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No.400  2004.06.28

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第91条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―独覚心(どっかくしん)なること浅まし

まえがき
大乗仏教と言う言葉を聞かれたことがあると思います。お釈迦様が悟られ説かれた教えはただ一つでありますが、お釈迦様が亡くなられましてから、その教えが伝播して行く地域とも関係して数百年後には大乗仏教と小乗仏教に分派された様です。

小乗仏教と言うのはセイロン、ビルマなどインドから南方へと伝わった教えですが、原始仏教に近く、お釈迦様が開かれた悟りと同じ境地を求めて修行すると言う、どちらかと言えば、出家(修行僧)主体の仏教と考えてよいと思います。従いまして自らが解脱して悟りを得る事を目的とするものです。

一方、中国から朝鮮半島を経て我が国に伝わったお釈迦様の教えは大乗仏教と称されています。大きな乗り物に沢山の人々が一緒に乗って、皆で悟りの国へ参りましょうと言うところから名付けられた名称であり、小乗仏教のような、自分だけ悟りを開けばよいと言うものではなく、極端に言えば皆一緒に救われたいと言う考え方で、主として在家(お坊さんではない世間一般の大衆)の救いを念頭においたものだと言ってよいと思います。

表題にある『独覚(どっかく)』は、『縁覚(えんかく)』とも言われたり致しますが、文字通り、自分独りが覚ればそれでよしとする小乗仏教の悟りとされ、声聞(しょうもん)と言いまして、仏の教えを聴き無限の長い時間をかけて修行し、四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)の道理によってある種の悟りに達する人ですが、声聞もまた自己の完成だけを目指して自利に執じ、利他の活動を欠く点においては縁覚と同じく独覚心と言って差し支えないとの事です。声聞と縁覚とを二乗と呼びますが、大乗仏教ではこのような立場を厳しく批判します。

親鸞聖人の教えを聞く人の中にも独覚心に陥る人が多く見受けられたのでしょう、それを強く警告されているのが、今日の聞書の要旨であります。

●聞書本文
我ばかりと思ひ独覚心なること浅ましきことなり。信あらば仏の慈悲をうけとり申す上は、我ばかりと思ふことはあるまじく候。触光柔軟(しょっこうにゅうなん)の願候ふときは心もやはらぐべきことなり。されば縁覚は独覚のさとりなるが故に仏にならざるなり。

●現代意訳
自己の悟りにのみ執着したり、自分こそは信心を得たと言う『独覚心』に陥る事は真に残念なことである。浄土真宗の信心を頂き阿弥陀仏の慈悲に浴する身になったからには、「自分こそはとか、自分だけは」と言う気持ちは生じないものだ。それは大無量寿経に示されている四十八願の中の第三十三番目の触光柔軟の願に浴する時に頑なな心が融かされ和らぐからである。だから『縁覚』と言われるのは小乗仏教における自分だけの悟りであるから仏にはなれないのである。

●井上善右衛門先生の讃解
仏心がこの身に光被して、「我ばかり」と思う心が超えられてゆく具体相を語るのが次に示されている言葉です。即ち『触光柔軟の願』というのは法蔵菩薩の四十八願の第三十三の願です。親鸞聖人はこの願を真仏弟子の釈に引かれています。即ち触光柔軟の願に浴する人こそ真の仏弟子であると示されているのです。

本願に遇うとき領解となって如来の光明が身心に透徹するのです。そのとき光に触れて迷執にこわばった心が必ずや柔軟ならしめられる。それは凍結していた冬の氷が春光に触れて流れる水に転じるようなものです。

各自が背負う宿業の苦しみや悲しみを超える道はただ一つ、大悲の光明に値遇する外ないことがしみじみと偲ばれます。人間は堪えねばなりません。忍ばねばなりません。しかしそれは人間の心だけでは如何に努めても励んでもどうにもならぬものであります。人間はみな孤独であります。その孤独な狭い心で背負いうるものには限りがあります。それは人間にとっては無理からぬことでありましょう。自分で堪えようと誰しも試みます。何とか心の持ち方を工夫して動乱の心を静めようと考えます。しかしそれで解決しうるなら人生はもっと楽な世界というべきでしょう。歯を喰いしばってもそれが本当の解決ではありません。

如来の大悲に遇うということは、自分が孤独な一人ぽっちではなかったことに気付くことです。この身には常に如来が寄り添っておられます。行生坐臥、仏心の大悲が見守っておられます。「見てござる、護ってござる、待ってござる」とは何と有難い言葉ではありませんか。しかもそれが言葉ではなく真実なのです。

仏心に見守られていることに気付くとき、やり場のなかった愚痴も自ら消えましょう。大悲の照護に目覚めるとき娑婆の歎きも影をひそめましょう。如来と共に生き大悲の光明に触れまつるとき、自分の力ではどうにもならなかった壁が破れて不思議な自由があらわれ、執われのしこりが融かされて、自ずから和らぎの世界がおとずれる。その事をあらしめる誓いを触光柔軟の願といわれるのであります。

何のために生まれて来たかという疑問はここに解けます。人と生まれて果たさなければならぬ事は何であるかと迷うていたことの確答がここに与えられます。暗中模索していたわが命の願はこれであったと気付かれるのです。そして目の覚める明るさを覚えます。それはよろこびというより驚きです。『法華経』の長者窮子の喩えも、禅宗の「生死のうちに仏あれば生死なし」という教語もそのまま有難く頂けます。

このとき私は私でありながら、最早や仏を離れた私ではありません。それがそのまま南無阿弥陀仏であります。その南無阿弥陀仏が触光柔軟の徳を輝かしたもう。独覚心の状態では到底この徳に浴することは出来ません。縁覚は聖者であっても孤独であり独覚であります。その心を「されば縁覚は独覚のさとりなるが故に仏にならざるなり」と申されているのであります。

●あとがき
自分が救われたいために仏法を求めるという人が殆どだと思います。苦から解放されたいと思い仏法の話を聞くようになったと言うのは極自然ではなかろうかと思います。私もその通りの動機で今も仏法を学んでいます。そして、何とかして悟りを開きたい、安心(あんじん、浄土真宗における悟り)を得たいと言う気持ちに駆られて勉強に励んでいると自覚致しております。従いまして、他の仏教徒も今日の聞書で誡められている独覚心に陥りがちになるであろう事はよく理解出来ます。

むしろこれは避け得ないのではないかと言う思いも致します。大乗仏教では、自分が救われるよりも先ずは他の人が先に救われるように働くのを『先度他(せんどた)の心』と言って、これが本当の菩薩だとも言うようですが、私は先ずは自分が救われなければどうして他の人を救えるだろうかと疑問に思います一方、未だ救われてもいない私がこうしてコラムを書いて、共に学ぼう、共に救われたいと言うのも一つの在り方ではなかろうかと思って参りました。

そう言う私とは異なり、お釈迦様の場合は、皇太子と言うお立場でしたから、自分が救われたいと言う動機と言うよりも、老いと病気と死と言う苦に悩む民衆を見て、何とか助けたい、救いたいと言う動機から出家されたと伝えられています。従って人々を苦悩から解放するために難行苦行に入られた訳ですから、当にスタート時点から大乗仏教そのものの精神が輝いていたのだと思います。従いまして、お釈迦様は、出家された6年後には悟りを開かれ、その後亡くなられるまでの50年間は、人々の教化に費やされた訳であります。

次回の聞書に浄土真宗の考え方として『自信教人信(じしんきょうにんしん)』と言う有名な言葉が出て参ります。自分が信じてはじめて他の人を信じせしめられると言う事でありますと共に、他の人を信じせしめ得ない信心もあり得ないと言う事であります。本日の独覚の誡めと共に深く味わいたい言葉であります。


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No.399  2004.06.24

得るものと失うもの

今月末で13年間お世話になって来た取引先との取引が終わります。その取引先は私に脱サラを決断させるべく私の背中を一押してくれた企業です。私が思いますに、最後の一押しが無ければ、普通の人間は、脱サラなんてなかなか出来るものではないと思います。私の場合の最後の一押しは、私が脱サラしてその仕事を引き受けなければ、私と交渉して来たその企業のNO.2の地位にあった方の立場が無くなると言う、一人の方の企業生命に影響すると言うものでした。

更に事情を説明しますと、私は当時、神戸のゴム会社からその外注先に出向しており、その出向先の会社の経営が極めて危険な状況にあったために、何とか生き残らせようと努力していました。漸く獲得出来た仕事が前述の企業からの仕事でしたが、出向先の会社がそれを待てずに倒産してしまったと言う状況下での背中の一押しだった訳です。私には出向元の企業に戻る選択もありましたが、重苦しい一部上場企業の管理社会には戻りたくないと言う気持ちもありましたので、前述の事情が私の背中を一押したと言う訳です。

