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No.390  2004.05.24

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第72条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―堺の日向屋と大和の了妙

まえがき
今日の聞書に『仏になる』と言う言葉が出でまいります。仏に成る、即ち世間一般で死ぬと言う意味で使われている『成仏(じょうぶつ)』でありますが、これも『他力本願(たりきほんがん)』と同様、全く間違って使われている仏教言葉の代表的な例の一つです。広辞苑にまで、本来の意味である『悟りを開くこと』と共に、『死ぬこと』とも併記されており、ここまで一般化されている事に愕然と致します。

しかし、この成仏に関しましては、致し方ない面もあります。仏教でも、禅門の方では、生きているうちに正覚(しょうがく;正しい悟り)を得る事を目標にしていますが、同じ仏教の浄土門では、罪悪深重の凡夫の身では、生きているうちに正覚を得るのは無理で、肉体が滅んでから(死んだ後に)正覚を得る事が出来ると言う立場をとっています。そう言う浄土門の考え方から成仏が死と同じ意味に使われるようになってしまったのだと思います。

しかし浄土門では、死ねば誰でも正覚を得るとは考えていません。肉体が滅んで正覚を得られる人とは、禅門で言うところの悟りを開いた人であり、親鸞聖人は、その人を正定聚の位に至った人と定義されています。

浄土門では、肉体が生きている限りは、煩悩は完全にはなくならないと考えます。禅門の悟りが煩悩を完全に滅した状態を言うのかどうかは分かりませんが、こう言う論争とか定義に拘る事は学者に任せると致しまして、私は、悟りを開く事も、正定聚の位に至る事も、青山俊董尼の法話にあります、「どうなってもよろしゅございます」という土性骨の坐った状態を言うのだと受け取っています。不安・焦燥から解放された心持と言い換えてもよいと思います。生きているうちにこのような心境に至れば、まさにこの世に受けた生命を全う(まっとう)した事になり、それで初めて成仏出来るのだと思っております。

●聞書本文
蓮如上人仰せられ候。堺の日向屋は三十万貫を持ちたれども死にたるが仏にはなり候まじ。大和の了妙は帷子一つをも著かね候へどもこのたび仏になるべきよ。と仰せられ候ふ由に候。

●現代意訳
蓮如上人がおっしゃいました。「堺の日向屋は30万貫のお金持ちであるけれど、成仏は出来ないだろう。一方、大和の了妙尼は、帷子一つ持っていない赤貧ではあるが、きっと成仏するに違いない」、そう言う内容でした。

●井上善右衛門先生の讃解
現代は現世主義に人間の思いが固まっていて、三世に亘る生命観を殆ど忘れているのが一般であります。しかしこの人生はただの現世だけで解決出来るものではありません。ただ現世だけが生きる総てとなると、色々の問題が起こってきます。やがて死ぬ身であるから生きている間に楽しんでおかねばならぬ。しかも明日の保証はないのですから、結局刹那主義に陥ってゆくことになりましょう。死ねば総てが消えてしまうとなれば、善悪の因果を生きる柱とすることは出来ますまい。自然科学だけを拠り所とするような現世主義では人間らしく生きることは出来無いのです。

宗教的ならずとも、ヒューマニズムには科学的物的視野を超えた人間性という拠り処をもっています。その人間性には何らかの意味で現世に限られないような世界を秘めているものです。正義のために命を捧げるということも、現世の命にまさる価値を正義の中に自覚するからではありませんか。

真理の探究に生甲斐を感じるということも、自己の身体的生命よりはるかに貴重な永遠の真理を憧憬するからであるといわねばなりません。芸術家は美の直観に自他を忘れる尊厳なるものを意識する故に、命をかけて美の追求に生きようとするのでしょう。現世主義は常識であっても、ただそれだけでわれわれの生が成り立っているのではないという事実を否定することは出来ないのであります。

●あとがき
私は、最近、生甲斐(いきがい)と言うよりも、生まれ甲斐(うまれがい)と言う方が仏教的にはしっくりする表現ではないかと考えています。折角人間として生命を受けたからには、人間としての生まれた甲斐があったと思えるようになって死にたいものだと思います

欲望を満足するためだけの生命ならば、犬やその他の動物と同じ一生でしかありません。他人よりも頭を働かせて大金持ちになったところで、その人の人生にどんな意味が見出され、後代の人類にどのような価値を残すことになるでしょうか。

貧乏よりもお金持ちになりたいと言う気持ちを否定するものではありませんし、仕事に励まずに貧乏になる方が良いと言う事ではありません。やはり工夫をしてより効率のよい生活を目指して努力する事は大切な事でありますが、それだけが、人生の生甲斐、人として生まれて来た甲斐であるならば、他の動物と本質的には何も変らないのではなかろうかと思います。

これは、その人その人の考え方でありますが、私は、科学の進歩発展に寄与することよりも、人々が精神的に明るく、心豊かな生活が送れる事に寄与する事が生まれ甲斐だと思います。その一つの形として、宗教、私の場合は仏法を興隆・発展させて後代の人々に引き継いで行く事が、唯一の生まれ甲斐であると思っています。お金が無ければ生活は不便ですから、家族・親族の為にも、それはそれで精一杯の工夫・努力をしなければなりませんが、生まれ甲斐は、お金持ちになる事ではないと思います。

お釈迦様は、35歳で正覚を得られて後49年間、法を説いて廻られました。そして、もう自分のやるべき事はし尽くしたと言われて亡くなられました(涅槃に入られました)。生まれ甲斐と生甲斐を感じられながら、満足感に溢れながら、亡くなられた事と思われます。

今日の聞書も、そう言う生まれ甲斐についての教えだと思います。


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No.389  2004.05.20

納棺夫日記

納棺夫(のうかんふ)日記とは文庫本の題名です、在る法話テープをお貸しした知人から返却されたテープに添えてあったものです。聞き馴れない単語に不審を抱きながらも、余程の感銘をお受けになったからこその本だと思い、また『納棺』と言う言葉から死に関する随筆だろう、と多少の興味を抱きつつ読み始めたものでした。

納棺夫と言う単語は、どうやら著者の造語のようでありますが、死体を整え、棺桶に納める仕事をする人と言う意味です。皆さんもお葬式に参列され、納棺された親しい方の死顔を見られた事はあっても、それに至るまでの納棺作業を見られた方は意外と少ないと思います。私も、私の母の場合が自宅での死亡でしたので、お通夜の前日まではお布団に横たわっていた事までは記憶にありますが、納棺される作業は記憶しておりません。意識して避けた記憶もありませんので、多分そう言う作業には立ち合わないと言うのが、当時のそして我が実家があった土地の一般的風習だったのかも知れません。

そんな人目に触れない職業の方の日記とも随筆とも言える文庫本でありますから私自身かなりの刺激を受けましたが、最も刺激を受けた点は、この著者が、死体と言う物に日常的に対面する事を通して、それを単に職業として割り切るに止まらず、死と言う厳粛な現象に自らの命を重ねながら、死と対峙し、宗教書を紐解きながら思索を重ね、親鸞聖人が出遭われたであろう"光り"を感じられ、親鸞聖人の信心が実体験に基づくものである事に確信を持たれた点にあります。

