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No.530  2005.09.26

正信偈の心を読む―第二十二講【依釈段(龍樹章)―B】

●まえがき
この龍樹章で親鸞聖人は、お釈迦様の「自分が死んだ700年後に、南天竺(現在の南インド)に龍樹菩薩と言う自分の教えを受け継いで、広めてくれる人物が出て来るであろう」との予言が、楞伽経(りょうがきょう)と言う経典の懸記に書かれていると申されています。

お経が文字として記録され始めたのが、お釈迦様の死の500年後位からだと言われていますから、お釈迦様の予言の真偽の程は、今では確かめ様もございません。科学的知識を詰め込まれて育った私には?がつくところではあります。

しかし、龍樹菩薩の存在は、そう言う予言話まで生じて来る位に大乗仏教上極めて大きいものであると言う事は間違いないところだと思います。お釈迦様を産み出し、龍樹菩薩を産み出した、この宇宙に遍満する働きを"阿弥陀仏"と言うのであります。親鸞聖人は、この歴史上実在の人物に、阿弥陀仏の存在を感じ、阿弥陀仏の本願を確信されたのであろうと思うのであります。

●依釈段(龍樹章)原文
釈迦如来楞伽山(しゃかにょらいりょうがせん)
爲衆告命南天竺(いしゅごうみょうなんてんじく)
龍樹大士出於世(りゅうじゅだいじしゅつおせ)
悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)
宣説大乗無上法(せんぜつだいじょうむじょうほう)
證歓喜地生安楽(しょうかんぎぢしょうあんらく)
顕示難行陸路苦(けんじなんぎょうろくろく)
信楽易行水道楽(しんぎょういぎょうすいどうらく)
憶念弥陀佛本願(おくねんみだぶつほんがん)
自然即時入必定(じねんそくじにゅうひつじょう)
唯能常称如来号(ゆいのうじょうしょうにょらいごう)
応報大悲弘誓恩(おうほうだいひぐぜいおん)

●依釈段(龍樹章)和訳
釈迦如来楞伽山にして
衆の為に告命したまわく南天竺に
龍樹大士世に出でて
悉く能く有無のを摧破し
大乗無上の法を宣説し
歓喜地を證して安楽に生ぜんと
難行の陸路の苦しきことを顕示し
易行の水道の楽しきことを信楽せしめたもう
弥陀佛の本願を憶念すれば
自然に即時必定に入る
唯能く常に如来の号(みな)を称して
大悲弘誓の恩を報ずべしといえり

●あとがき
「弥陀佛の本願を憶念すれば」とは、阿弥陀仏の本願を片時も忘れないようになれば、それでもう救われているということでありますが、これも、別に自分の努力で忘れないと言う事ではなく、そうならずには居れない気持ちになった時、既に救われていると言う事ではないかと思います。

そして、その後は、報謝の心から念仏が自然と口に出ると言うことで、これも、報謝の為にお念仏を称えるというものではないのでありましょう。無理は要らない、すべて自然に・・・と言う親鸞聖人のお心は、龍樹菩薩から授かられたもの、ひいてはお釈迦様、ひいては阿弥陀仏から授かられたものである事が分かります。

私は未だ自然とお念仏が出ません。これは、邪見驕慢の兜で身と心を固めているからだと思いますが、如何ともし難く、歯がゆいことであります。


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No.529  2005.09.22

親鸞聖人が伝えたかったこと

現在、月曜コラムで、親鸞聖人が書き残された『教行信証』と言う書物の中にある「正信偈」という一まとまりの讃嘆詩を勉強しています。かなり前には親鸞聖人の教えとして有名な『歎異抄』を勉強致しました。一般の方に取りましては、親鸞聖人と言えば『歎異抄』と連想される程に有名になっているのですが、ご承知の通り、『歎異抄』は、親鸞聖人が直々に書かれたものではなく、親鸞聖人から親しく指導を受けた「唯円坊(ゆいえんぼう)」が、親鸞聖人の死の約30年後、親鸞聖人の教えが間違って伝わっているのを嘆かれて書かれたものであります。

従って、親鸞研究家の中には、『歎異抄』は、親鸞聖人の教えそのものではないとか、親鸞聖人の若い頃のお考えであり、晩年に至られたご心境とはかなりかけ離れていると言うような見解を述べる方も居られます。この点に付きましては、親鸞聖人の著述を時系列的に詳細に研究する必要もございますし、親鸞聖人と等しい他力本願の信心を頂かないと何とも論評出来かねるところであります。

9月20日の朝日新聞の文化欄で、梅原猛氏が『二種の廻向と親鸞』と言う題の論説を寄稿されていました。主旨は、次の通りであります。

「歎異抄は悪人正機説であり、親鸞思想の中心におくことは如何かと思う。親鸞自身の著作である『教行信証』の"信巻"には悪人正機説のもとをなす悪の自覚について語られているが、それは、人間の根源にある悪を見詰める親鸞の眼の異常な深さを物語るものであって、次の"証巻"で親鸞は、二種の廻向の説を説く。法蔵菩薩は難行苦行をして四十八の願を立てて阿弥陀仏になり、その広大な善行を人間に廻向した。廻向には二種ある。一種は、どのような悪人でも口称念仏をすれば必ず極楽浄土へ往生すると言う廻向、往相廻向である。もう一種は、極楽浄土へ行った人間がまた衆生救済のためにこの世に帰るという廻向、還相廻向である。この二種廻向がはっきり語られている経典は、親鸞が、その名前の"親"を譲り受けた天親菩薩の『浄土論』と"鸞"を譲り受けた曇鸞の『浄土論註』であり、親鸞が二種廻向を思想の中心においたことは、容易に想像出来る。近代真宗学は、この二種廻向の説を殆ど説かず、悪人正機説に甘えているのは、永遠性の自覚と利他行の実践の思想が欠如しているように思われる。二種廻向の説を中心として近代を超える真宗学を樹立することが切に望まれる」

