No.780  2008.2.18

親鸞聖人の和讃を詠む-1

● まえがき
今日の和讃は、夢告讃(むこくさん)とも云われております。親鸞聖人は人生の節目節目で夢のお告げを受けて居られます。法然上人を訪ねられたのも、京都の六角堂の参籠中に救世観音の夢のお告げに依って背中を押されたそうであります。今日の夢告讃の夢のお告げは康元二歳とありますから1257年の2月9日と思われ、和讃作成は年号が改まった同じ年の正嘉元年(1257年)3月1日に為されたものと思われます。

笠原一男師(日本中世宗教史、元東大教授)の親鸞年表に依りますと、この和讃の前年の1256年5月29日に長男の善鸞を義絶(親子の縁を切る)しております。1255年から1257年は、善鸞の背信(父親鸞が私だけに教えてくれた念仏の教えがあると云う虚言)で関東の念仏信者集団に大きな動揺・混乱が生じ、この夢告讃作成の5年後(1262年)に亡くなられる親鸞聖人に取りましては非常に辛く悲しい時期でありました。

親鸞聖人は43歳から63歳まで関東に住まわれ、念仏の教えを広められ、その間に信者数は、数万人乃至10万人にも達していたと云う見方をする向きもあります。そのリーダーとも言うべき立場にある親鸞聖人が自分の名代として関東に送り込んだ長男善鸞(親鸞聖人の最初の奥さんとの間に出来た長男で、恵信尼との間で出来た長男ではありません)に裏切られた訳ですから、これ程不名誉で信頼を失う事態はありません。それは85歳の親鸞聖人に取りましては非常に辛く悲しい事態ではありましたが、親鸞聖人の他力本願の念仏信仰は逆に更なる強い確信に高められていくことになったものと推察出来ます。

上述の苦難を乗り越えられようとしていた時か、或いは乗り越えられた直後に読まれた和讃が今日の夢告讃であります。そういう背景を知って詠みますと、人間親鸞と他力本願で生き抜かれた親鸞聖人、お二人の親鸞のお心に触れたような気持ちが致します。

● 親鸞和讃原文

       弥陀の本願信ずべし     みだのほんがんしんずべし
       本願信ずる人はみな     ほんがんしんずるひとはみな
       摂取不捨の利益にて     せっしゅふしゃのりやくにて
       無上覚をばさとるなり     むじょうがくをばさとるなり

● 和讃の大意
『弥陀の本願信ずべし』の「べし」は他の人への命令形として使われることが多かったと思いますが、自己の意思を表現したい時に、極めて強い意思を表わす場合にも使用されたようであります。親鸞聖人も私たちと同じ人間です。善鸞の背信に心が揺れる瞬間も有ったものと思われます。「仏様は他力本願を信じる念仏者にこんな辛い目に遭わせるだろうか?」と本願他力を疑う一瞬があったとしても不思議ではありません。しかし、関東の信者に対しても、また自分に対しましても、「善鸞一人に依って信仰が揺らぐようでは、これまでの信心が浅いものだったのではないか」と善鸞に向って責めていた目線を自分の心の方に振り向け直され、初心に戻られまして、心を転換されたのではないかと想像致しております。そして、「親鸞はこれまで通り阿弥陀仏の本願を迷うことなく信じます」と、気持ちを新たにして宣言し直されたのが、この冒頭の一句ではないでしょうか。

そして、「本願を信じる者は誰でも、もうどんな事があろうとも、仏様から見離されることはなく仏様の御力で必ず最高の悟りの世界に至らしめられるのである。ただ私はそれを信じて念仏を称えるだけでよいのである」と言う3句が詠われておりますが、この夢告讃は冒頭の一句『弥陀の本願信ずべし』が親鸞聖人のご心境全てを表わしているのだと思います。

● あとがき
歎異抄の第2章には、関東のお弟子達が親鸞聖人を訪ねて来た場面が下記のような冒頭文で描かれています。

    おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし
    ひとえに往生極楽の道を問い聞かんがためなり。

この場面は、親鸞聖人の長男善鸞に「私は父親鸞から本当の念仏の教えを聞いた。これまであなた方が聞いて来た念仏の教えは本当のものではないのだ」と言われて信心が揺らいだ関東の弟子達の代表数人が、親鸞に直接会って真相と真実を確認する為に京都の親鸞聖人を訪ねたところだと想像致します。

私の個人的な想像でありますが、この場面は善鸞を義絶する以前、勿論上述の夢告讃を詠む以前の出来事だと思います。我が長男善鸞の背信行為に多少の申し訳なさを抱きつつも、善鸞の虚言に依って信心が揺らいで混乱する関東の弟子達に不甲斐なさを感じて居た親鸞聖人は、自分を問い詰めに来た弟子達に、「あなた方は極楽往生する事が目的であろう。往生極楽の道を長男善鸞だけに教えて、あなた方に秘密にしていた教えなぞは何も無い、法然上人の教えを信じてただ念仏するだけなんだ。それと同じく、私の教えを信じて念仏するかしないかは、あなた方自身が決めるしかないのだよ。」と、きっぱりと言い放ったのだと思われます。言い放ちながら、親鸞聖人はご自分にも言い聞かせて居られたのではないだろうかと思います。

親鸞聖人は、弟子達を叱られなかったし、こうしなさいとも言われなかった。また、自分の長男善鸞の不始末を謝られもしなかったのだろうと思います。ただただ信心と言うものが何かを自分にも言い聞かせつつ、お弟子方にも説かれたのだと思います。それを感じ取った弟子の唯円房が、後代の私たちにも書き遺されたと思われてなりません。

そう思いながら、もう一度夢告讃を味わいますと、親鸞聖人が一層身近に感じられます。


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No.779  2008.2.14

誤解された仏教

表題『誤解された仏教』は秋月龍珉(あきづきりょうみん、東大哲学科卒、花園大学教授など歴任、1921~1999年)と云う仏教学者が書かれた本の題名である(『誤解されている仏教』と言う方がよいと思う)。秋月氏は、私が小学生から大学生までの間に縁が深かった山田無文老師を師と仰がれていた禅者でもあり、老師のご法話の中で出ていた名前で気になっていた存在であったが、最近書店でたまたまそのご著書、つまり『誤解された仏教』が眼に入り、題名に共感するところもあって購入した次第である。

