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No.570  2006.2.13

正信偈の心を読む―第40講【依釈段(善導章)―完】

●まえがき
今回で、善導章の勉強は終わりますが、親鸞聖人に取っての善導大師は、親鸞聖人ご自身が師と仰がれていた法然上人が浄土宗の祖として崇められた方でありますから、それだけで讃嘆されるに十分なお方であります。しかし親鸞聖人は法然上人を通して善導大師の存在を知られたのだと思われますが、親鸞聖人は善導大師の教えによって、はじめて金剛の信心を獲られたのではないかと思います。梅原眞隆師もそう思われたのではないかと言うご説明が残っておりますが、それよりも何よりも、「善導独明仏正意」の句に親鸞聖人の万感の感謝の想いが託されているのではないかと思います。

そして、側近のお弟子だった唯円坊が歎異抄第2章に,「弥陀の本願まことにおはしませば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおはしませば善導の御釈虚言したまふべからず、善導の御釈まことならば法然のおほせそらごとならんや、法然のおほせまことならば親鸞がまふすむねまたもてむなしかるべからずさふらう歟(か)」とありますように、釈尊から善導の御釈に一挙に飛んでいる事に、「善導独明仏正意」と呼応するところを感じる次第であります。

親鸞聖人が善導大師の教えの中で一番感銘を受けられ、一生をかけられて説かれた事は、阿弥陀仏の本願は、私たち凡夫が救われる為にあると言うことだと思います。はっきりと言うならば、この末法の世の中では善人と言われる者も自力聖道門では救われない、他力浄土門でしか救われないのだと確信されたのだと思います。そして、法然上人は、善導大師の念仏三昧と目を上げて女人を見ないと言うハードな部分を大切に受け継がれたようですが、親鸞聖人は、念仏の因となる信心をより大切にされたのだと思います。

光明名号が縁と因となって正定聚の位に乗ずるのであると言うことですが、名号即ち南無阿弥陀仏が因となると言う事は、今の私の受け取りでは、南無阿弥陀仏の名号それ自体が因ではなく、阿弥陀仏の本願を信じる心を表わすのが名号でありますから、信心が因となると言う事ではないかと思っています。理屈っぽくなってしまいましたが、現在そのように考えております。

●依釈段(善導章)原文
善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶつしょうい)
矜哀定散与逆悪(こうあいじょうさんよぎゃくあく)
光明名号顕因縁(こうみょうみょうごうけんいんねん)
開入本願大智海(かいにゅほんがんだいちかい)
行者正受金剛心(ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん)
慶喜一念相応後(きょうきいちねんそうおうご)
与韋提等獲三忍(よいだいとうぎゃくさんにん)
即証法性之常楽(そくしょうほっしょうしじょうらく)

●依釈段(善導章)和訳
善導独り仏の正意を明らかにし
定散と逆悪とを矜哀(こうあい)し
光明名号の因縁を顕したもう
本願の大智海に開入すれば
行者正しく金剛心を受け
慶喜一念相応の後
韋提と等しく三忍を獲(え)
即ち法性之常楽を証せしむ

●大原性実師の現代意訳(全文)
善導大師は、ただ独り仏(お釈迦様)の正意を明らかにして、定善散善というような善機の者も、五逆十悪というような悪機の者も、何れも如来は憐れまれて、光明と名号の御因縁によってお救い下さるのであるとお示し下さいました。 ご本願の広大な思し召しにかなえば、行者は必ず堅固な信心の人となり、韋提希夫人(いだいけぶにん)と等しい喜びを感じ、安堵の想い、決定(けつじょう)の心を得、やがて常楽我浄の涅槃の證りを開くことが出来ると仰せられた。

●梅原眞隆師の解釈(全文)>
善導大師は浄土教に関する古今の学者と趣を異にして、独り佛(お釈迦様)の正意を明らかに会得せられ、仏道に帰しながらも定善・散善の出来る善機だけにとどまらず、未だ仏法に心がけぬ五逆や十悪の悪機をも憐れみて、凡夫のまま救われる云われを示された。その救いは、名号は因となり光明が縁となる次第をあらわされました。そして本願の佛智をひらいて帰入せしめたまい、われら行者が正しく金剛の信心をまうけにして、救いをよろこぶ慶喜の一念に本願の旨趣にかなうとき、かの観無量寿経の会座で救われた韋提希夫人(いだいけぶにん)と同じように喜・悟・信の三忍をいただき、やがて法性真如の證りを開いて、常楽我浄の涅槃に住することが出来ると仰せられた。

●暁烏敏師の解説
慶喜一念相応の後
とは、前句の金剛の信心が得られると自ずから喜びが出て来たら、と言うことであります。堅い信心に慶喜の一念が相応した(相応じた)後には、と言うことであります。
韋提と等しく三忍を獲(え)
三忍とは、喜忍・悟忍・信忍のこと、韋提とは、韋提希夫人(いだいけぶにん)のことです。韋提希夫人は、釈尊の説法を聞いて、喜忍・悟忍・信忍の三つの心を得られた。忍とは心の据わりである。喜忍とは、阿弥陀仏を念じて歓喜の心を生ずること、悟忍とは、阿弥陀仏を念じて悟りを開くこと、信忍とは、阿弥陀仏を念じて正しい信心を得ることである。韋提希夫人はこの三つの喜びを得られたのである。

この『正信偈』の御文では「慶喜一念相応後」とある。喜びの一念がきざしてくると、そこに韋提希夫人と同じ心を獲る。喜・悟・信の三忍を頂くのである。韋提希夫人は、一人の子供阿闍世(あじゃせ)が提婆(だいば)という悪友に唆(そそのか)されたために、夫は牢屋で死なれ、自分も牢屋に入れられたと、愚痴無智の頂上におられた。苦しい絶頂にはいっておられた。その心がお釈迦様の教えによって助かった。そしてそこに喜・悟・信の三忍を得られたのてあります。

この悟忍というのは、真宗は悟りの宗旨ではないと、よく聞きもし、言いもするが、親鸞聖人の御和讃に、悟りと言われたのがある。信心というのはやはり悟ることだ。喜忍も悟忍も信忍も 一つの味わいである。喜びと悟りと信とが一つになる。信の上に喜びがあると、ものにこだわらなくとも色んな事をさっさと流してやれる。だから悟りである。事の真相が分かる。だから信心の一つの相は悟りを開くことである。聖道門は悟りを開いて仏になる道であるが、信忍のように心が開くなら愚鈍でなくなる。確かな心が出来ると明るく照らされる。それが悟りである。その証りは韋提希夫人と同じ証りである。そうなると、最後の句に言われる通りになる。
即ち法性之常楽を証せしむ
法性とは、法の本性である。法は宇宙の真実の道理、天地の間の大道理が法である。大道理そのままを仏がお説きになったものが法である。その法の性質、法の本性は、どのようなものであるか。常楽である。常は常(つね)、楽は楽しみで、天地の大法は本来楽しいものなのである。
我々がこの世に生まれて、朗らかに楽しい日暮しをするのは当たり前である。苦のないようになっている。心配しなくて良い様になっている。それを苦に病み、心配してまごまごしているのは、何かそこに曇りがあり、無理があるからである。手造りの道理理屈を挟んでいるのである。それは雑行雑修自力の心である。我々が自力の心で処理しようとしている。それによって闇が出て来る。それによって痛みが出て来る。そういうものを皆払い去られ、捨て去られると、そこに法の性がそのままに出て来るのである。法の性は楽しいものである。何かに妨げられるから苦しいのである。妨げを取ってみれば、天地の大法それ自身が楽しめるのである。「法性之常楽を証せしむ」とはそういうことである。

●あとがき
善導大師の特筆すべき教えと言いますか、証りと言うのは、十悪・五逆の凡夫も阿弥陀仏の本願によって救われると言うところにあると申してよいと思います。
この善導大師の仰せが親鸞聖人の「悪人正機説」、歎異抄第3条の「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや・・・・・」と言う有名な言葉に顕されて行く訳であります。

親鸞聖人の教えを聞きこんで居られる方々には既に常識ではありますが、悪人が救われると言う事に関しまして、世間一般には誤解があるように感じる時がございますので、少し、付け加えたいと思います。悪人が無条件に救われるのではないと言うことであります。たとえば、極最近のマンションの耐震強度偽装事件の真犯人、ライブドア事件の首謀者は世間的悪人でありますが、この悪人が上述の歎異抄第2条の冒頭の悪人とは全く次元が異なります。救われる悪人の前提条件は、煩悩に満ち満ちた凡夫であると(親鸞聖人のお言葉をお借りするならば、煩悩具足の凡夫であると)深く省察して、阿弥陀仏の本願を信じたならば、と言うことだと申してよいのではないかと思います。

言葉に書き表しますと上述の様にならざるを得ませんが、信心の世界はもとより100%論理的に説明し得るものではないと思います。しかし一方、信心の世界もやはり私たちの頭脳とか心の作用の中で生じる事であることもまた間違いないと思いますので、上述の理屈をお許し頂きたいと思います。

親鸞聖人が如何に善導大師の教えに傾倒されていたか、歎異抄に如実に現われていると思います。 しかし一方、その善導大師が直接の師である道綽禅師、そしてその道綽禅師が師と仰がれた曇鸞大師、そして天親菩薩、龍樹菩薩、そして釈尊、そして、釈尊をこの世に送り出した力としての阿弥陀仏の本願力まで遡られまして正信偈を書き残されたことは本当に有り難いメッセージだと思います。


