No.940  2009.09.22

スーパースター、長嶋茂雄・王貞治の実像

日曜日のNHK番組『NHKスペシャル』で、“長嶋と王50年目の告白▽スーパーヒーローが語る栄光と苦悩▽長嶋・密室の猛特訓▽王極秘メモ”が紹介されていた。高度経済成長、ON時代を生き抜いた世代の巨人ファンだけに限らず、多くの方が興味を持って見られたのではないだろうか。

『天才の長嶋、努力の王』と言われていたが、長嶋氏は不自由な口を開いて明確に「僕は天才ではない」と言い切った。そして、「人に努力しているところは絶対に見せない」とも。
王の一本足打法完成までの努力振りはこれまでも師匠荒川氏の付きっ切りの指導振りと、日本刀で薄紙を切り取る独特の練習場面と共に紹介されて来たことで私たちは知っていたが、納得がいくまで数時間は続いたと云う長嶋の和室での猛特訓は知らなかった。

彼らを体力・気力の限界までの努力に追い込んだのは、ファンの期待や願いに添わねばならない、否、添いたいと云う本人の強い意思と願いだったことは、両雄が一致して語っていた。「打てなかった打席の次の打席に立つのが怖かった・・・」。こんな気持ちを抱きながらバッターボックスに立っていたことは誰も想像出来なかったのではないかと思う。

長嶋が打率3割を打てなくなった時に、王が40本のホームランを打てなくなった時に引退と云う言葉が頭をよぎったのは、ファンの期待に応えられない自分を認識したからだったようである。 長嶋茂雄であり続けられない、王貞治ではなくなったから引退したと云うことであろう。

彼ら二人のスーパースターの努力と活躍を使命感と云う簡単な言葉で済ませられないと思う。ファンの期待に応えたい一心とも片付けられないと私は思う。親鸞仏教で云うところの『本願』に目覚めたからだったのではないか。自分がこの世に生まれて来た意味に目覚め得たからではなかったかと思う。

彼らは口を揃えて言うと思う。「自分の強い意思力で努力したのではない。何か大きな力に依って努力させられた、否、努力せずには居られなかった。打てない時には苦しかった。でも、充実した選手生活であった」、と。

彼ら二人のスーパースターは、今は共に不治の病と闘っている。でも、やっぱり、今もスーパースターであり続け、病と闘っている勇姿を見せてくれているのだと思う。おそらく、死ぬまで長嶋茂雄選手であり、王貞治選手なのだと思う。

お二人と仏教との関わりがあるかないか、私は知らない。でも、仏法に出遇う出遇わないに関わらず、本当の自分に出遇った信心の仏法者と同じ境涯を生きているのだと思う。

スーパースターではない私も何かを願われてこの世に命を頂いたと云う点では全く同じである。 仏法に出遇った私は阿弥陀仏の本願に依り、既に本当の自己に出遇っているのだと思う。スーパースターにはなれないが、仏様に褒められる人にはなれる、否、なりたいと思っている次第である。

追伸: 次の日曜日の午後9時のNHKスペシャルで第二回目(監督時代の長嶋・王)が放映されます。


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No.939  2009.09.17

政権交代では世の中は変わらない・・・

昨日から鳩山政権がスタートしました。官僚に依存して来た自民党政権から脱官僚主導を合言葉にした民主党政権に期待したいものですが、世の中が劇的に変わることはないのではないかと思っております。

鎖国しない限り、景気も日本単独の施策だけで変えられるものではなくなっていると云うのが、現代社会であります。ましてや、安全保障問題は核を持たない日本が自分勝手な考えだけで行動出来ないのではないかと思います。

仏法の考えから致しますと、本当に世の中を変えるには、自分が変わることでしかないと云うことになります。劇的に変わるのが、仏法における回心(えしん)であります。世の中の政権交代に無関心であってはいけませんが、自分の心の中の政権交代に、より強い関心を持たねばならないと思う次第であります。

