No.900  2009.05.04

親鸞聖人の和讃を詠む-55

● まえがき
仏道には聖道門と浄土門があります。と言うよりも、これは七高僧の一人である道綽禅師が『安楽集』という著書の中で述べられているそうで、それを法然上人が採用され、浄土門でなければ救われないとされたようであります。法然上人のご在世当時のことですから、聖道門というのは天台宗と真言宗を指していたのでありますが、今では禅宗も聖道門に入るようであります。

ただ、これは浄土門サイドが言っているだけであります。浄土門が自力と他力と分けて、禅宗を自力聖道門と表現することと同じく、決して好ましいことでは無いと私は思っています。

親鸞聖人は、師の法然上人もご自分も天台宗の比叡山で修行されながら安心(あんじん)を得られなかったご経験から、聖道門ではなかなか救われないと確信されていたのだと思われます。親鸞聖人のご在世時には日本の禅宗は産声を上げたばかりでしたので、今日の和讃の聖道門が禅宗を指してはいないと思います。

私は、親鸞聖人の安心(あんじん)も、道元禅師と白隠禅師のお悟りも、表現が異なるだけで、お釈迦様のお悟りになられたご心境と同じく、『如(にょ)』を悟られたのだと思っております。

●親鸞和讃原文

聖道門のひとはみな        しょうどうもんのひとはみな
自力の心をむねとして       たりきのしんをむねとして
他力不思議にいりぬれば     たりきふしぎにいりぬれば
義なきを義とすと信知せり     ぎなきをぎとすとしんちせり

●和讃の現代解釈
本願他力を知らず、自力中心ですすんできた聖道門の人も、本願他力の教えにひとたび帰入すると、願力自然の働きのままに自力のはからいが消え果て、本願他力のお心を信知する身となるのです。

●あとがき
浄土真宗で、「他力だ他力だ。他力でなければ救われない」と言われる方が居られますが、お釈迦様は6年間の難行苦行の自力修行を経て悟られましたし、法然上人も親鸞聖人も、20年乃至30年間に亘る自力修行の後に他力本願に帰せられたことを忘れてはならないと思います。

他力本願の仏道は『易行道』と言われますが、親鸞聖人も申されている通り『難信』(阿弥陀仏の本願を信じることはなかなか難しいと云う意味)の道でもあります。

「ただ念仏さえ称えたらよい」と言う境地は、自己の自我に苦しみ抜いた挙句に到達出来る尊いゴール地点ではないかと思っております。

合掌


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No.899  2009.04.30

如(にょ)

如来、真如、一如、如意輪観音、蓮如・・・と『如』は仏教でよく使われている漢字です。 『如』を漢字字典で調べますと、「ごとし」「もし」「いかんせん」と並んで、仏教の言葉として「ありのままの真の姿」とあります。また、広辞苑では、「実体」「本体」「真相」「真実」と説明されています。

米沢英雄先生のご法話の中で、『如』と云う漢字の意味は「ありのまま、このまま、そのまま」と云う意味であり、お釈迦様が悟られたのが、この『如』だと云うことでございます。それはどう云うことなのか、例に依って、米沢英雄先生のご法話を引用し参照しながらご紹介したいと思います。

引用ー
我々は実はこの「ありのまま、このまま、そのまま」の世界から出て来て、このまま、そのままの世界におり、ありのまま、このままの世界に死んでいくのでありますが、残念ながら肉体をもっているので、「ありのまま、このまま、そのまま」を、そのままに見ることが出来ないような構造になっておるらしいのです。

例えば、ここにあるものでございますが、テーブル掛けがあって時計がある。この時計をそのままに見られるかというと、なかなかそのままに見られぬわけでございます。みなさまがご覧になると、「何と古い時計を持っておるな。あれは金が入らぬからであって、もっと新しい時計を持ったらよかろうに」といった具合に、時計を見られてもすぐに他のことを考えて、時計そのものを見ない。私が見てもこれをそのままに見ることが出来ない。「これはいくらしたのであろう、何処かの特売場で買ってきたのでないか」など、そこの家の世帯の中の事を考えて、これをそのままに見ることがなかなか出来ません。

これはなかなか不思議なものでございまして、「ありのまま、このまま、そのまま」を見ることが出来ないようになっている。「ありのまま、このまま、そのまま」に見ることが出来ないことから、色々問題が起こってくる訳でございます(たとえば与野党間の議論において、先入観を持ち合い互いに批判し合いに終始して、建設的な議論にならないのは、相手をありのまま、そのままに見れないからでありましょう)。一切の問題の根元は、「ありのまま、このまま、そのまま」に見ることが出来ないところにあるのだろうと思う。それを教えるために、仏陀(になられたお釈迦様)は悟りの座を立たれて、如来になられたのであろう、こう思われます。

しかし、人間というものは「ありのまま、このまま、そのまま」を見る事が出来ない。そして「ありのまま、このまま、そのまま」に見ることが出来ないところから人間に不平・不満・不安が起ってくるのであるが、人間はそれらが好きなものでないので、それから逃れようとしてもがくのであります。しかし、徹底的にそれを、つまり不平・不満・不安を解消しようとするには、『如』に帰る以外にないのであります。この不平・不満・不安があるということは、逆に我々が『如』に帰ろうとしている運動であるし、これが『如』の方から呼ばれておるのではないかと思う。

