No.730  2007.8.27

歎異抄に還って―後述―B

● まえがき
今日勉強する歎異抄原文の中にある、『弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案(あん)ずればひとへに親鸞一人(しんらんいちにん)がためなりけり』と言う一文は、私の母の好きな言葉だったからだと思いますが、私が幼い時から親しんで来た懐かしい言葉でもあります。しかし、その意味合いはなかなか分かりませんでした。『弥陀の五劫思惟の願』そのものがピンと来ませんでしたし、『ひとえに親鸞一人のために』と言うことも納得が参らないことでありましたから・・・。

ただ、60歳も過ぎた今、私が今こうして仏教コラムを発信している現実に至った越し方をつぶさに思い起こしますと、私の過去の出来事一つ一つが残らず今の私の全分に繋がっていますし、唯それだけではなく、お釈迦様が悟られて説かれ、そして2500余年に亘って伝えられて来た仏法の越し方にも思いを馳せますとき、『弥陀の五劫思惟の願』としか申せませんし、『私を目覚めさせ救いたいため』の宇宙総力上げての働きではないかと気付き始めているところであります。

●後述原文
右条々はみなもて信心のことなるよりおこりさふらふか。故聖人の御ものがたりに、法然上人の御とき、御弟子そのかずおほかりけるなかに、おなじ御信心のひともすくなくおはしけるにこそ、親鸞御同朋の御なかにして御相論のことさふらひけり。そのゆへは、善信(親鸞聖人)が信心も聖人(法然上人)の御信心もひとつなりとおほせのさふらひければ、勢観房念仏房なんどまふす御同朋達もてのほかにあらそひたまひて、いかでか聖人(法然上人)の御信心に善信房の信心ひとつにはあるべきぞとさふらひければ、聖人(法然上人)の御智慧才覚ひろくおはしますに一ならんとまふさばこそひがごとならめ、往生の信心においてはまたくことなることなし、ただひとつなり、と御返答ありけれども、なをいかでかその義あらんといふ疑難ありければ、詮ずるところ聖人の御まへにて自他の是非をさだむべきにて、この子細をまふしあげれば、法然聖人のおほせには、源空(法然)が信心も如来よりたまわりたる信心なり、善信房の信心も如来よりたまはらせたまひたる信心なり、さればひとつなり、別の信心にておはしまさんひとは源空がまひらんずる浄土へはよもまひらせたまひさふらはじ、とおほせさふらひしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも親鸞の御信心にひとつならぬ御こともさふらふらんとおぼへさふらふ。いづれもいづれもくりごとにてさふらへども、かきつけさふらふなり。
露命わづかに枯草の身にかかりてさふらふほどにこそ、あひともなはしめたまふ人々、御不審をもうけたまはり、聖人のおほせのさふらひしおもむきをもまふしきかせまいらせさふらへども、閉眼ののちはさこそしどけなきことどもにてさふらはんずらめ、となげき存じさふらひて、かくのごとくの義どもおほせられあひさふらふ人々にもいひまよはされなんどせらるることのさふんときは、故聖人の御こころにあひかなひて御もちゐさふらふ御聖教どもをよくよく御らんさふらふべし。おほよそ聖教には真実権仮ともにあひまじはりさふらふなり。権を捨てて実をとり、仮をそしおきて真をもちゐるこそ、聖人の御本意にてさふらへ。かまへてかまへて、聖教をみみだらせたまふまじくさふらふ。大切の証文ども、少々ぬきいでまひらせさふらふて、目やすにしてこの書にそえまひらせてさふらふなり。
聖人のつねのおほせには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそくばくの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ、と御述懐さふらひしことを、いままた案ずるに、善導の、自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)よりこのかたつねにしづみつねに流転して出離の縁あることなき身としれ、といふ金言にすこしもたがはせおはしまさず。
―続く

●白井成允師の現代訳

右に述べた異議の数々は、みなこれを唱える人々の抱いている信心が先師聖人(親鸞聖人)のご信心に異なっているところから起ってきたことかと思われる。それについて思い起こすことであるが、先師聖人の御物語にのようなことがあった。法然上人の御在世の頃、あまたの御弟子たちが居られたのに、同じい御信心の人も少ししか居られなかったので、先師聖人は御同朋たちの中で信心について論じ合われたことがあった。それは、聖人が「善信(親鸞聖人)の信心も聖人(法然上人)の御信心も同一である」と仰せられたとろが、勢観房・念仏房などという御同朋たちがひどく云い争われて、「善信房の信心がどうして聖人(法然)の御信心に同一なはずがあろう」と申されるので、「聖人の御智慧や学問の広くあらせられるのに、善信の智慧・学問が同一だなどと云うのであれば、それはもとより誤りであろうが、浄土に往生させていただく信心においては少しも異なることがない。全く同一である」と返答せられたけれども、それでもなお肯われないで「どうしてそんなことがあろう」と非難せられたので、結局これは法然聖人の御前で双方の是か非かを定めていただくがよいということになって、このことを詳しく申し上げたところが、法然聖人の仰せには「源空の信心も如来から頂いた信心である。善信房の信心も如来から頂かれた信心である、だから全く同一である、もし別の信心であられる人は源空の参る浄土へはよもや参られはしないであろう」と仰せられたとのことである。それであるから、このごろ念仏申しておられる人々の中にも、親鸞聖人の御信心と同一でないこともあるだろうと思われる。そのために、上に聖人の御信心と相異なる諸々の主張などを述べてきた、いずれもいずれも老いの繰り言ではあるけれど、書きつけたのである。
露のようなはかない生命が、わずかに枯草のような老いの身にかかりながらえている間にこそ、同じく浄土への辿りを志しておられる方々から懐いておいでになる御疑いをも聞かせていただき、故聖人のおおせられたことの御思し召しをもお伝え申し上げることが出来るのであるが、私がいったん眼を閉ざした後には、さだめしいろいろの異議がはびこって、先師の御信心の道もさぞかし離れてしまうことであろうかと歎かわしく思われてならないことである。
もし今後かような様々なことを申し合われる人々に言い迷わされたりされることがあるような時には、故聖人の御心にかないて御用いあそばされた御聖教どもをよくよく御覧なさるがよろしい。およそ、聖教の中には真実の部分と権仮(ごんけ)の部分とが共に入り混じっていることである。その権仮の分にとらわれずにこれを捨ておきて、真実の分を用いこれに依るのこそ聖人の御本意であらせられる。だから、念には念を入れて御聖教の真意を見誤ることのないように心掛けていただきたい。それで、今証拠となる大切な御文を少し抜き出して、真実権仮を判つ目安(標準)としてこの書に添えまいらせるのである。
聖人がいつも仰せられたお言葉に、阿弥陀仏が五劫もかかって思い謀(はか)りたもうた誓願をよくよく考えてみると、全くこの親鸞ひとりのためであらせられた、だから量り知られぬ罪業を具えている身であったのに、この私を救おうと思い立ってくだされた本願のかたじけなさよ、と御心中をお述べくだされたが、その御言葉を今またよく考えてみると、これは善導大師が『自分は現に罪悪にまみれ生死に迷いつつある凡夫であって、遠い昔からいつもいつも煩悩の大河に沈み、迷いの海に流れただようているばかりであって、どうしてもここを出て離れ得る縁を見出すことの出来ない身である、と知れよ』と云われた、あの永遠の御語にすしも異なっておられない。