合掌


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No.938  2009.09.14

親鸞聖人の和讃を詠む-73

● まえがき
今日の和讃までの五首は、仏教徒がお釈迦様の説かれた法に依ることを忘れ、偶像化された神々に依っていることを歎かれた歌が続きました。

親鸞聖人が神道を否定されていたかのようにも解釈されますが、鬼神と云う表現から神道の神様ではなく、今の世にも多々見受けられる、神体を摩れば目の病が治るとか、寄付をすれば商売繁盛するとか、拝めば直接的な現世利益が得られると云う、苦しい時の神頼みの神に依ることを誡められていたのではないかと思います。

●親鸞和讃原文

かなしきかなやこのごろの     かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに       わこくのどうぞくみなともに
仏教の威儀をもととして       ぶっきようのいぎをもととして
天地の鬼神を尊敬す        てんちのきじんをそんきょうす

●和讃の現代訳(早島鏡正師の現代意訳)
かなしいかな、このごろの日本の出家修行者も在家信者も、すべてみな外形は仏教で定めた行儀作法にのっとって、うやうやしく立ち居振る舞いをしているけれども、内心は仏を信ずることをせずに、天地の神々を敬っている。

●あとがき
お釈迦様が亡くなられる直前に、側近の弟子に「自己を拠り処にせよ、法を拠り処にせよ」と説かれたそうであります。お釈迦様は、決して「私を拠り処にせよ」とは申されなかったようであります。

私たちは往々にして、我が目で確認出来る物を頼りにしたり、拠り処にしがちであります。仏壇や仏像を拝んだり、磨き上げる等して大切にすることが信心深い仏教徒の有り方だと思いがちであります。お釈迦様の教えはそう云うものでは無いということを親鸞聖人は自分への誡めと共に、同じ道を歩む私たちをも誡められたのだと思います。

親鸞聖人を崇め奉ることが他力本願の教えに帰依しているのではないと云うことでもあります。自分の心に住み付いている自己愛と向き合い、自己を明らかにして行くこと、この世に人間として生まれた意味を明らかにして行くことに焦点を当てて生活することが仏教徒の有り方であることを忘れないようにしたいものであります。

合掌


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No.937  2009.09.10

難度海(なんどかい)

親鸞聖人が主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の冒頭で「難思の弘誓は難度海を度する大船」と言われている『難度海』は、『度』が「渡る」を表す漢字であり、『海』は親鸞聖人が書物の中で人生を意味して使われていますので、「渡るのが難しい人生」と云うことであります。

確かに、私達は日常生活で様々な困難に遭遇致しますので、大抵の人は、「人生は難しい」と言われれば「確かにそうだ」と頷かれるに違いありません。長ずるにつれて、その困難の種類は多くなり、且つ大きく成る様にさえ思われるのではないでしょうか。

親鸞聖人は、表現を変えられて、人生を『生死(しょうじ)の苦海(くかい)』とも申されています。『生死』は「生き死に」ですが、仏法では『迷い』と解釈されておりまして、「迷いから来る苦しい人生」と言い換えられるでありましょう。『迷い』と云うのは、「あれかこれか」と云う『迷い』ではなく、『世迷い事』の『迷い』であり、「考え違いをしている」と云う事であります。

そして、親鸞聖人が『難度海』と言われているのは、実は「人生は難しい」と云うことをおっしゃっているのではなく、本当は生きるに易しい人生を、私たちが考え違いをしているから、難しくしているだけだとおっしゃっているのではないかと思われます。

では、考え違いって、どう考え違いをしているのでしょうか?それは、私達の思考が全て自己中心に基づいていると云うことであります。「自分の思い通りにしたい、自分さえ良ければいい」と云う考えが心の奥底に潜んでおり、且つその自己の心に気付いていない、親鸞聖人が言われる『罪悪深重・煩悩熾盛の衆生』だからであります。

私は、16年前に脱サラをして会社を設立しましたが、7年前に殆どの仕事を失い、約30名居た従業員を解雇し、工場を閉鎖しなければならない憂き目に遭遇しました。多くの人を路頭に迷わせ、自分自身も路頭に迷いました。脱サラ起業した時にはバラ色の未来を描いておりましたのに・・・です。「自分には良いことが待っているに違いない」と云う考え違いをしていたわけであります。ビジネスを世界レベルで考えられていたなら、また歴史に学ぶ客観的な考え方が出来ていたならば、生産活動が安価な労働力の地域にシフトされて行くことは容易に予測出来たはずでありました。それをさせなかったのは、私の自己中心の考えでありました。