しかし『如』の世界に帰りたいと思いますが、それは絶対に出来ません。肉体を持っている限り、『如』に帰れない。何故かというと肉体はありのまま、このままの世界に居りながら、ありのまま、このままを、「ありのまま、このまま、そのまま」に見ることが出来ないように出来ておるのでございます。手っ取り早い例をいうと、この水(コップを指して)でも、今私がこの水を飲む。私はおいしいと飲むのですが、みなさまの中には「何とあつかましい男だな」とご覧になる方もあるようなもので、ありのまま、このまま、そのままとどうしても見ることが出来ないのであります。

また、小学生30人に石膏像の写生をさせた場合、その30人の子供がたった一つの像の写生をしても、出来上がった像が全部違っている。赤ちゃんのようなものもあれば、青く塗ったものもある。それは眼が悪いわけでも、写生技術の巧拙ではなく、子供にはそう見えたのであります(大人が描いても恐らく、30通りの絵になるでしよう)。

そのように一つのものを見ておっても、みなが各自見方が違う。しかも自分の見方が正しいと主張しだすことから、問題が起こり不平・不満・不安が生じることになるわけです。

しかし、『如』に帰れない。しかし不平・不満・不安から解放されたいと悩み苦しみ、考え続け果てて、「自分の力ではとても及びません」と自ら投げ出して、自らが零になった時に、頭が下がって、つまり南無した時に、計らずも浄土に帰っておった。『如』に帰った。ということではないかと思います。
ー引用終わり

私たちが外部の存在や現象を「ありのまま、このまま、そのまま」に見れないと云うことは、即ち、自分自身をも「ありのまま、このまま、そのまま」に見れていない証拠でもあります。実際、外部のものよりも、自分自身のことが一番「ありのまま、このまま、そのまま」に見れていないのではないでしょうか。米沢英雄先生が言われるのは、「その自己の真実に目覚めたときに、逆に、はじめて『如』に帰ったことになる」。そう仰られたかったのではないかと考察している次第であります。


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No.898  2009.04.27

親鸞聖人の和讃を詠む-54

● まえがき
今日の和讃の中に、「ねてもさめてもへだてなく、南無阿弥陀仏をとなふべし」と云う一句がございます。理屈で申せば、寝てる間に念仏が称えられるはずが有りませんし、親鸞聖人は一日に6万回の念仏を称えられた法然上人とは違って、四六時中念仏を称えられては居られなかったようでありますので、親鸞聖人らしからぬ一句が入っているなぁーと思いましたが、早島鏡正師のご説明を承り、成る程と理解出来ましたので、そのご説明を下記に引用させて頂きます。

引用―
これは、善導大師が『散善義』に述べているところの「一心に弥陀の名号を専念して行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、時節の久近(くごん)を問わず、念々に捨てざれば、これを正定の業と名づく。彼の仏願に順ずるが故に」という文章を典拠にして詠んだものと思われます。しかも、善導大師が「一心に弥陀の名号を専念し云々」と述べられたこの箇所は、親鸞聖人の師であられた法然上人が、はじめて浄土教に帰依するに至った、いわば入信の機縁となった文であります。そうした師の入信の機縁となった言葉を通して、親鸞聖人は遠く善導大師のご恩を喜ばれたに違いありません。

しかも、この『散善義』の文書のなかで、「彼の仏願に順ずるが故に」という理由がしめされているのですが、この言葉は極めて重要であります。阿弥陀仏の本願にしたがうからして、行住坐臥、阿弥陀仏の名前を称える、称名念仏の生活が出来るのであると、親鸞聖人は仰せになっているのです。「順ずる」とは、前の一首「大願の船に乗じてぞ」の「乗ずる」と同じ意味で、お任せすることであります。
―引用終わり

従いまして、「ねてもさめてもへだてなく」に続く締めの一句「南無阿弥陀仏をとなふべし」の『べし』は命令の『べし』ではなく、強い確信の『べし』であり、「南無阿弥陀仏を称えるようになるのは必然なのだ」と云う確信のお気持ちを表わされているものと思います。命令の『べし』ならば、それは自力の念仏を勧められていることなるからであります。

●親鸞和讃原文

弥陀大悲の誓願を         みだだいひのせいがんを
ふかく信ぜんひとはみな      ふかくしんぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく     ねてもさめてもへだてなく
南無阿弥陀仏をとなふべし     なむあみだふつをとのうべし

●和讃の現代解釈
阿弥陀仏のやるせない大悲の誓願を深く信ずる身となった人は、寝ても醒めてもへだてなく、仏の御名(みな)をおのずから称えられる身となってくることになるのです。

●あとがき
米沢英雄先生は、「ねてもさめてもへだてなく」と云うことに付きまして、理屈に合わないと申されています。ただ、そのお心は、「私が寝ていても、起きていても、私に呼吸させ、私の心臓を動かし、内臓を働かして下さっているお働き(仏様)にこそ手を合わさせることが真実信心の念仏であり、仏壇の前で手を合わせることが浄土真宗のお念仏ではない」と云うところにあるようでございます。