未だ読み終えてはいないが、仏教に、広くは宗教に対してかなり潔癖な考え方をされていた方だったんだなぁーと言うのが第一印象である。「葬式や法事は本来の仏教とは関係ない」とか「お釈迦様の仏教は無霊魂説であり、輪廻思想は仏教ではない」と主張されており、私の仏教観と共通する面も多いようにも感じているところである。

今回私が我が意を得たりと思っているのは、「道元禅師を尊敬しているが、道元禅師が前世・現世・来世の三世の因果を説くのには首を傾げる」と云う見解と、「釈尊は呪などと言うものには批判的であった。般若心経で『空』というような今日の世界でも人類最高と思われるような哲学思想を説くかと思えば『呪』と言うような低俗な古代インド民衆の俗信が登場しているのは理解出来ない」と言う見解に対してである。

秋月氏は、お釈迦様の教説(縁起の道理、四聖諦、十二縁起説)よりも悟り(目覚め、自覚)そのものを重要視されているのだと思う。そして、「悟りの程度は別にして、悟りの無いのは仏法ではない」とまで云われているように思う。しかし、「お釈迦様が何を悟られたのかを言葉では説明出来ない。しかし決して『縁起の理法』を悟られたのではない」と言っておられる。「悟りの内容が『縁起の理法』なら、何も『悟り』(覚、頓悟)という必要はないではないか。理法なら、分別智の推理で事足りるはずである」と言われるのである。

私も実はかねてから『因縁果の道理』、『縁起の道理(もの事は縁に依って起る)』を知ることと『悟り』とは何処が違うのだろうかと考えていた。しかし、道理を頭では誰でも理解出来るはずだから、その理解と悟りとはどう云う関係にあるのかの結論を得られないままだったのである。 秋月氏は、お釈迦様は悟った後に、悟りの内容を人々に説こうとした時に、自分が悟った内容を具体的に説明しようとして思惟されたときに生じた思索の跡として因縁果の事、縁起の事を考え付かれたのであって、決して『因縁果の道理』を悟ったり、『縁起の道理』を悟ったのではないと説明されている。

しかしそれではお釈迦様が悟られたのは何かと言うことに付いては、秋月氏も『無我の我』とか『本来の自己』とか『霊性的自覚』とか言われるのであるが、そう言われても、未だ悟れていない者には何のことかさっぱり分からない。秋月氏も一般向けの説明に窮して、「仏陀が何を悟ったかは、ブッダの内観の問題で、他人にはうかがうべくもない。しかしその内容が教説のかたちで示されたとき、それは、苦悩とその原因に関する「縁起」の理であったと説明されている」と友人の言葉を借りている位である。

結局は悟りとは何を悟るのかは明確ではないままであるが、何としても悟りたいと願っている私は、秋月氏が本の中で書かれている『般若』の原語である『プラジュニャー(無分別智、智慧)』と『ヴイジャニャーナ(分別智、知識)』の違いにヒントを得て考えて見た。つまり、『縁起の道理』を分別智で分かっても悟りではなく、『縁起の道理』を無分別智で理解するのを悟りと言うのではないかと考えて見た。そして、『分別智』とは、自分の存在を横に置いて、自分以外の存在や自分に関係しない現象を観察して分割・分析思考して理解・納得することであり、『無分別智』とはその逆で、自分自身の存在と自分の心の中で起こる現象や自分自身が直接関係する様々な現象に関して観察し分析思考して理解・納得することではないかと考えて見た次第である。

世間ではよく「一番自分の事を知らないのは自分である」と言う。そして、仏教の浄土門の世界では「私たちはなかなか自分を煩悩具足の凡夫と思えないものだ」(煩悩具足とは、煩悩と云う煩悩をパーフェクトに持っていること)とも言う。これは、「誰よりも自分の事が一番可愛い」と言う煩悩が邪魔をして、自己の真実が見えないからである。悟りとは、この「誰よりも自分が一番可愛い」、「誰の都合よりも自分の都合を最優先したい」と言う煩悩がすっかり振り払われた瞬間に世界(自分をも含めた)が見えた時に感じる清々しさ、安らかさを言うのではないかと考えて見たのである。

そして、ただ生身を持つ我々の煩悩は死なない限り決して滅し切ることは無いと思う。しかし、真剣に仏道を歩み、精一杯分別智も養なっている中に上述のような悟りは瞬間的に起り得ることではないかと思う。そして、白隠禅師が大悟数回、小悟数十回されたと言われているように、何回か悟りの瞬間があるのではないかと思う。

大乗仏教は、自分一人が救われるのではなく、皆と共に救われる教えであると云うが、親鸞聖人が、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、親鸞一人が為なりけり」と言われているように、自分が問題にならなければ仏教ではないと思う。自分だけが救われれば良い訳では決して無いが、先ず自分が救われなければ何も発言権は無いと思うのである。そして、仏教は一人一人悟りの内容も程度も異なってよいと思う。こうでなければならないと言う窮屈なものは仏教ではないと思うのである。


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No.778  2008.2.11

親鸞聖人の和讃を詠む-序

● まえがき
宗教或いは信仰というものには相性というものがあると云うことは、これまでも度々申し上げて参りましたが、相性以前に『縁』と言うことも大きいでしょう。たまたま何かの機会に出会った宗教、紹介された宗教が生涯の宗教となる場合も多いのかも知れません。しかし、その宗教と相性が良くなければ、決して続くと言うものではないとも思います。その中で、縁も有り相性も良いと言うのが親の信仰している宗教ではないかと思います。

私の場合は、母親が親鸞聖人の念仏信者であり、且つ禅宗の教えにも心を寄せる、いわゆるお釈迦様の仏法信者でありましたので、私は一宗派に凝り固まることなく仏法と接して来れたように思います。その代わりと言う訳でもございませんが、特に親鸞聖人の教えを蒙ってお念仏を称える身にもなかなかなれないで参りました。折に触れて浄土真宗の信者さんやお坊さん方からお念仏を称えることを強く勧められますが、根が頑固者でありまして、自然に念仏が口に出るのを待ちたいと言うのがこれまでの私の偽らざる心境でありました。