著者が納棺作業に関係して感じた"光り"に付きましては、是非直接著者の生々しい表現から受け取って頂きたいと思います。

鈴木大拙師が言われている"回心(えしん)"と言う"宗教体験"も多分、眼にする地上のものすべてが輝いて見える瞬間ではなかろうかと思います。この世に生れ落ちてから無意識の中に身と心に染み付けて来た一切の知識と先入観、そして何とか他人に良く思われようとか、何としてでも勝ちたいと言う我執と言うフィルターが掛かった眼で見て来た物が輝いて見えると言うのは何となく理解出来るのではないでしょうか。

納棺夫の著者は、世間から最も嫌がられると言ってもよい職業を天職と感じた時から、一切の虚栄心、から解放され、そう長い時間を経ずして親鸞聖人が体感された"光り"に出遭う瞬間があったのだと思います。

なお、この本の末尾に高史明師が、『光りの溢れる書「納棺夫日記」に覚える喜び』と言う、これまた素晴らしい讃解文を寄せられています。

以下に私なりの感覚で抜粋をさせて頂きましたが、是非、ご購入の上ご一読されてはどうかと、ご紹介させて頂く次第です。

納棺夫日記【青木新門著、文芸春秋出版】
青木新門氏略歴:
1937年、富山県生まれ。早稲田大学中退後、富山市内で飲食店を経営したが倒産。新聞の求人広告を見て、冠婚葬祭会社に就職。専務取締役を経て、現在は相談役を務めている。「納棺夫」とは著者の造語であり、その体験が本著に結実した。著書に、詩集『雪道』、エッセイ集『木漏れ日の風景』、小説『柿の炎』などがある。

●冒頭書き出し:
今朝、立山に雪が来た。
全身に殺気にも似た冷気が走る。今日から、湯灌、納棺の仕事を始めることにした。言い出して、二三日逡巡していたが広言した手前もある。思い切って実行した。湯灌と言っても、死者を湯あみさせるわけではなく、死体をアルコールで拭き、仏衣と称する白衣を着せ、髪や顔を整え、手を組んで数珠を持たせ、納棺するまでの一連の作業である。
70幾つかの老人の遺体であったが、初めての経験なのに運悪く、大柄の頑丈な遺体であった。元大工さんで、飲み屋から自転車で帰る途中に転倒し、道路の側溝に頭を打って亡くなったのだそうである。葬祭業と言う仕事柄、他の人が湯灌、納棺をするのを相当見てきたが、いざ自分がやってみると、汗ばかり出て作業がはかどらない。腕が硬直していて仏衣の袖が通らない。死体に抱きつくようにしないと、腰紐が通せない。
そんな様子を、二、三十人の親族や近親者が固唾を呑んで見ている。
最初抱いていた死への恐怖や死体への嫌悪感など消えてしまい、焦りと極度の緊張感に襲われ、何が何だか分からないうちに作業を終えた。
それでも、帰り際には、通夜の読経が始まっているのに、喪主自らが玄関まで出てきて両手をついて丁寧に礼を言った。何だか奇妙な感じであった。
帰宅すると、自分で風呂のスイッチを入れた。事情を知らない妻は怪訝な顔をしていた。

●抜粋
毎日毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。
それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。
驚き、恐れ、悲しみ、憂い、怒り、などが錯綜するどろどろとして生者の視線が、湯灌をしていると背中に感じられるのである。
特に、叔父の死と井村医師の遺稿集に出会ってから、死者の顔ばかりが気になるようになっていた。
考えて見ると今日まで、毎日死者に接しながら、死者の顔を見ているようで見ていなかったような気がする。
人は嫌なもの、怖いも、忌み嫌うものは、なるべく見ないように過ごしている。きっと私も本能的にそうした態度で接してきたようだ。しかし今は、死者の顔ばかりが気になるようになっていた。
死者の顔を気にしながら、死者と毎日接しているうちに、死者の顔の殆どが安らかな顔をしているのに気がついた。
先日納棺した暴力団の幹部の死顔も実に安らかであった。聞くところによると、若い頃に犯した殺人罪で長く刑務所にいたと言う。国のために志願をして銃を持っても、人を殺さないこともあり、いやいや徴兵されても、大量の殺人をすることもある。人を助けようとして人を不幸にしたり、人に冷たくして人を救ったりすることもある。
如来や菩薩の眼から見れば、善人悪人などあろうはずもなく、ただ自我中心の悲しい人間と弱肉強食の生の世界があるだけかもしれない。

●『納棺夫日記』を著して
『納棺夫日記』を書き上げた時、その原稿を前にして、ふと浮かんだのは、
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」
という正岡子規の言葉であった。
この言葉は、子規が死の二日前まで書き続けた随筆集『病床六尺』の、明治35年6月2日付けのものである。その前夜の日々は「絶叫、号泣」「その苦その痛み何とも形容することは出来ない」「もし死ぬることが出来ればそれは何より望むところである、しかし死ぬることも出来ねば殺してくれるものもない」「誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか」などとまさに絶叫、号泣している。
そんな病床にあって「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」と子規に言わせたのである。
ここに子規の言葉の重みがある。
我々はある日突然、「あなたは癌の末期です」と宣告されて、平気で生きて居る事が出来るであろうか。
私もまた、禅宗などで言う悟りという境地は、如何なる場合でも、平気で死ねることだと解釈していた。私が少年の日に教わった「何々のために美しく死ぬ」という思想は如何なる場合でも平気で死ねる覚悟を求めていたのである。
しかし、そのことは全くの間違いで、死についていくら生者が頭で考えても似て非なるものであって、現実の死に直面したとき何の役にも立たない概念となる。
役に立たないだけならいいが、役に立たなかったことから不安や絶望に襲われ、或いはその概念を信じていたため、辻褄を合わせるために自殺したりする人がいる。
死とは何か?その正しい認識が重要なのだ。
死のイメージがほんの少し狂うと、悟りなどという概念も、全く違った意味を持ってしまう。「平気で生きる」が「平気で死ぬる」といった相反する思想となってしまうのである。
人が死の概念の真の回答を得るには、自らが死に直面して体得するか、あるいは如何なることがあっても平気で生きている人(人間はそういう人を菩薩とか聖人と称してきた)から直伝されるしかない。
そしてもし生者がその真理を体得するなら、永遠の中の一瞬の人生が、どれほど大切で、どれほど尊いか実感する。と同時に、生かされて生きていることが喜びとなって、如何なる場合にも平気で生きてゆくことができるようになる。
そのことが、仏教のいう、悟りなのだと思うようになった。


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No.388  2004.05.17

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第66条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―紛(まぎ)れまわると地獄が近くなる

まえがき
信仰と日常生活の関り合いは、仏法を求めている者にとりまして乗り越えねばならない高いハードルだと思います。信仰が日常生活のあり方にどのように作用し、信仰していない人とはどこがどう異なって来るのか、或いは異ならねばならないのか・・・・仏法を求めれば求めるほど悩ましいテーマになって来るように思います。西川玄苔老師が、宗教と生活がなかなか一致せずに悩まれた事があると講話の中でお話をされていた事を思い出します。