更に、付け加えますならば、手を合わせればよいと云うものでもなく、本当に仏様の本願に順ずるようになりましたら、八正道に示される仏法者としての正しい日常生活がおのずから現出するのであろうと思います。
ただ、斯く申す私自身は未だ未だ道半ばにあり、ねても醒めても念仏を称えるに至っていないことは勿論のこと、仏様のお働きに手を合わせ、自分の身を仏身として大切にする生活態度から遠く歯なれています。この私の生活をこそ、米沢英雄先生は『罪悪深重、煩悩熾盛の凡夫の生活』だと申されています。

合掌

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No.897  2009.04.23

文化と仏法

引き続き、米沢先生のご著書を読んでおりますので、その中から、私の心に印象深く残っているところをこのコラムで紹介させて頂こうと思います。そして何れは法話コーナーでも紹介させて頂こうと考えております。

さて、文化には物質文化と精神文化があります。政治・経済・教育・文芸や学問等を精神文化というものだと思いますが、一方、物質文化とは私たちの衣食住生活を快適にしてくれる科学技術や最近ではITなども含めてもよいかと思います。

米沢先生は、文化と仏法は違うと言われています。つまり、私たちの日常生活に於ける関心事である文化の進歩と、マスコミ等の話題には全く取上げられない仏法は異質なものだと申されています。米沢先生は、文化の進歩と人間の幸せは殆ど関係が無いと仰りたかったのではないかと思っています。

米沢先生のご法話(『智慧の念仏』、昭和48年)から引用させて頂きます。

引用―

文化と仏法とは違うことを始めに申し上げました。文化というのは、人間があって、その人間が暮しをよくするために、色々なものをあみ出している。文化には物質文化と精神文化と呼ばれるものがあります。政治経済とか教育とかが精神文化というものでありますが、人間が生きていく上に便利快適な生活が出来るように工夫して、人間の知恵があみ出してくるのが文化というものであります。文化というのは積み重ねになって進歩していく。

ところが仏法はそうではない。その文化を生み出す人間そのものを明らかにするのが、仏法というものです。それで仏法は全然違う。方向が反対のものである。文化は、人間はすでにあるものとして出発する。人間そのものを問うのが仏法というものです。人間そのものを問うというよりも、もっと具体的に、私自身というものはどういうものかと問うのが仏法。そして私自身を明らかになるものが智慧というものであると思います。

―引用終わり

さて、仏法は人間を明らかにするもの、私自身を明らかにするもの、つまり「私とは何か?」の答えを教えてくれるのが仏法だと云うことでありますが、現時点で皆さんは、どのような答えをお持ちでしょうか?

約50年沢山の法話を聞いて参りました私ですのに、即答出来ませんでした。未だ仏法が我が身に明らかになっていなかった証しであります。
米沢先生のご著書を勉強し、理解したところの正解は、「他力に依って生かされている存在の私である」と云うことです。しかし、他力に依って生かされて生きているのは、人間だけではありません。従って、更に「他力に依って生かされていることを認識出来る唯一の存在たる人間に生まれた私なんだ」との気付きと、「それなのに食べて寝て起きてと云う犬猫でも出来る日常生活を送ってしまっている、申し訳ないことだ」と云う懺悔の心と、「それにも関わらず、私が寝ているときも、呼吸をさせ血液を循環せしめている、私を生かそうとして働いている他力に何とかしてお報いしたい」と云う報謝の心が湧き上がらなければ人間ではない、と云う心境に導いてくれるのが仏法だと云うことであります。

仏法の役割を言葉に書けば、上述したようなことになりますが、この説明も言葉と云う文化を使ってギリギリのところを説明して下さっているのであり、我が心身がしっかり受け止め、仏法に生かされるようになるには、やはり聞法をつづけるしかないと思います。

米沢先生は、「仏壇に向かって手を合わせて拝むのが仏法ではないし、念仏でもない。私を生かしめている他力の働き、呼吸をさせ血液を循環させ内臓を動かしている他力に先ず手を合わせることだ。私たちは一番感謝しなければならないものをすっかり忘れて生活しているのではないか」と、私には耳の痛い、しかし私の現実の姿を的確に言い表されていると、ただただ頭が下がります。
文化を教える学校教育では教えて貰えない、しかし、人間に生まれたからには絶対に知らねばならない、否、この事に気付かず生きているのでは、人間とは言えないと思うことであります。

合掌


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No.896  2009.04.20

親鸞聖人の和讃を詠む-53

● まえがき
ここからの7首は、『報謝の生活』を詠われている和讃が続きます。

これらの和讃は全て親鸞聖人が85歳を過ぎられた最晩年に詠まれたものでありますが、一般民衆が読めない漢文ではない大和言葉で詠われたお心は、そのまま観音菩薩の大慈悲心の現れではないかと感じます。

