心の詩ー工業大師

米沢英雄先生

    如是我聞
    大師は芋を石となし

              川端茅舎(かわばた ぼうしゃ、1897年〜1941年)

● 米沢秀雄師の感想
子供の頃、聞いたことがある。弘法大師さまが諸国遍歴なさっている時、小川で芋の子を洗っている婆さんに会われた。大師はおなかが空いていたので、その芋の子をわけてくれまいかと言われた。婆さんはこの糞坊主と思ったのであろう。これは芋の子じゃないよ、石ころだよとニベもない。ああそうかいな、石ころだったかいな、無心して悪かったなと大師は立ち去られた。
婆さんがうちへ入って芋の子を煮ようと思ったら、石ころに変わっていた。サァ大変、今のお坊さまはただ人ではおわさぬ、生き仏にちがいない、勿体ないことをしたというので、あと追いかけて大師に懺悔したという話。

如是我聞は経典の冒頭に出てくる言葉。釈尊はご自分で著述はなさらなかったから、教えを聞いた弟子たちが、私はこのように聞いたと、文責在記者のつもりでしるしたのかも知れない。これが私見、我流の解釈を雑(まじ)えず、仏説のままを信ずることになって、私心、はからい、疑いをさしはさまずに承るという聴聞の姿勢にまで深まったのであろうか。

茅舎は巧妙にも経典冒頭の一語を自句に引用したが、果たして彼は大師伝説をそのままに信じていたのだろうか。べつに信じないが、ただこう聞かされているというだけかも知れない。この伝説に対してはむしろこう言いたい。芋が石に変わる以前に、婆さんの心が石のようにかたく冷たく、人情に欠けていたのであろう。それが大師の具体的な説法に遇うて、かたくなな心にも人間らしいあたたかい血が通い初めたのであろうと。

芋が石になる話は、つくり話でも昔話でもない。科学技術万能の現代にもこの奇跡が横行している。私たち庶民は高度経済成長、ゆたかな暮しで食べられる芋があたえられることと信じてきた。あに図らんや、芋は公害の石と変じてきた。政治家も財界も懺悔どころか誤魔化すのに懸命。国をあげての如是我聞。

● 無相庵の感想
米沢先生が引用された弘法大師の作り話であろうが、公害の話に転換されておっしやっていることには、物の豊かさのみに関心を持ち、所得倍増に躍らされて身を削った私たち日本の高度成長期を突っ走った団塊の世代が如是我聞しなければならないのではないか。

水俣病は正しくその典型例であろうと思うのであるが、水俣病を発生させた株式会社チッソのみならず、人間の智慧は、自分の煩悩欲の前には無力ではないかと思う。

合掌ーおかげさま




[戻る]