過去の様々な憂き目を思い返しますと、その全ては私の自己中心に基づく考え違いに行き当たります。従いまして、その自己中心の考え方を払拭出来たならば、憂き目には遭わないはずであります。人生は難度海ではなくなるはずであります。

が、しかし、「妄念はもとより凡夫の地体なり、妄念のほかに別に心はなきなり」と源信僧都が申されている通り、私達の努力だけでは自己中心の心を簡単に払拭出来るものではありません。
しかし、聞法を続けて参りますと、憂き目に遭わなくなると云うことではなく、憂き目に遭う毎に、憂き目が憂き目でなくなって参るような気が致します。やがては、あるがままの人生を受け取っていけるのではないか。昨日更新させて頂いた米沢秀雄師の法話にございますが、悲しいことも、嬉しいことも平等に受け取っていける人生が開かれて行くのではないかと思います。

生涯聞法、終わりの無い旅であります。

合掌


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No.936  2009.09.07

親鸞聖人の和讃を詠む-72

● まえがき
親鸞聖人は、仏壇や仏像を拝んだりされることはありませんでした。ただ拝むだけで自分に良いことが起こったり、お金が儲かったりすると云う考え方そのものを排されて居られました。多分、お墓参り等もされなかったのではないかと思われます。拝まれたのは、名号、それも、『帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)』と云う十字の名号を主とされたようです。

現在の浄土真宗教団(東西本願寺)が仏壇を拝んだり、仏壇の前に座ってお経を読んだり、葬式や法事、お墓参りを門徒が為すべき宗教儀式として取り入れていますが、これは蓮如上人が念仏の教えを広める為に、組織作りの手段の一つとして発案したものだと言われており、親鸞聖人のお考えからは大きく離れたものだと思われます。

今日の和讃からも、親鸞聖人の宗教と云うものの捉え方、信仰に対するお考えが、はっきりと示されていると思います。現存する仏教の宗派で、親鸞聖人のお考えに沿っている宗派は、残念ながら見当たらないのではないかと私は思っております。

●親鸞和讃原文

外道梵士尼乾志に         げどうぼんじにけんじに
こころはかはらぬものとして    こころはかわらぬものとして
如来の法衣をつねにきて      にょらいのほういをつねにきて
一切鬼神をあがむめり       いっさいきじんをあがむめり

●和讃の現代訳(早島鏡正師の現代意訳)
釈尊時代の異学、異教徒であったバラモンや尼乾志(ニガンダの人びと、すなわちジャイナ教徒)の人びとと比べてみても、近頃のお坊さんの心は少しも変わっていない。すなわち、彼らは外見は如来の定めた袈裟を身に着けているけれども、内心ではあらゆる天神・地祇を祀って、現世利益を乞うているように思われる。

●あとがき
早島鏡正師は、この和讃で親鸞聖人が僧侶の有り様を非難しているかのように解釈されていますが、親鸞聖人は、人間と云うものがそう云う罪福心(或いは罪福信)に囚われやすい存在であることを念頭に、自らをも誡められ、本願他力の念仏の教えに集う人々への誡めとして詠われたのではないかと思います。

罪福信と云うものは、人間誰でも持っているものであります。「人事を尽くして天命を待つ」ことはなかなか出来ない私たちです。そして、どこまでも自分の不幸は避けたい、幸せは手に入れたい、そのためには神さまだろうと仏様だろうと利用出来そうなものはなんでも利用します。親鸞聖人はそれを「罪福信」と呼ばれました。罪福信は人間である限り誰でもが持っている欲望です。   この罪福信を信仰だと思っている人が多いのではないでしょうか。

最近の法話コーナーで米沢秀雄師の法話を連続的に更新させて頂いております。米沢秀雄師は、特に上述の罪福信を本来の仏教信仰からは程遠いものであることを力説されていらっしゃいます。是非、お読み頂きたいと存じております。

