No.931  2009.08.20

「何点でもよかたい」

8月18日の日本経済新聞夕刊の生活特集『子どもと育つ』に元マラソンランナー松野明美さん(熊本県出身、ソウル五輪女子1万メートル出場、現在はタレント、41歳)の子育て記事が掲載されていた。確か昨年テレビで紹介があったので、私は松野さんの次男がダウン症(染色体異常に依る先天的な疾患)であることは知っていたし、前向きに生きて居られることも知っていたが、今回の記事を読んで、彼女に仏法と関わりがあるかどうかは知らないが、今回の記事の締めくくりにある松野さんの言葉を読んで、これは浄土真宗で言うところの往相廻向・還相廻向が具現化された姿ではないかと思ったので、転載したいと思った次第である。

これより新聞記事―

▼ 長男を産んで1年後、次男はダウン症だった。心は大きく揺れた。「当時はダウン症という言葉すら知らなかった。親に伝えるのに悩んだ。次男の健太郎(5)は心臓疾患もあったので集中治療室に3ヶ月入り、その後も夫婦で病院通いに追われた。長男の輝仁(きらと、6)は私の母親の家に預けることが多く、寂しい思いをさせた」

「でも輝仁は小学1年生になり、元気で足が速い。身軽で、転んでもぱっと立ち上がる。学校のサッカークラブで活躍している。弟とおしゃべりが出来なくて、自分と異なることにもどかしさもあったようだが、2008年にテレビ番組で弟のことが何回か放映され、徐々に障害についてわかってきたようだ」

▼ ダウン症を他人に知られることには抵抗があった。「人生の負けという意識があったので、知られちゃいかんと隣人にも子どもの姿を見せなかった。タレントのイメージも崩れてしまうと心配した。つらかった。でもテレビ番組で明らかにしてからは、本当に人生が楽になった」 「健太郎は春から保育園に通っている。友達に囲まれて、嫌いな生野菜も食べるようになるなど、驚くほど変化している。入園前はストローを使えなかったのに、保母さんから『使って飲んでいる』と伝えられて、びっくり。周りの友達の真似をしているようだ。ある女の子は掃除嫌いだったのに、健太郎が入園してからはお手本を見せるように、ふき掃除をするようになったという。健太郎は助けられると同時に、周りに良い影響を与えていると保母さんが話していた」

▼ 障害者が自立できる社会制度を整えるため、動こうと考えている。「健太郎はおむつを外せないし、脱ぎ着もゆっくりだ。いつになったらおむつを外せるか。専門家の先生は10年かかる場合もあるという。私は思った。あきらめの気持ちで10年過ごすより、子どもと一緒に頑張って生きようと。その方が人間としての生きがいにつながる」 「人生観も変わった。以前は英語だ。スイミング教室だと、他人に負けないように子どもを育てることばかり頭にあった。今は比較に惑わされず、なぜか心がゆったりしている。『こどもは何点でもよかたい』という気持ちだ。ただ、今の制度ではダウン症の子の自立は難しい。健常者と小さい頃から共に歩める仕組み作りを健太郎を通して実現させたい」

―新聞記事終わり

彼女は悩みに悩んだ挙句、取り返しの付かないマイナスを受け容れた。そして受け容れただけではなく、これから生まれて来るダウン症の子達の為に自分が出来ることをしようとしている。 悩みから解放されるだけで終わるのではない。他の人の悩みをも引き受けようと行動を起こそうとしているのである。

これこそ、机上の空論ではない親鸞聖人の言われる往相廻向・還相廻向の姿だと思う。自分一人が救われればよいと言うのではない、尊い姿勢だと思う。 私の孫(女児、2歳8ヶ月)も右手の指が1本、生まれ付き無い。長女はお産後の病室で、赤ちゃんと二人きりになった時には赤ちゃんを抱き締めながら涙が流れて仕方がなかったと数ヶ月後のブログで告白していた。未だその孫は自分のマイナスを知るよしもない。これから長女にも、その孫にも、そして私たち祖父母にも乗り越えねばならぬ大きな壁が待っているのであるが、マイナスをプラスに転じる生き方が出来なければならないと、松野さんから仏法の生き方をあらためて教えて貰ったのである。