梅原氏の論説は長年の研究に依るものでありましょうが、私は、特に二種廻向を中心とすべきだとは思えません。また、悪人正機説を中心とすべきとも思いません。歎異抄も別に悪人正機説にのみ片寄っている訳ではない証拠に、第4条に「浄土の慈悲と言うは、念仏していそぎ仏になりて大慈大悲心をもておもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり」とありますし、第5条にも「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれもこの順次生に仏になりてたすけそうろうべきなり」とあり、還相廻向の考え方が述べられていると思いますので、歎異抄が悪人正機説だけではないと思います。また、正信偈には、「邪見驕慢悪衆生」や「五濁悪時群上海」とも述べられ、他力本願の教えは、悪人(自己の煩悩に悩み苦しむ凡夫)こそが目当てだと強調されておられますので、教行信証が二種廻向を中心としていると断定されるのも如何かと考えます。

飛躍し過ぎかも知れませんが、悪人正機と二種廻向の関係は、仏教の四諦(苦・集・滅・道)の教えに当てはめれば、悪人正機は原因とされる苦諦、二種廻向は結果の滅諦と言ったところではないでしょうか。

ただ、梅原氏が言われている通り、浄土真宗は、あまり利他行を積極的に推し進める向きが無いと言うことも確かにあると感じております。また、私自身、積極的にいわゆる世間で盛んなボランティア活動に熱心ではないと自覚しており、これでは仏教徒として胸を張れないと思っております。出来れば、近隣地区の為に役立ちたいと、最近、自分に出来ることを模索しているところであります。

親鸞聖人が私達に伝えたかった本当のところを、これからも勉強して行きたいと思いますと共に、親鸞聖人が大切にされていた報恩感謝を念仏だけではなく、行として実践していくように心掛けたいと思う次第であります。


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No.528  2005.09.19

正信偈の心を読む―第二十一講【依釈段(龍樹章)―A】

●まえがき
龍樹菩薩は沢山の書物をお書きになられましが、その中で特に有名なものは、『大智度論(だいちどろん)』と『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』というものです。『大智度論』は、禅宗が開かれるもととなった『大品般若経』の解説書であり、『十住毘婆沙論』は、『華厳経』の「十住品」を解説されたものですが、その中にある「易行品(いぎょうぼん)」は他力浄土門の源と位置付けられています(難行道、易行道につきましては、前回のコラムで申し述べました)。

それから、『中論』と言う書物もあります。これは大乗仏教を哲学的に論じたものですが、『中道(ちゅうどう)』と言う考え方です。この龍樹章の中の「悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)」、親鸞聖人がこの中道の考え方を取り入れられたものであります。

有無の見とは、有の見、無の見ということで、たとえば、人間には霊魂があると言う考え方が「有の見」。死ねば、何も残らないと言うのが「無の見」です。中道とは、そのどちらにも片寄らないと云うことであります。霊魂がある事を証明出来ませんし、また、死後の世界も人間には分からないからです。

真実は、人間のすべての思いが絶えて、すべての思いも計らいも打ち捨てたところにあると言うのが「中道」の考え方であります。従って、実相と云いかえられます。あるがままと云う世界でもあります。

●依釈段(龍樹章)原文
釈迦如来楞伽山(しゃかにょらいりょうがせん)
爲衆告命南天竺(いしゅごうみょうなんてんじく)
龍樹大士出於世(りゅうじゅだいじしゅつおせ)
悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)
宣説大乗無上法(せんぜつだいじょうむじょうほう)
證歓喜地生安楽(しょうかんぎぢしょうあんらく)
顕示難行陸路苦(けんじなんぎょうろくろく)
信楽易行水道楽(しんぎょういぎょうすいどうらく)
憶念弥陀佛本願(おくねんみだぶつほんがん)
自然即時入必定(じねんそくじにゅうひつじょう)
唯能常称如来号(ゆいのうじょうしょうにょらいごう)
応報大悲弘誓恩(おうほうだいひぐぜいおん)

●依釈段(龍樹章)和訳
釈迦如来楞伽山にして
衆の為に告命したまわく南天竺に
龍樹大士世に出でて
悉く能く有無のを摧破し
大乗無上の法を宣説し
歓喜地を證して安楽に生ぜんと
難行の陸路の苦しきことを顕示し
易行の水道の楽しきことを信楽せしめたもう
弥陀佛の本願を憶念すれば
自然に即時必定に入る
唯能く常に如来の号(みな)を称して
大悲弘誓の恩を報ずべしといえり

●あとがき
親鸞聖人は、根拠なく他力本願の道を歩まれたのではないことがよく分かりました。法然上人の直接の指導により、念仏の道に入られましたが、源を辿り辿って、龍樹菩薩の「易行品」に出会い、『中論』の中道実相の考え方に至って、『自然法爾(じねんほうに)』と言うご自分なりの落ち着きどころを得られたのではないかと思います。

親鸞聖人も尊い方でありますが、龍樹菩薩と言う偉大な宗教的天才がこの世にお生まれにならなければ、大乗仏教が日本に花咲くことはなかったという事を思います時、阿弥陀仏の本願もまた、私達に強く働きかけていることも間違いのない事だと思う次第であります。


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No.527  2005.09.15

般若心経から正信偈へと

今週の月曜コラムで、柳澤桂子さんの『生きて死ぬ智慧―心訳「般若心経」』の紹介をさせて頂きました。『生きて死ぬ智慧』は43万部のベストセラーとなっているそうですが、読者から、「とてもよくわかった」「心がすっきりした」という感想があった一方、「やっぱり、よくわからない」と言う感想もあるようです。

般若心経は、私達が生きている人生(或いは宇宙)と言うものは、空(くう)と無常(むじょう)の世界だと言う仏法の根本教義(諸法無我、諸行無常)を示しているお経ですが、見方を変えますと、仏法の入門編と言えます、現代的表現をするならば、"仏法のプレゼンテーション"であって、私達を仏法という教えに誘うためにあるお経でもあると思います。