合掌


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No.935  2009.09.03

五木親鸞―残念なクライマックス

今週の月曜日(8月31日)で1年間毎朝の楽しみにしていた五木寛之氏の新聞連載『親鸞』が終わった。思わず何時から始まったのかを調べた。読み出してからもう1年も経ったとは思えない程早く終わった感じがしている。それ程楽しませて頂いたのだと思う。

作家の凄い勉強量、作家の知識の広さにはずっと驚かされっぱなしであったが、私は親鸞の信心の変化を作家五木氏がどのように捉えておられるのかを秘かに楽しみにしていたので、親鸞が越後に到着したところで終わってしまったことに少々がっかりしてしまった。 親鸞の生涯は、むしろ越後から始まり、関東の20年、そして京都へ戻ってから30年に他力本願の信心の深まりがあるのではないかと思っているからである。
五木氏には、是非続編に挑戦して貰いたいと思っている。

五木親鸞には多くの自称親鸞門徒からの批判があることを以前のコラムで言及し、それらに対して、私は批判的であった。親鸞をどう捉えようと個人の自由であると・・・。何が正しいかは今となっては誰にも断定し得ないからである。今もその気持ちは変わらない。変わらないけれど、今回の五木親鸞の最終回に五木氏が親鸞に言わせている言葉は、過去1年間を読み続けた読者にとっては、親鸞の心の中をかなりぞんざいに表現されたような気がして、折角の力作であるからこそ実に惜しい気がした。
私の妻がその同じ印象を問わず語りに話しかけて来たので、「僕だけではないんだな」と、かなり多くの読者も同じ思いを抱いているのではないかと、一層残念な思いに襲われてしまった。

小説の中では、朝廷から流罪に処せられた親鸞は妻の恵信尼と二人連れの徒歩と舟での長旅を終え、越後に到着するのであるが、越後の居多ケ浜(こたがはま)を目前にして、親鸞は恵信尼に、「恵信どの、お山で修行したことはあっても、わたしは世の中を知らない。越後で地元の人びとのような暮らしができるだろうかと、不安でならないのだ。なにもかもがはじめての経験だし、流人の暮らしとはどういうものか想像もつかない。頼りになるのはそなただけだ。この世間知らずの親鸞を、弟子と思うてきびしく仕込んでくれ。わたしは本当に自信がないのだよ」
それに対して、恵信尼には、「大丈夫です。わたくしたちには、念仏という大きな支えがあるではございませんか」と言わしめている。

親鸞聖人が、自分を偽り隠すことない人格であることを描かれたのかも知れないが、少し極端な表現の仕方ではないかと私は思ったのである。法然上人との出遇いによって他力本願念仏の教えの信心を戴かれた親鸞聖人ではあるが、見知らぬ流罪地での暮らしに全くの不安が無いはずは無かったであろうが、「頼りになるのはそなただけだ。」「わたしは本当に自信がないのだよ」と云う言葉は、あまりにも凡夫過ぎはしないかと・・・。また、小説の中で五木氏自身が、朝廷の念仏弾圧に対しても毅然として念仏を守り続けた親鸞聖人に言わせたことと整合性が保てないとも思った次第である。

信心を戴いても、夫婦間では凡夫そのものの姿を見せ合うことも事実かも知れないが、少し言葉足らずではなかったかと思う。生涯、念仏禁止令と流罪に対して憤りを抱き続けられた親鸞である。私は、むしろ、次のように親鸞に言わしめて締めくくって欲しかったと思っている。

「越後での流罪人としての暮らしに不安が無いわけではないが、法然上人と共に念仏を地方に広める縁を戴いたのだと思う。そう思うと、遠くに見える越後が仏様の光に照らされ少し輝いているように思えるのだよ」と・・・。

念仏は無碍の一道と言われるが、世の中で出遇う様々な障害・苦難に全く心が動じなくなると云うことではない。念仏がそのような障害・苦難を払い除けてくれる呪(まじな)いでも無い。障害や苦難から逃げるのではなく、わが身に引き受けて、真正面から立ち向かって、真実の自己に目覚める縁と受け取って行ける自己変革の教えなのである。そして凡夫がマイナスと思う状況も自然と何時しか、マイナスもプラスも無い世界に住まわせて戴ける教えだと私は思っている。