私も、こうして仏法に人生の指針を求めておりますが、日常は煩悩生活に明け暮れてしまっていると言うのが偽らざるところです。何とか自分の会社を、そして家庭の経済を立て直そうと頭を回(めぐ)らしていると言うのが実態と言えます。朝、目が覚めて頭に先ず浮かぶのは、決して仏法の事ではありません。その日の仕事の事が先ず浮かび、そして会社の資金繰りと家計の事、子供達や孫達の事とか、世事・世間体が殆どを占めていると言うのが正直なところです。仏法の信仰を志す者としては、甚だ心もとなく、回心(えしん)には程遠い私でありますが、これではいけないと思い、少しでも仏法に心を砕こうと努力をしていると言うのが偽らざるところです。

そう言う意味で今日の聞書は、私の事を言い当てられているような気が致します。やはり信仰と言うものは、回心(えしん)にまで至らなければ、信仰と日常生活は一致しないものと思われます。私自身が回心と言う宗教経験を体験していませんので、断言は出来ませんが、回心を経験されたであろう井上善右衛門先生や鈴木大拙師のお言葉から推察致しますと、上述の結論は動かせないと言う気が致します。

回心、即ち『絶対的な安心』を得る事が、信仰のゴールであり、真の信仰生活の出発点でもあると思いますが、回心と言うものを経験したかどうかは、今日の聞書にも示されていますように、当の本人にしか分からないものだと言われています、回心したと言い張る人もいるかも知れませんが、言い張る本人自身が本当に回心しているかどうかは分かっているはずと言う意見には説得力があります。

今日からアップした新しい法話(青山俊董尼の法話―幸せの青い鳥)に、回心が具体化した『心の有り様』が示されていますので、併せて、お読み頂ければと思います。

● 聞書本文
慶聞坊のいはれ候。信はなくて紛れまはると日に日に地獄がちかくなる、紛れまはるがあらはれば地獄がちかくなるなり。うち見は、信不信見えず候。遠くいのちをもたずして今日ばかりと思へ、と古き志の人申され候。

●現代意訳
慶聞坊が次のようにおっしゃっています。
「真実の信心が得られないまま、世間の事に紛れ果てていると、日に日に地獄が近付いて来る。紛れ果てている証拠に、地獄そのものの生活が展開してしまうものである。外からは人の信・不信は見えないものである。しかしその当人にははっきりと自己の信・不信は明らかだと思われる。命というものが長々と続くものとは考えずに、今日只今だけの命と思って聞法に励むべしと先師はおっしゃっておられるが、まことにその通りではなかろうか」。

● 井上善右衛門先生の讃解
「信なくて紛れまはる」というのは、大悲に目覚めず、生死いづる道が未だ果たされておらぬにもかかわらず、仏慈を領解したかのごとく自らまぎらわし、その日その日を空しく世事にかかわって過ごしている状態をいうのであります。紛れるというのは、よい加減にまぎれあって弁別しがたくなっている様をいうのです。第183条に、

当時ことばにて安心のとほり同じように申され候。しかれば信治定の人に紛れて往生をしそんずべきことを悲しく思召し候
とある。その紛れると同じ意であります。なぜそうなるのかを顧みなければなりません。それはつまり聞法と世事とが混同されているからでありましょう。世事というのは世間体はもとより、自分の生きるためのいろいろな願いや慰みも含まれます。仏法の物識りになりたいというのも世事でありますし、人生の悲哀を何とか無くして楽になりたいと言うのも世事です。それらは総じて現世の自己中心の願いによるものです。

親鸞聖人が「世を厭うしるしもなし」(末燈抄)といわれたのがそれです。それは今この身の虚仮と果敢なさを見詰めて往生の大事を問い詰める道とは方向を異にするものです。しかしこの事が表面的には極めてまぎれ易く、殊に言葉で語る段になるとほとんど弁別しがたい事になってしまう。その結果「安心のとほり同じように申して・・・・・往生をしそんじる」という悲しい事態に陥るのです。「紛れまはる」というのは当時の言葉使いのようですが、なかなか味わいのある言葉で、世事に追い回されて今日も明日もと空しく過ぎる有様がよく表れています。

「うち見は、信不信見えず候」、外面から見たところだけでは信・不信の区別はつきがたい。何故なら信体験は心の奥底に開ける最も深い内面的事実だからです。これを外側から捉えることの容易でないのは当然です。先に挙げる第183条のように、言葉では信治定のごとく装うことが出来ます。ただその内心を知るのはその人自身の他にはありません。その自身の大事を軽んずるのは、世事に魂が奪われて世間体が先になるからです。それは、まだまだ先がある、今すぐに決着せずとも、その中何とかなるであろうと腰を据えているからです。こうした心の根本が正されない限り、聞法はいつも横にそれてしまいます。

「遠くいのちをもたずして今日ばかりと思へ」この言葉にこもる重みと深さを思わねばなりません。いつまでも先があると思うのは人間の果敢無い幻想であり予想です。その幻想の中にわれわれの常識は住しているのです。無常という厳しい現実を忘れるところに人間の頽落した意識が始まります。

道元禅師が『学道用心集』に「いはゆる菩提心とは前来言ふところの無常を観ずる心すなはちその一(はじめ)なり」といわれているのは聞法にも通じる心構えであります。「今日ばかりと思う」その心は無常の真実に一致する必然の姿勢です。それは決して殊更な誇張ではありません。われわれに許されているのは今日一日であり、それが明日も与えられるかどうか、それは確かめるに由なきところです。一期一会という事も、この心が自然と人と人との関係やよろずの出会いに滲み出た自覚です。そこに真実に触れる道が開かれます。第68条には覚如上人の和歌が記されています。
今日ばかり思ふこころを忘るなよさなきはいとどのぞみおほきに
「さなきは」とは、そうでないときはという意味です。「いとどのぞみおほきに」とは、末永しと思うときはいろいろな願いや欲望がいよいよむらがり起こってそれに心が捉われてしまう。そして我が身の大事を忘れ去るのを歎かれているのです。世事に埋没し翻弄されることから逃れるのは、無常の真実に心の眼を開く外はないと誡めておられるのです。人と争い自他を苦しめ財を積んでころりと死んでしまう。実に何ともいえない空しさを見聞することがあります。懸命に財や地位を求めているとき我が身が末永く生きるという予想を秘めている事は確かな事実でありましょう。

●あとがき
心の転換とも言うべき回心(えしん)は、価値観の転換と言い換えられると思います。価値観とは、個人の言動を選択せしめる判断基準を言うのですが、普通は、欲を背景として、自分にとって損か得かと言う事から行動を決めたり、言葉を選ぶものだと思います。政治家も、本当は、国民にとっての損得を考えるのが仕事ですが、どうしても、自分個人にとっての損得が言動を選択する際の基準になってしまっています。政治家に限らず、すべての人間は間違いなく、自分にとっての損得が価値観となっていると言っても過言ではないでしょう。ただ、目先の損得だけにしか考えが及ばないか、少し先までの損得まで考えが及ぶかと言う個人差はあって、それが賢さ、愚かさになっているだけだと思われます(損得の対象は、お金だけではなく、名誉とか時間も含みます)。

