国づくり 人づくり――@

山田無文老師

昭和38年10月8日、尾西市文化会館講堂にて

最近、首相は、しきりに国づくり 人づくり≠ニいうことをおっしゃいますが、どういう国を造ったらいいのか、どういう人間をお作りになりたいのか、そういう青写真は一向にお示しいただいておらんように存じます。

神武天皇の国づくりが、神話であって、歴史的な根拠が希薄だといわれれば、ごもっともだと思うのであります。明治維新の国づくりが、軍国主義になり、帝国主義にかたむいたからいけないとおっしゃれば、ご尤もだと思うのであります。終戦当時わたくしどもは、平和国家、文化国家を建設するのだと教えられて、国民が双手をあげて賛成したのでありますが、二十年も経たないうちに、また国づくり≠ニいわれますと、あのときの、文化国家、平和国家建設を謳ったのは、嘘だったのかということになります。一体こんどは、どんな国をお造りになりたいのか、わたくしどもには皆目判らないのであります。

人つくりということも、どんな人間をお作りになりたいのか、その具体的なことは、一向にはっきりしないようであります。これは総理大臣の私的諮問機関ではありますけれども、東大の総長をはじめ、社会のいわゆる有識者、文芸作家や、著名な婦人まで入れて、人づくり懇談会≠ニいうものが出来ておりますが、昨年の暮れに第一回の懇談会がありまして、そのときの結論としてうかがいましたことは、よい環境でなければ、よい人間はできない≠ニいう結論でございました。

賢い方がお寄りになりますと、ごもっともなことをおっしゃると思います。よい環境でないとよい人間はできない、全くその通りだと思うのであります。そんなよい環境はだれが作るのかといったら、そりゃ人間が作らねばならぬ。そんなよい人間はどうしたらできるのかといったら、そりゃよい環境がこしらえる。それでは、いつまで経っても、解決するときはないと思うのであります。

今年の五月二十七日に、第二回の懇談会がありまして、そのときは、やや具体的な提案が見られたようであります。人間の性格、性向というものは、五、六歳までのときに80%決まってしまうから、幼児の教育が最も大切である。人に好かれる人間になるのも、人と調和の出来ない人間になるのも、怠け者になるのも、勤勉な人間になるのも、五つ六つまでの間にほとんど決まってしまう。幼児の教育が大切であるから、政府はもっと、保育事業に力を入れなければならない。こういう提案がありまして、首相も、それはごもっともだ。政府も保育事業に力を入れようと、こういう事でありました。

その保育事業も、今までのように、親の無い子供や、貧しい子供ばかりでなく、一般社会に深く注目して、生活の楽な家庭の中まで、よく気を配って、子供の保育ということに力を入れなければならない。こういう提案でありました。

この頃、地方に廻ってみますと、農村では機械化や薬品の利用が進みまして、比較的に労働力が縮小され、楽に農業ができるようになっております。そこで時間が余りますから、そこへ都会の各種工場が目を付け、人手の足りないところを、埋めようと農村の婦人を駆り立てておるようであります。

ある会社などは、バスをもって農村を一回りして、毎日手の空いた婦人を集め、そして工場で働いてもらう。農村のご婦人方も、500円なり700円なりの現金が手に入りますから、みんな毎日、工場へ出かけなさる。家には、お年寄りと子供だけが残っておる。大事な幼児が、まるで野放しで、おばあさんにまかせってきりで放ってあります。そのおばあさんの教育が、行き届くはずはありません。金さえ持たせておけば、おとなしく遊んでおるといつて、金を持たせると、もう子供の時分から買い食いを覚えてしまう。そういう状態が、今日の農村にあるといたしますと、まことにこれは、憂うべきことだと思うのであります。

青少年問題を見ましても、中流以上の家庭から、不良化した青少年が出ることが多いように聞きます。お父さんは、社交的にまたは経営上、夜はたいがい料理屋でご飯をあがって、お宅ではめったに召し上がらない。朝は子供が学校へ行ってしまうころまで寝ていらっしゃるから、お父さんと顔を合わすことはめったにない。奥さんは、主人の威光を笠に着て、気位が高くて贅沢をなさる。そういう家庭の子供さんが、どうして健全に育つことができましょうか。そう考えますと、家庭の教育というものが、一番大事なことになりまして、人づくりは、まず家庭づくりからでなくてはならず、ことに大事なのは、お母さんだということになると思うのであります。

――次回に続く




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