●高史明師の現代語意訳

右に述べた異説の数かずは、みなもって信心の異なることから、起きたものでもありましょう。故聖人(亡き親鸞聖人)が、お話して下さったことがあります。法然聖人の御ときにも、その数多いお弟子の中には、信心を等しく頂いていない方も居られたことから、親鸞聖人と、そのお仲間との間において、信心をめぐって、相論じ合うということがあったそうであります。ことのおこりは、親鸞聖人が「善信(親鸞聖人が法然の門に入って4年目の呼び名)の信心も、聖人(法然)の信心も、ただ一つなり」と表明されましたことにありました。つまり、その表明に対し、勢観房・念仏房(いずれも法然の高弟)などの方々から、もってのほかだというわけで「聖人の御信心と、善信房の信心がどうして一つであるはずがあろう」と言われるのであります。そで親鸞聖人はお答えになったのであります。「法然聖人の智慧や才能は、広く深いものであります。従って、その点で同じであると言ったのであれば、たしかに間違いであると言えますが、私が言っているのは、そのことではありません。往生の信心、ということを申し上げているのであります。この信心ということでは、全く異なることはないのであって、ただ一つなのであります」と。しかし、なお「どうして、そのようなことがあろうか」という疑問や論難が出されることになり、つまるところ、法然聖人の御まえにて、自他のいずれが正しく、また間違いであるかを、決めることにしましょう、と言うことになって、法然聖人の前に出て、ことの子細を申し上げましたところ、法然聖人は仰せられたのであります。「源空(法然)の信心も、如来よりたまわったところの信心であり、善信房の信心も、如来よりたまわった信心であります。そうであれば、この信心は、ただ一つのものであります。別の信心をもって信心としておられる方は、源空が参ろうとしている浄土へは、よも来られることはありますまい」と。そうでありますれば、その当時の一向専修の人々の中にも、親鸞聖人の御信心と一つでない信心を、信心としていた人があったものと覚えられます。いずれもいずれも、老いのくり言としか言いようがありませんが、ここに書き置くものであります。
露の命、わずかに、枯草の身にかかるばかりにとなりました。(老い先、短い)身なればこそ、相伴い、助け合ってまいりました方々の、疑問に思われることなども承り、親鸞聖人が仰せのお言葉の味わいをも、お聞かせ申し上げてまいりましたが、この眼閉ざされしのちには、さぞかし乱れ、しまりのないことにもなってゆくであろうと思えば、歎かわしく思われてなりません。どうぞ、先にあげた異議や、それを述べ合っておられる人々に、言い惑わされるようなことがありました節には、故聖人の御こころにあい適い、聖人がお取り上げになっておられた御聖教などを、よくよく御覧になられますよう。おおよそ、聖教には、真実そのものと、方便として仮に言われた権と仮が、ともにあい混じり合っているものであります。実に対しての仮である権を捨てて、実をとり、仮をさし置いて、真を用いてこそ、聖人のご本心にあい適うのであります。よくよく注意なされて、聖教の読み違いをなさいませように。大切な証文などを、少々抜き出させていただきましたので、参考までにと思い、この書に添えさせて頂きました。
聖人の常づねのお言葉に、「弥陀の五劫思惟の願を、よくよく案ずれば、ひとえに、親鸞一人が、ためなりけり。されば、そくばくの(数多くの)業を、もちける身にて、ありけるを、たすけんと、おぼしめしたちける、本願のかたじけなさよ」と、深いご心中の頷きを述べられたお言葉があります。このお言葉を、いままた考えてみるのでありますが、これは、善導大師が云われておりますとろの、「自身は、これ現に罪悪生死の凡夫、曠劫より(はるかなる昔から)このかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁、あることなき、身と知れ」という珠玉のお言葉と、少しも異なるところはありません。

● あとがき

後述前半の『賜りたる信心』と今日の『弥陀の五劫思惟の願を、よくよく案ずれば、ひとえに、親鸞一人が、ためなりけり。されば、そくばくの(数多くの)業を、もちける身にて、ありけるを、たすけんと、おぼしめしたちける、本願のかたじけなさよ』は他力本願の教えの要、現代的な表現を敢えて致しますならば、「他力本願の教えのキーワード」でありましょう。これら親鸞聖人が語られたお言葉を、良くぞ唯円房が伝え遺して下さったものだと思います。これこそ、『弥陀の五劫思惟の願の現れ』ではないか、と、歎異抄の存在も含めて不可称、不可説、不可思議≠フ功徳を感じざるを得ません。


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No.729  2007.8.23

自分が変われば・・・

     自分が変われば
      視点が変わる
     視点が変われば
      他人が変わる
      世間が変わる
      人生が変わる

私たち普通の人間は皆、例外なく悩みを抱えていると思う。悩みを抱えていない人間も居るが、それは最早人間ではなく、他動物と同じ生き物だと云ってよいと思う。
悩みを抱えることは辛い苦しいことであり、誰しも、その悩みから脱け出そうするが、なかなか脱け出せずに悶々とする。60余年を悩みと共に生きて来た私の経験からであるが、悩みの原因を外に求めている限りは、この悶々状態は続くのだと思う。

だからと言って、「悩みの原因は自分の中にあると思いなさい」と言うのではない。私は何回かそう思おうと努力して来たがそう思えるものでもない。一瞬そう思えても、その思いが長続きするものではないのである。

しかし、冒頭の言葉は確か過ぎる位に確かである。人間関係において、自分はそのままで、相手を変えようとしても、それが達成されることは皆無だと云ってもよいと思う。また、自分を変えようと思っても、そう簡単に変われるものではない。しかし、自分が変わらなければ、何も変わらないのである。さて、どうすればよいのだろうか。

先ず、自分が変わらなければ何も変わらないと思わねばならない。しかし、これは頭の中だけの思考・考察だけでは思えないのだと思う。色々な辛い体験、苦しい経験から、自分を見詰め直し、人生を考察し、この世の原理原則・真理に気付き始めて、初めてそう思わざるを得なくなる≠フではないかと思うのである。