でも、五木寛之さん、長い間、ご苦労さまでした。そして、毎回欠かさず実に適切な挿絵を担当された山口晃さん、有難うございました。

合掌


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No.934  2009.08.31

親鸞聖人の和讃を詠む-71

● まえがき
昨日の総選挙は予想通り、否、予想以上の自民党の大敗と云う結果に終わりました。民主党の大勝利とは言えないだろうと思います。小選挙区比例代表制になって、民意がそのまま結果に反映されるようになったのは良いことかどうか・・・。思慮深く無い短気な国民性が日本を破綻に導く可能性があるのではないかと少々心配である。

と言いながら、私も今回は政権交代を選びました。自民党の議員にも民主党の議員にも、一度お互いの立場を経験させて、相手の批判、中傷に終始する国会を日本の有り方を議論する場に戻して欲しいからです。民主党議員には日本国民の安心安全に具体的な責任を持ち実行しなければならぬ政権与党の立場を、自民党議員には、真っ当な議論をしようとしても結局は無視される歯がゆい立場の野党の立場を経験して貰い、相手の立場にも立てる人びとになってはじめて国民の立場にもなれるのだと思うからです。

私の甥も、民主党から初出馬して当選しましたが、他人の立場に立てる人物になって、本当に日本を立て直せる政治家になって欲しいと思っていますが、今年中に、子ども手当てと、高速道路の無料化を実行出来ないならば、短気な民意は、来年の参議院選挙で自民党を復活させ、甥は、次の解散総選挙で議席を失うのではないかと思っています。

今日の和讃で親鸞聖人は、周りの僧侶達の有り様を嘆いて居られます。この親鸞聖人の嘆きは、他宗の僧侶を嘆いたのではなく、父、親鸞聖人に背いた長男善鸞とその善鸞を担いだ関東の弟子達を念頭においたものと思われます。

仏法は、名聞・利養を追うものではありません。名聞・利養を追うのは最早僧侶ではありません。また、僧侶だけではなく、在家の仏教徒も然りであります。その点をはっきりと宣言された和讃でもあります。

●親鸞和讃原文

僧ぞ法師のその御名は     そうぞほうしのそのみなは
たうときこととききしかぞ     とうときこととききしかぞ
堤婆五邪の法ににて       だいばごじゃのほうににて
いやしきものになづけたり    いやしきものになづけたり

●和讃の現代訳(早島鏡正師の現代意訳)
一般に僧とか法師という名前は、三宝の一つとして、尊いものと聞いていたのに、近頃のお坊さん達が道に外れた振る舞いをしているのは、ちょうど仏弟子堤婆(お釈迦様の従兄弟)が名前・利養にかられて、釈尊に代わって教団の指導者となろうとした時、釈尊がとどめられたのにもかかわらず、堤婆は別に五つの邪(よこしま)な掟(おきて)を作って、あらたな教団をこしらえたという悪業の如きものである。だからして、そのような悪業ある坊さんたちに僧や法師という名前を与えるのは、尊い名前を卑しいものに使っているということになる。まことに嘆かわしい次第である。

●あとがき
僧侶にしましても、政治家にしましても、本来与えられた役割があります。果たさなければならない義務と責任があります。それを忘れてしまえば、国民の幸せを実現する役割の僧侶でもないし、政治家でもない、ただ単なる名聞・利養を追って一喜一憂する罪悪深重煩悩熾盛の凡夫でしかありません。

他人事ではありません。自分自身も、自分の本来の役割を念頭におき、また仏教徒としても、常に名聞・利養にのみ走っていないかをチェックする必要があります。

合掌


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No.933  2009.08.27

平成鎖国論

突拍子もない意見であるが、最近の日本の状況を見ていると、一度鎖国して出直した方がよいのではないかと考えた次第である。 私は朝晩、合計で約10キロメートル程度のウォーキングをしている。私の街は三宮から神戸市営地下鉄に乗って30分の『西神南駅』を最寄の駅とする新興住宅街である。阪神間の企業に勤めるサラリーマンのベッドタウンと言ったところである。当然駅には駐輪場があり、自転車は溢れているし、駅前ビルには大手の塾が数件入って夜遅くまで、小中学生の姿を見かけるような街の状況である。