何れにしましても、自分の損得が価値観となっている事は免れないところですが、これは、先祖代々、親から子に受け継がれてきた価値観でありますから、自分の責任ではありません。物心のつかない幼い時から、親から教育されている(マインドコントロールされていると言っても良い)価値観でありますから、この価値観から脱出する事は至難の業であると思います。

もし、幼い時から、他人の損得を優先すると言う価値観を植え付けられたと致しましたら、その人は、そう言う価値観で人生を渡る事になりましょうが、残念ながら、そう言う人は皆無に等しいと思います。人類すべてがそのような他の損得を優先する価値観になれば、苦しみもなくなり、従って宗教の必要性もなくなるのだと思います。

回心と言うのは、実にこの自分の損得と言う価値観から社会全体の損得・善悪への価値観への転換であると言っても良いのではないかと思いますが、世間は、総じて、自己の損得だけで動いている訳ですからその中でこの価値観を転換するのは生易しい事では果たせません。

自分が自分でなくなる、無私と言う心境にならなければ果たせないところだと思います。禅門では、自他一如(じたいちにょ)とか、一切即一(いっさいそくいち)とか、一即一切(いちそくいっさい)とか申しまして、自分が宇宙と一体の命であり、宇宙が自分であると言う境涯になると言うのが回心の瞬間だと思います。南無阿弥陀仏の浄土門の回心は、自己の一切を阿弥陀様のお働きに任せ切った瞬間を言うのだと思います。

こんな事が我が身に起こり得るだろうかと思ってしまいますが、それは、体現された先輩・先師があってこそ、確信が持てる訳であります。無相庵カレンダーの9日のお言葉『ともしびを、たかくかかげて、わがまえを、ゆく人のあり、さ夜なかの道』は、そう言う気持ちを謳い上げたものだと思います。

信仰心は、人から人へ、人格から人格へと受け継がれてゆくものだと言われます。回心と言うのは決して容易(たやす)い出来事ではありませんが、間違いの無い信仰を後代に引き継いでゆくためには、自分自身が伝え手となれるように、自分を誤魔化したり妥協したりせずに回心を求めて励む事が仏教徒としての責任ではないか・・・・・・そんな事を考えさせられる今日の聞書であります。


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No.387  2004.05.13

利他(りた)

『利己主義(りこしゅぎ)』という言葉は世間一般に使用されていますが、自分一人だけの利益を図ると言う『利己』の反対語である『利他』と言う言葉はあまり一般には使用されていないようです。『利他』とは、「人々に功徳(くどく)や利益(りやく)を施して済度(さいど)を図る事」と広辞苑では説明されていますので、元は仏教から来た言葉なのでしょう。

さて、その仏法の行き着くところは『利他』であると言います。これに付きましては色々な立場立場での見解もあるとは思いますが、『自利利他、覚行究満(じりりた、かくぎょうきゅうまん)』と言う禅門で使用される言葉に利他と言う言葉が入っている事から、或いは禅門の考え方かも知れません。

私は、自分の会社の設立当初(平成4年)の社是の一つとして『自利利他』という言葉を採用しておりましたが、今思えば動機は少々浅薄不純で、「他社を利する事が自分を利する事である」とか、「自己の利を求めるならば、先ずは他を利する事を優先すべし」と言うような意味で採用したように思います。

今は息子と二人だけの会社になりましたので、大袈裟な社是も必要ではなくなっていますので、社是をどうしようと言う気持ちは既に持っていませんが、企業が、或いは経営者が、『自利利他』と言う考え方で、この経済社会を生き抜いて行けるものかなと言う疑問は、会社を設立して数年経過する間に芽生えていました。他人や他社は自分が考える程に『利他』を考えてくれないどころか、客先は無理難題を押し付けてくるばかりである様な、何か空しい気持ちを抱いたこともあったのは事実であります。

しかし、このコラムを書き始めた4年前から、会社が決定的な経営危機を迎えたり、それに伴って色々な経験をしたり、心の安定を求めて仏教の勉強もしているうちに、『利他』と言う事に関してかなり捉え方が変化して来たように思います。

今は、『利他』とは「既に数限りない恵みを一杯受けているから、少しでも他(社会)の役に立つ事だけを考えて生きて行こう」と言う事と捉えています。そして、『利他』の『利』は、本来の意味も決して利益の利だけではありませんが、役に立つ、助けになると言う意味合いの方が大きく、その成果のタイミングも決して目先だけのものではなしに、数ヶ月、数年にわたるものでなければならないと思います。また、『他』に付いても、広くは社会全体とか、周囲の人々全体を意味し、特定の個人・団体を意味するものではないのだと考えています。

分かり易い例と致しましては、最近の政治課題である、年金問題、或いは自衛隊派遣問題において政治家、或いは小泉首相のとるべき立場は、日本の国民だけの為ではなく、世界全体の為にはどうあるべきかを真剣に考える『利他』でなければならないと思います。日本を守るためにはアメリカの為に自衛隊を派遣すると言うのは勿論『利他』ではないし、イラクの人道支援のために自衛隊を派遣する事も『利他』では無いと言う事です。日本がイラクに自衛隊を派遣する事が、将来にわたって、世界のためになるのかどうかを複眼的に思考して実行する事が『利他』と言えるのだと思います。

私個人に引き当てた場合、会社との取引において、お客さんに商品を安価に提供する事は、文字通り相手を利する事ですが、これで、私とか息子の家族が飢え死にするようでは、本当の利他ではありませんし、商品を製造するに際して材料を仕入れますが、仕入先にも迷惑を掛けることになります。安定して、商品をより安価に供給する事が、客先に対しましても、結果的に利する事になります。そして、世の中の人々の生活に、弊社が考案した商品が役立つならば、まさに理想的な利他となります。

あまり考え過ぎますと、優柔不断になりかねませんが、『自利』を外して、多くの人の意見を聞き入れて断行する『利他』こそ、仏法が説く利他行(りたぎょう)であり、ひいては自分も含めて周りの人々も生き生きとして生きて行ける人生に至る道だと思っております。

自利を外してと申しましたが、私達は既に多くの恵みを与えられているではないかと言う事です。なかなかその与えられている恵みに思い至らないのでありますが、自利を求めずとも、既に存分に与えられている利益(りやく)を考えれば、『利他』に全身全霊を傾けるしかなくなるのではないか・・・・。そのように思いなおしている次第です。


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No.386  2004.05.10

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第65条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―妻子ほど不便(ふびん)なるはなし

まえがき
宗教は、親から子へと受け継がれる場合が多いと思います。私の場合も、仏法は祖父から母親、そして私へとバトンが渡されているように思いますが、しかし、私には4人の兄弟姉妹がありますが、血で受け継がれる遺伝子とは異なり、同じ両親の子供でありながら仏法への関心具合は、子供間では様子が異なるようにも感じます。

そして、親がそれ程仏法に縁があるとは思えないのに、その親から仏教界を代表するような人が出て来ると言う場合もあります。こんな事を書くのはどうかと思いますが、この蓮如上人御一代記聞書讃解を書かれた井上善右衛門先生ご自身がそうであったと母から聞いた記憶があります。

また一方、親鸞聖人のような方に、邪教に走った善鸞のような子供が出来る事もありますし、近くでは鈴木大拙師にも勘当した子供さんがいたようです。そうした事から仏法の相続は、環境条件だけでは決まらない、時空を超えた遠く深い因縁によるものではないかと思われます。