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No.569  2006.2.9

一切皆苦(いっさいかいく)

仏法はお釈迦様がお悟りになられた法であり、仏教はその法を言葉で表わした教えであります。お釈迦様はお悟りになられて後の45年間インド各地を廻られて法を説かれたそうでありますが、その法話を聴いたお弟子さん達は口伝えでお釈迦様の教えを後代に継承し、お釈迦様が亡くなられて百年経った頃に、お坊さん達が一堂に会して(結集、けつじゅうと言います)経典を編集されたそうであります。学問上には色々な説がありますが、文字化された経典に仕上げられたのは、お釈迦様が亡くなられて、300〜400年後の事ではないでしょうか。

そして、私達日本人が手にした経典の主なものは、インドから中国に伝わった経典を中国で漢訳された経典でありますから、私達が接する経典は、お釈迦様の教えそのものであるとはなかなか断定出来ないというのが正直なところだと思います。サンスクリット経典、パーリ語経典、チベット語経典から直接和訳されたものもあるようですが、それらに致しましても、お釈迦様が直接語られたものだということにはならないと思います。

しかし色々な経典を総合して、これはお釈迦様の教えを説いた経典だと判断しようと言う試みは西暦前から為されていたそうであります。そしてインドから中国に伝わった仏教も、色々な宗派に分かれ、偽(にせ)のお経もかなり製作されたようで、どれが本当の仏教かを判定する基準が必要だと言うことになり、採用されたのが、三法印、四法印といわれる、仏法の印(しるし)であります。三法印とは、「諸行無常(しょうぎょうむじょう)」「諸法無我(しょほうむが)」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」であります。そして、それに「一切皆苦(いっさいかいく)」を加えたのが四法印であります。

今日は、その四法印の一つである「一切皆苦」について考察してみたいと思います。「一切行苦(いっさいぎょうく)」とも言われるそうであります。「私達人間が感じるこの世のすべての現象は苦である」と言うことですが、無常や無我に付きましては、仏教以外の一般の人々にも無条件に受け容れられそうに思いますが、「一切皆苦」は、そうはいかないのではないかと思います。

苦があれば楽もあり、「苦楽はあざなえる縄の如し」とも申しますから、全てが苦だとは認識出来ないと言うのが一般的な見解だと思います。しかし、仏教は「一切皆苦」を法の印(しるし)であると考えます、何故でしょうか。

私は今も極めて深刻な経済的苦境を目の前にしております。経済的苦境は2000年の7月から始まったのでありますが、どうやって乗越えようか言う大きな波は、2年毎に押し寄せて来ています。2002年、2004年、そしてこの2006年も、毎年当てにして来たある注文が激減する事になる一方、元金据え置き猶予措置を受けていた家の住宅ローンが4月から元に戻されることになっており正念場の2006年になりました。これまでの2回の波は不思議に何とか凌いで来れましたが、今度は・・・と思うと、正直なところ大きな苦悩であります。

私のは経済的苦悩ですが、私の知人には不治の病、死を覚悟しなければならない病と闘っておられる方が数人居られます。経済的な困窮による自殺者が増えていますように、お金の無い苦労は本当に辛いものでありますが、死と比べればどうでしょうか。「死んだ方がまし」だと自殺する方がいますから、何とも言えませんが、今もし、私が癌を告知されたと致しましたら、多分、お金の心配よりも癌告知で頭が一杯になるのではないかと想像します。やはり死が目の前に見える形で現われたなら、こんな大きな苦悩はないと思います。

また、人間関係がうまくいかない事もこれまた苦しいものであります。気の合わない人と同じ家に住まねばならない、癖の悪い家庭と隣合わせであるとか、異常な人物が近所に居る、或いは気に食わない上司の下で働かねばならない、職場や学校で嫌がらせや虐めにあっている等など、人間関係上の苦悩はこれまた大きなものであります。人間関係が原因で病気になる場合もあり、自殺に至る場合さえございます。

年寄りの孤独死、老老介護(老人が老人を介護する)等など、全ての苦を列挙し切れはしませんが、苦は至るところにあります。 こう世間の苦を眺めますと、確かに「人生は苦だな」と思いますが、しかし、これらの苦悩は、水野弘元氏(元駒澤大学副学長)の説明によれば、「壊苦(えく)という精神的苦であり、これは欲望や期待が満たされないことによって起こるのであって、かなり個人的主観的なものであり、欲望や期待が多く激しければ激しいほど、それが充足されない場合の苦悩は大きいのである。しかし欲望や期待は気の持ち方に依るものであって、気の持ち方を変えさえすれば、欲望や期待は即座に小さくなり、それが得られなかった苦悩も即座に解消することがある」と言うことでありますから、苦は至るところにありますが、それを以って、人生一切皆苦だとは断定出来ない様にも思えます。それに、人生を振り返りますと、時間が解決してくれて、いつの間にか苦悩が解消して平穏な日々に戻ったことだって確かにあったように思います。幸せを感じた日々だって皆無ではありませんでした。

そう振り返りますと、人生は決して一切皆苦ではないように思えるのですが、何故仏教は、一切皆苦を法の印とするのでしょうか。多分それは、仏陀から我々凡夫の人生を眺めますと、人生は苦だとしか感じられないからだと思います。或いは、仏陀から見られて「この世の現象・存在は無常だから、凡夫には苦である」としか見えないと言うことかも知れません。

昨年末のライブドアの忘年宴会での堀江貴文前社長は、「時価総額の世界一を目指すぞ!」と大気炎をあげて最高の幸せ者に見えました。まさか1ヶ月後に拘置所の独房に居ると言うことを予測し得た人は東京地検以外の人には居なかったでしょう。私達は根本的に無知でありますから、ある瞬間幸せだと錯覚してしまうのでしょう。「煩悩に支配されている限りは永遠に苦悩から離れられないのだよ」と言うのが仏陀の「一切皆苦」と言うご見解だと考えてよいのではないでしょうか。

私自身をあらためて振り返りますとき、現在の経済的苦境は、親の遺産を受け継いだが故に逆説的に辿り着いたものだと思っております。親の遺産がなければ、マンションから一戸建ての家には移らなかったでしょうし、脱サラもせず、会社を成立する事も無かったのではないかと思っております。勿論、今頼みの綱にしている特許も生まれてはおりません。特許が生まれていなければ、会社存続を早期に断念し、これ程の苦境を招かなかったとも思います。全てが現在の私の状況を現出させる縁となっている事を実感しているところであります。

従いまして、逆に考えますとこれからの私にも、同じ様に私には予測出来ない縁が一杯隠れているようにも思い、決して諦める事なく、今出来る事を精一杯やるのだと奮い立つ時もあります。それでもやはり、お金の苦労に心悩ませる時の方が多いのも正直なところであります。しかし、最終的には、この苦があるからこそ、こうして仏法を真剣に求めている、いや求めさせられて、この無相庵コラムを続けているのではないか、と言うのが私の心の落ち着きどころであります。

この一切皆苦を凡夫が認識することが、永遠に安心な静寂な世界への扉を開くことになるのだと思います。この苦境が、仏陀の、阿弥陀仏の本願の顕れだとも思うのであります。


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No.568  2006.2.6

正信偈の心を読む―第39講【依釈段(善導章)―C】

●まえがき
信心(信仰心とも、悟りの心とも言い換えられます)と言いますのは、禅門では人から人への面受によって伝えられるものだと言われます。浄土門ではあまりそう言うことを強調されないようでありますが、信心が人から人に面受によって伝わるというのは間違いの無いことだと思います。

かなり以前の方ではありますか、仏教哲学者として有名な亀井勝一郎と言う方がおられます。一度、母の主宰していた垂水見真会にも来られたことがございますので、尊敬申し上げていますが、その後何年か後に、どなたかが亀井さんに「あなたは惜しいな、あなたにはお師匠がおられないから・・・」と言われたそうです。亀井さんは、それにはお答えにならなかったようですが、研ぎ澄まされた哲学理論を表されておられますが、確かに、文面だけからではありますが、どこか物足りない観があるのは否めません。哲学がいわゆる信心にまで至られなかったのかも知れませんが、ご本人もそれで満足されていたのかも知れません。

信心を頂かれた人から直接教えを頂くという機会を持つということは、宗教を知識ではなく、信仰にまで至らしめたい場合には、とても大切なことなのかも知れません。仏教書よりも法話、法話よりも、面受が理想ではないかと思います。

私は母のお蔭で、幸いにも、浄土門に限らず、禅門にも多くのお師匠さまに恵まれました。親鸞聖人のお教えに付きましては、何と申しましても、井上善右衛門先生が直接のお師匠様です。学徳ともに無比のお方であり、今なお、ご著書を拝読させて頂いておりますが、お声が聞こえて来るように思いながら読ませて頂いております。

私は、井上善右衛門先生を通して親鸞聖人の教えを知りそして信じ、そのまた親鸞聖人は法然上人を通して善導大師、道綽禅師、曇鸞大師、天親菩薩、龍樹菩薩、そしてお釈迦様、更にお釈迦様をこの世に生み出した阿弥陀仏の本願に金剛の信を抱かれたものと思います。特定の人一人を信じ込んでしまいますと過ちも生じる事がございますが、そうではなくて、数千年に及ぶ信の世界を教えて下さっているのが、この正信偈を遺された親鸞聖人のお心だと思います。

