし出された瞬間だったのだ
煩悩具足の自分が深まった瞬間だったのだ
慙愧(ざんき)の瞬間だったのだ
慙愧は地獄行きしかない自分の真実に出遭う瞬間だと思う

しかし地獄行きは勘弁して欲しい
煩悩が地獄行きの切符なら、煩悩を吹き消して、
お浄土行きの切符が欲しい

救われたい・・・でも救われるはずがない・・・
世の中で最も愚かな自分に出遭った瞬間、
少し謙虚さが芽生えた瞬間でもある
仏様の慈悲の光が雲の切れ目から差し込んで来た瞬間でもあるのだ
母の念仏は、そんな複雑な気持ちのお念仏だったにちがいない

私も母が辿って逝った道を歩んでいる
母が生きているうちに、一緒に歩きたかったと思う

母は、35歳頃に長女(公子〔きみこ〕、当時小学校入学したての4月)を病で失いました。未だ昭和15年頃のことです。母は当時としては珍しい働く主婦でした。私は未だ生まれていませんでしたが、既に生まれていた4人の娘の面倒はお手伝いさんに任せて、当時の神戸山手女子学園の教師として張り切っていたに違いありません。

突然長女に死なれた母は、悲しみ、後悔、悔恨と心の乱れを処理出来ずに、その救いを幼い時から聞かされていた父親の念仏、仏法に求めました。近隣のお寺で開かれる法話を探し当てて、聴き抜いたそうです。
時間関係は今となっては確かめようがございませんが、あるご法話(浄土真宗)で、二つの喩え話に出遭った時、「はっ」としたらしいです。そして「ああ、私は、いい積りでいたんだ、どうしようもない人間だ」と地獄に突き落とされたような気になったそうです。そして、自然と、それまでは素直に称えられなかった『南無阿弥陀仏』が口から出たと、これは何回も聞かされました。

私は、何回も聞かされていましたが、簡単に聞き流していました、そして今、その喩え話を思い出しますと、 「さもあったろう」と・・・・・・。その喩え話とは、次の通りです。

一つは、私達が雪道を下駄を履いて真っ直ぐに歩いたと致します。ある時、もし後ろを振り返って見ますと、下駄の歯跡は、きっと真っ直ぐではないはずです。人生も、自分は真っ直ぐ、正しい積もりで渡っていても、他のひとから看れば、きっと何がしかの問題がある、それが私達の人生ではないでしょうか、少なくとも、私の人生は、まことにジグザグとして、そして、人に迷惑ばかり掛けて来た人生です。これが雪道の下駄の歯跡の喩え話です。

もう一つは、猿の熊谷直実役です。ある猿軍団の演劇中の場面です。戦国の武将、熊谷直実役の猿が、威厳正しく好演していた最中に、最前列の観客の一人が、食べていた蜜柑を落してしまったらしいです。熊谷直実役のお猿さんは、劇も忘れて蜜柑に飛びついて行ってしまったと言う話です。猿の本性を言い当てた喩え話ですが、笑えません。その猿と私は全く変わらないことに気付かされます。私の本性も大して猿と変わらないと思います。崇高な事を考えながら街を歩いていても、すこぶる別嬪さんとすれ違ったら、しばし心はその別嬪さんに奪われてしまいます。淫らな事も考えてしまうこともあります。道でお金を拾ったとき、金額の多少に関わらず、黙って自分のものにしようと言う心が起こらないではありせん。交通ルールを守らない無礼な車に出遭ったとき、思わず逆上する私です。とっさの弾みで何をしでかすか分からない、心に闇を抱えている私です。
今漸くにして、36歳の頃の母の気持ちがわかったような気が致します。

母は、昭和25年に垂水見真会と言う仏教講演を聞く会を立ち上げ、自分が救われた仏法を広く世間に広めようと、亡くなる昭和61年まで、自宅を開放までして続けました。昭和30年に主人(私の父)が亡くなっても続けました。仏様に続けさせて頂きましたと、常々申してました。この会は、今も続いており、もう500回を超えました。仏様の御働きとしか言いようがありません。