しかし、相性と言う面では最近、私は聖道門の禅宗ではなく、親鸞聖人の教えに依ってしか自分は救われないと思うようになっております。人間は夫々もって生まれた人格が異なると言う思いは年老いてからますます確かなものになっております。これまで知り合った人々を思い浮かべます場合、この方はきっと生まれ付き高潔な方だろうと思われる人もいらっしゃいますし、こだわりのキツイ、煩悩がかなり強いと思われる人もいらっしゃいますが、前者は禅宗向き、後者は浄土門向きのように思われます。そう確信致しますのは、私が存じ上げている禅宗のお坊様方(青山俊董尼、故山田無文老師、故柴山全慶老師)は生まれ付きかなり高等な人格をお持ちだったのだと思えてならないからであります。

私は自信家であり批判精神が旺盛である反面、お人好しで弱気なところもあり後悔の念に悩まされることも多い、いわゆる『煩悩具足の凡夫』の見本のような人間です。そしてその癖、未だ心の底から自分自身を『煩悩具足の凡夫』とは思えていないと言う極めて厄介な身でありますので、「親鸞聖人の教えによってしか、救われまい」と最近俄かに思うようになりました。

そこで、親鸞聖人が晩年85歳を過ぎられてから創作された和讃(わさん、七五句を四つ並べた詩)を勉強してみようと思います。

● 親鸞和讃が出来るまでの歩み
親鸞聖人は京都の公家の子として生まれられましたが、お母さまが亡くなられた9歳で比叡山の天台宗のお寺に預けられました。そして、29歳まで仏典の勉強や修行をされましたが、お寺での地位も上がらず、悟りを開くことも出来ず、有名な六角堂での夢のお告げもあって、意を決して法然上人を訪ねられ、念仏に依って漸く救われる身となられました。

しかし、当時の新興宗教であった法然上人の念仏の教えを批判する人達も多く、それらの人々の直訴を受けた朝廷から解散を命じられまして、親鸞聖人は34歳の頃に越後(新潟)に流されました。越後で恵信尼と結婚されまして、43歳頃には関東(現在の茨城県)に移住されます。関東で約20年間念仏布教に努められた後、生まれ故郷の京都に戻られまして90歳で亡くなられるまで京都で念仏の教えを広められました。親鸞聖人が遺された著述の代表作は漢文で書かれた『教行信証』でありますが、これは極めて難解であり、庶民にはとても読めるものではなく、親鸞聖人も晩年になられて一般人にも分かり易い(と言うとではないかと思います)話し言葉で念仏の教えやご心境を書かねばと思われたのだと思われます。それが今回勉強する親鸞和讃であります。

● 親鸞和讃について
親鸞和讃は、三帖和讃と言いまして、『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』があります。今回勉強しようと思いますのは、最晩年の85歳の頃に書かれた『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』の116首であります。

親鸞聖人の和讃は、平安時代の中頃から詠われ始めた和讃形式(七五調で一句、それが四句集まって一首になる)で、これは当時遊女達も口ずさんだとされる流行歌の形式であり、一般庶民向けを意識されてのものであったことは間違いないところです。

この正像末和讃を勉強したいと思いましたのは、親鸞聖人が長男の善鸞を勘当されたのが85歳の頃だと聞いております事に加えまして、歎異抄の第2章(関東の信者達が京都の親鸞聖人を訪ねた場面)に書かれた場面もその85歳の頃だと推測され、和讃にそのご心境も偲ばれるのではないかと思うからであります。

ゆっくりと勉強いたしたく、お付き合いの程をお願い申し上げます。


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No.777  2008.2.7

毒入り手作りギョーザが語ること

中国で生産されたギョーザに殺虫剤が混ざっていた中毒事件(多分事故では無いだろう)は漸く原因究明に向けて本格的に動き出したようであるが、昨年6月生産の同じ手作りギョーザに、10月生産品に混ざっていたもの(メタミドホス)とは異なる有機リン系殺虫剤(ジクロルボス)が混入していたと言う新たな展開が明らかになり、事件性がますます高まったと言える。現時点では、中国で毒が混ぜられたのか、日本で混ぜられたのか、或いは中国から日本へ運ぶ船上で混ぜられたのか、断定出来る確かな根拠は見出せないようであるが、薬品の精密分析により早晩断定されるだろう。

今回もマスコミは例の如く連日ニュースや報道番組で事件の原因や動機を興味本位で云々しているが、私たち日本人は、この事件を私たちの日常の生活姿勢に対する警鐘として受け取る必要があると思う。

私たちは何か問題が起こった時、原因を究明し再発防止対策を講じることで一応一歩前進はするが、もっと根本的な再発防止策は、生き方を見直すことにあると思う。

高度成長期には、日本中が競うように高度な電化生活を推し進め、車社会をも演出した。そしてバブルが弾けた後は日本国中に百円ショップが軒を並べ、スーパーだけでなくデパートまでもが安い中国製品で溢れ返ると言う、お金に振り回される生活に終始して来たように思うのである。

斯く言う私も経済的弱者であり、百円ショップや中国製品無しには生活が成り立たない身である。急に生活を変えるのは至難の業である。しかし、国民が自国商品を消費しなければ、これからはより一層自国の製造業は衰退の一途を辿り、その結果技術は失われ、伝統工芸までも失われてしまうに違いない。そうなれば、日本が日本ではなくなってしまうのではないか。

私は6年前にある製品の生産を中止せざるを得なかった経営者である。安い人件費の中国に仕事を奪われたのである。勿論、それを推し進めたのは日本の代表的なプリンターメーカーである。自分達が生き残り、利益を増やすには中国に作らせた方が良いからである。中国で生産すると不良率は高くなるが、不良品を選別除去しても、人件費が安い故にコストは大幅に下がると言う考え方であった。

今回の手作りギョーザと言うキャッチコピーも、自動機械を導入してオートメーションで製造するよりも、人海戦術で生産した方が安いから『手作り』しているのであって、1個1個心を込めて加工した手作りではない商品を〝偽装表現〟しているだけのことである。