早島鏡正師に依りますと、この和讃の背景には、『平等覚経』、『浄土論』、『往生要集』などの経典や高僧方の論文の文章があると言われております。そして、早島鏡正師は、「本願の喚び声を、迷いの衆生の一人として、親鸞聖人がわが身一人のものとして受け取られたということを、われわれはわが身に照らしてこの和讃を有り難く拝読するばかりであります」と親鸞聖人を通して阿弥陀仏の本願力と観音菩薩の慈悲と勢至菩薩の智慧に感謝の言葉を述べられています。

現代科学教育を受けたわれわれに阿弥陀仏の本願の喚び声など聞こえて来ないかも知れませんが、親鸞聖人には間違いなく聞こえていたはずでありますし、早島鏡正師にも聞こえていたはずであります。本願の喚び声が聞こえない者は、「吾賢し」と云う自力を誇り、わが心の中の悪に目覚めない、自力作善の輩だと云うことではないかと思います。

●親鸞和讃原文

弥陀観音大勢至          みだかんのんだいせいし
大願のふねに乗じてぞ       たいがんのふねにじょうじてぞ
生死のうみにうかみつつ      しょうじのうみにうかみつつ
有情をよばふてのせたまふ    うじょうをよぼうてのせたまう

●和讃の現代解釈
阿弥陀仏と観音・勢至の二菩薩が、生死流転の大海に浮きつ沈みつするわれわれに向って、〝本願の船に乗れ〟と招きの喚び声をあげ、一人も漏らさずに救って下さるのである、なんと有り難いことであろうか。

●あとがき
親鸞聖人の和讃そのものが我々には本願の喚び声であります。先生方の法話も、また勿体無いことではありますが、この無相庵を続けせしめている働きも本願の喚び声なのかも知れません。勿論、私たちに訪れる苦難・苦悩そのものが本願の喚び声だとも思われます。

私たちはどうしても、お金が儲かることとか、子や孫がいい学校に進学すること、いい企業に就職することを人生の成功であるように思って生活を送っています。
私も今は生きている中に会社の借金、個人の住宅ローンの返済を終わらせたいと願い、技術開発の仕事の成功に向けて毎日頭をフル回転させて居ります。それはお金を儲けるため以外の何物でもございません。これも、あるレベルの衣食住の生活を維持して行く上では必要なことであります。そして、お金が儲かることは確かに望ましいことではあります。しかし、頭を冷やして冷静に考えれば、それらは事情が変われば悲しみや惨めさに一変してしまう無常の世の中の一瞬の出来事でしかありません。

そんな事を頼りとして生きないで、この〝本願の船に乗れ〟と云う阿弥陀仏の喚び声を素直に受け容れて、人間に生まれた意味を問い続ける聞法生活を生きたいものであります。聞法を忘れますと、直ぐに損得に振り回されてしまう罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫でしかないのでありますから・・・。
このことは、前回の木曜コラム『仏法は真剣勝負の学びの場』でも申し上げたことでもあります。

合掌


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No.895  2009.04.16

仏法は真剣勝負の学びの場

今年の2月以降、私は福井の法友からお貸し出し頂いた米沢英雄先生のご著書を座右の書、眠友の書(私の造語)としています。ご著書の多くは、講演テープを筆録したものですが、昭和30年代からのものも多く、「ええっ?僕が大学入学した昭和38年、先生が54歳の時に、もうこのようなお話を為さっておられたのか・・・」とショックを受けております。

ショックと云う意味は、「私は既にその時の米沢先生(54歳)よりも10歳上になっているのに、なにをウロウロとさ迷っているのだ」と云う自責の想いと、「もっと若い時に、この米沢先生のご著書に出遇えていたら・・・」と云う愚痴の想いではないかと考察しております。

しかし、冷静に考え直しますと、未だ決定的な挫折感を味わっておらず、将来の自分に甘く淡い期待を抱いていた20~30代前半に、どのような示唆に富んだご法話を耳に聞き、眼にしていたとしても、多分、聞き流し・読み流しであっただろうと思ったことです。挫折を味わい、自分の実力の程にも気付き始めた今だからこそ、米沢先生の言葉が染み入るのではないかとも思っております。

直近で読んだ米沢先生の『真実教の意義』と云うご法話の中で、『「お念仏は如何にして人を救うか」と云う質問に「人を救うということは分るけれども、お念仏というものが分らん。だからお念仏がどうして人を救うのかが分らない」と云うのが大方の場合ではないか』と云う問題提起がありました。
私がドキッとしたのは、問い掛けの中に、『お念仏』と『人』と『救う』と云う熟語がありますが、私たちは『人を救う』は分っているように思っているけれども、本当は人を救うと云うことがどう云うことかが分っていないはずだと云う闇討ち的に私に向けられた言葉の刃(やいば)です。