それからの13年間は、バブルが弾け、中国が世界の工場となって行くデフレスバイラルの中でのものでした。お金の面での損得を計算致しますと、決して会社経営だけでの損失ではありませんが、この13年間で、自分で築いた財産とゴム会社からの退職金、それに親の遺産のすべてを失い、逆に会社には多額の借金が残りました。今年定年を迎える友人達と同様にもし私がサラリーマン生活を続けていた場合の退職金を見積り算入致しますと、私は1億円を超えるお金を失ったと言う事にもなってしまいます。

一般の方から考えますと、1億円を超える金額は気の遠くなる損失金額だと思います。確かに失ったものは実に大きいのでありますが、それではこの13年間に何も得たものはなかったのか、全く無駄な、いや損失ばかりの13年だったのかと、得たものに焦点を当てて13年を振り返って見ますと、私は、失ったお金に相当する得た無形財産があるのではないかと考察しております。

私がこの13年間で得たものは、金銭に関(かかわ)る事では、これからお金を生み出すと期待している特許技術があります。この技術を使用して既に量産している製品もありますが、それ以上に、特許技術を供与する事により得られる.ライセンス料は、希望的観測ではありますが、これまでの損失金額を上回るものと期待しておりますから、特許と言う無形財産を得たと言う事になります。

そして、この13年間と言うよりも、事業が不調になって以降の3年間で付き合いが始まり、この苦境にある私に色々とアドバイスを下さるようになった技術の先輩の方々は、これからの飛躍にはなくてはならない人々であります。そして、私的な付き合いにおきましても、苦境のどん底にある私達夫婦と家族から離れる事なく、むしろ暖かい手を差し伸べて下さった友人知人の存在は、何にも代え難い人的財産だと思っております。

そして、不遇だからこそ、断絶になった関係もございますが、しかしそれは損失ではなく、むしろ、無知だった私に人間模様の真実を知らしめた実に貴重な期間であり、この経験も何にも代え難い智慧と言う財産を得たと思います。

それに、この13年間で、私の長男も長女も結婚し、長男には3人の孫がいます。そしてこの6月末には長女の出産があります。子供の成長と子供の結婚、そして孫の誕生という事は、得たと言うよりも天から与えられた励ましだと受け取っています。

こうして得たものを数えて行きますと、本当に数え切れないと言うのが実感でありますが、私は多くのお金を失いましたけれども、それに見合うほどのものを得ているではないかと、今思い返しているところです。そして、これまで経験してきた苦しみの日々には、失ったものや、失いそうなものばかりを数えていたように思います。

苦楽あざなえる縄の如しと言われる人間社会というものは、瞬間的には損する時も得する事もあるだろうけれども、少し長い期間で見ますと、プラスマイナスゼロだと言う事なのだと思います。世界に眼を転じましても、アメリカはここ10数年で世界の独裁的とも言えるリーダーの地位を勝ち取りましたが、一方、信頼や敬愛を失いつつあるように思います。日本も戦後の目覚しい経済復興で富の豊かさを得ましたけれども、心の豊かさを失ってしまったように思います。得たものだけに眼が向いていますと知らず知らず失ったものに気付きません。失ったものだけに眼が向きますと、得たものを忘れてしまいます。

得たものがあれば失うものもあるはずだと言う謙虚さと、失ったものがあれば得たものがあるはずだと言う強い心を持つ事が、この人間の競争社会を生きて行く上での一つの智慧だと思い、7月から人生の再スタートを切りたいと思います。

この無相庵コラムも、次回は400号となりますが、この無相庵ホームページも私の脱サラがもたらした、私にとりましては貴重な財産だと思います一方、この無相庵ホームページを編集管理してくれている長男と、厳しいパート勤務で経済的にも支えてくれながら、この無相庵コラムの校正役を自主的に引き受けてくれている妻、そしてちょくちょく無相庵を覗きに来てくれているらしい長女の存在こそは、私にとってはそれこそ何にも代え難い天からのプレゼントだと思います。

これからは、お世話になっている人々や家族に私がプレゼントさせて頂く番なのだと思っております。


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No.398  2004.06.21

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第88条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―籠を水につけよ

まえがき
私達は「苦労から解放されて、不安のない人生を送りたい」と思い宗教を求めます、仏法に救いを求めます。「仏法を聞いて、或いは坐禅をして悟りを開きたい、安心を得たい、悟りを開くまでには至らなくとも、煩悩に翻弄されず、何とか安定した心で暮らせるようになりたい」と言う願いを抱き、仏道を励み続けるのだと思います。これは真に真面目な姿勢であります。何かを得ようと努力を重ねているわけであります。

しかし、この私の姿勢を「籠で水を掬(すく)い取ろうとしているようなものだ」と言われ、「籠の中に水を取りいれたいならば、籠で水を掬い取るのではなく、籠を水に浸しなさい」と、仏法への取り組み姿勢を正されているのが今日の聞書であります。

はぐらかされたような、騙されたような気にもさせる言葉でありますが、人生で遭遇する諸問題でも考え方を180度転換すれば道が開けることがありますように、宗教における開眼にも言えることなのだと思います。

●聞書本文
人の心得のとほり申されけるに、我が心はただ籠に水を入れ候ふ様に、仏法の御座敷にては有難くも尊くも存じふが、やがてもとの心中になされ候と申され候うところに、前々住上人仰せられ候その籠を水につけよ、我が身をば法にひてておくべきよし仰せられ候ふ由に候。万事信なきによりてわろきなり、善知識のわろきとおおせらるるは信の無きことをくせごとと仰せられ候ふ事に候。

●現代意訳
ある人が率直に心情を吐露された事なのですが、「私の心は籠に水を入れるようなもので仏法をを聞かせて頂いている席で有難くも尊くも感じますが、やがてもとの状態に戻ってしまいます。どうすればよいでしょうか」と尋ねたところ、蓮如上人は即座に「その籠を水の中につけなさい、自分の身を法の中に浸しなさい」と言われたと言うことです。そして「世の中で言われるところの悪は、それを為す人に信心が無いから悪であると言われるのであるが、仏道を極められた祖師方が悪とおっしゃるのは、信心が無い事その事自体が悪なのだ」とおっしゃられたと言う事でした。

●井上善右衛門先生の讃解
仏教の基礎学とされている『唯識論(ゆいしきろん)』では、人間の心の働きの種々相が実に仔細に分析追求されていますが、その心の性質の一つに『失念』というのがあります。失念とは今日でも用いられる言葉ですが、文字通り忘れるということです。かつて経験した事柄を心に明記しておくことができない性質をいうのです。しかもこれが煩悩の一つとして数えられていることは、失念が無明(痴)の一様相として避けられない性質であることを示しています。

聞法の座において有難く尊く感銘することがあっても、それを確かとわがものとして保持しておくことが出来ないのです。それは我が心を頼りとし拠りどころとしているかぎり、何人にも免れないところです。しかもこれより外に為す術を知らない、だから人間は無意識にわが力を頼りとして焦るのです。

その失念に犯されることは、とりもなおさず我が所有としたものを失うことですから、聞法の努力は水疱に帰すことになります。さてそれをどうすればよいのか。しかもただ得たものを失うだけでなく、もとの煩悩に占領された自分に立ち返る。「やがてもとの心中になされ候」と訴えている言葉の奥には、その人のやるせない自身への歎きが感じられるのであります。

蓮如上人がその人に応えられた導きは、相手の言葉をそのまま転用して当意即妙の働きを示しておられます。これは考えられた言葉ではなく、信の体験からとっさにほとばしった言葉でありましょう。即ち、「その籠を水につけよ、我が身をば法にひてておくべし」と申されたのです。

失念の性を、籠の水に喩えて訴えたその人の歎きを十分に察することが出来ます。しかしその底には無意識に我が手で宗教的真実を捉えようとする思いが潜んでいます。そこに隠された躓(つまづ)きがあるのです。有限な人間の心で宗教的真実を捉えようとするのは、踏み台を積み重ねて天に手をとどかせようとするに似ています。それはまさしく籠で水を掬い取ると言う結果に終わるでしょう。