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No.930  2009.08.17

親鸞聖人の和讃を詠む-69

● まえがき
この土日は、五人の孫(中一男、小六女、小三女、五歳男、二歳女)を我が家で世話をしました。昨日は午後4時から午後9時まで、長女の友達二人と子供一人を加えた総勢13名での焼肉パーティー、先ほど孫達も夫々の家に帰って行き、1週間の盆休みは終わりました。孫達の世話はそれなりに疲れるものですが、世話を出来ることを感謝しなければいけないと老体に鞭を打って頑張った次第でありました。 12日から盆休みだった妻も今日から勤務が始まりますし、私も明日は東京出張、普段の生活が始まります。

●親鸞和讃原文

五濁増のしるしには      ごじょくぞうのしるしには
この世の道俗ことごとく    このよのどうぞくことごとく
外儀は仏教の姿にて      げぎはぶっきょうのすがたにて
内心外道を帰敬せり      ないしんげどうをききょうせり

●和讃の現代訳(早島鏡正師の現代意訳)
五つの汚れ、すなわち時代の汚れ、思想の汚れ、心の汚れ、人間の体や心が質的に低下するという汚れ、そして寿命が短くなるという汚れ、これら五つの汚れが増大していく証拠として、この世の出家修行者も在家信者もことごとく、うわべは仏教を信じている姿を見せながら、内心は仏教以外の他の教えを信仰している。

●あとがき
末法の時代を五濁悪世(ごじょくあくせ)と申します。人間の心や体を始めとして全てが濁り、汚れる時代と云うことですが、現代は更に地球環境も含めて濁りきっている時代だと言えそうです。

凡そ800年前に生きておられた親鸞聖人も五濁悪世の世の中を嘆いていらっしゃるところを見ますと、末法の時代だけに限らず、人間社会と云うものは常に濁りと共にあるのではないかと思われます。それは私たち人間が心に清濁両面を持っているからだと思いますが、親鸞聖人はそう云うご自身の心をも反省されつつ、仏教徒の有り方に付いても、うわべは仏教を信じているように見せてかけているが、本当のところは仏教とは言えない考え方をしているのではないかと歎いておられるのだと思います。

そして自分の周りの仏教徒の姿を歎かれながら、ご自身をも反省されているのでありますが、常に自分の信仰を客観的に批判されているところに健全性があるのだと思います。私たちはこの親鸞聖人の信仰姿勢に学ばねばならないと思います。親鸞聖人の教えを信奉していると言いながら、実は親鸞聖人とは対極にある自力に陥っていないか、常に第三者的な批判精神を持ち続けることが、信仰には必要だと思います。 信仰と云うものは、得てして、周りが見えにくくなってしまい、不健康な考えに陥りやすいものであります。太陽の光を一杯浴びた健康的なものであるべきだと思います。その為にも常に心のたな卸しを忘れたくないと思う次第であります。

合掌


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No.929  2009.08.13

宗教―選択の大切さ

法然上人には『選択本願念仏集』と云う有名な著作があります。ご在世時には限られた門弟にしか読むことを許されなかったとか聞いています。私は未だこの著書を読んでいませんが、親鸞聖人が『選択』した他力本願の教えは、師法然上人のこの『選択本願念仏集』が根拠となっていると言ってもよいのではないかと思いますので、何れは読まねばならない著作だと思っています。

『選択』は、「せんたく」とは読まず「せんじゃく」と読みます。法然上人は比叡山での30年余りに亘る修行中に、当時の日本に伝わっていた経典全てを読まれたそうであります。そして、選ばれたのが、浄土門の本願念仏であったと聞いております。