自分の考え違いに気付くには、人一倍辛い目に遇ったり、失敗体験で頭を殴られなければならないのだと思う。私は、自分の60余年を振り返った時、55歳までは、「自分は間違っていない、悪いのは相手だ」、と、他の人の頭を叩いて生きていたように思う。しかし、設立した会社の主事業を失ってからの7年間、経済苦を始めとして「これでもか、これでもか」と頭を叩かれ続けて、漸く、自分の考え違いに気付き始めたと思っている。

私は今も修行の身、偉そうなことは言えない。ただ、色々な体験と共に、この世の真理を説いたお釈迦様の仏法を聞き続けることによって、自然と自分の間違いを知らされて来たように思う。私は自分の間違いを改め、次のように考えているところである。

一人一人の人間は、夫々に異なった30億年近い過去を背負って(遺伝子、DNAと言う見方)今、尊い命を生きている。そして、誰しも例外なく『自己愛(じこあい)』に縛られている。自己愛とは自分が一番可愛い、自分を常に優先しようとする本能的な意識である(この意識は、この世に存在する限りは決して失うことはない)。

この自己愛を無くせと云うのではない。私が自己愛に縛られているように、他人も自己愛に縛られていると云うことをしっかり認識しようと言うことである。そうすれば、相手に何か問題となる言動があった時にも、「ああ、あれは自己愛からの言動だな!」と客観的に冷静に受け止められると云うものである。そしてまた、30数億年に亘る過去に縛られても生きているのが、私たち一人一人の人間である。そう考えると、相手個人をむやみに憎むことも出来なくなるのではないかと思う。色々な辛い体験も避けることの出来ない事として、素直に受け容れざるを得なくなると思っている次第である。

上述のことは、何も無理にするべきことではない。無理をしても徒労でしかないと思う。真理の言葉に耳を傾ければ、自然とそうならざるを得ないと云うことである。今悩みを抱えて居られる方の参考になれば真に幸いである。


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No.728  2007.8.20

歎異抄に還って―後述―A

● まえがき
歎異抄の後述を読んでいますと、唯円房の親鸞聖人に出遇えた悦びと共に、その親鸞聖人の教えを正確にしかも何としてでも後代に伝えなければならないと云う唯円房の使命感をひしひしと感じます。そして、私が親鸞聖人の教えに出遇い、何とかして親鸞聖人と同じ信心を獲たいと思うようになりましたのは、唯円房に始まって、鎌倉時代から室町時代、戦国時代、江戸時代、明治・大正・昭和と750年もの永き間に亘って出られた、唯円房と同じ使命感を持たれた多くの先師・先輩方のご尽力に依るものであると実感している次第であります。

そして、私も同じ使命感を持って後代に伝えて行く責任を果たすべく、信心を確かなものにしてゆかねばならないと思っているところであります。

●後述原文
右条々はみなもて信心のことなるよりことおこりさふらふか。故聖人の御ものがたりに、法然上人の御とき、御弟子そのかずおほかりけるなかに、おなじ御信心のひともすくなくおはしけるにこそ、親鸞御同朋の御なかにして御相論のことさふらひけり。そのゆへは、善信が信心も聖人の御信心もひとつなりとおほせのさふらひければ、勢観房念仏房なんどまふす御同朋達もてのほかにあらそひたまひて、いかでか聖人の御信心に善信房の信心ひとつにはあるべきぞとさふらひければ、聖人の御智慧才覚ひろくおはしますに一ならんとまふさばこそひがごとならめ、往生の信心においてはまたくことなることなし、ただひとつなり、と御返答ありけれども、なをいかでかその義あらんといふ疑難ありければ、詮ずるところ聖人の御まへにて自他の是非をさだむべきにて、この子細をまふしあげれば、法然聖人のおほせには、源空が信心も如来たまわりたる信心なり、善信房の信心も如来よりたまはらせたまひたる信心なり、さればひとつなり、別の信心にておはしまさんひとは源空がまひらんずる浄土へはよもまひらせたまひさふらはじ、とおほせさふらひしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも親鸞の御信心にひとつならぬ御こともさふらふらんとおぼへさふらふ。いづれもいづれもくりごとにてさふらへども、かきつけさふらふなり。
露命わづかに枯草の身にかかりてさふらふほどにこそ、あひともなはしめたまふ人々、御不審をもうけたまはり、聖人のおほせのさふらひしおもむきをもまふしきかせまいらせさふらへども、閉眼ののちはさこそしどけなきことどもにてさふらはんずらめ、となげき存じさふらひて、かくのごとくの義どもおほせられあひさふらふ人々にもいひまよはされなんどせらるることのさふらはんときは、故聖人の御こころにあひかなひて御もちゐさふらふ御聖教どもをよくよく御らんさふらふべし。おほよそ聖教には真実権仮ともにあひまじはりさふらふなり。権を捨てて実をとり、仮をそしおきて真をもちゐるこそ、聖人の御本意にてさふらへ。かまへてかまへて、聖教をみみだらせたまふまじくさふらふ。大切の証文ども、少々ぬきいでまひらせさふらふて、目やすにしてこの書にそえまひらせてさふらふなり。
―続く

●白井成允師の現代訳
右に述べた異議の数々は、みなこれを唱える人々の抱いている信心が先師聖人(親鸞聖人)のご信心に異なっているところから起ってきたことかと思われる。それについて思い起こすことであるが、先師聖人の御物語にのようなことがあった。法然上人の御在世の頃、あまたの御弟子たちが居られたのに、同じい御信心の人も少ししか居られなかったので、先師聖人は御同朋たちの中で信心について論じ合われたことがあった。それは、聖人が「善信(親鸞聖人)の信心も聖人(法然上人)の御信心も同一である」と仰せられたとろが、勢観房・念仏房などという御同朋たちがひどく云い争われて、「善信房の信心がどうして聖人(法然)の御信心に同一なはずがあろう」と申されるので、「聖人の御智慧や学問の広くあらせられるのに、善信の智慧・学問が同一だなどと云うのであれば、それはもとより誤りであろうが、浄土に往生させていただく信心においては少しも異なることがない。全く同一である」と返答せられたけれども、それでもなお肯われないで「どうしてそんなことがあろう」と非難せられたので、結局これは法然聖人の御前で双方の是か非かを定めていただくがよいということになって、このことを詳しく申し上げたところが、法然聖人の仰せには「源空の信心も如来から頂いた信心である。善信房の信心も如来から頂かれた信心である、だから全く同一である、もし別の信心であられる人は源空の参る浄土へはよもや参られはしないであろう」と仰せられたとのことである。それであるから、このごろ念仏申しておられる人々の中にも、親鸞聖人の御信心と同一でないこともあるだろうと思われる。そのために、上に聖人の御信心と相異なる諸々の主張などを述べてきた、いずれもいずれも老いの繰り言ではあるけれど、書きつけたのである。
露のようなはかない生命が、わずかに枯草のような老いの身にかかりながらえている間にこそ、同じく浄土への辿りを志しておられる方々から懐いておいでになる御疑いをも聞かせていただき、故聖人のおおせられたことの御思し召しをもお伝え申し上げることが出来るのであるが、私がいったん眼を閉ざした後には、さだめしいろいろの異議がはびこって、先師の御信心の道もさぞかし離れてしまうことであろうかと歎かわしく思われてならないことである。
もし今後かような様々なことを申し合われる人々に言い迷わされたりされることがあるような時には、故聖人の御心にかないて御用いあそばされた御聖教どもをよくよく御覧なさるがよろしい。およそ、聖教の中には真実の部分と権仮(ごんけ)の部分とが共に入り混じっていることである。その権仮の分にとらわれずにこれを捨ておきて、真実の分を用いこれに依るのこそ聖人の御本意であらせられる。だから、念には念を入れて御聖教の真意を見誤ることのないように心掛けていただきたい。それで、今証拠となる大切な御文を少し抜き出して、真実権仮を判つ目安(標準)としてこの書に添えまいらせるのである。