ではその籠である人間の心と水とは如何にして一体不離の関係に結ばれるでしょうか。それは籠で水をすくうのではなく、籠を水に浸すことによって実現されます。それは即ち、籠である自分が籠であると気付かされ、今までとは別の方角から仏心の呼び声を聞き、大悲の摂取に値遇することによって開かれるのです。タゴールは先に示した人間の常なる行動原理に対して宗教的体験の成立を次のように語っています。「大いなる真実の只中に入り込んで、その真実に所有される自己となることである」と。これはまさに180度の転換であり、新しい次元の地平におり立つことです。

自己が所有するのではなく、所有される自己となるというのはどういうことでしょう。それは決して隷属を意味するのではありません。人間意識で考えると、どうしても相対的な観念に陥らざるをえません。そうすると所有するとは自分が主(ぬし)となること、所有されるとは従属することと思われましょう。これは人間の意識基盤で宗教上の事態を眺めているときの思いです。宗教的真理はその人の意識基盤では超えられない問題を立派に超えしめるところの真実です。今まで知らずにいた世界が顕現して新しい光と力が己れを包み自分をあらしめて来るのです。隷属ではなく大いなるものの体現であります。そのこころを蓮如上人は、「南無阿弥陀仏の(ぬし)になるなり」(聞書の第237条)と言い表されました。

●あとがき
前の月曜コラムで宗教経験・宗教体験と言う事を申しましたが、言葉では言い表せない瞬間があるのだと思います。私はその瞬間を明確に経験しておりませんので、ここで説明出来ないのが残念でありますが、籠を水に浸せば籠に水が一杯になるでは無いかと言う説明を、これしか説明のしようが無いと言う事は理解出来ます。

私は小学5年の時にテニスを始めましたが、芸事もスポーツも、在る時に、極意と言いますか、一つの壁を突き破る瞬間がある事を経験しています。テニスで申しますと、初心者から中級者までは、ラケットを振りぬくフォームの形に拘りまして、ボールを捉えるタイミングに関しては、どうしても疎かになります。テニスに限らず野球のバッティングもゴルフのショットに於いても、本当はボールを捉えるタイミングが大事だと思います。決して自分が動いてボールを捉えに行ってはいけないのですが、経験がありませんと、ボールが手元まで来るのを待てずに、打ちに行ってしまいます。ボールが手元まで来るのを待てば、確実にボールを思うようにコントロール出来ます。口で言えば簡単ですが、待つタイミングは0.01秒程度の微妙なものです。だから会得するのが難しいのかも知れませんが、私もどうやら会得出来たのはテニスを始めて10年目の頃だったと思います。

ボールを打とう打とうとすればする程、ボールは思うようには飛びませんが、ボールは打たないと飛ばないと言う意識がありますから、どうしてもボールが手元まで来るのを待てずにいわゆる「ボールを迎え行ってしまいます」。ボールを打ちに行かずにボールが来るのを待って弾き返せ と言う極意は、練習の積み重ねだけで得られるものではなく、ある瞬間に会得出来るものだと思います。

私は、前にも説明させて頂きましたが、水泳の訓練の時に、水に浮かぶには、全身の力を抜いて、全身全霊を水に任せなければ、水に浮かばないと言う事を申しましたが、この水に浮くと言うのも、浮こう、浮こうとして浮けるものではなく、在る時、ふと力が抜けたときに、な〜んだ、こんな簡単なことだったかと言うくらいに、あっけなく解決するものだと思います。

宗教上の心の転換も、恐らくは、ふっとした瞬間に感じるものだと思いますが、それはスポーツの真髄の会得と比較することも出来ないほど心境の変化ではないかと思います。

先週の弥陀にたのむ一念と言う事も、少しでも自分を頼りとするところがあれば、頼むことになりません。全ての自力を放り投げて任せる心になると言うのは、悟りを開こうとか、仏法は何を説いているかと言う事も全く関係の無い、一切は他力にお任せするより外はないと言うものだと思います。


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No.397  2004.06.17

お人好しは無自覚者?

もし、他人に騙され易い人とか、お人好しと言われたり、他人を直ぐに信用してしまう人がいると致しましたら、それは勿論、人を観る目が無いと言わねばなりませんが、更に、自分を観る眼も無い、仏教的な表現を致しますと、自己を問い直す問い直し方が今一つ物足りないと言わねばならないと思います。

実は、前述の他人に騙され易い人、お人好し、他人を直ぐに信用してしまう人と言いますのは、私の事であります。少なくとも、昨年までの私は特にそうであったと振り返っているところです。そしてその時までは、「他人を騙すより、騙される方がよい」などと自分を正当化までしていました。しかしこれは大変大きな間違いをしていたと最近になりまして気付きました。真に恥ずかしい限りであったと振り返っているところです。

サラリーマン時代、私は上司に恵まれなかったと思っていました。そして、脱サラして会社を設立するに当たって右腕と見込んだ共同経営者にも恵まれなかったと言うより、能力と人格の見込み違いをしたと思っていました。そして更に、金庫の鍵まで渡して6年間信用し続けた経理担当者に、不正が見付かり、自分のお人好し振りに自ら呆れ果ても致しました。それだけではありません、私が開発した特許技術に興味を示してくれ、いざと言うときは何でも支援すると言っていた共同研究開発相手の経営者は、私が会社の資金状況も個人の資金状況も正直に示して助けを求めた途端、私と距離を置くようになり、今では連絡もして来ない状況になっています。まだまだ他にもこんな恥しい事は沢山あります。

一般的には、「簡単に人を信用するからだ、甘い!」と言う事で片付けられますし、私もそうだと思っていましたが、最近そう言う考え方は間違いだと思うようになりました。本当は、他人を観る眼が無いのではなく、自分を観る眼が甘く、自分の心の奥底まで自己を尋ねて問い直す姿勢が欠けていたからだと思うようになりました。自己を問い直しますと、自分の中には善人も悪人も住んでいます。縁に由って善も悪も表に出て来る自己の真実に気付いていなかったから、自分以外の人の真実も見えなかったのだと思うようになりました。

これは「他人を簡単に信用してはいけない」とか「人を見たら泥棒と思え」と言う事ではありません。真実も知らずに自分勝手な妄想を抱いてはいけないと言う事です。「人間性の真実を知りましょう」と言う事であります。人間は縁に由って言動が変わります。他人は勿論、自分も縁によって変ります。

前述の人間関係における躓(つまづ)きを振り返りますと、自分の上司はこう言う理想的な上司だろう、上司はこうあるべきだと言う自分勝手の妄想を抱き、そして、或るときそれが妄想であつた事に気付かされる。右腕とも親友と考えていたのは自分サイドの勝手に描いた妄想であり、清廉潔白で几帳面な経理担当者だと何の根拠も無く妄想を描いていたに過ぎなかった訳であります。 そして、これらは妄想と言うよりも、相手が期待を裏切ったと言うよりも、色々な環境条件も、そして自分も含めて変化した結果、相手の対応が変ったと考える方が自然ではないかと考えるようになりました。

そして、恐らくは自分自身こそが沢山の人の想いを裏切って来たに違いありません。誰も何も言わずに去って行ったに違いありません。もし、私が正しく自己を問い直し、自己の真実、人間性の真実に思い至っていましたら、根拠無く好意を抱いたり、根拠無く相性が悪いと思ったりはしなかったのではないか・・・・。そうすれば、裏切られることも、騙されることも無く、没交渉になる人間関係は生じなかっただろうと思うことです。

青山先生が好んで書かれる『この体、鬼と仏が、あい住める』と言うある死刑囚の句があります。死を目の前にして、自己をたずね求めた結果の句であろうと思いますが、私達は縁さえ整えば、殺人だって犯す存在です。そして、縁に由っては、仏様も顔負けするくらいのボランティアもやってのけます。

自分も他の人も、縁によっては仏さまにもなり、鬼ともなり得る人間であります。鬼が出て来ない人間関係を望むならば、先ずは自己を問い直すことから始めなければならないのではないか。お人好しと言われるのは、自己を問い直せない無自覚者ではないか・・・・・過去を振り返りながらそんな事を考えながら、7月から始まる新しい経営環境を迎える次第です。


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No.396  2004.06.14

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第84条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―ただ弥陀たのむ一念

まえがき
テレビを見ていますと、今でも度々「他力本願では駄目だ」と言う言葉を聞きます。それも知識人と言われる政治家とか評論家の人々の口から発せられます。「他の力を当てにしてはいけない」と言う意味で使われており、何も親鸞聖人の他力本願と言う教えが駄目だとは言っていない事は百も承知していますが、その都度私は腹立たしいと言いますか、情けないと言いますか、複雑且つ不愉快な気持ちになります。

しかし今日の聞書を読んで、今日の表題にもあります「弥陀たのむ一念」の"たのむ"と言う単語の存在がそもそも世間一般のそう言う取り違い・誤解を生み出したのではないかと思いました。