●依釈段(善導章)原文
善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶつしょうい)
矜哀定散与逆悪(こうあいじょうさんよぎゃくあく)
光明名号顕因縁(こうみょうみょうごうけんいんねん)
開入本願大智海(かいにゅほんがんだいちかい)
行者正受金剛心(ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん)

慶喜一念相応後(きょうきいちねんそうおうご)
与韋提等獲三忍(よいだいとうぎゃくさんにん)
即証法性之常楽(そくしょうほっしょうしじょうらく)

●依釈段(善導章)和訳
善導独り仏の正意を明らかにし
定散と逆悪とを矜哀(こうあい)し
光明名号の因縁を顕したもう
本願の大智海に開入すれば
行者正しく金剛心を受け

慶喜一念相応の後
韋提と等しく三忍を獲(え)
即ち法性之常楽を証せしむ

●大原性実師の現代意訳(全文) 善導大師は、ただ独り仏(お釈迦様)の正意を明らかにして、定善散善というような善機の者も、五逆十悪というような悪機の者も、何れも如来は憐れまれて、光明と名号の御因縁によってお救い下さるのであるとお示し下さいました。
ご本願の広大な思し召しにかなえば、行者は必ず堅固な信心の人となり、韋提希夫人(いだいけぶにん)と等しい喜びを感じ、安堵の想い、決定(けつじょう)の心を得、やがて常楽我浄の涅槃の證りを開くことが出来ると仰せられた。

●梅原眞隆師の解釈(全文)
善導大師は浄土教に関する古今の学者と趣を異にして、独り佛(お釈迦様)の正意を明らかに会得せられ、仏道に帰しながらも定善・散善の出来る善機だけにとどまらず、未だ仏法に心がけぬ五逆や十悪の悪機をも憐れみて、凡夫のまま救われる云われを示された。その救いは、名号は因となり光明が縁となる次第をあらわされました。そして本願の佛智をひらいて帰入せしめたまい、われら行者が正しく金剛の信心をまうけにして、救いをよろこぶ慶喜の一念に本願の旨趣にかなうとき、かの観無量寿経の会座で救われた韋提希夫人(いだいけぶにん)と同じように喜・悟・信の三忍をいただき、やがて法性真如の證りを開いて、常楽我浄の涅槃に住することが出来ると仰せられた。

●暁烏敏師の解説
「本願の大智海に開入すれば」の開入≠ニは、開き入れる事。本願≠ヘ、阿弥陀仏の本願。大智海≠ニは、大きな智慧の海。阿弥陀仏の本願を、本願海(ほんがんかい)と言います。阿弥陀仏の本願は、大きな本願の海です。その智慧の海に引き入れられるということです。阿弥陀仏の本願は何故智慧なのでしょうか。善導大師は、本願を慈悲というより、むしろ智慧と味わわれました。勿論智慧の相が慈悲であります。慈悲の本体が智慧であります。仏様が明るい智慧をもって、暗い我々を照らして下さいます。それによって、私の胸に明るい心が生まれ、嬉しい心が生まれて来るのだと思います。そうしますと、この智慧が、慈悲の正体です。ただ可愛いと言っていては助かりません。いくら、あれは可愛い者だ、愛しい者だ、気の毒な者だ、と思っていても、それでは助けられません。可愛い心が実際になって、助けることが出来るのは、智慧でしかありません。

仏は何をもって衆生を助けられるのでしょうか、それは智慧であります。愚痴で悩んでいる者を助けて下さいますのは、智慧のお蔭であります。暗闇の者が助かるというのは、明るいところへ出さして貰うことであります。明るいところとは智慧であります。本願を海に喩えられるのは、海は広く、また色々の水が流れ込んでも、一つの潮水に溶かし込みます。それで海に喩えて、大きな智慧の海というのであります。光明名号の因縁を顕して、そして本願の智慧の海に入って行くのであります。

その智慧の海に入って行くときは、行者は正しく金剛の心を受けるのです。金剛とは、水にも溺れず、火にも焼かれないというところで、金剛と言います。堅固な心です。

信心すなわち一心なり
一心すなわち金剛心
金剛心は菩提心
この心すなわち他力なり
と親鸞聖人がご和讃で詠っておられますが金剛心とは、堅い心であります。本願の大智の海に入ると、その時に行者は正しく金剛心を受けます。実に味わいのある言葉です。受けるとは貰うことであります。お受けすること、お受けの信であります。お受けの信は、正受であります。私たちにはしっかりとした堅い心はありません。その堅い心はどこから出て来るのかといいますと、本願の大智海に入ると、私たちの胸に堅い信のお受けが出来るということであります。授けられる訳であります。
弥陀智願の広悔に
凡夫善悪の心水も
帰入しぬればすなわちに
大悲心とぞ転ずなる
ここには、金剛心を正受するとあります。正しく受け止めるとあります。信心を開発するのと、受けるのと両面あります。大智海の中に入りますと、阿弥陀仏の本願の中の水が、我々の心の中にすっと入り満ちて下さいます。その相が金剛心を正受するのであります。受け取るのであります。外から入り満つと言うことを、我々の手前から言いますと、お受けする、ただ頂くのであります。
自分で堅いことを決めたのなら壊れることがありますが、決めたのではないのですから、仏の心が我々の方にしみついて下さって、ここにたしかな信心が受けられるのであります。でありますから、崩れようがありません。その味わいを「行者正受金剛心」というのであります。

●あとがき
歎異抄第2条に、親鸞聖人の金剛の信があますところなく示されています。色々な疑問・疑念を持って関東から親鸞聖人を訪ねて上京したお弟子さん達に、愛情も込めながらも、しかし、きっぱりと信心の世界がどうあるべきかを示されていると思います。仏法を求める上での厳しい姿勢を問い直されているのだと、あらためて感じる次第であります。

正信偈のコラム読者さまには是非、今一度、この歎異抄第2条をお読み頂きたいと存じます。


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No.567  2006.2.2

親鸞聖人と空・中道思想について

私が親鸞聖人のお書きになられたご著書を読んだのは、月曜コラムで現在勉強中の正信偈と、正像末和讃(早島鏡正師の解説本を通して)だけであります。いつの日か親鸞聖人が理論的に書き残されたといわれる『教行信証』を勉強したいと思っていますし、その他、親鸞聖人の奥様であられた恵信尼のお手紙や、親鸞聖人が京都に戻られてから関東のお弟子方に送られたお手紙などに付きましても直接内容に触れたいと言う気持ちを抱いております。しかし、今まで勉強した限りでは、親鸞聖人が『空(くう)』と言うことに関して述べられたと言う著述には遭遇しておりません。従いまして,お釈迦様の教えの中心とも言える『空』思想に触れられていないことに付きましては、むしろ奇異に感じて参りました。一方で、顕教、密教の両方を教えとされている天台宗延暦寺におけるご修行中に般若経や般若心経にも目を通されたと考えるのは自然ではないかと思われますので、『空』思想に触れられていないはずはなく、親鸞聖人が敢えて「空」を論じられていない事は、親鸞聖人に何か明確なお考えがあったからではないかと思いを巡らして参りました。

即ち、お釈迦様が説かれた「無我(むが)」、後の大乗仏教では「空(くう)」、禅では「無(む)」と言い直された仏法の象徴的な言葉を、親鸞聖人は敢えて避けられたように私には思えます。仏教宗派の中で、唯一「般若心経」を仏前で詠むことに積極的ではない浄土真宗教団の姿勢は、そのようなところから出ているのかも知れませんが、親鸞聖人のご意図を十分汲んでおられた上のことなのかに付きましては、少々疑問がなきにしも非らずであります。

このコラムでこれまで何回かお伝えして参りましたが、親鸞聖人の教えに帰依していた私の母(浄土真宗教団の門徒ではありませんでした)は仏前で「般若心経」と「正信偈」を合わせて詠み上げておりましたし、私も母の教えの影響で、「正信偈」も「歎異抄」もお釈迦様の教えを受け継がれたものだと言う理解をしていました。そして現在も「般若心経」と「正信偈」を別の教えを説いているものだとは考えていません。

しかし、親鸞聖人が空思想に関しまして、どのようなお考えを持っておられたかに付きましては、知的興味と言う面では非常に強いものがございます。どなたかご存知でしたら、是非お聞かせ頂ければ有り難いと存じますが、先ずは私の推測を申し上げるべきだと思いますので、下記にその推測を述べさせて頂きます。飽くまでも私見でございます。

結論から申し上げますと、親鸞聖人は、「空」の考え方を「自然法爾(じねんほうに)」と言う熟語で語られたのではないかと思っております。「空」は「無我」、「縁起」、「無」とも言い換えられています。禅宗の「無(む)」は、勿論ゼロ≠ニか空っぽ≠ニ言う意味ではなく、「空」を中国の禅宗の言葉で言い換えたものであります。「無心」「無念無想」そして我が無相庵の「無相」も全く意味するところは同じであります。いわゆる主義を立てないのであります。民主主義であるとか、共産主義であるとか、相対主義であるとか普遍主義であるとか、そういう主義を立てないのであります。即ち何か一つの立場に立つものではなく、いずれの立場にも立たず、是々非々の立場に立ちます。極論致しますと、「空」「無我」と言う考えにも執着しないと言う徹底した「中道(ちゅうどう)」の精神がお釈迦様のお立場ではなかったかと思うのです。「空」が固定化して来た時には、更に「空もまた空」として空をも否定し、それが固定化・形式化すれば、それをもまた否定するというのが徹底した中道の精神であります。つまり固定化・形式化して自由度が無くなるとこれを打破して、生命ある流動的な空と為すというのが、本来の中道精神であります。