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No.354  2004.01.19

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第23条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―生死(しょうじ)を捨てて自然(じねん)の浄土へ

● まえがき
私は、この度の人生の危機を迎えた原因が、私に世間を渡る上での知識と知恵(用意周到さ、世間の様々なルール・法律・常識)に欠けていたからであると振り返っていますが、それ以上に私の人間性に問題があったからだと感じています。感じていますと言いますと軽いですが、これまでの人生で冒して来た数多くの過ちを遡(さかのぼ)ってゆきましたところ、物心(ものごころ)が付き自我が芽生えた中学2年生の「ある出来事」まで行き着きました。小学校時代の生活の中にはどうしても見当たりませんでした(自我が確立していなかったからかも知れません)。その中2の出来事以後、今日までの59年間の人生の様々な岐路・場面で私が選んだ方向は、すべて無知・自己愛(エゴイズム)・考え方の甘さ・人の立場に思い至らない"身勝手さ"からのものであったなぁと振り返らざるを得ません。

そして、この今の時点でも、未だその人間性は改善出来ないのです。気が付きますと、またその過ちを繰り返しそうになります。時時刻刻と自分の至らなさが暴露されていきます。
これまでも勿論、自分の至らなさは何回も感じて来ました。しかし私の心の中のどこかに『賢き思い』『根拠の無い自信』があったのだと思います。人の意見・忠告に耳を塞いで来たように思います。『そんなこと言ったって・・・・』と言う自己防御・自己弁護の心からでしょうか、反発すら感じてきた自分を否定出来ません。しかし、今回は、余程堪えたのだと思います。すべての人の意見・忠告を素直に聞いて、最善の道を歩もうと言う冷静さと言いますか、堕ちるところまで落ちた開き直りと言いますか、絶対のピンチですが妙な心持を経験しています。そして、人生の各所で迷惑を掛けた人々(妻子、親族、サラリーマン時代の上司・同僚・部下、解雇するに至った従業員の人達など・・・・)に心からお詫びをしたい気持で一杯です。

そのお詫びのためにも、私は、いま手元に残った有形無形の財産を駆使して、全力を傾注する積もりです。その結果はどうあれ、私に残された道は、それしかないと考えています。

全力を傾注すると言うのは、勿論より良く生きたいと言う欲があるからです。そしてこの欲がある限り、どうしても煩悩が寄り添ってしまいます。これを煩悩具足と言うのかなと思ったりしながら、これまで全く欠けていた世間を渡る上での智慧と賢さをも身に付けたいと思います。

● 聞書本文
7月20日御上洛にてその日仰せられ候。「五濁悪世のわれらこそ金剛の信心ばかりにて、ながく生死をすてはてて自然の浄土にいたるなれ」この次をも御法談ありて、この二首の讃の意(こころ)を言い聞かせんとて上りたりと仰せ候ふなり。さて自然の浄土にいたるなり、ながく生死をへだてける、さてさてあらおもしろやおもしろやとくれぐれ御掟ありけり。

● 現代意訳
蓮如上人が山科に上洛された7月20日の日におっしゃった事です。親鸞聖人の和讃に「五濁悪世のわれらこそ金剛の信心ばかりにて、ながく生死をすてはてて自然の浄土にいたるなれ」と、その後に続く「金剛堅固の信心の、さだまるときをまちえてぞ、弥陀の心光摂護して、ながく生死をへだてける」の2首に詠われている親鸞聖人のお気持ちを伝えたいと思って上洛したのだとおっしゃったのです。そして、「信心を賜ることによって、浄土に往生出来ること、そして生死の世界から永遠に離れ出られることは、実に有難いことなんだ」と念を押されました。

● 井上善右衛門先生の讃解からの抜粋
親鸞聖人は、「生死の苦海ほとりなし」と『和讃』に誦されました。それは最早や理屈ではなく、 我々が現に只今体験する人生の事実としてであります。子供ならいざ知らず、幾十年この世を生をへてきた者に対して、人生は楽なところかと尋ねてみればどうでしょう。おそらく楽なところだと答える人はありますまい。すべての人が悩んでいます。煩いを抱いています。知己の人々かえりみても問題をもっていない人はないのが実情です。この事実を否定することは出来ません。