私は今も『お念仏』とは何かを端的に即座に説明出来ませんが、むしろ問題なのは、分っているようでいて即座に説明に窮するのが、『人』と『救う(或いは、救われる)』と云う言葉の意味ではあります。『幸せ』の意味に付いても同様です。「どうなれば幸せですか?」と尋ねられて、これまた即答出来無いと思います。私たちは、普通、財産とか地位などの〝無常なるもの〟を獲得することが幸せだと思い込んで突っ走っておりますが、〝無常なるもの〟は言葉通り、『常ではなく、移り変わってしまうもの』であります。そのようなものを追いかけて幸せになるはずがありません。常なるものを求めねばなりませんのに、本当の幸せを追求しない故に幸せを取り逃がしているのだと思います。

米沢先生は、『人とは何か』、『私とは何か』、『救われるとはどう云うことか』を明らかにするのが仏法だと仰っておられます。そして、「その私というものを明らかにするために仏というものがあり、浄土というものもある。或いは浄土というものの力を借りなければ、人間というものが明らかにならぬのではないかという意味において、仏とか浄土とかがあるのであって、仏とか浄土というものはただ有るとか無いとかの問題でなく、人間というものを明らかにする為に必要なのであって、そういう意味で方便と言われてるのでないかと思うわけであります。」と説明されています。

そして、「人間とか私というものを根底的に明らかにし尽くしたものが浄土真宗でないかと思う」とも言われています。

よく、「仏法は頭で理解するものではない、ただ念仏を称えればよい」と言われますが、ただ念仏出来る人はそれで結構かと思いますが、私のように、ただ念仏することが出来ない者は、中途半端に妥協せずに、疑いが晴れるまで、一つ一つの言葉の意味も問い質して、本当に救われなければ仏法を求める意味が無いと思います。

私は米沢先生から『仏法は真剣勝負の場だ』と教えられているところであります。


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No.894  2009.04.13

親鸞聖人の和讃を詠む-52

● まえがき
今の浄土真宗に親鸞聖人の教えが生きているかどうかに付きましては、色々な見方がございます。 親鸞聖人は色々なご著書に、『浄土真宗』と言う言葉を使っておられますが、親鸞聖人が浄土真宗と言う宗派を開かれたのではないことは確かでありますので、今の浄土真宗教団の東西本願寺が親鸞聖人の教えに添っていなくとも、それは一宗派の問題であって、どのような教えを説こうとも、私たちが批判すべきことではないと私は思っております。

しかし、親鸞聖人の教えが浄土門の教えである事は、これまた間違いのないことでありますので、親鸞聖人の教えを学び、その教えの真髄に触れたいと思う者は、『浄土』とはどのような存在であるかをはっきりと認識し信ずるまでに至らなければ、親鸞聖人のお弟子とは言えないし、浄土の真宗の信者とも自称出来ないのではないかと思います。

『浄土』に関しましては、早島鏡正師が現代人に分り易く理論的にご説明をなさっておられますので、あとがきに引用してご紹介致しますので、ご参考になさって下さい。

●親鸞和讃原文

往相廻向の大慈より       おうそうえこうのだいじより
還相廻向の大悲をう       げんそうえこうのだいひうく
如来の廻向なかりせば      にょらいのえこうなかりせば
浄土の菩提はいかがせん    じょうどのぼだいはいかがせん

●和讃の現代解釈
仏様の大慈悲心が具体的に私たちに働きかけて下さっているのが阿弥陀仏の本願力であります。この本願力のお働きが無ければ私はとても浄土に往生することは出来ません。この世に生まれて、本願に出遇うことが出来た遠き宿縁を喜ぶのみであります。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

●あとがき
引用文―
さて、往生とはさきにも申したように、仏となるということ、成仏であります。本願他力とか自然法爾という言葉によってしめされるところの、「真実の世界」に生きることが往生であります。阿弥陀仏の浄土はこの仏の願心によってしつらえられた世界である、すなわち願心荘厳の浄土だと、曇鸞大師は『浄土論註』のなかで述べております。

浄土をわれわれが知識や思弁の範囲内でしか領解せず、真実そのものがみずから姿を相対の場において具象的にしめしたものが浄土である、と受け取れないならば、聖人のつかわれた仏智の不思議、誓願不思議の「不思議」という言葉は、われわれのものとはならないでしょう。昔から今日にいたるまで、人々は浄土に関していろいろな解釈を下しております。

第一に、浄土は観念の浄土であるとする見方。人間の心のなかで考えられている浄土に過ぎないというのです。「己心の弥陀、唯心の浄土」といわれますように、わが心が清らかであれば、その心がそのまま浄土をあらわし、浄土の教主である阿弥陀仏はわたくし自身にほかならない、という観念の浄土観であります。

第二に、他方世界に存在すると考える見方。たとえば指方立相といって、西方に向かって十万億の諸仏の国土を過ぎて阿弥陀仏の浄土が存在するというように、地理的・具体的に実在するということを説くところの浄土観であります浄土経典の表現をそのまま受け取って、この世の事物が存在する如くに浄土も実在すると考える浄土観であります。

第三に、心の転換としての浄土という見方。これは指方立相の浄土を否定し、また観念の浄土をも否定して、そもそも往生とは個人の心的態度の転換だと考え、浄土の実在を全く認めないところの浄土観であります。

