逆境に処する心

常岡一郎

自分の顔に墨がついている。おかしい。他人は笑っている。自分だけが知らないで歩いている。五歳の子供でもすぐ教えてくれる。おじさん顔に墨がついているよと。驚いて鏡を見る。呆れる。これでよく平気で電車にのっていたのか、思っただけで恥ずかしい。すぐに洗い流す。

壇上で講演をしている。その私の後ろから短刀を持ってしのびよる人がある。危ない。この私の危険はすぐに人にはわかる。私だけが分からないでいる。アッ、危ないと教えられる。後ろをふり向く。危険が分かって壇からとび下りる。それでやっと危地をのがれる。こんな場合、私を守ることは、世界中で私が一番下手である。これが分かる。しかし他人の危険ならすぐに気がつく。注意してあげられる。身を投げ出して守ってあげることも出来る。しかし、世界中で一番下手なことは、私が私を守ることである。

下手な人にたのむより、上手な人にたのむ。字を書くのも、画を書くのも、出来るだけ上手な人にたのむ。これで安心ができる。それなら、自分で自分をまもろうとする利己心、我利我利主義は愚かなことになる。一番下手な生き方、やり方になる。

家でも外から支える棒は強い。風も防ぐ。しかし、内から支えた棒はたよりない。建具を守るだけである。家全体の守りにはならない。人間も自分、わが子、わが家を自分の力と知恵と欲でまもろうとする。これは危ない。自分の力も知恵も他人を守るために使う。そのゆり戻しで自分を守って貰う。日頃から他人と親しむ。信頼される。感謝される。よろこびを人の心にうえつける。それが自分にかえって来る。それで守って貰う。よい運命、よい天地の守り、これほど上手な生き方はないと思う。

人間はもともと守られてのみ生まれた。母の胎内には胃も腸も骨も手も足もなかった。何も材料はなかった。願って生まれた人もない。人間になる権利があったわけではない。それなのにすべての人は、首も手も足もすべて組み立てられた。胎内十月の心臓の試運転もして貰った。それで全く知らぬ間に生み出された。この設計、組み立て、この運営は生みの親も知らない。人間の知恵とは一切無関係に生み出された。だからすべての人は自分で生まれたのではない。生まれさせられたのである。天地自然の親の守り、許し、恵みがすべての人間の基本である。だから自分で自分を守ることはいらない。自分を磨けばよい。磨くためには相手がいる。独り相撲はとれない。のれんに腕押しも出来ない。相ふれるすべての人を相手に磨く。与えられた仕事に鍛えて貰う。逆境もまた自分を磨く砥石と思って勇んでこれを迎える。そのためには自分は自分を守る暇がないほど全力をしぼる。全身全霊を配り尽くす。ささげきる。そこにのみ自分が磨かれ育てられる。これが大自然の示す生き方の方向であると思う。

難局にのぞむ。八方塞がりとなる。その時、どうしてのがれるか。どう切り抜けるか。苦心する。工夫する。必死の努力をつくす。これは当然である。しかしその努力の方向がどちらに向けられるか。これが大切なことである。方向違いに向けられたら、せっかくの努力が無駄になる。のがれ出る道は何処にあるのか。それを見つける前に心の光がいる。光がなかったらさがせない。何よりも心に光をつけることである。

極まるとあわてる。暗い心になる。心がいらだつ。絶望感でがっかりする。立ちすくむ。これは愚かなことである。いつでも第一は心に光をつけることである。人間は心が主体である。この心の備えが崩れたら一切が総崩れになる。達磨は(だるま)はいかに押し倒されてもすぐに立ち直る。これは重心が低くおちついているからである。人間の重心も心である。切り抜けたいと願っても、許されねば出来ない。その許される第一条件は明るい心、ゆとりのある心、陽気な心、きげんのよい心、これが主体である。そこに切り抜ける勘が働くようになる。ハッと気付く、抜け道が見付かる。心の光で 打開の道と縁が結ばれて来るのである。

いかに切り抜けるかの前に、心のゆとり、心の光をつくること、これが基本である。もし心が明るくなれないとすれば、何かが狂っている。どこかに間違いがある。それを見つけ出して反省する。やり直す。最悪の場合もまたやむなし、自分の責任だと覚悟する。

自分にとって都合のよいこともある。自分には悪いが先方に都合のよいこともある。この世は天下のまわり持ちである。左足が進んだ方がよい時もある。その時は右の足は踏みしめたほうがよいのである。トントン拍子の進みもよい。どうにもならぬ進めない時も大切である。すべてが自分にとってちょうどよいことである。その意味を見つけ出すこともまた大切である。意味が悟れたら心が落ち着く。心に光がつく。

たとえば金が百万円いる。八方手を尽くしたが出来ない。時間が迫る。心は暗い。ハラハラする。しかしどうにもならない。その時はせめて心だけでも平常にとり戻さねばならない。金は必要がないのかな。どうにもならぬ中を恥かいて、叱られて、不徳の自分を否応なしに見詰める必要が今度はあるのだと悟れば心は落ち着く。

なんといっても出来ないことはそっとしておく。そうして自分のきげんをとる道を第一に努力する。それは何でもよい。まず手近な仕事をはじめる。手紙を読む。返事を書く。日記を書く。原稿を書く。本を読む。人に会う。気になる事を片付けはじめる。それはたやすいことからはじめる。そこに心が集中する。油がのりはじめる。心構え、腰構えが定まって来る。仕事にも熱がわく。興味もわく。私は常に仕事によって救われてきた。仕事が切れたら心はゆるむ。何か仕事はある。責任を感じる。これほど救われる道はないと思っている。どうしても出来無い事は焦ってもつまらぬ。出来ることをはじめていると心がまず救われる。それからふとよい勘が働く。よい縁が結ばれてくる。最悪の結果でもよい。たのしく迎える。何より心をつくることだと私は信じている。

常岡一郎師の略歴:
○明治32年福岡県生まれ、慶応大学理材科在学中、卒業前に結核にたおれ、学を捨て、闘病と求道に入る。
○昭和10年修養団体『中心社』を創設。養護施設中心学園、養護老人ホーム中心荘を経営して社会福祉に貢献、更に健康学園を創建。かねての持論である5健運動を推進。
○昭和25年、参議院議員に当選。12年間国政に参劃。
○昭和44年、勲二等瑞宝章を賜る。




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