しかもその原因は、実に深く人間存在そのものの本質にかかわっていることを知らしめられるのです。世の中の機構や制度で解決出来るような性質のものではありません。この点を先ず凝視し問題の所在を自ら明らかにすることが必要です。宗教無用の思想に立つか立たないかの分岐点は実にここにあるといえましょう。それではわれわれの生死する現実の人生の成り立ちはどのようなものでしょう。

人間の生というものはその成立の原点において死と結合しています。死と関係せぬ生というものはありません。しかも生はただひたすら生きようとする意欲と性向を本質とするものであって、死を受け入れる態勢はどこにもありません。死に対してはただ逃れようとするのみであって、それがのがれられないと宣告されると生は最早や気力を喪失するのです。このような矛盾が生の原初にやどると共に、生は果てしなくエゴ(我執)に捉われるという根深い性質をもっています。

エゴとは真実ならぬ虚仮なる自己の殻に固執することです。そのエゴの自己中心性が生活原理ともなれば、いわゆるエゴイズムが生まれます。エゴイズムは物質的精神的の両方面にわたって執拗な働きを現じます。物欲中心主義の利己主義、精神的に独善自己主張がそれであります。とにかく人間の生は本能的な自己中心の要求に生きているのです。ところがわれわれの住むこの人生は無常をその実態とするものです。ここにもまた大きな矛盾をはらんでくる原因があります。

かくのごとき矛盾をはらむわれわれの生を顧みると、「生死の苦海」といわれてあることが、尤もなこととして頷かれます。その苦海の上でわずかな幻夢の楽しみを追うているのですから、まことにむなしく儚(はかな)いかぎりといわねばなりません。歎異抄に「煩悩具足の凡夫火宅無常の世界はよろづのこと、みなもてそらごとたわごとまことあることなし」といわれてあるのはまことの人生の実態を語られてある真実の言葉であります。

かく知りかく気付かされて来ると、どうしてもその火宅無常の生死界に安んじていることが出来ません。われわれの生の底には迷妄の生死流転を果てしなく引き起こしてくるどす黒い惰勢が渦巻き流れていることを感じます。その生死の流転から何としても離脱して永遠の真実に帰入することを期さずにはおられません。生死出づべき道を求めることは、最早、とやかくの論議をまつ余裕のない問題なのであります。

● あとがき
こんな状況で無相庵コラムを書くことに対して、私も抵抗が無い訳ではありません。おかしいのではないかと言うのが、たぶん世間の常識だと思います。『本当の危機意識があれば、こんなコラム書けないし、書く暇があれば、お金を1円でも稼ぐべきではないか』と言う声も実際にあります。尤もだと思います。

『無相庵コラムに時間を費やして来たから会社を立て直すことが出来なかったのだ』と言う見方をされる方もあるかも知れません。やはり、私はまだまだ世間の見方が甘いのかも知れません。しかし、無相庵コラムを書くと言うことは、私の心と致しましては、他の人のためと言うことではなく、仏教書を読んで自分の心を立て直すための確認作業でもあったと思っていますし、毎週200を超えるアクセスに背中を押され、励まされて来た思いも致します。そして、この無相庵コラムがなければ、とっくに精神的に挫折していたかも知れません。

気力が萎えない限りは続ける積もりでございます。

今日の聞書は浄土真宗の信心というものは『生死出づへき道(しょうじいづべきみち)』を極める事にあると言うことだと思いますが、難しい考え方だと思います。生も死も超越し、死が全く恐ろしくないと言う達観した心境を言っているのではないでしょう。井上先生が上述の抜粋の最後に『生死の流転から何としても離脱して永遠の真実に帰入することを期さずにはおられません』と書かれていますが、永遠の真実に出遭うこととしか言いようがないのだろうと思います。それがまた、聞書の中の『自然の浄土(じねんのじょうど)』に往生すると言うことなのだと思います。