宗教或いは信仰と言うものは、本来、色々な教えの中から選択すべきものだと思います。法然上人や親鸞聖人が多くの教えの中から選択された『他力本願の教え』だから、他の教えを一切確認することなく、本願念仏一筋と言う方が多いのではないかと思いますし、一方、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」と他宗派を徹底批判された日蓮上人系統の宗派の人々の中にも、他の宗派の教えの本当のところを確認することなく、『南無妙法蓮華経』一筋と云う方が多いように思います。

信仰の怖さは、自分の信仰に無批判であるところに有ります。親鸞聖人の教えを信奉する団体の中に、東西本願寺教団とは別に親鸞会と云う団体もあります。お互いに批判し合っていると聞いていますが、結論が出るはずも無い徒労としか言えない論争だと思います。信仰はどうしても排他的です。しかし、その『排他』が、法然上人や親鸞聖人の様に多くの教えを比較検討した中から選び取った上での『排他』、つまり『選択』ならば成る程と頷けますが、偶々最初に接触した縁だけで入信した信仰には怖さが付き纏うように思います。

信仰は自由だと思います。でも、他宗教や他宗派を批判している間は、自分の信仰は正しい信仰ではないと誡めたいものであります。

合掌


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No.928  2009.08.11

親鸞聖人の和讃を詠む-68

● まえがき
長女が二人の孫を連れて帰省した日曜日、その長女の幼友達二人を呼び寄せまして泊りがけの宴会を催し、月曜日の夜に更にもう一人の友達も参加した連続宴会がありました。主夫の私がシェフを務めねばならず、月曜コラムの更新が果たせませんでした。 今日(火曜日)、つい先ほど長女と孫二人は嫁ぎ先の実家に向かいましたので、私は漸くパソコンに向かうことが出来ました。

昨年までは長女一家がお盆に帰省して来ましても、私には塾がありましたから、宴会のシェフを務める時間的余裕も、経済的余裕も無かったことを考え、この1年の変化を思うことであります。でも、私が主夫を務めているうちは経済的には全面回復しているわけでは有りません。今年還暦を迎える妻を、深夜まで続くことがある肉体労働から一日も早く解放してあげる為に、今取り組んでいる製品開発の完成を急がねばなりません。

●親鸞和讃原文

蛇蠍姧詐の心にて       じゃかつかんさのこころにて
自力修善はかなふまじ     じりきしゅぜんはかなうまじ
如来の廻向をたのまでは   にょらいのえこうをたのまでは
無慚無愧にてはてぞせん   むざんむぎにてはてぞせん

●和讃の現代訳(早島鏡正師の現代意訳)
蛇やサソリの如く悪賢く、偽り騙すところの害心を持って、自分の修行を励んでみても、悟りへの善行を積むということなどは、およびもつかないことである。だから、いまここに、如来の廻向したもう念仏の一道にお任せすることをしないならば、わたくしはわが身の罪を恥じることを知らずに、一生を終えてしまうでしょう。

●あとがき
長女の三人の友人達は、それぞれに重たい問題を抱えています。愛する二人の子供と無理やりに引き離されて離婚調停中(DVが主原因)の人、不治の難病と闘っている人、離婚した両親の間に入って、何かと苦労している人、問題の種類は夫々に異なりますが、何れも後戻りできないものです(長女も以前にコラムでお知らせさせて頂きましたが、今2歳半になる女の子が生まれ付きで右手に障害を抱えています)。

人間、世俗生活を送っている限り誰にも問題はあると云うことなのですが、親鸞聖人も例外ではなく、90歳で亡くなられるまで、次から次と問題に遭遇され、そして、私たちと同じように悩まれながら、しかし、それらの悩みを自らの煩悩と向き合う縁とされまして、阿弥陀仏の本願を確信され、念仏一つで人生を越えて行かれたのだと思います。