ウォーキングして居てよく見かけるのが、駅から遠く離れた歩道上に乗り捨てられた自転車である。1週間に数回と言う頻度で新しく乗り捨てられた自転車に気付くのであるが、駅前の駐輪場にあった施錠していない自転車を勝手に乗って、自分の家近くで乗り捨てると云う不届き者の仕業ではないかと思う。

また、夜のウォーキング中にすれ違う小中学生の自転車の殆どが無灯火である。しかも、数人が固まってかなりのスピードなのである。ウォーキングどころではない恐怖を感じる程である。無灯火は、小中学生だけではない。大人も同様なのである。

上述の自転車にまつわる不届きな行為は勿論、不法行為である。不法行為だからけしからんと云うよりも、むしろ、他人に不愉快な思いをさせたり、不安を抱かせたり、損害を与えたりする行為である。少なくとも昔(昭和30年代頃)は、家庭でも、学校でも、他人に迷惑をかける行為は厳しく教育されていた所為か、あまり出くわすことが無かったように思い、現在の日本の混迷振りが此処に如実に顕れていると思うと共に、経済面ではよく『失われた10年』と言われるが、教育面では「一体、どれ位の年月が失われてしまったんだろう?」と思ってしまうのである。

考えてみれば、今は総選挙日直前の選挙戦真っ只中であるが、論戦の中心は、全てお金のことである。教育を叫ぶ党も候補者も全く居ない。「お金が無いから不幸せ、金さえあれば国民は幸せになる」と言わんばかりである。お金は確かに大切である。でも、お金がないと食べていけない訳ではない。昔は、隣近所が何かと助け合っていた。そして、今で云うホームレスの乞食が家々を回って食事を乞うている姿をよく見かけた。私の家でも勝手口に来た乞食さんに母が余りもののご飯を与えていたのであるが、今では考えられないことである。今は、近所同士も助け合わないし、困っている人を見掛けても助けようとはしない世の中である。弱者を見捨てている国柄であるから末端でも同じことなのだ。

私も、他人に知らないところで迷惑をかけているに違いないのであるが、少なくとも、意識としては、他人に迷惑を掛けないことを常に念頭に置いている積りである。出来れば、周りに困っている人があれば自分の出来る範囲で助けられたらと思っている。しかし、そのように思っている人々に出遇うことは少なくなっている。そして、上述の自転車に纏わる話となるのである。

私は、ウォーキングしながらふと考えたのである。「確か江戸時代は、鎖国時代だった。庶民の生活は苦しかったはずだが、助け合いの精神があったのではないか・・・。今は海外に市場を求めないと企業はやっていけないと言うが、江戸時代は、内需一辺倒だった。日本は自給自足していたのではないか。だから、地方ごとに知恵と工夫を凝らして地方ごとに異なる産業が生まれ、文化も生まれ、日本の伝統文化が栄えたのではなかったか・・・。自給自足だから、お互いに助け合う精神が受け継がれて来ていたのではなかったか・・・。そうだ、日本の改国は鎖国しないと始まらないのではないか・・・。米百俵の物語も、鎖国時代に生まれた話だ。経済政策オンリーの政治から、教育も大事の政治に転換されるには鎖国しかない」、と、現実味は無い話だけれど、真剣に考察したのである。

今から、156年前の1853年にアメリカのペリーの黒船が浦賀に来航し、151年前の1858年の日米修好通商条約の締結によって、徳川家光の時代の寛永年間1633年から始まった225年続いた鎖国時代が終わったのである。鎖国時代に失ったものは何があったのだろうか?むしろ、鎖国を終えてからの151年間に日本が失ったものの方が、実は取り返しの付かないほどのものかも知れないのである。これから150年掛けてでも、鎖国をしてでも取り返さねばならないものがあるのではないか?