そして、夫婦間に関して言えば、夫婦で宗教が異なると言う事は滅多に見聞き致しませんが、片方が仏法に熱心だけれど、片方はそれ程の関心は示さないと言う場合は結構あるようです。夫婦揃って仏法法座に参られると言う例は以外と少ないように思います。更には、仏法を説かれる講師方のご夫婦に関しましても、奥様はあまり仏法に関心がないと言う例が多いと言う事は不思議な事でありますが、これは昔からもそうであったと言う事が、今日の聞書から窺えます。

●聞書本文
わが妻子ほど不便(ふびん)なることなし、それを勧化(かんげ)せぬは浅ましき事なり。宿善なくば力なし。わが身を一つ勧化せぬものがあるべきか。
(※ 勧化とは、仏の教えを勧めること)

●現代意訳
自分の妻や子供ほど可愛く、いとおしいものはないが、その妻子に仏法を勧め信仰させられないと言う事ほど無念な事はない。しかし、宿縁が無ければどうしようもないと言うのも現実である限り、妻子の勧化は因縁に任せて、先ずは自分自身が仏道をまっしぐらに進む事が肝要ではなかろうか・・・・。

●井上善右衛門先生の讃解
思うに家庭というところは言葉以上の人間の触れ合いの場なのでしょう。何の遠慮も無い家庭が最も厳しい関係の場なのです。家庭はくつろぎの場でありますがそれだけ煩悩具足の身に直接触れ合う場となります。相手の欠点が互いに目につきやすいという人間の弱点が一層露骨に作用し合います。あまり互いを知りすぎているから、真面目な話がかえってわざとらしく感じられるのでしょうか。

そうした家庭において心から尊敬し合うことは容易なことではありません。それは不可能な事ではないとしても稀なことです。尊敬し合う人間関係をもたれている家庭を私は本当に拝みたいと思います。家庭は最早言葉で済む場所ではなく、身をもって真実を交し合う外ないところです。

「妻子を勧化する」ということは希望や言辞では果たされません。無言の実践と仏徳の感化の外はないでしょう。その上で人生悲喜の折りに触れ、事に当たって真実の大事を語り合うならば、道の開かれぬということはありますまい。その可能なるを信じますが、我が身を顧りみればただ慙愧あるのみです。「それを勧化せぬは浅ましき事なり」とは私自身の事であります。

ところが一方、人間というものには不思議な因縁という現実があります。というのは賢愚にはかかわらず、仏法に何か関心をもつ人と、一向に無頓着無関心な人があると言う事です。精神的環境には一向恵まれていない生い立ちの人でありながら熱心な求道者、念仏者が現れています。私の法兄野間景豊さんのごとき人がそれです。そうかと思うと、あの親にどうしてあんな子があるのかと不審に思われる現実もあります。

今日の科学は人間の目に見える因果で物事を分析判断しようとしますから、環境論が主導的な考え方になりますが、人間の可能性というものはそのように単純なものではありません。悠久な時にわたって繋がり関わる因縁というものは、人間の観察を超えた深さと広さをもっています。われわれの視野に入らない因縁から起こる出来事に不審を感じるのですが、さらにさらに遠く深い因縁の連鎖があることを思うと、目の前の事象としては不可解に思われる事柄も、実は避けがたい因縁の催す出来事なのでありましょう。

如何程真実な念仏者の家庭にも仏法に耳傾けぬ妻子のありうることは、この世の悲しい出来事ではありますまいか。それを「宿善なくば力なし」といわれているのであります。第217条には法敬坊の尼公の不信なる物語が出ております。第163条に蓮如上人も、人の信なきことだけは意のままならずと申されているのであります。

以上のように顧みてくると「妻子を勧化する」と言う事は切実な念願であり、またわれわれの念頭より離れえぬ事柄ではありますが、それは同時に人間の計らいや努力だけで果たせる事柄ではない事が頷かれてきます。そうすると結局はこの「我が身一つ勧化する」ということに立ち戻らざるをえません。これは最早人に関わる事ではなく、わが身自身の問題です。家族の勧化に躍起になって、自分自身の問題がお留守になっているなら、それはまさに首尾顛倒でありましょう。他の事はしばらく、己れ自身の大事を果たさずして何としましょう。「わが身を一つ勧化せぬものがあるべきか」といわれているその意をしかと銘記せねばなりません。

●あとがき
妻子の勧化に関して親鸞聖人がどのようなお立場を取られていたのか興味のあるところですが、それを歎異抄から推察致しますと、肉親だからどうしても念仏の道へ導かねばならないと言うものではなかったのではないかと思われます。それは、第2条の「このうへは念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなり」と関東からはるばる京都に教えを請いに来たお弟子さん達に言われているお言葉、第4条の「今生にいかに、いとをし不便(ふびん)とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし」と言う慙愧のお言葉、第5条の「親鸞は、父母の孝養のためとて、一遍にても念仏まふしたること、いまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて、世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらうべきなり」と肉親というものに関する想いを吐露されたお言葉等から、そう思うのです。一見冷たい感じがするかも知れませんが、仏法の根本的な教えである縁起(ものごとは縁に因って起こる)の道理からすれば極めて自然な事だと受け取るべきだと思います。

私の家族の場合について申し上げますと、子供たちがまだ幼い頃、家族揃って仏壇の前でお経(般若心経)をあげていましたし、実家に帰った時は、母が孫達を仏壇にお参りをさせていた様ですから、仏壇の前で手を合わすことにはあまり抵抗はないと思われます。私も、子供と言えども個人個人仏法との因縁があると思っていますので、成長してからは、特に仏法を勧めると言うことはしていませんが、娘は最近ちょくちょく青山俊董尼のご著書を読んだりしていますし、息子はこの無相庵ホームページを管理してくれていますから、特に熱心に仏法を求めると言う程ではないにしても、全く無関心と言う訳ではないのだろうと思います。しかし、これからの人生において、仏法を生きる灯火とするかどうかは、個人の因縁によるものだと思っております。

妻に致しましても、このコラムの校正を自らすすんでしてくれていますし、睡眠薬代わりに、仏教書を読んだり法話テープを聞きながら寝付くと言う状況ですから有難い事だとは思っていますが、夫婦は絶対にこうあらねばならないとも思っていません。たまたまの因縁で、私の家族の場合はこう言う事になっているのだと思います。

家族がどうであるかと言う事も勿論大切ではありましょうが、井上先生も書かれていますように、先ずは自分が正しい仏道を歩いているかどうかに最も関心を持つべきであると思います。これは、決して他の人はどうでも良い、自分さえ仏道を成就すればよいと言う小乗仏教的立場ではなく、常に自己に立ち帰ると言う誡めと慙愧の心と受け取りたいと思います。


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No.385  2004.05.06

危機の自覚

今から4年前、私は従業員30名を抱える会社を経営していました。バブル崩壊後のデフレ状況下、決して楽な経営状況ではありませんでしたが、会社設立後8年目となり、年間の粗利が1億5千万円と言う状況が続いており、苦しいながらも、世の中の製造業と比較すれば安定していました。そして、その2年前に開発した世界に通用すると考えていた特許技術に大きな希望を抱き、前途は明るいものでありました。