従いまして、この般若心経を読むだけでは、空と無常の世界を理解は出来ましても、いわゆる体得するまでには至り得ませんから、「やっぱり、よくわからない」と言うのは、素直なご感想だと思います。

この般若心経が説く、空と無常の世界を体得しようとして無数の高僧方が挑戦されました。その中のお一人に、親鸞聖人がいらっしゃいます。親鸞聖人ご自身は、9歳から29歳までの20年間、比叡山で様々な難行苦行を積まれましたが、「やっぱり、よくわからない。すっきりしない」と言う事で、最終的には浄土門(法然上人)の扉を叩かれました。そして、特別な修行を必要としない、ただ、阿弥陀仏の本願を信じて念仏を称えることによって救われ、「心がすっきりする」古き善き道を見付けられました。

一般的には、親鸞聖人の至られた境地は、空とか無常の世界でないと考えられている向きもありますが、晩年に書かれた『自然法爾抄(じねんほうにしょう)』という著書に明らかにされていますが、『自然法爾』とは、平易に訳しますと「あるがままに」と言うことであり、これは、「空」を別の表現で語られたものだと思います。

大乗仏教では、悟りに至る道に二通りあると申します。難行道(なんぎょうどう)と易行道(いぎょうどう)です。これは、今勉強中の正信偈で紹介されている西暦2世紀頃のインドに出られた龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)と言うお坊さんが説かれたものです。難行道は出家の道(禅宗系統)、易行道は在家の道(念仏浄土門)と言うことになりましょうか。

易行道とは、阿弥陀仏の本願を信じて念仏を称えるだけで救われ「心がすっきりする」と言うものでありますが、阿弥陀仏の本願(人生苦に悩み、何とか脱出したくてモガキ苦しむ凡夫をどうしても救いたいと言う願い)を信じ任せることで、親鸞聖人は『空・無常の世界、あるがままの世界』に目覚められたのであります。信じ任せるだけで救われることから易行と言われたのでありますが、親鸞聖人が正信偈の中で易行と言っても実は「難中の難である」とおっしゃっておられるように、信じて任せるという事は、そう簡単なことではありません。自分に何かの了見を持っていますと、信じ任せることは出来ません。結局は、自分を"無"にしないと信じ任せることは出来ません。

親鸞聖人は、煩悩具足(あらゆる煩悩を抱えた身)の自分を顧みられる一方、直接の師である法然上人、そして龍樹菩薩にまで遡るまで、浄土門の灯火を繋いで来られた七高僧方、そして仏法をこの世に示されたお釈迦様に思い至られた時、阿弥陀仏の本願を確信されたのだと思います(阿弥陀仏が衆生を助けるためにお釈迦様を、そして高僧方をこの世に送り出されたと言う考え方)。

私のように世間で煩悩生活を営む者は、自分の力で悟りを開くことは出来ないと思います。私達が、般若心経の空・無常・一如の世界に目覚めるには、親鸞聖人が歩まれた道を辿ることが最もた易い道であると思います。そう言うところから私は、般若心経から正信偈(親鸞聖人の教え)、そしてまた般若心経へと歩むことが、「心がすっきりする」道筋ではないかと考えている次第であります。


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No.526  2005.09.12

生きて死ぬ智慧―心訳「般若心経」

今日は、正信偈の勉強を一休みしまして、先週の金曜日、NHKの朝の番組『生活ほっとモーニング』で、柳澤桂子さんと言う生命科学者の生きて死ぬ智慧―心訳「般若心経」』と言う著書が紹介されていましたので、その紹介をさせていただきたいと思います。柳澤桂子さんは、般若心経によって、ある悟りを得られたとのことであり、素晴らしいと思います。

般若心経はお釈迦様が感得された『空(くう)の世界』を説くものであり、仏道を歩む者にとっての理想卿でもあります。柳澤さんの読み解かれた『空の世界』は、現代の私達に分かり易いメッセージだと思いますので、多くの方に読んで頂きたいと思う次第であります。

さて、生命科学者である柳澤さんは、若くして原因不明の病に襲われ、やがて仏教の門を叩き、般若心経の空(くう)の世界に目覚められまして、般若心経を自分の言葉で読み解かれた内容が、この著書でありますが、以前にも、NHKの『こころの時代』でも放映され、大反響を得ていると云うことであります。一時は、身動き出来ない寝たきりのベッドの上で、主治医に生命維持装置の管を外して貰うことを懇願されるまでのギリギリの状況を経験され、お嬢さんの「生きて欲しい」と言う涙ながらの訴えに、自分の命を自分だけの命と考えていた自分の『自我』にふと気付かされたそうであります。

死と向き合われた人でなければ分からない、ギリギリの状況の中で『自我』を見詰められ、『空の世界』に目覚められた柳澤さんの般若心経の心訳は、真実の言葉として、私達を目覚めさせるキッカケになるものと思います。是非座右の書として、持たれることをお奨め致します。

下記に、柳澤さんの紹介と、巻頭に掲載されている詩、そして著者の“あとがき”を転載させて頂きますので、参考にして頂きたいと思います。そして、心訳の部分はさわりの部分のみ、掲載させて頂きます。

柳澤桂子さんの経歴:
当代日本を代表する生命科学者にして歌人、
・・・・やわらかき冬の光が身にしみて生きよ生きよとわれを温む(柳澤桂子歌集より)
1938年東京生まれ。1960年お茶の水女子大卒。1963年コロンビア大学大学院博士課程修了、Ph.Dを得て帰国、慶応大学医学部分子生物学教室助手に。1969年発病・最初の入院。1971年三菱化成生命科学研究所副主任研究員となり研究職に復帰。1973年理学博士、1975年主任研究員。マウスを使った発生学に取り組み,世界に先駆ける成果を残す。1977年秋、国際発生学会での講演を終えたとき再発・手術。以後、入院・退院を繰り返し、ついに歩行困難に陥る。将来を嘱望されながら、1983年同研究所を解雇退職となる。今日まで35年以上に及ぶ闘病生活である。“原因不明の難病”は、1999年ようやく周期性嘔吐症と診断された。抗うつ剤による治療で奇跡的に快方に向かい小康状態を得ているものの、2004年新たに悩脊髄液減少症と診断され治療を受けている。

