西川玄苔先生のご紹介

西川玄苔先生とのご縁は、昭和54年9月のNHK教育テレビ番組『こころの時代』に出られていた事が発端です。私の母も私も、一緒には住んでいませんでしたが、その番組を共に見ていました。仏教講演会である垂水見真会の新しい講師を求める気持ちも持ち合わせながら、毎週見ていました。

その日も、番組が終わった後の母との電話で『絶対に来て頂こう、お呼びしよう』、意見は即一致しました。
母は、直ちにNHKに電話を入れ、押しの一手で、連絡先を聞き出し、その日の中に、西川玄苔先生に電話を入れて、半年後の出講の約束を取り付けてしまいました。これは母にしか出来ない芸当では無かったかと思います。仏法を広めたい一心の熱意が、ガードの固いNHK番組担当者をして、母のペースに巻き込ましめたのだと思います。そんなに簡単には、出演者の連絡先は教えて貰えないものですから。

昭和55年4月26日、名古屋からお越し頂きました。講題は、『信心不可思議道』と言うもので、録音テープに残っておりますが、ほぼ一年前に出遭われた交通事故によって色々と感得、体得された心境を語られましたが、西川玄苔先生は、曹洞宗の僧侶でありながら、親鸞聖人の教えによって解脱された方でもあり、また、縁を結ばれた方々のお名前は、母も私も良く存じ上げている方々ばかりであり(白井成允師、甲斐和里子師、中村久子師など)、遠い昔からお付き合いをさせて頂いているような気を抱いたものでした。

それからは毎年、年に1回はお越し頂き、母が亡くなってからも、そのまま続いて今日に至っております。先生のお妹さんが、たまたま垂水区に住んでおられもし、母が西川玄苔先生の御母堂に似ているとかと言う事もありまして、公私共に、親しくお付き合いを頂いて参りました。

写真は、母が亡くなった翌年(昭和62年)、社用で名古屋に出張に参った時に、西川先生のご自坊である宋吉寺をお訪ねした時のものです(ご一緒に写っておられるのはご長男の慈海師)。

西川玄苔先生のご経歴

大正12年(1923年)12月15日に名古屋市に生まれる。東海中学から駒沢大学仏教学科卒業。久留米予備士官学校に入隊。大学時代より沢木興道老師に随身、約20年鉗鎚を受ける。宮崎安右衛門先生よりキリスト教、詩や石の話を教わる。稲垣錦箒庵先生(橋本関雪の高弟)より、南画の手ほどきを受ける。甲斐和里子女史、白井成允先生より、親鸞聖人の教えを聞く。富長蝶如先生より漢詩添削を受け、易経や荘子の講義を聴く。
名古屋、宋吉寺参禅道場を開いて50年、参洲足助山中に参禅道場竹林禅苑を開いて33年。
現在は、宋吉寺住職を長男慈海師に譲り、東堂として、執筆、講演に活躍されています。 2013年(平成25年)1月8日にお亡くなりになりました(享年90歳)。



[戻る]