合掌


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No.927  2009.08.06

天からの受取人指定宅配便

今週の日曜日、久しぶりに午前5時からの『こころの時代』を見ました。ゲスト講師は松原泰道師でした。今年101歳になられた師でありますが、101歳でも自坊の龍源寺で法話されていましたし、毎朝5時に起床されて、先ずは仏前で般若心経を読まれ、読書三昧の日々を過ごされていたとか、その求道心に大いに刺激を受けました(実は松原師、つい先日の今年7月29日にお亡くなりになられました)。

お話の中心は、松原師オリジナルの『七福』でした。七福は、幸田露伴の『努力論』と云う著書に書かれている三つの福(惜福、分福、植福)に松原師が後4福(知足福 逆縁福 点灯福 保福)を付け加えられたものでした。それらの説明は省かせて頂きますが、その中の逆縁福のご説明の中で、今日の表題に拝借した『受取人指定の宅配便』(だったと思います)と云う話がございました。

逆縁と云うのは、私たちが不幸だと感じる出来事との出遇いのことです。私たちは誰しも逆縁に出遭います。そして七転八倒の苦悩をするわけであります。癌などの重たい病、愛する人との死別、離婚、貧困、事故、事件、災害等の逆縁は時を選ばず私たちを襲います。

「何故私がこんな目に・・・」と誰にしても、なかなかすんなりと受け容れることは出来ないものです。とても受け容れがたい時、人は自殺を選んでしまう場合があります。これはとても残念なことであります。松原師の『逆縁福』と云う福は、逆縁は本当の幸福をもたらす縁となるものであると云うご自身の経験と仏法の教えから挙げられたものであります。

そして、松原師は、逆縁は「受取人が指定されている宅配便のようなものだ。誰も代わって受け取ることが出来ない。他人に代わって受け取って貰うわけにはいかないものだ。そして、このマイナスは必ずプラスに転ずるものであるから、覚悟を決めてしっかりと受け取ることが大切だ」と言われるのであります。

そう言われましても、私たちは、突然の不幸を「はいそうですか」と、すんなりと受け取るわけには参らないと思いますが、受取人指定であると云う認識を持っていれば、時間の経過と共にやがてその逆縁を松原師の言われる逆縁福を感じる時が訪れるのだと思います。

私にも七年前に受取人指定で『経営破綻』と云う宅配便が届きましたが、しばらくは受け取りを拒否していたように思います。でも今では、まさに私が出遭うべくして出遭った、否、出遇わせて頂いた当(まさ)に受取人指定の天からの宅配便であったなぁーと思っている次第であります。
松原泰道師のご冥福をお祈り申し上げます。

合掌


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No.926  2009.08.03

親鸞聖人の和讃を詠む-67

● まえがき
今日の和讃では『小慈小悲(しょうじしょうひ)も無き身にて』がキーポイント、キーワードであります。仏法では、楽をあたえることを「慈」といい、苦を抜くことを「悲」と云われます。慈悲を言い換えて抜苦与楽(ばっくよらく)と申します。そして仏様の慈悲心を『大慈大悲(だいじだいひ)』と申しますが、親鸞聖人は、自分には大慈大悲どころか小慈小悲も無い身の上だと嘆かれていらっしゃるのであります。

一般の方からすれば、謙遜の言葉と受け取られるのでありましょうが、これまでも申し上げましたように、これは謙遜でもなければ謙虚な姿勢から来るものでもなく、自己の心の現実をそのまま詠われたものだと思います。しかし、単なる嘆きだけではなく、その嘆きと同時的にそれを知らせて下さる仏様に出遇えた慶びが対(つい)になっているのだと思います。

●親鸞和讃原文

小慈小悲もなき身にて       しょうじしょうひもなきみにて
有情利益はおもふまじ       うじょうりやくはおもうまじ
如来の願船いまさずば       にょらいのがんせんいまさずば
苦海をいかでかわたるべき     くかいをいかでかわたるべき