1986年から、闘病生活のかたわらサイエンスライターとして頭角を現す。1993年「卵が私になるまで」(新潮社)で講談社出版文化賞科学出版賞、同年『二十らせんの私』(早川書房)で日本エッセイスト・クラブ賞。1999年日本女性科学者の会より功労賞。同年11月放映されたNHK「ドキュメントにっぽん いのち再び・生命科学者柳澤桂子」が大反響を呼ぶ。2002年「NHK人間講座シリーズ生命(いのち)の未来図」全編の製作総括と講師をつとめた。1903年お茶の水女子大学より名誉博士。

巻頭詩:

ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・・
ほんとうは
野の花のように
わたしたちも生きられるのです

もし あなたが
目も見えず
耳も聞こえず
味わうこともできず
触覚もなかったら
あなたは 自分の存在を
どのようにして感じるでしょうか
これが「空」の感覚です

著者のあとがき:
私は現在(2004年)66歳です。1969年から病気をしていますから、36年も病んだことになります。激しい嘔吐と腹痛、頭痛、めまい、傾眠と非常に苦しい症状が1週間もつづき、次の1週間は寝たり起きたり、第3週目でやっともとに戻れるのですが、この周期が1ヶ月に1度ずつ巡ってくるのです。ということは、月に2週間しか起きられないということです。

病気の原因がわからないので、どの医師にかかっても心因性のものと診断されました。家族にもそのように説明されました。勤務先に出す書類にもそう書かれました。けれども、嘔吐発作は正確に1ヶ月に1回なのです。それも排卵期に決まっていました。そのように医師に告げてもますます気のせいにされるばかりでした。

心因性といっても、何か証拠があるわけではなく、私の気のせいや気の持ち方が悪いといわれるのです。家族からも責められましたが、私は自分自身を責めました。病の苦しみの上に医師から精神的な苦しみまで背負い込まされました。 この36年間私は苦しみました。孤独でした。人間であることの悲しみを存分に味わいました。科学の限界を知らされました。病は悪くなる一方でした。

ところが1999年に金沢大学の佐藤保先生が、ご自分の研究されている病気と非常によく似ているというお手紙をくださり、「周期性嘔吐症候群」という脳幹の病気だと教えてくださいました。この病気には、抗うつ剤が効くことが分かっていましたので、私は嘔吐や腹痛から開放されたのです。

その後、狭心症がひどくなり、歩くことができませんので家の中を電動車椅子で移動しております。私の半生は苦しみの半生でした。そこへ、平塚共済病院、脳外科の篠永正道先生が私の脳脊髄液が漏れていることをMRIで見つけてくださいました。いろいろな神経症状が出ているのはそのためだったのです。

私は生命科学の研究者で、ハツカネズミを使って研究していました。私の研究テーマは、なぜ1ミリにもみたない卵からネズミの形ができるかということでした。研究は軌道に乗っていました。国際的に活動できました。その大切な研究も、私は断念しなければならなかったのです。自分の子供を奪われる悲しさでした。

さて、「般若心経」について、どうしてこのような現代語訳が出てくるかといいますと、私は次のように考えました。これは私の解釈であって、絶対に正しいというものではありません。みなさんにはみなさんの解釈があるのだと思います。

私は釈迦という人は、ものすごい天才で、真理を見抜いたと思っています。ほかの宗教もおなじですが、偉大な宗教というものは、ものを一元的に見るということを述べているのです。「般若心経」もおなじです。私達は生まれ落ちると直ぐ、母親の乳首を探します。お母さんのお腹の上に乗せてやるとずれ上がってきて、ちゃんと乳首に到達します。また、生まれたときに最初に世話をしてくれた人になつきます。その人が見えなかったり、声が聞こえないと泣きわめきます。このように、生まれ落ちた時点ですでに、ものを自己と他者というふうに振る舞います。これは本能として脳の中に記憶されていることで、赤ちゃんが考えてやっていることではありません。

けれどもこの傾向はどんどん強くなり、私たちは、自己と他者、自分と他のものという二元的な考え方に深入りしていきます。元来、自分と対象物という見方をするところに執着が生まれ、欲の原因になります。自分のまわりにはいろいろな物があり、いろいろな人がいます。ところが一元的に見たらどうでしょう。二元的なものの見方になれてしまった人には、一元的にものを見ることは大変難しいのです。でも私たちは、科学の進歩のお蔭で、物事の本質をお釈迦様より少しはよく教え込まれています。

私たちは原子から出来ています。原子は動き回っているために、この物質の世界が成り立っているのです。この宇宙を原子レベルで見てみましょう。私のいるところは少し原子の密度が高いかも知れません。あなたのいるところも高いでしょう。戸棚のところも原子が密に存在するでしょう。これが宇宙を一元的に見たときの景色です。一面の原子の飛び交っている空間の中に、ところどころ原子が密に存在するところがあるだけです。

あなたもありません。私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません。一元的な世界こそが真理で、私たちは錯覚を起こしているのです。

このように宇宙の真実に目覚めた人は、物事に執着するということがなくなり、何事も淡々と受け容れることができるようになります。 これがお釈迦さまの悟られたことであろうと私は思います。もちろん、お釈迦さまが原子を考えておられたは思いませんが、ものごとの本質を見抜いておられたと思います。現代科学に照らしても、釈尊がいかに真実を見通していたかということは、驚くべきことであると思います。

心訳のさわり部分

すべてを知り
覚った方に謹んで申し上げます
聖なる観音は求道者として
真理に対する正しい智慧の完成をめざしていたときに
宇宙に存在するものには
五つの要素があることに気付きました