親鸞聖人が何故「空」に言及されなかったのかを推測致しますに、上述したように、「空」と言う固定概念化し易い考え方に固執してはいけないという事に気付かれたという事に加えまして、「空」とはどういう事かを頭で理解出来ても、親鸞聖人はそれが自己の救いとは成らなかったのではないかと思います。

「空(くう)」という事が何も無い≠ニかゼロ≠意味する事ではないと言うことは、無相庵を訪ねて来られる方は既にご承知のことだと思いますが、最近、生科学者としてのお立場で『死んで生きる智慧―心訳般若心経』と言うベストセラー著書を執筆された柳澤桂子女史は、『いのちの日記』と言う別の著書で、「般若心経とは宇宙と生命の科学的真理を説いているのであって、私たちの幻覚に気付かしてくれるお経である。ブッダは、この世の成り立ちの実相を正しく洞察していた。そして、その真実こそが「空」なのである。真実の自分に立ち返ることで、私たちは人間のこころの底に常に渦巻く苦悩や迷妄から抜け出すことが出来る。仏教には全く素人の私が、このようなことを書くと、専門家からお叱りを受けるかもしれないが、私は般若心経をそのように読み解いて、現代の言葉に置き換えた」と述べられています。仏道を歩む人には色々と段階があり、それぞれの理解・領解があって然るべきであり、専門家がそれは間違いであるとか、ましてや叱れるはずはありません。

柳澤さんは化学の専門的な見地から、この世に存在するものは全て粒子から形成されており、粒子の集まり方でたまたま色々な原子になり分子になりそして私たちに見える存在になり、また私達人間になっていると考えられたのだと思います。私は同じ化学者として、それは科学的に正しい見解だと思います。そしてその見地から「空」を悟られたのも理解出来ます。恐らく「ああ、そうだったのか・・・・」と、いわゆる眼から鱗(うろこ)が落ちる思いをされた一瞬が有ったのだろうと思います。そして、それはやはり一種の「廻心(えしん)」ではないかと思います。

しかし、これは仏道の第一歩を踏み出されたのでありまして、柳澤女史はこれから色々な経験を積まれまして、更に心境を進めて行かれるものと思います。そしてまたより深く般若心経を味わわれる時が来るのだと思います。禅門では、大悟、小悟が何回かあると言われます。柳澤女史の廻心が大悟か小悟であるかは外部の者には分かりませんが、心の転換を為されたことは確かでありましょう。

勿論「空」を理解するのと「空」を行じるのとでは、全く次元を異に致すものだと思います。自分以外の存在も自分自身も空でありますから、空なる自分が今現在この一瞬に在る事をとてつもなく尊い事だと自覚されて、自分をして自分たらしめている一切に報恩感謝の念が沸き出でて、報恩行をせずには居られないというのが「空」を行じると言う事だと思います。それが自然法爾なのだと言うのが親鸞聖人のご主張ではなかったかと私は思っております。

親鸞聖人は「空」を語られませんでしたが、「空」を行じられました。そして、その空を親鸞聖人ご自身に教えられたのは阿弥陀仏の本願のお働きによるものだとされ、全ては弥陀の誓願不思議に依るものだと報恩感謝されたのであります。これが親鸞聖人の信心ではないかと思っています。


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No.566  2006.1.30

正信偈の心を読む―第38講【依釈段(善導章)―B】

●まえがき
釈尊が皇太子と言う地位をすてられ、妻子を置いて出家されたのは、小鳥が虫を啄(つい)ばむところを見られて、他の生命を奪わねば我が生命を維持出来ないという自己の生≠ノある種の疑問を抱かれ、また誰の身にも訪れる老・病・死という不幸を見過ごすことが出来ずに、永遠の平安を求められたからだと言われています。29歳での出家でありました。

釈尊の出家の動機は作り話もあるのかも知れませんが、人生の儚さを感じられてのものであったことは間違いないものと思います。しかし稀代の宗教信仰者であり哲学者でもある親鸞聖人がどのような問題意識を持たれて仏法を求められたのかに付きましては明らかにはなっておりません。比叡山延暦寺にあずけられたのは9歳の時ですから、何かの問題を抱えて自らの意志で出家したのではないと考えるのが自然だと思います。そして仏法を真剣に求められるようになられたのは、多分自分の人生に思いを巡らし出し、また異性を慕わしく想う気持ちが芽生える思春期に入ってからだと思われますので、それは15歳以降のことだったであろうと私は推測しております。それから法然上人を訪ねられるまでの29歳までの14年間、どのような問題を抱え、どのような意識で仏法と向き合われていたのでしょうか。

延暦寺は天台宗のお寺ですから、座禅三昧・念仏三昧の修行を為されたはずであります。死をも覚悟して行われると言う千日回峰行はこの比叡山延暦寺のご修行でありますから、いわゆる聖道門のご修行を積まれたことでありましょう。29歳以前の親鸞聖人の苦悩がどのようなものであったかは文献でも窺えませんが、公家の子息が口減らしの為に僧門に預けられるのが当時の通例だったと云われており、その公家子息の栄達の如何は出身公家の階級によって決まると云われる当時の僧侶の世界を勘案致しますと、下級公家出身の親鸞聖人は自己の立身出世欲が満たされぬ想いと、その名誉欲を如何ともし難い煩悩の処理に苦悩されたのではないかと思われます。そして、当然、思春期なるが故の性欲にまつわる処理にも心を悩まされたことは否定出来ないと思います。

自己の欲望、そして、煩悩の処理を天台宗の修行によって乗越えようとされた親鸞聖人は、同僚の堂僧仲間以上に修行に励まれたに違いありませんし、また、延暦寺にあった経典の全て、そして聖徳太子のご著書、源信僧都の『往生要集』等も全て読破されたに違いありません。しかし、どうしても煩悩を滅することが出来ず悶々とされたことでありましょう。そして、難行苦行では煩悩をどうすることも出来ないことを悟られ、聖徳太子ゆかりの六角堂に100日の参籠に最後の救いを求められたようであります。

私は、この必死さが仏法を求める上では最も大切であると思います。必死さは人の心を動かし、難しい局面を打開する力ではないでしょうか。その結果と言ってもよいと思いますが、95日目に聖徳太子が夢の中に現れて、法然上人を訪ねられることになりました。

そして、「浄土宗は善導大師によって興った」と善導大師を崇拝されていた法然上人との出遇いによりまして、善導大師が説かれていた「十悪五逆の罪悪深重の凡夫が救われる道は、阿弥陀仏の本願に極まる」と確信され廻心(心を転換)されたのではないか、そう言う想いを表白されているのが、この正信偈の善導章だと私には思えます。

●依釈段(善導章)原文
善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶつしょうい)
矜哀定散与逆悪(こうあいじょうさんよぎゃくあく)
光明名号顕因縁(こうみょうみょうごうけんいんねん)

開入本願大智海(かいにゅほんがんだいちかい)
行者正受金剛心(ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん)
慶喜一念相応後(きょうきいちねんそうおうご)
与韋提等獲三忍(よいだいとうぎゃくさんにん)
即証法性之常楽(そくしょうほっしょうしじょうらく)

●依釈段(善導章)和訳
善導独り仏の正意を明らかにし
定散と逆悪とを矜哀(こうあい)し
光明名号の因縁を顕したもう

本願の大智海に開入すれば
行者正しく金剛心を受け
慶喜一念相応の後
韋提と等しく三忍を獲(え)
即ち法性之常楽を証せしむ

●大原性実師の現代意訳(全文)
善導大師は、ただ独り仏(お釈迦様)の正意を明らかにして、定善散善というような善機の者も、五逆十悪というような悪機の者も、何れも如来は憐れまれて、光明と名号の御因縁によってお救い下さるのであるとお示し下さいました。
ご本願の広大な思し召しにかなえば、行者は必ず堅固な信心の人となり、韋提希夫人(いだいけぶにん)と等しい喜びを感じ、安堵の想い、決定(けつじょう)の心を得、やがて常楽我浄の涅槃の證りを開くことが出来ると仰せられた。

●梅原眞隆師の解釈(全文)
善導大師は浄土教に関する古今の学者と趣を異にして、独り佛(お釈迦様)の正意を明らかに会得せられ、仏道に帰しながらも定善・散善の出来る善機だけにとどまらず、未だ仏法に心がけぬ五逆や十悪の悪機をも憐れみて、凡夫のまま救われる云われを示された。その救いは、名号は因となり光明が縁となる次第をあらわされました。そして本願の佛智をひらいて帰入せしめたまい、われら行者が正しく金剛の信心をまうけにして、救いをよろこぶ慶喜の一念に本願の旨趣にかなうとき、かの観無量寿経の会座で救われた韋提希夫人(いだいけぶにん)と同じように喜・悟・信の三忍をいただき、やがて法性真如の證りを開いて、常楽我浄の涅槃に住することが出来ると仰せられた。

●暁烏敏師の解説
「常散」というのは、定善と散善のことです。定善ということについては、「定善義」に委しく書いてありますが、妄想妄念を払いのけて、心を凝らして三昧の境に入ることです。これには、十三の観法がある。日想観・水想観・地想観・宝樹観・宝地観・華座観・像観・真身観・観音観・勢至菩薩観・普観・雑想観の十三です。こうしたいろいろのものによって静かに観念を凝らして三昧に入ることが出来ると、証りを得ることが出来るというのです。