今日新しくアップさせて頂いた青山俊董尼の法話『人生に無駄はないー寂聴尼との対談から』は、苦しみに負けそうになる私へのメッセージでありました。


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No.353  2004.01.15

続―無知

昨日、会社設立以来12年間取引して来た信用金庫に参りまして、現在の苦境と再建の考え方を説明しましたが、つれない対応でした。『銀行は、雨の日には傘を貸してくれないで、晴れの日に傘を持ってくる』と、先輩社長から聞いた事がありますが、苦しい企業を助けるために金融機関があるはずがない、これが、世間の現実・事実であり、この世の真実でもあると感じました。私自身が自分個人や自分の会社が可愛いように、相手(企業も、そこで働く従業員)も自らを大切にするから危険な会社には近づかない、取引しない、これ世間の当たり前なんだと思いますと、悔しいですが、事実と真実に出遭ったと思いました。

苦しい時ほど、この世の真実に出遭うのだと思います。残念ながら、順調な時、幸せの絶頂にある時は、身の引き締まるような真実には出遭えないのだと思います。だから仏教が『苦』を大切にするのだと改めて思っている次第です。

そして、苦境にあって世間に感じる真実は厳しい事ばかりではありません。平生では気付かなかった恵み、人々の配慮、思いやりに触れます。この度の事を知ったテニス仲間が飛んで来てくれて、涙の出るような思いやりをくれました。何かの法話で『この体、鬼と仏と、あい住める』と言う句をお聞きしたことがありますが、我も人も、両面を持っている訳ですから、世間にも鬼のような面と仏様のような面が真実として現れるのでしょう。両方を拝んで生きなければならないなと思っているところです。

『苦しみから私が救われるのではなく、苦しみが私を救ってくれるのだ』とは、あるキリスト教の神父様のお言葉ですが、青山俊董尼(法話コーナーでご紹介)がよくおっしゃる『南無病気大菩薩』と言う考え方と全く一致致します。『南無病気大菩薩』は、病気をしたお陰さまで、色々と学ばせて頂きました、病気様さまと言う事であります。

人間誰しも大なり小なり、苦しみを受けます。それは、誰しもが自己愛を心の奥底に持っているからです。自己愛と言いますと少し綺麗過ぎますので、言い換えますと、自己中心、自分が一番大切、他人から評価・賞讃されたい、自分の考えは間違いがない等、と言う心根を自己愛と申してよいでしょう。

苦しみから解放されようと思うならば、苦しみの根源である自己愛を捨てねばなりません。しかし、自己愛が捨てられるでしょうか?私は、どうも捨てられそうにありません。『苦しみから私が救われるのではなく、苦しみが私を救ってくれるのだ』とお聞きしても、やっぱり、苦しみからは一刻も早く逃れたい、経済的な苦しみを背負って四苦八苦している時は、やっぱりお金が欲しい。お金さえあればなぁーと、どうしても考えてしまいます。お金があれば幸せなのにとさえ思ってしまいます。

自己愛は消え去ることは無いと思います。この度、いよいよ自己愛の強さを思い知らされたと思います。そして、過去の色々な出来事、特に大きな失敗や挫折、人間関係の亀裂は、総て自分の自己愛から生じたものであったなと思いました。

自己愛即ち我執(がしゅう)、即ち無知ですが、親鸞聖人は、自己愛を取り払えとは申されていません。そこが親鸞聖人の特徴的な、そして有難い教えだと思います。キリスト教では、『隣人を愛せよ』と言われているようですが、本当に隣人を愛するには、自己愛があっては『ほんまもの』ではありません。親鸞聖人は、『隣人を愛せない自己を徹底的に見詰められ、懺悔・慙愧された』方です。

『煩悩具足の凡夫』(煩悩が一杯詰まった凡夫)と自らを慙愧されましたが、これでは、自己を徹底的に卑下しているに過ぎず、却って辛い心境ではないか、そんなに自分を傷め付けなくても良いではないかと思われるものと思います。私も、永らくの間、そう思っていました。親鸞聖人の救いは、何処にあったのか、理解出来ませんでした。