テレビ報道番組のコメンテーターは「今や中国製品の無い生活は考えられないから、不良食品を水際で排除する方法を見付けねばならない」と言っているが、一昔前は中国製品などが無い生活であったはずである。国民の多くが自国の食材を消費するようになれば、農村に若者も戻り、効率的な農業システムも開発されるようになるだろう。

今回の中毒事件を『発想の転換をして、生活姿勢を変えよ!』と言う警鐘と受け取りたいと思う。


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No.776  2008.2.4

般若心経に学ぶー完

● まえがき
今回で般若心経の勉強は終わりと致します。
最後に『羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』と言う真言があります。この漢字一文字一文字には何の意味もありません。「gate gate paragate parasamgate bodhi svaha」と言うサンスクリット語を漢音で写し取っただけのものであり、これは般若波羅蜜多によって、無上正等覚(むじょうしょうとうがく)を得た者をとその悟りを讃嘆したものであります。

空海によれば、最初の羯諦は声聞乗(しょうもんじょう)の修行と悟りを表わし、次の羯諦は縁覚乗(えんがくじょう)の修行と悟りを表わし、第三の波羅羯諦は大乗の最も優れた修行と悟りを示し、第四の波羅僧羯諦は真言乗の修行と悟りを、第五の菩提薩婆訶は、声聞乗、縁覚乗、大乗、秘密乗の究極の悟りの意味を説いたものであると言っているそうであります。

真言や呪文と言いますと、科学信奉者は、非科学的だと蔑(さげす)む傾向にありますが、この世の中には、『眼で見える存在と現象』と『眼には見えない命とか精神現象』があります。後者は、人間の知識を超えた世界であり、説明することも、人間の力で作り出す事も出来ません。
その人智を超えた世界やその働きを尊重し信奉する気持ちを表わすものが真言であり、呪文であると思います。

従いまして、私見ではありますが、『羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』も、『南無阿弥陀仏』も、同じ意味を持っているのだと考えます。

● 玄奘三蔵の漢訳般若心経原文

観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみたじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう  度一切苦厄どいっさいくやく 舎利子しゃりし
色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき 受想行識じゅそうぎょうしき 亦復如是やくぶにょぜ 舎利子しゃりし
是諸法空相ぜしょほうくうそう 不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不滅ふぞうふげん 是故空中無色ぜこくうちゅうむしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき
無眼耳鼻舌身意むげんにびぜつしんい 無色聲香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい 無無明むむみょう 亦無無明盡やくむむみょ うじん
乃至無老死ないしむろうし 亦無老死盡やくむろうしじん 無苦集滅道むくじゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく 以無所得故いむしょとくこ 菩提薩埵ぼだいさった 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 心無罣礙しんむけげ 無罣礙故むけげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顚倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 空竟涅槃くきょうねはん 三世諸佛さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみた 是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみょうゅ 是無上呪ぜむじょうしゅ 是無等等呪ぜむとうとうしゅ 能除一切苦のうじょいっさいく 眞実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみたしゅ 即説呪曰そくせつしゅわっ 羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか 般若心経はんにゃしんぎょう
 
     

●玄奘三蔵の漢訳の訓読文
観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆(みな)空なりと照見して、一切の苦厄を度(ど)したまう。舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即ち是れ空なり、空は即ち是れ色なり。受・想・行・識も亦復(またまた)是(かく)の如し。舎利子よ、是の諸法は空相なり。不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり。是の故に、空の中には色も無く、受・想・行・識も無く、眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、色・聲・香・味・触・法も無く、眼界も無く、乃至、意識界も無し。無明も無く、亦(また)無明の盡(つ)くることも無く、乃至、老死も無く、亦(また)老死の盡くることも無し。苦・集・滅・道も無し。智も無く、亦得も無し。無所得を以っての故に、菩提薩埵は般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けいげ)無し。罣礙無きが故に、恐怖有ること無し。一切の顚倒夢想を遠離して、空竟涅槃す。三世の諸佛も、般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまう。故に知る、般若波羅蜜多は、是れ大神呪なり。是れ大明呪なり。是れ無上呪なり。是れ無等等呪なり。能(よ)く一切の苦を除く。眞実にして虚(むなし)からず。故に般若波羅蜜多の呪を説く。即ち呪を説いて曰く、羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶、般若心経。

●国語経典編集委員会の新訳(昭和20年作)より
聖なる観自在菩薩、いと深き般若波羅蜜多を修めたまいしとき、五蘊(物と心の集まり)は全て皆さながらに空なりと照見したまえり。 舎利弗よ、此の世に於いては、色(形あるもの)はみな空にして、空は色をかたどれり。色をおきて他に空ということなく、空の他に色はあるべからず。受も想も行も識もまた斯くの如し。
舎利弗よ、此の世に於いては、諸法(全てのもの)は空の相(すがた)なり。起ることもなく、失(う)せることもなく、汚れることもなく、清まることもなく、減ることもなく、増すこともなし。
舎利弗よ、この故に、空の中には色(形あるもの)なく、受も想も行も識もあるにあらず。眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もあることなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明も無ければ無明の尽きるところもなく、乃至、老いも死もなく、老いと死の尽きるところもなし。苦も集も滅も道もなく智慧も所得(成し遂げ)もあることなし。
およそ、所得(成し遂げ)ということなきを以っての故に、菩薩は、般若波羅蜜多を依り処として、心に罣礙(けいげ:こだわり)なし。心に罣礙なき故に、恐怖ある事なく、顚倒(てんどう:迷い)を遠く離れて、涅槃を究め尽せり。三世に住みたまえる一切の諸仏も又、般若波羅蜜多を依り処として無上正等覚を得たまえり。
この故にまさに知るべし。般若波羅蜜多はまことに妙なる真言なり。まこと明らかな真言、無上の真言、類い稀れなる真言なり。それは一切の苦をよく取り除くものにして、偽りなき故に真実なり。然(しか)れば、般若波羅蜜多に於いて真言は次の如く説かれたり。
        歩みて、歩みて、彼岸にぞ至る。
        菩提ついに彼岸に至ることを得たり。