第四に、将来この人間世界につくられるところの浄土、つまり将来此土の浄土観。この見方は、たとえば弥勒菩薩がこの世に下生して、将来この地上に自身の浄土を建設するというような、そういう浄土であります。この見方は娑婆即寂光土という考えから展開したものでありまして、浄土をこれからつくっていくという浄土観であります。

さて、親鸞聖人はそれら四つの浄土観の何れにも荷担されなかったのであります。すなわち親鸞聖人のお心からすれば、「真実は必ず実在する」とされた。したがって、真実が実在すると云うことを浄土をもって示されたから、浄土は真実そのものの世界であり、真実という浄土が実在するといわれたのであります。

真実の実在を信じていく浄土、これが親鸞聖人の浄土観でありまして、真実みずからの姿をあらわにし、われわれをして真実たらしめていく働きを持つ世界が浄土であると把えました。そうした意味で、真実はまさしく実在するということを、親鸞聖人は浄土が実在するとおっしゃっているのであります。
―引用文終わり

『真如より来生(しんにょよりらいしょう)』した、つまり真実の世界から来た事物・現象・働きを『如来(にょらい)』と云われております。「これこそ真実に出遇ったなぁー」という経験を多くの先師たちは持たれたのだと思います。「念仏のみぞ真におわします」と親鸞聖人は仰いました。『念仏』という言葉の中に、『本願力』も、『浄土』も『往生』も全て含まれているのだと思われます。

合掌


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No.893  2009.04.09

登社拒否―うつ病を考える

昨日4月8日はお釈迦様の誕生日であった。仏教国と言われながら、お釈迦様の誕生日に無関心で、それでいてクリスマスでキリストの誕生を祝う(?)日本人って何だろう・・・。
神戸では小学校の入学式の日、私の住む神戸市西区では丁度桜が満開を迎えた日でもあった。お花祭りの日だった。

さて、私の知人に、極最近まで登社拒否していた人と、現在進行形の方が合わせて4名居られる。全国的な統計を取ると、その数は十数万人乃至数十万人になるものと思われる。一家の大黒柱がそのような状態になると、家族は精神的に大変なストレスを抱えてしまう。最悪の場合は自殺と云う不幸な結果となる可能性もあり、これは看過出来ない現代日本の問題だと思う。

実は私もサラリーマン時代、中間管理職になった40歳を過ぎた頃、休職はしなかったが、登社拒否状態になったことがある。マンションの3階から出勤する私を、3人の妻子が見送ってくれていたが、なかなか一階の出口に姿を現さないので、かなり心配を掛けていたそうである。それ程、足取りが重かったということである。駅に着いてからはベンチに腰掛けて休み、乗り換えの駅でもベンチに腰掛けて、嫌々出勤していたものである。昼休みには、会社から離れた喫茶店に行き、兎に角仕事場から離れたかったと云うことだったろう。

今思えば実に思い切ったものだが、私は休職せずに退職願いを出した。管理社会には向いていないと結論を出し、妻も、「死ぬよりはまし」と賛成(仕方無しだったろう)してくれたからである。結果としては、行き先を決めていないことから、経営トップの配慮で外注先への出向で頭を冷やすことになった。お陰で、出向第一日目からうつ病状況は嘘のように解消した(3年後、会社に復帰するよう求められたが、管理社会では無理と判断し、断って今の会社を起業して現在に至っている)。

自分が似た経験しているので、知り合いのご主人の登社拒否現在進行形に胸を痛めているところである。ご主人とは殆どお付き合いがないので、どうすればよいかと思案している最中である。

登社拒否の原因は個人個人異なるかも知れないが、多くの場合、「仕事が自分の能力を超え、難しくて思うような成果が上がらないからではない」と思う。私の経験からして、直接的・間接的に人間関係に問題があると思う。 厳しい上司の所為という場合もあるだろうし、また、他人の協力を借りることが苦手で結果として孤立してしまったと云う場合も多いのではないかと思う。

冒頭の4人は奥さんから聞いたところでは、全員『まじめ、石橋を叩いても渡らない位慎重、そして寡黙』と云うことだ。登社拒否になる人は、総じてプライドが高く、人を使うのが苦手、つまり人に仕事を任せられずに自分でやってしまう結果、部下よりも仕事量が増えてしまうと云うタイプである。

しかし、原因は性格にあるのではないと思う。そう云う性格の人が成り易いとは言えるだろうが、原因が性格ならば、性格は直らないから、うつ病は直る見込みはないと言うことになってしまう。そうではないと思う。また、抗うつ剤と言う薬による治療もあるようだが、それも一時的に快方に向うかも知れないが、薬を手離すと繰り返す可能性がある。即効治療法は環境を変えることだと思う。それも、私の場合のように人間関係を完全に変えてしまうことで完治することは間違いないと思う。だから、先ずは人間関係を含めた環境を変えることだ。 しかし、それも即効だけれど、また繰り返す可能性がある。

登社拒否になる人は、生き甲斐(生きる価値観)を失っているのだと思う。それまで生き甲斐に思っていたことが、生き甲斐ではなくなってしまったか、或いは明確な生き甲斐を持たないまま漫然と自分は正しい生き方をしていると云う根拠のない自信を持っていたが、何かの出来事でその自信が瓦解した結果、全てに自信喪失したと云うことだと思うのである。