散善とは、上輩観・中輩観・下輩観の三つです。この上輩というのは、大乗の菩薩の修行をしてゆく人のことであります。その中の人にまた、上品上生・上品中生・上品下生の三つの段階をつけてあります。中輩にも、上・中・下の三つに分けてあります。中品上生・中品中生の二つの段階は、小乗の根性を持った凡夫であります。中品下生の人は、世間一般の道徳を守る凡夫です。下輩というのは、罪悪の凡夫のことで、その中に又その罪の重し軽しによって、下品上生・下品中生・下品下生の区別がしてあります。

我々のような日暮しは散善です。ちょっとおおざっぱに分けますと、定善というと座禅でもくんで、戒律を守り、魚を食べず、目を上げて女人を見ない、というようなことと思います。が、形の上からいえば、これも散善であると思います。同じ善でも、心を清める善と、実際によいことをしてゆく善と二つあります。この定善・散善は、我々がやっていくこの修行の道です。善人の道です。人間には、この定善の機と散善の機と二つあります。

「逆悪」とは、五逆と十悪とです。五逆というのは、一に父を殺し、二に母を殺し、三に阿羅漢を殺し、四に仏身より血を出だし、五に和合僧を破る。この五つの罪です。十悪というのは、殺生・偸盗・邪淫の身体の三つの罪、妄語・綺語・両舌・悪口の四つの口の罪、貪欲・瞋恚・愚痴の三つの心の罪を犯すのが十悪です。常散といえば善根を植えて行く人のことですが、逆悪は悪人であります。『観経』の上上品から下下品までの機類に、いろんな人間があります。行儀のよい者悪い者、智慧のある者ない者、善といわれることばかりする人、悪といわれることばかりする人、などの機類があります。定善の人は道に明るい、悪をなさない人であります。

ところが善導大師は、散善の機の信心をお味わいになって、
    自身はこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来常に没し常に流転して出離の縁あることなしと深信す。
とおっしゃいました。善導大師は、身は罪悪生死の凡夫、五逆十悪の凡夫だとおっしゃいます。外から見れば、目に女人を見ず、悪いことを口にせず、常に念仏をしておられる高徳な身で、自分はまだ何も出来ていない。愚痴無智の身だとおっしゃいます。そうだとしたならば、その愚痴無智の身でおられて、善根功徳を積んでいる人を羨んでおられるのかというと、そうではありません。十悪五逆の罪人とは私のことだと発見せられました。その罪人の私が、念仏で救われる。

その助かる道は光明名号の因縁の外にはない。仏のお光を受けて無量寿になるのであると。光明名号の外に助かる道はないとおっしゃいます。常散の心では仏にはなれない。それを捨てなければならない。善いものを持っても行けないと。また悪いものを持っても行けないと。善いもの悪いものそれらをすっかり捨てて白紙になって、如来の光明の因縁によって助けて貰うのであると。 でありますから、そのお助けに対しては、悪も障りにならない、善も何の助けにもならない。常散の善もあてにはならず、逆悪も邪魔にならない。逆悪の心を持って行くのではありません。常散の心を持って行くのでもない。それらの心を全部捨てる、そうした心がすっかり投げ出されたところに、南無阿弥陀仏の光明のお助けがある、とおっしゃっているのであります。

我々は、何か一つすると、善いことをしたと言って善い気になりますが、それを静かに観察しますと、邪見驕慢の角(つの)を振りたてているのだと言うことが分かります。善導大師は、善いことをしようと思うことすら駄目だとおっしゃっているのであります。自分で計算を立てて、自分の手柄で参ろうとするから駄目なのであります。この自分の手が出ないようになって、自分の細工が出来ないようになって、いよいよ駄目だと投げ出されるようになりますと、はじめてそこに南無阿弥陀仏が現れて下さるのであります。

でありますから、光明のお手廻しには、そういう常散の二心は役に立たないと、善いことが間に合わないことを知らせられるのであります。それが分かりますと、「南無阿弥陀仏」と仏を呼び、仏に縋(すが)る心が自然と出るのであります。そこには明るい光があるばかりです。そこに出たならば、ただ光明の因縁にひかれて我々は浄土へ参ることが出来るのだと言うことが味わえるのであります。

●あとがき
善導大師独りがお釈迦様の本当の気持ちを明らかにされたと言う事に付きまして、梅原眞隆師の訳文では七高僧の中でただお独りと言う意味ではなく、善導大師と同時代の僧侶達の中でお独りと言う意味であるとされていますが、龍樹章、天親章、曇鸞章、道綽章と読んでまいりまして直後の一句が「善導独明仏正意」でありますから、インド・支邦の高僧方の中で善導大師ただお独りがお釈迦様の本当の気持ちを明らかにされたと言う意味に聞こえてなりません。

そう思いますのは、善導大師以前の龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師は、仏法を難行道と易行道に分けられたり、他力と自力に分けたり、聖道門と浄土門に分けたりはされましたが、十悪五逆の凡夫を救うと言うことまではおっしゃっておられないからであります。親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願とは、悪人こそ救わねばならない目当てである(悪人正機)とされましたが、それは、この善導大師のお言葉を根拠とされたと考えてよいと思います。

七高僧全てに尊崇の念を抱かれていたことは間違いないと思いますが、歎異抄には、お釈迦様、善導大師、法然上人のお名前があがっております。法然上人が善導大師を師と仰がれていたことが大きく影響しているとは思いますが、善導大師の十悪五逆の凡夫こそ救われるとされたお立場に親鸞聖人ご自身が救われたのではないか・・・・・そう言うお気持ちが、善導大師お独りが・・・と言う言葉に現れたのではないかと考えるのが自然だと思います。


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No.565  2006.1.26

堀江貴文君から学んだこと

私がライブドアと言う会社と堀江貴文と言う事業家を知ったのは、2004年後半に起きたプロ野球球団「近鉄バッファローズ」の買収に名乗りを上げた時が最初であります。そして東京小菅(こすげ)拘置所の独居房に収監される一昨日までの1年半の彼は、マスコミ注目の的、そして一般庶民の羨望の的でもあり、また更に、権力側がその勢いを借りる程の時代の寵児、時の人として日本社会に君臨して来ました。

33歳と言いますと、私の長男と全く同年齢であります。事業家として自他ともに認める失格者である私との差は一体何処にあるのかと、彼のお金を生み出して行く能力と、社長失格の我が身を引き比べて、厳しい自問自答をさせられた1年半でもありました。

その自問自答の結論は、私は事業をしてはいけない人間だったと云うことでした。製品を製造して販売する際の値段については、支払う側に立ってしまって世間一般よりも安くしてしまい、また従業員に労働の対価を支払うに当たりましては、貰う側に立ってしまって、会社の実力以上の待遇をしてしまう、会社にお金を稼がせて、会社を末永く存続させることには、結果的に意識が向いて来なかったと大いに反省させられました。しかし、今更後悔しても仕方ありません。これから挽回するには、取引に当たりましては、意識して適切な対価を支払い、また適切な対価を頂くように心掛けようと考え直している次第であります。堀江君のお蔭で、事業家としての誤りに気付かされたと思っております。そして、これは堀江君逮捕後の今も変わりません。

序(ついで)のお話として。
今回ライブドアの一般個人株主(22万人とも言われています)が、かなりダメージ(株価は、この一週間で、700円台から100台に暴落)を受けているそうですが、それに関連して、ある投資コンサルタントが、一般個人株主達は企業価値と企業の時価総額の違いについての認識が無いから失敗するのだと指摘していました。一般個人株主は、株式分割を利用して企業の時価総額を高めようとしたライブドアの意図を知らず、極端な人は、一株の元値を知らないまま、元値の100倍にもなっている株を、堀江貴文と言う青年社長に過度の期待と架空の価値を信じて買い求めたのだと思われます。

私は、ライブドアの固定資産額(主として不動産)を知りませんが、結局は、企業買収して得た株式資産だけが、企業価値ではなかったのではないかと推測されます。現金があったとしても、それを上回る借金(外資系金融機関、国内金融機関からの)があるに違いありません。昨日漸くストップ安が留まり、135円の値が付いたようですが、買収した企業の中には魅力ある実業を営んでいる企業があり、唯一その価値だけが、株価の落ち着きどころになるのではないかと言うことであります。

上述したコンサルタントは又、私達が買い物をする事も含めた経済取引≠ニいうものは、購入者がその商品や株が価値よりも安い価格と判断した時に買うものだともコメントされていました。買って得したと思わないと買わないと言う消費者心理を説かれているのだと思いますが、価値の評価は非常に難しい面があります。利用価値、転売価値(基本価値と名づけましょう)が主たる価値だと考えられますが、その他に付加価値と言う大切な価値があります。ブランド価値がその最たるものだと思いますが、この付加価値をどう付けて行くかが、企業側の頭の使いどころでしょうし、買う側も、本当の付加価値を見極めませんと、今回のライブドアのように、基本価値の100倍以上で買わされてしまう危険性があります。

資本主義社会で生きて行く私達は、買う立場でも、製造する側でも、販売する側でも、価値(基本価格+付加価値)と市場価格に関する考え方をしっかりと持つ必要があることを学ぶならば、今回の堀江君から多大な損害を受けた人々にも価値あるものとなるに違いありません。