それは、無相庵コラムで何回か申し述べて来た、そして無相庵自身がそれに依って心ある知人友人に救われて来た、困っている人は助けねばならないと言う、人間しか持っていない無意識層にある心だと思うのである。


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No.932  2009.08.24

親鸞聖人の和讃を詠む-70

● まえがき
皆さんは元旦に初詣に行かれますでしようか?我が大谷家親族で初詣に出かける者は居ません。それは、私の祖父、そして母親が親鸞聖人の教えを信奉していたことと無関係ではないと思います。今日の親鸞聖人の和讃は、親鸞聖人が直接的に神社参りを否定しているものではありませんが、今日の和讃は、親鸞聖人が迷信排除を断固として宣言して居られる根拠となっていると早島鏡正師は次のように述べられています。

聖人は卜占(ぼくせん)祭祀(さいし)の祭祀の左側に「ハラヘ マツリ」と訓をつけておられます。親鸞聖人の教えが他のいかなる仏教の宗派を超えて、迷信排除を断固として宣言しているという根拠がここにみられましょう。 すでに釈尊は『スッタ・ニパータ』などの中で、卜占祭祀や断食苦行を無益なものとして退け、それらはこころの清浄が得られないから、仏教徒はそれらにしたがうべきでないと強く誡めております。親鸞聖人においても、迷信排除を建前とせられたお釈迦様と同一のご精神であられたと思われます。現在、東南アジアの人びとは、昔から星占いによって生活の指針をきめております。釈尊は『ジャータカ』の中で、星占いにたよったばっかりにお嫁さんをとり逃がしたお婿さんを誡め、星によっていかなる利益があるのか、娘さんをお嫁に迎えること自体それが星に当たったというべきである、と説いております。 ―引用終わり

おそらく、親鸞聖人の周りの仏教徒と自称する人びと、特に本願他力の念仏信者の中にさえ、幸せを神頼みする人々が目立つのを歎かれたのだと思われますが、私は、それだけが親鸞聖人のお心のすべてではないと思います。早島鏡正師は、『親鸞聖人においても、迷信排除を建前とせられたお釈迦様と同一のご精神であられたと思われます。』と仰っていますが、私はむしろ、迷信を排除し切れない、と言いますか、ついつい苦しい時の神頼み、叶わぬ時の神頼みをしてしまう煩悩熾盛の凡夫の自己に目覚められ自己を誡められたのではないかと思います。即ち、ご自身の心の中に、幸せを願って神頼みする罪福心を見付けられて、自身への誡めを含めて詠われたのではないかと思います。

●親鸞和讃原文

かなしきかなや道俗の      かなしきかなやどうぞくの
良時吉日えらばしめ       りょうじきちにちえらばしめ
天神地祇をあがめつつ     てんじんちぎをあがめつつ
卜占祭祀つとめとす       ぼくせんさいしつとめとす

●和讃の現代訳(早島鏡正師の現代意訳)
かなしいかな、こんにちの出家や在家信者の人びとは仏教徒でありながら、日の良し悪しを気にして、吉日良辰をえらんだり天地の神々を崇めたり、占いに走ったり、神道のお祭りに憂き身をやつしている。

●あとがき
親鸞聖人は、父母の孝養の為に念仏を称えたことは一辺も無いと言われております。お葬式や法事でお経をあげられることも、お墓参りをされたことはなかったようです。その関係からか、私の母も祖父母の命日を特別大切なものとしていた記憶はございません。従いまして、私も父母の命日に必ずお墓参りしなければならないと言う強い気持ちを持っていません。

また、孫達のお喰い初めや、七五三のお宮参り等の神事に熱心でもありません。これは、仏教徒であるから神事を軽視していると云うことよりも、多分幼い時からの家庭の空気が染み付いている習慣から来ているのだと思います。

とは言うものの、会社経営を始めてから数年はいわゆる“えべっさん”参りを続けたことがありますから、叶わぬ時の神頼みをする私が居ますので、偉そうなことは言えません。 また、大いなる自然の働きを仏様と言い、神様だと言うのだと思いますので、その働きに畏敬の念を表す意味で、神社にお参りしたり、太陽を拝むことを頑なに排除することは却っておかしいと私は思っております。

親鸞聖人がこの和讃の中で、「かなしきかなや」と言う極めて微妙な表現をされていますのは、他の人々の姿を見られて、ただ単に「情けないことだ」と歎かれているのではなく、ご自分を含めて人間の弱い心を見詰められ誡められているのではないかと思います。