この"たのむ"と言うのは、歎異抄第3条に"他力をたのむ"と言う言い回しで、3回も語られています。しかも、この第3条には"本願他力"と言う言葉も出ていますから、事実はどうか分かりませんが、このあたりから誤解を生み出したと言われても致し方ない内容だと思う次第です

古語辞典を調べますと"たのむ" と言うのは、「全面的に信頼して相手の意のままに任せる」とか、「相手を主人として一身を託する」と言う意味が記載されておりまして、歎異抄にある"たのむ"もこの聞書にある"たのむ"もその意でありますが、古語の"たのむ"にも「あてにする」と言う意味もありますが、現代では、任せるとか委ねると言う意味よりも「あてにする」と言う意味で使用される事が殆どになっていますから、「他力をたのむ」と言う意味は、どうしても「他力をあてにする」と受け取られても致し方ないのではないかと思いました。

歎異抄で使用されている"たのむ"の意味は、井上善右衛門先生が「心の落ち着きどころを見出す事」とおっしゃっていますが、実に適切な説明ではないかと思います。

「神様にたのむ」とか「仏様にたのむ」と言う具合に使われるときの"たのむ"は、お願いする、懇願すると言う意味だと思いますが、"弥陀たのむ" と言う意味は、それとは全く異なり、阿弥陀仏に一切を"ただお任せする"と言う事で、何かを期待してお任せするわけではないと言う事が甚だ大切なところだと思います。

なお、本文中にある「前住」と言う意味は、先代と言う位の意味で、「前々住」と言うのは、先々代と言う意味のようです。聞書は、本願寺8代第門主である連如上人と第9代の実如上人のお言葉を集められたものですから、前住は実如上人、前々住は蓮如上人を指しているものと考えられています。

●聞書本文
前住上人仰せられ候。前々住より御相続の義は別義なきなり。ただ弥陀たのむ一念の義より外は別義なく候。これより外御存知なく候。如何様の御誓言もあるべき由仰せられ候。

●現代意訳
実如上人がおっしゃいました。「蓮如上人から相続した信は何も特別なものではなく、ただ阿弥陀仏にお任せするより外はないと言うことだった。この外に私が知っている事は何もない」と。そして「そう言う事を意味する親鸞聖人のお言葉もあるのだ」ともおっしゃいました。

●井上善右衛門先生の讃解
「ただ弥陀たのむ一念」というその"たのむ"とは、今日一般の用例となっている懇願祈願の意でないことは既に第12条で述べました。"たのむ"とは心の本当の落ち着きどころを見出すこととでも言えばよいのでしょうか。「力としてたよる」意であり、「他にゆだねる」義であることは『広 辞苑』にも示されています。それで古来より「弥陀たのむ」とは乗託の義といわれてきました。即ち阿弥陀仏の誓願に心開かれて己が総てを託し安んじることであります。

人間は自分の力で自己を託することは出来ません。何故なら託そうとする努力そのものは自分のものですから、結局自己を離れることが出来ないからです。自己に止まるかぎり有限の悩みというのは、限りある"からだ"と"こころ"から生じる執われの悩みです。

その執われが不安となり煩悩ともなって現じるからであります。その如何ともなしえぬ悩みの身を捨ておくことの出来ぬ広大無辺なる働きが阿弥陀仏の本願となっていまこの私の上に現じているのです。そして如何なる悲しい心をも融かす大慈悲が私の心に滲透してこられます。その本願の果ない深さと清きやるせなさに心うたれ、ただほれぼれと如来のみ心に帰しまつるとき、自らの計らいを超えて奇しくも信任乗託の境に浮かばしめられるのです。如来の大悲は名号となって喚びたまいこの身心を摂取したまうのですから、名号を離れた信はありません。ただ南無阿弥陀仏であります。それを今『弥陀たのむ一念』といわれました。「これより外御存知なく候」というのは実に深い表現ではありませんか。率直にして明白、おおよそ宗教体験とはこのようなものでありましょう。

●あとがき
"たのむ"というのは"任せる"と言う事ですが、"私が任せる"と言うのでは私と言うものが未だ残っており、本当に任せたことにはならないと言うことになります。私というものが残っている限りは、「私はこうありたい」、「私はああなりたい」と言う念が残っているに違いないからだと思います。ですから、「弥陀に任せたい」と言う念が残っている限りは、何時までたっても"私"が残っており、"弥陀には任せられない"と言うことになります。

そこのところを井上先生は、『人間は自分の力で自己を託することは出来ません。何故なら託そうとする努力そのものは自分のものですから、結局自己を離れることが出来ないからです。』と言われているのだと思います。

ではどうしたら、自己を離れる事が出来て、任せる事が出来るのでしょうか?これは、ここで箇条書きなどをして方法を説明すると言う事は誰にも出来ないことだと思います。井上先生は宗教体験と言う言葉を使われています(鈴木大拙師もまた宗教体験とか宗教経験と言われています)が、 次の聞書第88条『籠を水につけよ』に言葉で説明するにはギリギリ限界とも思えるご説明が為されているように思います。

私は、"私"と言うものの本質が明らかになりますと、"そんな私"に任せられなくなるのだと思います。当てに出来ない私に頼り縋っていた自己が明らかに照らし出される時が、鈴木大拙師も井上善右衛門先生がおっしゃっている『宗教体験』と言うものだと思います。


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No.395  2004.06.10

命の尊さ

少年による殺傷事件が発生するたびに、幼年期・少年期に『命の尊さ』を教える必要性があると論じられて来ましたが、表面的には週休2日制の導入など形は確かに変りましたが、学校の基本姿勢や先生の生徒に接する姿勢などが大きく変ったとは耳にしておりません。だから、毎年の様に世間を騒がせる事件が起こっているのではないでしょうか。

しかし、『命の尊さ』を教えると言いましても、そう簡単なことではないと思います。命とは何か、尊いと言う事はどう言うことなのか、子供達から質問された時に直ちに答えられる先生は極めて少ないと思います。先生だけではなく、世間を永く生きて来た我々においても、同様ではないかと思います。

ただ、戦前・戦中生まれの私達世代は『命の尊さ』を説明出来ないにしましても、『命の尊さ』は無意識のうちに身に着けているように思います。それはやはりそう言う時代に育ったからだと言えるかも知れません。私の幼年期・少年期を思い起こしますと、直接的に『命の尊さ』を教えられたと言う記憶はありません。しかし、戦後の物不足の時代でしたから、物を大切にしなさいとか、米一粒もお百姓さんが1年掛けて一生懸命育てあげたものだから、食べ残してはいけないと言う事を耳タコに言い聞かされました。それが今も骨身に染み付いて、一粒だって食べ残すことが出来ません。包装紙1枚も大切に再利用致します。再利用と言えば、水洗トイレが普及するまでの永らくの間、新聞紙はトイレットペーパーでした。そして、一つ一つの品物は多くの人の手を通って出来上がっており、『品物にも命がある』と言う考え方を植え込まれたような気が致します。

しかし、そう言う教育を幼年期・少年期に受けた私達の世代も、高度成長期における『消費は美徳』と言う風潮に少なからぬ影響を受け、親から、そして時代から授けられた『物にも命がある』とか『物を捨てずに再利用する』と言う教育を自分の子供達にまで施さなかったように思います。その子供達が今は小学校の先生になっているのですから、『物の大切さ』も『命の尊さ』を教育出来る状況に無いことは致し方ない事なのかも知れません。

『命の尊さ』の前に、先生も含めた私達大人が『物の大切さ』『物にも命がある』と言う日本古来の精神文明を取り戻して、次世代に伝えなければならないと思いますが、粗ゴミの日のゴミステーションを見る限り、途方も無いことだと思われますが、ゴミの分別収集とリサイクル率の向上努力も図られており、確実に大量生産・大量消費から、地球資源を大切にしようと言う人類の反省に期待し、また貢献していかなければならないと思います。

さて、『命の尊さ』ですが、命とか生命の定義に付きましては、専門的にも論議されるところですが、 非常に難しく、人類として確立できた結論は未だ無いと言ってもよいと思いますが、命と言うものを人類自らの力で造り出した事は無いと言う事は確かです。そして感覚的には、人類の知識と智慧と意思で作り出したものに尊いと言う言葉がふさわしいとは思えません。人知を超えた力が働いているとしか思えない存在や現象について始めて尊いと言う言葉を使っているのだと思います。 命は人が造り出せないものだからこそ尊いのだと言ってよいでしょう。