● あとがき
昨年の9月末から始めさせて頂いた般若心経の勉強も、ほぼ4ヶ月で終わりました。無相庵としては、2回目の勉強でありましたが、多くの宗派が大切にしている、そしてまた仏教の代表的なお経と親鸞聖人の教えに根本的な違いがあるのかどうかを特に考察したいと考えて学ばせて頂きましたが、真実を大切にする智慧の宗教とも言える仏教と言う観点から、何ら異なるところは無いと確信出来ましたことは、私に取りましては大変有り難いことでありました。

皆さまに勉強のお付き合いをして頂きましたことで、途中で投げ出すことなく続けられたことを感謝申し上げまして、『般若心経に学ぶ』を締めくくらせて頂きます。有難うございました。


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No.775  2008.1.31

他力の世界

先週末からの風邪が未だ完治しておりません。風邪と申しましても、発熱ではなく咳で苦しんでおります。元々体質的に気管支が弱くて、子供の頃から毎冬咳に苦しみ、半年間は咳が続くという有り難くない血を誰からか受け継いでおります。医者も、咳に対するハードルが体質的に他の人より低いと言うことで、これは治らないと言うのです。咳はかなりのエネルギーを費します。そして、何よりも腹筋が痛みます。治る前兆としては大体において声が出なくなるのですが、今がその段階です。最後は痰が絡んだ咳になり、その中に治ると言うのが私の咳フルコースです。
塾の教師としては、声が出ないと〝商売上がったり〟で、今週は塾全休となってしまいました。

こんな時はどうして過ごしているかと申しますと、大体は寝床で横になって法話テープ・CDを聞いています。私の手元には、この無相庵ホームページの法話コーナーに掲載させて頂いている先生方(青山俊董尼、西川玄苔師、山田無文老師、井上善右衛門先生、鈴木大拙師)の法話テープ・CDが幾つかございますが、それ以外にも、浅井成海師、柴山全慶老師、渓間秀典師、そして最近購入した紫雲寺の伴戸昇空師のご法話もございます。殆どはもう数回或いは十数回お聞きしたものもございます。

ご法話と言うものは、何回聞きましても、その時その時味わいが異なります。その時の心境、環境が異なるからだと思います。そして、何よりも、聞いていたはずなのに聞いていなかった新しい話も出て来るものであります。

今回、特に印象が深かったのは、渓間秀典師の『生と死』と言うご法話でした。ご存知でない方も居られるかも知れませんが、浄土真宗の僧籍を持たれていた渓間秀典師は既に故人でありますが、プロ野球の阪急ブレーブスの全盛時代、昭和50年・51年・52年と、上田利治監督の下、日本シリーズ三連覇を果たしましたが、その時の球団社長を務めて居られたと言う異色のお坊さんでありました。

そのご法話の中に、「悟りも他力に依るのだ」と言う件(くだり)がございます。渓間秀典師は龍谷大学生の時「悟りとは何か」を追及されていたそうです。そして、教授の指導で読み解いていたチベット語の経典の中に「悟りとは、経典が経典の本義に転依することだ」と言う世親菩薩の言葉があったそうですが、その意味が当時は全く分からなかったそうであります。そして、それから約20年後、昭和39年の東京オリンピックの棒高跳びの決勝をテレビで見ている時、選手がバーを越える時にそれまで手にしていた棒を手離す瞬間を見て、前述の世親菩薩の言葉を思い出し、その意味が解ったのだと仰っていました。

棒高跳び競技のルールには棒の長さや材質は規定されていないそうであります。しかし、バーを飛び越える時には、それまで必要だった棒を離さないとバーを飛び越えることは出来ません。渓間秀典師は、悟りもそれまで為した仏道修行が何であろうとも、つまり、坐禅であろうと、滝に打たれる修行であろうと、聴聞であろうと、経典の研究であろうとも、最後は、それらで学び得たものを手離さねば悟りには至らないのだと気付かれたと言うことであります。世親菩薩の言葉を解釈するならば、「経典で学んだことは知識であり、その知識だけでは悟れないのだ。経典の言葉では言い表わすことが出来ない本当の意味するところに思い至らねば悟れないのだ。つまり経典を一旦手離さねばならないのだ」と言うことであります。

そして、渓間秀典師が気付かれたもう一つの大事な点は、手離すのも他力に依ると言うことだったそうであります。〝他力に依る〟と言いますと、他に依存してはいけない、自分の力で乗り越えなさいと教育されて育った私たちは、『他力=消極的姿勢』と思ってしまいます。そして、親鸞聖人の他力本願の教えも、人生を受動的・消極的に渡る教えだと誤解されていますが、これは大きな間違いであります。
親鸞聖人の『他力』とは、『自分の力だけではない』と言う意味の他力であります。考えてみますと、私たちはこの世の出発点である誕生から他力に依ってこの世に生を受けます。そして、誰でもが他力に依って死を迎えます。人生で起きる全ての事も他力に依らないものはありません。

全てが『自分の力だけでは何ともならないのだ。』と言う親鸞聖人の他力の教えに目覚めれば、自我を押し通すことも出来なくなります。煩悩の炎を燃やして自らを傷付け、他人を傷付けることはなくなるのではないかと思います。考えて見ますと、私たちを苦しめる煩悩さえも他力に依るものであります。そして、我が煩悩に気付かしめ、煩悩を悟りへの縁と転換してくれるのも他力に依ります。他力とは、この宇宙の誕生時点から宇宙全体に働いている『自然法爾の力』であります。

そう考えますと、日常生活の悩みも客観的に眺められ、少し心軽やかに人生を渡れるのではないでしょうか?