さて、実は、これからが本論であります。

堀江貴文君に対する世論は、拘置所送りになったことで、功と罪に関する判定比率は、1週間前の99:1から1:99に逆転したものと思われますが、世間の法を犯していれば、司直の手で厳正に裁かれるものと思いますので、事情も分からない私達一般人がマスコミの流す憶測をまじえた、しかも不十分な情報をもとにして断罪してはいけないと思っております。

私は、自分の眼を堀江貴文君の犯した罪など、自分の外に向けるよりも、自分の内、即ち自分の心とか考え方に眼を向けるべきだと思っております。私だけではなく、国民全員が大きな見損ないをして、しかも大きな犠牲を払った訳でありますから、堀江君を責めることは司直の手に任せると共に、マスコミや堀江君を刺客に担ぎ出した自民党などの他者批判にエネルギーを使うというような事のみに終始せずに、この世の真理である「この世のすべては変化し、移り変わって行くものだ」という法則に思い致さなかった自己の不明を恥じねばならないと思います。そして、その真理をこれからの人生を生きて行く上での、国民共通の『座右の銘』にしたいと思うのであります。

ある作家が報道番組のコメンテーターとして、「一般大衆と言うものはキラキラと輝くヒーローの出現と頂点を極めていくその姿を見るのが好きであるけれども、そのヒーローが挫折し落ちぶれて行く姿を見るのも好きなものである、そして更に、そのヒーローの復活劇をまた好みとするものだ」と言う深い洞察を発表されていましたが、成る程と思いました。

世間一般は「あまり変化が感じられない我が人生を夢無きものと思い、他人の壮絶な人生に夢を託し、変化そのものを楽しむ」と言う傾向にあるのではないかと思われます。しかし、私達世間普通の者の現実も実は無常そのものの人生であります。『無常即ち変化し続けている』人生であります。しかし、なかなか「変化していく」とは思えずに、不運・不幸に見舞われた逆境の時は、いつまでもその逆境が続くように思って落込み、運良く順境の時には、逆にその順境がいつまでも続くが如く錯覚して調子に乗って謙虚さを失ってしまいます。また、大過なく過ごす平凡な日々が続きますと、刺激の無さに文句の一つも言いたくなります。この繰り返しが、私達の人生の姿ではないかと思います。

私自身、今経済的逆境の最中にあり、それがもう5年も続いております。未だ出口が見えません。こうなりますと、これは死ぬまで続くのではないかと、ついついため息が出そうになる時も正直ございます。昨日と今日を比べますと確かに大きな変化は認められませんが、しかし、1年前と比べれば、事態は、良い悪いは別にして確実に変化しております。「良いことも悪いこともすべて変化していく」事を肝に銘じて生きて行かねばとあらためて思ったことであります。

また、ライブドアは、一週間で時価総額が5000億円減ったそうであります。1万円2万円に窮している者に取りまして、5000億円は想像も付かない金額でありますが、お金が本当に消えたのでしょうか?私は経済理論に疎いので確かなことは分かりません。損した者がいれば必ず得した者がいると聞きますから、現金としてではなく、データーとしてどこかに移ったのかも知れませんが、何れにしましても、堀江君が確かな自分の価値だと信じていた時価総額の殆どは、一瞬のうちに消えて無くなってしまった訳であります。「確かに有る」と思っていたものが実は確かなものではなかった訳であります。「この世に存在しているものは、すべて、それ単独では存在し得ないものだ、縁によって、たまたま現れているように見えているだけだ」と言うのが仏法の説くところでありますが、前述の「すべてのものも現象も、例外なく変化するものだ」と言う真理とともに、この真理も私達の人生の『座右の銘』としたいものであります。

この世のもの、広くは宇宙に存在するもの全てはその個体単独では存在し得ないというところが大切だと思います。私達は、自分の力や意志で生きていると考えているものですが、事実は、空気があり、太陽があり、その他動植物などがあって、始めて私たちは生命を維持出来ているのであります。私と無関係な存在は何一つないのだと言うのが、お釈迦様の発見された真理だと言われています。私達は眠っている時も、無意識のうちに呼吸をし、心臓も他の臓器も休み無く働いてくれています。自分の力だけで生きられているとは到底言えない存在であることは、説明されれば成る程と思えます。

自分だけの力で生きているのでは無いことに気が付けば、自分だけの利益を貪(むさぼ)らずに、周りの人々の利益になることにも配慮するようになるでしょう。自分が為し得ることで、周りの人々の役に立つことをしたくなるでしょう。お互いが幸せになることが人生の目標と目的になるでしょうと言うのが、大乗仏教として日本に伝わったお釈迦様の教えではないかと思います。

それから、お金は大切であることは間違いありません。堀江君は「お金でかえないものは無い」と豪語されていましたし、一時期の彼の発言は説得力がありました。特にお金に困っている私は、納得せざるを得ない面もありましたし、また反論するのは負け惜しみになりそうで、必死で発言を堪(こら)えていましたが、お金の重要性は、お金そのものにはありませんし、その金額の多少で価値が増す訳でもなく、お金の価値はその使い道が何であるかによって決まるのではないでしょうか。それに幾らお金を持っていたとしても、タンスにしまって使わずに、ただ数えているだけでは価値は出て参りません。また使うに致しましてもギャンブルや遊興費に使ってしまっては、それは一瞬の満足に過ぎません。あのIT企業の巨人、マイクロソフト社のビルゲイツ氏は、エイズの治療関係に多額の寄付をされているそうであります。日本の歌謡歌手の皆さんも福祉チャリティ公演をされています。吉永小百合さんは、原爆を二度と許さない活動を永年に亘り続けられています。社会の為、弱者救済の為、その他人道支援の為に使うお金は、額の多少に関わらず、値打ちのあるお金であると思います。自分よりも弱っている人に、小額と言えども役に立ちたいと思います。

堀江貴文君からは上述の如く、反面教師的なことも含めまして多くのことを学びました。堀江君はまだまだ若く、有能な人材であります。堀江君がもし法に違反していたならば潔く事実を認め、罪を償って欲しいと思います。そして二度と犯さないことを心に銘記して、むしろ、被害を受けた人々も含めて世の中の人々の役に立つ存在になって復活されることを私は心から願うものであります。


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No.564  2006.1.23

正信偈の心を読む―第37講【依釈段(善導章)―A】

●まえがき
「善導大師は浄土宗の祖である」と法然上人が言われておられますが、日に3万遍の念仏を称えられ、粗食を常にし、心の乱れを恐れられて目を上げて女人の顔を見られず、決して横になって寝られなかったと言われるほど行業の厳しい方であったようです。青年の頃は、三論宗の師匠のもとで勉強され、また真言密教の教えを受けられ、『法華経』『維摩経』も深く研究されていたようであります。

しかし、29歳の時に、道綽禅師をはるばる訪ねられ、『浄土三部経』の一つである『観無量寿経』を授けられ、阿弥陀仏の本願によってのみ、善人も悪人も救われるという事を確信され念仏三昧の道を歩まれ、各地を廻られて多くの人々を教化されました。

後の句で、「南無阿弥陀仏の名号を因として、仏の光明を縁として、罪悪深重の凡夫が信心を獲ることが出来る」と言う事を主張されたことが示されていますが、有名な「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言う歎異抄にしめされている親鸞聖人の悪人正機説は、善導大師の高説に依るものと思われます。また、親鸞聖人が称名念仏もさることながら、信を特に重要視されたのも、善導大師の信に感銘を受けられたからではないかと思います。

今日の『善導独明仏正意』と言う親鸞聖人のお言葉には、上記のような事情が背景にあるのではないかと思われます。

●依釈段(善導章)原文
善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶつしょうい)

矜哀定散与逆悪(こうあいじょうさんよぎゃくあく)
光明名号顕因縁(こうみょうみょうごうけんいんねん)
開入本願大智海(かいにゅほんがんだいちかい)
行者正受金剛心(ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん)
慶喜一念相応後(きょうきいちねんそうおうご)
与韋提等獲三忍(よいだいとうぎゃくさんにん)
即証法性之常楽(そくしょうほっしょうしじょうらく)

●依釈段(善導章)和訳
善導独り仏の正意を明らかにし

定散と逆悪とを矜哀(こうあい)し
光明名号の因縁を顕したもう
本願の大智海に開入すれば
行者正しく金剛心を受け
慶喜一念相応の後
韋提と等しく三忍を獲(え)
即ち法性之常楽を証せしむ

●大原性実師の現代意訳(全文)
善導大師は、ただ独り仏(お釈迦様)の正意を明らかにして、
定善散善というような善機の者も、五逆十悪というような悪機の者も、何れも如来は憐れまれて、光明と名号の御因縁によってお救い下さるのであるとお示し下さいました。 ご本願の広大な思し召しにかなえば、行者は必ず堅固な信心の人となり、韋提希夫人(いだいけぶにん)と等しい喜びを感じ、安堵の想い、決定(けつじょう)の心を得、やがて常楽我浄の涅槃の證りを開くことが出来ると仰せられた。

●梅原眞隆師の解釈(全文)
善導大師は浄土教に関する古今の学者と趣を異にして、独り佛(お釈迦様)の正意を明らかに会得せられ、
仏道に帰しながらも定善・散善の出来る善機だけにとどまらず、未だ仏法に心がけぬ五逆や十悪の悪機をも憐れみて、凡夫のまま救われる云われを示された。その救いは、名号は因となり光明が縁となる次第をあらわされました。そして本願の佛智をひらいて帰入せしめたまい、われら行者が正しく金剛の信心をまうけにして、救いをよろこぶ慶喜の一念に本願の旨趣にかなうとき、かの観無量寿経の会座で救われた韋提希夫人(いだいけぶにん)と同じように喜・悟・信の三忍をいただき、やがて法性真如の證りを開いて、常楽我浄の涅槃に住することが出来ると仰せられた。