そう致しますと、地球上の生命はすべて尊いものだと言うべきだと思いますが、一方、総ての生物は他の尊い生命の犠牲無くして生命を維持出来ない事も事実です。その頂点に人類は位置します。即ち、自分の生命を他の生命の犠牲になる運命を背負っていないのは人類だけです。それだけに、人間として生まれた生命は、他の尊い命を犠牲にしているだけに特別に尊いと言う自覚を持たねばならないと思います。でなければ、犠牲になってくれている他の生命(牛、豚、鳥、魚、野菜等など・・・・)は浮かばれません。

また少し視点を変えまして、生物を生み出した地球と言う星の存在の不思議に気付かねばなりません。地球は太陽と言う恒星の惑星でありますが、地球より一つ太陽に近い金星にも一つ遠い火星にもどうやら生物は存在していないようです。存在し得る環境条件にはないと言う事です。地球に最も近い地球の惑星であるお月さんにさえ生物は存在し得ていません。何故地球だけに生物が存在するのでしょうか。そして太陽が属する銀河系には太陽のような恒星が約2000億個もあると考えられています。地球上から肉眼で見ることのできる星の数は約8千個ですから、私たちが夜空で見ている星々は銀河系の星々のほんの一握りにすぎません。2000億個もの星の集合体がわたしたちの銀河系なのですが、果たして地球と同様に生物が存在する星はあるのでしょうか。

更に宇宙には銀河系のような星雲自体が、1兆個はあると推定されていますから、宇宙の中で、地球と言う星に生まれる確率そのものがあり得ないと言う確率です。更に、地球上には1000万種の生物が存在すると言われていますから、地球上で人間としての命を得る確率は、言葉には表せないものとなります。

序に銀河系における太陽の位置付けですが、これまでの観測結果から、銀河系全体が回転している星の大集団であることがわかってきているようですが、私たちの太陽系は銀河系の中心から約2万8千光年離れたところをおよそ秒速220キロメートルで銀河系円盤内を2億5千万年という途方もない周期で上下に波打つように移動しているのだそうです。

そんな広大で悠久な銀河系、更には宇宙の中で、今この瞬間に地球で人間と言う命を生きている自分 は真に尊い命を頂いている事が実感されますし、すべての人、総ての命が尊いとしか言い様がありません。

そんな事実を皆で共有したいものです。


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No.394  2004.06.07

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第80条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―仏法とは無我

まえがき
仏法が苦悩からの解脱だけを説くことで終わるものならば、人間としての生まれ甲斐も生き甲斐も得られないのではないかと前回のコラムで申しましたが、仏法が先ずは苦悩からの解脱ありきというところが出発点である事は間違いないところですし、生まれ甲斐も生甲斐もその出発点からしか得られない事も間違いないと思います。そしてその押さえなければならない出発点が、私達誰でもが向き合っている苦悩を機縁としているものであり、そしてその苦悩が自己中心(エゴ)から来る煩悩によるものである事も確かだと思います。

仏教では、生老病死(しょう・ろう・びょう・し)の四苦に愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦を加えて、四苦八苦と申します。恐らく、私達が感じる苦と言うものは、すべて、この四苦八苦に分類されるものと思います。そして、例外なく総ての人が、四苦八苦の総てを人生の中で経験するであろうと思います。

私も未だ多額の借財を抱えて苦痛の真っ只中にいますが、身に余る借財そのものの存在は大きな苦痛ではありますが、日々の生活が成り立っている限りは、毎日感じている苦痛と言いますか、心に引っ掛かって離れ得ない精神的ストレスになっているのは、決して借財ではなく、人間関係の上で生じる不審・不信・不愉快・腹立ちであるように思います。

「何故あのような事が言えるのか信じられない」とか、「常識があるならあのような事は出来ないはずだ」とか「こちらがして欲しい事は何もしてくれない」とか、大体は、相手の常識外れや、無神経、冷たさ、欲深さ、言葉足らず、ルール違反に目くじらを立てて腹を立てたり、悔しがってみたり、恐れてみたりします。そして、何とか相手側の否を改めさせようと手立てをしては、余計に悪い状況になったりと、なかなか自分の思惑通りにいかない事に悶々とすると言うのが私達の(少なくとも私の)日常生活だと振り返らざるを得ません。

仏法の中でも特に親鸞聖人のお教えでは、これらの総ては「我は悪しと思う人なし」と言う自己愛・我執から生じている心の懊悩(おうのう)現象であると説きます。

「いや、自分は自分の悪い点もちゃんと心得ている積もりだから、総て他人が悪いとは思っていない、相手が悪い時もあれば、自分が間違っている事もある」と言う方もおられると思いますが(私がその張本人)、それは一見自己を見詰める眼があるように思え、仏法が説くところの正しい見解のように思われますが、これは仏法が説くところの『無我』ではないのではないかと思います。相手を否定する心がすべて無くなって始めて、「我は悪しと思う心が無くなった」、即ち今日の聞書のテーマである『無我』に至ったといえるのだと思います。

●聞書本文
「仏法には無我」と仰せられ候。我と思うことはいささかあるまじきこと也。「われは悪しと思う人なしこれ聖人の御罰なり」と御詞(おんことば)候。他力の御すすめにて候。ゆめゆめ我といふことはあるまじく候。無我ということは前住上人も度々仰せられ候。

●現代意訳
「仏法とは無我なり」と言われました。「自分が自分が」と思うことがあってはならないと言う事です。「自分が悪いと思う人なんて誰もいないのだと言うことは、親鸞聖人が常に誡められたことである」と言う事もおっしゃっていますが、これこそ他力本願を標榜されたお言葉であります。決して「自分が自分が」と言うことがあってはならないのです。無我ということは、実如上人も繰り返し繰り返しおっしゃいました。

●井上善右衛門先生の讃解
「仏法には無我」とは、仏教に一貫する根本的な真理を示されたものです。古来仏教には三法印といって三つの法印(印とは印判、即ち特質)が語られます。それが諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つであります。諸行無常とは、この世の一切は流転変化してとどまるものではないこと。諸法無我とは、一切の存在に実体(我)はないという意。涅槃寂静とは、そこに清く滞ることなき寂滅の真理が実現されるということです。

ところがこの三法印の中心をなすのが諸法無我なのです。無常とか涅槃とかいうだけの言葉は、仏教に限らず、古代インドの他の宗教や哲学で語られていたのです。ところが、それに無我という眼晴(がんせい)を点じられたのが仏陀でした。ここに仏教の涅槃が独特の光を発つものとなったのであります。

さて無我とは、古代インドの有我論を否定するところに生まれた用語でありまして、古代インドでは、我(アートマン)が宇宙原理とされ一切の諸法はアートマンの顕現であるという考え方がありました。従って「我」というのは実体と言い換えてよい意味をもつものであります。仏教では人法二無我(じんぽうにむが)といわれます。即ち人無我と法無我です。人無我とは自我に実体はないということ、法無我というのは法(存在)にもまた固定的な実体はないというのであります。後者は世界観の根本にかかわり、前者は人生観の根本にかかわるものでありますが、いまわれわれの生活と実践に密着するのはこの人無我の問題であります。

われわれは何よりも真実を尊重しなければなりません。真実ならざるものは必ず破れ亡びます。人間がまことの人間となる道も真実を全うするか否かにあります。迷いとはこの真実を裏切っている状態に外なりません。その迷いの状態を最も具体的にかつ明確に示しているのが「われは悪しと思う人なし」という一語であります。そこには自己中心の我情が意識の底深く根ざしています。それは真実なる自己の姿ではありません。「これ聖人の御罰なり」というのは既に第58条で述べたように擯罰(ひんばつ、斥け誡めること)の意であり、聖人の強く擯(しりぞ)け誡められているところであるという意味であります。

自己に目覚めるのは大切ですが、自己に執われるということは大いなる誤りの本です。何故自己に執われるのか、それは真正の自己を知らぬからです。あるべからざる幻の己れの虜(とりこ)となって、それを生活の根拠とする。これ即ち迷いの生であります。その自己の迷執から惑える妄情が生じる、これを煩悩と名付けます。己が心で己れ自らを懊悩(おうのう)せしめるからです。
心は自由に使えるのにそれを不自由なものにしている、これが煩悩です。

このような執我の迷える惰勢が同じ轍(わだち)の生死を繰り返すのを輪廻といいます。この執我の性は人間の先天的性格とも言うべきもので、身体的生命の核となって働き続けるのです。自我意識にはこの執我が深く結合しています。人間はこの執我性より離れることは出来ないのでしょうか。真の自己は何処に求むべきでありましょうか。