●高史明師の現代語意訳
右に述べた異説の数かずは、みなもって信心の異なることから、起きたものでもありましょう。故聖人(亡き親鸞聖人)が、お話して下さったことがあります。法然聖人の御ときにも、その数多いお弟子の中には、信心を等しく頂いていない方も居られたことから、親鸞聖人と、そのお仲間との間において、信心をめぐって、相論じ合うということがあったそうであります。ことのおこりは、親鸞聖人が「善信(親鸞聖人が法然の門に入って4年目の呼び名)の信心も、聖人(法然)の信心も、ただ一つなり」と表明されましたことにありました。つまり、その表明に対し、勢観房・念仏房(いずれも法然の高弟)などの方々から、もってのほかだというわけで「聖人の御信心と、善信房の信心がどうして一つであるはずがあろう」と言われるのであります。そで親鸞聖人はお答えになったのであります。「法然聖人の智慧や才能は、広く深いものであります。従って、その点で同じであると言ったのであれば、たしかに間違いであると言えますが、私が言っているのは、そのことではありません。往生の信心、ということを申し上げているのであります。この信心ということでは、全く異なることはないのであって、ただ一つなのであります」と。しかし、なお「どうして、そのようなことがあろうか」という疑問や論難が出されることになり、つまるところ、法然聖人の御まえにて、自他のいずれが正しく、また間違いであるかを、決めることにしましょう、と言うことになって、法然聖人の前に出て、ことの子細を申し上げましたところ、法然聖人は仰せられたのであります。「源空(法然)の信心も、如来よりたまわったところの信心であり、善信房の信心も、如来よりたまわった信心であります。そうであれば、この信心は、ただ一つのものであります。別の信心をもって信心としておられる方は、源空が参ろうとしている浄土へは、よも来られることはありますまい」と。そうでありますれば、その当時の一向専修の人々の中にも、親鸞聖人の御信心と一つでない信心を、信心としていた人があったものと覚えられます。いずれもいずれも、老いのくり言としか言いようがありませんが、ここに書き置くものであります。
露の命、わずかに、枯草の身にかかるばかりにとなりました。(老い先、短い)身なればこそ、相伴い、助け合ってまいりました方々の、疑問に思われることなども承り、親鸞聖人が仰せのお言葉の味わいをも、お聞かせ申し上げてまいりましたが、この眼閉ざされしのちには、さぞかし乱れ、しまりのないことにもなってゆくであろうと思えば、歎かわしく思われてなりません。どうぞ、先にあげた異議や、それを述べ合っておられる人々に、言い惑わされるようなことがありました節には、故聖人の御こころにあい適い、聖人がお取り上げになっておられた御聖教などを、よくよく御覧になられますよう。おおよそ、聖教には、真実そのものと、方便として仮に言われた権と仮が、ともにあい混じり合っているものであります。実に対しての仮である権を捨てて、実をとり、仮をさし置いて、真を用いてこそ、聖人のご本心にあい適うのであります。よくよく注意なされて、聖教の読み違いをなさいませように。大切な証文などを、少々抜き出させていただきましたので、参考までにと思い、この書に添えさせて頂きました。

● あとがき
仏教の経典に書かれている内容には、真実そのものと、一般人が理解し易いようにたとえ話などの 『権』と『仮』があると書かれています。『権(ごん)』とは、目的・結果は正しいが、その手段が 常道に反する『方便(ほうべん)』の事であります。また『仮(け)』は、いつわり≠ニかにせ ≠意味するものであります。

真実と権仮を見分ける目安を以下に続きます後述に示していると唯円房が言われておりますので、 しっかりと勉強しまして、間違った道に踏み迷わないようにしたいと思います。

『他力本願』と言う言葉が「他力本願では駄目だ」と言いますように、「他力本願とは自分以外の 人の力を願い頼ること」のように本来の意味とは全く間違えられています。間違えられていますが 、どう間違っているかを正しく説明出来ない位に『他力』や『本願』は難しい概念であると思いま す。そして、書き言葉で細かく説明し尽くせない部分もあるように思います。それだけに、異議に 陥り易く、そこに歎異抄が誕生した所以もあるのではないかと思っておりますが、後代へ受け継ぐ には、その誤解されやすい部分を何とかして書き言葉で表現できないものかとも考えたり致します 。


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No.727  2007.8.16

薔薇はとげがあっても美しい

      あなたと私とは
      いま、バラの花園を歩いている。
      あなたは云う
      「バラの花は美しい、
      だが、そのかげにはとげがある」と。
      けれども、私は云いたい、
      「なるほど、バラにはとげがある、
      それでも、こんなに美しい花を
      咲かせる」と。

同じ薔薇を見る場合でも、どこに目が注がれるかによって広がる世界が違ってきます。「美しいけれどもとげがある」と見れば、欠点ばかりに注目した冷たい見方になるでしょう。しかし、「とげがあるけれど美しい」と美しさに目を注げば、とげは許されるべきものとして、あたたかい世界が広がるのです。さらに、命のエネルギーと言う視点から見れば、とげを育てるエネルギーも、美しい花を育てるエネルギーも一つです。一つのエネルギーの出場所が違っただけなのだ、ということを心に留めておかねばなりませんね。

以上は、青山俊董尼のご法話からの抜粋でありますが、私たちの人間関係を損なうのは、人の欠点が気に掛かりだした時です。相性に依っては、初対面から欠点のみが目に付くこともあり、反対に一目惚れして欠点も長所と誤解してしまうこともあります。