お聞きなさい
これらの構成要素には実体をもたないのです
形あるものは形がなく
形のないものは形があるのです
感覚、表象、意思、知識も
すべて実体がないのです

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No.525  2005.09.08

神と仏

「神様、仏様お助け下さい!」という言葉はお芝居等ではよく聞くところであります。世間一般には、神様も仏様も、西洋と東洋の名付けが異なるだけであって、本来同じものではないかと考えられていると思われます。

神と仏に関しまして仏教サイドの考え方は、田畑正久医師のお言葉を借りますと「浄土教(日本では浄土宗、浄土真宗)での阿弥陀仏は、人間を支配したり、人間に罰をあたえたりする神とは違って、明るい智慧とあたたかい慈悲ですべての人を救い、真実の生きがいと生き方を教え、そして種々の束縛(外なる物、と内なる物)からの解放を徹底的にあきらかにしてくださる“仏”です。自由自在に生きることの法則、これを仏法と言うことが出来ます」ということでありますが、私は、キリスト教の神様と仏教の仏様は、元来同一ではないかと思っております。キリスト教の教義を深く研究していませんが、イエス・キリストが至られたご心境とお釈迦様が至られたご心境に違いは無いと私は信じたいのであります。

イエス・キリストは、神様がこの世に遣わした実在の人であり、またお釈迦様も、仏様がこの世に遣わされた実在の人物であります。そして、お釈迦様は生きとし生けるものを慈しむ心を持たれていたといわれます。多くの経典から考えましてもそれは間違い無いところだと思います。一方、キリスト教の神様は、人間以外の生物は人間の為に創造されたと聞いておりますが、もし、キリスト教の根本教義が、その様な人間中心主義ならば、仏教の考えとは方向も次元も全く異なるものだと言うことになると思いますが、イエス・キリストが説かれる愛がそのような狭くて浅いものであるはすがないと思います。

私は、神も仏も、いずれも「宇宙の真理」、或いは「命を産み出し、命を維持し、やがては命を滅しさせ、また宇宙全体を動かし変化し続けさせる働き」だと思っております。そして、宗教は、その神様や仏様に帰依することを信仰心と言うのだと思います。そして、帰依するとは、他の一切の価値観を放棄することでありますとともに、仏教では、仏と一体の命に目覚めることでもあります。

現在の日本では「私は無宗教だ」とおっしゃる方が殆どでありますが、本当の宗教と言うものを教えられていないが故の現象だと思います。自分の命が何処から来て、何処に行くのかと言う、命の不思議に思い至るならば、どうしても宗教の門を叩かずには居られないのではないかと思います。欲望の赴くままに生きるだけの命ならば、他の動物と変わりがありません。神様や仏様に目覚めることが出来る人間と言う尊い命を是非とも大切にしたいものだと思います。


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No.524  2005.09.05

正信偈の心を読む―第二十講【依釈段(龍樹章)―@】

●まえがき
龍樹菩薩は、お釈迦様が亡くなられた700年後、現在の南インドに出現された聖者であります。
禅門が根本経典とされている楞伽経(りょうがきょう)というお経の中に、お釈迦様が、自分が亡くなった700年後に龍樹大士という聖者が現れて、自分の教えを相続し広めてくれると予言されたと言うこと記載されているそうです。これは後の人々による創作話しかも知れませんが、いずれにしましても、龍樹菩薩(梵語では、ナーガールジュナ)は、仏教八宗の祖師として仰がれ、大乗仏教を興された中心人物であったことは間違いないところであります。

龍樹菩薩は、多くの書物を遺されていますが、仏道には難行と易行があると言われて、易行即ち念仏によってのみ一般の人間は救われるとされた龍樹菩薩を親鸞聖人は浄土門の第一祖として称えられたのは当然のことだと思います。

今日の内容は大変難しいものでありますが、取り敢えずは、龍樹菩薩は、お釈迦様の教えを学問的に研究し、私達在家の凡夫が救われる大乗仏教を確立された重要な方であると共に、親鸞聖人の浄土真宗の生みの親でもあると言うことを知って頂ければよいと思います。

●(龍樹章)原文

釈迦如来楞伽山(しゃかにょらいりょうがせん)
爲衆告命南天竺(いしゅごうみょうなんてんじく)
龍樹大士出於世(りゅうじゅだいじしゅつおせ)
悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)
宣説大乗無上法(せんぜつだいじょうむじょうほう)
證歓喜地生安楽(しょうかんぎぢしょうあんらく)
顕示難行陸路苦(けんじなんぎょうろくろく)
信楽易行水道楽(しんぎょういぎょうすいどうらく)
憶念弥陀佛本願(おくねんみだぶつほんがん)
自然即時入必定(じねんそくじにゅうひつじょう)
唯能常称如来号(ゆいのうじょうしょうにょらいごう)
応報大悲弘誓恩(おうほうだいひぐぜいおん)
●依釈段(龍樹章)和訳
釈迦如来楞伽山にして
衆の為に告命したまわく南天竺に
龍樹大士世に出でて
悉く能く有無の見を摧破し
大乗無上の法を宣説し
歓喜地を證して安楽に生ぜんと
難行の陸路の苦しきことを顕示し
易行の水道の楽しきことを信楽せしめたもう
弥陀佛の本願を憶念すれば
自然に即時必定に入る
唯能く常に如来の号(みな)を称して
大悲弘誓の恩を報ずべしといえり

●梅原眞隆師の意訳
釈迦如来が楞伽山にましまして楞伽経を説かれたとき、ひろく一座の大衆とりわけ大慧菩薩に告げたまうには、後の世、南天竺(現在の南インド)に龍樹大士という聖者が出現して、この世に行われる有無の邪見を打ち破って中道の真理をあらわし、大乗無上の法である弥陀の本願念仏の旨趣(ししゅ)を説き述べ、自身もこれを信じて、歓喜地の位にのぼり、安楽浄土に往生せられると説かれた。この懸記に応じて出現されたのが龍樹菩薩であらせられた。そして釈尊の懸記の通りに尊い使命を果たされた。すなわち難易の二道を分別し、弥陀の本願を憶念すると救われることを述べ、報恩の念仏生活を示された。