迷える自己を真正の自己に達するのが仏道であります。道元禅師は「仏道をならふというは自己をならふなり」と言われましたが、この言葉は動かすことが出来ません。それに続いて「自己をならふというは自己を忘るるなり、自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり」といわれています。自己を忘れるというのは無我を語る言葉に外なりません。その無我は如何にして開かれるかと言えば、万法きたって無我を証しめるのだと道元禅師が示されておられます。自分で自分を救えるなどと思っているのは意識の画をかいているときの事です。画の衣を着けて自ら立派そうに思っているのですが、その衣を脱がねばならぬ時が来る。そして裸になってみるとただ闇黒の自分だけが残る、その自分をどうすればよいのでしょう。

「万法に証せられる」というのは一応頭では理解できるでありましょう。しかしそれで自己の身心が救われるのではない。その理解も結局は画に終わって最早どうにもならぬ自己に陥るとき、闇黒の自己のその底に光寿二無量の本願の摂取が手を差し伸べていて下さるのに遇うのです。このとき脳裏の理解は転じて大慈悲心の摂取に触れまつる体験となる、万法という言葉は消えて阿弥陀仏にあいまつる不思議を実感するに至るのです。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」という仰せが、ここに至ってしみじみと偲ばれるのです。「ただほれぼれと弥陀のご恩の深重なること常におもい出しまいらすべし」(歎異抄)という言葉や、「至心信楽(ししんしんぎょう)、己れを忘れて速やかに無行不成の願海に帰す」(報恩講式)という言葉の自然(じねん)にして真実なるを感じるのです。煩悩具足のこの身が、己れを忘れる道はこの外にはありません。

●あとがき
浄土真宗の教えで間違われ易いと思いますのが、「すべては私が悪うございました」と言う心境にならねばならないと思われがちなところです。それではあまりにも自虐的で、暗い教えと言う事になります。もし、そのような受け取り方をしているならば、全くの聞き間違いであり、正しい理解に心掛けなければならないと思っています。

世間一般で、キリスト教徒は偽善者的になりがちで、浄土真宗門徒は偽悪者的になりがちだと言われますが、それは、キリスト教は自分を愛する如く他人を愛せよと説き、浄土真宗は、自己の罪の深さに気付けと説き、その教えが出て来る背景である一如(いちにょ、私も他人も同じ立場の人間である)と言う考え方がどこかに置き忘れられてしまう結果だと思います。

昨日の日曜日、星野富弘さんの紹介番組として1983年に放映された『心の時代、「神の愛を描く」』の再放送がありました。星野さんは、大学を出てすぐに体操の先生になられたのですが、授業中の模範演技中、着地に失敗されて首から下が麻痺すると言う事故に遭われました。絶望の闘病生活の中でご自身の心に湧き上がる煩悩と対峙され、最終的にはキリスト教の洗礼を受けられるまで宗教心を育てられました。そして真実を見詰める神様の眼を頂かれまして、花々の其々の存在感を口に筆をくわえて描かれるようになりました。その絵と絵に添えられ詩が多くの人々に生きる勇気を与えて来たと言う感動的なお方ですが、その番組の中で、「花は友達だ」と言う心境を詩に表しておられました。花は友達と言う事を言い換えますと、星野さんと花とは一体、花と一如の命に気付かれたのだと思いますが、キリスト教も仏法も、表面的には異なるように思われますが、大自然に生かされ、大自然と一体の命に目覚めると言う信仰の究極点は全く同じだと思います。それを「神様の愛に目覚めて、私は神の子」と表現するか、「煩悩を抱えたまま仏になる」と表現するかの違いではなかろうかと思います。

私はまえがきの最後に"相手を否定する心がすべて無くなって始めて、「我は悪しと思う心が無くなった」、即ち今日の聞書のテーマである『無我』に至ったといえるのだと思います"と申しましたが、相手を否定する即ち相手が間違っていると言う事は、自分はそんな間違った事はしないと言う心があるからだと思います。相手を責めたり批判したりするのは、自分はそのような事はしないと言う事でもあります。

しかし、よくよく自分自身を問い直しますと、ある条件や場面が整いますと、自分だってやりかねない事に気付きます。例えば、交通ルールの違反やマナー違反をする車があって、自分が迷惑を受けた場合には一瞬ムッとすることがあります。しかし、立場が代わって、自分の方が何かの都合で急いでいる場合は、違反してでも先を急ぐ場合が無いとは言えません。

極端な話、残忍な殺人事件の殺人犯に対して「よくもまぁ、あんな事が出来るなぁ。鬼だなぁ」と批判致しますが、自分はどんな場面になっても、絶対に殺人はしないだろうかと自問自答する時、 完全に否定しきれない事に気付きます。事の弾みで殺人をも犯しかねない分子を持っている自分に気付かされます。

日常生活において、不愉快な相手に出会う事がありますが、では、自分は他人にその様な不愉快な気持ちにさせた事はないかと問い直す時、これまた絶対にないとは断言出来るものではありません。

そうして自己の心の奥底を抉(えぐ)り出しますと、人間が持つ罪悪の総てを自分が持っている事に気付かざるを得ないと言うのが、親鸞聖人の『罪悪深重の凡夫』という事だと思います。他人に腹が立つと言う事は、自分はそんな事はしないと言う心があるからだと私は思います。『縁が整えば、私はどんな事だってするだろう』と自己を徹底的に見詰められ問い直されたのが親鸞聖人だと思います。

私達は自分の力でそんな自分に気付けはしませんが、何時かきっとそう気付かしめられる時が来ます。そして『共に是れ凡夫のみ』と言う一体の世界に目覚めるのであろうと思います。その時が今日の聞書で言われている『無我』の境地に立ったと言う事ではないかと思います。

1 『共に是れ凡夫のみ』と言って相手を許したり、自分を卑下していたりしていては、とてもこの厳しい世間は渡れないと言う意見もあるかと思いますが、親鸞聖人のお考えは、自分も罪悪深重の凡夫だから、相手を許そうではないかと言う事ではないと思います。やはり殺人は許せませんし、交通マナーを守らない事は非難されるべきです。そうではなくて、むしろ自分が持っている悪い心を相手も持っている事を前提として、そう言う悪い心が相手の言動に表れないように、心を砕き、予防を工夫する智慧が生まれてくるのだと思います。そしてまた、万一そのような相手に出遭った時は、一方的に責める事なく、より悪い状況を招かない智慧が与えられるのだと思います。

自分に美しい心や尊い心が少しでもあると思っているうちは、無我ではありませんし、心の中に安心も平和は訪れないのではないでしょうか。それは自分の真実を見ず、虚仮の自分、幻の自分を追っているに過ぎないからではないか、そんな厳しい誡めが、今日の聞書のお言葉ではないかと思います。

今年も琉球朝顔が育っています。玄関の塀を乗り越えるのは間も無くだと思います。我々人間社会のジグザクとした歩みを横目にしながら、自然は淡々と四季を繰り返しているのだなぁーと思わされます。


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No.393  2004.06.03

生まれ甲斐

先週のコラム(NO.390)で、『生まれ甲斐(うまれがい)』と言う事を申しました。この地球上に生命を得た甲斐、この世に人間としての生まれた甲斐と言う事であります。生甲斐(いきがい)と言いますと、仕事であるとか趣味であるとか、子供に生甲斐を感じていると言う答えが返って来そうですが、『生まれ甲斐』と言う事になりますと、そう簡単には答えが返ってこないのではないかと思います。言い換えれば『何のために生まれて来たのか?』と言う問いでありますから、非常に大切で重たい問い掛けであります一方、公に共通の正しい答えが用意されていないと言うものでもあります。従いまして、斯く言う私自身も、避けて、忘れて日常生活に埋没していると言うところです。

しかしこの問題について若いうちから自問自答され、七転八倒(しちてんばっとう)の苦行の後に、その答えを見付けられ、生まれ甲斐を生甲斐として人生を全(まっと)うされた先輩方がおられます。代表的なお方として私は、2500年前にインドに生まれられたお釈迦様と、800年前に日本に生まれられた親鸞聖人を挙げたいと思います。

お釈迦様自身は、小さな国とは言え、王子(皇太子)の身分であられ、普通に結婚もされ、子供ももうけられ何不自由のない生活を送られていたと言われていますが、それだけに何れは王として国を治めるお立場から、民衆の苦しみについて深く洞察をされたと思うのです。そして、民衆の苦の根源にある生老病死(しょうろうびょうし)と言う四苦に思い至られ、しかもこれは自分自身の問題でもあると言う自覚から、この苦から脱出する術(すべ)を見付けるのが自分の『生まれ甲斐』だと思われ、王宮に妻子を残して29歳の時に出家されたのだと思います。