忘れてはならないのは、人間は誰しも長所と欠点を持っているということだと思います。そして、欠点を承知した上で、長所に注目して長所を評価し、長所を更に伸ばす手助けをし合うことが人間関係を暖かく広やかなものにするのだと思います。

「言うは易し、行うは難し」ではありますが、相手の長所を常に意識して探す努力こそが、幸せな人生を切り開く最善の道だと認識しておきたいものです。


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No.726  2007.8.13

歎異抄に還って―後述―@

● まえがき
昨日から、長男一家(5名)と長女一家(4名)が一泊の里帰りに来ており、コラムの更新がままなりませんでした。一番年長が小学5年生で、生後8ヶ月までの孫5名ですから、接待もそう簡単なものではございません。今日の昼過ぎには全員を見送りましたが、「来て嬉し、帰ってヤレヤレ孫の顔」と言う古歌に同感のお見送りの瞬間でありましたが、また一方で、こうして二家族を迎え入れることが出来た幸せを夫婦で話し合ったことは勿論であります。

今回から、いよいよ歎異抄の後述に入ります。

●後述原文
右条々はみなもて信心のことなるよりことおこりさふらふか。故聖人の御ものがたりに、法然上人の御とき、御弟子そのかずおほかりけるなかに、おなじ御信心のひともすくなくおはしけるにこそ、親鸞御同朋の御なかにして御相論のことさふらひけり。そのゆへは、善信が信心も聖人の御信心もひとつなりとおほせのさふらひければ、勢観房念仏房なんどまふす御同朋達もてのほかにあらそひたまひて、いかでか聖人の御信心に善信房の信心ひとつにはあるべきぞとさふらひければ、聖人の御智慧才覚ひろくおはしますに一ならんとまふさばこそひがごとならめ、往生の信心においてはまたくことなることなし、ただひとつなり、と御返答ありけれども、なをいかでかその義あらんといふ疑難ありければ、詮ずるところ聖人の御まへにて自他の是非をさだむべきにて、この子細をまふしあげれば、法然聖人のおほせには、源空が信心も如来たまわりたる信心なり、善信房の信心も如来よりたまはらせたまひたる信心なり、さればひとつなり、別の信心にておはしまさんひとは源空がまひらんずる浄土へはよもまひらせたまひさふらはじ、とおほせさふらひしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも親鸞の御信心にひとつならぬ御こともさふらふらんとおぼへさふらふ。いづれもいづれもくりごとにてさふらへども、かきつけさふらふなり。
―続く

●白井成允師の現代訳
右に述べた異議の数々は、みなこれを唱える人々の抱いている信心が先師聖人(親鸞聖人)のご信心に異なっているところから起ってきたことかと思われる。それについて思い起こすことであるが、先師聖人の御物語にのようなことがあった。法然上人の御在世の頃、あまたの御弟子たちが居られたのに、同じい御信心の人も少ししか居られなかったので、先師聖人は御同朋たちの中で信心について論じ合われたことがあった。それは、聖人が「善信(親鸞聖人)の信心も聖人(法然上人)の御信心も同一である」と仰せられたとろが、勢観房・念仏房などという御同朋たちがひどく云い争われて、「善信房の信心がどうして聖人(法然)の御信心に同一なはずがあろう」と申されるので、「聖人の御智慧や学問の広くあらせられるのに、善信の智慧・学問が同一だなどと云うのであれば、それはもとより誤りであろうが、浄土に往生させていただく信心においては少しも異なることがない。全く同一である」と返答せられたけれども、それでもなお肯われないで「どうしてそんなことがあろう」と非難せられたので、結局これは法然聖人の御前で双方の是か非かを定めていただくがよいということになって、このことを詳しく申し上げたところが、法然聖人の仰せには「源空の信心も如来から頂いた信心である。善信房の信心も如来から頂かれた信心である、だから全く同一である、もし別の信心であられる人は源空の参る浄土へはよもや参られはしないであろう」と仰せられたとのことである。それであるから、このごろ念仏申しておられる人々の中にも、親鸞聖人の御信心と同一でないこともあるだろうと思われる。そのために、上に聖人の御信心と相異なる諸々の主張などを述べてきた、いずれもいずれも老いの繰り言ではあるけれど、書きつけたのである。

●高史明師の現代語意訳
右に述べた異説の数かずは、みなもって信心の異なることから、起きたものでもありましょう。故聖人(亡き親鸞聖人)が、お話して下さったことがあります。法然聖人の御ときにも、その数多いお弟子の中には、信心を等しく頂いていない方も居られたことから、親鸞聖人と、そのお仲間との間において、信心をめぐって、相論じ合うということがあったそうであります。ことのおこりは、親鸞聖人が「善信(親鸞聖人が法然の門に入って4年目の呼び名)の信心も、聖人(法然)の信心も、ただ一つなり」と表明されましたことにありました。つまり、その表明に対し、勢観房・念仏房(いずれも法然の高弟)などの方々から、もってのほかだというわけで「聖人の御信心と、善信房の信心がどうして一つであるはずがあろう」と言われるのであります。そで親鸞聖人はお答えになったのであります。「法然聖人の智慧や才能は、広く深いものであります。従って、その点で同じであると言ったのであれば、たしかに間違いであると言えますが、私が言っているのは、そのことではありません。往生の信心、ということを申し上げているのであります。この信心ということでは、全く異なることはないのであって、ただ一つなのであります」と。しかし、なお「どうして、そのようなことがあろうか」という疑問や論難が出されることになり、つまるところ、法然聖人の御まえにて、自他のいずれが正しく、また間違いであるかを、決めることにしましょう、と言うことになって、法然聖人の前に出て、ことの子細を申し上げましたところ、法然聖人は仰せられたのであります。「源空(法然)の信心も、如来よりたまわったところの信心であり、善信房の信心も、如来よりたまわった信心であります。そうであれば、この信心は、ただ一つのものであります。別の信心をもって信心としておられる方は、源空が参ろうとしている浄土へは、よも来られることはありますまい」と。そうでありますれば、その当時の一向専修の人々の中にも、親鸞聖人の御信心と一つでない信心を、信心としていた人があったものと覚えられます。いずれもいずれも、老いのくり言としか言いようがありませんが、ここに書き置くものであります。

● あとがき
禅門のお悟りに相当する浄土門の信心はやはり他力に依るわけでありますから、「自分が修行して 獲得した信心ではなく、賜りたる信心」であります。当たり前の事でありますが、自力に慣れた私 たちは頭の中の理屈では分かっても、心底ではなかなか分からないと言うことでありましょう。法 然上人の高弟ですら、師法然から直接指摘されませんと、「賜りたる信心」と言う事を忘れ去って しまっている、と言うのが今日の実話紹介であります。

