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唯識の世界


15.随煩悩の検証―A

2.うらみ【恨(こん)】
太田久紀先生の説明:
『法相二巻抄』には、
人をうらむる心なり。恨をむすぶ人は、おさえ忍ぶ事あたわず。心のうち常になやまし。
といわれている。
これも、<瞋(いかり)>の根本煩悩の上に激しく動く心所であろう。<忿>が、一時的に爆発的に激動するのに対して、<恨>は、燃えるともなく消えるともなく、ブスブスとくすぶり続けて持続していく。<忿>が陽性なのに対して、これはかなり陰湿である。

能「綾鼓」は、<恨>の芸術である。
宮廷の庭掃きの老人が、女御の姿に<こころ>を奪われ恋慕の思いに乱れる。女御はそれを聞き、綾の絹で作った鼓を池の横の桂の木にかけ、その鼓を打て、鼓の音が聞こえたならば、また姿を見せてやろうとたわむれる。綾の鼓の鳴るはずがない。庭掃き老人が、どんな思いを込めて打とうとも綾絹の鼓は鳴らない。<恨>を胸に秘めて老人は池に身を投じてしまう。

そして女御の前に亡霊となって現れ、今度は女御に向って、綾の鼓、打ち給えと迫る。

桂にかけたる綾の鼓、
鳴るものか鳴るものか打ちてみたまえ、・・・・打てや打てや
と迫る。むろん鳴るはずはない。恋を玩ばれた恨みは、ますますつのる。
あら恨めしや恨めしや。
あら恨めしや、恨めしの女性や・・・・

と<恨>に狂うシテを舞台に舞わせながら、この一曲は終わる。なんともやりきれぬ救いなき能である。ここに描かれているのは老人の恋である。もてあそばれた恋への<恨>である。救いも解決もない。 <恨>とは、元来そのようなものであるのであろうか。

―引用終わり

“恨む”は広辞苑では、「他からの仕打ちを不当と思いながら、その気持をはかりかね、また仕返しも出来ず、忘れずに心にかけている意」と説明されています。 太田久紀氏が引用されている恋心に関わる恨みは、最も起こりうる<恨>ではないかと思われます。

自分可愛さを否定された時に瞬間的に生じるのが<忿>であると思いますが、<恨>もまた自分可愛さを否定された時に生じるものだと思います。では、<忿>と<恨>を分けるのはどのような要素があるのでしょうか。

私は、<忿>と<恨>と言うことから直ぐに思い付くのが、最近のニュースにあった奈良の隣人に対するラジカセ騒音と罵声を9年間にわたって浴びせた老女の「怒りに満ちた表情と言動」です。9年間にわたる言動は、<忿>ではなく、<恨>だろうと思います。9年間も続けられる<忿>を<恨>と言うのだと思いますが、これほど長期にわたって持続させたエネルギーは一体何処から湧き上がるのでしょうか。

私は、これまでの人生で<恨>と思われる煩悩が燃えあがった時を必死で思い返しているのですが、なかなか見付かりませんでした。しかし、「何故自分は認められず、彼が何故認められるのか?」と言う場面を思い出しました。一つは、大学のテニス部に入部したての頃のことです。 私と同期のK君は高校時代に全国大会でベスト8になった実績のあるプレーヤーで、私は高校時代にはテニス部に所属しておらず実績はゼロでした。しかし、部内の練習試合で、私は彼に負けた事は一度も有りませんでした。しかし、関西リーグ戦に出場する5組のレギュラーメンバーに、彼が選ばれ、私は選ばれませんでした。非常に悔しい想いでしたし、もうこんな不公正なクラブは辞めようとも思いました。しかし当時同じクラブに所属していた3年上の兄に説得され、何とかクラブを辞めることなく2年生になってからはレギュラーに登用されたと言う経験があることを思い出しました。

また、再就職した会社で同年の社員に比べますと出世が遅く、納得がいかなかった時期があります。一部上場の会社ではありましたが有名企業ではなく、直ぐにでも役員になれる位の気概を持って就職致しましたから、自分は未だ平社員なのに同じ歳の人が課長に昇進した時にはさすがに、私の同窓でもある上司(研究所所長)に恨みに似た感情を抱いたように思い起こします。しかし、今にして思うことは、同窓である先輩上司に敬意を持っておらず、反抗的言動を取っておりましたから当たり前の結果であると思います。そしてそれは爆発的な<忿>ではなく、<恨>の感情ではなかったかと思い起こしています。

このような事を思い浮かべますと、<恨>は、恨む原因を自分の側に求めず、他者に求め、しかもその理由が分からないと言う時に起こる煩悩であることが分かります。

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