丁度4ヶ月振りに、世事雑感を更新(『人類が目指すべき方向は?』)致しました。


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No.774  2008.1.28

般若心経に学ぶー⑮

● まえがき
今朝起きましたら、一昨日から酷くなっていた咳が一段と酷くなっておりまして、今日は医院に行ったりしまして、コラム更新がなかなか出来ませんでした。
この無相庵コラムを始めまして約7年間、月曜と木曜のコラム更新を休んだとがありません。意思の弱い私は一度休むと、後もだらだらと休みかねませんので、今日も形ばかりになりますが、更新させて頂こうと言うものです。 今日の般若心経はたまたま最終句ですので、来週もう一度機会を頂きまして、きっちりと締めさせて頂こうと存じております。 訳文等、御目通し頂ければと存じます。

● 玄奘三蔵の漢訳般若心経原文

観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみたじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう  度一切苦厄どいっさいくやく 舎利子しゃりし
色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき 受想行識じゅそうぎょうしき 亦復如是やくぶにょぜ 舎利子しゃりし
是諸法空相ぜしょほうくうそう 不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不滅ふぞうふげん 是故空中無色ぜこくうちゅうむしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき
無眼耳鼻舌身意むげんにびぜつしんい 無色聲香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい 無無明むむみょう 亦無無明盡やくむむみょ うじん
乃至無老死ないしむろうし 亦無老死盡やくむろうしじん 無苦集滅道むくじゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく 以無所得故いむしょとくこ 菩提薩埵ぼだいさった 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 心無罣礙しんむけげ 無罣礙故むけげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顚倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 空竟涅槃くきょうねはん 三世諸佛さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみた 是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみょうゅ 是無上呪ぜむじょうしゅ 是無等等呪ぜむとうとうしゅ 能除一切苦のうじょいっさいく 眞実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみたしゅ 即説呪曰そくせつしゅわっ 羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか 般若心経はんにゃしんぎょう
 
     

●玄奘三蔵の漢訳の訓読文
観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆(みな)空なりと照見して、一切の苦厄を度(ど)したまう。舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即ち是れ空なり、空は即ち是れ色なり。受・想・行・識も亦復(またまた)是(かく)の如し。舎利子よ、是の諸法は空相なり。不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり。是の故に、空の中には色も無く、受・想・行・識も無く、眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、色・聲・香・味・触・法も無く、眼界も無く、乃至、意識界も無し。無明も無く、亦(また)無明の盡(つ)くることも無く、乃至、老死も無く、亦(また)老死の盡くることも無し。苦・集・滅・道も無し。智も無く、亦得も無し。無所得を以っての故に、菩提薩埵は般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けいげ)無し。罣礙無きが故に、恐怖有ること無し。一切の顚倒夢想を遠離して、空竟涅槃す。三世の諸佛も、般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまう。故に知る、般若波羅蜜多は、是れ大神呪なり。是れ大明呪なり。是れ無上呪なり。是れ無等等呪なり。能(よ)く一切の苦を除く。眞実にして虚(むなし)からず。故に般若波羅蜜多の呪を説く。即ち呪を説いて曰く、羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶、般若心経。

●国語経典編集委員会の新訳(昭和20年作)より
聖なる観自在菩薩、いと深き般若波羅蜜多を修めたまいしとき、五蘊(物と心の集まり)は全て皆さながらに空なりと照見したまえり。 舎利弗よ、此の世に於いては、色(形あるもの)はみな空にして、空は色をかたどれり。色をおきて他に空ということなく、空の他に色はあるべからず。受も想も行も識もまた斯くの如し。
舎利弗よ、此の世に於いては、諸法(全てのもの)は空の相(すがた)なり。起ることもなく、失(う)せることもなく、汚れることもなく、清まることもなく、減ることもなく、増すこともなし。
舎利弗よ、この故に、空の中には色(形あるもの)なく、受も想も行も識もあるにあらず。眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もあることなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明も無ければ無明の尽きるところもなく、乃至、老いも死もなく、老いと死の尽きるところもなし。苦も集も滅も道もなく智慧も所得(成し遂げ)もあることなし。
およそ、所得(成し遂げ)ということなきを以っての故に、菩薩は、般若波羅蜜多を依り処として、心に罣礙(けいげ:こだわり)なし。心に罣礙なき故に、恐怖ある事なく、顚倒(てんどう:迷い)を遠く離れて、涅槃を究め尽せり。三世に住みたまえる一切の諸仏も又、般若波羅蜜多を依り処として無上正等覚を得たまえり。
この故にまさに知るべし。般若波羅蜜多はまことに妙なる真言なり。まこと明らかな真言、無上の真言、類い稀れなる真言なり。それは一切の苦をよく取り除くものにして、偽りなき故に真実なり。然(しか)れば、般若波羅蜜多に於いて真言は次の如く説かれたり。
        歩みて、歩みて、彼岸にぞ至る。
        菩提ついに彼岸に至ることを得たり。

● あとがき
今日の呪文は、全て梵語であり、且つ何かを象徴した真言であります。あまり意味を追求しますと、値打ちが無くなると言う意見もございます。つまり、お念仏の『南無阿弥陀仏』と同じことであります。
しかし、それなりに深い意味が蔵されていますので、それを次回の最終回に勉強したいと思います。


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No.773  2008.1.24

仏様の眼

昨年末、ふと自分の悪に目覚める瞬間を感じたことがあります。どうしてそうなったのかを振り返りますと、私が認識しているキッカケは、昨年末のコラム(『五十歩百歩』)でご紹介した詩との出遇いと、あの福岡で3名の幼児が亡くなった交通事故(事件と言うべきかも知れません)に関連して我が身を振り返り、自分が過去に犯した罪が蘇えったときにあります。

最近、その事故に対して福岡地裁の判決があり、運転者に検察から出されていた懲役23年の求刑に対して懲役7年となり、甘すぎると言う批判が大半を占めているように思いますが、過去に何度か酒気帯び乃至酔っ払い運転をした私は、あの運転者である若者を厳しく批判出来なかったのであります。 私は偶々人の命を失わせる事故を起こさなかったけれども、飽くまでも偶々であって、彼の立場になっていてもおかしくはなかったのです。

彼を擁護する気持ちがある訳ではありませんが、無批判に責められない自分が居るのです。「運が良かった」と言う不謹慎な気持ちも自分の心の中にある事を否定は致しませんが、それよりも、世の中から袋叩きに遭ってもおかしくない自分の人間性にはじめて気付かされた想いが致した次第であります。

この事を契機として、自分の人間性を色々な角度から見詰め直さざるを得ませんでした。しかも、瞬間的にあらゆる自分の過去を断罪せざるを得ませんでした。反省というものではなく、はっきりと自分の悪性が白日の下に照らし出されたような感じでした。過去に壊れた人間関係に関してもそうでした。

それまではどうしても、反省したとしても「自分も悪いところがあったけれども、あれはやはり相手の方が悪い・・・」と言うものでしかありませんでした。それは相対世界の中で自分と他人を比較して自分を擁護する煩悩の働きでしかなかったのではないかと振り返っています。そして今回は比較の問題ではなく、自分の悪だけが問題になったように思います。