●梅原眞隆師の解説
親鸞聖人の念仏観即ち浄土真宗の念仏観をうかごうとき、人間の生活は少なくとも自然生活と理性生活と聖化生活と三層の展開をとげてゆくものである。そしてその第一層の自然生活とは自然の価値の実現を試みてゆくものであって、禍を転じて福となすことによって人間を生かそうとする生活である。第二層の理性生活とは理性価値の実現をなすものであって、悪を廃して善を修するところに人生の意義を見出そうとするものである。第三層の聖化生活とは聖という至上最高の生命価値の體證によって本質的に人生を生かそうとするものであって、宗教の救済とはこの聖化にほかならないのである。しかも、人間はひさしくこの真実の宗教に目覚めることがなくて、永い間権化の小路に惑い、邪偽の陥穽(かんせい、落とし穴)に陥っていた。

すなわち自然生活では自然的宗教をあらわして転禍生福を救いとなし、理性生活における道徳的宗教乃至合理的宗教は、人間の解行によって相対的な統一のうちに救いを見出そうとしたのである。しかし親鸞聖人はこれを批判した。自然生活に救いをもとめるものは邪偽の宗教であり、理性価値によって救いを見出そうとするものは権化(ごんけ、仮)の宗教である。そうして、聖化生活における本願の高次的統一こそは真実の宗教であることを宣明した。

こうした生活の重畳的展開につれて宗教における救済の意味もまた進化し分化してきたのである。従って宗教の本質である念仏もまたこれにつれて純化してきたのである。

第一層の自然生活における念仏は魔呪的な念仏であった。蓋し、自然生活においては自然価値の実現を幸福といい、これに反するものを禍害という。この禍害を去って幸福になることによって救いを見出す次第であるけれども、それは到底不可能なことである。そこで、自然の法則を無視した魔力にたよろうとした。この魔力の幻影を神とか天とか名付け、これらの神々に祈願することによって現世の幸福をつかもうとするのである。

次に第二層の理性生活における念仏は観念の念仏、滅罪の念仏としてあらわれた。けれども、観念の念仏は仏を相対的な思想において捕捉しようとするものであるから生命を失い、また滅罪の努力は相対的な統一を求むるものであるかぎり絶対の安住は求められない。念仏は相対的救済の手段ではなく、絶対救済の表示であることを開顕せられた親鸞聖人は、ここにはじめて聖化生活の高次的統一を體認せられたのである。

念仏はわれら衆生が如来を求めてゆく声ではなくて、如来がわれら衆生を喚びたもう救済の名号であるとき、われらはただこの救いの名号を聞信するところに救いが見出される。われらがこの名号を行ずることは何等の律法的な条件としての意味があるのできなく、如来の慈悲をうけて生かされてゆくものの姿である。そこで、念仏は如来の名告であり如来の召喚であるから、それらの立場からいうときはただ感謝である。喚びたもう御声は如来の大悲である。この御声を聞いて 称える念仏は、大悲の佛恩を領納する報恩の念仏である。

この報恩念仏まで純化されて、念仏がすべてのはからいを離れ、あらゆる概念と律法の殻を破って真実の生命に触れるのである。報恩の念仏を報酬を求める相対的な功利の立場に誤解するようなことは、宗教の妙趣を解しないものが、言葉にとらわれて戯論を弄んで居るにすぎないのである。恩に報ゆるは恩を受くること、恩を感ずることは自ずから恩に報ゆることになる。これを説破されたのが、今偈の「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」の鑽仰である。

わが親鸞聖人は如来に帰依し合掌して念仏したもう龍樹菩薩の心持を洞察されたのである。そうして、こうした念仏の表現はただ龍樹菩薩だけのことでなくて、実は三国の七高僧すべての念仏の領解である。そのまま、わが親鸞聖人の念仏したもう敬虔な心持の表示である。先哲がこの二句を注意して教行信証の眼晴であると云ったのは、まことに適切である。和語の御本典であると崇重せられる三帖和讃の巻頭に「弥陀の名号となえつつ、信心まことにうるひとはは、憶念の心つねにして、佛恩報ずるおもいあり」と讃頌せられたことをみても、この報恩の念仏ということが、いかに重要な意味を蔵しているかということがうかがえる。

●あとがき
あの鎌倉時代に、親鸞聖人がどのようにして龍樹菩薩の難しい書物や楞伽経などという経典を勉強されたのでしょうか。驚き以外のなにものでもありません。ご自身が救われたいという強い願いがあったことは勿論でありましょうが、大乗仏教の精神を受けられて、自分だけではなく、皆と共に救われたい、また私達のような後の世の者にも思いを馳せられて、あらゆる困難にもめげずに勉強され、著述作業に没頭されたのだと思います。

この親鸞聖人のご努力を思う時、やはり、弥陀の本願を感じずには居られませんが、親鸞聖人の偉業は、この他力の本願を信ずることを浄土の真宗の要であり、また、称える念仏は、他力から の私達を護り、呼び寄せる召喚の声であり、決して、私達が念仏を称えて、その念仏の力で救われると言うものではないことを明らかにされた点にあります。

そういうことを考えますと、親鸞聖人がこの国に現われなければ、念仏の本意は、私達に伝わらなかっただろうと思うことであります。


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No.523  2005.09.01

政治の役割

衆議院の総選挙が始まりました。今回は小泉首相の政治手法が大きな話題を呼び、世の中の関心はこれまでになく高いようであります。郵政民営化の是非を問う小泉自民党と年金を含む社会保障のあり方を争点としたい岡田民主党が政権を賭けての激しい論戦を展開しているところでありますが、9月11日の投開票の結果、たとえ小泉自民党が過半数の議席を獲得したとしても、郵政民営化法案が再び参議院で否決される可能性も高く、年末に向けて政治の混乱は続くものと思われます。