私の場合、登社拒否状態になった40歳の頃の生き甲斐は、人間として立派になりたいと言う気持ちを持ちながらも、会社での出世、一戸建ての家、趣味のスポーツ(テニス)で国体選手になる事ではなかったかと思うが、今振返って思うに、一番の生き甲斐、人生の目標は会社での出世ではなかったかと思う。一部上場企業での出世は地位・名誉・経済的豊かさも同時に得られるからである。しかし、それに徹して何が何でもとの強い気持ちを持っていなかったと思う。だから、上司に逆らったり、会社批判を繰り返し、結局は孤立に陥り、必然的に出世は有り得べからざることになり自信を喪失し、生き甲斐を失ってしまったのだと思う。

米沢英雄先生も言われていることであるが、世間一般の人は、いい学校を出て、いい仕事に就き、家を建て、結婚して子どもを設け、これを教育してそれぞれを社会人とする、これを人生の目的としているが、人間というものは、本能だけで生きている動物と異なり、生きている意味を問うものである。人生航路の途中で立ち止って生きている意味を問い、これを解決しようとするものである。

私は、登社拒否は何も恥ずべきことではないと思う。人間に生まれて来たことに気付いたと云うことだからである。

私たち人間がやっていることの全て、政治も経済も教育も、人間であるという前提のもとに進められているので、人間そのものを問うということがない。人間が何のために生きているのか、これに答える学科が、小学校から大学までを通じて何処にも無いのである。だから、人間と言う存在を勉強して来なかったのだから、人間に生まれたことに気が付いた人は、立ち止らざるを得ないのである。登社拒否になっている人は、学校では勉強が出来て留年(落第)はしなかっただろうが、人生での留年を経験しているのだと思う。、

この、人生での留年を大切にしなければならないと思う。折角の人間に目覚めるチャンスなのである。一方、人間に生まれたことに気付かない人は、動物と同じく本能のままに、食べて寝て起きての生活を繰り返してそのまま年老いることになるだろう。人間と言う特別な命を頂いたことに思いを馳せることなく、人生を終えることになるのである。仏法では『空しく過ぎる』という。

空しく過ぎる人生にならないためには、自分の力で生きていると言う考え方から、生かされて生きていると言う考え方に180度転換されなければならない。
仏法では『他力』と言ったり『仏様』と言ったりするが、その働きが、太陽となり月となり山となり川となり雨や風となって、私たちを生かそうとして、全宇宙全協力をあげて瞬時も休まず働き続けている。つまり、私たちは、『他力』とか『仏様』の働きの只中に生かされて生きているのである。自覚するとせぬに関わらず、身はその只中に生かされて生きているのに、身に宿っている自我の心がそれを忘れて、欲望の満足を追い求めてうごめいている、これが人間の現実形態である。

生かされて生きているのは、人間ばかりではない。草や木も犬も猫も生かされている。しかし彼らはそれを知ることが出来ない。人間だけが知ることが出来る。人間に生まれ得た真の喜びは、社会的地位や財産などの付録を余計に集めることではない。それは世間での成功者であるかも知れないが、人間としての成功者であるとは言えない。

登社拒否、或いは何かで挫折したことは、人間に目覚める千歳一隅のチャンスを恵まれたとして、こと此処に至った自己の心と率直に向き合うことだと思う。そうすれば、やがて立ち上がって進むことが出来るに違いないと思う。


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No.892  2009.04.06

親鸞聖人の和讃を詠むー51

● まえがき
今日の和讃で親鸞聖人が仰りたいことは、往相廻向(おうそうえこう)と還相廻向(げんそうえこう)はセットになっていると云うことではないかと思います。そして、それは大乗仏教の最も大切なところで、これが欠けているならば、最早、大乗仏教でもないし、お釈迦様が明らかにされた仏教では無いと言ってもよいと思います。

往相廻向・還相廻向と言いますと、難しく思ってしまいますが、往相廻向の『往』は「浄土へ往き生まれる」の「往く」を意味し、『廻向』は、親鸞聖人の場合は、仏様からの働き、つまり「他力の働きで」と云うことです。従いまして、『往相廻向』とは「他力の働きで浄土往生する事」です。そして、『還相廻向』はその反対に、「他力の働きで浄土からこの娑婆世界に還(かえ)って来る事」です。それが、セットになっていると云うことは、私たち衆生をどうしても救いたいと云う阿弥陀仏の本願の強さを言い表されているのだと思います。

また、もっと簡単に考えますと、私を仏法に導いて下さった先生方は、まさに還相廻向の菩薩様でありますし、人間関係上、私を悩ました人々さえもまた私を仏法を求めさせてくれた還相廻向の菩薩様であり、それがそのまま私を廻心させる往相廻向と言うことだと思います。

往相廻向と還相廻向は決して別々の働きではなく、本願他力の御はたらきで、それがそのまま南無阿弥陀仏の名号だと云うことではないかと思います。

●親鸞和讃原文

南無阿弥陀仏の廻向の     なむあみだぶつのえこうの
恩徳広大不思議にて       おんどくこうだいふしぎにて
往相廻向の利益には       おうそうえこうのりやくには
還相廻向に廻入せり       げんそうえこうにえにゅうせり