しかし、多分、自分の至らなさを本当に自覚したら(更に言いますと、至らなささえ徹底的に自覚出来ない自己に気付いたら)、苦に遭遇して当たり前の自分の本当の姿が見えてくるのだと思います。そうしますと、苦がそのままの苦ではなくなってしまいます。苦とは、苦を受けるのが当たり前と思えないから、苦であるのだと思います。何故自分がこんな目に遭わないといけないのかと思っているうちは、苦しくて苦しくて、現実を恨めしく思ってしまうのだと思います。

自分の至らなさを本当に自覚したらと申しましたが、この気付き方がどうかと言う事だと思います。単なる自己反省と言うような表面的なものではない、恥ずかしくて顔が上げられない位のものなのだと思います。そうしますと、そんな自分が今存在して、生活出来ている事の恵みの方が大きく多く感じられて来ますし、そのように導いて下さった古くはお釈迦様、親鸞聖人、そして自分に直接仏法に導いて下さった師や廻りの人々にこの世で出遭えた慶びに転じてゆくのだと思われます。

慙愧が慶びに転じてゆく、これが親鸞聖人の至られた仏法だと思います。

こんな状況でも、未だ、起死回生の逆転劇があるのではと思ってしまう、これが凡夫の凡夫たる所以だと思いながらも、親鸞聖人も歩まれた道だと思いますと、勇気を持って前に向かって進むしかないと、背中を押されている気がしています。


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No.352  2004.01.12

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第18条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―懈怠(けたい)することあるとき

●まえがき
前回のコラムで、私が経営する会社の極めて厳しい経営危機をお知らせ致しました。当分は、会社も個人も生き永らえる道を求めて、七転八倒する日々が続きます。この無相庵コラムは、こう言う状況だからこそ、どう言う心境で対処しているかを含めて書き記すと共に、自らを冷静に見詰める為にも、私のパソコンが動く限りは続ける決心を致しました。

こう言う厳しい状況の時に仏法が支えになって欲しいと思うのは自然な感情だと思います。仏法を、世間で生きる為の支えにしたいと言う下心があっては駄目だと言う声も聞こえて参りますが、もし、親鸞聖人が生きておられて、そう言う疑問を投げかけたならば、どう言うお答えが返ってくるのでしょうか。

『仏法を主(あるじ)として、世間を客人とせよといへり。仏法の上より世間のことは時にしたがひはたらくべきことなり』と言う言葉が、この聞書の157条に紹介されています。この蓮如上人の言葉を根拠にして、現在の浄土真宗には、世間は世間、仏法は仏法と言う考え方をされるむきもあるようです。しかし私は、親鸞聖人も、蓮如上人も、そう言う狭い頑なな立場ではないと思います。

他力浄土門に対して自力聖道門と言われる禅宗では、日常生活そのものが禅だ、仏道だと申しますが、私は、お釈迦様も、親鸞聖人も、蓮如上人も、そう言う表現はされてはいませんが、仏法と世間は別物だと言うお立場ではないと思います。仏教の一如(いちにょ)と言う考え方からしても、仏法と世間を区別するのは二元対立的であり、仏法の立場ではないと思います。

『世間を客人とせよ』とは、世間はお客様をもてなすが如く、丁寧に粗相の無い様に対処しなさいと言う事ではないかと私は思います。民衆の仏法として勢力を拡大させていた蓮如上人当時の浄土真宗に対して、幕府とか旧仏教宗派からの弾圧・迫害に心を痛めていた蓮如上人の立場を考え合わせますと、そう受け取るのもあながち見当外れでは無いと思いますし、世間を甘く見て今日を迎えた私は、世間の荒波に翻弄され、激しく揺さぶられている今、やはり、世間はお客様をもてなす時のように丁寧に対処しなければならなかったと反省しているところです。

私が遭遇している苦境から、上述のような世間と仏法について考察してみたのですが、そう言う中で、今日の聞書第18条を読むとき、蓮如上人や親鸞聖人の本願に対する信心とは一体どう言うものであったかを改めて明確に示された思いが致しました。

●聞書本文
仰せに、『ときどき懈怠することあるとき、「往生すまじきか」と疑い歎くものあるべし。然れども、もはや弥陀如来を一たびたのみまいらせて往生決定の後なれば、「懈怠おほくなることのあさましさや、かかる懈怠おほくなる者なれども御たすけは治定なり、ありがたやありがたや」とよろこぶ心を、他力大行の催促なりと申す』と仰せられ候ふなり。