さて各党首が演説の中で、「国民の幸せの為に・・・・」と言う表現を無意識に使い、私達も抵抗感無く聞いておりますが、政治の本来の役割・目的は「国民の幸せの実現」なのか、「幸せは宗教心無くしてあり得ない」と考えている私は、フト疑問を感じるのであります。

現在の日本における政治の役割は、次のようにまとめられています。
  第一に国民を飢えさせないこと
  第二に国民の安全を保障すること
  第三に次世代を担う国民に適切な教育を施し、第一、第二の継続性を保つこと
経済政策も外交政策も、すべては上記の三つを達成させるための手段である。

と言うことは、政治の役割は幸せの実現ではなく、生きて行くために必要な衣食住を保障し、生命の安全を保障することにあると言うことになります。そして、幸せは、個人個人が夫々の信条に随って獲得すればよいと言うことなのだと思われます。政治と宗教を分離している現在の日本では、致し方ない考え方だとは思います。

しかし、歴史的にみますと、政治は国民を幸せにすることが最大の目的であったと思います。そして、殆どの政権は、宗教と何らかの結び付きを持ち、利用もして参りましたし、宗教儀式を重んじつつ宗教教育を施していましたが、敗戦後の日本国憲法で、政治と宗教を分離することになり(政教分離)、学校教育において、幸せとは何かと言う事や宗教とは何かと言う事さえ語られなくなり、教育者も政治家自身も「本当の幸せに無関心になってしまった」と言うのが現状だと思います。特定の宗教団体を母体とする政党の党首すら、行政改革と経済政策で国民を幸せにすると宣伝していることはまことに嘆かわしく思います。

私は戦後の政教分離の憲法が、今日の、弱肉強食の日本へと変貌させたのではないかと考察しています。「自分一人で生きているのではない、他からのあらゆる恵みの中で生かされている」だから、「人間は、自分の利だけを考えず、他を利する事を第一に考え行うことが大切」と言う宗教観を教育に取り入れる国にならなければ、どんな立派な政治改革も、国民を幸せにすることは決して無いと思います。

この6年間、1年間に約4千人の中小企業経営者が自殺をしていると言う統計があります。1日に11人ずつ自殺していることになります。経済的に行き詰まっての自殺だと思われますが、本当は、人的関係の行き詰まりではないかと思います。困っている人を助けない、むしろ困っている人を狙って闇金融業者が動きます。私にも高利貸し金融業者からダイレクトメールが頻繁に届きます。これは、銀行からの融資の返済条件を変更した企業はブラックリストに掲載されて銀行間の共有情報とされ、それが、どう言うルートでか高利貸し業者に流れているからであります。弱者をとことんいじめ抜いて自殺に追い込む弱肉強食の社会は、政治が作り出し、そして放置されているものだと思います。

こう言う社会は、郵政民営化を断行しても、他の行政改革を行っても、改善されるものではありません。本当に国民を幸せにするのが政治の目的・役割と考えるならば、政教分離の憲法を適切に見直す事から始めなければ、やがてこの国はアメリカの一州に隷属されてしまうのではないかと思います。

党首達の「国民を幸せにするのは我が党だ」という選挙演説を聞きながら、本当の政治の目的・役割、本当の国の改革について、フト考え込んでしまった次第であります。そして、一票を投じたい政党は無いなぁー、かと言って、棄権もしたくないなぁーと、悩ましい10日間になりそうです。


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No.522  2005.08.29

正信偈の心を読む―第十九講【依釈段(総讃)】

●まえがき
今回から、依釈段に入ります。依釈段は、親鸞聖人が浄土門の先達として尊敬されたインド、中国、日本の高僧方七師を讃嘆されたものであります。 親鸞聖人の直接の師は法然上人(源空)でありますが、法然上人からお釈迦様まで遡るまでに、法然上人を含めて七師があり、浄土真宗では七高僧(しちこうそう)とよばれています。

依釈段は、その七高僧お一人お一人を讃嘆された七章に分かれており、龍樹(りゅうじゅ)章、天親(てんじん)章、曇鸞(どんらん)章、道綽(どうしゃく)章、善導(ぜんどう)章、源信(げんしん)章、源空(げんくう)章があり、最後にまた、結勧(けっかん)で締めくくられております。

正信偈全体がそうでありますが、親鸞聖人は、浄土真宗の開祖と言う意識は全く持っておられません。一人の念仏者として、七高僧、そしてお釈迦様、そしてこれらを世に出生される他力としての阿弥陀仏に帰依しようではないかと言う表白をせられたのであります。

●依釈段(総讃)原文
印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)
中夏日域之高僧(ちゅうかじちいきしこうそう)
顕大聖興世正意(けんだいしょうこうせしょうい)
明如来本誓応機(みょうにょうらいほんぜおうき)

●依釈段(総讃)和訳
印度西天の論家、
中夏日域の高僧
大聖興世の正意を顕わし、
如来の本誓機に応ぜることを明(あか)す

●大原性実師の意訳
インド西域の論主方や、中国日本の高僧達は、釈迦如来がこの世に出現されたご本意を顕わされ、弥陀如来の本願は全く根機相応のものであることを明らかにして下さいました。

●梅原眞隆師の解説
「印度西天の論家」とは、西のかなたのインドに出現せられた龍樹(りゅうじゅ)と天親(てんじん)の二菩薩であり、「中夏の高僧」とは、支那(今の中国)に降臨せられた曇鸞と道綽と善導の三先達であり、「日域の高僧」とは、日本に誕生せられた源信と源空(法然上人)の二宗師である。この三国の七高僧は、大聖釈尊が出興して宣説せられた仏の根本義は「弥陀の本誓」であり、「弥陀の本誓」こそ人生を真実に生かす大道であることを示されたのである。