私も信心を賜りたく、お話を聞き本を読み、こうしてコラムも書いているのでありますが、何処か に、「自分の努力で何とか早く信心を獲たい」と言う自力の心がデーンと居座っていることに気付 かされます。もちろん、法話を聞く、本を読んで勉強する事も必要だと思っておりますが、信心は 賜るものだと言う他力宗旨から逸脱しないように自然体を忘れないようにしたいものであります。


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No.725  2007.8.9

仏様からのシグナル

齢(よわい)62まで歳を重ねながら且つ親鸞聖人の教えを聞き進みますと、我が身に起る全ての事が、仏様からのシグナル≠フように感じて来るものなのかも知れません。どんなシグナルかと申しますと、「良い加減に目覚めておくれ」と言うシグナルであります。そして、何に目覚めておくれと云うシグナルなのかを考察致しますと、私の感じるところでは、「全ては他力によるのだ」と言う事になります。

シグナルが送られ、そのシグナルを感じている限りは、私は依然として「全ては他力によるのだ」とは思えていないと言うことでもありますが、考えて見ますと、物心つきましてからは常に自分の力を磨くように教育され続け、自分の力を頼りとするように励まされて大学に入り、そして卒業して社会人になりましてからは更に『自己啓発』と言う言葉で強要されましたから、自力に頼る人格になってしまったのは致し方無いのかも知れません。

そして、これは何も私だけに限らず、また戦後の高度経済成長期に限らず、日本人が歴史的に指向して来た方向性ではないかと思いますので、親鸞聖人の他力本願の教えは、他力≠ニ言うだけで、一般人には疎ましく思われ、理解されないまま今日に至ったように思われます。

そう言う中で私は歳をとって参りましたが、55歳頃から経験している経済的苦境とそれに伴う環境や人間関係の変化を、『自分の力の至らなさ』と言う反省として捉えるよりも、逆に「何でも俺が俺がと自分の力を頼り、他の人の力のお陰で成り立っていることに気付かなかったからではないか」と言う慙愧する心で捉えるように成って来たように思います。

これも歳をとった所為だと思いますが、55歳までの自力一辺倒から、今は身の回りで生じる現象の夫々に他力を感じるようになって来ているように思えます。恐らく、若い時から、仏様はシグナルを送り続けて下さっていたに違いありませんが、アンテナが立っていなかったからでありましょう、受信出来なかったのであります。これからは、更に色々な方向にアンテナを立てて、仏様からのシグナルを受信しながら生きて行こうと思っています。

他力を頼るとは勿論、他人の力に依存すると云うことではなく、この世に働き続ける力、宇宙を動かす法の力、仏教的には「仏様の働き」の事であります。


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No.724  2007.8.6

歎異抄に還って―後半八章を終わって

● まえがき
前回で、歎異抄の後半編に当たる第十一章から第十八章まで終わりましたが、ここで、親鸞聖人のお教えを聞き信心を頂くに当たっての私達が陥り易い誤りに関しまして、白井成允先生(しらいしげのぶ先生、故、元広島大学名誉教授、文学博士)が分かり易くまとめて居られます(『歎異抄領解』と言うご著書に)ので、それをご紹介したいと思います。そしてその後に、歎異抄のあとがき≠ニも云える『後述』(結語とも言われます)に入りたいと考えます。

白井成允先生は倫理学者で在られましたが、どのご著書においても倫理学者的な表現をされてはいません。しかし以下のご解説には倫理学的アプローチが見られ、逆に新鮮に受け取ることが出来ます。かなり長文のご解説から、私の判断で下記の如く抜粋させて頂きました。

ご解説を読み終わりまして、私自身は白井先生が示される二つの性格(性格の傾向)の中の修善派に属し、自力に頼り、他力に徹底し難く、驕慢に陥っている可能性が極めて強いと感じています。

●白井成允師のご解説
信心の誤解、生活の過誤はわれらの性格の傾向によりて誘われ導かれる。この歎異抄後半の八章に引かれた異議は、いずれもわれらの性格の傾向を質料として生じたものである。
われらの性格は、生まれながら或いは真面目に慎んで生きなければならぬと言う感じを本とするか、或いはむしろ、おおらかに朗らかに生きたいと云う感じを本とするか、いずれかの傾向を具えている。この傾向の別が念仏往生の教えを聞き受けるに当たってまた作用する。

もとより本願を信じ得て念仏の生活を為す上にも、この別は現れるに違い無いけれども、それは真実信心の妙なる相を種々にあらわすのであって、美しいことである。ただ本願を信じ得ず、自分の心を本として念仏をさえ種々にはからう者にありては、そのはからいがこの性格の別に添いて行われるのであるから、異議もまたほぼこの二つの傾向に類別せられる。

この二つの傾向は、自ら善根を修め功徳を積んで往生しようと欲する修善派と、一度廻心を体験したような気になって、既に悟れる如く思い上がり、己れの機の動くままに欲しいままなる振る舞いに出でて恥ずるを知らない自然派として現れる。共にこれ如来の悲願を聞かず、根本無明の我執を離れず、他力真実の信心に至らざるにおいて同一である。けだし如来の悲願は、衆生が煩悩に迷い悪業に苦しむのを同悲して、これを救って覚りの楽果に至らしめんと誓いたたせたもうたのであるから、この悲願を聞くとき、己れの悪が如来の御悲しみ、御苦しみの因であることを知りて慙愧し、かかる悪業の者をあわれみ救わせたまう不思議の恩沢に感謝する他ないであろう。慙愧のあるところ、己れの恣意に狂う懈怠から離れ、感謝のあるところ己れの功徳を募る驕慢から免れしめられ、ここに悪を慎み善に誇らざるの道、むしろ「よきこともあしきことも業報にさしまかせてひとへに本願をたのみまいらす」道に安んぜしめられるのである。

浄土へ往くの道、即ち今生に処するの道、ただかくの如く、如来の本願にまかせ、本願の御名告りを聞き頂いて歩々を辿るばかりである。

● あとがき
浄土門の信心を獲る道は易行道(いぎょうどう)と云われますが、歎異抄に示される異議に陥り易く、昔から信心を獲る人は極めて少ないと云われて来ました。易行と云いますのは、禅門で行われる長時間の坐禅などの体を使っての修行が無いところから云われるのでありましょうが、信心を獲るにしましても、さとりを開くにしましても、最後の一点、「我執の心を如何に処理するか」を自分自身の心の中で決着が着かねば為し得ないことは禅門も浄土門も変わらないと私は思っております。