●暁烏敏師の解説
善導大師独りと言う独りの意味は、七高僧の中で善導大師だけ独りと言うことではありません。善導大師と同時代(中国の唐の時代)に沢山の高僧方がいらっしゃいました。が、その中で、本当に仏の御心を得た人は、善導大師独りだったと言う意味であります。 善導大師独りが仏の正意を明らかにされたと言うことでありますが、ここの仏はお釈迦様のことでありましょう。お釈迦様の教えの本意がどこにあるかということを明らかにされたのであります。

仏教の中心はどこにあるか。広く深い仏教の教えはたくさん経典に記されています。それらたくさんの教えの中の正意とするところはどこにあるか。それを善導大師が明らかにされたのであります。釈尊の正意となされたところはどこにあるかと言いますと、それは『阿弥陀仏の本願』にあるということをはっきりお味わいになられました。

●あとがき
浄土宗、浄土真宗の教えを大切にされる仏法者の中には、ことの外、『南無阿弥陀仏』を称えることこそ救われる要点だと主張される方がいらっしゃいます。極論すれば、先ずは称名念仏だと言うお立場であり、念仏を称えないのは、驕慢な心、我れ賢き想いがあるからだとまで言われる方もいらっしゃいます。

そう言う考え方・見方を私は否定出来る立場にはありませんし、案外と的を得たご批判でもあると言わざるを得ませんが、口から単に発する音声としての『南無阿弥陀仏』が尊いのではなく、称えたいと思う阿弥陀仏の本願に報謝する心、信ずる心が尊いのだと私は思います。

『南無阿弥陀仏』の背景、歴史を知らない人々に取りましては、念仏は単に蛙の鳴き声≠ナしかないと思います。親鸞聖人も、比叡山でのご修行中は念仏三昧の堂僧でいらっしゃいましたが、その比叡山での念仏と法然上人に出遇われてからの念仏とは全く異質のものであったことでありましょう。

ただ、親鸞聖人以後、浄土真宗のお寺が葬式仏教を営む自営業者に成り下がったために、一般庶民も、お葬式では数珠を手にして『南無阿弥陀仏』を唱えるようになりましたから、『南無阿弥陀仏』が一般化した反面におきまして、有り難味も、意味も全く無くなってしまい、『南無阿弥陀仏』の歴史は、異質なものに塗り替えられてしまったと言うべきだろうと思います。まことに残念ながら、また親鸞聖人に、ひいては善導大師には大変申し訳ないのでありますが、『南無阿弥陀仏』と言うお名号は低俗・低級な呪(まじな)い≠ノ成り下がってしまった訳であります。

『南無阿弥陀仏』のイメージを尊いものに戻す努力をすることが、現代に生きる私達の務めでもあると思っております。そのためにも、まずは確固たる信心を頂きたいものと思っている次第であります。


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No.563  2006.1.19

仏教にも時代性有り?

昨年末から、buddism(ブッディズム、インド哲学の中の仏教哲学)に造詣が深い無相庵読者とのやり取りが続いております。本来は掲示板で公開したい内容でありますが、先方のお考えも有り、個別にメール交信をしているところであります。

私は唯識に興味を持った若かりし頃(昭和56年)にブッディズムを少し勉強をしただけでありますが、大体のところを理解していた積りでありました。しかし、その読者様から「空とは何か:論理的思考で考える仏教」と言う、A−4ペーパーで92枚もの論文を頂きまして、昔勉強した本を紐解きながら再び勉強しているところであります。

私が再び紐解いた本(「日本仏教の基礎知識」水野弘元氏著、春秋社版)の中に、下記の下りがございまして、仏教の現代化、現代人が生きる上での智慧を説く仏教であらねばならないと言う前述の読者様の想いと重なり、大きな刺激を受けた次第であります。

仏教は元来民主主義的であった。釈尊は出家教団の運営なども、決して独断専行されることなく、必ず大衆にはかって事を運ばれた。このことは仏教教団の規則を集めている律蔵を見れば明らかである。 すべてが合議制によって決定され、仏陀といえども専横は許されなかった。教団内だけでなく、一般の人々に対しても、この民主主義を釈尊は推奨されていた。その例として七不衰法の教え(南伝大蔵経)を挙げることが出来る。

これは釈尊がワッジー国の王族たちのために、国家が栄えて、衰えることのない方法として説かれた七種のあり方を述べたものである。第一には、政治をつかさどる王族の人々がしばしば集まり、合議によって国事を運営することである。第二には、人々が一致協力して集まり、一致協力して立ち上がり、一致協力して事に当たることである等であるが、これは為政者の正しいあり方をのべたものであって、今日もそのまま通用しうる民主的な態度といわなければならない。釈尊はこの七不衰法を説いてから、教団の人々に対しても、これと同じような方法で教団を民主的に運営すべきであり、その限りにおいて、教団は決して衰えることはなく、かならず栄えていくであろうと述べられた。

このように釈尊の教えは一般社会に対しても、また教団内にあっても、すべて平等主義的、民主主義的であることを理想としたのであるが、支邦(現在の中国)や日本ではこれが徹底することなく、封建時代にあっては、その国家や社会に従わざるを得なかった。たとえば日本仏教が独自の立場を発揮して、もっとも理想的な仏教を実現させたとされる鎌倉時代にあってさえも、鎌倉新仏教は封建時代に適するものとならざるを得なかった。

それによれば、一般民衆は指導者の教えを無条件にそのまま信じ従ってゆきさえすれば、それで救済にあずかり、一切の苦悩を解脱することが出来るとされた。当時は指導者にも学徳ともに優れた人が多かったし、一般民衆は無知文盲であっても、その指導者の指導のままに動くことによって、妙好人などに見られるような、純粋な美しい信仰が得られたのである。封建時代としてはまことに素晴らしいものであった。

鎌倉時代における親鸞・道元・日蓮の新仏教はいずれも純粋の信を強調したものであって、日本だけでなく、インド、支邦、日本の三国にわたる仏教の歴史の中で、もっともすぐれたものであるとされるのは、右のような事情によるものである。

しかし明治時代になると、封建主義は次第に打ち破られ、とくに第二次大戦後になると、民主主義が強く主張され、世の中のすべてのものが民主的に運営される機運に向かって来た。これし宗教信仰においても同様でなければならない。今日までの日本の旧仏教は、平安時代の天台宗や真言宗、および鎌倉時代の念仏宗・禅宗・日蓮宗などがその主流になっている。ところがこれらの旧仏教はすべてその時代の人々にもっとも適するように、封建的な仏教として発足しているために、今日においても封建的要素が残存し、民主化が遅れているのである。

これが民主的な今後の生きた仏教になるためには、それらの宗派の運営や教化の方法において、民主的に脱皮し改革されなければならない。ところで釈尊の仏教は、前述のように、元来民主的なものであったから、日本仏教の従来のゆがみを改めて、仏教本来の民主的立場に復帰すればよいのである。この改革が行われない限り、旧来の日本仏教は今後の日本においても、さらに外国にも進出し発展するということは出来ないであろう。

以上が、元駒澤大学(曹洞宗系大学)の副学長をされていた故水野弘元氏のご見解であります。これは日本仏教を冷静に見られた上での、且つ仏教興隆を祈念される故のご見解と受け取っております。真理が時代と共に変化するものではない事もまた真実でありましょうが、宗派の運営や教化のあり方に付きましては、仏法を尊重し、人生の道標としている現代の私達は、素直に耳を傾け、改善・改革に努力する必要があるのではないかと思う次第であります。

お釈迦様は元来、ある特定のものや特定の考え方に固執・執着することを排された方であります。常に批判的(他者のみならず自己に対しても)立場を取られた方であります。これが後の中観思想になって行く訳であります。極論するならば、釈尊自身が説かれておしえにすら拘るなと言われ、空とか無我にもとらわれない位に無執着であるとさえ云われております。そう云うことから、勿論、鎌倉仏教の祖師方が至られた境地、お教えの真髄を知った上でのことでありますが、日本仏教を真理(法)にかなったものにしなければならない事は論を待たないものと存じます。


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No.562  2006.1.16

正信偈の心を読む―第36講【依釈段(善導章)―@】

●まえがき
親鸞聖人は、七高僧を讃えられていますが、日本の浄土門は、これから勉強する「善導大師」が開祖であると言っても過言ではありません。 「善導和尚、ひとえに浄土を宗となして、聖道を宗となさず、故に偏に善導一師による」と法然上人は、『選択本願念仏集』のご著書の中で宣言されました。善導大師から法然上人へと、こうして純正な浄土教が流れました。そして、この善導大師と法然上人をうけて、更にこれを純化されたのが親鸞聖人でありました。

従いまして、善導大師に関する正信偈の部分は、少し回数を頂いて、学んで参りたいと思います。 先ずは、全文をご覧頂きたいと思います。

●依釈段(善導章)原文
善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶつしょうい)
矜哀定散与逆悪(こうあいじょうさんよぎゃくあく)
光明名号顕因縁(こうみょうみょうごうけんいんねん)
開入本願大智海(かいにゅほんがんだいちかい)
行者正受金剛心(ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん) 慶喜一念相応後(きょうきいちねんそうおうご)
与韋提等獲三忍(よいだいとうぎゃくさんにん)
即証法性之常楽(そくしょうほっしょうしじょうらく)