合掌


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No.931  2009.08.20

「何点でもよかたい」

8月18日の日本経済新聞夕刊の生活特集『子どもと育つ』に元マラソンランナー松野明美さん(熊本県出身、ソウル五輪女子1万メートル出場、現在はタレント、41歳)の子育て記事が掲載されていた。確か昨年テレビで紹介があったので、私は松野さんの次男がダウン症(染色体異常に依る先天的な疾患)であることは知っていたし、前向きに生きて居られることも知っていたが、今回の記事を読んで、彼女に仏法と関わりがあるかどうかは知らないが、今回の記事の締めくくりにある松野さんの言葉を読んで、これは浄土真宗で言うところの往相廻向・還相廻向が具現化された姿ではないかと思ったので、転載したいと思った次第である。

これより新聞記事―

▼ 長男を産んで1年後、次男はダウン症だった。心は大きく揺れた。「当時はダウン症という言葉すら知らなかった。親に伝えるのに悩んだ。次男の健太郎(5)は心臓疾患もあったので集中治療室に3ヶ月入り、その後も夫婦で病院通いに追われた。長男の輝仁(きらと、6)は私の母親の家に預けることが多く、寂しい思いをさせた」

「でも輝仁は小学1年生になり、元気で足が速い。身軽で、転んでもぱっと立ち上がる。学校のサッカークラブで活躍している。弟とおしゃべりが出来なくて、自分と異なることにもどかしさもあったようだが、2008年にテレビ番組で弟のことが何回か放映され、徐々に障害についてわかってきたようだ」

▼ ダウン症を他人に知られることには抵抗があった。「人生の負けという意識があったので、知られちゃいかんと隣人にも子どもの姿を見せなかった。タレントのイメージも崩れてしまうと心配した。つらかった。でもテレビ番組で明らかにしてからは、本当に人生が楽になった」 「健太郎は春から保育園に通っている。友達に囲まれて、嫌いな生野菜も食べるようになるなど、驚くほど変化している。入園前はストローを使えなかったのに、保母さんから『使って飲んでいる』と伝えられて、びっくり。周りの友達の真似をしているようだ。ある女の子は掃除嫌いだったのに、健太郎が入園してからはお手本を見せるように、ふき掃除をするようになったという。健太郎は助けられると同時に、周りに良い影響を与えていると保母さんが話していた」

▼ 障害者が自立できる社会制度を整えるため、動こうと考えている。「健太郎はおむつを外せないし、脱ぎ着もゆっくりだ。いつになったらおむつを外せるか。専門家の先生は10年かかる場合もあるという。私は思った。あきらめの気持ちで10年過ごすより、子どもと一緒に頑張って生きようと。その方が人間としての生きがいにつながる」 「人生観も変わった。以前は英語だ。スイミング教室だと、他人に負けないように子どもを育てることばかり頭にあった。今は比較に惑わされず、なぜか心がゆったりしている。『こどもは何点でもよかたい』という気持ちだ。ただ、今の制度ではダウン症の子の自立は難しい。健常者と小さい頃から共に歩める仕組み作りを健太郎を通して実現させたい」

―新聞記事終わり

彼女は悩みに悩んだ挙句、取り返しの付かないマイナスを受け容れた。そして受け容れただけではなく、これから生まれて来るダウン症の子達の為に自分が出来ることをしようとしている。 悩みから解放されるだけで終わるのではない。他の人の悩みをも引き受けようと行動を起こそうとしているのである。

これこそ、机上の空論ではない親鸞聖人の言われる往相廻向・還相廻向の姿だと思う。自分一人が救われればよいと言うのではない、尊い姿勢だと思う。 私の孫(女児、2歳8ヶ月)も右手の指が1本、生まれ付き無い。長女はお産後の病室で、赤ちゃんと二人きりになった時には赤ちゃんを抱き締めながら涙が流れて仕方がなかったと数ヶ月後のブログで告白していた。未だその孫は自分のマイナスを知るよしもない。これから長女にも、その孫にも、そして私たち祖父母にも乗り越えねばならぬ大きな壁が待っているのであるが、マイナスをプラスに転じる生き方が出来なければならないと、松野さんから仏法の生き方をあらためて教えて貰ったのである。


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