自分の悪だけが問題になりますと、人間関係の修復には何の策も必要がないように思います。自分の心が変わってしまっている訳ですから、再会した相手の心も瞬間的に変わっているのだと思います。そのような実際の経験を経て私は、親鸞聖人がご自分の事を『罪悪深重の凡夫』『邪見・驕慢の悪衆生』と言われたお心が単なる反省とか謙遜ではなく、本当にそうとしか言えない自分を見出されて発せられた悲痛な叫びだったのだろうなと親鸞聖人のお心にはじめて触れたような気が致しました。そしてそれは「親鸞聖人の心の中で見開かれた仏様の眼でもあったのだろうな」とも思いました。

昔、私が30歳の頃、垂水見真会にご出講頂いた加藤辨三郎師(協和発酵工業株式会社創始者、在家仏教協会創始者)から、「君の口からお念仏が出ないのは、君に賢き想いがあるからだ」と指摘されたことがありましたが、「自分の賢き想い位は気が付いている」と言う驕慢さ故になかなか自分の賢き想いが分かりませんでした。しかし、30数年と言う長い月日を経まして、私の力ではない『他力』に依りまして、自分の中に有った『賢き想い』の実体を少し垣間見せて頂いた想いがしております。

仏様の眼を常に心に持ち続ける為にも、またお念仏が素直に口から出るためにも毎日聞法を続けている今日この頃であります。


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No.772  2008.1.21

般若心経に学ぶー⑭

● まえがき
さて、いよいよ般若心経もまとめの句となりました。そして、今日は『呪(しゅ)』と言う、真言密教が使い、顕教に親しんでいる私たちには少々馴染みの無い漢字が入って参りました。『故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 眞実不虚』が今日勉強する件(くだり)でありますが、今日の句に付きましては、もう30年以上前に、鎌田茂雄という方の『般若心経の教え』と言う日本文化スクールの教養講座があり、そのテキストに一般の皆さまに分かり易い説明がございますので、下記に引用させて頂くことに致しました(鎌田茂雄師のご紹介も末尾にお示しします)。

● 鎌田茂雄師の解説
大神呪、大明呪というように呪(しゅ)という言葉を使っていますが、呪というのは一体何でしようか。
呪というのは陀羅尼(だらに)のことです。陀羅尼を訳しますと、総持(そうじ)という言葉になります。総持というのは、一字の中に、無限・無数の数を収めることが出来る、あるいは、一つの教えの中に、一切の教えを包み込むことが出来ると言う意味です。ですから、この呪、或いは陀羅尼と言う言葉は、そのたった一言であらゆる教え、全ての教えをその中に包み込んでいるんだということになります。

従いまして、呪文というのは偉大な力があるんだということになります。そこで、般若心経では、「般若波羅蜜多」、つまり正しい智慧によって悟りを開くということ、「般若波羅蜜多」という短い文句が、そのまま大いなる功徳を表わすところの大神呪あるいは大明呪になるんだと言うことになります。

大神呪になると言うことは、悪魔を降伏する大きな力を持っている呪文ということです。
私たちの心の周りには、たえず悪魔(堕落への誘惑)が隙(すき)を狙っています。そういう誘惑をしにきた悪魔を退散させるというのが、この般若波羅蜜多という大神呪です。これは悪魔を降伏させる力を持っています。

次に大明呪ですが、明(みょう)というのは明らかということで、智慧の輝き、智慧の光明をいいます。智慧の光明によって、我々の愚かさを破ってくれるのが、大明呪という功徳です。
愚かさというのは、別の言葉で愚痴ということにもなります。愚痴ということは、現在の自分の正しい立場を知らないで、自分で現在の境遇を嘆くことを言います。昔は大変金持ちであったとか、昔は偉い位を持っていたんだ、といっても現在はそうでなければ、どんなに愚痴ってみてもどういうことになるわけでもありません。そういう愚かな気持ちを持っていても、無駄であるわけです。そういう気持ちをなくすのが、この智慧の輝きであります。そういう功徳を持っているから大明呪というわけです。

無上呪、無等等呪というのは、この上無いと言うか、等しいものが無いと言うかの違いだけで、どちらも般若波羅蜜多が最高の呪文であり最高の教えであると云うことです。

次にこの最高の呪文である般若波羅蜜多の功徳について、「能(よ)く一切の苦を除き、真実にして虚ならず」とその働きを述べています。つまり、般若波羅蜜多という最高の呪文が、四苦八苦を除いてくれると言うことであります。

● 玄奘三蔵の漢訳般若心経原文

観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみたじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう  度一切苦厄どいっさいくやく 舎利子しゃりし
色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき 受想行識じゅそうぎょうしき 亦復如是やくぶにょぜ 舎利子しゃりし
是諸法空相ぜしょほうくうそう 不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不滅ふぞうふげん 是故空中無色ぜこくうちゅうむしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき
無眼耳鼻舌身意むげんにびぜつしんい 無色聲香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい 無無明むむみょう 亦無無明盡やくむむみょ うじん
乃至無老死ないしむろうし 亦無老死盡やくむろうしじん 無苦集滅道むくじゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく 以無所得故いむしょとくこ 菩提薩埵ぼだいさった 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 心無罣礙しんむけげ 無罣礙故むけげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顚倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 空竟涅槃くきょうねはん 三世諸佛さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ 得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみた 是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみょうゅ 是無上呪ぜむじょうしゅ 是無等等呪ぜむとうとうしゅ 能除一切苦のうじょいっさいく 眞実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみたしゅ 即説呪曰そくせつしゅわっ 羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか 般若心経はんにゃしんぎょう
 
     