一方、日本の親鸞聖人も貴族の生まれと言う事でありますが、お生まれになったのが平安時代の末期と言う事ですから、平家(へいけ)の台頭などにより、公家社会は経済的にも困窮し始めた頃であります。口減らしと言うことだったと推定致しますが、親鸞聖人は、9歳で比叡山のお寺に預けられたと言う事になっています。従いまして、親鸞聖人がある動機を持って出家の道を選ばれた訳ではないようです。しかし、成長するに従って、貴族社会の生まれがそのまま寺院社会での出世に反映するなど、若い親鸞聖人としては受け容れがたい寺院社会の有り様と、それに起因する人間関係などにも悩まれるようになり、その苦悩からの脱出する事が何時しか親鸞聖人の『生まれ甲斐』となって行ったものと思われます。

お二人共に、苦悩からの解脱(げだつ)が『生まれ甲斐』となって、難行苦行された後、奇しくもお二人共に、難行苦行が解脱に至る正しい方法ではない事に気付かれ、お釈迦様は菩提樹の下の禅定によって、親鸞聖人は法然上人に導かれて、苦悩からの解脱を経験されたものと思います。

しかし、お二人にとっては、苦悩からの解脱が『生まれ甲斐』ではなかったと思います。自分自身の苦悩がなくなりさえすれば良いと言う事が『生まれ甲斐』であったならば、仏法が今日まで受け継がれて来はしなかったと思います。ご自身の解脱だけで満足されることなく、同じく悩める民衆にも苦悩からの解放を遂げて貰いたいと言う誓願(せいがん)を『生まれ甲斐』として、涅槃に入られるまでの約50年間を民衆の教化活動に当てられたのだと思います。いわゆる『利他行(りたぎょう)』を『生まれ甲斐』『生甲斐』として徹せられたのだと思います。

考えて見ますに、地球上の他の生物(植物も動物も)には苦痛はありますが苦悩はないと思います。苦悩からの解脱が『生まれ甲斐』と言いますと、人間は解脱して始めて他の生物と同等の立場になります。他の生物と同じ立場に立つ事が『生まれ甲斐』と致しましたら、これは文字通り甲斐の無い事だと思います。

その苦悩からの解脱後に人間にしか抱けない生きる目的が本当の『生まれ甲斐』であり、また真の生甲斐だと思います。仏法でも自分が悟りを開くのを目的とするのを小乗(しょうじょう)仏教と言って低く見ます。日本に伝わっている仏法は大乗仏教と言われるもので、自分一人が救われる事を目標とせずに、皆一緒に救われましょう、むしろ自分より先ずは他の人が救われる事を優先しようとまで考えます。

他の生物は、自分以外の生物の為に役に立つ事は致しません。それが出来るのは人間だけだと思います。人間にしか出来ない事をする、私はこれこそが本当の『生まれ甲斐』であり、生甲斐でなければならないと思います。いや最近そのように思うようになりました。

欲望を満足するための仕事は、他の動物でもやります。地位・権力を握る事ならボス猿だって、女王蜂だってやっています。縄張り争いで殺し合う事なら、動物も植物だってやっています。人間でなければ出来ない事、それはお釈迦様や親鸞聖人が亡くなられる直前まで果たされた教化活動と言う利他行だけではなく、自分に天与された素質を他の人々や地球上の生きとし生きるもののために役立てる事だと思います。

私は、道は極めて険しいものの、自分自身も苦悩から解き放たれ、そして仏法が他の人々の救いとなるように役立つ事を『生まれ甲斐』として行きたいと思っています。それは自らの意思で自らの生き方を選択出来る力が与えられた人間という生命を授かった責任でもあると思うのです。

昨日今日と問題となっている長崎で発生した小学6年の女児による事件の背景には、『生まれ甲斐』と言う問い掛けを忘れた大人社会があると思われます。女児の精神鑑定だけで解明出来るものではないと思います。大人社会が先ずはこの『生まれ甲斐』と言う問い掛けに真正面から取組まねばならないのではないか。混迷するイラク、北朝鮮問題を抱える世界全体の問題も、その一点に帰するのではないかと考えさせられた次第です。


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No.392  2004.05.31

蓮如上人御一代記聞書讃解ー第79条ー

『れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき さんかい』と読みます。

表題―噛むとは知るとも呑むと知らすな

まえがき
仏教信仰者は出家(しゅっけ)と在家(ざいけ)に分類されます。これはお釈迦様がおられた頃からの事ですが、お釈迦様の頃は、出家と言われるのは、肉食妻帯(にくじきさいたい)せず、街を離れた山間に起居し、戒律を厳格に守る人々の事で、在俗生活をする仏教信仰者は在家と呼んで区別していたはずです。

ところが、現在はご存知の通り、街で見かけるお坊さんの殆どは家庭を持たれており、いわゆる肉食妻帯をされています。お坊さんはお坊さんでしょうが、ご出家さんとは呼べないのではないかと思います。

肉食妻帯のお坊さんと言えば親鸞聖人ですが、平安時代の出家・修行者が隠れて妻帯していたと言う記録があるようですから、親鸞聖人がパイオニア的存在であるとは言えないと思われます。しかし、歴史上、日本の祖師と言われる方々(最澄、栄西、法然、道元、日蓮、空海など)の中で、公然と妻帯されていたのは、親鸞聖人だけではないかと思います(私の浅学かも知れませんが)。そして、現在では、その親鸞聖人を開祖とする浄土真宗だけに止まらず、浄土宗、曹洞宗、臨済宗、真言宗など殆どの宗派のお坊さんまでも肉食妻帯するようになっているのですが、これが親鸞聖人の影響なのかどうか、興味があるところです。

浄土真宗の門主は、代々世襲制を通して来ましたから、室町時代の頃から既に肉食妻帯を公然と認める唯一の宗派ではなかったかと思います。それだけに、当時は他宗派からは勿論、世間一般からも、肉食妻帯への非難があったものと思われますが、更に、宗派内でも、肉食妻帯と言う形だけ親鸞聖人を真似て、親鸞聖人のお教えから遠く離れた煩悩生活に明け暮れするお坊さん達が問題になっていたのではないかと推察されます。この問題は、浄土真宗に限らず、仏教全体のものとして現在も続いているように感じます。

今日の聞書は、お坊さんの肉食妻帯の是非を問うものではありません。むしろ表面に現れた肉食妻帯が問題となっているのではなく、その内にある心の在り様を問題にしたものだと思います。そして、出家、お坊さんに限らず、在家の私達に付きましても、在家だからと言う甘えから、愛欲と名聞利養の世界に溺れながら、凡夫である事を隠れ蓑にしてはいないかと言う問題提起が為されているものと、重く受け取らなければいけないと思います。

●聞書本文
前々住上人仰せられ候。「噛むとは知るとも呑むと知らすな」という事があるぞ。妻子を帯し魚鳥を服し、罪障の身なりといひて、さのみ思いのままにはあるまじき由仰せられ候。

●現代意訳
蓮如上人がおっしゃられています。『「噛むとは知るとも呑むと知らすな」と言う諺がある。妻子を持ち、魚も肉も食べる在俗生活をして、罪深い身だとは言いつつ無反省な生活を送るのはもってのほかである』と言う由を述べられました。

●井上善右衛門先生の讃解
「噛むとは知るとも呑むと知らすな」という古い諺が何時の頃から生じたのか明らかでありませんが、味わうべき諺であります。「噛むとは知るとも」とは、十分に噛みしめて食すべしということでしょう。「呑むと知らすな」とは噛まずに鵜呑み丸呑みにしてはならぬとの意でしょう。食物は先ず十分に咀嚼(そしゃく)していただかねばならぬ。決して丸呑みにするような慣習をつけてはならぬ。これは改めて言うまでもなく、健康上最も大切なことですが、同時に恵まれた食物を無駄にすることなく有効に正しく摂取する心得でもあります。ところがなかなかそれが出来にくい。その結果、身を害し栄養は素通りになる。これは食事に対する極めて卑近で貴重な誡(いまし)めと言わねばなりません。ところがその誡めが、そのまま精神生活の深い心得となるのであります。鵜呑みの聞法は聞法ではありません。素直に聞くということは正しく真意を頂戴してこそ素直であって、外形を丸呑みにすることはそれを自分の得手勝手に用いることにも通じます。真意を聞くということは容易ではありません。真実に背を向けている自分を先ず知らしめられ、その自分を真実に摂(おさ)め取って下さる真意を。ごまかすことなく歪めることなく受け入れてゆくところに聞信の道が開かれるといわねばなりません。
聞法とは、精神的な咀嚼であると言えましょう。