●現代意訳
蓮如上人がおっしゃるには、時としてお念仏を称えることが疎かになったり、怠け心が我が心に忍び寄ったと感じられる時、「こんな事では往生出来ないのではないか?」と自分の信心を疑ったり、嘆かわしく思うものである。しかし、一旦、阿弥陀仏にすべてをお任せして、往生は間違いないと確信した後であれば、いくら怠け心が湧いて来ても、阿弥陀仏は必ずお救いになられる。
「有難い、有難い」と喜ぶ心さえ失なっていないならば、その事自体、阿弥陀仏のお心がわが身に入り込んで下さっている何よりの証拠であるとおっしゃいました。

●井上善右衛門先生の讃解からの抜粋
この事は畢竟ずるに煩悩と信心の問題に帰着するでありましょう。「往生すまじきかと疑う」背後には、煩悩に信心が障えられるという予想と不安が伏在しているのではなかろうか。信心は清浄無垢であるから、不壊の信心が存するところ、煩悩は排除されよろこびが相続するのでなければならない。そのよろこびが若存若亡し、報恩の念仏に懈怠が生じるのは源の信がいまだ純粋でないことに帰因するのではないか。さすれば往生不定の身といわねばならぬ。不安の歎きがそこに萌すのも当然といわねばなりません。
しかしこのとき、第一に顧みるべきことは、先に述べる自己が予想する思いであります。大悲の徹るところ煩悩が洗われて清い心が自身の上に生じるであろうという予想には、人間の思念や希望が織り込まれていると同時に、自己の現実を如何に疑視し認識しているかという問題があります。第二に、本願の生起本末には如何なる如来の悲心がこめられているかを思わねばなりません。第三には摂取不捨とは如何なる事態を言うのかを更に深く聞思する要があると思われます。
曇鸞大師の『論註』を承けて親鸞聖人が「決定の信なき故に念相続せざるなり」といわれたのは、決して清浄歓喜の心が相続しなければならぬということではなく、大悲に安(やす)んじる心に不安の余念がまじわることを信不決定といましめられたのであります。清浄なものを我が心に求め期待するのは、むしろ真面目な心の願求であり、濁悪の心では済まされないという切実な求道心の顕れでもありましょう。しかしそこに自己(機)と言うものの真実相を見誤るつまづきがあり、それがかえって大悲摂取(法)の真実を障えるもととなるのであります。

祖聖親鸞が如何に己れをみつめられたかは書き残された数多の聖教に余すところなく語られています。『一多証文』には、

凡夫というは無明煩悩われらが身にみちみちて欲も多く、瞋り腹だち、そねみ、ねたむ心多くひまなくして、臨終の一念に至るまで、止まらず、消えず、絶えずと、水火二河の喩にあらわせり。
と述べられ、『唯信鈔文意』には
一切の有情まことの心なし・・・・世間出世間みな心口各異・言念無実なりと教へたまへり。心口各異といふは心と口にいふこと皆各々ことなり、言念無実といふは言葉と心のうちと実なしといふなり・・・・世をす(捨)つるも名のこころ、利のこころを先とする故なり。しかれば善人にもあらず、賢人にもあらず、精進のこころもなし、懈怠のこころのみにして、内はむなしく偽りかざり諂(へつら)ふ心のみつねにして、まことの心なき身と知るべし。
と指摘されている仰せには、我が心の底に隠れているものを抉(えぐ)り出される思いがします。

●あとがき
先週の木曜コラムで、私の『無知』を披露致しましたが、それ以後も、無知をさらに思い知らされる事がありました。その具体的な説明は、今週の木曜コラムに譲ると致しまして、わたしは、今回の厳しい局面に遭遇して、これまでより、深くと言いますか、親しくと言いますか、親鸞聖人の数々の言葉が身に沁みて参りました。