●和讃の現代解釈
お念仏の功徳は実に広大無辺で私たちの考え及ばないものであり、阿弥陀仏の誓願不思議に依って信心を獲て浄土往生したならば必ず、その往相廻向には、人々をして同じく浄土往生に導かずには居れない還相廻向がセットされているのである。

●あとがき
お釈迦様は、何不自由の無い皇太子の生活を29歳で捨てられて出家され、34歳になられて悟りを開かれたと言われています。そして、亡くなられる80歳まで、人々にも同じ悟りを開かせるべくインド各地を廻られたと伝えられています。殆どの年月を還相廻向の人生を歩まれました。親鸞聖人も、29歳の時に法然上人に出遇われて、「雑行を捨て、本願に帰す」と自ら宣言されていますように、悟りを開かれました(浄土真宗では信心を獲得したと言います)後は、お釈迦様と同様、90歳で亡くなられるまで、越後~関東~京都へと移られながら、ご自分は他力本願の教えの信心を深められながら、一方でその教えを土地・土地の人々に説かれたのであります。

お二人共に出家された当初は、自分の悟りを求めておられたと思いますが、いざ悟りを開かれたら、自分だけが悟ればそれでよいと言うことではなかった訳であります。

仏教では菩提心を大切に致しますが、その菩提心とは、『悟りを求める心』であります。私がこうして仏法を勉強しているのは、悟りを求めているからです。悟りを求めていると言いますと、禅僧のように、何か特別な心境を求めているように思われるでありましょうが、そうではなくて、四苦八苦と云われる人生の色々な苦難に出会っても、心が大きく掻き乱されることなく乗り越えて行けて、人々の役に立ちながら活き活きと生き甲斐を感じながら生きてゆける人間になりたいと云うことであります。

「自分だけがそう云う心境になれればそれでよい」と云う立場の仏教を小乗仏教と言われておりますが、私は、お釈迦様と同じお悟りを開いたなら、それだけで満足出来るはずが無いと思いますので、自分だけの悟りを求めると云う小乗仏教と云うものが本当に存在するのだろうかとかねてから疑問を持っていますが、兎に角、大乗仏教は自分だけではなく皆一緒に悟りを開こうと云う立場の仏教だとされています。

親鸞聖人は、それを『往相廻向の利益には、還相廻向に廻入せり』と詠われたのだと思います。

合掌


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No.900  2009.04.02

だんだんーいのちの歌

昨年の10月から始ったNHK朝ドラ『だんだん』は、3月末に終わりましたが、ドラマの舞台が私の本籍地(出雲市大社町)に近く、且つ私の母が青春の一時期勉学に励んだと云う松江市であることや、かなり昔の朝ドラ『ふたりっ子』の主役で、私たち夫婦共に好感を持っていた三倉茉奈・佳奈さんでもありましたから、妻と共に一日も欠かさずに楽しみました(『だんだん』とは出雲弁で『有難う』の意味)。

又、私の元勤務先の同僚がご自分の定年退職記念として私たちを招待してくれた山陰旅行中の10月10日に、『だんだん』の舞台にもなって再三映し出された宍道湖の湖畔に行ったこともありまして、親近感を抱きながらドラマを楽しんだ次第です。

このドラマは、生まれて直ぐの両親の離婚により別々の家庭(松江と京都の祇園)で育てられた双子が、出雲大社での偶然の出遇いから始って、デュエットとして歌手デビューし、人気絶頂時に引退することになると云う粗筋でありますが、そのドラマの中に登場した『いのちの歌』は、今もオリコンチャートの上位に居ます。

この歌の中には、私から見ると仏法の匂いを感じる言葉が散りばめられております。特に、「本当に大事なものは隠れて見えない」と云うのは、作詞者が『お陰様』或いは『縁』と云う仏法の大切な教えを詠っているのではないかと思います。

歌詞と共に音声をご紹介致します。

生きてくことの意味     問いかけるそのたびに     胸をよぎる愛しい     人々のあたたかさ     この星の片隅で     めぐり会えた奇跡は     どんな宝石よりも     たいせつな宝物     泣きたい日もある     絶望に嘆く日も     そんな時そばにいて     寄り添うあなたの影     2人で歌えば     懐かしくよみがえる;     ふるさとの夕焼けの     優しいあのぬくもり     本当にだいじなものは     隠れて見えない     ささやかすぎる日々の中に     かけがえのない喜びがある     いつかは誰でも     この星にさよならを     する時が来るけれど     命は継がれていく     生まれてきたこと     育ててもらえたこと      出会ったこと     笑ったこと     そのすべてにありがとう     この命にありがとう

『泣きたい日もある、絶望に嘆く日も、そんな時そばにいて寄り添うあなた』の『あなた』とは仏様のことではないかと私は思います。
仏法を詠い込んだ歌ですね。私に素質があれば、こんな歌で仏法を広めたいなと思ったことであります。


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