そこに突然、売上の90%を占めていた製品が、顧客企業の方針で、中国企業の製品に切り換えられると言う通告を受けました。中国企業への切り換えには結局は2年を要しましたが、すべての従業員に退職して貰い、工場も十分の一に縮小してその後の2年間を凌ぎました。しかし今年の1月6日には再び、売上高の半分が無くなると言う通告を取引先から受けました。そして今年の6月末には十分の一に縮小した工場も引き払うことになっています。

実に惨憺たる状況でありますが、1月6日の通告は、死刑宣告に近いものでありましたため、禅門で言うところの『大死一番(たいしいちばん)』と言う事になり、私の持てる知識と気力を振り絞り、プライドも何もかもかなぐり捨てて、生き延びるための方策のすべてに挑戦しました。振り返ってみれば挑戦させられていましたと言うのが正しい表現だと思います。

1月6日以降、それまでの4年間、逆風ばかりに感じられていた風向きが、何故か少し変って来たように思います。将来を託していた特許技術も、ある企業が漸く実施権を買う決断をしてくれましたし、昨年までは考えもしなかった企業との付き合いが始まり、大きなビジネスチャンスも生まれつつあります。風向きの変化は、人間関係の変化となって現れるように思います。

今思いますに、4年前に、あの時の危機を本当に絶体絶命の危機として受け取り、『大死一番』と言う心境になっていれば、もう少し早く状況は変化していたのかも知れないと思います。危機を危機として正しく自覚すべきだったと言う反省をしています。

苦を苦として正しく自覚することから仏法は始まりますが、危機を危機として正しく認識する事から、人生は新しい展開を見せるのだと思っているところです。


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No.384  2004.05.03

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第64条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―衆生をしつらいたまふ

まえがき
世の中はゴールデンウィークと言う楽しい日々に入っています。私もサラリーマン時代には、ゴールデンウィークと言うものは、しばし完全に仕事から解放されると言う意味で、特別の期間であったように思いますが、脱サラして自分が経営者となってからは、ゴールデンウィークを待ち望んだ事も無いどころか、むしろ世の中全体が早く仕事に戻ってくれと言う気持ちの方が勝っていると言うのが、悲しいながら現実であります。

そんな中で、昨日は思いもかけず楽しい休日を過ごす事が出来ました。と言いますのは、私が経営危機に陥ってから、半年に1回、夫婦で慰問に来てくれるサラリーマン時代の友人が、今回は4ヶ月振りに来てくれ、しばしお酒を飲みながらの楽しいヒトトキを過ごしたからです。何も気兼ねすることなく喋りあえると言う人間関係は、人生最高の宝では無いかと思います。得がたいこのような人間関係を大事にしていきたいと、改めて思った次第です。

さて、今日の聞書は、親鸞聖人の至られた仏法の要(かなめ)と言ってもよい考え方を、「しつらう」という言葉を解釈しつつ私達に示しているように思います。世間一般は、宗教を信仰して、心を清浄にしようとか、信仰したら心が清らかになるものと期待したりするのではないかと思いますが、親鸞聖人は、私達衆生の心はそんなに立派なものではない、自らの努力で清らかになれるものではないという立場だと思います。

しかし、私の心はそのように立派なものではないけれども、仏の心を受け入れるに充分な資格を生まれながらにして与えられていると言う事だと思います。

●聞書本文
衆生をしつらひたまふ。「しつらふ」というは衆生の心をそのまま置きて、善き心を御加へ候いて善くめされ候。衆生の心を皆とりかへて仏智ばかりにて別に御みたて候ふことにてはなく候。

●現代意訳
「衆生をしつらひたまふ」と言う言葉がありますが、この「しつらふ」と言うのは「つくろい、足らないところを補って立派に仕上げる」という事ですが、ここでの意味は、私達衆生の心はそのままにして、そこに仏様の心(智慧と慈悲)が注ぎ込まれて、自然と心が転換していく事を言うのであり、罪深い衆生の心をそっくり取り替えてしまって仏心そのものにすると言う事では無いと言う事です。

●井上善右衛門先生の讃解
如来が「衆生をしつらひたまふ」ということを観念的にきくと、汚濁の「衆生-の心を皆とりかえて」仏智に入れ替え立派なものに仕上げられるかのように想像されますけれど、衆生と如来の関係はそのようなものではありません。どこどこまでも汚濁の心を追いたまう仏心は、この穢悪(えあく)の私を一子として摂取の活動を止めたまわぬのです。『維摩経義疏』の聖徳太子は仏土を釈されて、

大悲息(う)むことなく機に随って化を施したまふ。即ち衆生の在るところ至らざる所なし・・・・如来は本と己が土となし、唯だ所化の衆生を取って以て仏土となしたまう。
と釈されています。これは『経』(仏国品)に宝積長者子が仏国土について問いたてまつったに対し、釈尊が「宝積よ、衆生の類是れ菩薩の仏土なり」と答えられたところの釈であります。清浄な仏国土は穢悪の衆生を超越した世界であろうという思いから問うたのに対して、衆生を離れて仏土のない所以を述べられているのです。「罪障功徳の体となる」とは親鸞聖人の御和讃の言葉でありますが、仏と衆生の関係は二にして一であること、まさに子を離れて親のないがごとくであります。

衆生の心を皆取り替えて仏智ばかりにして仕上げたまうのではなく「衆生の心をそのまま置きて」とは汚濁の心を追いかけて仏心がその穢悪濁乱の只中に大悲の心を染み透らせて下さる。その真心徹到するときに法爾として不思議にも大いなる統一が顕現して下さるのであります。混乱した部屋に光が差し込んでやっと整理が出来てくるように、悲しみは悲しみで喜びは喜びで、大悲によってそのところを得しめられる。それが「善き心を御加へ候ひて善くめされ候」とある消息であり、それこそが「衆生をしつらひたまふ」と言う事でありましょう。『歎異抄』に
悪からんにつけてもいよいよ願力(がんりき)を仰ぎまいらせば、自然(じねん)のことわりにて柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心も出でくべし
と述べられているのも、まさしく「しつらいたまふ」事実であります。白井先生が詠じられています。
弥陀仏のみちかいゆえに天地(あめつち)の
おのづからなる寂(しず)けさに入(い)る

●あとがき
親鸞聖人の仏法における『仏と衆生』の関係は、よく『親と子』の関係に喩(たと)えられます。
「子が親の事を忘れる事があっても、親は子の事が頭から離れることが無い」と同様に、仏さまは、衆生を見捨てることはないと説かれます。

この仏さまと言うのは、大自然の働きを擬人化したものですが、この働きが感じられるのは、どちらかと言えば、私達が苦境にある時です。苦境を経験する事によって初めて、人生の真実に気付かされ、人格を「しつらえて」貰うように思います。

この働きを他力と言うわけですが、この他力に一切を任せ切る事が、いわゆる『他力本願』です。そして、この任せると言うのも、自分の意思で任せようと努力するのではなく、聞法を積み重ねるうちに自然と任せせしめられると言うのが、親鸞聖人の至られた『自然法爾』のご心境だと思われます。一見消極的な考え方に受け取られがちですが、これほど確信に満ちた信心はないと思います。