さて、先の「噛むと知る」というのは、戯論(げろん)を離れて真実の法に値遭(ちぐう)する道とも言えましょう。徒(いたずら)に思索を重ねてもそれが戯論の域である限り、いまだ聞思(もんし)の思(し)にかなうものでありません。己が生死と罪濁の現実を如何に正しく処理始末し、苦悩の胸中に真実の光りを仰ぐ身となりうるか。かかる生命の切実な問題に直面して聞思することが聞法の道でありましょう。

親鸞聖人が生命を賭して辿られた道をわれわれもまた辿る用意がなくして、安閑と「妻子を帯し魚鳥を服し罪障の身なりといひてさのみ思いのままにある」ことは、決して摂取不捨の一道を辿る姿勢ではありません。聖人の肉食妻帯は、罪障の身は余儀ないことと許されたというような、生易しい事柄ではありません。血の滲む求道と慙愧の暁に広大無辺な本願に蘇生された足跡がそこには、まざまざと刻まれているのです。難透の一路を透過して、無碍光の照護に生活即仏法という大乗究極の真実を、破天荒ともいうべき在家の生活に実現されたのです。さればその妻帯は最早愛欲の満足ではありません。菩薩相念互敬の面影が法爾と現れている事は恵信尼文書の証するところであります。
妻帯の外形だけを受け取って凡夫には当然の事と早合点し、魚鳥の肉食はもとより放逸無慚の振舞いを肯(あえ)てすることは、念仏する者として言いようのない悲しむべき事柄です。

●あとがき
親鸞聖人は、29歳で比叡山を下りられ、法然上人との出遭いによって回心(えしん)を得られるまでは妻帯されなかったものと思われますが、何時の時点でどなたと結婚されたかは不明であるようですが、85歳の時に義絶(勘当)された長男の善鸞(ぜんらん)は、恵信尼と言う史実の奥方との間に出来た方ではない事から、29歳から34歳の間、越後に流罪になる以前に一度結婚されたものと推定されています。

親鸞聖人のお師匠である法然上人は妻帯されているどころか、女性を見れば心が動くと言う事から、目を上げて女性を見る事がなかった程の清僧だと言われています。その法然上人の下にあった親鸞聖人が敢えて妻帯されるに至ったのは、単に煩悩に逆らわなかったとか、欲望に負けたと言うものではなく、『仏法は出家のためだけのものではなく、在家の者を救うものでなければならない、そのためには自分自身が在俗の身になった上でも救われなければならないのだ』と言う並々ならぬ志と決意によるものと思われます。また、親鸞聖人が和国の教主(日本のお釈迦様)と称えられ親しまれた聖徳太子ご自身が出家者ではなく、肉食妻帯をされていた事も大きな後押しとなったものと思われます。

私が敬愛する西川玄苔老師は、曹洞宗のお坊さんで、肉食は存じ上げませんが、妻子を持たれている方ですが、『出家は易行、在家は難行』と言われています。山に籠もった出家は煩悩が湧く機会が少ないから、心は清浄に成り易いが、誘惑の多い巷(ちまた)で生活する在家一般人が悟りを開く(回心を得る)と言うのはとても難しい事だと言う事であります。

私は出家生活を経験した事がありませんから、比較してのコメントは出来ませんが、毎日お酒の誘惑に負けたり、詰まらぬ事に腹を立てたりしている自分自身を振り返りますと、実にその通りではないかと思います。

これを罪悪深重の凡夫ですからと、言い訳がましく自己欺瞞に陥る事を厳しく嗜(たし)めているのが、今日の聞書です。お釈迦様が苦行は無意味だと言われているとかと言う事だけを丸呑みして、少しばかりの修行もせず、したい放題の煩悩生活に身を焦がしている身の上から脱出するには、『少しの辛抱』『もう一息の頑張り・粘り』『何事も腹八分目の生活』の実践しかないのだと思い直した事です。


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No.391  2004.05.27

大相撲と無我

大相撲の5月場所は、結局は横綱朝青龍の3連覇と言う結果に終わりましたが、14日目が終わった段階までは、平幕の北勝力が優勝に一番近かったのです。14日目まで一敗はしていましたが、立会いに迷いは無く、相手を双手で突き上げた後は一気に押し出すと言う理想的な押し相撲が続いていました。私も全取り組みを見た訳ではありませんが、無我無心(むがむしん)の境地で相撲をとっているように感じていました。

しかし、この一番に勝てば優勝と言う千秋楽では、19歳で新入幕の白鵬と初対戦になりました。14日目までの北勝力ならば、一気の押し相撲で勝負を決めていたはずですが、やはり、勝てば初優勝と言う意識があったからでしょう、白鵬に2度続けて"待った"を掛けられてしまいました。私は、その時、はっきりと北勝力の負けを確信すると共に、この2度の"待った"は、白鵬と同郷(モンゴル)の先輩であり、優勝争いの相手である朝青龍から授けられた作戦だと思いました。案の定、3度目に立った時には、1秒で土俵に引き倒されていました。

この一番に勝てば優勝と言う意識、これまで通り一気に押し出そうと言う意識過剰、そして格下に2度連続の"待った"を仕掛けられての怒りと動揺は北勝力から平常心を完全に奪い取ったものと思います。負けて当然でした。そして、朝青龍との優勝決定戦にまで白鵬戦の後遺症を残しており、勝負にはなりませんでした。千秋楽の2番の相撲は、14日目までの北勝力と同一人物とは思えない変りようでした。

14日目までは、多分結果を気にせずに、"ただ"相手にぶち当たって行っただけだったと思います。この"ただ"の心境が無我無心と言うものです。スポーツで言うところの、精神集中・精神統一した状態で闘うと言う理想の境地です。瞬間で決まる相撲は特にこの精神面が勝敗を分けるのだと思われます。

私も一時期真剣勝負のテニスをしていましたので、スポーツにおける精神面の大切さは分かる積もりです。40年間と言う長いテニス暦ですが、技術的に負けたと思った試合は、数百試合の中で、2、3試合程度だと思っています。負け試合の総ては苦手意識があったり、試合の前から勝ち負けに拘っていた、後悔の残る負けであったと記憶しています。

北勝力の負け相撲を見ながら、スポーツにおける無我無心は、仏教で言うところの、我執が無いと言う事なのだと思いました。無我無心とは、何も考えないと言う事ではなく、結果を予測せず、ただ現在なすべき事に全力を傾けると言う事ですが、これがなかなか難しいのです。それは私達人間に、記憶すると言う能力があるからです。記憶は経験となり、経験が自我意識(本能で動く自分とは異なる、もう一人の自分)を形成して、過去を思い返し、未来を予測してしまいます。

本能だけで動く自分を鈴木大拙師は生物我と言っておられますが、人間でも幼子の行動は、この生物我に基づくもので、自分の生物我を見詰める、もう一人の自分は未だ育っていません。目の前の事しか意識に無い訳です。しかし、大人になりますと、自分を見つめるもう一人の自分、他人が自分をどのように見るかと言う、もう一人の自分が生物我(本能)を覆い隠します。

ですから、スポーツに限らず、我々の日常生活におきましても、現在只今向きあっている事柄に集中出来ずに、帰り来ぬ過去を悔やんでみたり、未来を先取りして心配したりします。集中しようと思ってもなかなか心がそうならないと言う経験は、どなたにもあると思います。現在に集中する事を妨げているのが、自我意識(もう一人の自分)であり、仏教が重要視する我執(がしゅう)であると思います。無心になれと言うのは、何も考えるなと言う事ではなく、この我執を取り払えと言う事であります。しかしこの我執は、自我の芽生えと言われる第2反抗期から自らの心の中で着実に育って来たもう一人の自分であり、並大抵の事で払いのける事は出来ません。

この自縄自縛状態から永遠に脱出する為には、善悪の分別、幸せ・不幸の分別から離れ、青山俊董尼のご表現をお借りしますと、『どうなってもよろしゅございます』と言う土性骨(どしょうぼね)が坐るように仏道を歩むしかないものと思われます。

おそらく、名横綱と言われる方達は、勝ちたいと言う意欲は人一倍強い事は勿論ですが、練習を人の数倍した上で、しかし土俵上では勝ち負けという結果には拘らず、目の前の闘いに集中した人達ではないかと思います。北勝力の横綱への道は険しいですが、今回の経験から、稽古のあり方を学べば、道は開けるのではなかろうかと思います。


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