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唯識の世界


7.阿頼耶識が溜め込むもの

阿頼耶識と言う心は、"4.八つの識"において、蓄える心と言う意味で名付けられたことを説明させて頂きましたが、この阿頼耶識は次の三つの役割を持つものとして位置付けられています。

@ 私達のあらゆる行為【身(行動した事)、口(しゃべった事)、意(心で思った事)】を溜め込む。
A その溜め込んだものによってその人柄やその人の環境的世界が決まってくる。
B 凡夫において阿頼耶識は、我執の対象として実体化され愛着され執着されるものとして働く。

@は、現行薫種子(げんぎょうくんしゅうじ)、Aは種子生現行(しゅうじしょうげんぎょう)と言う名でその働きは呼ばれています。Bは特別名付けられていませんが、盲目的に生き様とする力を生み出す源で、末那識と非常に密接な関係にあると言えます。
これらの三つの役割・働きに添いながら、阿頼耶識の実体に迫りたいと思います。

今回は先ず阿頼耶識が溜め込むものは一体なになのかについて考えたいと思います。唯識では、私達のあらゆる経験した行為(自分の行為だけではなく、受けた行為も含みます)をそのまま記録し貯蔵する心を阿頼耶識として考え出しました。そして一つ一つの行為を植物の種(たね)のようなものであるとイメージして、溜め込む一つ一つを『種子(しゅうじ)』と申します。そして、行為と言うのは、言動だけではなく、心に思った事、想像した事をも阿頼耶識と言う心に刻み込まれると唯識は考えます。

現行(げんぎょう)と言いますのは、私達が現に経験したあらゆる行為と言う意味と考えて良いでしょう。そして、その行為が種子(しゅうじ、種粒と言うイメージ)として阿頼耶識に薫じる、すなわち、薫りが衣服に染み付くように行為が阿頼耶識に染み入り記録されると言う事を薫習(くんじゅう)と云い、この阿頼耶識の働きを『現行薫種子(げんぎょうくんしゅうじ)』と名付けているのであります。

そして行為は、物心がついてからの行為だけではなく、この世に産まれ出た時から物心がつくまでに母親や周りの人々から受けた愛撫や、躾も、しゃべりかけられた言葉等も溜め込まれると考えます。更には、胎教といわれる母親の胎内にいる時に経験したこと、更に私達の無数の先祖達が経験したことなども阿頼耶識に情報として記録されているとまで唯識は考えます。これは、唯識が考え出された時代には解明されていなかった遺伝子の世界と重なる考え方ではないかと思われ、唯識の想像力に驚かされるところであります。

従いまして、私達が両親から受け継いだ30億文字分のデーターが記録されていると言われる遺伝子に、何億人と言う祖先達が経験したことを背負って、私達はこの世に生を受けているということだと思います。遺伝子即阿頼耶識ではないかも知れませんが、遺伝子にかなり近い役割として阿頼耶識が考え出されたと云ってもよいように思います。

阿頼耶識に色々な情報が記録されている事を実感するのは、初対面の人に対する印象が人によって明らかに異なる事を思う時です。初めて遇ったにも関わらず、好感をもてる人と、どうも苦手だなと感じる人、どちらとも言えない人に瞬時に判定してしまいます。テレビで見る俳優やタレント或いは一般登場人物についても同様に感じます。これは、それこそ、先祖から顔形と好き嫌いの関係情報を受け継いでいるからであるとしか思えません。

阿頼耶識の恐いところは、心で思った事、想像したことまでも溜め込んでゆくとろです。たとえ言動に出さなくとも、恨み心を積み重ねてゆくといずれは爆発しかねない恐さがあります。一方、気付かないうちにストレスを溜めてゆきますと、ある時に病と言う形になって現れることも、阿頼耶識の恐さではないかと思います。

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