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No.383  2004.04.29

東洋の一、西洋の二

鈴木大拙師は、「民主主義はいずれ否定されて消えるが、仏法は永遠に消えない」とおっしゃっています。青山俊董尼が、「仏法は人間が考え出したものではない、宇宙悠久の真理にお釈迦様が気付かれたものだ」とおっしゃっておられる事から致しましても、民社主義は人間が考え出したルールであり、何れは別の主義に取って代わられると言う事でもあります。

鈴木大拙師は、末尾の紹介にありますように、明治から昭和後期にかけて活躍された仏教哲学者であり、民主主義が世界的に謳歌されていた時代の人であります。その鈴木大拙師が冒頭の言葉を語られている事に、今、私達は耳を傾けねばならないと思います。

共産主義はベルリンの壁崩壊(1989年)と共に今では過去のものになりました。そして、その後10年間は資本主義・民主主義が勝ち誇ったかのように思いましたが、あの9・11(2001年)以降、アメリカはその怒りをテロ撲滅と言う錦の御旗にして、世界の保安官の如くアメリカの思う通りにならない国や地域を先制攻撃し始めたものの、イラク問題を含む中東の混迷の長期化が予想される現在、アメリカ的民主主義にも確かな疑問符が付き、やがてそれは終止符へと変るのではないかと言う予感がします。

民主主義を言い換えると多数決で物事を決める考え方だと言えます。これは、今にして考えて見れば、"セッカチ"な人種が考え出した方法論ではないかと思います。賛成か反対かの二者択一です。多数意見の方針で進めると言うのは一見、合理的であるように感じて来ましたが、反対者の意見は完全に無視されてしまい、不満が蓄積されて来た結果、不満のエネルギーがマグマの如く、各地で噴出し始めたのではないかと思われます。

"テロに屈するか、テロに立ち向かうか" "アメリカに追随するか、アメリカに抵抗するか""核を容認するか、核廃絶か"善か悪か、正か邪か、勝ち組か負け組か、神と僕(しもべ)、夫と妻、経営者と労働者、西洋の考え方は、総てにおいて二者択一を迫りますが、日本古来と言うか、東洋的思想には、"一如(いちにょ)"と言う考え方があります。負けるが勝ち、夫婦は一心同体、自他一如、凡夫が仏になる、社長と従業員は一体、万物同根、善悪は人間の尺度でたまたま決めている事で、善が悪になり、悪と考えていた事が善になったりすると言う、"一に帰する"と言う考え方があります。

私も幼い時から多数決と言う方法が正しいのだと何時の間にか洗脳されていましたが、多数意見が少数意見を抹殺すると言う民主主義は、多数が正義、少数が邪となり、多数の武力行使は戦争として正当化され、少数の武力行使はテロとして一方的に糾弾する独善的側面を本質的に有していたのであると思います。今この民主主義が破綻しつつあるのだと思います。

民主主義に取って代わる主義がどうあれば良いかは、私も分かりませんが、簡単に少数を排除するのではなく、反対意見にも真実があると言う一如平等と言う東洋思想を取り入れ、"セッカチ"から"ゆっくり、じっくり"と言う方向へと人類の舵を切る時が来ているのではないかと思われます。

鈴木大拙(1870-1966)明治3-昭和41
仏教哲学者。本名貞太郎。金沢に生まれる。同郷の西田幾多郎,藤岡作太郎と親交を結び,加賀の三太郎と称された。22歳で上京,東京専門学校から東京帝国大学選科に進んだ。学生時代,鎌倉円覚寺の今北洪川(こうせん),釈宗演(しやくそうえん)に参禅,大拙の道号を受けた。
1897年渡米し,イリノイ州の出版社オープン・コートに入り,哲学者ポール・ケーラスを助けて東洋学関係の出版に従事するかたわら,《老子道徳経》《大乗起信論》を英訳し,《大乗仏教概論》を英文で出版した。
1909年帰国し,東京帝国大学や学習院で教鞭をとったが,21年大谷大学教授として京都に移った。
やがて東方仏教徒協会を設立し,英文雑誌《イースタン・ブディスト》を創刊して,仏教や禅思想を広く世界に紹介した。
49年文化勲章を受章。英文,邦文による著書,論文はおびただしい数にのぼるが,それらは《鈴木大拙全集》(30巻,別巻2)におさめられている。

<世界大百科事典より引用>

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No.382  2004.04.26

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第63条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―若きとき仏法はたしなめ

まえがき
今日の聞書は、仏法は若い時から親しんだ方が良いと言う主旨のものですが、人間にとっての宗教の必要性、そして又、宗教に親しみ始める適齢期についても、色々な考え方・意見・感想があると思います。今日は、後者の宗教入門適齢期とも言うべきテーマについて、考えて見たいと思います。

宗教と言うものは、人間の智恵では及ばない事を認識した時に、求められるものではないかと思います。それは、分からない事ばかりだった3000年前から1500年前までの古代に世界の3大宗教が出揃った事を思い起こしますと、分かる様な気が致します。

私は、宗教の必要時期を考察する時、人生と人類の歴史を重ね合わせて見てはどうかと思っています。古代よりも更に昔の数万年前の人類に宗教的なものがあったかどうかは定かではありませんが、あまり智恵・知識が発達していない人類が誕生して間もない時代には、宗教は必要ではなかったのかも知れません。ある程度の智恵と知識に目覚めて自信を持ち始めた頃、思うようにはならない事態に遭遇し始め、自己についてもある程度深く考えられるようになった頃に、人間の知能をはるかに超えた存在に思いを馳せざるを得なくなるのだと思います。その時が、人類の歴史上では、数千年前であり、人生では、30代前後ではないかと思います。

今日の聞書で言う"若い"と言うのが何歳頃を指しているのか分かりませんが、ほぼ前述の頃を指しているのではないでしょうか。

●聞書本文
仏法者まおされ候。「若きとき仏法はたしなめ」と候。「年とれば行歩もかなはず睡(ねむ)たくもあるなり、ただ若きときたしなめ」と候。

●現代意訳
ずっと聞法を続けて来た人がしみじみと次のように申されました。「仏法は若い時によくよく聞いた方がよい」と。そして、「年老いてしまうと、歩くこともままならず法話の席に自由に行くこともできなくなる、そして法話を聞いていても眠気に襲われてしまったりするから、若いうちにこそ聞法にはげまねばならない」とも申されました。

●井上善右衛門先生の讃解
私はかつて大きな誤りを抱いておりました。それは老人の方々が聞法の座に集まられるのを見て、「年をとってから閑暇(ひま)つぶしに仏法を聞いて何になる」といった不遜な思いを持っていたことです。しかしそれは大きな誤りでありました。

人間はそう容易に聞法の機縁を恵まれるものではありません。だれしも壮年のときは人生の仕事や地位の問題に懸命になるのもむしろ人間の自然です。ところが言葉では表せないいろいろな人生の経験を経て最後はどうなってゆくか。成功する人もあろうし悲運をかこつ人もありましょう。誰しも目指すものは先ず財であり子どもの好ましい成長でしょう。