●和讃の現代訳(早島鏡正師の現代意訳)
如来の大慈大悲どころか、小慈小悲すらもないわたくしであるから、衆生を救うという利他教化の働きともなれば、それはまったく思いも寄らないことである。それ故に、如来の本願の船がなかったならば、わたくしごときものは、どうして生死流転の苦海を越え渡って、さとりの彼岸に達することが出来ようか。

●あとがき
慙愧と歓喜が同時に心に湧き上がると云うところが、他力本願の教えの微妙さであり、難しさではないかと思います。
従いまして、この悲嘆を詠い上げた和讃の言外に、「私は阿弥陀仏の本願に出遇えたことに依って、つまり本願力に依って、この生死流転の苦しい娑婆世界に居る身のままで、浄土の風光を感じる身とさせて頂いたのだ」と云う自信と慶びが溢れていることを一般の方々にも知って頂きたいと思います。

一部の新興宗教の人達が、これらの和讃を表面的に捉えられて、「親鸞は死ぬ直前まで、嘆き苦しんでいるではないか。そんな教えに惑わされてはいけない」と他力本願の教えを誤解した発言をされることがあるそうですが、まことに残念なことだと思います。

合掌


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No.925  2009.07.30

続―自己愛

最近、私自身の仏法を求める心がどうも以前程には切実ではないと感じる時がありました。何故なのかと考えました時、背負っている借金の額はちっとも変わっていないのですが、日々の経済苦、つまり日々のお金のやりくりの苦しさがかなり和らいでいるからではないか、そうすると、私が仏法を求めていたのは単に自分だけの苦しさから逃れたいだけの所謂浅ましい自己愛からだけのものではなかったかと考察したりすることがありました。

確かに、2000年から始まった私の経済危機は、一昨年の3月に思いもしなかったホワイトナイトの出現に依り、快方に向かいました。また更に、昨年から本業の技術開発の方でも善きユーザーさんに出遇うことが出来ましたので、会社も個人もどうしょうも無い経済苦から脱け出しています。以前は滞納している税金の督促、公共料金の督促、会社が借りている金融機関からの融資返済と個人住宅ローンの返済に追われて、頭の中はお金だらけの毎日を送っていましたから、それに比べますと、今は、半年位先までの資金繰りの目途は付いており、まさに天国のような日々と言っても過言ではありません。

でも、確かに自分は悩ましい日々から脱出していますが、現在付き合いのある知人・友人の中には、一家の大黒柱のウツ病(登社拒否状態)に苦しんでいる家族がありますし、離婚を前提とした人間関係と将来の不安に苦しんでいる人、そして十万人に一人と云う不治の難病と闘っている人が居ます。また、もっと広く世間に眼を転じますと、派遣切りに出遭ったり、母子加算支給費を削られてその日の食べ物にも困り、死ぬほどの苦しみに遭遇している人々や実際に死を選んでしまう人々も増え続けている現実があります。私にその人達のことに思いを馳せる心があれば、とても天国の日々を感じる暇はあるはずがありません。

少しばかり経済苦から解放されて天国のような日々を感じたと云うことは、私が自分だけのことしか考えていなかった、所謂自己中心の、自分さえ良ければいいと云う人間であったのだと思い、親鸞聖人はこう云うどうしょうも無い自己愛と対峙され続けて居られたのだろうと、以前の私の捉えていた自己愛の浅さを思い知らされた気が致しました。

仏様や神様を鏡に喩えることがあります。仏法では、その鏡に映った自分の心を「仏様に照らされた心」と表現することがありますが、私の鏡は、女性が電車内などで化粧直しする際の手鏡のような小さなもので、親鸞聖人が晩年に持たれていた鏡は、ダンス教室などにセットされている全身を映す大きな鏡、否、地球全体を映し出すような、大きな大きな鏡だったであろうと思い至ったことでした。

勿論、親鸞聖人でも、自己と同じように他人を愛することは出来ないと思いますが、そう云う自己愛を見詰め続け、闘い続けることが、本当の意味での仏様に照らされた真実信心を戴くと云うことではないかと思いました。