親鸞聖人が、『浄土真宗に帰すれど真実の心はありがたし。虚仮不実のわが身にて清浄の心さらになし。悪性さらにやめがたし、心は蛇蝎(じゃかつ、ヘビとサソリ)のごとくなり、修善も雑毒なるゆえに虚仮の行とぞなづけたる』と自らの心の奥底の奥底が仏様の光に照らし出されて見詰められて言われたものだと思いますが、一般の方がお聞きになりますと、『結局、浄土真宗に帰依しても、心は汚いままなんだ』と受け取られるものと思いますが、言葉では説明不可能ですが、全く次元の異なる心境です。

一旦、自己の煩悩が仏様(他力とか、阿弥陀仏と言ってもよいです)によって照らし出されますと、次から次へと、偽りの仮面は剥がされていきます。仏様の前では、結局は真っ裸にされてしまいます。真っ裸の自分は、煩悩のみの、妄念のみの自己でしかありません。それを、源信僧都は、『妄念はもとより凡夫の地体なり、妄念のほかに別に心は無きなり』とおっしゃったのでしょう。

親鸞聖人は、煩悩を吹き消して信心を得ましょうとは申されていません。煩悩は死ぬまで消えないとご自分の90年の生涯を振り返って、明言されています。そう致しますと、何が救いになるかと言う事になりますと、仏様の前では、真っ裸になれたと言う事ではないでしょうか。仏様の前は、何も飾る必要が無いと言う安住の場所ではないかと思います。

世間で生きる限りは、外見も着飾らねばなりませんし、心もそれなりに化粧しなければ通用しません。化粧しなければ、世間では相手にされませんし、衣食住の生活も出来ないと言うのも事実であります。だから、世間で生きる限りは、煩悩が消える事はあり得ないのだと思います。

そして、懈怠は私達凡夫の煩悩の一つですが、懈怠に陥ったから、それは信心が徹底していないので往生決定していないと不安に思う事こそ、本当の信心ではないと言うのが、この聞書の第18条の結論ではないでしょうか。

ここまで、説明して参りまして、難しい事を言って来た気が致します。多分、親鸞聖人のご信心は、一般の方々にもなかなか理解され得ないと思います。50年もお聞きして来た私が、自己を全否定しなければならない事態に遭遇して漸く、親鸞聖人の慙愧の心が少し分かりかけた程度であります。

そして、禅宗で『不立文字(ふりゅうもんじ)』と言いますが、やはり、仏法は、言葉とか文字だけでは、とても伝わるものではないと思います。『冷暖自知(れいだんじち)』と、これまた禅宗で申されることですが、仏法の法話をいくら聞きましても、経典をどれ程読んでも、それは知識にしか過ぎません。

私はマイナス25℃をシカゴで経験した事がありますが、これを言葉でいくら説明しても正しくは伝わりません。自らが足を冬のシカゴに運ばなければ、永遠にシカゴのマイナス25℃を知ることにはなりません。

私の場合は、厳しい世間の洗礼を受けなければ、自己の無知・無明に気付かなかったのですが、本当は、これまでにも何回か遭遇しているのに、感性が鈍かったのだと慙愧の念に堪えません。


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No.351  2004.01.08

無知

年初のコラムで人間の煩悩【貪(むさぼ)り、怒り怨み、無知】が世相に映り出されていると言う表現を致しました。仏教言葉としては、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)を煩悩の三毒と申しますが、人間である限り、誰しも心の奥底に必ず持っているもので、平穏無事な時には隠れていて表面には現れないものです。

この中、貪欲と瞋恚は、言われればなる程と頷かれ易いのですが、愚痴は分かるようで分からないものです。参考までに、貪欲は、貪(むさぼ)りですから、次から次へと欲望を膨らませて、これで満足と言う事にならない心根を言います。瞋恚は、他人の言動に直情的にカッとなり、場合によっては殺人まで犯してしまう心根です。

愚痴(ぐち)は、普通世間では、済んでしまった都合の悪い事を愚痴ると申しますが、その愚痴も無知から生ずるものでありますから、その愚痴も含めて、無知である事を申します。無知の知の意味するところは世間一般の智慧とか知識・学識・常識を直接的に指す訳ではありません。仏教で言う無知は、縁起の道理を知らない事を言います。縁起の道理とは、世の中の存在や現象には、必ずがあり、色々な間接的な条件()が働いて、結が生じると言う、因縁果の道理とも申します。