●依釈段(善導章)和訳
善導独り仏の正意を明らかにし
定散と逆悪とを矜哀(こうあい)し
光明名号の因縁を顕したもう
本願の大智海に開入すれば
行者正しく金剛心を受け
慶喜一念相応の後
韋提と等しく三忍を獲(え)
即ち法性之常楽を証せしむ

●大原性実師の現代意訳(全文)
善導大師は、ただ独り仏(お釈迦様)の正意を明らかにして、定善散善というような善機の者も、五逆十悪というような悪機の者も、何れも如来は憐れまれて、光明と名号の御因縁によってお救い下さるのであるとお示し下さいました。 ご本願の広大な思し召しにかなえば、行者は必ず堅固な信心の人となり、韋提希夫人(いだいけぶにん)と等しい喜びを感じ、安堵の想い、決定(けつじょう)の心を得、やがて常楽我浄の涅槃の證りを開くことが出来ると仰せられた。

●梅原眞隆師の解釈(全文)
善導大師は浄土教に関する古今の学者と趣を異にして、独り佛(お釈迦様)の正意を明らかに会得せられ、仏道に帰しながらも定善・散善の出来る善機だけにとどまらず、未だ仏法に心がけぬ五逆や十悪の悪機をも憐れみて、凡夫のまま救われる云われを示された。その救いを示すや、名号は因となり光明は縁となる次第をあらわして、本願の佛智をひらいて帰入せしめたまい、われら行者が正しく金剛の信心をまうけにして、救いをよろこぶ慶喜の一念に本願の旨趣にかなうとき、かの観無量寿経の会座で救われた韋提希夫人(いだいけぶにん)と同じように喜・悟・信の三忍をいただき、やがて法性真如の證りを開いて、常楽我浄の涅槃に住することが出来ると仰せられた。

●あとがき
龍樹菩薩(西暦、約150〜250年)、天親菩薩(西暦320〜400年)、曇鸞大師(西暦467〜542年)、道綽禅師(西暦562〜654年)、善導大師(西暦613〜681年)と七高僧に関する親鸞聖人の讃嘆文を勉強して参りましたが、龍樹菩薩が、仏道を難行道と易行道があるとされ、曇鸞大師が他力と自力に分かたれ、道綽禅師が聖道門と浄土門があるとされました。
そして、善導大師は、善人も悪人も、阿弥陀仏の本願によってのみ救われるとされ、我々凡夫が救われる道は、易行・他力・浄土門である。そして、これはお釈迦様が本当に救われる道は、この阿弥陀仏の本願力にのみよるとされたからであると宣言されたのであります。

多くの経典と、七高僧の著書を読まれた上で、この善導大師の宣言こそ末法の世の凡夫が救われる道であると、法然上人が確信され、そして親鸞聖人がそれを受け継がれて訳であります。そういう意味で、善導大師は日本の浄土門の開祖であると言ってもよいのではないかと思います。


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No.561  2006.1.12

仏法と煩悩

お釈迦様に煩悩はあったでしょうか?普通に考えますと、人類で初めて悟りを開いた方で、釈迦牟尼仏とも云われる仏様でありますから、私達凡夫が持っている煩悩をそのまま持っておられたとは考え難いところです。

それに比べてと申してよいかどうか分かりませんが、日本の浄土門の祖師であられる法然上人と親鸞聖人は、それぞれご自分の事を法然上人は「愚痴の法然」と名乗られ、親鸞聖人は「愚禿(ぐとく)親鸞」と名乗られました。これは謙遜されて言われたのではなく、ご自分の心を見詰められて、心に湧き出ている煩悩を自覚された上でのことであったと思います。それは、親鸞聖人が正信偈の中で「不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)」【煩悩を断ち切らずして信心を獲ることが出来る】と詠われていることからも、「煩悩は消し去ることは出来ないものだ」と自覚されていた事が確認出来ます。

一方、禅門の祖師方がご自分に煩悩があると言う明確な発言に、私は出会ったことはありません。ただ、禅門の一派曹洞宗の方々は良寛様に致しましても、現在生きておられる西川玄苔老師、青山俊董尼は、ご自分の煩悩を見詰められた上ではないかと思われるご発言をお見受けします。また、臨済宗の山田無文老師は、ご自分に煩悩があるとは申されませんでしたが、「座禅をして無念無想になると言うのではなく、妄念や煩悩が現れては消え、消えては現れ、固着することが無い、それを無念無想と言うのである」とおっしゃっていたことを思い出しますから、やはり無文老師も煩悩は消滅していなかったのだと思われます。仙崖和尚と言う江戸時代後期の臨済宗の名僧は、臨終に際して「死にともない、死にともない」と言われたとかで、弟子が、それでは名僧の名に傷付くから、もう一度臨終の言葉を求めましたが、「やはり死にともない」と言われたそうです。また山田無文老師のお師匠は臨終の時「あまり気持ちのよいものではない」と言われたそうです。一般的には、悟りを開いたら、死ぬことはなんでもなくなると思われているのでしょうが、死に際しても冷静に自分の死を見詰められるという自由さと言いますか、頑張りの無さと言いますか、老師方の率直なお言葉に逆に「さわやかさ」を感じます。「心の動くままに」と言う極自然な精神を私は感じます。

お釈迦様の至られた心境が「死は別に怖いものではない」と言う生死を離れたものであったかも知れませんが、少なくとも日本に大乗仏教が伝来し、根付きましてからは「煩悩は消え去るものではない」と言う考え方になり、浄土門ではむしろ、煩悩があればこそ仏さまに出遇える(悟りが開ける、信心が獲られる)と考えます。煩悩こそ、仏様との縁を取り持つ愛しい存在だと言うことになります。従いまして、「煩悩即菩提」と言う考え方も生じます。煩悩があるからこそ仏様と出逢えると言う意味の句でありますが、即と言う字が示しますように、煩悩がそのまま悟りに転換して行くと解釈出来ると思います。

お釈迦様のお悟りと、大乗仏教の悟りと違いがあることを肯定する話として、正法、像法、末法、滅法と言う仏法の変遷を予言する考え方があります。お釈迦様が亡くなられて後500年を正法の時代として、お釈迦様の教えがそのまま伝わり、またお釈迦様の歩まれた仏道が受け継がれて、お釈迦様と同じ悟りを開く人々が出ると言う時代。しかし、その後の像法と言う1000年間は、お釈迦様の教えはそのまま伝わってはおり、お釈迦様と同じ仏道を歩む人々は居るが、お釈迦様と同じ悟りを獲る人は居ないとする時代。そして末法は像法の時代の後に続く1万年間であり、お釈迦様の教えは伝わっているが、お釈迦様と同じ仏道を歩む者も居ないし、勿論、お釈迦様と同じ悟りを獲る者も居ないとする時代であります。滅法は、お釈迦様の教えも伝わっていない時代であります。
大乗仏教が興ったのが、お釈迦様が亡くなられて約500年経った頃ですから、恐らく、この正・像・末法と言う考え方は、その頃に生まれたものではないかと思います。我々は、既に末法の時代にあります。西暦1052年から末法の時代に突入していると言われますから、法然上人も、親鸞聖人も私達と同じ末法の時代に出られた祖師方であります。

このような事から、難行苦行と言われる厳しい修行を必要せずに、「不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)」と言う浄土門、即ち阿弥陀仏の本願によってしか私達凡夫は救われないと言う仏法が末法の時代に相応しいと、親鸞聖人は確信されたのではないでしょうか(これは、あくまでも、私見であります)。

煩悩を抱えたままで、どうして信心が獲られるのか、殆どの方はこのような疑問を抱かれると思います。私もそう思っていましたし、今もその疑問が完全に解決出来たわけではありません。ただ、妙好人浅原才市翁の「慙愧・歓喜の南無阿弥陀仏」とは、煩悩を慙愧することと、その煩悩具足の自分を救うという阿弥陀仏の慈悲に浴する歓喜が同時に湧き出て来るというものであり、これこそ親鸞聖人の至られたご信心そのものであったのだと思ったことであります。そして、その煩悩は、根切りされている煩悩であると鈴木大拙師は表現されています。根切りとは、それ以上生育しないという意味で使われていると思います。私達の煩悩は、自覚されていない間は、際限なく生長拡大するものであります。根切りされますと、煩悩は消えてはいないが、燃え盛ることは無いと言うことになります。

根切りされた煩悩とは、鏡に映った煩悩と考えればよいと思います。禅門では悟りの心とは鏡のようなものと言われます。神とはかがみ(鏡)が「かみ」と短縮された語だとも言われますが、禅門では仏は鏡だとも言われることがあります。鏡に映った煩悩は、実体が無い影のようなものでありますから、燃え盛ることはありません。鏡は仏であると考えますと、信心を頂いた人の煩悩は、仏様の眼に映った煩悩でもあり、消えることは無くとも燃え盛ることは無いと言うことだ考えたいと思います。

法話を聴き、お釈迦様の教えを学んで参りますと、凡夫の心の中の鏡の曇りが徐々に徐々に磨き去られてゆき、自分の煩悩が徐々にはっきりと鏡に映し出されてゆくようになるのではないでしょうか。そう考えますと、「不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)」と言う親鸞聖人のお言葉が心にすっと入って来るような気が致します。

禅門の鏡の話と、妙好人浅原才市翁の値切りされた煩悩のお話から、仏法と煩悩について考察して見た次第であります。


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