前回のコラムで、お釈迦様が「人間は残念ながら、自分より愛しいものはないのだよ。しかし、他の人も自分より愛しいものはないのだから、そのことに思いを寄せてお互いに大事にし合うことが大切なんだよ。」と仰ったことを紹介致しましたが、これは道徳・倫理の世界の話だと思います。親鸞聖人は、そう云う他人を自分同様には愛せない自己愛を見逃されることなく、そう云う煩悩具足の罪悪深重煩悩熾盛の自分をこそ目当てに阿弥陀仏の本願が立てられたと、他力本願の念仏の教えに行き着かれて、在家生活を送るしか無い私たちに道を示して下さったのだと思います。私たちが救われるのは親鸞聖人の教えしかないだろうとあらためて思った次第であります。

合掌


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No.924  2009.07.27

親鸞聖人の和讃を詠む-66

● まえがき
今日の和讃にも幼い時から馴染みがございます。そして「無慚無愧(むざんむぎ)のこの身やからねぇー」と私の母がよく呟いていた記憶がございます。 『慚(ざん)』も『愧(き)』も「恥じる」と云う意味なのですが、普通『慚』は「世間や他人の眼に対して恥ずかしい」と云う恥で、一方、『愧』は「天に恥じる」と云う恥だそうであります。普通私たちは、他人の眼を気にして恥ずかしく思うのですが、他人の眼が無ければ、時として「ま、これくらいいいか・・・」と済ましてしまうことがございませんでしようか・・・。私には数え切れない位ありますし、他人に対して恥ずかしい事をした事よりも、むしろ後者の方が心に残っているように思います。

それを親鸞聖人は「無慚無愧のこの身にて」と嘆かれ告白されたのであります。否、仏様の本願に目覚められた親鸞聖人は、そう嘆かざるを得なかったのでありましょう。そして、これは神様の前で神様に赦しを請う懺悔ではないと思います。仏様の大きな心に包まれた中での、既に赦された安心感を伴った(と言いますと言い過ぎかも知れませんが)、懺悔ではないかと思われます。そのお気持ちが他力念仏を慶ばれている後半の2句だと思います。

●親鸞和讃原文

無慚無愧のこの身にて       むざんむぎのこのみにて
まことのこころはなけれども     まことのこころはなけれども
弥陀の廻向の御名なれば     みだのえこうのみななれば
功徳は十方にみちたまふ      くどくはじっぽうにみちたもう

●和讃の現代訳(早島鏡正師の現代意訳)
自分の犯した罪を恥じることをまったく知らないこのわたくしであり、また真実の心も持ち合わせていないわたくしではあるが、弥陀如来の真実のおこころから廻向された南無阿弥陀仏の名号を信じ、それを称える身となったことは、何としてもありがたいことである。何故ならば、この名号の功徳は十方にみちみちて、一切の衆生を救いたもうのであるから。

●あとがき
無相庵カレンダーの31日のお言葉に「花に蝶々、衆生に佛、離れられない、わけがある」と云う藤秀翠師のお詠をあげさせて頂いておりますが、『わけ』とは、花と蝶々の場合は『蜜』を、衆生との場合には『煩悩』を表現されたのだ思います。
煩悩があるからこそ、その都度仏様に出遇えると云うことだと思います。親鸞聖人が今日の和讃を詠まれたのも85歳前後だと思われますが、心にふと顔を覗かせた自らの煩悩に『無慚無愧』のわが身を想われ、「それにつけても・・・」、と仏様のお慈悲をまたまた強く感じられて詠われたものだと思います。決して悟り澄まされたご心境ではない、でも、決して苦悩にみちみちた生活でもなく、心は浄土に遊ぶ時もある慶びのある日常生活を送られていたに違いありません。だからこそ、私たちには慕わしい宗祖なのだと思います。