●玄奘三蔵の漢訳の訓読文
観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆(みな)空なりと照見して、一切の苦厄を度(ど)したまう。舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即ち是れ空なり、空は即ち是れ色なり。受・想・行・識も亦復(またまた)是(かく)の如し。舎利子よ、是の諸法は空相なり。不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり。是の故に、空の中には色も無く、受・想・行・識も無く、眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、色・聲・香・味・触・法も無く、眼界も無く、乃至、意識界も無し。無明も無く、亦(また)無明の盡(つ)くることも無く、乃至、老死も無く、亦(また)老死の盡くることも無し。苦・集・滅・道も無し。智も無く、亦得も無し。無所得を以っての故に、菩提薩埵は般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けいげ)無し。罣礙無きが故に、恐怖有ること無し。一切の顚倒夢想を遠離して、空竟涅槃す。三世の諸佛も、般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまう。故に知る、般若波羅蜜多は、是れ大神呪なり。是れ大明呪なり。是れ無上呪なり。是れ無等等呪なり。能(よ)く一切の苦を除く。眞実にして虚(むなし)からず。故に般若波羅蜜多の呪を説く。即ち呪を説いて曰く、羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶、般若心経。

●国語経典編集委員会の新訳(昭和20年作)より
聖なる観自在菩薩、いと深き般若波羅蜜多を修めたまいしとき、五蘊(物と心の集まり)は全て皆さながらに空なりと照見したまえり。 舎利弗よ、此の世に於いては、色(形あるもの)はみな空にして、空は色をかたどれり。色をおきて他に空ということなく、空の他に色はあるべからず。受も想も行も識もまた斯くの如し。
舎利弗よ、此の世に於いては、諸法(全てのもの)は空の相(すがた)なり。起ることもなく、失(う)せることもなく、汚れることもなく、清まることもなく、減ることもなく、増すこともなし。
舎利弗よ、この故に、空の中には色(形あるもの)なく、受も想も行も識もあるにあらず。眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もあることなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明も無ければ無明の尽きるところもなく、乃至、老いも死もなく、老いと死の尽きるところもなし。苦も集も滅も道もなく智慧も所得(成し遂げ)もあることなし。
およそ、所得(成し遂げ)ということなきを以っての故に、菩薩は、般若波羅蜜多を依り処として、心に罣礙(けいげ:こだわり)なし。心に罣礙なき故に、恐怖ある事なく、顚倒(てんどう:迷い)を遠く離れて、涅槃を究め尽せり。三世に住みたまえる一切の諸仏も又、般若波羅蜜多を依り処として無上正等覚を得たまえり。
この故にまさに知るべし。般若波羅蜜多はまことに妙なる真言なり。まこと明らかな真言、無上の真言、類い稀れなる真言なり。それは一切の苦をよく取り除くものにして、偽りなき故に真実なり。然(しか)れば、般若波羅蜜多に於いて真言は次の如く説かれたり。
        歩みて、歩みて、彼岸にぞ至る。
        菩提ついに彼岸に至ることを得たり。

● あとがき
般若波羅蜜多の呪に依って一切の苦が取り除かれるということでありますが、呪文を称えれば、それでよいと言うことではなく、般若と言う智慧がどんな智慧であるかを体得した上での、象徴的な言葉、或いは忘れない為に自分に言い聞かせるための真言だと言うことだと思います。

どんな智慧かと今一度般若心経を読み直しますと、冒頭に『深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆(みな)空なりと照見して、一切の苦厄を度(ど)したまう。』とありますように、「五蘊は皆(みな)空なり」と観る智慧であり、即ち、自分を含めたこの世を『色即是空 空即是色』と観る智慧だと言うことであります。

私たち親鸞聖人の教えに従っている者が最も問題とする『我が煩悩』をも、正に『色即是空 空即是色』と観じて行くべきだと思われます。

● 鎌田茂雄師のご紹介
鎌田 茂雄(かまた しげお、道号:梅嶺、1927年12月10日-2001年5月12日)は、戦後日本を代表する仏教学者(文学博士)である。僧名は慧忍。
神奈川県鎌倉市に生まれる。陸軍より復員後、円覚寺で参禅し、駒澤大学仏教学部に進む。在学中は舌鋒鋭い事で知られ、教師であろうともその怠惰な仏教学への姿勢を追求する事には容赦なかった。その後、東京大学大学院に進み、華厳学を専攻した。その後、東京大学教授となり、NHKの「こころの時代」で講師を務める傍ら、古巣の駒澤大学や、筑波大学、九州大学、大阪大学、富山大学、大正大学などで非常勤講師として指導に携わり、東京大学を定年退官後、名誉教授となり、愛知学院大学へ転任し、国際仏教学大学院大学の設立に理事として関わり、開校後は教授として指導に当たった。
また、中国との国交正常化後、日中仏教交流の普及に努め、中国社会科学院文献情報センターより名誉教授を贈られた。
また、50歳を過ぎてから自宅近くの合気道場・天道館で稽古を始め、6段になるまで精進した。


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No.771  2008.1.17

浄土真宗と般若心経

今、月曜コラムで般若心経を勉強しておりますが、浄土真宗のご講師方のご法話の中に般若心経を引用されたことは無かったと思います。同じお釈迦様の教えなのに何故なのかと不思議に感じて参りましたが、煩悩を色即是空と実体が無いものと受け取る般若の智慧に対しまして、「私は煩悩そのものだ」と気付かしめられるところにこそ救いがあると考える悪人正機の立場を取る親鸞聖人の教えとは表面的には相容れないのではないかと言うのが今の私の理解であります。

しかし晩年、『自然法爾(じねんほうに)』と言うご心境に達せられた親鸞聖人は、恐らく、色即是空から空即是色と言う広やかで味わい深い世界を体得されたのではないかとも想像しております。そして、『自然法爾』から法名を名乗られた師匠の法然上人と同じ信心の世界を味合われて、あの世に旅立たれたのだと思います。

私たち在家の者の仏道を求める出発点は『煩悩』にあると思います。しかし、我が煩悩の真実に出遇えるのは、たゆまない聞法を通して、他力つまり仏様の本願力に依ってしか起りえないと思われます。 また、お念仏を称えられるようになりますのもまた他力の御働きだと思います。焦ることなく、聞法することに尽きるのだと思います。

聞法は法話を聞きにお寺に行くことだけに限りません。仏教書を読むことも、法話テープを聞くことも、全て聞法であります。そして、更に日常生活のすべてが仏様の御働き、つまり法話であると受け取って行くことも聞法だと思います。 読者様におかれましては、この無相庵の法話コーナーも合わせて聞法されることを願っております。


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