●あとがき
お釈迦様、そして七高僧の法脈によってご自分にまで至り届いた浄土の真宗の教えを思う時、親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願力を確信せずには居られなかったものと思います。後代の私達も、更に、鎌倉時代以降、今日に至るまでに、蓮如上人を始め、多くの高僧方のお蔭で、親鸞聖人の教えに出遇うことが出来ております。この事実は、他力の本願以外の何物の働きでは無いと思われます。

そう言う気持ちを確認しながら、進めていきたいと思っております。


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No.521  2005.08.25

駒大苫小牧の不祥事について

夏の高校選手権大会の2連覇を成し遂げた駒大苫小牧は、57年振りの快挙である事からも、称賛されて当然のものだと思います。あの強豪と言われ、伝説的に語られる監督が率いたPL学園も、池田高校も、そして箕島高校も為し得なかった連覇でありますから、外の言葉は必要無いと言う程の快挙であります。

しかし、チームが凱旋した2日後、チームの部長の暴力問題が明るみに出ました。そして、優勝祝賀会的な行事は一切中止になったようであります。チームの部長と言いましても、年齢は27歳、いわゆる、中学校のスポーツクラブの顧問先生と言う立場ではないかと思います。世間を熟知出来ていない半人前の指導者であると言ってもよいと思います。未だ、世間のルールも含めて逆に指導される立場でもあったと私は考えます。問題は、むしろ部長個人にあるのではなく、学校全体の体質にあると思います。それは、この不祥事をその部長個人に問題が有ったのだと言う風に聞こえる校長や教頭の発言の無責任さと、何かを隠し通そうとする姿勢に教育者としての志が感じられないからであります。

私も、中学校と大学でテニス部に属し、何れもキャップテンを務めました。私達の年代では、学校のクラブのキャップテンは、監督の役割を持っていました。従いまして、クラブの成績を上げるには、それなりの苦労がありました。和気藹々(わきあいあい)では、決して強豪と言われるチームにはなれません。従いまして、どうしても、統制・強制が必要になります。私の場合も、不真面目に見えた部員、集合時間に遅れた部員に対しまして、暴力は振るいませんでしたが口の暴力は勿論、体罰としてかなりキツイ運動(グランドを何周とか、うさぎ跳びでテニスコートを何周とか・・・)を課した事を思い出します。

従いまして、今回、駒大苫小牧の野球部長が暴力に至る気持ちは充分理解出来ます。100名近い、数十人にのぼる野球部員が居れば、それぞれに色々な性格を持ち、表現力も異なりますでしょう。ミスして、照れ笑いをする子も居れば、ミスしたら、途端にしょげかえる子もいるでしょう。指導していると、叱る事(愛情を持って指導する)と怒る事(単に、一時的な感情に依る事)が異なるとは頭で分かっていても、どうしても感情で怒ってしまう事になると思います。

暴力はいけない事ですが、程度の問題だと思います。過度に行って体を傷つけ、体罰を超える暴力は控えるべきでしょう、おそらく、全国の高校の野球部でも、バットでお尻位は叩いているに違い有りませんし、それ位は許されるのではないでしょうか?今回、体罰を受けた部員の父親が抗議したと言う事は、体罰を超えた暴力であった可能性が高いと思われます。

体罰を超える暴力は勿論問題だと思いますが、それよりも、学校側の姿勢・処理に大きな問題があると言わねならないと思います。報道から窺がい知る限り、報告を遅らせたこと、報告内容に部員側が異議を唱える部分が多いこと、責任者(校長、監督)としての反省の言葉が聞かれないことは、連覇の偉業を消したく無いと言う気持も分からない訳ではありませんが、教育者だけに、疑問を感じざるを得ません。

まして、今回の暴力問題は、明徳義塾高校が部員の暴力行為と喫煙行為の発覚による出場辞退があっただけに、日本高野連の裁定は難しいものと推察しています。世間一般の見解は、明徳の場合は、部員の不祥事であって、駒大苫小牧の場合は「生徒には何も問題が無かったから、優勝を取り消すことだけは避けて欲しい。連帯責任を問うのは如何かと思う」と言う方が60%だそうですが、私は、部長先生だけに有った暴力行為ではなく、校長を始めとして、監督・コーチングスタッフ等を含めて、駒大苫小牧野球部全体がそう言う体質にあったのではないかと思いますので、駒大苫小牧側としては、個人の問題とせずに、厳しく自己(自分の学校の指導の有り方)を問い直した反省の弁があるべきだったと思います。

しかも、駒大附属苫小牧高校は、禅宗である曹洞宗、即ち道元禅師の教えを拠り所にされています。道元禅師の教えに、「仏道を習うとは、自己を習うなり、自己を習うとは自己を忘るるなり、自己を忘るるとは、万法に証せらるるなり」と言う有名なお言葉があります。万法に証せらるるとは、真理に素直に従うと言う事であります。優勝返上と言う事態は、色々な問題があり、また多方面への影響が考えられますが、駒大苫小牧高校側としてのとるべき姿勢・態度は、先ずは自らの意思として優勝の返上を高野連に申請することだと思います。そして、反省の意を世間に伝えるべきだと思う次第であります。

その後は、高野連と世間の裁定に従えば良いのではないかと思います。優勝メンバーの球児達に責任は無いと言われ、優勝返上は可哀相だと言う意見があります。私もあの苦しく厳しい5試合を乗り越えて全国優勝を勝ち取ったメンバーの顔を思い浮かべる時、気持ちは揺れ動きますが、たとえ優勝返上と言う高野連の裁定が出ても、彼等の今後の人生に、決してマイナスだけではなく、暴力の不当性、正邪とか善悪に関しての世間の厳しさ、そして組織の有り方、目的と手段の有り方等・・・若くして多くの学びが財産として残るのではないかと、私は思います。

ただ、高野連が裁定には頭を、そして心を悩ませることは間違い有りません。


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