合掌


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No.923  2009.07.23

自己愛

人間誰でも、「自分を可愛いと思う心」を持っています。この心を『自己愛』と私は名付けて話を進めます。 仏教は自己愛を否定しません。むしろ自己愛は信心とか信仰への足掛かり・手掛かりだと考えます。仏教を開かれたお釈迦様は、歴史上一番自己愛の強い人だったと言えるかも知れません。そして、犯罪を犯して死刑になったりして人間社会から隔離されたり排除されたりする人達は、自分を本当の意味で大事にしなかった人、つまり自己愛の弱い人だったと言えるかも知れません。

お釈迦様と犯罪人の大きな違いは、自分の自己愛に気付き、他の人の自己愛にも気付いたかどうかにあるのではないかと思います。お釈迦様が自己愛に付いて語った逸話があります。ある王様と女王が、「考えてみると、私は世の中で一番大切なものを突き詰めて見ると残念なことに、自分なんだ。」と、お互いに告白し合ったのです。そして、この「相手を一番に愛せない心」をどう考えたらよいのかをお釈迦様に教えを請いに行ったところ、お釈迦様は、「人間は残念ながら、自分より愛しいものはないのだよ。しかし、他の人も自分より愛しいものはないのだから、そのことに思いを寄せてお互いに大事にし合うことが大切なんだよ。」と優しく説かれたそうであります。

他の人の自己愛に気付かない人は、他人はどうなってもよいと他人の自己愛を無視して、他人の身心を傷付けたり、他人の命さえ奪うことまでしてしまいます。

親鸞聖人も人一倍激しい自己愛を持って居られたものと思います。しかし、その自己愛から生じて自らを苦悩させる煩悩を見詰められて、その煩悩具足(あらゆる煩悩を抱えている)の自分が、天地一杯の働きと恵み(他力)に依って生かされて生きている自己の現実と真実に目覚められて、 慙愧と感謝の人生を全うされたのだと思います。

人間は自己愛を持っているから、仏にもなり鬼畜生にもなり得る存在だと思います。自己愛を手がかりとして仏になりたいものであります。

合掌


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No.922  2009.07.20

親鸞聖人の和讃を詠む-65

● まえがき
この和讃も、幼い頃から耳に胼胝(たこ)が出来る位に聞いていたものです。母が仏壇の前で、ため息をつきながら詠っていた和讃です。蛇蠍(じゃかつ)と云う言葉が非常に印象深かったことを覚えています。母が亡くなる、私が40歳位までは、『蛇(へび)や蠍(さそり)のような心』を持っているとは、「仏法聞いても、悪い心が治らなければ何にもならないではないか?」と疑問を抱いていたものであります。
ですから、他宗の人々が、「親鸞自身が阿弥陀仏を頼りにしても、決して救われないと言っているではないか」と、浄土真宗を攻撃して折伏(しゃくぶく)に引用する和讃の一つになっていますのも、致し方ないことでありましょう。

やはりこの和讃を詠われた親鸞聖人のお心も、謙虚とか、厳しい内省観と云うものではなく、清浄無垢な仏様の心に触れて、鏡に映し出された自我を悲嘆する心であると共に、真実の自己に出遇えた慶びの心に裏打ちされているものであることを知らねばなりません。

●親鸞和讃原文

悪性さらにやめがたし       あくしょうさらにやめがたし
こころは蛇蠍のごとくなり      こころはじゃかつのごとくなり
修善も雑毒なるゆへに       しゅぜんもぞうどくなるゆえに
虚仮の行とぞなづけたる      こけのぎょうとぞなづけたる

●和讃の現代訳(早島鏡正師の現代意訳)
もって生まれた悪を好む性(さが)はなかなかやめることができない。そして、こころは蛇や蠍(さそり)のように恐ろしくて執念深い様相を呈して、他人を害することをしている。だから、たとい善い行いを為しても、煩悩の毒が混じっているから嘘、偽りの行いといわれるのである。