因縁果の道理の説明を聞きますと、それはそうだろうと思われるでしょうが、これを仏教的には分かったとは言わないのであります。理解はしているが分かっていないと言うのはどう言う事かと申しますと、『人間は、いずれは死ぬものだと言う事を理解していても、自分の死はまだまだ先の事と思っている』と言うのが、その端的な例でしょう。そして、他人の身に起こる事は『あの人は、昔こう言う事をしていたから、今こんな目に遭っているのだ』と冷静に分析してみせますが、自分の身に起こる事となりますと、なかなか分析出来ず、納得出来ないのです。特に悪い事、忌まわしい事は、何故私がこんな目にあわなければならないのかと、いわゆる愚痴が出ると言うのが人間の常だと思います。この我が身のことに気付かないと言うのが無知そのものだと申してよいと思います。

私が今日、『無知について』と言うコラムを書こうと思いましたのは、いよいよ経営の行き詰まりの状況を迎えたからです。昨日、主要取引会社から製造の責任者が来て、現在までの注文量が、今月から70%減になりますと通告しました。この取引先は、一昨年、売上高が10分の一に減った相手です。一昨年の場合は2年前から予告がありましたが、今回は、突然です。この売上減は、私の会社の即倒産を意味し、目の前が真っ暗になりました。

倒産は息子と私の自己破産を意味しますから、自己破産を宣告されたのと同様であります。自己破産はこれまでも事ある度に覚悟を決めて来たことでありますから、普通の方よりはショックは小さいに致しましても、これからどう生きるか、孫達3人を含めた息子家族の行く末も合わせて、頭は不安と後悔、打開策などで一杯になりました。そして、一方では自分の人生のすべてについて反省し、懺悔する心が否応無しに湧きあがって来ています、『結局は自分がすべてに亘って無知だったなぁー』と。

私は、これまで人生の岐路に数回立ちましたが、その時に、世の中が自分中心に動いているような浅はかな考え方で道を選択していたと、今振り返って思います。困難な状況に置かれた時に、困難の原因を自分に求めずに廻り(人間関係を含めた廻りの環境)の所為にして、困難を避ける道を歩んで来たと自戒しています。そして、持つ得べきも無い自分のプライドを大切にし、また一番優先しなければならなかった妻子の本当の幸せに思いが至らなかった事は、慙愧にたえないことです。自分勝手、独りよがりで、まさしく、縁起の道理に思い至らない、無知そのものであったと思います。今は、正直なところ、人生を普通に歩いている人々を尊敬しています。色々と悩みは抱えているでしょうが、私の様な決定的な破綻からは程遠い日常生活こそは、まことに賢明な選択であり、幸せではないかと、今だからこそ思います。

自己破産と言う事態に遭遇した事は、自分の無知を知るには余りにも大きな代償で、家族まで巻き込んでしまっていますが、私は、こんな目に遭わされないと、自分の無知さ加減が分からなかったのだと思い、家族、親族に謝っても謝りきれるものではありません。家族は、お父さんだけの責任ではないと言ってくれますが、そう言う私よりも縁起の道理に明るい家族のためにも、この悪夢を吉夢に転じるために、この事態に真正面から立ち向かおうと考えています。

世の中には、破綻に対処する方法として、自己破産と言う方法もありますが、昨夜早速駈け付けてくれた、親族である行政書士氏から、特定調停法と言う倒産や自己破産をせずに再生出来る道もあると言う説明を受けました。それが可能であるかどうかは分かりませんが、私の置かれた状況の中で、最善の方法を模索したいと思います。勿論、絶望的になる事もあるかも知れませんが、色々な方のアドバイス、支援を受けながら、今取り得るベストな道を選び選びながら、進んで行こうと言う気持ちになっています。

このコラムも突然書けない状況になるかも知れませんが、この状況だからこそ、出来得る限り書き続けて、皆様の人生の参考になれば、私の無知だった人生も意味あるものに転じるのだと思っています。しかし、どうなりましても、ご容赦頂きたいと存じます。


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