そして、最終的には、白井先生のご解説の中で語られている、「慙愧のあるところ、己れの恣意に狂う懈怠から離れ、感謝のあるところ己れの功徳を募る驕慢から免れしめられ、ここに悪を慎み善に誇らざるの道」に到達してこそ、仏道を成就することになるのではないかと考えております。


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No.723  2007.8.2

混迷を深める日本を救うのは

第21回参議院選挙は予想通り、自民党の大敗に終わりました。敢えて民主党の圧勝と申しませんでしたが、それは民主党が支持されたのではなく、小泉・安倍内閣の政策や政治姿勢への批判票が、民主党やその他野党に投じられたからだと思うからであります。

安倍首相が続投を表明し党内外から批判されておりますが、もし、安倍首相が退陣表明した場合、参議院で与野党逆転した状況の中で、次を目指して手を挙げる人は居らず、政治の空白そして衆議院解散へと一気に進みかねず、止む無く退陣を思い止まったか、或いは長老達に思い止まらされたのではないかと推察しています。

自民党大敗の原因について、赤城大臣の事務所費処理問題や、相次ぐ閣僚の失言、年金問題が挙げられていますが、根本的な原因は、国民が感じている経済面での生活不満・将来不安を解消する政策が取られておらず、ますます経済格差が広がる現状にあり、その他の突発事項は怒りを助長しただけの事だったろうと思っています。

小泉改革により、経済指標上の景気は上向いて来たことは確かであります。私の住む街は、神戸市の西区の住宅街ですが、三宮まで30分、大阪まで1時間のニュータウンにあります。私が引越して来たのは7年半前です。当初はこの分譲地には多くの空き地が目立っておりましたが、2、3年前から急速に分譲が進み、今では300区画の中、3、4区画の空き地が残っている程度になりました。これらを購入したのは、景気回復の恩恵を受けている大企業サラリーマンや今や勝ち組になっている公務員達のようであります。一戸建ての直ぐ傍に、神戸・淡路大震災で被災された方々が住まれる復興住宅(高層アパート)がありますが、対照的な景色を見ることが出来ます。

景気回復の恩恵を受けているのはほんの一握りの人々であり、中小零細企業に勤務する90%以上の家庭は住宅ローンの重さや、増税感、医療費負担増に悩まされており、私を含むこれらの層の中から怒りの批判票を野党に投じた人々が過半数を占めたと言うことではないでしょうか。

しかし、野党が過半数を得た参議院を手離しで喜ぶ訳には参りません。このままではこれからの3年間は、政府与党が提案する法案は野党が気に入らないものならば参議院では一切通らなくなります。野党が法案をすんなり否決すれば、法案は衆議院に差し戻されて、三分の二の賛成で法案は可決されますが、議会運営に精通した方々の予想では、参議院議長を擁した野党は採決に持ち込まずに審議未了として廃案に持ち込みそうだと言うのです。十分にあり得る話だと思います。

先ず最初に当面する難局はイラク特措法の期間延長法案が期限の11月1日までに否決も可決もされず廃案になった時です。インド洋に出向いてアメリカ艦船に給油している日本の自衛隊は引き上げる事になるそうですが、そうした場合、アメリカのみならず国際社会からどのようなリアクションが為されるか想像出来ません。アメリカとの親密度が薄くなった場合、日本国はどのように守れるのか、経済はどうなるのか、恐らく政治家達も確かな道筋を描けていないものと思われます。
ただ、野党もどこまで結束出来るか分かりませんし、民主党だって一枚岩ではありません。案外この際に政界再編が始まるかも知れません。何れにしましても当分は政治から眼が離せません。

考えてみますと、明治維新以来のこの約140年間、国民生活が安定したことはなかったのではないかと思います。私が生まれる1945年(昭和20年)までの前半は、戦争に勝利して一時的には優雅な国民生活もあったかも知れませんが相次ぐ戦争は決して国民に安心感をもたらさなかったでありましょうし、後半は敗戦後の苦難、そして経済発展で仕事仕事に追われ、そしてバブル崩壊・デフレ不況へと追い込まれると言う波乱万丈の現代史を綴りました。

そう考えますと、徳川幕府の江戸時代は政権交代も無く400年近く続きました。庶民生活も恵まれていたとは言えないかも知れませんが然程不安定なものではなかったのではないでしょうか。参勤交代制など、幕府の統治能力・統治システムが当を得たものであったと言うことも確かでありましょうが、我田引水かも知れませんが、初代将軍の徳川家康が仏教を大切にし、お寺を大切にしたことも大きく影響しているのではないかと思います。

江戸時代のお寺は現在のお寺とは全く趣が異なり、村や里の精神的支柱であったようですし、幕府がお寺に各家庭を色々な面で管理させていたようであります。現代は政教分離と言うことで、政治は表立っては宗教とは関わらないという姿勢でありますが、その所為でしょうか、個人的にも信仰心すら持たない政治家ばかりになってしまっているように見受けられます。

アインシュタイン博士は、「科学の無い宗教は盲目であり、宗教の無い科学は不具である」と言われたそうでありますが、「宗教の無い政治は餓鬼であり、政治に無関心な宗教は昼行灯である」ではないかと思います。政治に介入する宗教団体には抵抗を感じますが、宗教を持たない政治家を信頼する事は出来ません。

混迷する日本を救うのは人格優れ、お金にも潔癖、且つ信仰心を持つ、そんな政治家だと思いますが、果たして現れますでしょうか。


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No.722  2007.7.30

歎異抄に還って―第十八章―A

● まえがき
正統な仏教の教団は、大体におきましては多額の寄進を求めないものであります。仏教をお開きになられたお釈迦様は自ら村々を廻られて、各家々での余りものの食物を乞われて、食生活を営まれていたようでありますから、その精神は受け継がれていなければなりません。豪華絢爛とも言うべき教団本部の建物を有する団体は、仏教を名乗っておられても、それはお釈迦様の仏法とは遠く離れたものであると云わねばなりません。

仏教は多額の寄進を求めませんが、一方で仏道を究める為の行として、物や金銭を他に与えたり、仏法を伝え説いたり、或いは『和顔愛語』などの『無財の七施』と言う布施行があります。しかし、唯円坊はこの章において、布施行も信心が無ければ何の役にも立たないと言われているのであります。確かに、心が伴っていない布施行は意味が無いかも知れませんが、我欲から生じた願いが叶うようにと言う心から行う寄進・寄付は本来の仏法から更に遠く離れるものであります。

布施行の是非は極めて微妙だと思います。布施とは、「布施をする人の心に何ら目的が無いこと、そして布施として提供する金銭や財物、仏法に何の穢れが無いことと、受け取る側がどう受け取ろうと拘らないと言う三条件が整ったものである」と言うことだと思います。勿論、大変難しいことで、往々にして私たちは差し上げた品物やサービスとその布施の相手に執着しがちであります。