ところがそうした目標が人生の総てなら、その目標に懸命に努力しその事が成就出来たら、もう何も言うことのない満足な身となる筈です。ところが実はそうならない。たとえ富を蓄え立派な家を建ててみても、なお何か満たされない淋しいものが残る。ある条件が整ったとき一寸満足らしい様子を呈しますが、決して長続きするものではありません。親子でも夫婦でも兄弟でも同じことです。財に豊かな人々は却って人間関係が難しい。

人生のあらゆる努力や経験を経て訪れるものは、なお大切な何かがこの自分に欠けているという心もとなさであり淋しさであります。若い人々に言ってもなかなか解りません。その事のしみじみ解るのはやはり老年でありましょう。自分のひたすら拠り所としていた身体の行く末も見えてくる。その時、今まで軽んじていた人間の体以上に大切なもの、それに気付きそれを求めて聞法の座に集まられるということは、何という尊い事でしょう。

結局人間は避けて通ろうとしても仏法の真実から離れられないということです。ここに仏法の人間に対する必然性というものがあります。聖徳太子が「四生の終帰(ついのよりどころ)」と申された所以です。人間の必然たる帰趣(きしゅ、物事の落ち着きどころ)たる真実に老年と共に立ち戻って来られるということは、まことに人としての生命をうけた所詮を果たそうとする姿です。かかる厳粛な姿をさげすみの心で見ていたと言うことは何と言う傲慢(ごうまん)でありましょう。私は慙愧(ざんき)せずにはおられません。

老年に立ち至ってもなお真実に背を向けて気付くべきことに気付かない人もあるのです。しかるにそれに気付いて真実の帰趣に立ち戻れると言う事は、何と言う尊くも敬すべき事でありましょう。聞法の座に老年の方々が多いということは決して偶然ではありません。それは大悲の催促が現に今この身に及んでいる証拠です。

仏法に遅すぎる事はありません。それは各自それぞれの因縁によることです。たとえ老年の身は不自由でも、代えがたい貴重な人生体験というものをもっておられる方々です。一期一会と言うことも老年にして愈々(いよいよ)切実にその真実に触れることが出来ます。
「若きとき仏法はたしなめ」という仏法者の言葉も実はその老年の切実な体験から生まれてきた言葉ではありますまいか。

●あとがき
宗教は、自我が芽生えてから必要になるものだとは思いますので、幼少の頃から親しみ始めることもないと言う考え方も出来るのかも知れませんが、経験的には、物心もつかない頃から親しむ事が大切のような気が致します。統計的に調べた訳ではありませんが、見聞きする限りは、信仰は両親から受け継ぐと言うケースが多いように思われます。

私も乳飲み子の頃から、母の背中で、法話の席に居て聞法をしていたと聞いています。小学校・中学校と、訳の分からぬままに、法話の席に居た記憶があります。問題意識を持って聞いていたわけではありませんから、話の内容も全く覚えているはずもありません。しかし、人生の荒波に揉まれて、苦しみから逃れたいと思った時に、迷うことなく仏法を求めたのは、恐らく幼い時に仏法の雰囲気に親しんでいたからだと思います。それは自我が芽生える前に、私の潜在意識の壁に仏法が書き込まれた為に、遺伝子と同レベルの情報となって、私を支配したのではないかと思います。

考えてみますと、法然、親鸞、道元、蓮如の祖師方も、幼くして母親と別れて、お寺に預けられたようです。幼心にもきっと無常を感じさせられ、そして否応なく仏道を歩まされた結果、後代の私達を導く師となられたものと思います。

自我が芽生えてから、必要に迫られて宗教を求めると言うのが世間一般の宗教入門のあり方だと思いますし、それでこそ、紙が水を吸い込むように、吸収も速いとは思いますが、それだけに、正しい宗教を選択出来なかった場合は大変な事になりますから、幼い時に、歴史のある宗教、少なくとも数百年の歴史のある宗教に触れている事が好ましいのではないでしょうか。


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No.381  2004.04.22

自己責任論

イラクで人質になり、無事解放された人々に対する自己責任が問題になっているが、私はこの自己責任論に、日本がどんな国になってしまったのかと言う以前から求めていた答えを見たような気がしている。

無事解放されて以降、3人の自己責任を求める世論と政府見解が相次いでいる事をマスコミが賛否両論を紹介しながら報道しているが、私はこの度の政府与党の自己責任論には何か空恐ろしさを感じた。その何かを考えて見たところ、その結論は、小泉首相、福田官房長官、中川大臣、麻生大臣と言う日本を代表する人物が揃いも揃って強調する自己責任論が、戦後日本がアメリカ的民主主義を注入され、洗脳された結果のアメリカ的精神文化の象徴の様に感じるところにあるようである。

政府与党が言う自己責任は、自分の責任ではなく、相手に責任があると言う自己責任論である。本来、責任とは自己が感じるものであり、相手に求めるものではない。相手に自己責任があると言う考え方は、古い日本には無い考え方であり、戦後アメリカに注入されたものだと思う。

古来の日本の自己責任を一番象徴する例は、さきの戦争で負けた時の昭和天皇の姿勢である。昭和天皇は、戦争の総ては自分の責任であり、国民には一切責任はないとアメリカ占領軍に申して出られたと聞いている。昭和天皇の命令で戦争を始めたのではなく、責任の大半は軍部にあり、内閣にあったはずであるが、責任はすべて日本のトップである自分にあると申し出に行かれ、命を差し出されたと聞いている。これが本来の自己責任だと思う。

それに引き換えて、アメリカ的自由と民主主義と裏腹にある自己責任は、ルールを守らない相手の自己責任を追求するものである。そして、アメリカ的民主主義は、正と邪、善と悪を、独善的に決め付けて、邪は自己責任上成敗されて当たり前、悪も自己責任上抹殺されて然るべき、と言うものである。

月曜コラムで紹介したギリシャの諺『狼の言い分でさえ聞いてやるべきだ』と言う考え方は、アメリカには無い。退避勧告を無視してイラクに入り拉致された責任は人質になった3人にあるから、チャーター機の費用は3人が負担すべきと言う意見で一致する日本の政府与党は、まさに完全にアメリカ化した姿である。

本来は、それぞれの立場での責任があるはずである。自己の責任を問わずに、相手の自己責任を責め立てる政治家が揃った日本は、そしてその政府見解を当然と感じる国民が育った日本は、本当に悲しい限りであるが、昨今の日本の世の乱れ方も、結局はこのアメリカ的自己責任が日本を席巻したからであると、この度の自己責任論で気付く事が出来たのはせめてもの収穫であった。

イラクは、必死になってイラク独自の精神文化を守ろうとして、アメリカの独善的民主主義の注入に拒否反応を示しているのだと思う。マスコミは、イスラム教のスンニ派とシーア派の抗争とか、テロの温床になりつつあるとかと、イラクの混迷を批判的に報道しているが、日本が守れなかった精神文化を、イラクは自己責任において、5000年の歴史を持つ精神文化を守ろうとしているのではないかとも思える。

古き善き日本と言っても、すべてが善かった訳ではないが、善い事も悪い事もすべてかなぐり捨ててアメリカ化してしまった日本は、自己の責任において、独自の精神文化を取り戻さなければ、本当に国家そのものが無くなるのではないか。そんな切羽詰った想いにまでさせられる、政府与党の自己責任論である。


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