●あとがき
親鸞聖人は、90歳で亡くなられたのでありますが、この和讃は亡くなられる4、5年前に詠まれたものであります。決して若い頃の心境を思い出されて詠まれたのではなく、その85歳前後の心境をそのまま詠われたものだと思います。

親鸞聖人は85歳頃に、関東に自分の名代として派遣した長男の善鸞を、信仰上の裏切りが発覚した経緯から勘当されています。とても辛いことであったと思いますし、善鸞を誑(たぶら)かしたであろう人々を恨む心も起きたことでしょう。また、既に50年余りも前の法然上人とご自身を含む数人の高弟が旧仏教の働きかけに依って念仏禁止、そして流罪に処せられたことにも、赦しがたい心が残っていたこともあり、自身の心の中に湧き上がる様々な煩悩と対峙されていたことは想像出来ます。

実際にそれらの煩悩の心を行動には移されることは無かったでありましょうが、その自らの煩悩を悲しまれると共に、その悪性やめがたい自分を目当てにこそ阿弥陀仏の誓願があると云う確信を再確認されて行かれたのだと思います。

合掌


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No.921  2009.07.16

五木親鸞

昨年の8月から一部の地方新聞で連載が始まった五木寛之氏の小説『親鸞』を私は妻共々毎回欠かさずに読んでおります。親鸞聖人の若き頃のご消息、特に比叡山に登られるまでと、登られてからの記録が余りにも少なく殆ど不明と言ってもよい状況の中、五木氏は想像逞しくされて、物語にされ、今は法然上人の下で、僧名を『綽空(しゃくくう)』から『善信(ぜんしん)』に変えられるところまで進んでおります。

私は小説家の勉強の幅広さと深さに裏打ちされた知識に舌を巻いておりますし、毎回適切な絵を描かれている山口晃氏にも拍手を送っているところです。また他力本願の教えに関しましても、五木氏なりに相当勉強されており、大いに勉強させて頂いております。親鸞聖人は、法然上人の下を離れて越後そして関東に居を移され、最終的には京都に戻られるわけでありますが、五木氏がその間に親鸞聖人が信心を深められて行く経緯をどのように描かれるのかを大変楽しみにしております。

私は五木氏が『親鸞』を書かれることを知ったとき、その勇気に感心致しました。批判精神が特に激しい浄土真宗の自称親鸞信奉者達の批判の嵐に曝されることは火を見るよりも明らかだと思ったからでした。 案の定、既に批判を眼にしました。単に時間軸で親鸞を追いかけているだけで、法然上人の念仏も、親鸞の信心に関しても、何も分かっていないと云う内容です。批判は自由でありますが、せめて、関東の生活に入られて後までは待って欲しいものだと思っております。

親鸞の他力本願の教えは、そんなに固定したものではないと私は思っております。親鸞聖人ご自身も、お亡くなりになる瞬間まで、仏様とは緊張関係を続けられたのではないかと思っております。緊張関係と云うのは、勿論敵対関係ではなく、仏を信じ切れないご自身の煩悩と言いますか、自我といいますか・・・それと闘かわれたのではないかと思います。「阿弥陀仏の本願を信じたいけれども、信じ切れない。でも阿弥陀仏はそう云う罪悪深重、煩悩熾盛の私をこそ救い取って下さるのだ」と最終的には安らかな気持ちにも成られる瞬間を持たれたでありましようが、常に全てを仏様にお任せした安らかな日常生活を送られていたのではないと私は和讃を読んで思っております。

でも、実際のところ、今では親鸞聖人に確かめる訳にも参りませんし、確かめる必要もないと思います。後代の私たちは、親鸞聖人が自身の煩悩と対峙され、自己を明らかにされながら歩み続けられた姿に学び、私たちも自らの煩悩と闘い、自己を明らかにするべきものと思っており、五木氏が捉えた親鸞の是非に付いての批判は批判する人自身にとっても何にもならないと思います。

合掌


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