●第十八章原文
仏法のかたに施入物(せにゅうもの)の多少にしたがひて大小仏になるべしといふこと。この条、不可説なり、不可説なり、比興(ひきょう)のことなり。まづ、仏に大小の分量をさだめんこと、あるべからずさふらふか。かの安養浄土の教主の御身量をとかれてさふらふも、それは方便報身のかたちなり、法性のさとりをひらひて、長短方円のかたちにもあらず、青黄赤白黒(しょうおうしゃくびゃくこく)のいろをもはなれなば、なにをもてか大小をさだむべきや。念仏まふすに化仏(けぶつ)をみたてまつるといふことのさふらふなるこそ、大念には大仏をみ、小念には小仏をみるといへるか。もしこのことはりなんどにばし、ひきかけられさふらふやらん。
かつはまた檀波羅密の行ともいひつべし。いかにたからものを仏前にもなげ師匠にもほどこすとも、信心欠けなばその詮なし。一紙半銭(いっしはんせん)も仏法のかたにいれずとも、他力のこころをなげて信心ふかくば、それこそ願の本意にてさふらはめ。すべて仏法にことをよせて、世間の欲心もあるゆへに、同朋をいひをどさるるにや。

●白井成允師の現代訳
仏法のことについて献(ささ)げる施物の多いのと少ないのとにしたがって、浄土に生まれて覚りを開くとき、或いは大きい仏になり、或いは小さい仏になるのだ、という者がある。これは言語道断とんでもないことである。まず仏の御身におおきいとか小さいとかいう分量を定めることはあるべきことではない。かの安養浄土の教主であらせられる阿弥陀仏の御身の分量を経に説かれてあるが、それは法性の御身から私共をお救いくださらんがために現れてくだされた方便法身の御姿について申されるのである。それは私共現身(うつせみ)を離れ得ない思慮分別に応じて示してくだされた御姿であって、本の法性法身を申しておられるのではない。私共が浄土に往生して法性の覚りを開くときには、長いとか短いとか四角だとか円いとかいう形を離れ、青・黄・赤・白・黒などという色を離れてしまうのであるから、そういう覚りの境界を何によりて大きいとか小さいとか定めることができよう。念仏申すと化仏をみたてまつるということがあるので、大声で念仏すれば大きい仏を見、小声で念仏すれば小さい仏を見ると言われるのであろうかと思われるが、かの浄土に往生して仏の覚りを開くとき或いは大きい仏になり或いは小さい仏になるなどと云うのは、或いはこの道理にでもひき掛けて云っておられるのであろうか、甚だしいまちがいと云わねばならない。
そのうえ施物の功徳をかれこれ云うのは聖道門でいう布施波羅密の行ともいうべきものである。いくら財物を仏前にも献げ師匠にも差し上げても、もし信心がないならば、その布施は何の益にもたたないことである。一紙半銭も仏法の方に献げなくても、もし他力のめぐみにまかせきって信心が深いならば、それこそ仏の誓願の本意によくかなっているのであるのであろう。すべてこんな誤ったことを云われるのは、仏法にこじつけて己れの世間的の欲心を満たそうとするために、同じく念仏申す朋友等を云いおどろかされるのであろうか。

●高史明師の現代語意訳
仏事に関係する方面に、どれだけ寄付するかということ、その施入物の多い少ないに従って、大きな仏、また小さな仏になるだろうと言われていることについて。この説、まことにもって言語道断のことであります。卑しい(比興)と言うほかない説であります。まず、仏に大きい小さいという分量を定めるということが、あってよいことでありましょうか。かの極楽浄土の教主、阿弥陀仏の御身の大きさについて、(『観無量寿経』には、たしかに「仏身の高さ、六十万億那由他(千億)恒河沙由旬(ガンジス河の砂の数に掛ける牛車一日の行程)なり」という途方もない表現で説かれていますが、)それは私たちにもわかるようにという配慮のもとに言われた、方便のお姿であります。絶対の真理である真実智慧の覚りに帰するなら、長い短い四角い円いの形もなく、青・黄・赤・白・黒の色をも離れているのであれば、いったい何をもって大小を定めることができましょう。思いを凝らして念仏すれば、それぞれの思いに応じて、仮のお姿を現して下さる化仏を、見たてまつることがあると言われていることで言いますならば、「大念には大仏を見、少念には小仏を見る」(『大集経』の文意)とも言えましょうが、この経の言葉にでも、引き掛けて言われているものなのでありましょうか。
あるいはまた、それは、迷いの此岸から彼岸に至る菩薩行である『波羅密』のうちの、布施行ということもできるものであります。とはいえ、どんなに、財宝を、仏前にも寄進し、師匠に差し出したとしても、信心が欠けているのであれば、その効果はありません。一方、紙一枚、銭一文も、仏事に関係する方面に寄進しなくとも、本願他力にこころを投げつくして、深い信心を授かっている人は、それこそ阿弥陀仏が願をお建てになられた、本当のおこころに、かなうことになります。施入物の多少などと言うのは、すべて、仏法にかこつけての言い分であります。俗世間の欲望に振り回されて、念仏のお仲間を、言い脅やかそうとするのでありましょうか。

● あとがき
正統な仏教が多額な財物の寄進を強要せず信心を大切にすると言う事を誇りに思う一方で、「布施をする心を失ってしまっている」と自誡する向きもあります。確かに、真に本願他力の信心を頂いたならば、報謝の心が強くなり、行と言う堅苦しい形ではなくて、毎日が他に施すと言う日常生活に成ってゆくのが自然の成り行きではないかと思われます。


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No.721  2007.7.26

聖夜

『聖夜(せいや)』とは、私が幼稚園の頃から親しんでいた仏教聖歌の題名であります。この歌は、作詞が九条武子さん、作曲が中山晋平さんでありますが、九条武子さん(1887〜1928年)は、西本願寺大谷家のご令嬢として生まれられましたが、大正の三美人と言われる一方、歌人としての才能にも優れ、西本願寺門徒の尊崇の念を一身に集めた方であります。

この聖夜の歌詞によく表れていますが、この清らかさと懐かしさは、九条武子さんの人柄そのものであっただろうと思うことであります。

       1.星の夜空の 美しさ
       たれかは知るや 天(あめ)のなぞ
       無数のひとみ 輝けば
       歓喜に和(なご)む わが心

       2.ガンジス河の 真砂より
       数多(あまた)おわする 仏たち
       夜ひる常に 守らすと
       聞くに和める わが心

インターネットで、この『聖夜』を聞くことが出来ます。

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